1)「生協大学」を広めよう
|
|
北西イングランドにリンカーン(Lincoln)という町があるのですが、その町に生まれようとしている社会科学センター(Social Science Centre:SSC)は「生協的大学教育のモデル校」(A new model for higher and co-operative education)であることが特徴です。「生協的」というのは、この「大学」の運営が学生、教授らが払うお金と寄付金によって賄われ、スタッフについては無給ボランティアがこれにあたるという意味です。
SSCのサイトによると、コースには政治学、社会学、哲学の三つがあるのですが、学生(全部で20人程度を予定)全員がパートタイマーで授業も夜間もしくは週末開催を予定しており、コース修了には最長で6年間かかるとのこと。
SSC設立のきっかけとなったのは、現在の連立政権の財政引締め政策のあおりでイングランドにある大学から社会科学を教えるための予算が全部カットされてしまったこと。SSC関係者はこれに抗議しており、再び予算復活という可能性もないわけではないのですが、いずれにしても「政治家が決める予算配分に左右されない大学教育のための新しいモデル」(alternative model for Higher Education, which will not depend on the funding decisions of politicians)を確立したいというのが関係者の願いなのだそうです。
ちょっと興味深いのは、インターネットによる通信教育の類はやらないということで、それはSSCが物理的に地元コミュニティの中に存在ということが重要である(It is important that the Centre is in a real space at the heart of its local community)と考えられていることが理由です。SSCでは、海外も含めてリンカーン以外のコミュニティでも同じような「大学」が出来るように運動を広げたいとしています。
一方、かなり前(8月1日)のDaily Telegraphのサイトに、大学担当のDavid Willettsという大臣とのインタビューが掲載されており、大学を就職率別にランク付けしようという構想があるということが出ていました。どの大学のどの学部に行けばどのような会社の就職できるかということが学生にわかりやすく情報提供することを大学に義務付けるのだそうです。その情報の中には卒業者の初任給まで含まれる。Willetts大臣によると、大学教育にも市場原理と大学間の競争を導入したいとのことで、政府としては大学別の就職情報にもとづくランクを発表して「下位に来た大学が名指しされて恥をかく」(name and shame)制度なのだそうです。
で、最初のSSCの設立趣旨に戻ると
The SSC believes that university degrees are being devalued by a system of Higher Education increasingly focused on the perceived needs of the business sector. SSC provides a learning experience based on academic values, including critical thinking, experimentation, sharing, peer review, co-operation, collaboration, openness, debate and constructive disagreement.
SSCは大学の単位というものが、ますます産業界のニーズに応えるということに力点が置かれるようになって価値が下がっていると信じている。SSCが提供するのは、批判的思考、実験の精神、知識のシェア、お互いの共同・協力、開放性、建設的反対意見等などの学問的な価値観を基盤にした学ぶことの体験なのである。 |
と言っております。政府のやることとは正反対のようです。
▼SSCは「大学」というよりも「運動」ですね。普通の大学教育をこれに求めるのはムリというものですが、一種のコミュニティ活動、「知」による「まちおこし」と考えると日本を含めてどこにでも適用可能なわけで、これからの活動は注目に値しますよね。英国という社会の一つの強みは、人間を巻き込んだ実験的な運動のようなものが広がる余地のようなものが存在するということです。
▼大学教育への市場原理導入はサッチャー政権の誕生(1979年)あたりから言われているのだから30年間の歴史があるということになります。そのころはオックスブリッジのようなエリート主義への反感もあってそれなりに受けたのですが、その一方で世の中の大衆化が進行してオックスブリッジもかつてのように閉鎖的なエリートの殿堂ではなくなった。
|
|
back to top
|
2)「第9条」のラジオドラマ
|
|
インターネットというのは有難いですね。日本にいながらにして海外のラジオ番組を聴くことができる。私のようにヒマだけ大ありという人間には特に有難い。私が楽しみに聴く番組にBBCのPlay
of the Weekというのがあります。ラジオドラマです。テレビと違って声しか聞こえないので何を言っているのか分からないことが多い。そこでiTuneというシステムに「録音」しておいて後から何度も何度も聴くと分かってくる(ものもある)。
そんなドラマの一つがこの夏、7月29日に放送された"A9"という30分ものだった。A9はArticle 9の略で日本語に直すと「第9条」ということになる。これはまさしく日本の平和憲法第9条をめぐるドラマだった。原作はHelen Cooperという女性作家なのですが、彼女はオランダ系の英国人です。
ドラマは高齢で死をまじかに控えたBernard Bottomlyという英国人男性が主人公です。妻に先立たれており、老人ホームで暮らしているのですが、Bernardは第二次大戦中に欧州ではヒットラーのドイツ軍、アジアでは日本軍と戦った略歴があり、軍人として勇敢に戦ったというのでビクトリア勲章までもらった戦争ヒーローです。
そのBernardが自分のライフワークとしているのが日本の憲法第9条で謳われている平和主義を世界に広めることだった。これまでに自分でパンフレットを作って配布したりしてきたのですが、人生の残りわずかとなったところで3人の子供たちを集め、自分のライフワークを引き継いでくれる子供には遺産の半分を提供すると宣言した。3人のうち上の二人の男は「もちろんやりますよ、意味のある活動だから」と答えるのですが、一番年下で広告代理店に勤務する女性だけは「平和憲法の普及活動など誰も注目してくれるはずがない」という理由で、この遺産相続争いから降りてしまう。
で、ある日、子供たちのひとりが彼のために誕生日パーティーを開いてくれた。ビクトリア勲章までもらった戦争ヒーローの誕生パーティーです。かつての友人たちが数多く集まってくれたのですが、その席上でBernardが自分のライフワークである「第9条」の世界普及についてスピーチを始める。当日集まった人々もBernardの二人の息子も全く乗らず、「いい加減に止めてくれ!」などと言い出して座がしらけていきます。スピーチの中でも特に不評だったのは次の部分です。ちょっと長いけれどお許しを。
Judge Pal opened my eyes regarding the pacific war in 1944 and he said that no reasonably informed person can now believe that Japan made a villainous, unexpected attack on the United States and the attack was not only fully expected but actually desired.
(東京裁判の)パール判事こそが1944年の太平洋戦争について自分の眼を覚まさせてくれたのであります。判事によると、当たり前の情報を持っている人間なら誰も日本がアメリカに対して汚い不意打ちを仕掛けたなどというハナシは信じていない。日本による攻撃は予期されただけではなく、むしろ実際には望まれたことだったのであります。 |
Bernardは東京裁判でただ一人、被告人全員の無罪を主張したインド人の判事であるJudge Palには心酔しています。会場からのブーイングの中でBernardはさらに続けます。
It is beyond doubt that President Roosevelt wanted to get his country into the war but for political reasons he was most anxious to ensure that the first act of hostility came from the other side, for which reason he caused the increasing pressure to be put on the Japanese to the point that no self-respecting nation cound endure without resorting to arms. Pal alleged therefore that in 1944 Japan fought a just war, which implies of course that the allied fought an unjust war.
ルーズベルト大統領は自分の国を戦争に参加させたかったのですが、政治的な理由によって、どうしても最初の攻撃が相手側(日本)によってなされるように仕向けたかったのです。そのことについては疑いの余地はありません。そしてそのために大統領はありとあらゆる圧力を日本に対してかけてきて、ついには自尊心のある国なら武力に訴えざるを得ないような状況を作り出したのであります。従ってパール判事は、1944年の日本は正義の戦争を戦ったのだと主張したのであります。その意味するところは当然ながら連合国は不正義の戦争を行ったということになるのです。 |
Bernardは不正の戦いの中で自分がビルマで日本軍を殺したのは殺人罪であり、自分こそが死刑に処せられてしかるべきなのだ(I should be condemned to death)と叫んで倒れてしまう。その彼を病院に運んだのが、第9条の普及活動に最もやる気がなかったはずの広告代理店勤務の娘だった。病院へ向かうクルマの中で娘は「私、本当はお父さんの考え方が好きなの。勇気があって人間を信用して希望を持とうとする」(I love the way you think, Dad. Your courage. Trust and hope)とBernardに話しかけるのですが、すでに彼は息を引き取っている・・・というところでドラマは終わりです。
ネットで調べてみたら、Bernardは実在の人物で作者(Helen Cooper)の叔父にあたるオランダ人、Maarten Knottenbelt(1920~2004)だった。勲章をもらって国民的なヒーローだったのですが、「実は彼がいかにあの戦争によって破壊されていたのかは、彼の死の直前まで、誰も気がつかなかった」(We did not fully realise until just before he died to what extent the war had destroyed him)とコメントしています。Knottenbeltは戦後60年間にわたって世界中の憲法に日本憲法の第9条を入れさせる運動をやっていたそうです。
▼残念ながらこのドラマはすでにBBCラジオのサイトでは聴くことができません。私自身はそれをダウンロードしたものを持っているのですが、ご希望の方にお聞かせするにはどうすればいいのか分からない。ただ日本の平和憲法がテーマのドラマがいま英国で作られようと思いませんでした。この番組は毎週金曜日の午後2時ごろからの放送だったと記憶しています。それほどたくさんの人が聴くわけではないかもしれないけれど、熱心なファンは多い番組だと思います。
▼主人公のスピーチに対するパーティー会場からのヤジはもっぱら「彼をつまみだせ!」とか「日本人が何をやったか知っているのか?」という類のものだった。平和憲法に対する一般的英国人の感覚を代表しているのでしょう。最後には父親の味方になる娘は、イラク戦争に反対してデモに参加しながらも、結局戦争を止められなかったことに無力感を覚えていて、父親の運動も「なんにもならないわよ」と冷たかったのですが、最後にはこれを支援しようとする。Helen Cooperが若い世代に希望を託したということですかね。
▼ところで、この際だから「憲法第9条」の条文をしっかり憶えておこうじゃありませんか。
********************************: |
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized. |
|
|
back to top
|
3)防衛大臣の辞任と「大臣規範」
|
|
日本のメディアでもそこそこ報道されたけれど、キャメロン政権の重要閣僚である防衛大臣のLiam Foxが辞任しました。先週の金曜日(10月14日)のことです。旧友のAdam Werrittyという人物を自分の外国訪問に同行させたり、外国における要人との会談に同席させたりしたことが理由です。このひとは政府関係でも何でもない、単なる旧友だったのですが、Foxの結婚式のときに介添人(best man)もつとめるなどかなり親しくしていたようです。
BBCによると防衛大臣としての外国訪問に同行を許したのが18回、防衛省の大臣室への出入りなども許していたとのことで、名刺には「Liam Fox国会議員顧問」という肩書まで印刷されていた。Adam Werrittyが大臣と親しいということを利用して企業からお金をもらっていたとかいう疑惑があったわけではないけれど、Werritty自身が防衛関係のビジネスをやっており、Fox大臣との余りにも頻繁な接触によってそのような誤解を招きかねない行動をとったということになる。
このニュースを伝えるBBCのサイトを見ていたら、キャメロン首相が内閣官房長官のGus O'Donnellに対してフォックス大臣についての疑惑について調査し、大臣規範(Ministerial Code)に違反したかどうかを調べるように命令したという個所がありました。大臣規範とは大臣としての然るべき行動をとるための諸々のルールのことを言うわけですが、具体的にどのような中身になっているのか気になって調べてみた。
「規範」そのものはここをクリックすると読むことができます。MINISTERS AND CIVIL SERVANTS(大臣と公務員)、MINISTERS’ PRIVATE INTERESTS(個人的利害)、TRAVEL
BY MINISTERS(旅行)等々、10項目について「総論」と「各論」が分かりやすく書かれているのですが、大体において当たり前のことばかりのように見える。今回Fox大臣が引っ掛かったのは「大臣の個人的利害」の部分で
Ministers must ensure that no conflict arises, or could reasonably be perceived to arise, between their public duties and their private interests, financial or otherwise.
大臣はその公的義務と個人的な利益(金銭その他)の間に対立が生じたり、生じたと思わせるようなことがないようにしなければならない。 |
と書かれています。これは総論の部分で、各論はほかのセクションに比べてかなり詳しくいろいろと書かれている。要するに大臣たるもの疑惑をもたれるようなことがないように気を付けなければならないということで、今回の旧友の扱いは確かに「疑惑」を持たれても仕方ない。
ところでこの大臣規範は昨年(2010年)5月のキャメロン連立政権発足時に書かれたものですが、その後ことし(2011年)7月15日に次の文章が追加されています。
“The Government will be open about its links with the media. All meetings with newspaper and other media proprietors, editors and senior executives will be published quarterly regardless of the purpose of the meeting.”
政府はメディアとの関係についてはオープンな姿勢をとるものである。新聞その他のメディア所有者、編集関係者、メディア関連企業幹部との会合は、会合の目的を問わずすべて年4回公表することとする。
|
この部分が追加された7月中旬は、例のルパート・マードック所有の大衆紙による電話盗聴を巡る疑惑で英国中が大騒ぎになっていたときです。
▼ところで防衛大臣の辞任に関連して、彼がキャメロン宛てに提出した辞表とそれに対するキャメロンの返事がBBCのサイトにそのまま掲載されています。大臣の辞表がこのような形で公表されるのはほとんど当たり前なのでありますね、英国では。ブレア政権のクック外務大臣とショート国際開発大臣の場合は辞表を通じて自分の考え方を国民に伝えようとしていることがはっきり伺えましたよね。今回のFox大臣の場合はそのような感じではなく、ひたすら「申し訳ない」と謝っております。またブレアの場合はキャメロンのように自分の返事が新聞に掲載されることはありませんでしたね。辞任の背景を考えたらそれも仕方ない? |
|
back to top
|
4)英国は原発でいく
|
|
10月15日付のThe Economistのサイトに出ていた記事によると、日本とは対照的に英国では将来的にも原子力発電でオーケーという調査結果が政府に提出されています。事故を起こした東電の福島第一原子力発電所を6月に訪問したMike Weightmanという専門家が率いるチームがまとめたもので、単純に言ってしまうと、英国では日本のような地震も津波も起こらないし、使われている原子炉の設計も福島のものとは違う、従って・・・ということであります。
英国には現在18の原子炉があり、全電力の16%が原子力で賄われていますが、北東イングランドのSizewellというところにある原子炉Bを唯一の例外として残りはすべて2023年までに閉鎖されることになっています。
とにかく英国における原子炉建設は1995年のSizewell Bを最後に一つも行われていないというわけで、新しい原発建設候補地が8か所決まっているのですが、Weightmanらによる
Japanese earthquake and tsunami: Implications for the UK nuclear industryという報告書 はこれらの建設計画に技術面でのオーケーを出したものです。
ただThe Economistによると、問題は経済面なのだそうであります。英国における原子力発電所の多くはEDFというフランスの国営企業が経営しているのですが、新しい原子炉を一つ作るために50億ポンド(約6500億円)もするとのことで何年たったら元が取れるのかさえも定かではない。
フランスAREVA社やアメリカのWestinghouseによる原子炉も考えられているのだそうですが、工期と予算を予定通りに実現するという実績については「怖ろしい」と「ひどい」の間くらい(between horrendous and terrible)なのだそうです。EDFが建設しているフィンランドの発電所などは当初の見積もりをはるかに超えるものになってしまっている。
原子力発電所の建設については、ほとんどの国で政府が資金提供するという方法がとられているのですが、英国はこれをすべて民間からの投資でまかなおうとしているのですが、民間企業はいまいち納得していない(Private companies are not yet convinced)らしく、すでに建設コンソーシアムから撤退する企業も出てきているのだそうです。
▼原子力発電に投資する民間企業へのセールスポイントとしてエネルギー省が考えているのは、原発で作られた電力については電気料金を一定期間変えないものとするというアイデアだそうです。つまり電気料金の値下がりが起こらないということで、そうなると貧困世帯などには評判が悪いことになる。日本のような地震も津波もない英国ですが、原発建設については安全面とは別の意味での反対運動に火をつけることにもなりかねない(it will spark reactions of a different sort)とThe Economistは言っています。
|
|
back to top
|
5)ヨーロッパ解体のシナリオ
|
|
9月23日付のLe Monde Diplomatiqueのサイトに"Europe: a plan for disintegration"という見出しのエッセイが出ています。disintegrationはintegration(統合)の反対だから見出しは「ヨーロッパ解体の計画」という意味になります。筆者はオックスフォード大学でヨーロッパ政治を研究するJan
Zielonkaです。
ギリシャなどの財政破綻で、共通通貨であるユーロの存在そのものが疑いの眼で見られるようになり、ひょっとするとEU自体の存在まで危ないのではないかと言い始める人も出てきています。ドイツのメルケル首相などは「ユーロの破綻はヨーロッパの崩壊を意味する」(plunge of the Euro would mean the collapse of Europe)と言っている。しかし彼女にしてからが、ヨーロッパの解体がどのようにして起こるのかは分かっていない。なぜなら(Zielonka教授によると)戦後からこれまでヨーロッパの統合に関する書物は山のように出版されても「解体」をテーマにした本はほとんど出ていないからです。
教授によるとヨーロッパ解体には3つのシナリオが考えられる。最もあり得るのが「経済雪崩」(economic avalanche)です。経済的に崩壊することですが、「雪崩」という言葉を使ってtsunamiと呼ばないのは、雪崩の場合は人工的にこれを引き起こすことも可能であるという意味である、と教授は言います。このエッセイを書いている現在、フランス、ドイツ、オランダなどではギリシャをユーロ圏から追放すればいいという世論が高まっているのですが、それをやってしまうといろいろなことが連鎖反応的に起こって手に負えなくなるだろう(it would likely trigger a spiral of events beyond anybody’s conntrol)として
Mutual accusations, retaliations and recriminations would surely follow, generating chaos, and Germany would be the prime suspect in the ensuing blame game.
国同士がお互いにのの知り合い、報復と復讐が繰り返されて混乱に陥る。そして非難合戦の中でドイツが悪者にされるだろう。 |
という状態になり、国よってはドイツ側につき、別の国々は反対側でグループを作ってバランスをとろうとする。そのようにして引き起こされた混乱によってナショナリズムに火が付いて領土争いや経済的な報復などが繰り返されて17世紀初めの30年戦争のような状態になる、というわけです。
次なるシナリオとして教授が挙げるのは、一挙にヨーロッパ連邦のような政治統合に向けて「やみくもに飛躍する」(a desperate jump into
a European federation)ことで、欧州委員会のバローゾ委員長などは「我々に必要なのは団結への新たなる弾みだ」(What we
need now is a new, unifying impulse)とまで言っているのですが、Zielonka教授は「このシナリオはヨーロッパの解体に繋がる可能性がある」(this
could result in disintegration)と主張します。
It would only work if composed of a few like-minded and like-looking European states. Such a core Europe would create a new divide across the continent, raising fear and suspicion.
「連邦」がうまく行くためには構成国の数が少なく、同じような考えを持っている必要がある。それらがの国がヨーロッパの中核になることであるが、そのこと自体が欧州全域における分裂状態を生みだして恐怖心や猜疑心を促進するきっかけになるということだ。 |
EU加盟国の中には「連邦」から除外されることを嫌いながらも牽引国のいいなりになることへの抵抗感も出てくる。つまり「ヨーロッパ連邦」へのやみくもな飛躍はヨーロッパ諸国間の分裂を生むだけだということです。
Jan Zielonka教授があげる三つ目のシナリオは「ほとんど解体」(disintegration in disguise)というものです。つまりヨーロッパの国が自国の問題解決について「ヨーロッパ」を頼りにはせず、自国で解決するかヨーロッパという枠組みを離れて解決するということなのですが、その場合でも「ヨーロッパ」という概念そのものを放棄することはしない。「ヨーロッパの一員」であることを(一種の肩書きとして)シンボリックに使うということです。disintegration in disguiseの例として、冷戦時の西欧諸国の防衛機構として存在したWestern European Union (WEU:西欧同盟)があります。問題が起こると加盟国自体が国連とかNATOのような機関に解決を求めるようになった。つまりWEUは有名無実の存在だった。
「ほとんど解体」のシナリオはほかの二つに比べると穏便(less conflict-prone)のように見えるけれど、 EUというものの存在が単なるシンボルになってしまうということは、ヨーロッパの事柄に対するヨーロッパ以外の国(特にトルコ、ロシア、アメリカ)の発言が強くなるという事態が起こり得る。そうなるとヨーロッパの国が外部の勢力に踊らされてお互いに対立するということもあるというわけで、教授は、現在でもポーランドを「アメリカのトロイの馬」と呼ぶ意見はあるし、ドイツは「ロシアのトロイの馬」だという人もいるのだと指摘しています。
It is generally assumed that Europe needs political leadership and willingness to compromise in order to avoid disintegration. In my view, it mainly needs political imagination -- imagination to envisage the intricacy of disintegration, and to think up a new paradigm of integration. The current system does not work in post-Soviet, post-modern Europe.
ヨーロッパに必要なのは解体を回避するための政治的リーダーシップと妥協する意思である、と一般的には言われている。私の見るところによるとヨーロッパが主に必要としているのは政治的な想像力である。すなわち解体の複雑さに思いをいたし、統合の新しいパラダイムを思いつくだけの想像力である。現在のシステムはソ連後のヨーロッパ、ポストモダン・ヨーロッパでは機能しないということである。 |
というのがこのエッセイの結論です。
▼このエッセイとは無関係ですが、10月24日(月)の英国下院で、超党派の議員76人による動議が提出されることになっています。英国がEUの加盟国としてとどまり続けることについての国民投票を行うべきだという動議です。「超党派」と言っても76人中60人が保守党ですが、2013年5月までに国民投票を行うべきだとしており、選択肢としては「現状のまま」(keeping
the status quo)、「EU脱退」(leaving the EU)、「とどまるにしても条件を変える」(reforming the terms
of the UK's membership of the EU)の三つです。ただこの国民投票には保守・自民・労働の3主要政党が反対の立場を表明しており、各党の幹部が所属議員に反対するように呼びかけています。 |
|
6)どうでも英和辞書
|
A-Zの総合索引はこちら |
grief bacon:悲しみのベーコン
「悲しみのベーコン」は「愛するひとを失ったときに食するベーコン」で東欧のどこかで昔から伝わる習慣・・・だと思う?違うんですな、これが。元の言語はドイツ語でKummerspeckなのでありますが、kummerは「悲しみ」(grief)でspeckは「ベーコン」(bacon)、併せて「悲しみのベーコン」となる。でもドイツ語のKummerspeckは「感情にまかせた過食によって増えた体重」(Excess
weight gained from emotional overeating)のことなのだそうです。なんだそりゃ?!
最近のThe Economistの言葉に関するブログが、一語では英語に直しようがない外国語について語っており、ドイツ語のKummerspeckもその例として紹介されていたものであります。スペイン語のfrioleraは「いつも冷たい女性」という意味であるが、一語で直せる英語がなく、"a woman who is always cold"と説明せざるを得ないのだそうです。
mental flossというサイトを 見ると、このような「一語の英語には直せない」外国語がいろいろ出ています。中には笑ってしまうものもある。 ペルシャ語のZhaghzhaghは、「寒さや怒りで鳴る歯の音」(chattering of teeth from the cold or from rage)だそうです。発音はひょっとして「ザグザグ」かな?日本語には寒さの表現として歯がガタガタいうというのがありますね。でもガタガタは必ずしも歯がなる音だけとは限らない。
グルジア語のZegを英語に直すとthe day after tomorrowなのですが、このサイトの主宰者は「一語で言える英語を作るべきだ」と言っております。確かに「あさって」のことを「あしたの次の日」と言い、「おととい」のことを「昨日の前の日」(the day before yesterday)などと言わなければならないのは面倒なハナシだよな。
ちなみにGoogleの翻訳システムにドイツ語のKummerspeckを入れると英訳はgrief baconと出るし、和訳は「悲しみベーコン」と出たのには笑ってしまうと同時に感心もしてしまった。
|
back to top
|
7)むささびの鳴き声
|
▼昨日(10月22日)TBSの「報道特集」という番組を見ていたらリビアのカダフィ政権による秘密警察のことをやっていました。ちょっと気になったのは、京都大学の先生がカダフィ政権の崩壊は「アラブの春」とは性格が違うというようなことを言っていたことです。何がどう違うとおっしゃっていたのか思い出せないのですが「カダフィの最後を見てそう思った」と言っていたと思う。つまりこれはエジプトやチュニジアのような民主化運動という性格のものではないということなのでしょう。それとこの報道の中で、反「反カダフィ派」のリビアの女性たちが反カダフィ派の問題点について語っていたのも興味のあるところでした。カダフィというひとは確かにひどい指導者であったのでしょうが、英国などはその存在を認めてきたのですからね。
▼同じ「報道特集」でリビア以上に面白いと思ったのは、大阪市長選挙に出る橋下徹・大阪府知事についての報道だった。番組のサイトには
“大阪を変えることで日本が変わる…” 改革を旗印に過激な政策を次々打ち出す橋下知事。市長選に打って出て改革の仕上げを行うのか?これまでの橋下府政を点検すると…。
と書いてあった。 |
▼橋下徹さんの政治のやり方を「ファシズム」になぞらえて「ハシズム」と呼ぶ人たちがいるのだそうですね。何でもかんでも「白か黒か」の二者択一に単純化して議論をふっかけて自分の進めたい方向に持って行こうとするというわけです。朝日新聞のサイトによると、ハシズム批判集会に参加した北海道大学の山口二郎さんが次のように発言したのだそうです。
上意下達の軍隊的官僚組織を作り、教育に競争を持ち込むやり方は多様性や自発性を否定している。政治主導ではなく単なる支配だ。東日本大震災後に我々が必要としているのは相互扶助。政治は悪者を探してたたく見せ物ではない。 |
▼「報道特集」によると、ハシズムが批判されているのは、橋下さんの「政治手法」なのだそうですね。つまり「やり方が悪い」ということですよね。でも本当の問題はやり方ではなくて内容のはずです。メディアは内容よりもやり方を報道したがります。やりやすいから。山口教授の言う「悪者を探してたたく見せ物」としての政治(報道)を毎日やっている。「東日本大震災後に我々が必要としているのは相互扶助」もそのとおりだと思います。
▼黛まどかという人が主宰している「俳句でエール」というサイトに大震災をテーマにした作品がいろいろと掲載されています。
●汗ひとつ落として拾う瓦礫かな
●一切を失ひ仰ぐ山法師
●満開の桜に明日(あす)を疑はず |
▼どれもいい句ですね。俳句の面白さの一つは、読む人によって解釈が違うことがあり得るということだと思いません?もっと正確に言うと、同じ五・七・五なのにこれを読むひとはそれぞれ違う風景を頭に描くということです。作者の意図とは全く違う風景を思い描くひとだっている。上の三つの句ですが、最初のものはボランティア(男性)、二番目のものは被災者(女性)、最後の句は黛まどかさんの作品です。
▼これからだんだん寒くなります。むささびはこれに弱い。お元気で。
|
back to top
|
|
|