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むささびの鳴き声 green alliance
2011年6月19日
2011年も半分が過ぎようとしています。ためいきが出るほど月日のたつのがはやいですね。埼玉県はこのところかなり涼しいです。みなさまのところはいかがでありましょうか?

目次

1)フィンランド:国のブランド
2)中国:リッチになる前に高齢化?
3)英国にBig Society思想は要らない!?
4)悲観主義時代の「怖がらせ合戦」
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)フィンランド:国のブランド


フィンランドの携帯電話メーカー、ノキアのJorma Ollila会長がロンドンにおけるビジネス関係のミーティングで「国のブランド」(country brand)をテーマに演説をしたということが、在英フィンランド大使館のサイトに出ていました。「国のブランド」って何のことか分かります?商品の世界のブランドというと「高級イメージ」という言葉で説明できますよね。「国のブランド」というのは、その国が国際的にどのような特徴・強みを持っているとされているのかということに関係します。

Ollila会長は、外務大臣の呼びかけで立ち上げられたフィンランド・ブランド委員会(Finnish Country Brand Committee)の委員長を務めており、何がフィンランドのブランドとして国際的に認知されるべきかを考えてきたわけですが、彼がフィンランドのブランドとして挙げたのは次の3点です。

1)機能性(functionality):Ollila会長によると「フィンランドはものごとがうまくいく国」(In Finland things work)なのだそうで、それはトラブルが起こったときの対処についても言えるとのことであります。

2)自然との共生(special relationship to nature):良くも悪くもフィンランドと言えば「手つかずの自然(wild, untouched nature)」と関連付けて語られることが多く、有機食品の開発などでも知られている。

3)教育(education):フィンランドといえば優れた教育というわけですが、それはどちらかというと子供教育の話であり、大学教育でもスーパーパワーと言われるようにしたいというのがOllila会長の願いです。

つまりフィンランドが上のような特徴を有している国であることが国際的に広く認知されることによって、観光先としてのフィンランド、高性能の製品産出国としてのフィンランドを国際的に押し出すことができるし、なによりもフィンランド人自身が自分がフィンランド人であることに自信が持てることが大きいとされるわけです。

▼かつて(いまから10数年前)英国も同じようなことをやったことがあります。ブレア政権が出来た1997年ごろに英国のイメージアップ作戦が政府の肝いりで展開されたのですが、そのときに使われたスローガンがCool Britanniaというものだった。Coolという言葉には「かっこいい」とか「しゃれている」という意味がありますよね。それまでの英国というと、どちらかというと「歴史と伝統」とか「大英帝国」というイメージで語られることが多かったのですが、ブレアさんたちが手掛けたのが「新しい英国」のイメージ流布作戦だった。それをするには尤もな理由があったのですよね。 英国という国が古さだけを誇りにしている国と見なされることは、英国に必要な新しい産業の育成などには全くの足かせである、とブレアさんたちは考えたわけです。

▼で、結論から言うとCool Britanniaというブランド作戦は国際的に余り成功したとは言えない。大英帝国のイメージが余りにも強かったこともあるけれど、そもそも英国内において受けが悪かった。英国人たちが「英国の良さは何と言っても歴史と伝統だ」と思っているふしがあったからです。

▼ただ(長くなって申し訳ないけれど)私がフィンランドのブランド作戦を紹介したのは、いまの日本ならどのようなブランド作戦を展開するだろうかということを考えてみたかったからです。以前は「歴史と伝統」、「高品質の製品」、「犯罪が少ない」、「信頼がおける人々」、「マンガの国」と言ったようなイメージがあって、外国人も日本人もそれらを「日本ブランド」(という言葉は使わなかったけれど)として認知していた。

▼2011年3月11日以後は、これらの特質が消えてしまったわけではないけれど、大震災と放射能の国という評判が余りにも強く定着してしまったような部分がありますね。「国ブランドの確立」は国際舞台を相手にしているけれど、基本的にはその国の人々が自分たちの何を最も誇りにしているかということであり、それはたぶん上から与えられるようなものではない・・・というようなことを書き始めると、絶対に終わらないのでこの辺にしておきます。


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2)中国:リッチになる前に高齢化?


ちょっと古いのですが、4月末のThe Economistのブログに中国の人口問題についてのエッセイが出ていました。それによるとChina is still likely to be the first country to grow old before it gets rich(中国はリッチになる前に高齢化社会を迎える初めての国となる可能性が高い)となっています。

昨年(2010年)行われた中国政府の国勢調査によると、人口は13億4000万人で世界一ではあるのですが、人口増加のペースは前回の国際調査のとき(2000年)よりも落ちており高齢化はペースは早い。The Economistによると、30年間続いた一人っ子政策(one-child policy)のお陰で人口増加率と出生率が確実に落ちているのだそうです。

女性一人が生涯で生む子供の数のことを「合計特殊出生率」(total fertility rate)というらしいのですが、中国の場合、前回と今回の国勢調査では合計特殊出生率が1.8人と推定されています。それだと「一人っ子政策」と合わないような気がしますが、そもそもこの政策はユニバーサル(全国的に施行されている)なものではなくて、いろいろと例外があるのですね。農村部の家族は、最初の子供が女であった場合は二人目を持つことが許されるし、少数民族は二人以上が可能であり、最近では夫婦それぞれが一人っ子である場合も許されるのだそうです。

人口問題の専門家の間では、中国の 合計特殊出生率は政府が言うように1.8人ではなくて、実際には1.5人あたりではないかとされている。しかし1.8人というのが本当だとしても、中国の労働力は数年後には減少傾向に入ることになるとThe Economistは言っています。すでに60歳以上の割合が2000年の10.4%から2010年には13.3%となっているし、16才以下の割合は2000年には23%であったものが10年後の2010年には16.6%にまで減っている。年寄りが増えて子供(将来の労働力)が減っているわけです。

この際一人っ子政策を廃止するか、少なくとも緩和すべきだという声があるのだそうですが、The Economistは、一人っ子政策を緩和したとしても「人口構成の変化は中国に変化をもたらさざるを得ない」(China would still be scrambling to cope with the changing shape of its population)と言います。今回の国勢調査の結果として言われているのが経済の構造改革で、労働集約型の輸出製造産業からの脱却が叫ばれているのですが、そのためには国内消費に立脚した経済構造にする必要がある。しかしこれは人口の高齢化で国民が健康と高齢者の生活の安定を求めるのでそれほどの消費をするだろうかという疑問がある、というわけです。

The Economistはまた、一人っ子政策が生み出した性別の不均衡についても触れています。2010年の国勢調査によると、性別の出生率は女の子100人あたり男児は118.6人です。男児の数は2000年の116.9より増えており、中国は女性よりも男性の方が多い国になっている。これは出産する親が女児より男児を望み、出産前に女児であることが分かると堕胎するからなのだそうです。尤も全人口を見ると、女性一人当たりの男性の数は105.2人。2000年には106.7人であったのだから多少は不均衡が是正の方向に向かっている、とThe Economistは言っています。

中国の人口問題を考える際に、彼らがどこで暮らしているかということも考える必要がある。2010年の調査では、全人口の約50%が都市部に住んでいることになっている。2000年には36.1%であったのだから、かなりの伸び率ではある。農村部からの国内移民労働者は1億2100万人(2000年)からなんと2億2140万人(2010年)にまで増えている。中国人の6人に一人が本籍地から離れた場所で働いているということです。

China’s leaders often seem obsessed with the threat of unrest, and the necessity of stability. Looking at the bare statistics revealed by this census is not going to help them sleep any easier.
中国の指導部は反政府活動に神経をとがらせ社会的な安定の必要性に固執しているように見える。しかし今回の国勢調査によって明らかにされた統計もまた指導部に平和な眠りを約束するものではなさそうである。

というのがThe Economistの記事の結論であります。

▼先日ある印刷物を読んでいたら、かつて原子力を担当した新聞記者が集まって、福島原発の事故を話題に座談会をやっていました。その中の一人が次のように発言していたので紹介します。

自然エネルギーだけでやっていかなきゃいかんということであれば、日本の人口を半分以下に減らさなきゃだめですね。日本は過密社会だから1人当たりの自然が少ない。

▼つまり日本の人口を5000万にしろと言っている。そうすれば原発などやらなくても済むとおっしゃっているわけです。国土面積の割には人間が多いので使える自然が少ない。だから人口を減らしましょう、と。私の知るところによると、フィンランドという国は日本と似たような面積で、人口は500~600万だから日本の20分の1です。この「かつてのジャーナリスト」などは泣いて喜ぶような少なさ加減です。なのに新しく原発を作ろうとしている。フィンランド人はよほどの原子力マニアだってこと!?

▼日本の人口ですが、 エイジング総合研究センターという組織のサイトによると、今から60年前の1950年で約8300万、2005年で約1億3000万ときて、40年後の2050年には約8800万にまで減ると推測されている。このジャーナリストには申し訳ないけれど5000万というのは、中国のように一人っ子政策でもやらない限りしばらくは無理なんでない?私、親切心で、この人に電話して「人口を減らすべしというのなら、まずアンタがいなくなるってのはどうなんです?一人は減りますよ」と言ってあげようかと思ったのですが、気分を害するかもしれないので止めました。親切がアダになるってこともある。


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3)英国にBig Society思想は要らない!?


英国のCharities Aid Foundation(CAF:チャリティ支援財団)という組織はお金を与える人や組織(ドナー)とそれを与えられるチャリティ団体の間のコーディネーションを仕事にしているのですが、この組織が最近World Giving Indexという報告書を発表しいています。これは世界153カ国を対象にそれぞれの国の人々がどの程度「施し(Giving)」を行っているかを調査したものです。

報告書はここをクリックすると読むことができます。それぞれの国で15才以上の約1000人を対象に、前の週に次のような行為をしたかどうかを問うています。

チャリティ団体のような組織に寄付をしたか(donated money to an organisation)?

何かの組織のために自発的に自分の時間を費やしたか(volunteered time to an organisation)?

見知らぬ人を助けたか(helped a stranger, or someone they didn’t know who needed help)?


要するに、どの程度の人々が社会や人助けのためにお金や時間を使ったかをアンケート調査で調べたわけですが、全体的な平均でいうと、20%が何かの組織(政党も含む)のために時間を費やしたとしており、チャリティ組織に寄付をしたのは30%、最も多いのは「見知らぬ人を助けた」の45%であったそうです。そして総合点では、ニュージーランドとオーストラリアが57%でトップ、次いでアイルランドとカナダが56%、スイスとアメリカが55%などとなっており、英国は53%で第8位、日本は22%で119位となっています。

この報告書では地域別のランキングが出ているのですが、日本が入っている東アジアでは香港、モンゴル、台湾、韓国、日本、中国の順になっている。西ヨーロッパではアイルランドが1位で英国は4位、ドイツが8位でフランスは17位などとなっています。またベスト20に入っているは必ずしも「欧米先進国」というわけでなく、スリランカ、ラオス、トルクメニスタンなども入っているのが興味深いところです。

8位の英国ですが、キャメロン首相が提唱している「大きな社会」(Big Society)は「市場と国家の中間地帯」(space between the market and the state)、つまりチャリティ組織やボランティア活動が大きな役割を果たす社会作りを目指すもので、その奨励策の一環として、例えば銀行のATMを通じて募金ができるようにするとか、ボランティア大賞のようなものを設立する等のことが考えられている。

が、The Economistなどによると、このアイデアは肝心の保守党でもあまり受けが良くない。いまさらBig Societyなど叫ばなくても、英国は国際水準からしても十分にチャリティやボランティアリズムが盛んなのだから、政府は日常的な意味での経済政策や公共部門のサービス向上などに努めるべきだというわけです。それでもキャメロンがBig Societyにこだわるのは何故なのか?一つにはキャメロン自身が「歳出削減」というどちらかというと後ろ向きな政策との関連でのみ捉えてもらいたくないと思っているということがある。Big Societyという楽観的で明るいイメージを打ち出したいということです。

しかしもっと大きな理由はキャメロンの生い立ちにある、とThe Economistは言っています。彼自身が名門家庭の生まれで、育ったのもボランティア活動や教会活動が盛んで、ロータリークラブも重要な役割を占めているという古き良きイングランドだった。が、後になって英国には恵まれない地域もあるということに気づき、これを何とかしたいという情熱に駆られたということです。

というわけで、The Economistなどは「キャメロンのBig Societyというビジョンがどの程度実現可能なものかは疑わしいけれど、実現したいという真摯な気持ちは疑いがない」(The feasibility of his vision is questionable. The sincerity behind it is less so)と、批判的なのか好意的なのか、良く分からないコメントをしています。


▼確かに英国の場合、どこへ行ってもOxfam、Cancer Research、Age Concernのようなチャリティ団体のショップがあるし、寄付という行為は盛んであるように見えますね。こればっかりは「伝統」であり「習慣」であるとしか言いようがない。この数字に見る限りにおいて日本は異常に低いですよね。これは何なのでしょうか?検討してみる必要がありますね。


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4)悲観主義時代の「怖がらせ合戦」


mongerという英語は「~を流布する」という意味ですね。rumour-mongeringというと「うわさを流す」という意味であり、scandal-mongerというのは「陰口を言う」ということです。英国のケント大学で社会学を教えるFrank Furedi教授のブログを読んでいたら、ここ25年ほど流行っているのがscaremongering(恐怖心の流布)であると言っています。直近の例として教授が挙げているのが、ドイツ政府が打ち出した2022年までに原発を全廃するという方針です。

Germany’s hysterical decision to shut down all its nuclear power plants exposes the dangers of competitive fearmongering.
全ての原子力発電所を閉鎖するというドイツのヒステリックな決定は恐怖心の流布合戦というものが如何に危険であるかを露呈した。

と教授は言っています。

福島原発の事故以来、ドイツを含めた全世界を「核の恐怖」が席巻したわけで、反原発のscaremongeringが功を奏したということです。ドイツ政府が古くなった原子炉を延長して使用すると発表したのは昨年秋のことでそれほど以前のことではない。これ以上二酸化炭素が増えると地球全体が危機的な状況になり、将来の世代に深刻な事態をもたらすという「恐怖心の流布」状況があり、その解決には原子力発電しかないという意見が受け入れられたわけ。それから半年後に福島の原発事故が起こったわけですが、人々に差し迫った恐怖感を与えたという意味では二酸化炭素よりも「福島」の放射能の方がはるかに強かったということになる。

「~をしなければ大変なことになる」という類のscaremongeringの例は枚挙にいとまがない。国際テロ、気候変動、インフルエンザ、エイズ、人口の増加、肥満問題・・・どれをとっても、いま対策を打たなければ人類が滅亡するというような雰囲気のキャンペーンが繰り広げられ、メディアによって煽られている、と教授は指摘します。

1990年代に「遺伝子組み換え食品」(genetically modified foods:GM foods)が問題になったことがありました。反GM食品派が遺伝子組み換え食品のことを「化け物食品:Frankenstein food」と呼ぶメディア・キャンペーンを展開して恐怖感をまき散らすことに成功したわけですが、それに対してGM食品推進派もscaremongering方式で反撃した。即ち遺伝子組み換え食品の技術開発を奨励しない限り人類全体が飢餓に苦しむことになるだろうというわけです。雑誌、Country Lifeなどは「この食品技術を採用しなければ、将来の世代は我々のことをアホか犯罪者かのどちらかだと思うに違いない」(future generations will think us crazy, or criminal, not to embrace it)とまで主張する力の入れようだった、と教授は言います。

教授が挙げる、現在の英国で進行中の「恐怖心の流布合戦」は皮膚ガンを巡る議論です。ある専門家グループが「数百万人の英国人が日焼け止めを十分につけていないので皮膚ガンの危険性にさらされている」と、あたかも日光浴が危険行為であるかのような警告的発言をしたところ、別のグループの専門家たちが「日光を十分に浴びないと、ビタミンD不足で深刻な健康被害を引き起こし、場合によっては早死にする」という全く逆の警告を行ったのだそうです。普通の人たちにはどちらが正しいのか知るだけの手立てがない。その結果、皮膚ガン覚悟で日光浴をするのか、ビタミンD不足で早死にを覚悟するかという、どっちみ大して嬉しくない選択を強制されることになってしまった。

Furedi教授は、公式報告によるとチェルノブイリの原発事故の結果として引き起こされたガンが理由で、約1万人が死んだかもしれないとされているけれど、炭鉱事故や石炭による空気汚染が原因で死亡した人の数の方がはるかに多いとしています。にもかかわらず石炭産業で引き起こされた死亡は、原発関連の死亡事故のようなヒステリアを引き起こすことがない。なぜ原発事故がそれほどの恐怖を呼び起こすのか?教授によると「タイヘンな破壊を伴うパワフルなテクノロジーを安全に、責任を持って、合理的に利用する社会全体の能力に確信が持てなくなっている」(because of society’s loss of confidence in its capacity to use very powerful technology safely, responsibly and rationally)ことが背景にあるのだそうです。

Back in the early part of the twentieth century, the language of optimism and hope provided a vocabulary for discussing radiation; but today, when we don’t trust ourselves to handle such a powerful force, we adopt the vocabulary of pessimism and fear.
20世紀初頭においては、楽観主義と希望の言葉によって放射能について語り合うことができた。が、今日の我々は原子力のようなパワフルな力を自分たちが取り扱うことへの自信がなくなってしまっている。我々が採用するのは悲観主義と恐怖のボキャブラリーということになってしまっているのだ。

教授に言わせると、21世紀の今日、科学技術の発展には必ずと言っていいほど「健康被害への警告」(health warning)がつきまとい、人類が自分たちの運命を自分たちの手で切り開こうという願望そのものが疑いの眼で見られる傾向にある。そして原子力はあたかも19世紀におけるフランケンシュタインのような扱いを受けるに至っている。原子力にはタイヘンな破壊能力があることは事実であるとしても、それはまた人類の生存を助ける可能性のある技術であることも事実であると教授は言います。

Furedi教授は、悲観主義がはびこるいまこそ「人間が持つ可能性」(human possibilities)に対して前向きな姿勢を取り戻す必要があるとしており、そのためには科学技術に関する議論を「恐怖心の流布合戦」から引き離して行う必要がある、としています。ドイツ政府が昨年、原子力発電の継続を決めたのは、それをやらないと地球温暖化で人類が破滅するという「恐怖心の流布」を基に主張された「原子力発電こそが唯一の解決策」という声に従ったということです。それが今度は「原発があると人類が破滅する」という逆の恐怖心が勝利をおさめてしまった。

the challenge is to overcome the temptation to play the fear card, and promote the positive and transformative potential of nuclear and other important technologies.
「怖がらせカード」を使いたくなる誘惑に打ち克ち、原子力のもつ前向きかつ時代を変革するような潜在能力を伝え続けることであり、このことは原子力以外の重要な技術開発についてもあてはまるのである。

というのがFuredi教授の主張です。

▼この教授の言っていることをいまの日本に当てはめると、一方に「原発は怖い→自然エネルギー論」があり、もう一方に「原発なしでは日本経済の将来は真っ暗→原発維持論」があることになる。そして「原発は怖ろしいから自然エネルギー」というのは個人的な感覚としては分かるけど、間もなく「のど元過ぎれば・・・」ということになって、結局風力も太陽熱も「やっぱ原子力には勝てないな」という「現実論」に落ち着いたりする。原発のあるなしにかかわらず自然エネルギーはいいのだということになって欲しいわけですね。もう一方で「日本経済を破滅させるのは怖ろしいし地球温暖化も怖ろしい、だから原発が必要だ」という考え方は「福島」の現実の前では破たんしているのと同じです。

▼ドイツやイタリアは「脱原発」路線かもしれないけれど、電力を原発大国のフランスから輸入するのですよね。ということは、ドイツ人やイタリア人が使う電力の何割かは原子力発電によるものであることに変わりはないわけですね。たまたま発電所がフランスにあるというだけのことで・・・。放射能は国境など関係なしに飛んで行くのだから、フランスの原子力発電所で事故が起こった場合、イタリアやドイツも放射能の影響を受ける。だったら同じことではないかと(私などは)考えてしまう。

▼さらにドイツやイタリアが脱原発路線を歩むということは、これらの国では安全な原子力発電を目指す研究もしなくなるということなのでしょうか?妻の美耶子によると「おそらく、いまの人類の知識や経験では原発など危ないから止めた方がいいかもしれないけれど、それはそれとして、人間が安全に管理できる原子力発電技術の開発を目指すことは続けるべきだと思う」とのことでありました。つまり原子力をタブーのように扱うのは止めた方がいいということです。私もそう思うのですよね。

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5)どうでも英和辞書

cheese xxxx off:xxxxを怒らせる

語源がどこにあるのか調べたのですが分からなかった言い回しです。She was rude and cheesed me off(彼女の態度が悪くてアタマへきた)と言うのですね。最近この言葉を見たのは6月7日付のDaily Telegraphだった。話題は来年のロンドン五輪の入場券を購入するために申し込んだロンドン市長のボリス・ジョンソンがクジにはずれて入手できなかったということ。

Clearly it's been a massively popular thing and there's no surprise the event has attracted so much demand for tickets but I'm massively disappointed and cheesed off.
オリンピックがとてつもない人気なのだから皆がキップを欲しがるのは当たり前です。が、アタシとしてはとてつもなくがっくりしており、アタマへきています。

というのが市長のコメントです。cheese offがどちらかというとスラングに近い言葉なので「アタマへきています」という日本語にしてみました。ジョンソン市長の場合、ロンドンがホストの五輪だから市長である彼はオフィシャルな肩書きで五輪見物は出来る。このほごはずれて「アタマへきた」と言っているのは家族のために申し込んだキップが入手できなかったからです。市長という立場の人が「普通の人扱い」されたことについてジョンソン市長は次のようにコメントしています。

I am proud to be British. No other country or culture in the world would have a situation where the mayor of the host city goes into a ballot for tickets for his family and gets rejected.

「世界広しといえども、ホスト都市の市長が自分の家族のキップを申し込んで断られるのは英国だけ。そんな国の人間であることに誇りを覚える」というわけです。偉いさんだからって特別扱いはされないということです。

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6)むささびの鳴き声

▼久しぶりに本屋さんへ行きました。特に買いたい本があったわけではないのですが、新刊書コーナーに並んでいる「反原発」をテーマにした本の数には圧倒されてしまいました。それぞれの著者にカネ儲けつもりはないのでしょうが、出版社の思惑は「反原発モノは売れる」ということなのでしょうね。ずらり並んだタイトルを見るだけでも怖ろしくなる。

▼そのような本の中に京大原子炉実験所の小出裕章(助教)という人が書いた『原発のウソ』というのがありました。この人は(私が知らなかっただけで)過去40年間にわたって反原発論を主張してきたのだそうです。その小出さんが、岩上安身さんというジャーナリストが主宰しているサイトのインタビューの中でコメントしたことによると、福島原発事故のお陰で「発電所から700km先まで」が「水を飲んではいけない、食べてもいけない。そこで寝てもいけない。タバコを吸ってもいけない。子供を連れ込んではいけない」場所になるのだそうであります。しかし政府はそれを言わない。「パニックを怖れるから」というのが小出さんのご意見です。

▼でも福島から700kmというと京都も入るかもしれない。小出さんご自身もいまのうちに逃げた方がよろしいのでは?埼玉県飯能市は間違いなく入ります。私(と妻の美耶子とワンちゃん2匹)には逃げる場所がありません。というわけで意地でも飯能市に残るつもりであります。私、最近「意地」という言葉が好きになっております。美耶子はクリスチャンであり、「信仰」が命ですが、私の場合は、「意地」で生きているような気がしますね。ひょっとすると「信仰」と「意地」というのは兄弟のようなものなのかもしれない。

▼人から言われる言葉にはっとすることがありますよね。最近、私があるジャーナリストから頂いたメ-ルに「一度、リーダーを選んだら、ある程度のところまでは責任持って支えなければいけない」というのがありました。いわゆる「菅降ろし」に関連した言葉です。この場合、主に民主党の議員のことを言っている。菅さんと小沢さんの二人を候補者にした代表選びで民主党の人たちは菅さんを選んだのです。それがいまになって「ペテン師」とか何とか言って自分たちが選んだ代表を引きずり降ろそうとしている。

▼「選んだ者の責任」ということは、私もうすうす考えていたこと(だと思う)けれど、言葉として発するほど熟した状態ではなかった。それをズバリ言葉にされて「そうなんだよな」と納得してしまった。みんな「選ばれた政治家」の責任についてはヤイヤイ言うけれど、その人たちを選んだ自分たちの責任はどうなのか?このジャーナリストが言うように、ある程度までは支える義務があるのではないかと思う。これは有権者にも言える。2009年の選挙で自民党の一党支配を拒否した、あれは何であったのか?官僚(と産業界)による政治(家)支配を止めて、自分たちでものごとを進めることを希望したのではなかったのか?「役人を上手に使う」とかいう政治のやり方を止めようとしたのではなかったのか?

▼私が「菅さん、がんばれ」というのは「民主主義システム、がんばれ」という意味であって、菅さん個人に対するエールではないことは言うまでもありません。「選んだ者の責任」を果たしたいということです。ところで、菅さんが辞めた後の「大連立」について「民主党と自民党が酔っ払った老人のようにお互いの腕にもたれかかるだけだ」(the DPJ and the LDP would simply fall into each other’s arms like two old drunks)とThe Economistなどは言っています。支え合いながらとりあえず立っているのがやっとということです。「酔っちゃいねえよ。ただアンタの顔が二つに見えるだけのこと」「アタシだって酔ってなんかいませんよ。連立?なにそれ。方程式ですかぁ!」という感じですね。

▼6月ももう下旬なんですね。あと2週間もすると、私は70才になるのであります。ひょっとするとクルマの運転のときにヘンなマークを貼らなければいけないんでしたっけ?あれはいやですね。イキじゃないもんな。あんなもの付けてドライブしてみなさい。「あのじいさん、入れ歯だらけのくせに、いい加減にクルマなんか止めればいいんだ。ああいうのが、アクセルとブレーキを間違えて踏んだりするのさ。乳母車でも押してりゃいいのに。年寄りの冷や水ってえから、この際、水ぶっかけちゃおうか!」とか何とか言われるんだろな、いまどきの若いやつらときたら・・・「水ぶっかける」とは何だ!と言ってやりたいけど、入れ歯が外れたりするとまずいか。

▼というわけで、今回も長々とお付き合いをいただきありがとうございました。

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