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320号 2015/5/31
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
上の写真は5月25日付のGuardianに掲載されていたもので、ミャンマーに住むイスラム系少数民族、ロヒンギャ(Rohingyas)の女性です。Guardianによると、ミャンマーでは右翼的な仏教徒の政治家によって、ロヒンギャ族のような女性を狙い撃ちしたとみられる産児制限促進法案なるものが提案されているのでありますね。記事によると、特にイスラム教徒は多産であるということで警戒されているとのことであります。

目次
1)"Jack and Betty"を返して!
2)FIFA疑惑:「くさいものに蓋」時代の終わり
3)中国:「国家が人民を怖れている」
4)労働党はなぜ負けたのか
5)戦後70年、アメリカ人・ドイツ人・日本人の感覚
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声

1)"Jack and Betty"を返して!

いきなりですが、次の英文を読んでくれませんか?
  • 例文1
  • I am twelve years old.
    Bill is six.
    Mary is two.
    I am older than Bill.
    Bill is older than Mary.
    I am the oldest of the three..
年齢の話をしているのですが、登場人物は何人でしょうか?答えは3人ですよね。"I"というのが12才、Billが6才、Maryという女の子が2才・・・つまり"I"というのがいちばん年上である、と。これは60年も前にむささびが初めて英語なるものに接したときに中学校の教室で使った"Jack and Betty" という教科書に出てくる文章で、"I" はJackのことなのだそうです。皆さまの中にもこの教科書を使った方がたくさんおいでだと思います。JackとBettyの「姓」が何であったか、憶えていますか?むささびはもちろん憶えていませんでしたが、ネット情報によるとJack JonesとBetty Smithだったのですね。

ついでに"Jack and Betty"からもう一つ。これはJackが自分の故郷であるMadisonという町の寒さについて語っている文章です。
  • 例文2
  • We have long winters in Madison.
    We sometimes have cold days in November.
    We have cold days in December, January and February.
    December is cold. January is very cold. February is as cold as January.
過ぎし日に対するノスタルジアのせいかもしれないけれど、例文1の年齢についての文章も、2番目のMadisonという町の寒さについての文章も、むささびにはとても自然で美しいものに思えるのでありますよ。

実際にはどうってことない文章なのに、美しく思えてしまった理由は、つい最近、日本の中学生が2015年のいま使っている英語の教科書を目にする機会に恵まれてしまったからなのであります。結論から言うと、(むささびの眼には)あまりにもひどいとしか思えない英文が並んでいたということです。例えば・・・
  • 例文3
    "Where did you go last Sunday?"
    "I went fishing with my friend in the river."
  • 「先週の日曜日、どこへ行ったのですか?」
  • 「友だちと川へ釣りに行きました
日本語は、この英文の書き手の意図を推測してむささびがつけたものです。しかしむささびによると、この"I went..."という文章は、「川の中にいる友だちと釣りに行った」と意味になってしまうわけ。なぜなら"my friend in the river"と書いてあるんだから。「河童と一緒に釣りに行ったんですか!?」と聞きたくなってしまう。どうしても"I went fishing..."と言いたいのなら、"I went fishing in the river with my friend."とでも言ってくれればいいのに・・・。

でも本当は、この場合は"I went fishing..."はおかしいよね。質問は「何(What)をしたのか」ではなく、「どこへ(Where)行ったのか」なのだから「川へ行った」というべきでないの?"I went to the river with my friend to do fishing" とか言うべきですよね。

腹立ちついでにもう一つ:
  • 例文4
    "Do you like summer?"
    "Yes, but I like spring better than summer."
    "What about fall and winter?"
    "Well...I like spring the best."
  • 夏は好きですか?」
  • はい。でも夏よりは春の方が好きです」
  • 秋や冬はどうですか?
  • 「そうですねぇ・・・私は春がいちばん好きですね」
「~より・・・の方が好き」(better than)とか「~がいちばん好き」(like ~ the best)という言い方を覚えるための例文なのだそうであります。日本文はむささびが勝手につけたものです。それにしてもこんな会話、聞いたことあります?むささびには考えられないのであります。「春は暖かくていいね、夏もいいけど暑いからな。秋や冬は寒くてイヤだね、やっぱ春だわさ」というのが、むささびの理解するまともな会話です。
  • "Do you like summer?"
    "Yes, but I like spring better than summer. Summer is hot and spring is warm."
    "What about fall and winter?"
    "Well...I like spring the best. Fall and winter are cold."
という風に、です(イタリックの部分はむささびの付け足し)。少しくらいは、なぜ春が好きなのか、なぜ冬が嫌いなのかを付け加えるのが当たり前であるし、問いかけた方も「なぜ?」とか「そうだよね」という言葉を挟むのが普通です。でないと会話がはずまない。

ひょっとすると、教科書を作った人は「これは比較級を教えるための文章であって、季節の好みを云々するものではない」と言うのかもしれないとも考えました。それにしても"Jack and Betty" に出てくる "December is cold. January is very cold" という文章と比較すると、"Sunshine"に出てくる文章は、とても人間の会話とは思えない。Jackの語りを読んでいると、彼の故郷の寒い季節に対する彼の想いが伝わってくるのですよ。

あまりにもお粗末な文章が出ている2015年の教科書はKAIRYUDOという会社が出している "Sunshine" というものです。ひどい文章の羅列に愕然としながら、自分が中学生のころにはどのような英文に接していたのだろうと気になってネットを調べたら"Jack and Betty"の「例文1」「例文2」のような文章が出てきたというわけです。

"Sunshine"に出てくる文章は、とても人間の会話とは思えない。出来の悪いロボットとの会話ですよね、これでは。こんな文章を掲載するのは、日本の中学生の知能に対する犯罪行為だ・・・と思っていたらこの教科書の裏表紙には次のような文章が印刷されていました。
  • この教科書は、これからの日本を担う皆さんへの期待をこめ、税金によって無償で支給されています。大切に使いましょう。
もちろんおもて表紙には「文部科学省検定済教科書」の文字がある。税金を使ってこんなものを作っているのだから、「笑える」というより泣けてきますね。

▼"Sunshine"という教科書の最後には、これを作るのに関わった30人を超える大学教授だの名誉教授だのの名前が出ています。この人たちの中には"Jack and Betty"で英語を習った人だっているはずです。むささびとしては"Go away, Sunshine! Just get Jack and Betty back!!"と言っておきたい。

▼どうでもいいことですが、一応お知らせしておくと、"sunshine"という言葉は「太陽」とか「お日さま」という意味で使われるのが普通です。でも英国においてはまれにとはいえ「能天気野郎」という意味で使われることもあります。"Come on, Sunshine, get moving!"(ほら、早く行けよ、このアホ!)というぐあいです。

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2)FIFA疑惑:「くさいものに蓋」時代の終わり

国際サッカー連盟(FIFA)の不正疑惑について、5月30日付のThe Economistが社説で論じており、
  • アメリカ司法当局が国境を越えて行動すると、その熱意が行き過ぎたり、捜査方法も横柄にすぎたりするものであるが、今度ばかりは世界中のサッカーファンの感謝に値するものになっている。
    American extraterritorial jurisdiction is often excessive in its zeal and overbearing in its methods, but in this instance it deserves the gratitude of football fans everywhere.
というわけで、FIFAに対する怒りを爆発させています。書いてある内容は、日本のメディアでも報じられているものなので、あえて繰り返しませんが、記事の中で使われている言葉にあまり聞いたことがない激烈なものが見られるのが可笑しい気がします。

まず今年で79才になる会長のセップ・ブラッター氏については "ineffably complacent"(筆舌に尽くしがたいほど傲慢)であると言っている。"complacent" という言葉をむささびは(他に適当な日本語が浮かばないので)「傲慢」と書いたけれど、相手を見下したり、自分の能力を過大評価するという"arrogant" とはちょっとニュアンスが違うのですね。"complacent"は自分の置かれた立場や能力について「それを維持するための特別な努力は必要ない」と考えてしまうことです。「能天気」というニュアンスも含んだ「傲慢」です。ブラッター氏はそういう心理状態にある、と。

FIFAの組織ぐるみの不正(systemic corruption)は、2022年のワールドカップがカタールで開催されることが決まった際に取りざたされたけれど、そのカタールについては "tiny, bakingly hot Qatar"(ちっぽけなのに焼き尽くされるような暑いカタール)と言っている。"bakingly hot"などはにくい表現でありますね。でも、一つの国について "tiny"(ちっぽけ)というのは失礼なのでは?いずれにしてもカタールでの開催決定にあたって異を唱えた関係者については
  • FIFAを批判する者は往生際の悪い負け組か人種差別主義者として退けられた。
    Critics of FIFA are dismissed as bad losers and racists.
ここでは "bad losers" を押さえておきましょう(受験勉強のようですが!)。good losersだと「潔く負けを認める人たち」ということになる。つまりFIFAに対して「恐れ入谷の鬼子母神(恐れ入りましたという意味)」と素直にアタマをさげなかった人たちってことです。

The Economistによると、このような状況においてさえもFIFAが自らを改革する意思があるかどうかは確証がないけれど、まずやるべきなのはブラッター会長を辞めさせて2018年(ロシア)と2022年(カタール)のワールドカップの開催を再検討することができるような人物にすげ替えることだとして、今回も何事もなく済ませるようなことがあれば、FIFA以外の組織や企業が行動を起こすときだと言っている。すなわちヨーロッパ・サッカー連盟(UEFA)がFIFAを脱退し、FIFA主催のワールドカップにはUEFAに所属する選手は参加させないようにすること。さらにヨーロッパの放送局は放映権の申請を拒否すること、FIFAの財布を膨らませることに貢献してきたスポンサー企業(Adidas, Coca-Cola, Visa and Hyundaiなど)はFIFAとの関係を続けることが自社のブランドイメージにとって非常に危険であるを自覚すること・・・などと主張したうえで
  • これまでFIFAから漂ってくる悪臭に対して関係者は鼻をつまむ程度のことしかしてこなかった。しかしいまやその選択肢はなくなったと言っていい。
    Until now the stench from FIFA has prompted people to do nothing more than hold their noses. That is no longer an option.
"hold their noses" は鼻をつまむことですが、この場合は「くさいものに蓋をする」という意味であります。

▼結局、ブラッター氏が再選されたのですね。そのことについてJリーグ発足当初、名古屋グランパスでプレーしていたガリー・リネカー氏がツイッターで
  • 予想されたこととはいえがっくりだ。ブラッターに投票したFIFAのメンバーは、自分たちがいちばん大事にしなければならない(サッカーという)ゲームを裏切ったのだ。
    As predictable as it is depressing. All those FIFA members that voted for Blatter betrayed the game they are supposed to cherish.

    と述べています。
▼ワールドカップであれ、オリンピックであれ、開催地に選ばれると大の大人たちが狂喜乱舞しますよね。バカみたいだと思いません?それによって開催地の名声があがり、それがその国の国際的な地位にまで影響するということですよね。だからオリンピックの開催で "TOKYO" と呼ばれたときに、この国の首相なる人物が会場で躍り上がって喜んでいたわけです。FIFAといいIOCといい、ヨーロッパ人が牛耳ってきた組織でありイベントです。そろそろ彼ら自身が "good losers" になる準備をした方がいいということですよね。
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3) 中国:「国家が人民を怖れている」

5月20日付のドイツの週刊誌、Spiegelのサイトに中国の芸術家であり社会評論家でもある艾未未(がい みみ Ai Weiwei)とのインタビューが掲載されています。ウィキペディアによると、1957年生まれだから今年で58才になる。アメリカに留学したこともあり、北京では実験芸術家のグループの形成を手助けしたりして、かなり前衛的な活動家としても知られているのですね(むささびは全く知らない)。父親は文化大革命で非難され中国共産党から除名され、一家で新疆ウイグル自治区の労働改造所に送られたりしている。また幼い艾未未も5年間を労働改造所で暮らしている。つまりちょっといわくつきの家庭で育っているということです。

以下はSpiegelの記者と艾未未との一問一答です。インタビュー自体のタイトルは「国家は怖れている」(The State Is Scared)となっています。それほど長いものではないけれど、くどくなるので英文は省きます。原文でお読みになることをお勧めします。
********************************* 
SPIEGEL:これまでの2年半、中国における人権状況は悪化している。なぜ新政府は批判者をそれほど多く逮捕するのか?少しだけでも言論の自由を認めようとしない理由は何なのか?
 
Ai Weiwei:私はいまの状況には驚いてはいない。もっともっとひどいときがあったからね。自分で自分に聞いてみたらどうですか?政府がそれほど厳しい姿勢をとるのは、何か駆け引き上の理由(tactical reasons)によるものなのか?それとも何は深い思想的な理由でもあるのか?私が思うに、結局のところ国家の頑迷さというのはその不安定さ(insecurity)とか優柔不断さ(indecisiveness)の現れなのではないか。
新政府がまだ立場を固める過程にあり、立場が固まったら事態がよくなる可能性がある、という理屈も成り立つが・・・。
中国はいつもピンチ
そうした理屈(theories)は間違っている。事態がよくなると予想しようが悪くなると予想しようが、だ。結局重要なのは政府が何をするのかということなのだ。中国を統治するのは簡単なことではない。それは私にも分かっている。危機だの緊急事態が四六時中起こっていて、自分たちが気がつかないでいることさえあるくらいなのだ。いまはとにかく政府が何をしようとしているのか、じっと観察するしかないということだ。
現代の中国における最も深刻な人権問題をどれか一つ挙げるとすると、あなたならどれを挙げるか?
 弁護士・浦志強に注目しよう
私としては、弁護士のPu Zhiqiang(浦志強)のことに注目して欲しいね。彼は他の人がほとんどやらないやり方で中国を代表していると思う。教養があり、思慮深い人で、非常にたくさんの人権問題を手がけている。彼の源は鄧小平時代の中国にある。毛沢東の時代ではない。彼はこの新しい社会の建設に大きな貢献をしているが、1989年に起こったこと(天安門事件)を忘れようとしておらず、それが故に1年間投獄され、考えられないような犯罪で糾弾されている。証拠などなにもないのに、だ。彼がどうなるのか、誰にも分からないが、彼の事件によってこれからの中国がどこへ向かうのかが分かるはずだ。公平な裁判を受けることができるのか、中国に法の支配というものが存在するのか、中国人は他人の言論の自由や意見を尊重するようになるのか・・・ということだ。
 
Pu Zhiqiang氏のようなケースについて外国政府はどうすればいいのか?外交官らの言うことを聞いていると、反逆者たちを援助するためには裏交渉しかないということだが・・・。
裏交渉は中国への侮辱だ
それは違う。人権というものに何らかの意味があるとするならば、公の場でこれが語られる必要がある。中国政府を尊重する政治家なら誰でも自分の心の中にあることはおおっぴらに言葉にするべきなのだ。そのことについて(外国政府が)沈黙を続けるのは、中国政府と中国人民を尊敬していないという意味にもなる。
数年前まで中国は人権問題については受け身だったが、いまでは政府高官は人権についての批判を相手に投げ返している。アメリカの人種差別はどうなんだ?とか欧米の秘密警察によるプライバシーの侵害だってあるではないか、というわけだ。
どんな国家も社会も人権というものを一夜にして完璧に確立することなどできない。最近のアメリカで起こっていることは恥ずべきことではあるだろう。そのことについては慎重に語る必要がある。逮捕される過程において暴力を振るわれたり殺されたりしているのだとすると、重大なことだと思う。確かにアメリカには人種差別的な行為が多くあるのだろう。警察の態度、教育環境、就職先など・・・。ただアメリカではそれらの問題がオープンに語られている。
中国ではどうなのか?
事態は変化している
中国はまだ発展段階が違う。人権侵害は中国の方がはるかに多い。が、それでも事態はよくなっている。最近も警察官が鉄道の駅である男を銃撃したことがある。それも彼の家族の目の前でだ。そのことについては警察官に対する公的な調査が行われている。最初は警察官はなにも悪いことはしていないとされたのにだ。こうしたことは数年前なら絶対になかった。「警察内部の事情」ということで処理されていたはずだ。でもそれは最早できなくなった。インターネットが公的空間を確立し、政府に対する圧力がかかるようになり、政府も無視することができなくなった。我々はこの公共空間を利用し、政府に何が許されるのか、政府の力はどこまで許されるのか、どこから市民のプライバシー空間が始まるのか・・・などについて定義し直す必要がある。それは中国という国境を越えての話でもあるのだ。
中国政府はこれまで以上に市民運動家を逮捕しているが、同時に市民の側でもかつてに比べると自信がついている。中国のブログ空間には皮肉とか嫌味の記事でいっぱいであり、検閲も追いつかないほどなのではないか。
年間35万人の帰国学生の動向
北京は数日間は涼しかったけれど、いずれ夏はやってくる。そのことは中国全土に言えることだ。現在、外国留学から帰国する中国人学生の数は年間35万人いる。35万の若くて教育のある人びとだ。私は彼らのことを知っているし、彼らも私のことを知っているようだ。街を歩いているとデジカメで一緒に写真を撮ってくれと言われる。彼らはクリエイティブで皮肉好きだ。彼らのアタマを政府が管理することなど最終的にはできるはずがない。ここ数年、後退と思われることもあったが、中国は変化しており、開放的になっていることは確かだと思う。
その「開放的」というのは長続きするものだろうか?あるいは中国の孤立化を望む人間たちが時計の針を逆戻りさせることになるのではないか?
そんなことを考えている人は多くはないはずだ。政府だって逆戻りを望んでいるわけではない。トップ人間(person Nr. 1)だってそうだ。
「トップ人間」というのは習近平氏のことか?
中国の指導者たちは、将来の問題を過去のやり方で解決することはできないということを知っている。一人っ子政策が生み出した問題、福祉国家の建設、毎年700万人も出る大卒者の仕事の問題、とてつもない汚職・・・欧米の政府でさえこうした問題を解決しようと思えば緊急対策(scramble)が必要になるだろう。

▼このような記事を読んでいると、中国もタイヘンなのだ、という当然すぎるほど当然のことに気がつきます。中国といえば「脅威」としてしか伝えないメディアに囲まれていると、あの国の人びとが生きている現実というをつい忘れてしまう。中国といえば政府の指導者の「強気発言」しか接することがない我々の不幸ですね。

▼毎年35万人もの若者が外国留学を終えて帰国する・・・とてつもない話ですね。中国の指導部は「将来の問題を過去のやり方で解決することはできないということを知っている」と言っています。現実的ということなのでは?
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4) 労働党はなぜ負けたのか

もうはるか昔のことのように思えるけれど、英国の選挙が行われてからまだ1カ月経っていないのですね。あの際、日本のメディアでは保守党が単独過半数を獲得したことが主なる話題であったように記憶しています。あまり語られなかったようですが、英国のメディアで保守党の勝利と同じくらい(あるいはそれ以上に)話題になったのが労働党の敗北だった。5月15日付のThe Economistの政治コラムは、
  • 英国の有権者は労働党に対して致命的ともいえる嫌悪の気持ちを表明したのだ。
    British voters have showed a crushing disdain for the Labour Party.
と言っているのですが、今回の労働党敗北の背景を考えると、これは単に英国だけの話題ではないかもしれないと思えてくる。なるべく簡潔に説明します。

まずは数字から。そもそも労働党はどんな負け方をしたのでしょうか?今回の選挙では約934万票を獲得、前回よりも70万票以上増やしている。それなのに議席数は258議席から232議席へと26議席も減らしている。一方、約1100万票を獲得した保守党の場合、票数の増え方は61万票と労働党より少ないのに、議席数は24議席も増えている。プラス・マイナス50の差は大きい。それは労働党の獲得した票数のかなりの部分が、労働党の「地盤」における獲得であるということ。つまり「どのみち勝つに決まっている選挙区」での票数が多かったということです。保守党の地盤で勝つことによって相手の議席数を減らしたわけではない。だからいくら労働党の獲得票数が増えても保守党にとっては痛くも痒くもなかった。反対に保守党はいわゆる「接戦区」(marginal seats)と呼ばれるところで労働党の議員を退けることができた。

もう一つの理由がスコットランドにおける惨敗です。スコットランドは昔から労働党の地盤と言われ、2010年の選挙でも59選挙区のうち41議席を労働党が獲得していた。が、今回の選挙で労働党が勝ったのは、たったの1議席で、あとはすべてSNP(スコットランド民族党)に持って行かれた。つまりスコットランドだけで40議席も減らしてしまったということです。これでは他でいくら頑張っても所詮勝ち目はない(ちなみにスコットランドの保守党はもともと1議席しかなかったのを守ったのだから「弱小勢力」とはいえ現状維持ということです)。

なぜ労働党がスコットランドでそれほどの惨敗を喫したのか?昨年、スコットランドの独立の是非を問う国民投票が行われた際、労働党は保守党や自民党と一緒になって独立反対の運動に力を入れた。スコットランドにおける労働党支持者には、ミリバンドがキャメロンらと協力してスコットランド人をバカにしていると映り、それまでの労働党の地盤が根底から覆されてしまった。今後、これを再建するのは容易なことではない。

以上は2015年の選挙に限った数字の話です。むささびが面白いと思ったのは5月9日付のGuardianに掲載されたチュカ・ウムナ(Chuka Umunna)という労働党議員による「反省の弁」風のエッセイです。この人は今回は当選した人物で、辞任したミリバンド党首の後継者と言われていたのですが、早々と党首候補を辞退している。彼のエッセイは題して
というものなのですが、次のイントロが筆者の言いたい部分を代弁しています。
  • 我々が考えなければならないのは、極端な金持ちや極端な貧困者は党に属することはできないという発想を捨てることである。それは国を分断するのではなく、団結させるための政治を行うということだ。
    We need an approach in which no one is too rich or too poor to be part of our party - and politics that starts with what unites rather then divide us as a country
ややこしい言い回しですが、「労働党は誰にでも開かれた党でなければならない」と言っているわけです。今回の選挙における労働党のマニフェストのスローガンは
  • 働く人びとが成功してこそ、英国が成功したと言える
    Britain only succeeds when working people succeed.
というもので、具体的には極端な金持ちが得をする税制反対、社会格差の解消、福祉切り捨てへの反対、低所得者層への住宅提供・・・ということを訴えた。なのに負けてしまった。チュカ・ウムナ議員が指摘するのは、労働党のスローガンが世の中の「弱者」のみに語りかけていて、「そこそこ成功している層」すなわち「中間層」に訴える部分が非常に弱かったということです。

今回の選挙における労働党の敗北を語るときに必ず使われる、ほとんど流行語にもなっているものに "aspirational middle class" というのがある。"aspirational" というのは「野心がある」という意味ですよね。自分のアタマを使って面白いビジネスをやって経済的に豊かになることができる階級・・・そういう人びとに労働党は語りかけることをしなかった、それが敗北の原因だ、ということです。中間層の有権者がみんな保守党に回ってしまったということです。

書評誌のLondon Review of Books (LRB) のサイトに"Labour dies again" (労働党がまた死んだ)という長いエッセイが出ており、2010年の選挙に続いて今回も敗北した労働党について政治ジャーナリストのロス・マッキビン(Ross McKibbin)が詳細に書いている。彼によると、英国社会の変化そのものが労働党の存在を危ういものにしている。いわゆる労働者階級(working class)というのが消えつつあるというわけで、今回の選挙でも労働党の安全区と言われたかつての炭鉱町でいずれも保守党に負けてしまったのがその象徴であると言います。労働組合に加入している労働者の数は1979年の1300万人から2012年には600万を切っている。

マッキビンはまたイングランドの有権者の「安定志向」(desire for stability)を挙げています。投票日前の世論調査でどの政党も過半数を取ることがなく、2010年と同様に非過半数第一党による連立政権になると言われたときに、これをうまく利用したのが保守党だった。つまり労働党が第一党になればスコットランド民族党と連立を組もうとするだろう、そうなると英国は大混乱に陥るという話をばらまき、これが保守党系の新聞によって増幅され労働党への拒否反応を演出することに成功したということです。

▼労働党の敗北が単に英国の問題ではないと(むささびが)思ったのは、政党の存在理由というものに思いを致したからです。政党は選挙に勝つために存在しているのか?ということです。1997年の選挙のときにブレアが声を大にして主張したのが「労働党はいつまでも野党(party of protest)であってはならない」ということだった。そして労働党を「選挙で勝てる党」にしようとして右寄り路線を採用し、ルパード・マードックの新聞の支持を獲得、一大ブームを巻き起こしたわけですが、彼のイラク政策はもちろんのこと、国内の政策もサッチャーの保守党が進めた路線と大して変わらなかったのではないか?

▼労働党が苦戦している原因の一つに挙げられている労働組合の組織率ですが、ネット情報によると日本でも大いに落ち込んでいるのですね。2013年6月末の時点で17.7%、組合員の数も4年連続で減少し、約987万5000人だったとのことです。17.7%というのは調査を始めた1947年以後最低の数字だそうです。また労働組合組織率の国際比較という情報によると、2008年の時点で英国は27.1%、日本は18.2%だったという数字もあります。

▼労働党の衰退で思い起こすのは日本における社会民主主義政党の衰退ですね。詳しくは触れないけれど、この50年間で、あの日本社会党には何が起こったのでしょうか?日本の「高度経済成長」と社会党の凋落が時期的には一致していることは事実なのでは?

▼スコットランドで民族党(SNP)が大勝したわけですが、だからと言っていま独立を問う国民投票を行ったら独立派が勝つかというと必ずしもそうではない。The Economistなどは「似たような票差で否決されるだろう」と言っているし、SNPのニコラ・スタージョン党首も「国会議員の選挙と独立投票は別もの」と繰り返し言っている。
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5)戦後70年、アメリカ人・ドイツ人・日本人の感覚

世論調査なるものが、どの程度実際の状況を反映するのか分からないけれど、何も無いよりは参考になるだろうと思える例に行きあたりました。アメリカのPew Researchが行った調査なのですが、「日米関係」と「独米関係」に関するものです。日本もドイツも第二次世界大戦ではアメリカの敵であった国です。別々に行われた調査なのですが、終戦後70年のいまアメリカを軸に日本人とドイツ人が何を考えているのかが伺い知れるところが面白いと思うわけです。

まず日米関係については次のようなグラフを描くことができます。
お互いについては「信頼できる」と考える人がかなりの割合にのぼっているけれど、「中国」に対するイメージはというとかなり違いますね。アメリカでは10人に3人が中国を「信頼できる」と考えているけれど、日本では一人にも届かない。さらに軍事的な役割についても違いますね。アメリカ人の間では日本の軍事大国化にはそれほどの拒否反応がないように見える。ただ、それでもこれを支持するアメリカ人は半数以下であるということは分かっておいた方がいいと思いませんか?

次にドイツとアメリカの関係についてのグラフを見て「日米関係」と比べてみてください。
自国の軍事的役割の強化については、ドイツ人も慎重なのですね。相互への信頼感は「日米」とあまり変わらないけれど、わずかとはいえ、ドイツ人の方がアメリカに対する信頼感が低い。これはなぜなのでしょうか?興味深いと(むささびが)思うのはロシアへの感覚です。アメリカ人が、ドイツも含めたEUはロシアに対して弱腰だと考えているのに対してドイツ人はそのようには考えていない。見ようによってはドイツ人の方がアメリカ人よりもロシアに対して「敵意が小さい」とも言えるのでは?これを日米の対中国観の違いと比較すると面白い。

どのような二国間関係でも、長い歴史の中では時代を画する「大事件」や「重大事」というものがある。過去70年間で独米・日米関係における最も重要な出来事は何か?Pew Researchの方で候補を挙げてそれぞれに意見を聞いてみた。まずはドイツとアメリカの関係における重大事は・・・
Pew Researchの解説によると、米独関係における最重要の出来事として「第二次世界大戦・ホロコースト」を挙げるアメリカ人はこれらを実体験している高齢者よりも若い年代に多いのだそうです。18~29才では51%なのに65才以上だと40%という具合いです。また政治的な傾向として共和党支持者の56%がこれを最重要の出来事として挙げるのに対して民主党支持者では39%にとどまる。

ドイツ人が「第二次世界大戦・ホロコースト」に低い重要度をあげているのはどういう心理なのでしょうか?「思い出したくない・語りたくない」という拒否反応のようなものなのでしょうか?戦争直後にアメリカがヨーロッパに対して行った復興支援「マーシャルプラン」についてドイツ人は極めて高く評価しているのに、アメリカ人はほとんどゼロに近い。昨年、CIAがメルケル首相の電話を盗聴したというので大騒ぎになりましたよね。あの件については、ドイツ人が問題視しているのに対してアメリカ人の方は大して気にしていない?!

次に日米関係の歴史における重要と思われる出来事に対するそれぞれの意見は?
というわけでありますが、皆さまならどのような評価をされるでしょうか?

むささびにとってちょっと意外なのは、日本人が戦争や大震災よりも、日米同盟に大きな重要性を認めているということです。東日本大震災では2万4000人の米軍が救援に駆けつけ、アメリカ人からの寄付金は7億ドル(約840億円)にのぼったのですね。第二次世界大戦ですが、アメリカ人の間ではこの出来事を日米関係にひっかけて考えるのは65才から上の年齢が40%といちばん多いのですが、最も低いのはいわゆる若年層ではなく、戦争直後に生まれた人たち(日本で言うと団塊の世代?)で24%なのだそうです。

第二次大戦中に広島と長崎に投下された原爆についてはどのように評価されているのか?
これについては皆さまはどのようなコメントをされるでしょうか?むささびはアメリカ人の34%がこれを正当化できないと考えている点に注目しました。思ったより多いということであり、「正しかった」という意見の56%も予想より低いと思ったのであります。Pew Researchの解説によると、実は1945年の投下直後にギャラップ社がアメリカで世論調査を行っているのですが、そのときには原爆投下を「正しかった」とする意見が85%に上ったのですね。さらに1991年にデトロイト・フリープレス紙が調査したところでは「正しかった」という意見は63%だった。

2015年の現在において、原爆投下についてはアメリカでははっきりとジェネレーション・ギャップがある。65才以上では70%が「正しかった」としているけれど、18~29才になるとこれが47%にまで下がる、とPew Researchは言っています。

最後に第二次世界大戦というと、戦争中の日本の行動について、日本がまともに謝罪していないのではないかということが日本人の間でさえも話題になり、その際に(日本では)引き合いに出されるのがドイツで「ドイツに比べると日本は真摯に謝罪していない」という意見が出されますよね。そのあたりのことについては次のような回答になっています。
アメリカ人の対独感覚の方が対日よりも多少は厳しいように見える。Pew Researchによると若いアメリカ人(73%)が日本は謝罪済みとしているのに対して、高齢者の場合は半数がそれほど忘れてはいない(less convinced)。同じことが対ドイツについても言えるのだそうです。Pew Researchではこのテーマについて、2年前(2013年)に日本人だけを対象に調査しており、結果は次のようになっている。
日本人の15%が「謝罪の必要自体が存在しない」(there is nothing for which to apologize)と考えている。「充分謝った」ではない。

▼日米関係については "Americans, Japanese: Mutual Respect 70 Years After the End of WWII" という見出しで、独米関係については "Germany and the United States: Reliable Allies" という見出しでそれぞれ詳細の説明が出ています。

▼戦争中の行為について謝罪したかどうかという質問について、日本人の15%が「謝罪の必要なし」と回答している。おそらく「戦争なんだから、いろいろあるわな」ということで「謝罪」というのを敵対国に対する行為と解釈しての数字だと(むささびは)推測するのでありますが、日本の指導者(安倍さんの祖父も含む)は、沖縄の人びとも含めた日本人に対して謝罪したことがあるのか?「戦争なんだからお国のために犠牲になるのは当たり前」とでも考えていた(いまも考えている)のだろうと推測してもそれほど誤ってはいないと思う。それに対して日本人は怒るべきなのでありますよ。沖縄人を見習おう!

▼むささびが学生だった、半世紀以上も前のことですが、日本のテレビでは『コンバット』『頭上の敵機』というアメリカの戦争ドラマが大いに受けていた。舞台はいずれもヨーロッパ戦線で、アメリカ軍が英雄であるドラマだから、いつも負けて情けない思いをするのはドイツ兵だった。いまにして思うと、あの種のテレビドラマを見せられて過ごしたであろうドイツの人びとは、ヒットラーがまいた種とはいえ、ずいぶん情けない思いをしたでしょうね。
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6) どうでも英和辞書
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front garden:前庭

いまはどうだか知らないけれど、一時期日本のある種の人びとの間で英国流の「ガーデニング」が流行したことがありましたよね。そんなときテレビなどで紹介されるのは、大体において広くて綺麗なお金持ちのガーデンだった。だからむささびなどはガーデニングというのは英国でも中産階級の優雅な趣味なのかと思っていたのですが、必ずしもそうではないのですね。地方都会などへ行くと、長屋風の住宅が延々とつながっている風景にお目にかかる。それぞれの家の前の部分が小さな庭になっていて雑然と花が植えられている。大して綺麗とも思えないけれど、それなりに庶民の楽しみだったりして・・・。

ただ、BBCのサイトによると、いま英国ではこの前庭のスペースをコンクリートで固めたり、砂利を敷いたりするケースが増えていて花畑としてのフロントガーデンが消えつつあるのだそうですね。王立園芸協会(Royal Horticultural Society)の調べによると、過去10年間ですべての住宅の前庭の4分の1が駐車場やゴミ箱置きのためのコンクリートや砂利スペースになってしまった。必要に迫られてのことなのですが、ここまで土のスペースが消えると環境問題にもなりかねない。降雨の場合、水が土に吸い込まれることなく道路に流れてくるので、地下を走っている下水管がいっぱいになってしまうことが多くなった。

BBCの記事によると、前庭が姿を消しつつある理由の一つとして、日常の楽しみをテレビを観たり、パソコンをやったりというぐあいに屋内に求められるようになったということがある。さらに昔に比べると隣近所との付き合いが希薄になって、隣近所のために自宅の庭を綺麗にしておこうという気持ちが薄くなったということもある。さらに夫婦共働きという家庭が増えて、昔は奥さんがやっていた前庭の手入れに手がまわらなくなってしまったという背景もある。

それなりに理由はあるのですが、前庭が消えていくのが寂しいものであることは間違いない。
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7) むささびの鳴き声
▼大阪都構想というのが住民投票で否決されたことに関連して、5月19日付神戸新聞の『正平調』というコラムが「もう少し住民に時間をかけて丁寧に説明していれば、あるいは違う結果に終わったかもしれない」と言ったうえで、国会の「安保法制」について、「分かりにくさでいえば、大阪都構想をはるかに上回る」と言っています。つまり橋下さんには「都構想」で、安倍さんには「安保法制」で「辛抱強く・慎重に・丁寧に説明する」ことを求めているわけです。しかしこのコラムに関する限り、大阪都構想や安保法制そのものの善し悪しについては全く語っていない。政治だの社会問題だのを語るときには、「語られている事柄」と同時に「語り方」をも問題にするべきである・・・という姿勢なのかもしれないし、それが全くナンセンスであるなどと言うつもりはない。けれど、新聞であれ、テレビであれ、あまりにも「やり方」ばかりを話題にしすぎるのではありませんか?

▼初めに紹介した中学生の英語教科書について。以前にも何度か書いたことですが、むささびの妻(美耶子)は、過去ほぼ50年間、ほとんど途切れることなく中学生に英語を教える家庭教師のようなことをやっています。50年ですよ!ほとんど冗談としか思えない長さです。当たり前ですが、彼女の教えを受ける子供たちは、英語の授業についていくことに困難を感じているような子供が多い。その彼女が言うのに、いまの中学生用の英語の教科書の最大の欠陥の一つとして、収容されている英文が非常に少ないということがある。子供たちはもっと数多くの英文に接する必要があるというのが彼女の持論です。なぜいまの教科書に英文が少ないのか?やたらとカラフルな写真やらイラストやらが多いからです。その分だけ文章に割かれるスペースが少なくなる。

▼むささびが槍玉にあげたSunshineという教科書は最初の部分で「この教科書は、皆さんの英語の力を楽しく確実に伸ばすことができるように」作られていると書いています。そのせいかどうか知らないけれど、むささびの目から見ると写真や漫画、グラフの類がやたらと掲載されている。明らかにやり過ぎ。一つだけ例を挙げましょう。「感情や状態を表す形容詞」というページがあり、"happy"という言葉が出ているのですが、その説明として日本語で「幸福な」と書いてあるだけでなく、女の子が誕生日のケーキを前に微笑んでいる漫画風のイラストが出ているわけです。紹介されている形容詞はたった12個。イラストを省けば40語も50語も収容されるはず。でもそれでは「楽しく確実」には英語力が伸ばせない・・・と制作者は考えている。ですよね?"happy"の意味を「視覚的に」理解させるために笑顔のイラストが必要だ、と。そういうのをむささびは「やり過ぎ」というのです。

▼ミセス・むささびはさらに、教科書が現場で使う身になって作られているとは思えないとも言っている。つまり中学生を相手に英語を教える教師のことです。あまりにもいろいろなことが収容されすぎていて何が何やら分からないとのことです。この教科書の制作には、出版社の担当者は除外して31人が関わっているのですが、そのうち二人が中学校の教師、あとはすべて大学の先生です。制作担当者が一堂に会した全体ミーティングのようなものが一度はあったと思うけれど、その際、大学の先生たちに混じった二人の中学校教師はどんな気分で、どのような発言をしたのか?そもそも発言なんてできたんだろうか?とミセス・むささびは疑っております。

▼むささびがメディアの方にぜひお願いしたいと思うのは、この教科書が出来上がるまでの一部始終を密着取材して伝えること。出版社の担当者、大学教授や中学教師、文部科学省のお役人・・・それぞれがどのように関わり、どのようなディスカッションをしたのか、出来上がった教科書をどのように評価しているのかなどをきっちり語ってもらいたい。

▼言うまでもないことですが、Sunshineにおけるお粗末な文章は、記事の中で紹介したものだけではありません。ほとんど全てだと言ってもそれほど間違いではない。最後に(よせばいいのに)もうひとつだけ、73才の「歯抜けじじい」(toothless old idiot)によるレッスンを。
  • "Are you hungry?"
    "No. But I want something to drink".
▼これはSunshineに出ていた会話文です。何かが足りないと思いません?そうです、"Are you hungry?"と聞かれて、"No"だけではダメなのよ。正解は""No, I'm not but want something to drink" または "No, I'm not hungry but ..."です。"Do you love me?"と聞かれたら"Yes"だけではじぇったいダメよ。"Yes, I do"が最低必要。ただ、"Yes, of course, I love you, baby! Do YOU love ME, honey-suckle?"というのはちょっとやり過ぎで、変人扱いされる可能性が否定できない。

▼埼玉県飯能市は昨夜、揺れました!久しぶりで驚きました。
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