musasabi journal

223号 2011/9/11
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美耶子の言い分 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
こんにちわ。本日は9月11日で、世界的にはあの同時多発テロから10年ということですが、私にとってはあの大震災から6か月という日です。皆様にとってはどちらでしょうか?

目次

1)9・11:あの日、ニューヨークで
2)日本に新首相:Here we go again
3)住宅不足がますます深刻に
4)植民地が宗主国を救う?
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)9・11:あの日、ニューヨークで

上の写真、クリックすると大きくなるので、やってみてくれませんか?それからこの記事をお読みいただきたいのです。

最近(9月2日)のGuardianに掲載されるまで私(むささび)はこの写真の存在すら知りませんでした。ある晴れた日に5人の男女がのんびりくつろいでおり、その背後でニューヨークの摩天楼とおぼしき建物群から煙が立ち上っている。言うまでもなく、写真が撮影されたのはいまから10年前の2001年9月11日、燃えているのはあの世界貿易センタービルですよね。Guardianによると、数ある9・11同時多発テロ関連の写真の中で最も「物議をかもした」(controversial)のがこの写真なのだそうです。

男女が談笑しているのはブルックリンにある公園で、写真を撮ったのはThomas Hoepkerというプロのカメラマン。Hoepkerは報道写真家集団、Magnum所属のカメラマンで、彼はこの写真をすぐには公開しませんでした。彼がこの写真を公表したのは事件後5年、2006年に9・11から5年目の記念出版写真集に収容したところ大変な話題になり、ネット上での議論の材料になってしまった。

撮影したHoepkerは何を感じていたのか?彼によると、テロ事件が起こったことを知ってカメラマンとして現場に駆け付けようとしていた途中でこの5人が「談笑」しているのに出くわして、咄嗟に撮影したものだったそうなのですが、写真をすぐに公開しなかった理由について

They didn’t seem to care and I did not publish the shot at the time, feeling it was ambiguous and confusing.
彼らは(背後のテロのことは)どうでもいいように見えた。写真を公開しなかったのは、いろいろに解釈できるし、訳の分からない写真だと思ったからだ。

と言っている。彼はこの場では3カットだけ撮ってテロ現場へ向かったのだそうです。

2006年に公開されたこの写真を見たニューヨークタイムズのFrank Richというコラムニストは、

The young people in Mr Hoepker's photo aren't necessarily callous. They're just American.
Hoepkerの写真に写っているこの若い人たちが格別に鈍感というわけではない。彼らはアメリカ的であるに過ぎないということだ。

として、このテロ事件からもアメリカは何も学ばず、国としての変革や改革を怠ってきた(America's failure to learn any deep lessons from that tragic day, to change or reform as a nation)と苦々しげに書いている。要するにニューヨークがテロ攻撃されたというのに呑気に日向ぼっこなどしやがって・・・というわけです。

Frank Richの若者批判が掲載されると、David Plotzというネット・ジャーナリストが次のように反論した。

Those New Yorkers weren’t relaxing! They have looked away from the towers for a moment not because they’re bored with 9/11, but because they’re citizens participating in the most important act in a democracy — civic debate.
写真のニューヨーカーたちはのんびりくつろいでいたのではない。一瞬、貿易センターから眼をそらしているけれど、それは彼らがテロ事件に退屈したからではない。彼らは民主主義社会における市民として最も大切なことをやっていたのだ。すなわち市民同士の議論という行動だ。

さらに、Frank Richの記事がニューヨークタイムズに掲載されると、この写真の右端に写っている人物(と称する人)から反論が寄せられた。その人によると、彼も彼のガールフレンド(右から二人目)も、テロ事件のことを聞いて貿易センタービルが見えるこの場所へ来たもので、実はショックで呆然としていた(in a profound state of shock and disbelief)のだそうです。他の3人は右端の人とは無関係なのですが、やはり同じ様な気持ちでこの場所へ来た人たちだったというわけです。

Had Hoepker walked fifty feet over to introduce himself he would have discovered a bunch of New Yorkers in the middle of an animated discussion about what had just happened. He instead chose to publish the photograph that allowed him to draw the conclusions he wished to draw, conclusions that also led Frank Rich to write.
Hoepkerが我々に自己紹介するためにわずか15メートルだけ歩いてきていたら、ここに写っているニューヨーカーたちが、(対岸で)起こったばかりのことについて熱心に話し合っていることが分かったはずなのだ。彼はそれをすることなくこの写真を公開することで、自分勝手な結論を導き出し、それがFrank Richの記事に繋がったのだ。

この人によると、この写真はHoepkerが自分たちの了解もなしに撮影したもので、自分たちの心理状態を確かめもせずにあたかも被写体の人物たちが鈍感な人たちであるかのような印象を与えてしまったことで怒っていたわけです。

そして・・・9・11から10年後、GuardianのJonathan Jones記者は、9・11テロは夢でうなされるほどのショックであったことは記憶しているけれど、Hoepkerのこの写真をいま見ながら思うのは「記憶というものは急速に薄れていくものなのだ」(memories fade fast)ということだそうです。そして当時は首相であったトニー・ブレアは昨年発売された回想録の中で

It is amazing how quickly shock is absorbed and the natural rhythm of the human spirit reasserts itself … We remember, but not as we felt at that moment.
ショックというものが如何に急速に吸収されて、人間精神の自然なリズムが如何に急速に回復されるものかは驚くほどである。我々は9・11を憶えてはいるが、その記憶はあの瞬間に感じたものとは違う。

と言っています。

▼確かに写真撮影にあたって被写体の人々の了解を得なかったというのはまずいと思うのですが、6年後にこの写真を初めて見たネット・ジャーナリストのDavid Plotzは、なぜこの人たちがのんびり日向ぼっこをしているのではないと分かったのでしょうか?

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2)日本に新首相:Here we go again...

9月3日付のThe Economistの社説が日本の首相交代について書いているのですが、その見出しは

A new prime minister for Japan:Here we go again

です。「日本に新首相:また始まった」というわけで、Here we go againはよく出てくる表現ですが、ほとんどお笑いというニュアンスであります。イントロの文章は

What ails the political system is greater than one man, but Yoshihiko Noda can make a start
この(日本の)政治システムの病根はひとりの男でどうなるものではない。が、野田佳彦はその治療を始めることだけはできるだろう。

となっています。can make a startは、「難しいことだけど、とにかくやってみたら?」というニュアンスで、いまいち熱気が感じられない表現ですね。should/must make a startだと「やらねばならぬ、アンタっきゃいないんだ、野田さん」と悲壮感たっぷりになるし、has made a startだと「さあ野田さんが始めましたよ、皆さん!」というので期待感がにじむ。

菅さんと違って野田さんは「なだめ役」(conciliator)であり、民主党内にも野党にもさしたる期待がない。それが彼の最大の強みであり財産(asset)であるかもしれないというわけですね。The Economistによると、自民党の一党支配を崩壊させたのは良かったけれど「未熟なくせに、国を運営していくのに必要な官僚と戦争をしてしまった」( a callow party declared war on the very bureaucrats needed to keep any country running)のが失敗だったのだから、野田さんは官僚たちと仲良く(make peace)しなければならないと言っています。


He must encourage them to help come up with sound ideas, while also not undermining the implementation of policies they do not like.
野田首相は官僚を激励することで健全なるアイデアをもたらすように仕向ける一方で、官僚たちが嫌うかもしれない政策の実施をためらうことがあってもいけない。

そもそも日本がこれまでやってこれているのは政治家のお陰では全くない(no thanks to its politicians)のだそうです。それは日本人が平和主義者で我慢強いからであるが、The Economistによると日本人の政治的無関心やシニシズム、消費税値上げのような難しいことを先送りするような態度はは不健全だと言っている。

If Mr Noda fails to move the political system forward, then he should not hand over to the next grey man, but seek a political realignment and throw the matter back to voters in a general election.
もし野田氏が政治システムを前進させることができなかった場合でも、次なる灰色の男にバトンタッチをすることはするべきでない。そのときは政界の再編を求めて選挙で国民に任せるべきだ。

というのがThe Economistの社説の締めくくりです。

▼野田政権がどのくらい続くのか、The Economistではオンラインによるクイズで読者からの予想を受け付けています。いわく「日本の新首相は、前任の5首相よりも長くもつでしょうか?」(Will Japan's new prime minister stay in office longer than either of his five predecessors?)。

▼The Economistによると、菅さんはdivisive, indecisiveだったとのことです。divisiveは分裂を誘いがち、indecisiveは優柔不断ということですね。国を分裂させるような首相は困るし、優柔不断なリーダーも良くないということですよね。菅さん個人がどのような人柄であったのか、私に知る由もないけれど、言葉尻だけとらえると、The Economistの菅評は矛盾していませんか?普通、indecisiveな人(どっちつかずで日和見主義)は分裂は避けたがると思うのであります、私は。サッチャーさんはdecisiveでdivisiveだったし、ジョン・メージャーという首相はindivisive(むささびの造語で「分裂嫌い」という意味)でindecisiveだった(とメディアに言われている)。

▼The Economistによると、菅さんは官僚を敵に回したのが間違いだったのだから、野田さんは彼らとmake peaceで行かなければダメだと言う、その一方で官僚が好まない政策の実施を遠慮してはならないと言っている。これも矛盾していません?日本のメディアの政治評論のコピーを読んでいるような気がします。菅さんでは民主党がまとまらない=菅さんではダメ。菅さんでは官僚がついて行かない=菅さんではダメ。自分たちが選んだリーダーの下でまとまろうとしない民主党の方が間違っており、首相の言うことをきかない官僚は官僚であることをやめるべきだ(とむささびは思うわけです)とは言わない。


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3)住宅不足がますます深刻に

英国住宅連盟(National Housing Federation :NHF)の報告書によると、昨年(2010年)一年間の英国内の新築住宅の数は10万5000戸となっているのですが、この数字についてThe Spectatorという雑誌は1920年代以後で最低であり、英国における住宅不足は危機的な状況になりつつあると言っています。

英国では住宅に対する需要が供給を上回るという状態が慢性的に続いているのですが、このままでいくと、持ち家率は最高時(2001年)の72.5%からサッチャー政権時代の1980年代半ばの数字(約63%)にまで落ち込むのではないかと言われている。

あの頃のサッチャー政権の最大の売りものが持ち家制度の充実にあったことは良く知られています。それまでの英国では、住宅と言えば公営住宅を借りるというのが普通であったわけですが、サッチャーさんが宣言したのは「より多くの人々が住宅を持てるようにする」(more and more people to own property)ことだった。

ただこの政策をどんどん推進していくと住宅価格が上がって「庶民の手には届かない」(beyond the means of ordinary people)ものになることは明らかだったし、現にそのようになった。でも家を持っている人にとってはウハウハものだった。自分の財産価値が増えるようなものなのですからね。そしてNHFの最近の報告では、向こう5年間における住宅価格の値上がり率は21%になるとされている。価格でいうと、現在の平均価格21万4000ポンド(2780万円)が26万ポンド(3380万円)になるということです。

連立政権としても黙って見ているだけではなくて、今年度で15万戸の「入手が容易な住宅」(affordable homes)を建てることをターゲットにしていろいろやっている。たとえば宅地開発に関する規制緩和、規制の権限を中央政府から地方自治体や地元コミュニティへ移譲することなどもある。さらにaffordable homesの建設を行う地方自治体に対して奨励金を交付することにしており、そのために今年度は2億5000万ポンド(約325億円)の予算まで用意しているのですが、15万戸というターゲット達成は難しいかもしれないと言われています。

ただ金融機関の調査によると、住宅ローンの平均支払い額が昨年は年収の48%であったのが、今年は28%にまで下がっているという数字もあり、以前に比べればマイホーム族(懐かしい言葉ですね!)になることが容易になっているとも言える。しかしGrant Shapps住宅担当大臣は「深刻なのは初めて住宅を購入する人々にとって購入できる住宅そのものがないことだ」として「長期的な解決策としては、より多くの住宅を建てることしかない」(the only long term solution is to build more homes)と言っています。

ではなぜ新しい住宅が増えないのか?宅地開発業界によると「家を建てても売れないのではないか」という心配がある。なぜ売れないのかというと、買う側の経済状況が厳しいからです。BBCによるとイングランドにおける新築住宅の平均価格は約20万ポンド(約2600万円)。ローンを組もうとすると家の価格の20~25%の頭金が必要になるから、20万ポンドの家を買うには4万ポンド(520万円)の頭金が必要になる。これを払えるような人がいない(のではないかと業界は考える)。だから家が供給不足になるという悪循環が続いている。

住宅が増えないもう一つの理由として、既存の住宅所有者がそれを好まないということがある、とThe Prospectという雑誌に掲載されたエッセイが伝えています。ベビーブーマーと呼ばれる45~65才の世代がこれを拒んでいるというのです。言うまでもなく住宅がたくさん建てられると自分の住宅の価格がさがってしまい、自分たちの老後の生活にも影響してくると考えているからです。そして選挙における投票率からすると、この年代の人たちが最も熱心に投票所へ向かうのだそうであります。お陰でこの人たちの子供たちの世代である20~30代の人たちが家を持てなくなっているということです。

▼この記事の上に載せている写真は、ロンドンから電車で約40分、Readingという町で売りに出されている住宅です。寝室4つでお値段は30万ポンド(約4000万円)となっています。


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4)植民地が宗主国を救う?

9月10日付のThe Economistに「新興国企業と英国:新しい特別な関係」(Emerging-market firms and Britain:The new special relationship)という見出しの記事が出ています。書き出しは次のようになっています。

Around four centuries ago, British capital started flowing into India, creating the East India Company, and laying the foundations of the empire. Now capital is flowing in the other direction.
いまから約400年前、英国は東インド会社を設立、これを通じて英国資本がインドへ流れ込み大英帝国の基礎を築いた。いま資本は反対方向に流れている。


つまり最近ではインドの企業が英国へ進出して活動しており、おかげで英国が助かっているというわけです。例えばTataグループは鉄鋼から化学・通信・紅茶販売にいたるまで幅広く手掛ける複合企業ですが、英国に進出して10年、Tetleyという紅茶メーカーに始まってCorus(鉄鋼メーカー)、Jaguar Land Rover (車)、Brunner Mond(ケミカル)などの名門企業を次々に買収、従業員がついに4万人を上回る英国最大の雇用主となっている。

The Economistの記事は「世界的に経済状況が思わしくない中で英国は、ある世界的な傾向の先端を行っている」(Amid the economic gloom, Britain is at the leading edge of an important global trend)ということがメッセージとなっています。その「世界的な傾向」とはインド、ブラジル、中国のようないわゆる新興国の企業が先進国に進出して企業買収によって利益を上げているという傾向のことであり、インドのTataグループなどはその典型であるというわけです。

例えばメキシコのセメント会社、Cemexは2004年に英国企業を買収してCemex UKを設立しているし、タイの鉄鋼会社、Sahaviriya Steel Industriesは北東イングランドの鉄鋼会社の工場を再開させている。スコットランドにあるDana Petroleumという石油会社は韓国のSouth Korean National Oil Companyが買収に成功しています。世界銀行の調査では、2000年から2010年の10年間で、新興国企業による買収対象として英国は1290億ドルで、アメリカの1930億ドルに次ぐ第2位となっているのですが、国の経済規模に占める割合からすると、新興国企業から英国へ流れ込むお金は対米の4倍にもなるものとされています。

なぜそうなるのかというと、ひとつには英国の経済が外に向かって開かれており、外国企業による買収にはそれほどの障害がないということがある。アメリカ企業よりも英国企業の買収の方が障害が少ないのだそうです。またアメリカの飲料メーカーがフランスのヨーグルト・メーカーを買収しようとしたら「ヨーグルトは国策産業だ」(yogurt will be declared a strategic industry)とされてぽしゃってしまったという例もある。英国にはそれがないとうわけです。

もちろん英国人にも自国産業への愛着がないわけではないことは、昨年、お菓子のキャドバリーがアメリカ企業に買収された際に見せた拒否反応でも明らかなのですが、「英国人はおおむね新参者には気持ちが広い」(By and large, Britons seem to welcome the newcomers)ということが言えるのだそうで、かつては外国企業による買収には否定的だった労働組合も最近ではフレンドリーな態度をとるようになっている、とThe Economistは言っています。

As Britain’s former colonial subjects come back as masters, there is barely a whiff of post-imperial regret.
英国にとっては、昔は植民地人であった人々がいまや主人として英国に帰ってきたようなものであるが、大英帝国なきあとのしこりのようなものはほとんど感じられない。

とのことであります。

▼昔から英国という国は外国企業による買収や英国企業の競争相手になるような外国メーカーの工場進出などについては開放的だったですよね。日本企業についても同じで、英国に最初に工場を作った日本企業はYKKファスナーの吉田工業で、工場進出したのは1969年。半世紀も前のことです。1970年代にソニー、日立、東芝、松下電器のような家電メーカー、80年代には富士通、NECが半導体工場をつくり、次いでホンダ、日産、トヨタの自動車メーカーが進出した。

▼門外漢でよく分からないのですが、日本は外国企業による買収とか投資についてどのような態度で臨んでいるのでしょうか?英国について特筆ものだと思うのは、外国企業による英国への投資を奨励するために貿易産業省の中に対英投資局(Invest in Britain Bureau:IBB)が設けられたのが1970年代の前半、労働党政権の時代であったということです。労働党の支持基盤である組合はどちらかというと外国企業の進出については乗り気でなかったはずです。

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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら

bridge-and-tunnel people:(ニューヨーク)郊外の住人

私、ニューヨークという町については何も知りません。半世紀ほど前にたった一回行って2泊したことがあるだけなのですから。bridge-and-tunnel peopleはニューヨーク英語なんだそうですね。Financial Times(FT)のサイトによると

the folks who come to Manhattan to work or play from places just across the water -- notably, the “outer boroughs” of Brooklyn, Queens, Staten Island and the Bronx, or the Long Island and New Jersey suburbs.
ブルックリン、クイーンズ、ステイトンアイランド、ブロンクス、ロングアイランドおよびニュージャージー郊外から川を渡ってマンハッタンまで通勤したり、遊びに来たりする人たち

のことなのだそうです。川を渡るために橋を通ることもあるし、トンネルを通る地下鉄を利用することもある。ニューヨークの地理が分からないから、ピンとこないけれど、東京で言うと隅田川を挟んで対岸に住んでいて勤務先は都内とかいう感じなのでしょうか。ニューヨークのbridge-and-tunnel peopleの場合、地理的に郊外住民というだけではなく、どちらかというとダサイ人種(unfashionable people)というニュアンスで使われる。これも東京の例でいうと自宅は埼玉、勤務先は丸の内という感じですね。


loach:どじょう

野田さんが「どじょうが金魚のまねをしても仕方ない」と発言した部分について、BBCのサイトは"I look like a loach. I can’t pretend I’m a goldfish"という英語で伝えていました。金魚がgoldfishなのは知っているけれど「どじょう」がloachとは知らなかったと思って、手持ちの英和辞書を見たら確かにそのようになっている。ただ何故かOxfordやCambridgeの辞書(英英)にはloachという言葉そのものが掲載されていない。ウィキペディアによると、どじょうは「日本全国の平野部の水田や湿地などに生息。中国、台湾、朝鮮半島にも分布」しているのだとか。つまり英国にはいない?

道理でBBCのサイトでは、loachについてbrown, mud-dwelling freshwater fish(泥に棲む茶色の淡水魚)と説明されていました。日本人なら「どじょう(どぜう)」ですぐに分かるのですが、英国人には分からないもんね。私は「どぜう」料理が大好きなのでありますが、英国の方々にしてみればmud-dwellingの魚なんて食えたもんじゃないかもね。


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6)むささびの鳴き声
▼本日(9月11日)付の朝日新聞の社説が震災復興について語っているのですが、その中で大震災のせいで遅れていた東北地方の選挙について触れた個所があり

「被災者はそれどころじゃないんだ。連呼はやめろ」と言われたある市議は、「議員に何ができるのか」と自問する。頼みの地縁人脈は断ち切られ、後援会もばらばらになった。

と書いてある。

▼「被災者はそれどころじゃないんだ」というのはどういう意味なのですかね。選挙どころじゃないということ?でも選挙は候補者の道楽でやるものではない。でもそのように思われている。その理由の一つが「連呼」にあることは間違いない。「若さと情熱の春海です!」というあれ。ちょっと可笑しいのは、この文章を読むと「連呼はやめろ」と言われた候補者が、連呼の代わりに「議員に何ができるのか」を自問しているという風にもとれてしまうことです。そんなこと大震災があってもなくても守ってくれなければ困るのに。

▼社説は、これまでのような「地縁人脈は断ち切られ、後援会もばらばら」というわけで、従来の選挙はできないかもしれないけれど、「人々は対立し、激論し、相談をしている」ということで、本来そうあるべきだった「自治の営み」が始まっている、とも書いています。大震災の結果として悪しき習慣でしかなかった地縁人脈もスピーカーを使った雑音的連呼も意味がなくなってしまったのですよね。そのこと自体は「進歩」ですよね。

▼「だから大震災も悪いことだけではない」などと言うと、被災地の人々の気持ちを踏みにじる無神経発言ということになるのでしょうか?福島原発の周辺自治体を「死のまち」と表現し、自分を囲む記者団に「放射能をつけちゃうぞ」などと語った(とされる)大臣が「福島県民の心を傷つけた」という理由で辞任してしまいました。

▼政治家や有名人の失言のことを英語でgaffeと言いますよね。前の英国首相、ゴードン・ブラウンの失言は大騒ぎになったし、エリザベス女王のダンナ様であるエディンバラ公もgaffeの名人で、女王とともにケニアを訪問した際に、ある女性から記念の人形を貰ったときに口にした"You are a woman aren't you?"(アナタ、女ですよね)というのは語り草になっている。エディンバラ公の失言トップ10(Duke of Edinburgh's top ten gaffes)なんてのが新聞記事になったりしています。

▼で、今回の日本の「放射能をつけちゃうぞ」辞任ですが、福島の人たちの心が傷ついたのは事実かもしれないけれど、もう一つ事実ではないかと(私が)思っているのは、gaffeを題材にして袋叩きにして大臣をクビにするという習慣にも被災地がウンザリしているのではないかということです。原発周辺を「死のまち」と呼ぼうが、「放射能をつけちゃうぞ」と言おうが、そんなことどうでもいい。それより、辞めさせられた大臣は原発事故や福島県の復興については何を考えていたのでしょうか?

▼最後に和歌山県の大雨被害に関連して、恥ずかしながら初めて知ったのですが、「避難勧告」と「避難指示」では後者の方が強いのですね。ある自治体のホームページによると

避難勧告: 批難を勧め促すもので、強制するものではない。
避難指示: 被害の危険が差し迫ったときに出されるもので、「勧告」より強制力が強い。
となっている。

▼そのホームページでは市長からの言葉として「避難勧告」と「避難指示」の違いをあらかじめ理解しておくことが「自らの身を守る」ことにつながる、と市民に呼び掛けています。でも災害関連の呼びかけや警報のようなものは、極力分かり易くすることが肝心だと思いませんか?この二つの「避難」の定義なんて、アナタは知っていましたか?いっそのこと「避難命令」とやればいいではないかと私などは考えるのですが、その市長さんによると

よく「避難命令」という言葉が用いられますが、法律的には「避難のための立ち退きの勧告」(避難勧告)と「避難のための立ち退きの指示」(避難指示)という規定しかありません。よって、当市において「避難命令」と言う言葉を用いることはありません。

とのことであります。分かります?

▼というわけで、本日の埼玉県はかなりの暑さです。長々とお付き合いを頂き感謝いたします。
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