2015年もついに残り3か月になってしまいました。本当にあっという間でしたね。上の写真ですが、北アイルランドのバリマニー(Ballymoney)というところにあるブナの並木です。18世紀にスチュワート家の人びとが植えたものだそうです。北アイルランドにある数ある自然の名所の中でも最も写真に撮られる回数が多い場所です。確かに変わった風景ですね。 |
目次
1)「最後にやりたいこと」を叶えるNPO
2)中国の独り暮らし①:「個人主義」の行方
3)中国の独り暮らし②:取り残される農村の高齢女性
4)歴代党首に無視された演説原稿が蘇って・・・
5)ラグビーと英国社会
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
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1)「最後にやりたいこと」を叶えるNPO
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BBCのサイトにオランダの "Stichting Ambulance Wens" というNPOを紹介する記事が出ています。英語で言うと "Ambulance Wish Foundation"、むささびが勝手に日本語に直すと「願いごと救急車財団」ということになる。我ながらひどい日本語ですが、このNPOがやっているのは、末期症状の患者さんの「この世で最後にやりたいこと」を叶えるということだそうです。
例えば上の写真は、船乗りをやっていた男性が死ぬ間際に「もう一度だけロッテルダム港へ行きたい」という願いを持っていたのを叶えたところです。
このNPOを設立したのは、救急車の運転手をしているキース・フェルドバー(Kees Veldboer)氏と彼の奥さんなのですが、きっかけとなったのは9年前の2006年11月に体験した、ある末期症状の患者との出会いだった。この人をある病院から別の病院へ搬送しようとしていたところ、受け入れ先の病院から「準備が間に合わないのでもう少し待ってくれ」という連絡が入った。普通ならもう一度病室に戻って待機するのですが、患者としてはもうベッドには戻りたくないとのこと。そこでフェルドバーさんが「どこか行きたいところはないか?」と聞いたところ、自分は船乗りだったので、死ぬ前にもう一度だけロッテルダム港にお別れをしたいとのことだった。そこで病院の許可を得て、彼を港まで連れて行ったのがこの写真です。晴れた日で、港を見つめる患者は心底嬉しそうに涙を浮かべていた(Tears of joy ran over his face)のだそうです。
夫婦で始めたNPOですが、いまではボランティアが230人、救急車6台と別荘まで有する大きな組織になっており、これまでに願い事を叶えた末期患者の数は7000人に達しようとしている。末期患者の外出の手助けをするNPOはあるけれど、Stichting
Ambulance Wensのように、看護婦も付き添っているし、自前の救急車まである組織というのは世界初なのではないかとBBCは言っている。ここの救急車は乗っている患者が景色を楽しめるように窓が大きく作られている特注品で、このサービスを利用する人にはマリオという名前のぬいぐるみが与えられる。
BBCのサイトにはこのNPOが叶えた「最後の願い」の例がいくつか紹介されています。アムステルダム在住ながら死ぬ前に一度だけでもふるさとのルーマニアへ帰って家族と暮らしたいという女性には4500キロの救急車によるドライブ旅行を提供した。アムステルダムにある美術館へ行って絵画を見ることが楽しみであったある男性が「最後の願い」として叶えたのが、レンブラントの『子供のキリストを抱いたシメオン』(Simeon with the Christ Child)という絵画(上の写真)を見ることだった。この絵画は1669年の作品ながら「未完の作品」とされているものらしいのですが、スタッフに連れられてこの絵画を見たこの男性は「私の人生も未完成だし、この絵も未完成。人生には完成ということがないということが分かったよ」と言ってから一息ついて
- 見たいと思っていたものを見ることができた。満足だよ。
I have seen what I wanted to see, we can go now.
と語ったのだそうです。
最後に上の写真は、昨年、オランダのメディアの話題をさらったものです。54才になる男性で、知的障害者なのですが、ロッテルダムにある動物園で25年間、施設の修理スタッフとして働いた。その彼の最後の願いは「もう一度あの動物園に行って一緒に仕事をした仲間たちに会いたい」ということだった。その願いが叶えられた後で、動物たちが入っている施設を見回ることにした。それも彼の仕事の一部だったのですが、キリンの檻を訪問した際に、一匹が寄ってきて、彼の顔を舐め始めた。そのときに患者に付き添っていた看護スタッフ(男性)が撮影したのがこの写真だそうです。患者本人は疲れきっていて言葉を口にすることができなかったけれど、「顔は輝いていた」とのことで、この看護スタッフは「幸福というものは小さなことの中にあるものだということを教わった気がする」(you can find happiness in little things)と言っている。
キース・フェルドバーが始めたこの活動はオランダ以外の国でも注目され、ベルギー、スウェーデン、ドイツ、イスラエルなどでも似たような組織が立ち上げられている。フェルドバー自身は自分のやっていることについて
- 昔は自分なんて大した人間ではないと思っていたけれど、自分のこの考えもそれほど悪いものではないことが分かった。自分の心に正直に、自分のやり方を貫けば支援する人は必ず出てくるものだということを学んだ。
I used to think I didn't amount to much, but then I discovered my ideas aren't that bad after all. I've learned that if you follow your heart and do things your own way, people will support you.
と言っています。
▼末期患者の夢が叶ったところを撮影した写真の中に、男性がベッドの上でタバコをくゆらせているものがありました。「死ぬ前に何をしたいか?」と聞かれて答えが「一服したい」だったというのはとても分かる気がしまたね。最後にお好み焼きが食べたい・子供の頃に遊んだ神社の境内に行きたい・あの友人・上司・同僚に会いたいetcというので、いろいろあるような気がするけれど、自己分析してみると、そのような経験をしていた当時の自分に戻りたいということもあるのかもしれない。それで満足できるのならいいけれど・・・。
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2)中国の独り暮らし①:「個人主義」の行方
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8月29日付のThe Economistに、中国では「独り暮らし」が増えているという記事が二つ出ています。一つは若い女性の独り暮らし、もう一つは高齢者の独り暮らしに関するものです。まずは若い世代の独り暮らしに関する記事から。
中国で独り暮らしをしている人の数はざっと5800万人、数だけ比較するとアメリカや英国、フランスなどより多いのですが、全世帯に占める割合という点では14%で、欧米などよりはぐっと少ないし、アジア諸国の中でも日本、韓国、香港などよりは少ない。ただ、増加率という点では2000年から2010年までの10年間で2倍に増えている。昔は「独り暮らし」といえば、職を求めて農村から都会へ出てきたような人たちが、結婚相手も見つからず「仕方なしに」というケースが多かったけれど、最近では富裕層出身の若い世代で「好きこのんで独り暮らし」という例が増えているのだそうです。
全世帯に占める一人暮らしの割合
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記事が紹介している上海で独り暮らしをする33才の女性の場合、「自分の人生で最も勇気の要る決断」(the most courageous decision of my life)をして、独り暮らしを始めたのは28才のとき。いまではネコ2匹とプライバシーに富んだ生活を楽しんでいる。彼女の暮らすアパートの家賃は4000元(約625ドル)で給料の半分が家賃で消えていくけれど、それでも「独り」は楽しいのだそうです。
The Economistによると、現代の中国では高学歴の若年層に独り暮らしが多く、北京などでは住宅の5軒に1軒が「独身貴族」が暮らすところなのだそうで、大都市を中心に結婚件数は増えているけれど、晩婚化(男:30才より上、女:28才)が進み、離婚の件数(年間約350万組)も増えている・・・となると、どうしても単身世帯が多くなりますよね。その一方で農村部では、かつて男の子供が欲しさに胎児の時点で女性は消されてしまうようなことがあったので、圧倒的に男の人口の方が多く、「仕方なしに独身」(reluctant bachelors)というケースが非常に多いというアンバランスもある。
これまでの家族中心主義が解体して独身者が増えると、価値観としての「個人主義」が蔓延することになりかねない。さらに
- 家族主義が緩むことで、新しい社会的なネットワーク、利益集団が登場するし、ひょっとするとそこから政治的な野心まで生まれかねない。となると国家としても許しておくわけにはいかないという事態になるかもしれない。
Yet loosening family ties may open up space for new social networks, interest groups, even political aspirations of which the state may come to disapprove.
ということになる。
▼生まれも育ちも大家族だった若い人たちが「独り」でいることを楽しんでいる・・・「独り」になったその人たちは自分も含めた人間関係や世の中のことをどのように考え、行動するようになるのか?おそらく、そこそこ個人の自由が許され、そこそこ社会的なことにも頭を馳せ・・・ということになるのであろうと想像をするのですが、「そこそこ世代」の感覚と政治的な共産党一党独裁システムは融合するはずがない。中国版のアラブの春のようなことが起こるのか?とてつもない社会実験が進行中という感じですね。
▼そのような中国を見るときに、「恐ろしい国」、「乱暴な国」、「けしからん国」という側面からのみ語ろうとするのでは、単なる石頭のじいさん・ばあさんですよね。自分も相手も常に動いている、変化しているということが分からない(面倒だから分かりたくもない)のだから・・・。
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3) 中国の独り暮らし②:取り残される農村の高齢女性
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上の記事はリッチな若年世代の独り暮らしですが、The Economistによると高齢者の独り暮らしも増えつつあるのだそうです。中国には「老後のために子供を作っておけ」(yang
er fang lao)という格言があるとおり、年寄りの面倒はその子供たちが見るという家族主義が大前提であったし、いまでもそれはある。65才以上の5分の3が子供や孫と一緒に暮らしており、明らかに先進国よりも多い。
ただ、現代の独り暮らし世帯の5分の1が65才以上の高齢者で、夫に先立たれた女性が多く、学歴も低いというのが現実です。この人たちは都会の女性がプライバシー欲しさに独り暮らしをしているのと違って、好きで独りでいるわけではない。中国がリッチになる過程で、豊かさと仕事を求めて多くの働き盛りが農村を離れて都会へ移住、家族主義が崩壊する中で高齢女性が独り暮らしを強いられているのは主として農村での話です。The
Economistによると、経済発展が進む中で家族主義が崩れつつあることに、国としての備えが足りなかった(unprepared)面があり福祉対策が出遅れている。年金も退職金もない人が何百万人もいる。特に農村地帯では遅れているのだそうです。
中国では2025年までには4人に一人が60才以上になるとされているけれど、かつての一人っ子政策や若年層の結婚年齢が遅くなっていることなどもあって、高齢者と一緒に暮らすような若年層がいなくなりつつあるのが現実です。65才以上の高齢者一人あたりに対する労働年齢層の人口も現在の8人から2050年には2.5人にまで減少するものと推定される。特に豊かな生活を求めて農村から都会へ移住する人びとは老人を一緒に連れてくるような余裕がないというのが現実だそうです。
国の対策が遅れる一方で、若年層を中心とする個人主義的な意識の高まりで従来の家族主義の伝統があやしくなりつつある・・・となると、NPOのような運動が現れて高齢者同士のネットワークのようなものが形成されてもよさそうなものですよね。しかし人間の意識は徐々にしか変化しないもので、現代の中国においても主流は家族主義的な発想であり、高齢者福祉は、子供たちの「親孝行」(filial
piety)が頼りという傾向が強い。
シンガポール国立大学のJean Wei-Jun Yeungという教授の見るところによると、中国人の高齢者は、子供たちに面倒を見てもらっていないことを世間に知られることを恥と考えて、引きこもりがちになる傾向がある。独り暮らしの高齢者が孤立感にさいなまれるということになるわけですが、上海にある復旦大学の調査によると、上海で暮らす高齢者の84%が、隣近所の社交活動のようなものには殆ど参加したことがないと答えている。
The Economistによると、2009年~2011年の3年間における自殺者のほぼ半数が65才以上に集中している。特に農村部の高齢者に自殺が多いのだそうです。
- 年を取ってから独り暮らしをするのはどの国であっても厳しいものであるはずだが、特に中国においては孤独感が厳しいかもしれない。非常に多くの若者たちが、仕事を求めて村や親を捨てて行ってしまうのだから。
Living alone in old age can be harsh anywhere, but in China it may be particularly isolating, given that so many young Chinese have left their villages, and parents, in search of work.
中国では2013年に親の世話をすることを子供に義務付ける法律を作ったのだそうですね。それによると両親を訪問したり、彼らの「精神的な必要性」を満たそうとしない子供は罰金もしくは禁固刑に処するというものだった。The
Economistの記事にはその法律ができて、若年世代が親孝行になるという「成果」が出たのかどうかについては語っていないのですが、
- (そのような法律は)無駄な対応(futile response)というものだ。急激に変化する中国にあってはこれらの(高齢者向け)サービスは国がもっと力を入れてやるしかないだろう。
It is a futile response. In a rapidly changing China, much greater state provision is needed.
と言っています。
▼この記事の中で最も興味深かったのは、中国では、自分の子供たちに面倒を見てもらえない高齢者が、そのことを恥とするという傾向があるという部分です。つまり高齢者福祉は永久に大家族主義だけが頼りということですよね。政府が福祉にもっと力を入れること、NPOのような市民活動を奨励すること・・・おそらくそのような方向に進んで行くのでしょうね。NPOというのは、個人主義が発展した形であるわけですからね。
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4) 歴代党首に無視された演説原稿が蘇って・・・
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前号のむささびジャーナルで、労働党の新党首にジェレミー・コービンが就任したことは紹介しましたよね。その新党首が9月29日に開かれた労働党大会で党首として初めて演説を行い、英国ではどのメディアでも大きく取り上げられました。演説では「より親切な政治、より思いやりのある社会」(a kinder politics, a more caring society)を訴え、鉄道の再国有化や英国の核ミサイルの破棄などについて語りました。
彼の演説原稿はここをクリックすると読むことができますが、なにせ1時間にもわたる演説だけに文字でも相当に長い。むささびは1カ所だけ抽出して紹介します。それはコービンの考える労働党の基本哲学を語ったと思われる部分で、次のような文章になっている。
- 人類の歴史始まって以来、どのような人間社会にも共通しているのは、多くのものを与えられている人間が何人かいる一方で、大多数の人びとはごくわずか、もしくはほぼ何も与えられていないということです。何人かの人には土地があり、権力があり、階級もおカネもあるし、地位もあれば影響力もある。その一方で多くの人にはそのようなものはない。
Since the dawn of history in virtually every human society there are some people who are given a great deal and many more people who are given little or nothing. Some people have property and power, class and capital, status and clout which are denied to the many.
つまり、人間の世界には常に「持てる者」と「持たざる者」があるというのがこれまでの歴史だったというわけですね。そして「持てる者」は「持たざる者」に対して次のように言う。
- 世の中を変えることなどできるはずがないのであり、大多数の人びとは生きることが許されている社会的な条件をそのまま受け入れなければならない。
They say that the world cannot be changed and the many must accept the terms on which they are allowed to live in it.
「持たざる者」はとりあえず生きているだけでも有難いと思うべきである・・・と聞かされる(tell the many to be grateful to be given anything at all)というわけですね。それに対してコービン党首は「持てる者たちが作った条件の中でとりあえず生存できることを有難がる必要などない」としたうえで
- 権力者があなた方を支配する条件を決めるのはあなた方なのだ。その条件を満たすことができない権力者はクビにするしかない。それが民主主義というものであり、労働党が守ってきたメッセージなのだ。
No, you set the terms for the people in power over you, and you dismiss them when they fail you. That’s what democracy is about.
と強調したわけです。
実はコービン演説のこの部分、労働党のあるスピーチライターが、30年以上も前、労働党が万年野党であった時代に書いて党首の演説用に提供したものなのだそうです。ただ歴代の党首(キノック、ブレア、ブラウン、ミリバンドなど)によって使うことを拒否されてきた。それがコービンによってようやく日の目を見たというわけです。この点について、多くのメディアが「古くさい原稿を使った」と批判的に書いている。
▼コービン党首の下でこれからの労働党がどうなっていくのか、大いに注目されるわけですが、2020年の総選挙で保守党からの政権奪回を目指す労働党にとって試金石となるような政治イベントが来年の同じ日(2016年5月5日)に二つあります。一つはスコットランド議会の総選挙、もう一つはロンドンの市長選挙です。スコットランド議会の総議席数は120で、現在の議席数配分はスコットランド民族党(SNP)が過半数の64議席を占めており、続いて労働党(38議席)、保守・ユニオニスト党(15議席)、自民党(5議席)、無所属(3議席)というわけで、労働党がどこまで議席数を増やせるのかが注目です。あるいは労働党支持者の間でコービンに対する反発が強くて、SNPを支持する方向へ向かうのか?
▼労働党にとって厄介なのは、SNPの政策がかなり社会民主主義的でコービンの労働党に近いということです。違いがはっきりしない。唯一の(しかし大きな)違いはというとスコットランド独立への姿勢です。労働党は基本的には反対なのですが、SNPが選挙綱領(マニフェスト)の中で二回目の国民投票を行うと約束すると言われている。そうなると「左派だけど独立には反対」の労働党なのか、「左派で独立推進」のSNPなのか・・・スコットランド人がどのように投票するのか、全く分からない。
▼一方のロンドン市長選挙ですが、労働党の候補者はサディク・カーン(Sadiq Khan)という人で、これまでに労働党の下院議員を10年つとめている。1970年生まれの45才、父親はパキスタン系の移民でタクシーの運転手で母親は裁縫人。8人兄弟で、子供の頃はロンドンの低所得層向け公営住宅で過ごし、ノース・ロンドン大学卒業、人権問題に関する弁護士でもある。ロンドン市長選の労働党の候補者はブレア政権時代の重鎮だったテッサ・ジョエル(Tessa Jowell)下院議員が最有力とされたのですが、コービン党首を選んだのと同じやり方で投票した結果カーン氏が立候補することになった。
▼ロンドン市長選挙への保守党の候補者はザク・ゴールドスミスという下院議員が最有力とされているのですが、労働党のカーン候補とは対照的にイートン校卒で上流階級出身の見本のような存在です。ロンドン市長を現在のような形で選挙で選ぶようになったのは15年前の2000年のことなのですが、最初は労働党の市長が8年間(2期)続き、現在のジョンソン市長(保守党)は2008年に就任、現在は2期目です。来年の選挙で労働党市長が誕生すれば、ロンドン市民が労働党への支持を表明したことになり、コービン党首には大変な追い風となるわけです。
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5)ラグビーと英国社会
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はるか昔のことのように思えるけれど、日本がラグビーのワールドカップで南アフリカに勝ったとき、日本のメディアはもちろんですが、英国のメディアでも、まさか、「あの日本」があの南アを破るなんて・・・と大騒ぎだった。「あの日本」とは「誰も真面目には考えたことがない相手である日本」(Japan
never taken seriously)という意味です。
ただ、英国メディアのサイトを見ながら、むささびが「おやっ?」と思ったことがあります。いわゆる高級紙と呼ばれる新聞と大衆紙とされる新聞の間で騒ぎに差があったことです。BBCや高級紙は、少なくともスポーツ・セクションでは例外なくトップ・ニュースであったし、サイト自体のトップページに掲載したところもあった。Sunday Telegraphなどは新聞そのものの第一面のトップ記事だったという話もある。その一方で大衆紙とされる新聞は、(むささびの見た限りでは)スポーツ・セクションでもトップはラグビーではなくやはりサッカー関連の記事だったわけです。
そういえば英国ではラグビーはどちらかというと上流階級のスポーツとされるという話を聞いたことがあったっけ・・・と思いながらネットを当たってみたら、レスターにあるデモンフォート大学(De
Montfort University)のトニー・コリンズ(Tony Collins)教授のブログに行きあたりました。彼は歴史の教授なのですが、特にスポーツの歴史を専門にしており、'A Social History of English
Rugby Union' などの著書もある。
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ラグビーの故郷、Rugby School |
「ラグビー」にも2種類あるということ、あなたは知っていました?コリンズ教授のブログを読むまでむささびは知りませんでした。一つは「紳士であり、アマチュアであることが可能だった人たち」(those who could afford to be gentlemen and amateurs)がプレーするラグビーであり、もう一つは「そのような贅沢は許されなかった人びと」(those who couldn't)が行うラグビーです。結論から先に言っておくと、今回日本が南アに勝ったことで大騒ぎになったのは前者のラグビーのことです。
ラグビーというスポーツの始まりは、1823年、イングランドの真ん中あたりにあるラグビーという町にある私立学校(Rugby School)の生徒が、フットボールの試合中にボールを持って走り出してしまったことであるというのが通説になっています。その50年後の1871年にラグビー・ユニオン(Rugby Union)という団体ができ、これがラグビーというスポーツが英国全土および大英帝国の進出先にまで広がっていく出発点となった。
ユニオン発足の時点でのラグビーは金持ちの子弟が通う私立学校(パブリックスクール)を基盤とするアマチュア・スポーツで、教育の一環として行われていたのですが、コリンズ教授によると、これが全国的に広がるようになって、特にイングランド北部では爆発的な人気を博するようになり、北イングランドにもラグビー・ユニオン傘下のチームがいくつかできた。ただ当時の北イングランドは炭鉱と繊維が中心の産業でラグビーのプレーヤーも炭鉱夫や繊維工場で働く労働者が多かったし、ゲームを見る観客も、いわゆる「労働者階級」が圧倒的だった。北イングランドのファン気質が、ラグビーというスポーツを生んだ名門私立校の気質とはまるで合わず、そのことが「ラグビー・ユニオン」の分裂にまで繋がり、それは21世紀のいまも尾を引いている。
北イングランドのファン気質の何がそれほど問題であったのか?パブリックスクール出身者を名乗る人物が、当時、北イングランドの有力紙、ヨークシャー・ポストに投書して、北イングランドのファンが粗野で無知で、「紳士のスポーツ」としてのラグビーのやり方を無視しており、
- 「親愛なるイングランド」が昔から守ってきたフェア・プレイの精神を侮辱するものであると言える。
it is a disgrace to the prestige of “Dear Old England” for time-honoured fair play.
と書いている。この投稿者が怒っているのは礼儀をわきまえない選手のみならず、試合中大きな声で選手に野次を飛ばしたり、罵声を浴びせたりする観客の騒ぎぶりだった。ラグビーを人格教育・人間修養の一環(紳士のスポーツ)として考える南イングランドの上流階級にとっては我慢のできない光景であったということです。
が、コリンズ教授によると、北イングランドの労働者たちはラグビーを「教育」ではなく「娯楽」の一つとして楽しんでいたということであって、ラグビーに対する姿勢の違いから来る摩擦だった。19世紀も終わりのころには炭鉱産業の世界でも労働条件の改善が行われ、労働者たちは土曜日の午後に休みをとれるようになった。その彼らにとってラグビー観戦は格好の娯楽であったわけです。中にはビールを飲みすぎて酔っ払って暴れる客も出てくる。
南イングランドの関係者にとってさらに気に食わない習慣として、北イングランドではラグビーの選手に対して金銭および現物によるご褒美(reward)が配られたりすることもあったということ。それは金銭の場合もあったし、品物(例えば服地とか)の場合もあったわけですが、ラグビー・ユニオンの紳士たちにしてみれば、ラグビーに金銭や物品が絡むことなどとても許せるものではなかった。当然、これは厳重に禁止、これに違反する選手や関係者はユニオンを除名するという規則を作ったりした。しかしコリンズ教授によると、「ご褒美」という習慣にも切実な理由があった。北イングランドにあるチームの選手たちは大半が炭鉱夫か工場労働者だったので、ラグビーをプレーするためには職場を休まなければならない。となるとその分だけ給料を払ってもらえないので、選手と炭鉱夫を両立させるためには、ラグビーをすることによる何らかの報酬は必要だったということです。
にもかかわらずラグビー・ユニオンは厳重に規則を守らせようとしたために北イングランドのラグビー界との間で溝が深まり、ユニオン発足から24年後の1895年、ついに北イングランドの5チームがユニオンを脱退、Northern
Unionという新しい「プロ・ラグビー」の組織を作ることになる。すなわち選手がおおっぴらに給料を払ってもらえるスポーツになったということ。これが後にラグビー・リーグ(Rugby
League)となり、いまでもラグビー・ユニオンと敵対するように存続している。ただラグビー・リーグ発足からちょうど100年目の1995年にラグビー・ユニオンもプロ化しているので、現在では報酬の有無という違いはなくなっている。
ことしは労働者階級のラグビー・リーグが発足して120周年という年なのですが、メディア的にはいまいち盛り上がっていない。ラグビー・ユニオン主宰のワールドカップがイングランドで開かれているということもあるのですが、ラグビーの世界ではやはり「ユニオン」が主流であるということです。例えば王室がパトロンをやってみたりするのは、いずれも「ユニオン」のチームです。ユニオンがプロ化する前は、報酬に惹かれて「ユニオン」の選手が「リーグ」のチームに移籍ということもあったけれど、最近ではその反対で「リーグ」のスーパースターが「ユニオン」に移籍するケースが多いのだそうです。
「ユニオン」と「リーグ」の間に存在する格差は、19世紀以来の英国社会の移り変わりを反映しているとも言えます。産業革命の遺産によって20世紀に入っても繁栄を続けていた北イングランドが、20世紀の最後のところで炭鉱産業や繊維産業の衰退によって地盤沈下、それに代わってロンドンを中心とする南イングランドの金融・サービス産業が英国経済の中心となって現在に至っているということです。 |
▼「ユニオン」がやるラグビーと「リーグ」がやるラグビーの違いを詳しく説明するのは止めておきます。かなりいろいろとあるようで、それを説明し始めると滅茶苦茶長くなってしまうからです。一つだけ言っておくと「ユニオン」のラグビーはプレーヤーは15人、「リーグ」の場合は13人です。元々は15人だったのですが、「リーグ」が13人制を取り入れたのは「見て面白い」からです。選手間のスペースも大きくなるし、パスも長くなったりで確かに少ないプレーヤーの方が見た目には面白いですよね。
▼この記事を読みながらむささびが想ったのは日本のプロ野球の世界ですね。むささびは半世紀ほど前、阪神タイガースのファン(いわゆるトラキチ)であったのですが、そのころの阪神ファンが、この北イングランドの人たちと似ていたわけですよ。阪神が勝てばご機嫌なのですが、負けようものなら、選手に対して「アホンダラ」の罵声を浴びせ、中には相手チームのファンに殴りかかるようなのもいたのであります。さらに昔は大洋ホエールズが川崎球場、東映フライヤーズが駒沢球場を本拠地にしていたのですが、メッカである後楽園球場と比べると見劣りがしたものです。が、ファンの熱狂ぶりはというと後楽園球場の家族連れとはちょっと違っていましたね。
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6) どうでも英和辞書
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Yogiisms:ヨギイズム
ごく最近(9月22日)90才で亡くなった元ヤンキースの名捕手ヨギ・ベラ(Yogi Berra)が生前に残した数多くの発言を総称して「ヨギイズム」というのだそうです。ちょっと聞くとまともなコメントのようなのに、よく考えるとケッタイなものであることが多い。いくつか紹介すると:
Bill Dickey is learning me his experience.
ビル・ディッキーは俺に自分の経験を学んでいる。(teachingと言うべきところをlearningと言ってしまった。典型的なヨギイズム) |
I always thought that record would stand until it was broken.
記録というものは破られるまでは残っているものと思っていた。(何のこっちゃ!?) |
In baseball, you don't know nothing.
野球では何も分からない。(二重否定のおかしさはともかくとしても意味が分からない。野球では何が起こるか分からないってこと?) |
It gets late early out there.
あそこでは早く遅くなるからなぁ。(夕暮れが早いという意味かも?) |
We made too many wrong mistakes.
オレたちには誤った間違いが多すぎたのさ。(誤りでない間違いなんてあるんですかね) |
It ain't the heat, it's the humility.
暑さじゃないんだ、謙遜なんだよ。(もちろん”湿気”という意味の "humidity" と言うべきところを "謙遜:humility" してしまっただけのこと) |
So I'm ugly. I never saw anyone hit with his face.
確かにオレはブ男だよ。だけど誰も顔で打つんじゃないからな。(ごもっともです) |
という具合で何だか支離滅裂のようでいて、一応言いたいことは分かるような気がしないでもないという発言の名人であったわけです。ちなみにヨギ・ベラの息子(デイル・ベラ)も大リーガー(内野手)だったのですが、彼は父親について次のようにコメントとしています。
- You can't compare me to my father. Our similarities are different.
オレとオヤジは比べられないな。オレたちの類似点は違うんだから・・・
似ている点が違う・・・!? 親が親なら息子も息子、遺伝なんですかね。 |
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7) むささびの鳴き声
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▼4番目のコービン労働党党首の記事に関連してもう少し。コービン演説の中でむささびが感激してしまったのは「与えられるものを有り難がって受け取る必要はない」(You
don’t have to take what you’re given)という部分です。いまの日本の状況に重ね合わせて考えるからです。どんな時代にも「支配的な考え」というものがあって、それに逆らおうとすると「非現実的」とか「世の中をダメにする」などと言われて、首をすくめて何も言わずに「世の常識」に従うようになる・・・むささびによると、いまの日本も「支配的な考え(常識)」だけがのさばっている社会であるというわけであります。
▼コービンによれば、「核兵器の所有は必要だ」とか「産業の民営化こそが英国を豊かにする」という意見はサッチャー以来の保守党が振りまいてきた「常識」であって、そのまま信用する必要など全くない・・・となる。私の知っている英国人は「コービンの言っていることはどれも正しい」と言いながら、「でも、彼の労働党が2020年の選挙で勝つ可能性はゼロだからなぁ・・・」とも言っている。むささびは「アンタにとって大事なのは、彼が選挙で勝てるかどうかではなくて、言っていることが正しいかどうかなのでは?」と親切にもアドバイスをしてあげたところ、いまいち納得が行かない様子であります。いくら彼の言うことが正しくても選挙で勝てない(英国人に支持されない)のでは意味がないではないか、ということのようです。
▼コービンが選挙では勝てないと彼が考える最大の理由は、メディアによるコービン攻撃にあるようです。新聞やテレビが、あたかも客観的な真実であるかのようにコービンのダメさ加減を伝えまくれば、コービンが正しいと思っている気持ちも揺らいでしまうというわけです。
▼その点、3代前の党首だったブレアは違っていた。政権発足と同時に大衆紙、デイリーミラーの政治部長をしていたアレステア・キャンベルを首相付きの報道官に任命、ルパート・マードックの大衆紙などの抱き込みに力を入れた。そして英国人の間で圧倒的な人気を誇る「若き宰相」となった。普通、政府の「報道官」といえば
"Press Officer" とか "Press Secretary" と呼ばれるものですが、キャンベルの肩書きは
"Director of Communications and Strategy"(情報伝達・戦略担当部長)だった。メディアの間では彼は
"spin doctor"で通っていた。プロパガンダ名人というわけで、メディアを使ってセンセイションを掻き立てる術を心得ていた。結局6年間、ブレアとコンビを組んだのですが、キャンベルについてサッチャーさんの報道官だったバーナード・インガムは次のように語っています。
- Blair is responsible ultimately for the loss of trust because he allowed the methods Campbell employed to operate.
ブレアは(政府に対する国民の)信頼の喪失に最終的な責任がある。何故ならブレアがキャンベルのやり方で物事を進めることを許してしまったからだ。
▼要するにブレアの人気も結局はプロパガンダで演出されたものだったことが有権者に分かってしまったというわけです。で、日本の安倍さんの場合も表には出てこなくても、日本版のキャンベルのような存在がいるのであろうとむささびは推測するわけです。「3本の矢」とか「アベノミクス」とか「一億総活躍社会」などのような新聞やテレビの編集者たちが「見出し」として使いやすいような「宣伝文句」を作ることに長けている。「言葉の遊び人」のような人たちですね。ジェレミー・コービンのスローガンは "Straight Talking and Honest Politics" です。「言葉の遊び人」を拒否している。
▼日本においては、安倍さんが「一億総活躍社会」などと言い始めているのですよね。むささびとしてはそれに対抗する意味(意図)もあって「非国民宣言」を行おうと思っています。あと何年生きるのか分からないし、どのみち活躍には縁がないけれど、安倍さんがいうような意味での「活躍」だけは絶対にしないことをお誓い申し上げます!マルクスとエンゲルスが『共産党宣言』を書いてから167年になる。あの宣言の締めくくりの言葉は「万国の労働者よ、団結せよ」(Working
Men of All Countries, Unite! Proletarier aller Lander, vereinigt euch!)です。むささびの「非国民宣言」の締めくくりは、「日本の非国民たちよ、団結せよ!」(All
the national defectors of Japan, Unite!)ですね。
▼夕暮れの時間が早くなって、人恋しいような季節、長々と失礼しました。 |
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むささびへの伝言 |