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259号 2013/1/27
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

なんだかよく分からないうちに1月も終わりです。あと数日でプロ野球がキャンプイン、うちの近くの梅の花が咲いて、クロッカスやスノードロップも顔を出して・・・同じことの繰り返しではあるけれど、72才ともなると、その繰り返しが嬉しいわけです。

目次

1)風力発電の犠牲者
2)フィンランド流の「寡黙」を説明する?!
3)英国人と体罰
4)欧州のエネルギーはアルジェリア頼み
5)対EU関係の将来を語ったキャメロン演説
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声

1)風力発電の犠牲者

 
保守派のオピニオンマガジン、The Spectator(1月5日)にオックスフォード大学で環境学の講師を務めているクライブ・ハンブラー(Clive Hambler)という人が
  • 再生可能エネルギーがもたらす環境へのショッキングな犠牲
    The shocking environmental cost of renewable energy
というエッセイを寄稿しています。このエッセイで特に指摘されているのが風力発電の風車によって鳥たちが死んでいるということで、
  • 野生動物の絶滅は深刻な問題である。世界中で一日40種類の野生生物が絶滅している。なのに環境保護論者たちは、野生生物絶滅の工程を早めるような技術を採用するようにと薦めている。これらの技術の中でも最も破壊的といえるのが風力発電に伴うものである。
    Species extinction is a serious issue: around the world we’re losing up to 40 a day. Yet environmentalists are urging us to adopt technologies that are hastening this process. Among the most destructive of these is wind power.
と述べています。昨年(2012年)3月現在、英国内にはざっと4100基の発電用風車が存在しており、再生可能エネルギーの開発を促進するRenewableUKという団体によると、イングランドだけで約1800基、英国全体では8500基の風車の新規建設が予定されている。またGlobal Wind Dayというサイトによると2011年末の時点における世界全体の風車数は199,064だそうです。

クライブ・ハンブラーは、スペイン鳥類保護協会(SEO/Birdlife)の調査を紹介しているのですが、それによると風力発電用の風車に衝突して死んでしまう鳥とコウモリの数は、スペインだけで少なくとも年間600万羽~1800万羽にものぼっていると言っている。これは鳥とコウモリを併せた数ですが、コウモリの死亡数は鳥の約2倍と推定されるから、スペイン国内にある風車(約18,000基)一基当たり年間110~330羽の鳥と200~670匹のコウモリが殺されていることになる。

ハンブラー氏はさらにカリフォルニア州エネルギー庁(California Energy Commission)が約10年前(2002年)に発表した統計を挙げて、1993年に風車で死亡した鳥の数は風車一基あたりドイツで309羽、スウェーデンでは895羽に上ったという数字もあると指摘している。

風車が鳥類やコウモリたちに与える被害について、風力発電推進派は「鳥類はすぐに風車の存在に慣れて、これを避けて飛ぶようになる」(birds will soon adapt to avoid turbine blades)と主張しているらしいのですが、ハンブラー氏は「そのような主張は生物の進化に要する時間を全く知らない人間の言うことだ」として
  • 鳥類は何ものにも邪魔されることなく空を飛ぶ生活を何百万年も続けているのだ。彼らが自分たちの習慣をたった数か月で変えるなどということはほとんどあり得ない。
  • Birds have been flying, unimpeded, through the skies for millions of years. They’re hardly going to alter their habits in a few months.
と退けています。

一方、昨年4月に約1000人の英国人を対象に行われた風力発電に関する世論調査によると、66%が「強く支持」(strongly in favour of)もしくは「どちらかというと支持」(tended to favour)と答えており「反対」の8%を大きく上回っています。また3分の2が風車が景観に与える影響について「許容できる」(acceptable)と言っています。

▼「風車は鳥類やコウモリを絶滅させる」というクライブ・ハンブラーの意見が正しいのかどうかは分からないけれど、エネルギー問題や環境保護の問題を、人間以外の生き物の福祉という観点から考える態度は正しいと思いません?風力発電をすると二酸化炭素の発生は少なくなり、それは人間にとっていいことかもしれないけれど、それでまさかの衝突で死亡する鳥やコウモリのことはどうするつもりなのか?

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2)フィンランド流の「寡黙」を説明する?!
 
フィンランドのテレビ局、YLEのサイト(英語版)に「アメリカ人の専門家によると、フィンランド人の静けさは貴重な資質にもなり得る(Finnish silence can be golden, says American expert)という記事が掲載されています。フィンランドのトゥルク大学で異文化間コミュニケーションを研究しているMichael Berryというアメリカ人によると、寡黙なフィンランド人は饒舌な外国人によって「自信がないからだ」と誤解されている部分があるのだそうで、フィンランド人は静かさの文化に誇りを持つべきであると言っている。
  • フィンランド人は相手の言うことに耳を傾けることで関心を示し、アメリカ人は質問したり、口をはさんだりすることで関心を示す。
    A Finn often demonstrates interest by listening, while an American asks and interrupts.
たとえ話ですが、あるアメリカ人がフィンランドからの訪問客をクルマでアパラチア山脈の素晴らしい景色が見えるところへ案内したところ、フィンランド人はただ黙って景色を見ているだけだった。案内したアメリカ人はあまりいい気持ちがせず「何が気に食わないのか」と問いただしたりしてドライブも台無しになってしまった。
  • もしそこにもう一人フィンランド人がいたならば、その客が美しい景色を称賛しているのだということが分かったはずだ。ただフィンランド人らしく、寡黙のうちに称賛していたということである。
    Another Finn would, however, have understood that the guest was just admiring the scenery in silence, in the typically Finnish way.

このアメリカ人によると、フィンランドの人たちには 'positive silence'(肯定的沈黙)とか 'active silence'(能動的沈黙)というものがあるけれどこれを外国人に説明するのは難しいのだそうです。静かだけど能動的な人物(a quietly active person)という概念ですね。
  • そのような人物は時として他人が喋っているときは聴いたり、考えたりしているものであるが、自分が話す番が回ってきたと思ったら口を開いてディスカッションに加わる。フィンランド人はこの種の沈黙を理解することができるが、他の文化で育った人々の中には心地よしと思わない人もいる。
    Such an individual often listens and thinks while others talk. However, they open their mouths when it’s their turn to talk and express something relevant to the discussion. Finns are able to interpret this kind of silence, but it is difficult for other cultures to be comfortable with it.
なぜフィンランド人は寡黙なのか?このアメリカ人によると、フィンランドという国が豊かになったのは、ここ半世紀程度のことであり、彼らの寡黙さのルーツを知るためにはそれ以前のフィンランド、工業化前、貧困にあえいでいたフィンランドにまでさかのぼる必要がある。そのころのフィンランド人の生活の中で「ちょっとしたお喋り」(small talk)など無用なものであった。とにかく食卓のうえに食べるものがあるようにする・・・人生における最大の重要事項はそれだった。

アメリカ人のBerryの眼には、フィンランド人にとって森は「静かに瞑想にふけりながらリラックスする場所」(quiet, thoughtful and relaxed)であり、会話に花を咲かせるような場所ではないと映っているのだそうで、彼によると「フィンランド人はサウナでさえもそれほど会話はしない」のだそうであります。

お喋り文化で育った人間にはフィンランド流の静けさは理解できないかもしれないけれど、Michael Berryに言わせるならば
  • フィンランド人の静けさは自然・自分・他者の間における調和を保つための方法なのである。フィンランド人にとって「積極的に相手の言うことに耳を傾ける」ということと、他人を尊重する一方で自分も話をするということの間を行ったり来たりすることは自然なことなのだ。
    Finnish silence is a method of preserving harmony with nature, oneself and others. It's natural for Finns to move between fluent active listening and speaking while respecting others.

ということになる。要するにフィンランド人は重要な問題については自分の意見を言う前に深く思索を巡らせるということであります。適当な思いつきを口にするようなことはないということです。

ただMichael Berryは、フィンランド人はこれまで受け継いできた「寡黙のコミュニケーション」のようなものにこだわり続けるべきではないと考えています。特に「能動的な沈黙」という文化の外から来た外国人にはそれを説明するべきであると言っています。

▼確かに私の知る限りにおいては、英米人に比べるとフィンランド人は静かというか寡黙というか・・・。このYLEの記事を知り合いのフィンランド人に見せたところ、フィンランド人の寡黙さの理由の一つとして、約800年間におよぶ外国支配があるとのことです。最初の700年はスウェーデンに、あとの100年間はロシアに支配されていた。その間フィンランド人はフィンランド語と支配者語(スウェーデン語かロシア語)を使うバイリンガルだったのですが、支配者の前では下手くそな支配者語を使うよりも沈黙する方が多かったというわけです。

▼Michael Berryの揚げ足をとることになるのですが、フィンランド人に対して「寡黙を説明しろ」と言うことは、その部分だけ寡黙文化をギブアップしろと言っているのと同じですよね。この人によるとshyとかsilentという性格は外国では社交性に欠ける(lack of social skills)と解釈されるのだそうです。彼の言う「外国」というのはおそらく英米中心の世界のことであろうと推測するのですが、日本でも「男は黙って」とか「無言実行」という具合に寡黙はそれほどダメなこととは思われませんよね。悪意はないのしょうが、英米人にはBerryのようなお節介焼きが結構いますね。

▼私の知り合いのフィンランド人が言うのに、一緒のクルマに同乗するのならアメリカ人よりも絶対に日本人の方がいいとのことです。アメリカ人と一緒にいると、何か喋らなければいけないという気持ちになって疲れてしまう。日本人だとその心配が要らないのだそうです。

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3)英国人と体罰
 

大阪の高校生が「体罰」を受けた翌日自殺したということがあって、英国の学校ではどうなっているのか気になって、教育専門誌のTimes Educational Supplement (TES)のサイトを見ていたら、2008年10月3日号で体罰(corporal punishment)がトップ記事として掲載されていました。なぜ体罰問題がこの号のトップにきたのかというと、その10年前(1998年)に小学校・中学校における体罰が全面的に禁止されたということがあったからです。英国では1987年に公立学校における体罰が禁止されており、98年に私立学校における体罰も禁止された。2008年は体罰の全面禁止10周年という年であったということです。

ネット情報によると、日本には昭和22年(1947年)にできた「学校教育法」というのがあって、その第11条において、教師は「教育上必要があると認めるとき」は生徒に「懲戒」を加えることができるけれど、「ただし、体罰を加えることはできない」となっています。何を称して「体罰」というのかという定義の問題はさておき、英国の公立学校で体罰が禁止される40年前に日本では「体罰を加えることはできない」という法律があったということです。

英国における体罰反対の運動は1968年に、ロンドンの公立小学校の教師が「体罰に反対する教師の会」(Society of Teachers Opposed to Physical Punishment:STOPP)を立ち上げたことに始まってはいたのですが、全面禁止になるまでに20年かかっている。体罰の存続を支持する世論が強かったということで、1980年代中ごろの世論調査では60%の親、50%の教師が鞭打ち(caning)の体罰に賛成しており、教師組合の幹部でさえも、教師から鞭を取り上げるのは、「フォードの自動車工場の労働者からスパナーを取り上げるようなもの」(a Ford worker having his spanner taken away)などと発言したりしていた。

そんな中で1987年に公立校における体罰禁止法が国会を通過したのですが、賛成231票・反対230票というぎりぎりの票差だった。禁止法を提案したのは保守党政権(Kenneth Baker教育大臣)だったのですが、実は保守党には反対意見がかなりあった。ただ表決の日、ロンドン市内がアンドリュー王子とサラ・ファーガソンの結婚式の準備の影響で大交通渋滞、これに巻き込まれた反対派の議員が時間までに国会に来れなかったということで、かろうじて通過したというエピソードも残っているのだそうです。

英国における体罰禁止の歴史の中で画期的な出来事となったのが、1982年にスコットランド人の母親二人が、学校における自分の子供たちへの「しつけ」に関連して欧州人権裁判所(European Court of Human Rights)に対し
  • 両親の意に反して子供を殴打するのは人権侵害にあたる
    Beating children against a parent's wishes is a violation of their human rights.
とする訴訟を起こしてこれが支持されてしまったことにあるとされています。体罰が「教育」というよりも「人権」問題として語られるようになった。この判決後英国では似たような訴えが相次ぎ、政府としても体罰問題に何らかの行動を起こさざるを得ない状況に追い込まれてしまった。

体罰が禁止される前にその必要性を主張していた、ある教員組合の指導者は、退職後のいまでも鞭打ち体罰は必要だという意見なのですが、TES誌とのインタビューに答えて「誰も好き好んでやっていたわけではない。教室の規律を保つためにはそれしかないという状況があったのだ」として
  • 反対派は、体罰などすると教師と生徒の関係が壊れてしまうと言うけれど、そんなことは一度もなかった。自分が体罰を与えたケースのほとんどの場合”これでこの問題はオシマイにしよう。悪く思うなよ”と子供に言ったものだ。すると生徒は”悪く思ったりしません。自分が悪いのですから”と言ったものだ。
    The opposition said it harmed your relationship with pupils, but I never found that to be so. On most occasions I would say afterwards, that’s the end of the issue and I hope you won’t hold it against me. And the pupils would say: ‘No, I deserved it’.
と振り返っています。

TESのエッセイによると、20世紀の英国では学校のみならず社会全体で公益の保護のためには肉体的な罰則もやむを得ないという雰囲気があった。例えば刑務所における囚人に対する体罰は当然と考えられていたし、教師向けの雑誌には鞭の広告まで掲載されていたのだそうです。

体罰が全面的に禁止されたときに労働党政権の教育大臣だったデイビッド・ブランケット(David Blunkett)は自分自身が体罰を受けて育った人間であり、そのときの時代の雰囲気も実体験として理解しているとしながら、なぜ英国では長い間これが禁止にもならずに続けられていたのかについて
  • 長い間にわたって政府のトップレベルが私立学校出身者によって占められており、彼らはいかなる禁止も自分たちの個人の権利の侵害にあたると感じていたのだ。
    For a long time the Government at the highest level was dominated by those who’d experienced private schooling and felt any ban was an infringement of their private rights.
と指摘しています。

▼ブランケット教育大臣のこのコメントは非常に鋭いですね。しばしば言われるのは、英国の教育の問題点は私立と公立の格差にあるということです。「格差」というよりも「隔絶」と言った方がいいのかもしれない。体罰の禁止が最初は私立には適用されなかったというのがその象徴です。ブランケットのように労働者階級の見本のような育ちの人には、私立学校出身者は、ちょっとでも自分たちの伝統を犯されそうになると、どんな改革にも反対する・・・と映ったとしても不思議ではない。

TESの記事とは直接関係ありませんが、英国における教育を語るときに必ず出てくる「巨人」としてBridget Plowden(1900年~2000年)という人がいます。1967年、彼女が委員長となって作成した「小学校教育に関する教育審議会報告書」(Children and their Primary Schools)は、当時の英国の小学校教育に関する様々な改革を提言したもので、彼女の名前をとってPlowden Reportとも呼ばれています。1000ページ以上にもおよぶものなのですが、それを貫いている哲学は「子供中心の教育」(child-centred education)というものだった。このことについてはむささびジャーナル103号でも紹介してあります。

このPlowden Reportの中に子供たちに与えられる罰について次のように語っている部分があります。
  • どのような罰が与えられるべきなのかは疑問の余地が残る部分ではある。ほぼ躊躇することなく申しあげられるのは、罰が子供の自尊心を傷つけるものであってはならないということである。場合によっては、子供たちを謙虚にさせるものであるべきであるとしても、である。
    What kind of punishment should be given is more open to doubt. We have little hesitation in saying that punishment ought not to humiliate a child, though it sometimes ought to humble him.

ヨーロッパにおける体罰の歴史を見ると、ポーランドで1783年に、イタリアでは1860年、ロシアでは1917年に禁止されており、英国は西欧の国の中では体罰禁止が最も遅かった国となっています。また2008年にTESが教師を対象に行ったアンケート調査では5分の1が体罰の復活を望んでいるという結果が出ています。また2011年に行った親を対象にした調査でも体罰容認派が49%で、反対派の45%を上回るという結果になっています。

▼Plowden Reportは小学校教育に関するものなので、中学生や高校生への体罰とは直接関係はありません。が、この部分で言われているto humiliate(自尊心を傷つけること)だけは避けなければならないということは、年齢と無関係に当てはまるのではないですか?to humble(謙虚な気持ちにさせる)ということとは本質的に異なるものです。

▼TESが語っている「体罰」は、もっぱら行儀の悪い生徒、教室の秩序を乱すような子供に対するもので、いま大阪の高校で問題になっているものとは本質的に違う(と思います)。私の知る限りにおいて、大阪の例の場合、「体罰」を与えた顧問はチームを強くしたいという気持ちでやってしまった。いわゆる「しごき」なのでは?


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4)欧州のエネルギーはアルジェリア頼み

 

Financial Times(FT)カイロ支局のHeba Saleh記者によると、アルジェリアのガス生産関連施設で起こった人質事件は、アルジェリア政府があのエリアにおけるアルカイダ勢力の拡大を過小評価した(The progress of al-Qaeda radicals was underestimated)ことに原因があるのだそうです。同政府の対応はBloody past shapes fortress Algeria’s reflex(血まみれの過去が要塞国家アルジェリアの行動様式を規定する)ものなのだそうであります。

アルジェリアという国があること、1960年代にフランスとの間でアルジェリア紛争というのがあったことなどを聞いたことはあるけれど、この事件が起こるまでは全く意識の中にありませんでした。フランスから独立してから約30年後の1990年代になってイスラム原理主義過激派によるテロ活動があって内戦状態に陥り、その過程で20万人もの犠牲者を出したのだそうですね。

Saleh記者によると、チュニジアやエジプトを席巻した「アラブの春」的な改革運動はアルジェリアでは起こらなかった。その理由は、アルジェリア人の間で90年代のテロおよび内戦状態に対するトラウマがあって改革には消極的にならざるを得なかったということです。

  • アルジェリアは北朝鮮のような引きこもり国家ではないが、どこか怪しげな諜報機関が支配する正体不明の体制を有した国であり、おせっかいな世界(meddling world)からは距離をとっている。
    Algeria is not insular in the way North Korea is. It is, however, a country with an opaque regime dominated by a shadowy intelligence service that is eager to keep its distance from a meddling world.
アルジェリアはどちらかというと閉鎖的な経済政策を採用してきており、経済の柱である石油・ガスの開発をめぐって外国の投資企業に門戸を開きつつあるけれど、その関係は「とげとげしい」(prickly)状態にあるのだそうです。石油・ガスのおかげで外貨準備も2000億ドルに上っており、欧米との交流も拒絶しがちな「要塞国家」(fortress Algeria)の様相を呈している。

今回の人質事件が悲劇的な終わり方をした直後にアルジェリアの石油大臣(Youcef Yousfi)が発表した声明は

  • アルジェリアは外国の警備会社が警備員をアルジェリアに送り込むことは許さない。
    Algeria would not allow any foreign security firm into the country to guard its oil installations.

という内容のものだった。自分たちの施設は自分たちで守る、アルジェリア政府による警備のあり方に干渉はさせないということですね。この大臣はまた、いったんはスタッフを引き揚げてしまった外国企業も将来は「必ずアルジェリアに戻ってくると確信している」とも述べたのだそうです。

ずいぶん自信があるように見えるわけですが、このあたりのことについて、アメリカのStratforというThink-tankのサイトに出ていた「ヨーロッパにおけるアルジェリアの天然ガスの戦略的重要性」(Strategic Importance of Algerian Natural Gas)という記事を読んで、少しばかり納得が行ってしまった。

アルジェリアという国は、EU諸国に対する天然ガスの供給国として非常に重要な役割を果たしているのですね。現在のEUにおける天然ガスの年間消費量の10%がアルジェリアからの輸入なのですが、特に英国、フランス、スペインの三国にとっては大切な供給元となっている。その背景にあるのは、これまでEUにガスを供給してきた北海のガス田の生産量が頭打ちになっており、これまで北海における天然ガスの生産国であった英国、オランダ、ノルウェーのうち英国、オランダは10年以内に輸出を停止することになると予想されている。英国はすでに輸入国になっている。

となると頼みの綱はロシア、カタールに次ぐ世界第3位のガス輸出国であるノルウェーです。現在でもヨーロッパにおける天然ガスの年間消費量の全体の19%を賄っている。が、これも2015年あたりから急激に減るとされている。となると将来はアルジェリアがノルウェーにとって代わる天然ガスの供給国となる可能性もあるというわけです。特にフランスの場合、天然ガスの45%をノルウェーとオランダから受け取っているのだから、北海のガス田にとって代わる供給元をアルジェリアに求めているのだそうです。アルジェリアにおける天然ガスの推定埋蔵量は4兆5000億立米、アフリカではナイジェリアに次いで2番目、北海におけるノルウェーのガス田の2倍の埋蔵量なのだそうです。

もちろん国家収入の60%がエネルギー関連の産業から来ているというアルジェリアにとっても石油やガスのようなエネルギーは生命線であるわけですが、現在のところはガス生産国であるアルジェリアの方に力が傾いているようで、そのことが「外国の投資家はいずれは戻ってくる」というアルジェリアの石油大臣の自信に繋がっているようなのであります。

FTのHeba Saleh記者は、人質救出よりもテロリスト排除を重視した(とされる)アルジェリア政府の対応について、アルジェリアでビジネスを行う外国の石油会社の幹部のコメントを次のように紹介しています。

  • アルジェリアの対応はある意味非常に良かったといえると思う。誰にとってもはっきりさせている。(テロリストへの)譲歩は絶対にないというメッセージだ。我々はテロリストを殺す。その際に人質とテロリストを区別することはないということだ。(この姿勢を貫くことで)テロリストは自分たちが絶対に勝てないと悟るようになる。それが石油会社にとって最善の警備であるということだ。
    I think the Algerian response was in some respects very good. It won’t leave anyone in doubt. The message is ‘you won’t get any concessions and we will kill you and not distinguish between terrorists and hostages’. It is the best security an oil company can hope for because terrorists know that they will lose.

▼Stratforによると、アルジェリアのみならず北アフリカの国々が、EU(特にフランス)にとって重要な存在になっているのだそうです。例えばフランスは原子力発電に必要とされるウラニウムの70%をナイジェリアに頼っているのだそうで、この地域におけるヨーロッパ諸国(特にフランス)のマリのような国における軍事行動の背景には、エネルギー源の確保という切実な背景があるようです。

▼ところで英国のキャメロン首相が1月18日に下院で、アルジェリアにおける人質事件についての経過報告をしているのですが、その中で事件が起きてから行ったアルジェリア首相との電話会談について次のように述べている部分があります。
  • 私は(アルジェリア首相に)事件解決のために英国が持っている技術的なサポートや情報面での支援が出来ると申し出た。その中には人質関連の交渉や救援についての専門家の派遣も含まれている。
    I offered UK technical and intelligence support - including from experts in hostage negotiation and rescue - to help find a successful resolution.
▼キャメロン首相のオファーに対してアルジェリアの首相がどのように反応したのかには触れていませんが、FTの記事からしても、それを英国の支援を受け入れるなどということはあり得ないハナシですね。

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5)対EU関係の将来を語ったキャメロン演説
 
1月23日、デイビッド・キャメロンがロンドンで行った「英国とEUのこれから」についての演説については日本のメディアでもある程度は報道されましたよね。英国がEUを脱退してもいますぐ日本には関係がないかもしれないけれど、将来的には「英国のいないEU」「EUの一員ではない英国」とでは付き合い方が違ってくることはあるかもしれない。

「むささび」でも何度かお話したとおり、1973年に当時のEECに加盟して以来、英国は40年間ヨーロッパの一員として生きてきたのですが、その間、特に保守層の間ではEUに対する反発が強く、ここ数年ユーロという共通通貨を使っている国々の経済危機を見ながら「いっそEUなんか脱退したら?」という意見が強くなっている。

特に声高なのが保守党内の反EU派で、キャメロンとしては党をまとめていくためにも何らかの形で決着をつける必要があった。一つの方法が国民投票の実施であるわけですが、これにはそれなりにリスクを伴います。投票の結果、本当に離脱の意見が勝ってしまった場合、英国はEUを離れてやっていけるのかという問題もある。

今回の演説、実は1月18日にオランダで行われることになっていたのですが、アルジェリアにおける人質事件が起こってしまい23日に延期されたものです。演説の前から英国のメディアの間では大変な関心を呼んでいました。英国が将来もEU加盟国であり続けるのかがテーマなのですが、メディアの関心は次の3点に絞られていた。
  1. この問題についての国民投票の実施を約束するか?
  2. 実施を約束するとして、どのような質問になるのか?
  3. 国民投票の実施時期について明言するか?
国民投票の実施時期ですが、「遅くとも2017年末までに(by the end of 2017 at the latest)」行われることが明言された。但し国民投票の前にキャメロン政権がEUと継続加盟の条件などについて交渉を持ち、その結果が出てからということになるとされています。

分かります?いろいろと約束したように見えるけれど、実際には不確定要素が多いのです。まず、英国では次なる選挙が2015年に行われることになっており、キャメロンが今回約束した国民投票も次なる選挙で保守党が単独政権を作れるほどに勝利することが前提となる。いまの連立相手の自民党はEU離脱は反対の立場です。労働党はそれほど明確にはしていないけれど、どちらかというと加盟継続の意見です。世論調査機関による調査を信用するならば、次なる選挙で保守党が単独政権を形成できるほどに勝てるという保障はどこにもない。

次に国民投票の前に行われる英国とEUとの交渉の結果、キャメロンが納得するような成果が得られたとして、それを条件にin/outの投票を行うということになる。その場合はキャメロンとしては「全身全霊で(heart and soul)」加盟継続のキャンペーンを繰り広げるとしている。交渉が難航してキャメロンが納得いくような成果が得られなかった場合はどうなるのかについては触れられていない。ただ国民投票そのものは実施されなければならない。キャメロンという人はもともと離脱反対なのだから、EUとの交渉結果が少々納得のいかない結果だったとしても離脱キャンペーンに加担することはない。

ただ、今回の演説でキャメロンはEUとの再交渉の結果、どのような成果が得られれば、これからも加盟国であり続けると考えているのかということについて具体的な言及は行っていないという点が問題です。それはこれから考えようということなのですが、EUに対する要求事項をめぐって英国内でさんざもめることは間違いない。

キャメロンの演説原稿はここをクリックすると読むことができますが、むささびの独断により、一か所だけポイントと思われる部分をピックアップしてみます。キャメロンのいう英国・EUの関係のあるべき姿についてヒントになると(むささびが)思っている個所です。
  • EUというものが人々に成り代わって何かをするというよりも、人々に対して何かを行う機関として見られているということについての不満が高まっている。その不満はEUの経済問題の解決に必要な対策そのものによって余計に高まっていると言える。
    There is a growing frustration that the EU is seen as something that is done to people rather than acting on their behalf. And this is being intensified by the very solutions required to resolve the economic problems.
  • 人々は、物事の決定が自分たちからますます離れた遠いところで為されていることに不満をつのらせている。それらの決定によって彼らの生活水準が引き下げられるような財政緊縮が為されているし、自分たちの税金が大陸のあちら側の国の政府の救済に使われているということへの不満である。
    People are increasingly frustrated that decisions taken further and further away from them mean their living standards are slashed through enforced austerity or their taxes are used to bail out governments on the other side of the continent.
  • このような欲求不満の高まりはアテネ、マドリード、ローマの街角におけるデモ行進、ベルリン、ヘルシンキ、ハーグの議会において見られるようになっている。そして、もちろん、EUに対するフラストレーションは英国においても極めて劇的に見受けることができる。
    We are starting to see this in the demonstrations on the streets of Athens, Madrid and Rome. We are seeing it in the parliaments of Berlin, Helsinki and the Hague. And yes, of course, we are seeing this frustration with the EU very dramatically in Britain.
自分たちが直接選んだ政府ではない機関によるさまざまな決定によって、自分たちの生活が左右されるのは我慢できない・・・という英国人が最も強く感じている不満を語りながらも、キャメロンはこれを英国や英国人だけが感じている問題ではなく、EU加盟国の国民がみんな感じていることだと主張しているわけです。英国が離脱するしないという以前にEUが変わらなければならない・・・ということをキャメロンは英国民に向かって言っている。今回の演説が英国内のメディアではかなり高い評価を受けている所以だと思います。

▼キャメロンの演説はここをクリックすると動画で見ることができます。私自身、演説の上手下手で政治家の能力を云々するのは好きではないけれど、この動画を見ると、キャメロンがかつてPR関係の仕事をしていたことが頷けます。はっきり言ってうまいのです。ブレアとかサッチャーのようなギンギラギンの主張というより、全く肩に力が入っていない親しみやすさを感じてしまったわけです。

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6)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 
lip-syncing:口あわせをする

いわゆる「口パク」ですね。本人が歌っているように見えるけれど実は事前に録音した声に口の動きを合わせているだけという、あれ。syncingはsynchronising(同調する)の略。先ごろ行われたオバマ大統領の就任式でBeyonce Knowles-Carterという女性歌手がアメリカ国家を歌ったときのパフォーマンスがlip-syncingだったのではないかとBBC(1月23日)が伝えています。

もともとThe Timesが、海兵隊バンドの関係者から聞いた「そんなこと昔からやってますよ」(We pre-recorded all music as a matter of course and have done since time immemorial)というコメントを基にして、Beyonceのそれも「口パク」だったと報道したものなのだそうです。ただ「昔からやっている」(have done since time immemorial)というのと、実際にそうであったのかは違いますよね。そのことについてBBCが取材したところ海兵隊の返事は「気温の低さ、機器類の故障その他の不慮の事故に備えて、就任式の音楽はすべて事前録音されている」としながらも
  • no-one in the Marine Band is in a position to assess whether it was live or pre-recorded.
というものであったのだそうです。海兵隊バンドとしては、あれがライブだったのか事前録音だったのかについて確認する立場にはないということであります。ここをクリックすると問題のアメリカ国家の独唱が聴けます。

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7)むささびの鳴き声
▼大阪市教育委員会が、体罰を受けた高校生が自殺した問題に関連してこの高校の体育系学科の入試中止を決めた問題について、読売新聞と東京新聞が1月22日付の社説で論じています。
▼「橋下徹市長の要請を受け入れた」となっているのですが、二つの社説のトーンがまるで違う。読売は「入試を中止せざるを得ないほどに、桜宮高の体罰問題が深刻だという(教育委員会の)判断だろう」と言って、
  • (入試中止は)勝利至上主義の下、体罰を常態化させた学校の体質を根本から変えることを重視した結論と言えよう。
  • 少なくとも、体罰を行った教師については、厳しい処分と異動が必要だ。適切な人事配置で体罰の根絶を図らねばならない。

    と主張しています。
▼一方の東京新聞は
  • 橋下徹市長の要請に市教育委員会が折れた形だ。大人の一方的な理屈で落ち度のない子どもの夢が奪われるのは残念だ。
  • 優先すべきは入試の中止ではなく、実態を調べて勝利至上主義の風潮を改め、責任を明確にして再発防止につなげることだ。

    と言っている。
▼橋下市長による入試中止要請は、体罰を容認してきたこの高校に対する「体罰」みたいなもので、読売新聞は市長による「体罰」によって高校の体質が変わるだろうと言ってこれに理解を示し、東京新聞によるとそれは「大人の一方的な理屈」であり、子供たちに押し付けるべきではないし、入試の中止が体罰容認の体質を変えることに繋がるとは限らないと言っている。

▼読売も東京も(橋下さんも)「体罰」そのものを忌むべきものとして否定しているように見えるのですが、そうなのでしょうか?この二つの新聞の社説に共通しているのは、今回の「体罰」の由来が「勝利至上主義」の風潮にあると言っている点です。

▼しかしスポーツが強いことで有名になろうとしている学校なんてどこにでもあるし、スポーツに「勝利至上主義」はつきものなのではありません?「勝利至上主義の下、体罰を常態化させた学校」なんてどこにだってあるのではないですか?スポーツのみならず生きていること自体を「勝ち負け」で語る風潮さえある。その種の「XX至上主義」はメディアの力なしに「風潮」にはなり得ない。そのメディアが「体罰の根絶」を訴えるわけですか?

▼それと・・・むささびジャーナルがこれを言っても笑われるだけなのですが、つい心にあることを言ってしまうと、読売新聞も東京新聞も「勝利至上主義」という同じ言葉を使っていることが気になって仕方ない。社説なるものを書く人たちの語彙不足・・・と笑ってしまえばそれでもいいのかもしれないけれど、むささびなどにはこれが「画一主義」(皆が同じことを言い、同じことをしていないと気持ちが悪いと感じる心の習慣のこと)のように思えてしまうわけであります。それもまた「XX至上主義」の源の一つであることは間違いない。

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