musasabi journal

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257号 2012/12/30
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
きょうは12月30日。非常にいろいろあった2012年ですが、私にとって最大の収穫は埼玉県飯能市内のお寺の境内でつい に本物のむささびを見ることができたことでしょう。夜、寒かったけれど感激でした。むささびのことを英語でflying squirrel(飛ぶリス)というけれど、本当に飛んでいました!むささびは樹木の幹に穴をあけて暮らすのですが、なるべ く周囲に枝などが生えていないところを選びます。ヘビに襲われないための知恵だそうです。あさってからは2013年で ヘビ年、私(72才)の年です。ヘビ年のむささびです。一年間のお付き合いに心から感謝いたします。

目次
1)認知症チャレンジ:心の付き添い犬育成計画
2)従軍慰安婦問題を「国際公共益」でとらえる
3)中国人の被害者意識を知っておこう
4)銃規制とアメリカ:英国の保守派も唖然
5)メルケルがドイツ人に愛されるわけ
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)認知症チャレンジ:「心の付き添い犬」育成計画
 

現在英国ではキャメロン首相の呼び掛けで「認知症に挑戦」(National Dementia Challenge)するプロジェクトがいろいろと行われており、むささびジャーナル253でも紹介したヨーク市における「認知症に優しい町づくり」などもその一環であるわけですが、BBCやIndependent紙などの報道によるとスコットランドのグラズゴー芸術大学の学生が、認知症の人のための付き添い犬(dementia dog)の育成に取り組んでいます。guide dogs for the mind(心の付き添い犬)と呼ぶこともあるようです。これらの犬の育成も政府の「挑戦」計画の一つとして中央政府からの資金提供が行われているのだそうです。

この計画に協力しているスコットランド・アルツハイマー協会(Alzheimer Scotland)によると、特に初期の認知症患者の日常生活に犬が役に立てるとしているのですが、その理由として「人間は、人間の知人の顔を忘れてもペットの顔は忘れない」(people may forget familiar faces but not pets)という調査結果が挙げられています。さらに人間と人間のコミュニケーションではなかなか得られないけれど、イヌなら可能であるものとして「無言のサポートと仲間感覚」(a sense of silent support and companionship)や「言葉なき絆」(speechless bond)も挙げられています。

具体的にどのようにイヌが協力するのかというと、独り暮らしの認知症患者の場合、薬をのむ時間を想起させるような装置はあるけれど、薬がある場所まで取りに行く必要があり、途中でそれを忘れてしまうこともある。一定の時間にイヌが薬の入った袋を持ってくると袋の中に「これをのみましょう」というメモが入っているという仕組みにする。それによって患者が薬を呑む可能性が確実に高まる(there's a greater chance of them taking it)というわけです。つまり一定の時間に所定の袋を患者のところへ持っていくようにイヌを訓練するということです。

さらに患者によっては食事をとるのを忘れてしまうケースがあるけれど、イヌは自分の食事のことは忘れないというわけで、イヌが自分の食事時間を飼い主(患者)に知らせて食事のある場所へ連れて行くと、その横に飼い主の食事も置いてあるというやり方もある。が、なんといってもイヌのお得意は散歩。認知症の場合は、人間がイヌを連れ出すのではなく、イヌが催促して散歩に出かけるのだから反対です。このようにして患者の外出を促し、コミュニティとの触れ合いを促進しようということです。

Independent紙によると、現在、ラブラドールと ゴールデンリトリーバ4頭がテスト訓練を受けているそうです。さらに詳しくはDementia Dogという専用サイトで報告されているほか、BBCデザインカウンシルのサイトで動画紹介されています。


▼犬人(けんじん)関係において、人間はイヌにいろいろ求める(行儀よくしろ、吠えてはいけない等々)けれど、ワンちゃんは人間に対して食べものと飲み物以外何も求めません。人間に求めるとすれば「一緒にいてください」ということだけ。食べて、寝て、ウンチとオシッコをして、たまに外出して・・・人生、それ以上に何が要るのか?というような顔をしていますよね、イヌというのは。

▼私が「うるさい!」と怒ると「も、申し訳ございません」という表情で自分の檻へ逃げていくけれど、本当は申し訳ないなどとは全く思っていません。同じことを繰り返すのですから。「申し訳ない」などという面倒くさい感覚はないのですね、きっと。

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2)従軍慰安婦問題を「国際公共益」でとらえる
 

12月18日付の毎日新聞のサイトを読んでいたら「記者の目」というコラムがあって、外信部の西川恵記者が『安倍政権と歴史問題』というテーマの記事を書いていました。ここで取り上げられているのは「歴史問題」の中でも韓国との関係における「従軍慰安婦」の問題です。安倍さんはかつて首相であった時代に「従軍慰安婦なんていなかった」という趣旨の発言をして大問題になったことがありますよね。むささびジャーナル106号で紹介したことがあります。

西川さんによると、
  • 欧米は従軍慰安婦問題をすぐれて女性の人権にかかわる問題として捉えている。強制連行があったかどうかに関係なく、女性を嫌悪すべき状況に置いたこと自体を人権違反と捉えている。
とのことです。つまり安倍さんが首相であったころに自民党内で言われた「愛人関係だったのだから慰安婦ではない」とか「いやがる女性を無理やり連行したのではないから慰安婦ではない」等々という言い分は国際社会では通らないとうことです。そして西川さんは、最近の日本では「国際社会の共通認識や価値観と乖離(かいり)したところで、独りよがりともいえる議論」が目につくとして
  • これは個人的な心情や倫理観を位相の異なる政治の場で扱おうとする態度にもつながっている。
と言っています。つまり政治家と呼ばれる人々が、個人の世界とは違う次元の政治の世界で、個人的な感情や個人的な歴史観などに基づいて発言したりするケースが多いということです。最近の例でいうと、石原慎太郎さんが都知事時代に、尖閣問題に絡めて、孟子・孔子ではない、共産主義・中国のことを「軽蔑する」と言ったこと(むささびジャーナル250号)などがこれにあたる(とむささびは思っている)。名古屋市長の「南京虐殺はなかった」という発言もある。自宅の居間で国粋仲間が集まった個人レベルの場ではなく、都知事や市長の記者会見という政治的レベルの場での発言です。それがどのような政治的な反響を呼ぶかなどはお構いなしということです。

西川さんはさらに「日本は短絡的な見方しか持てなくなっている」というアメリカ人の識者のコメントを紹介、「反中感情があおられ、長期的ビジョンを練る余裕がなくなっているというのだ」と解説しています。ここでいう「長期的ビジョン」をさらに説明して
  • 戦争の惨禍をアジアに及ぼした日本は二度と排他的利益を求めず、国際的な公共益に沿ったところで自国の国益を追求していくことを課せられていると思う。
と西川さんは主張して、
  • 従軍慰安婦問題も女性の人権という公共益の中に位置付け、日本が主導権をとる形で解決できるはずだ。
と言っている。ここで書かれている「公共益」ですが、漢字が三つ並ぶと何やら難しく見えるけれど、「みんなにとっていいこと」というような意味であると考えていいと思います。従軍慰安婦の問題を「謝罪せよ!」「いや、強制はなかった」と過去のことについて言い合うことで「排他的利益」を求めようとするのではなく、現在もどこかで行われているであろう、女性の人権蹂躙を止めさせるという「公共益」の促進という努力の中で考えようと言っている(と私は理解したわけです)。

西川さんの記事が掲載された翌日(12月19日)のThe Economistのブログが、韓国大統領選で朴槿恵氏が当選したことを語る記事を掲載する中で、日本における安倍政権の誕生と朴槿恵大統領の父親(朴正煕・元大統領)がかつて大日本帝国の満州国軍の中尉であり、日本による韓国占領時代の対日協力者(collaborator)であったことに触れて
  • 朴槿恵大統領は、歴史問題にはすべての側が正直に対処することが必要であると指摘するべきであり、そうすることが韓国にとってもいいことをすることになるだろう。
    Ms Park would do the country a favour by pointing out that matters of history need to be faced honestly by all sides.

と言っています。

▼西川さんのエッセイに出てくる「公共益」を私なりに尖閣問題に当てはめると、いわゆる「領有権」を主張し合うのが「排他的利益」のぶつかり合いであり、このあたりの海域を何らかの形で「みんなの海」のようなものにしようというのが「公共益」の促進ということになると思います。

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3)中国人の被害者意識を知っておこう
 

12月23日付のFinancial Times (FT)に出ていた"Patriotic education distorts China world view"(愛国教育が中国自身の世界観を歪めている)という記事は、FTのJamil Anderlini北京支局長が書いたもので、中国で行われる愛国教育の問題点を指摘しているのですが、主に中国人の対日感覚を報告しています。あまり長い記事ではないのですが、中国専門家ではあるけれど、中国人でも日本人でもないジャーナリストが中国人に取材をした結果としてのエッセイであり、中国人の考え方をちょっと引いたところから観察しているものです。

9月の反日デモが吹き荒れる北京で、21歳になる中国人の男性がトヨタのクルマを運転していた自分と同年代の中国人男性を殴って逮捕されるという事件があった。逮捕された男性の母親がAnderliniに語ったのは
  • 学校教育ではいつも日本人は悪いやつだという考えを注入され、テレビをつければほとんどの番組が抗日戦争についてのものです。私たちが日本人に反発するのは当たり前でしょ?
    The education at school always instils the idea that Japanese are evil people and if you turn on the television most of the programmes are about the anti-Japanese war. How can we possibly not resent the Japanese?

ということだった。この人の息子が殴ったのは中国人であり、日本人ではないけれど、乗っていたのが日本車なのだから誰でも悪いやつに違いないというわけですね。

Anderliniによると、中国における現在の愛国教育は1989年の天安門事件と同じころに起こったソ連崩壊が契機となって始まっている。中国共産党による思想活動を向上させる必要があると考えられた。そこで行われたのは「選別的歴史教育(selective teaching of history)」と呼ばれるもので、外国からの侵略者による暴虐ぶりを強調し、中国の指導者たちによる残虐行為や過ちは無視する教育だった。その意図するところは若者たちの心に愛国心と反欧米被害者意識(nationalistic, anti-western victim mentality)を植え付け、それを通じて共産党というものの存在の正当性を意義付けることにあった。

この思想活動は、それまでの階級闘争に基づく歴史観に代わって外国人と中国の闘争に焦点をおいたものだった。それまでの階級闘争に基づく歴史教育においては中国共産党が勝利を収めたのに対して、外国人との闘争にあっては中国は名誉ある勝者ではなく、弱くて抑圧された犠牲者(weak and persecuted victim)ということになったわけです。

Jamil Anderliniの観察によると、中国と近隣諸国の間の緊張関係の高まりの中で、世界が中国を見る目と中国人(指導者であれ一般庶民であれ)の自分たち自身に対する見方があまりにも違いすぎるのだそうです。即ち中国以外の外国から見ると、中国は小さな国をいじめまくる巨大な存在と映るかもしれないけれど、多くの中国人にとって中国は、相変わらず貧しくてひ弱な苛められっ子なのだそうです。いつもいつも苛められてきた者がいじめっ子になどなるわけがない(How can you be a bully if you are the one who has always been picked on? )ということですね。

さらに若い中国人が教わるのは、中国は常に平和を愛し、決して拡張主義などに陥ることがない国であるということです。その見方は比較的最近(1979年)の対ベトナム国境紛争のことを思えば、全く当たらない「歪められた見方」(distorted view)である、とAnderliniは言います。中国はこれまで隣接する国々を自分たちの勢力範囲の中に組み入れようとする中で、ほとんどのパートナー諸国と領土紛争を繰り返してきており、いまや「同盟国」と呼び得るのはパキスタンと北朝鮮だけになってしまっている。しかもこの二国とも国としての機能を失っているような状態である。

そうした中で最も深刻なのが日本との対立である(とJamil Anderliniは言います)。日本は第二次大戦中に暴力的に中国を占領した国であり、しかも最近の選挙で右翼的な勢力が大勝利を収めている。一年前までは中国と日本の間で戦争が起こるかもしれないなどと言えば「アホか」と言われたかもしれないけれど、最近では尖閣諸島の付近で中国の船や飛行機が日本のそれと衝突したら・・・と心配する声が西側外交官や中国政府のアドバイザーの間でさえもささやかれているのだそうです。

中国政府の高官や普通の中国人の間で戦争についてのハナシが怖ろしいほどに普通に行われるようになっている、とAnderliniは伝えている。特に言われているのが「限定戦争」(limited war)なら勝てるのではないかということだそうです。限定戦争を云々する声はさすがに少数には違いないけれど、アメリカは、中東でてこずり、財政問題でも悩んでいる「張子の虎」だと考えている。中国が尖閣諸島のいくつかを占領したとしてもアメリカは出て来ないだろうと言っている。

もちろんより平衡感覚のある中国人は、このような発想を否定し、そのような場合、アメリカはいやでも対中国と一線を画するような行動をとらざるを得ないだろうと言っている。戦争のハナシはいまのところは古い世代か愛国心と屈辱感を叩き込まれた若年層の間のファンタジーとしてしか語られていない、とJamil Anderliniは言って、次のように結論しています。
  • 中国以外の世界には中国の教育制度を変えることはできないし、深く根ざしてしまっている中国人の世界観を変えることもできない。しかし少なくとも外国の指導者たちは中国人のメンタリティを理解しておく必要はあるだろう。
    The rest of the world cannot change China’s education system or its deeply ingrained worldview. But, at the very least, foreign leaders need to understand the mentality of their Chinese counterparts.

▼ことし(2012年)The Eonomist誌に掲載された数ある記事の中でよく読まれた記事のトップ10というのがあります。最も読まれた記事は、アメリカの大統領選挙に関連して、同誌がオバマ大統領を推薦すると主張したものであったのですが、尖閣をめぐる日中の対立について語ったChina and Japan: Could Asia really go to war over these?(こんなものをめぐって戦争するんですか?)という記事が4番目に来ています。むささびジャーナル250号で紹介したものです。この問題はそれくらい世界的に注目を集めているということです。

▼中国人が外国、特に日本に対して被害妄想に陥っているというのですが、日本人だって外国、特に中国に対する被害者意識(いじめれっ子感覚)は強いですよね。お互いに被害妄想に陥っているということです。悲しいかな、そういうことになってしまっている。特に日本の場合は、上から教育されたり、誰に強制されたわけでもないのに、対中国・対米コンプレックスのかたまりみたいな人が政治家として結構受けている。うわさに聞く戦前の言論統制などないのに、です。


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4)銃規制とアメリカ:英国の保守派も唖然

米コネチカット州の小学校における銃乱射事件について、12月22日付のThe Economistが社説を掲載、
  • 事態を大きく変えようと思うならドラスチックな銃規制を行うこと。それしかない。
    Only drastic gun control could make a big difference.

と言っています。つまりIf you want to be safer, change the constitution(より安全な国でありたいのなら憲法を変えろ)ということであります。このような銃事件が起こるたびに、アメリカでは憲法で銃の携帯が保障されていると言われますよね。アメリカ合衆国憲法修正第2条(Second Amendment to the U.S. Constitution)がそれなのですが、それがどのような文章になっているのかというと:
  • A well regulated Militia, being necessary to the security of a free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.
    規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。
であります。この修正が採用されたのは1791年12月15日のことだそうです。今から220年以上も前のことです。

今回の事件に関連してアメリカのPew Researchが、アメリカ人を対象に銃規制に関する世論調査を行っています。それによると、銃規制と銃所有の権利保持のどちらが大切かという質問に対して49%が「規制が大事」と言っているのですが、「銃を持つ権利」と答えた人も42%いる。コネチカットの事件によってそれほどドラスチックに意識の変化があったわけではないということです。また銃規制について全米ライフル協会(National Rifle Association:NRA)が影響力を持ちすぎていると思うか?という問いに対して「持ちすぎている」と考える人は38%にとどまっている。1993年には45%、2000年には42%がそう思っていたのだから、NRAの影響力を憂慮する人の割合はむしろ少なくなっているのですね。

Pew Researchによる調査の詳細はここをクリックすると見ることができますが、ほんの少しのサンプルだけ書き出してみます。

①:銃所有権と銃規制のどちらが大事か?
白人 黒人
銃所有権が大事 51% 24%
銃規制が大事 42% 68%

黒人がはっきり銃規制を望んでいるのに対して、白人の場合は銃の所有を保障せよという人の方が多い。白人より黒人の方が世界の常識に近いのですね。

②:銃を所有すると国民の生活がより安全になるか、より危険になるか?
白人 黒人
安全になる 54% 29%
危険になる 33% 53%

「銃を持っているから安心だ」という白人が多い。黒人の半数以上が「そんなもの持たない方が自分にとっても身のためだ」と考える傾向にある。これも黒人の方が常識に近い。なのに・・・

③:国民に銃の所有を許すことで、国は危険になるか、安全になるか?
白人 黒人
安全になる 26% 10%
危険になる 61% 83%

黒人の感覚は一貫している。個人であれ、国であれ、銃規制を行わないのは危険を増すことにつながるということです。つまり世界の常識です。不思議なのは白人の心理です。質問の①と②では、銃を持った方が自分は安全であるとしているのに、国全体となるとかなりの人たちが否定的になる。どう考えればいいのか?

ところでコネチカット州の事件に関連して、全米ライフル協会が12月21日に「記者会見」を行っています。ただし記者からの質問は受け付けなかったのだから、正確には「会見」というより自分たちの意見を一方的に発表しただけなのですが、その場で読み上げられたステートメントが、英国の保守派の雑誌、The Spectatorに掲載されています。それによると、今後コネチカットのような悲劇を繰り返さないようにするためには、アメリカ国内のすべての小学校に武装した警備隊を常駐させるべきであると言っているのですが、その根拠については次のように述べています。
  • 我々の社会は想像もつかないような数の本物のモンスター(怪物)でいっぱいであるというのが現実であります。つまり徹底的に狂っている人々、悪としか言いようのない人々、悪魔の声に取りつかれ、それによって動かされている人々、正常な人間には全く理解できないような人々であります。彼らは毎日のように我々の間を歩き回っているのです。次なるAdam Lanza(コネチカットの殺人犯)が、いま現在でも、アタックする学校を決めていないなどと、信じることができる人はいるでしょうか?
    The truth is that our society is populated by an unknown number of genuine monsters ? people so deranged, so evil, so possessed by voices and driven by demons that no sane person can possibly ever comprehend them. They walk among us every day. And does anybody really believe that the next Adam Lanza isn’t planning his attack on a school he’s already identified at this very moment?
NRAのような保守的アメリカに近い考え方であるはずのThe Spectatorのブログ氏も、この主張については、stupid(愚か)、bone-headed(まぬけ)、ill-judged(判断ミス)、morally obtuse(道徳的に鈍感)、tone-deaf(音痴)、politically obnoxious(政治的に不愉快)、emotionally unintelligent(感情的に頭が悪い)等々、考えつく限りの悪口雑言で罵倒しています。なぜここで「音痴」が出てくるのかよく分からないし、「感情的に頭が悪い」というのはどういうことなのかも分からないけれど・・・。ひょっとすると「感情的で頭が悪い」(emotional and unintelligent)ってこと?

▼The Spectatorに出ているNRAのステートメントですが、確かに理解不可能ですね。要するに、この世の中には気が狂った悪魔のような人間がたくさんいるのであり、子供らを悪魔の手から守るためには武装警備隊を各学校に配備するのがいちばんだと言っているのですね。むささびによると、コネチカットも含めてこのような銃乱射を起こすのはNRAが言うような「本物の怪物」(genuine monsters)ではなく、何らかの理由で「怪物」のような衝動に駆られてしまった、ごく普通の人たちなのですよね。誰でもなり得るということであり、NRAが言うような「武装警備隊」の中にだって「怪物的衝動」に駆られる人だって出てくる。だからこその銃規制ではないか・・・というわけで、英文のmusasabi journalにも記事を掲載してみました。

▼そもそも、220年以上も前の「合衆国憲法修正第2条」なるものの条文がなぜいまも通用するのか?当時の植民地支配者である英国人によるアメリカ人民への攻撃から身を守るというけれど、いまのアメリカには植民地支配者も独裁者もいないのに、です。どうも分からないので、アメリカの友人に聞いてみたところ、「大統領が独裁者になって人民を支配する」という発想は必ずしも200年前のことだけではなく、現在のNRA(全米ライフル協会)にもあるとのことで、オバマさんが大統領に選ばれたとき(一期目も二期目も)は銃の販売が急増したのだそうです。理由は二つ。一つは彼が銃規制を行う可能性があるというわけで、いまのうちに買っておこうというものですが、もう一つは彼が黒人大統領であるということなのだそうであります。"Sad... but true"(悲しいけれど本当のことだ)と私の友人が言っています。

▼ところで、英国における銃規制ついていうと、いまから16年前の1996年、スコットランドのDunblaneというところで今回と同じような銃乱射事件があり、児童と教師16人が射殺された。この事件をきっかけに銃規制を求めるSnowdropという運動が始まり、97年にブレア政権の下で重火器に関する修正法(Firearms Amendment Act)という法律ができて個人がハンドガンを所有することが禁止され、現在ではセミオートマチックの所有も禁止されています。


▼最後に銃の所有や銃犯罪に関する国連麻薬・犯罪局(United Nations Office on Drugs and Crime: UNODC)がまとめた世界178カ国における銃に関連する数字をいくつか紹介しておきます(詳しくはここをクリック)。
  • 人口100人あたりの銃所有率:ダントツはアメリカで100人中88人が銃を所有している。第2位はかなり離れてイエメンの54.8人です。英国は6.2人(88位)、日本は0.6人(164位)となっています。日本より少ない国は、北朝鮮、バングラデッシュ、フィジー、ガーナ、インドネシアなどが挙げられています。
  • 銃による殺人件数:トップはアメリカではなくてホンジュラスの10万人あたり64.43人。アメリカは28位で2.97人となっています。日本は0.01人、英国は0.07人となっています。

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5)メルケルがドイツ人に愛されるわけ
 

前回のむささびジャーナルでサッチャーさんを紹介したけれど、ヨーロッパにはもう一人、女性リーダーがいますよね。ドイツのアンゲラ・メルケル首相です。首相に就任したのが2005年11月、2009年に再選されて現在にいたっているのでもう7年も首相の座にいることになる。次なる選挙は2013年、おそらく再選されるので最終的には12年ということになり、サッチャーさん(1979年5月~1990年12月=11年半)を超えることになる。

ロンドンのthink-tankである欧州改革センター(Centre for European Reform)のドイツ人、Katinka Barysch副所長が、英国のProspectという雑誌の最新号で
というエッセイを書いています。「天才メルケルが、ドイツ人に愛され、ヨーロッパには嫌われているのはなぜか?」というわけですね。メルケルをそれほどは知らないかもしれない英国人読者のためにドイツ人が書いた短いエッセイですが、私(むささび)は英国人以上にメルケルのことは知らない。というわけで、Baryschのエッセイ紹介の前に日本の外務省のサイトに出ているメルケル情報を簡単にまとめておきます。

メルケルさんは1954年7月17日生まれだから58才ですね。ハンブルク生まれなのですが、誕生の翌年(1955年)、父親(牧師)の転勤により旧東独テンプリン(ブランデンブルク州)へ移住している。ライプツィッヒ大学にて物理学専攻、旧東独科学アカデミー付属物理化学中央研究所研究員を務めたりしている。「理科系」という点ではサッチャーさん(オックスフォードで化学専攻)と似ている。父親が牧師というのもどこか似ている。1990年に連邦議会議員、2005年に首相に就任、2009年から2期目に入っている。

で、いまのメルケルさんですが、ユーロ危機の関連でギリシャのメディアはヒットラーになぞらえ、英国の雑誌、New Statesmanは「欧州で最も危険な指導者」(Europe’s most dangerous leader)と決めつけたりしている。それもこれもユーロ危機に際してメルケルが加盟各国に緊縮財政を求めていることに関係している。英国ではメルケルこそがユーロの破壊者だという声も強い。

しかし(Katinka Baryschによると)メルケルさんはドイツでは「ダントツの人気政治家(the most popular politician bar none)」なのだそうです。人気の理由はいろいろあるけれど根本的には好調なドイツ経済です。いわゆるユーロ危機の始まりからこれまでドイツの生産性(output)は8%の上昇を記録、輸出企業も好調、失業率は記録的な低さ(record low)というわけです。前任者のシュレーダー首相が推進した労働者の賃金を低く抑える労働政策などの成果がいまになって出ているとのことです。が、なんといってもメルケルさんがドイツ国内で受けている政策的な理由はユーロ危機への対処だそうで、ギリシャを始めとする南欧諸国の救済にドイツの納税者のお金を使わないという厳重な姿勢で臨んでいることです。

Baryschが次に挙げているのがメルケルさんの個人的なライススタイルに関係する理由です。暮らしているのはベルリンの地味なアパート、近所のスーパーで買い物する姿がしょっちゅう見られる。さらにバイロイト音楽祭でのオペラ鑑賞で着用したドレスは4年前と同じものだったり・・・。質素倹約(frugal)というドイツ人気質をそのまま持っているし、携帯電話によるメールに凝っているような部分も「普通の人」ということで受けている。さらに政治家としては用心深い方で、あまり大きなことは言わない。「少なめに約束、実行は大きめ(under-promise and over-deliver)」というやり方で、反対派の悪口は絶対に言わない。

ただメルケルの人気を考えるうえで最も重要なポイントは、彼女が「ドイツ政治の縮図(epitome of German politics)」であるということなのだそうであります。特に戦後のドイツ政治で最も大切にされたのは「慎重さとコンセンサス」(caution and consensus)であり、「急速かつ性急なものの決め方」(prevents rash decision-making)を避けるということだった。メルケルが特に得意とするのは、いろいろな人の意見をまとめるということなのだそうです。
  • ドイツ人はコンセンサス(合意)を創り出す能力があるということがリーダーにとって大切であると考える。小選挙区制とか党首討論のような敵対的な政治に慣れている英国人にはこのあたりを理解することが不可能なのである。
    Germans think the ability to create consensus is important for leadership. For Britons, accustomed to the adversarial politics of first-past-the-post voting and prime minister’s question time, this is almost impossible to understand.
とBaryschは言います。彼女によると、メルケルのような政治家は英国ではうまくいかないであろうし、ドイツ人の多くは英国のリーダーについて「大口叩き・直情的・不必要に戦闘的」(loud-mouthed, impulsive and unnecessarily combative in style)であると思っているとのことであります。ドイツでは英国のような完全小選挙区制ではなく小選挙区比例代表併用制という選挙システムがとられています。これは「比例代表制を主に、小選挙区制の要素を加えた制度」なのだそうです。

メルケルさんは、ユーロについては現実主義者(pragmatist)であり、欧州統合がドイツにとって経済的・政治的な利益になると信じていはいるけれど、古ぼけた「連邦主義者」(bleary-eyed federalist)ではない。その意味ではメルケルさんはコール元首相やゲンシャー元外相よりも、英国の政治家に近いかもしれない、とBaryschは言います。つまり何でもかんでも統合ヨーロッパではないということです。ということは、ドイツの利益のためなら断固として立ち上がるということです。そしてBaryschは
  • このような主張する新しいドイツによって、メルケルの支持率は国内的には高くあり続けるだろうが、他のヨーロッパ諸国とは摩擦もあるだろう。
    This new German assertiveness will keep Merkel’s approval ratings up at home but it will put her at odds with other Europeans.

と述べています。ドイツの雑誌、Spiegel(英語版)にMerkel's Dispassionate Approach to the Euro Crisis(ユーロ危機の臨むメルケルの冷徹さ)という記事が出ています。メルケルのことをA Cold Heart for Europe(ヨーロッパの冷たい心)と言っているのですが、とにかく現在のヨーロッパの運命はメルケルが握っていると言われており、ドイツ歴代首相の中でメルケルほどの影響力を保持している人はいないのですが、
  • にもかかわらず皮肉なことに彼女の前任者の中で、メルケルほどEUに対して冷徹なドイツ首相はいなかった。メルケルは違うのだ。
    And yet, ironically enough, none of Merkel's predecessors were as dispassionate about the European Union as the woman currently governing from the Chancellery. Merkel is different.

のだそうです。

▼恥ずかしながら、私はドイツのことは全く分かりません。だからこの記事の筆者が「ドイツの戦後憲法が慎重でコンセンサスを尊ぶ政治家を生んだ」と言われてもいまいちぴんとこないのでありますが、コンセンサスには「全体をまとめよう」という意味合いがある。ドイツではそのようなリーダーが好まれる、とこの筆者は言っている。ただネットで調べたメルケル語録の一つとして
  • この国は初めてドイツ型コンセンサス政治をぶち壊そうとする過激派によって統治されるだろう。
    “the country will for the first time be governed by a radical who... will try to destroy the German model of consensus politics.”
というのがありました。

▼この「過激派」は自分のことですよね。この発言がいつ行われたのかが分からないのですが、おそらく首相になりたてのころ、従来型の政治はやらない、という意気込みで放った言葉だったのかも?英国のサッチャーさんもコンセンサス政治を嫌っていましたよね。サッチャー語録に
  • To me, consensus seems to be the process of abandoning all beliefs, principles, values and policies.(私にとってconsensusは、あらゆる信念、原則、価値観そして政策を捨ててしまう過程のことを意味するように思える)
  • というのがあります
▼このコメントはサッチャーに党首の座を譲ったエドワード・ヒースが、サッチャーのやり方は独裁的だと批判したことに応えるものだった。全体をまとめるために個人の信念や価値観を捨ててしまうのは良くないことだと言っている。メルケルもサッチャーも「従来型」に対するアンチとしてコンセンサス政治を批判したのでしょう。ただ、これをもって普通の英国人がコンセンサス政治嫌いということにはならないと思います。英国人は対立嫌い、というのが私の見るところです。


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6)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 
common sense:常識

コネチカット州の銃乱射事件に関係して、アメリカのニュース番組のキャスターをやっているPiers Morganという英国人のジャーナリストが番組内で「銃を規制すべきだ」という意味の発言をしたところ、これに反発するグループが「Piers Morganを国外追放せよ」という署名活動を始め、かなりの署名を集めたという報道があった。その後どうなったのか知りませんが、この署名活動についてMorgan自身は自分のツイッター上で次のように語っています。
  • Wanting America to ban assault weapons & high-capacity magazines isn't 'anti-constitutional' - it's called 'common sense'.
「アメリカが銃規制をすることを望むのは憲法に反していることにはならない。銃規制の意見は"常識"というものだ」と言っている。私はcommon senseを「常識」と訳したけれど、似たようなことを意味する英語にreceived wisdom(conventional wisdomとも言う)というのがありますね。これを定義すると
  • knowledge or information that people generally believe is true
となる。「多くの人が真実と信じている知識・情報」ということですが、このあとにalthough in fact it is often falseというのがつく。「往々にして誤りであることが多い」というわけです。つまり「多数意見」という意味での「常識」ですね。ちなみにネット辞書によるとcommon senseという英語の英訳は
  • Sound judgment not based on specialized knowledge(特殊な知識を基にしているわけではない健全なる判断)
です。つまり普通に考えて理にかなっているような判断とか思慮分別のことです。

日本語の会話では、「常識」を二つの意味で使い分けている。「常識を疑え」とか「あいつは常識的だ」というと、「ありきたり」とか「新鮮味がない」という意味であり、「あの人は常識人だ」「あいつには常識がない」というと「思慮分別」ということになる。でも英会話の中でcommon senseという言葉を使うときは「思慮分別」のことのみを指すということは分かっておいた方がいい。「ありきたり」という意味はない。

Piers Morganによると、銃規制はcommon senseということになるけれど、この人のツイッターに寄せられた罵詈雑言の数々を見ると、アメリカでは必ずしもそうではないようであります。それと、この人の国外追放運動のきっかけになったテレビ番組はここをクリックすると見ることができますが、インタビューの相手(銃所有者協会会長)に対して"You're an unbelievably stupid man, aren't you?"(あんたって信じられないほどのアホですね)と言ったりして挑発しています。Morganはかつては、The SunとかNews of the World、さらにはDaily Mirrorのような英国の代表的な大衆紙の記者や編集長をやっていたのですね。どうりで挑発的な物言いをする・・・。

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7)むささびの鳴き声
▼銃規制に反対するアメリカ人のエッセイなどを読んでいると、私の友人のアメリカ人が「悲しいけれど現実」というのが分かりますね。自分たちは正義の味方だから銃を持つべし、ということにこれっぽっちも疑いを持っていない。人間、少しは自分に対する疑いの気持ちってものがあるのが正常だと思うだけに彼らと自分との間に横たわる溝の大きさに本当に絶望的になります。

▼ただ、この絶望感は日本においても感じますね。それは「日本は核武装すべきだ」などとマジメに言っている人々に対して感じるものです。その根底にあるのは、アメリカの銃規制反対派や中国の「愛国者」の被害妄想と同じで「やらなきゃやられる」というコンプレックスです。今回の二番目に紹介した西川恵さんのいわゆる「公共益」とは全く無縁、何も生まれない殺伐とした劣等感の世界です。

▼ジャーナリストの壱岐一郎さんが朝日新聞の紙上で「同世代の石原氏の言動を危ぶむ」と言っています。壱岐さんも慎太郎氏と同世代で「戦争経験が身にしみて」おり、尖閣をめぐる石原さんの言動を「無邪気」であるとしています。壱岐さんも石原さんも終戦のころ15才くらいだったはずです。私(4才)よりははるかに戦争を直接経験している人たちです。なのに壱岐さんは現行の日本国憲法を「人類の知恵の集積」と呼び、石原さんは「占領軍から押し付けられたもの」と言っている。石原さんは被害者意識・対米劣等感、壱岐さんは「理想主義」の眼で同じ憲法を見ています。壱岐さんは「日本の各界はかつての作家・評論家に遠慮して強く批判しないだけ」と言っている。そんなこと、本当にあるのでしょうか?

▼毎日新聞客員編集委員の岩見隆夫さんがサンデー毎日12月30日号の「サンデー時評」というコラムに書いた「『とりあえず自民しか』なんだよ」というエッセイが毎日新聞のサイトに出ていました。岩見さんは今回の選挙で自民党に投票したのですが、その理由は「引き算」なのだそうで、「まず、民主党を引いた」と言っています。いわゆる「消去法」というヤツです。なぜ民主党が消去されたのかというと
  • 政権与党として国を担う責任感覚と気概を欠いていることが次第に明白になる。とにかく、セコイのだ。バラマキ政策で、バラマかれたいという国民、特に弱者の安直な依頼心を吸い寄せようとする。自律・自助によって社会を立て直さなければならない時に、大衆迎合に走る。

    とのことであります。
▼岩見さんは政権交代があった2009年の選挙では自民党を消去して民主党に投票した。あのころ後期高齢者医療制度問題や宙に浮いた年金騒動で世間が「猛反発」して「唖然とさせられた」ということで、岩見さん自身、
  • 自民党という政党は、国民感情と別のところにいってしまった、という絶望感のようなものが先に立った。

    というわけで民主党に。
▼要するに2009年も2012年も「消去法」で投票したのであり、積極的に自民や民主を支持したわけではない。この人は1935年生まれだから終戦のころは10才だった。私と壱岐・石原世代の間です。岩見さんが現行憲法や核武装などについてどのような考えをお持ちなのか、私には分からないのですが、安倍さんの「国防軍」論については
  • 国防軍は右傾化でも危険でもない。自衛隊は〈隊〉でなく、正しく〈軍〉と言い換えようという当然の話で、それを認めようとしない風潮のほうが危なっかしい。

    と言っています。
▼もちろん「自衛隊」を「国防軍」にするということは、単に名前の変更のことを言っているのではなく、「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」のような理念を放棄して、「いざとなったら戦争もありですよ」という「普通の国」になりましょうということです。そのことの善し悪しについて岩見さんは「論争を深化しよう」と言っているだけです。自分の立場は明らかにしていない。

▼岩見さんが2009年以前の選挙でどのような投票行動をとっていたのか、私には分からない。その頃も「消去法」であったとすると、殆どの政権政党には投票しなかったはずですね。どんな政権だって完全なんてないのだから。この人のエッセイに見る限り、岩見さんが何について「ノー」と言うのかは分かるけれど、何に対して「イエス」と言うのかが分からない。私の見方によると、何に対して「イエス」と言うのかを語ることがその人自身を語ることになる。岩見さんのエッセイによると、彼が「イエス」と言っているのは「国防軍についての論争を深化する」という当たり前のことだけです。彼がイエス、ノーを言わなければならないのは、核武装も含めて、安倍さんの「国防軍」がもたらすものについてです。

▼だらだらと失礼しました。Have a fantastic new year!

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