musasabi journal

225号 2011/10/9
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美耶子の言い分 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
あまりにもいろいろあった2011年もついに最後の4分の1になってしまいましたね。我が家の庭に柿の木があるのですが、ことしは信じられないような豊作で、どの枝も柿の重みでお辞儀をしています。ことしは何とか干し柿作りに挑戦したいと思っているのですが・・・。

目次

1)高速道路の制限速度が速くなる
2)議員の数を減らそう
3)英国外務省の復権?
4)面白かった、小沢さんの記者会見
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)高速道路の制限速度が速くなる

英国における高速道路(motorway)の制限時速は70マイル(約112キロ)ですが、まもなくこれを80マイル(128キロ)にしようという話が進んでいます。「まもなく」と言っても2年後の2013年のことなのですが、今年中には検討を開始するということがPhilip Hammond運輸大臣(Transport Secretary)によって発表されています。この前に速度を変えたのは1965年のことだから、ほぼ半世紀ぶりの変更ということになります。

変更の理由としてHammond大臣は「道路は健全な経済にとって動脈の役割を果たすべき」(Britain’s roads should be the arteries of a healthy economy)であるとして、これまでの労働党政権による対クルマ戦争によってドライバーが不当に扱われてきた」と言っています。つまり現在でも制限時速をオーバーするドライバーが49%もいるということは、その規制そのものが時代に合わなくなっていると言っているわけです。

1965年当時に比べると交通事故による死者の数は75%も減っており、道路事情も含めたクルマの安全性は大幅に向上しているのだから、いつまでも半世紀前の規制にしがみついているのはおかしいというのが政府の言い分です。これに対してStephen Glaisterという専門家(王立自動車クラブ財団理事)などは安全性の面では大いに向上しているかもしれないけれど、高速化が進むと燃料の使用量と二酸化炭素の排出量がそれぞれ20%アップすることになるとしており、1000マイル走るとガソリン代が33ポンド余計になるとも言っております。

現在でもほぼ半数のドライバーが制限時速をオーバーしているのですが、警察としては86マイル(約138キロ)までは大目に見ているのだそうです。これさえもオーバーした場合は「速度遵守コース」(speed awareness course)なるものに参加しなければならなくなるのだそうです。

▼ヨーロッパにおける自動車専用高速道路における制限時速はドイツが「制限なし」(推奨時速:130キロ)である以外は、フランス、イタリアが130キロ、次いでスペイン、スイス、オランダ、ポルトガルが120キロときて、英国の112キロはヨーロッパでは速い方ではないのですね。

▼日本の場合は、高速道路(東名、名神、関越、東北etc)は100キロ、一般有料道路(圏央道、東京湾アクアライン、箱根スカイラインなど)は80キロだから、ヨーロッパの人はさぞや遅く感じるでしょうね。それからTopSpeedというサイトによると、アメリカの高速道路(freeway)にはそれぞれの州の高速道路を都市部(Urban interstates)と郊外部(Rural interstates)の二つに分けており、都市部の制限時速は55マイルと65マイルの州が半々程度、郊外部は65~75マイルといったところのようです。尤もアメリカの場合、実際には10マイルほどオーバーして走っているのだそうです。

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2)議員の数を減らそう

いま英国下院(House of Commons)の選挙区のボーダー(境界線)を変更しして議員(Member of Parliament: MP)の数を減らそうという動きがあります。現在の連立政権によって提案されているもので、それが実現すると議員の数が650から600へと減ることになります。選挙区のボーダーの見直しは、保守党と自民党による連立政権樹立の際に「政治改革」の一環として実現に努力する旨が約束されており、自民党などは昨年の選挙の際のマニフェストにも加えられていた。

日本の衆議院は480議席、アメリカ下院は435議席、フランス国民議会は577議席・・・というわけで、英国下院の650という数そのものが他の国に比べるとかなり多い方です。が、議席数が減るというのは議員にとっては穏やかでないので、この案が実現するかどうかははっきりしないとThe Economistは伝えています。議会に提出されるのは再来年(2013年)のことだそうですが、これが成立すると次なる選挙(2015年)は新しいボーダーによる選挙区での争いということになります。

英国は完全小選挙区制だから、選挙区数=議席数です。地域別の選挙区数をおさらいしておくと、イングランドが533、スコットランド55、ウェールズが40で北アイルランドは18となっています。もちろん選挙区数の削減はどの地域にもあてはまるのですが、何と言ってもイングランドの議席数が533から502へと減少するのが目立ちます。

これまでの選挙区だと保守党がかなり損をしていると言われています。得票数の割には議席が多くないという意味です。例えば6年前(2005年)の選挙で労働党の得票率は35%で獲得議席数は355議席だった。なのに昨年(2010年)の選挙で保守党の得票率は36%であったにもかかわらず議席数は306にとどまった。獲得票数が議席数に反映されておらず、いわば無駄票が多かったということになる。そこで選挙区境界線委員会という独立機関としては選挙区ごとの有権者数をなるべく近いものにしようというわけで、すべての選挙区が最低72,810、最高80,473人の有権者を持つことにすることにしています。

この境界線の引き直しによって、これまでは楽勝だった選挙区が手ごわい相手候補のいる選挙区と合併することもあるし、中には自分の選挙区がなくなる議員も出てくる。幹部クラスの議員の場合は、別の選挙区が与えられるけれど、そうでもない議員は大変です。新しい境界線での選挙に生き残りが不可能と思った議員の中には2015年前に辞職するケースも出てくる。そうなると補欠選挙を行わねばならず党にとっては面倒なことになる。

境界線の変更でいちばん損をするのは自民党、次いで労働党、保守党といわれており、労働党のミリバンド党首などは、キャメロンが自党に有利なように選挙区を変えようとしていると非難しています。確かに現在の境界線だと保守党に不利ということはあるのですが、専門家の中には有権者の人口というよりも投票率の問題であるという人もいる。

保守党の安全区と労働党の安全区を比べるとなぜか保守党の安全区の方が投票率が高い。例えば2010年の選挙で、キャメロン首相の選挙区であるWitneyの投票率は73.3%(キャメロンの獲得票数33,973)、ミリバンド党首の選挙区であるDoncaster Northの投票率57.3%(ミリバンドの獲得票数19.637票)だった。つまりキャメロンの選挙区の方が投票意欲の高い有権者が多かったということですね。そうなると確かに境界線云々の問題ではないかもしれない。

政府の計算によると、境界線の見直しとそれに伴う議員数の減少によって節約できる金額は年間わずか1200万ポンドで、The Economistによると、現政権がこれを実施するとすれば国民向けのジェスチャーなのだそうであります。つまり赤字削減のために国民に対して耐乏生活を求めているのだから政治家もそれなりの犠牲を払う姿勢を示すことが必要だというわけです。

the government also needs something to show for all its promises to shake up politics. However twisted the path, a leaner Commons is probably on the way.
政治改革を約束した政府としては、それを守るために努力していることを見せる必要に迫られているところから、紆余曲折はあるにしても下院がスリム化の方向に向かっていることは間違いない。

とThe Economistは言っています。


▼本日(10月9日)のNHKの「日曜討論会」という番組でも衆議院の選挙制度と「一票の格差」問題が話題になっていました。正直言って私などにはよく分からない話題ですが、みんなの党の水野さんという人が「衆議院議員は大胆に減らして300人」と言っていました。英国では下院議員を600人にしようと言っている。日本は英国の人口の約2倍です。6000万の人々を幸せにするための政治家の数を600人にしようと言っている英国と、1億2000万人の政治のために300人あれば充分という日本、ずいぶん違うものですね。


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3)英国外務省の復権?

ちょっと古くなるけれど、9月7日付のDaily TelegraphのサイトにAfter years of shameful neglect, William Hague has restored the Foreign Office to its proper dignity(長年にわたる恥ずべき冷遇ののち、ウィリアム・ヘイグ外相が外務省に然るべき尊厳を回復した)という記事が出ていました。記事を書いたのはDaily Telegraphの政治担当のコメンテーター、Peter Oborne。私の和訳があまりにもひどすぎて何のことだか分らないと思います。数ある官庁の中でも英国の歴史の中では「最も偉大で大切に扱われてきた(the grandest and the most cherished)」外務省が労働党政権でさんざ無視され冷遇されるようになったのですが、保守党政権でウィリアム・ヘイグが外相になってから、まともに扱われ、かつての威光を取り戻しつつあるということです。

Peter Oborneは、ブレアやブラウンの労働党政権(特にブレア政権)が外務省を「冷遇」した(と彼が考える)例をいくつかあげています。

1997年にブレアの労働党政権が誕生すると、首相直属のアドバイザー(Special Advisers)による政策集団のようなものを作り、外交政策についてはもっぱらその集団の意見が取り入れられるようになった。このSpecial Advisersですが、むささびジャーナルでも一度触れたことがある首相直属のPolicy Unitと言われるセクションに属する外部の識者集団で、ブレアの前のメージャー首相の時代は8人だったのが、ブレア政権誕生時(1997年)には21人になり、1999年には25人にまで膨れ上がったのだそうです。

またOborneが名指しで批判しているのが、そのころ外務省事務次官だったSir Michael Jayという人で、当時の流行に乗ったような形でブレアと一緒になって、かつての外務省の価値観やエトスのようなものを攻撃する側に回り、外務省の職員に対してはいわゆる「外交」というよりも、内部のマネジメント能力を重視するような方法をとった。Jay事務次官が行った「改革」の一つの例として外交官が学ぶための外国語学校を廃止したことにある、とOborneは言っている。これは外交の相手側の国の文化や国民性を深く理解すること(a deep understanding of cultures and nationalities)の重要性を軽視することを意味していた。

さらに「最も野蛮かつ殆ど犯罪的な行為(in a barbaric and near-criminal act)」とOborneが非難するのはデイビッド・ミリバンドが外相であったころに外務省の図書館を閉鎖したことだった。この図書館には英国が外国と結んだ全ての条約のオリジナル版など、過去500年におよぶ外交文書が収められており、19世紀半ばから後半にかけて外務大臣を務めたLord Granvilleが「外務省マシーンの要」と呼んだくらい重要な施設だった。

it was a piquant symbol of New Labour’s neglect of the lessons of history, for which British soldiers have paid such a price in Afghanistan and Iraq.
それ(図書館の閉鎖)こそがブレアの労働党による歴史に学ぶことを怠ったことのはっきりしたシンボルでもある。そのために英国の兵士がアフガニスタンやイラクであれほど大きな犠牲を払うことになる。

Oborneによると、カブール(アフガニスタン)にある英国大使館には約300人のスタッフがいるけれど、2009年の時点で地元の言語であるDariを使える英国外交官はたったの二人だった。基本的に英語が通じない国に駐在する英国人職員の中で現地語が使えるのがたった二人ではお話にならないのですが、その二人もデスクワークに追われていて本来の外交官としての活動ができないでいる。そのような事情がわかっているせいか、昨年、在パキスタンの英国大使館(British High Commission)の副大使のポストが空いたのに応募者がいないという事態に陥ったのだそうです。

またイラク戦争を始める前、中東駐在の英国大使からの戦争懐疑論的アドバイスは完全に無視され、すべては首相官邸の手で進められて悲劇的な結果につながっている。彼らこそはアラブの専門家として中東諸国の文化を理解する存在であったはずなのですが、ブレアらによってArabistsとして見下された(とOborneは言っている)。またイラク戦争は違法行為だと主張した外務省の法律アドバイザーがブレアの政策に抗議して外務省を辞めてしまうということもあった。

政権が変わってウィリアム・ヘイグが外相に就任すると外務省にも変化の兆しが見え始めているのだそうです。Oborneによると、ヘイグは久しぶりに登場する、外交というものの重要性を分かっている外務大臣なのだそうで、これは小さな事柄にも表れている。例えば、外国の外務大臣が外務省を訪問するときは、必ずヘイグ大臣本人が外務省の玄関に迎えに出ることにしているし、それぞれの外相の個人的な好みをあらかじめ聞き出すこともやり始めている。トルコの外相は骨董品に凝っていると知って、自ら英国図書館に連れて行った。戦争の歴史に関心があるイスラエルの外相は内閣府のWar Roomsに案内され、ロシアの外相はウイスキーの試飲会に招待される等々。

ヘイグ外相はまた連立政府の他の省庁との交渉が上手で外務省の言い分をのませてしまう術に長けているのだそうです。ブラウン政権の外相であったデイビッド・ミリバンドは外務省に許された為替レートの変動に伴う影響から大使館を守るための予算付けを、財務省に脅かされてギブアップせざるを得ない状態に陥って予算が削減されたことがある。ヘイグが外相になって財務大臣と交渉してこれは元に戻った。

Oborneによると、ヘイグが外相としての初日にアフガニスタンについての外交政策路線を書いたものを持ってくるように官僚に頼んだところ内閣府からの指示待ちだと言われて呆れてしまい、これはただちに改められた。また対リビア政策がこれから成功するかどうかは予断を許さない情勢ですが、少なくとも2003年のイラク侵攻のときのような外務省の頭越しというようなことはないとのことです。

One of the characteristics of a Conservative government should always be that it respects institutions, and understands the need for them to be strong and independent.
保守党政府の特徴の一つとして考えられるべきなのは、これまでに受け継がれてきた慣習や組織というものを尊重し、それらが力を持つ同時に独立したものである必要があることを理解するということであろう。

Peter Oborneは主張しています。

▼首相直属のSpecial Advisersの数がブレアが首相になってから急に増えたことは上にも述べたとおりですが、1999年のSpecial Advisersの数は首相官邸付きだけで25人、そのために費やした費用は年間187万2800ポンド(約2億4000万円)だった。

▼Peter Oborneが批判している労働党政府による外務省の軽視というのは、日本でいう「政治主導の外交」と同じことですね。実はブレアよりもほぼ20年前に首相になったサッチャーさんも外務省嫌いであると言われていましたよね。ただサッチャーさんの方が(少なくとも傍目には)日和見的でなかったということは言えるかもしれない。フォークランド戦争なんて、外務省からすれば「なんで!?」というような冒険だったのにやってしまった。あのときブレアが首相だったらフォークランドくんだりまで軍艦を派遣したりはしなかったのではないかと(私は)思うわけです。

▼大英帝国がまだ光を放っていた時代成長したサッチャーにとってアルゼンチンの「暴挙」はとても許せないものであったけれど、ブレアなら「それをやって英国にとって何の得があるのか?」と疑ったのではないかと思うわけです。この場合の「英国の得」とういのは「国際社会における英国の指導的な立場を強くする」ということです。フォークランド戦争にそんなものありっこない。アメリカが絡んでいない戦争なんて・・・というわけです。

▼でもアフガニスタン、イラクは違う。民主主義の旗手、正義の味方としての英国、アメリカ最大の同盟国としての英国にとって絶好の出番であると言えたわけです。特に後者は重要だ、とブレアのSpecial Advisersは考えた。アメリカと近いことによってヨーロッパにおける英国の地位が高まり、ヨーロッパにおける地位が高まれば、アメリカに対しても「大切な友人」という立場を堅持できる。

▼私がまだ東京の英国大使館で仕事をしていたときブレアさんが首相として初めて日本に来たことがあります。1998年だから、ずいぶん昔のことですね。そのときに奇妙に思ったのは彼が大使の公邸に宿泊せずホテル・ニューオータニに泊まったことです。私の記憶では国賓として訪日したエリザベス女王が四谷の迎賓館に泊まったことはあるけれど、王室や政府首脳はすべて大使館の敷地内にある大使の公邸に泊まったものです。「大使(外務省)の世話にはなりたくない。オレはもっと偉いのだ」ということを見せつけたかったのでは?というのが、ブレア嫌いの私の知り合い(元外交官)の解説でした。

▼英国大使館が使う封筒の表側にはOn Her Britannic Majesty's Serviceという文字が印刷されています。「女王陛下にお仕えする」という意味ですね。それから大使という肩書きをHM Ambassadorとする人もいます。HMはHer Majesty's(女王陛下の)という意味です。そのあたりが「古さ」を嫌うブレアさんらには面白くなかったのかもしれない。彼自身は首相ではなく大統領でありたかったとされている。


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4)面白かった、小沢さんの記者会見

民主党の小沢さんが、資金管理団体・陸山会の土地取引を巡る事件で政治資金規正法違反に問われた裁判が10月6日にあって、同じ日の夕方小沢さんの記者会見があり、テレビで中継されましたね。見ました?私は見ました。

さしたる期待感もなく見たのですが、結果としてはとても面白い会見でありました。岩上安身オフィシャルサイトというサイトを開けるとこの記者会見をノーカットで、しかも発言内容が文字のかたちでも見ることができるのですから、インターネットというのはありがたいものでありますね。

で、記者会見ですが、まず小沢さんが裁判で行った意見の陳述をもう一度この場所で読みあげることから始まりました。これが良かった。なぜかというと、裁判の報道の場合、裁判所で行われた発言の類がそのまま中継で流されるということはないですよね。それがこのようにして、小沢さんの言い分がそっくりそのまま聞けたのだから、事実上裁判の生中継を見たのと同じということになる。そのような機会を与えてくれた小沢さんには感謝の拍手を贈りたい気分だった。

小沢さんの「朗読」が終わると記者との一問一答に入りました。詳しくは岩上安身さんのサイトを見てください。私はいくつかの質問から一つだけピックアップして小沢さんの答えと一緒に紹介します。ちょっと長いけれどお許しを。

質問:今回の裁判におきましては、小沢さんへの支持、不支持という事を超えまして、これはもうこれまでと大きく違いまして、司法の在り方そのものに、やはり疑問視する声が非常に多い状況となっております。こうしたこの現実の国民や識者の声がある一方で、ちょっと重なりますが、マスメディアの言う世論というものがあります。これは昔からこうした声というのは正反対の意見が多いわけですが、この点についてもう少しお考えをお聞かせ頂けますでしょうか?あと、今後の対応です。要するに国民と称して、二つの大きい正反対の意見があるということです。

文字にすると、何を言っているのかよく分からないかもしれないけれど、要するに、メディアの世論調査で示される数字を見ると、誰も彼もが小沢さんに批判的であるかのような印象を受けるけれど、実際にはこの裁判そのものに対する批判意見もある。小沢さんはメディアのいわゆる「世論」についてどのように考えるのかという質問です。それに対する小沢さんの答えは次のとおりです。

小沢私はテレビ・新聞のやっている世論調査、国民の声というものが全くデタラメだとは申し上げませんけれども、しかし必ずしも全国民の、まんべんなく全国民を代表しているというふうにも思えません。ですからもし、その通りであるならば、私自身が選挙に受かることもなかったでしょうし、こうして政治家として活動が許されることもなかったと思います。ですから、賛否両論、色々私に対してはあると思います。それは当然です。しかし、それが一方的なものであるとは私は思ってませんので、頑張ってくれという大勢の方もありますし、私自身、なんら1点もやましいことありませんので、今後も頑張っていきたいと思っております。

小沢さんはメディアの世論調査が「まんべんなく全国民を代表しているというふうにも思えません」と言っており、その理由として、もしメディアの世論調査の結果が本当に国民の声を反映しているのなら「私自身が選挙に受かることもなかったでしょう」と言っている。実に尤もだと思いませんか?

▼前回のむささびジャーナルで「世論調査報道の日英比較」という文章を載せました。日本で新聞や放送局が世論調査をやって「小沢さんは説明責任を果たしていると思うか?」と質問すると、9割近い人が「果たしていない」と答える。するとメディアは「それみたことか」と言わんばかりにあたかも日本人の9割が小沢さんに批判的であるかように伝える。でも英国のYouGovのように、質問に答えた人々の年齢・性別・支持政党・社会階層・居住地域のような詳細は何も伝えない。

▼この会見の翌日(10月7日)の読売新聞の社説を読んでみたら、小沢さんの「一方的な検察批判には、首をかしげざるを得ない」と書いてありました。小沢さんが意見陳述の中で「国民の負託を受けていない検察が、権力を乱用し、議会制民主主義を踏みにじった」と言ったことについて「選挙で選ばれた政治家に、検察は手を出すべきでない、という傲慢な主張ではないか」とのことであります。

▼世論調査のことにも関係するけれど、読売新聞は、政治家が「選挙で選ばれた」という事実をどのように評価しているのだろうか。読売のやる「世論調査」では悪者扱いの小沢さんなのに選挙では勝ってしまう。なぜそういうことになる、と読売新聞は考えているのか?小沢さんのような政治家に投票する岩手の人たちがアホもしくはカネで買収された情けない人々だってこと?「選挙で選ばれた政治家に、検察は手を出すべきでない」という主張は傲慢でも何でもない。当たり前のことだと私などは思いますが。

▼上には紹介しなかったけれど、記者会見では「フリー」の記者から「小沢さんがこうまで検察とマスコミに狙われるのは、検事総長をはじめとする検察の人事、それから記者会見のオープン化、それから新聞社がテレビ局を持つというクロスオーナーシップなどに踏み込むからじゃないかとみる向きもあります。小沢さん自身はこれをどう考えておりますでしょうか?」という質問がありました。ひょっとすると読売新聞は「クロスオーナーシップ」の関係で小沢さんを抹殺したくて仕方ないってこと?!

▼いずれにしても小沢さんの会見が面白かったのは、最初の「朗読」もさることながら、記者からの質問の中に面白いものがあったということでもあります。「菅おろし」については、小沢さんは全く間違っていたと思うけれど、この裁判については「小沢さん、がんばれ!」と言っておきたい。

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5)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら

doorstep:ぶらさがり

doorstepは文字通りでいうと、もちろんドア付近のスペースのことですよね。マスコミ用語として使われた場合は、記者たちが取材を受ける人を囲んで立ち話風にインタビューすることを言います。日本語ではこれを「ぶらさがり」というのだそうです。記者会見をセットするような時間がないような場合に、その場で立ち止まって話をするのが普通だから、取材を受ける側もそれほどの準備はしていないので、ひょっとすると面白いコメントがとれるかも・・・というのがメディア側の狙いなのだから、取材対象としてはあまりうれしくない状態です。

Mr Blair complained about being doorstepped by the press.
ブレア氏が報道陣に突撃取材を受けたことで文句を言っていた。

日本では小泉さんのdoorstepが毎晩のように放映されていましたよね。「総理の靖国参拝には中国が抗議していますが・・・」「いろいろあっていいんじゃありませんか?」「韓国でもデモがあるようです」「まあ、いろいろあっていいんじゃありませんか?」「与党の中でも反対意見があるようですが・・・」「それは・・・いろいろあっていいんじゃありませんか?」という感じで約30~40秒、毎晩、毎晩でしたね。なんのことはない、小泉さんのCMを見せられているような気分でありました。

確か安倍・福田・麻生・鳩山首相もやってましたよね。菅さんはやらなかった。それだけでも偉い!で、野田さんはこれをやらずに定例の会見をやるつもりなのだそうですね。この件についてTBSのラジオを聴いていたら政治記者とおぼしき人が「できれば一日に2回やってほしい」と言っておりました。この人、どうかしているのでは?首相の仕事はメディアに会うことではない。

secretary:秘書

知らなかったのですが、最近では「秘書」という意味でのsecretaryは死語になっているんだそうですね。The Ecocnomistのブログに出ていました。最近では"administrative assistant"というらしい。仕事をこなしていくうえでの管理上の手助けとなる人、アシスタントです。secretaryは政府の大臣という意味で使われることもありますよね。アメリカの国務長官(外務大臣にあたる)の肩書きはSecretary of Stateと呼ばれるし、英国外相もForeign Secretary(正式にはSecretary of State for Foreign and Commonwealth Affairs)と呼ばれます。

Oxford English Dictionary (OED)という辞書によると、secretaryの語源はsecret(秘密)にあり、secretaryは「私事についても任される人(someone entrusted with private things)」のことを言うのだそうです。つまりsecretaryはボスや政府のことなら何でも熟知している存在というわけですね。

ではsecretaryという英語にはいつ頃、誰が「秘書」という言葉をあてるようになったのだろうと思って講談社の語源辞典を調べてみたら「秘書」は、中国語としては「宮中の蔵書」を意味するものとして『漢書』(西暦82年ごろ成立)に出ており、日本語としては平安後期の書物に出てくるのだそうですが、意味としては「秘して他人には見せない書物」だったのだとか。つまり日本でも中国でも秘書とは書物のことであったわけですね。日本で人間としての「秘書」という言葉が使われるようになったのは明治中期あたりからだそうです。

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6)むささびの鳴き声
▼いつもNHKに対する不満を言いたててばかりでNHKの人には申し訳ないのですが、これもNHKを見ている証拠と思って我慢してもらいましょう。自宅の食堂でパソコンをやりながら背後の居間にあるテレビの音を聴いていたら、「いまや日本のラーメンが世界的にバカ受け」という内容のレポートをやっていました。ニュアンスとしては、「日本の文化がこれだけ愛されているのです。皆さん、日本に自信をもちましょう!」というものだった。見ました?

▼「ラーメン番組」が終わると9時のニュース。今度はイチローが話題。年間200本安打の記録がついに今年は達成できなかったというわけで、「イチローがアメリカ野球を変えた」というロバート・ホワイティングのコメントやアメリカの子どもたちがイチローのバッティングフォームをマネしているところを紹介したりして「日本人に自信を与えてくれた、イチロー、ありがとう!」というメッセージのレポートでありました。

▼私、ラーメンはメチャクチャに好きだし、イチローを見るためにシアトルのSafeco Fieldまで行ったほどであります。であるからして、そのイチローがアメリカ人に感銘を与え、パリの人たちが喜んでラーメンを食するということを知って悪い気はしない。が、頼むから「ほら、あんたも日本人でしょ、自信持とうよ、な、な、な!?」という雰囲気の報道だけは止めてほしい。ラーメンやイチローをそのように使って欲しくないわけさ。ラーメンが美味しいのは日本食だからではないし、イチローがすごいのは彼が日本人だからではない。

▼自分たちの文化が世界的に素晴らしいものであるということを強調する番組はどこの国のテレビにもあります。英国にもわんさとある。日本のテレビ局にだけ「止めろ」というのはアンフェアだから、一切止めろとは言いません。でも一晩で同じニュアンスの報道を二つもやるのだけはカンベンして欲しい。私は日本人であることに自信を失ったことなどないから、「自信持とうよ、な?そうだろ?だろ?」とか言われると、たちの悪い酔っ払いに絡まれているようで気持ち悪いことおびただしい。せっかくのネギ味噌ラーメンがまずくなる。

▼というようなことを考えていたら、TBSのラジオが日本で暮らすミャンマー人との会話を放送していました。そのミャンマー人は、日本、アメリカ、オーストラリア、カナダ、韓国にちらばって暮らすミャンマー人を対象にアンケート調査をやったのだそうです。一つの国につき50人のミャンマー人が対象です。質問は「アナタはいま住んでいる国にこれからも住みたいですか?」だったのですが、アメリカ、オーストラリアにいるミャンマー人は100%(つまり50人中50人)が「はい、そうしたいです」と答え、カナダにいる人の49人がそのように回答した。韓国にいるミャンマー人の場合は30人が「はい」で、20人が「いいえ」だった。日本はどうだったかというと、「これからも日本で暮らしたい」と答えたのは一人だけで、あとは全員、オーストラリア、アメリカ、カナダなどに移住したいと思っているとのことでありました。

▼今回もお付き合いをいただきありがとうございました。
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