いつの間にか5月も半ば、初夏の雰囲気になってきましたね。自宅の裏にプランターを置いて、トマトとキュウリを育てていますが、トマトには早くも花が咲きました。ということは確実に実もなるということです。嬉しいじゃありませんか。人間、年を取って毎日が日曜日になると、どうしても草花を相手に生活するようになる。当方の庭に植わっているバラは、何と今年で39年間、花を咲かせ続けています。39年ですよ!
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目次
1)シンゾーの計算違い?
2)フィンランド独立記念コインの悪評
3)相変わらず日韓びり争い:女性と「目に見えない壁」
4)男女平等、女たちの意見
5)男社会と市場経済に抵抗する
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
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1)シンゾーの計算違い?
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5月3日の憲法記念日に安倍首相が「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と表明したことについて、5月4日付のThe Economistが記事を掲載しています。安倍さんが「攻勢に出た」(On
the offensive)けれど、「有権者の間では首相の考え方に反対意見が多い」(Voters are up in arms about the
idea)と言っている。
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記事がまず言及しているのが、改正憲法で「自衛隊を明文で書き込む」という安倍さんの言葉です。憲法第9条は日本が軍隊を持つことを禁止しているけれど、約25万人にのぼる自衛隊員、戦闘機1600機、ヘリコプター搭載艦4隻などの現実は憲法の平和条項(pacifist
clause)には、いまいちそぐわない(sitting a little awkwardly)ところがある。さらに第9条のおかげで日本が国際的な平和維持活動に参加するのかどうかをめぐって常に終わりなき議論(endless
debates)が繰り返されてきた、とThe Economistは書いています。
The Economistは安倍さんが、超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」の会合で「憲法を不磨の大典(immortal tome)と考える国民は非常に少数になっている」と述べたことに触れて、衆参両院において発議に必要な3分の2の議席を確保していること、さらに北朝鮮による度重なるミサイル実験等々から安倍さんが自信を持つに至ったについては「それなりの理由」(some reason)があるとしている。
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ただThe Economistは安倍さんの自信が計算違い(miscalculation)に終わることもあり得るとして、NHKによる世論調査の数字を挙げている。それによると憲法第9条については、変えることに賛成の意見は25%で、反対意見の57%をかなり下回っていることを挙げている。さらに社会学者の小熊英二氏は、「憲法改正に対する支持は10年ほど前でピークを過ぎている」として「特に若者は外国とのいざこざに関わることを嫌がっている(wary of foreign entanglements)」と言っている。というわけでThe Economistの記事は次のように結ばれています。
- 安倍氏自身が、殆どの有権者にとっては景気の方がより大きな関心事であることを認めている。ファミリーがやり残した事業を余りにも熱心に追求しすぎると、事業の完成自体に遅れをきたすことになる可能性だってある。
Mr Abe himself concedes that the economy is a bigger concern for most voters. By pursuing unfinished family business too eagerly, he may end up delaying its completion yet again.
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最後の「ファミリーがやり残した事業」(unfinished family business)というのは、憲法改正が安倍さんの祖父(岸信介)の時代からの懸案事項であるという意味です。
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▼今年で何と99才になる、あの中曽根さんが5月1日、自分で主宰する「新憲法制定議員同盟」なる団体の会合で次のように語ったのですね。
- 明治憲法は薩長同盟という藩閥政治の力の所産であり、現行憲法はマッカーサーの超法規的力が働いたことを考えれば、憲法改正はその内容にもまして、国民参加のもとに国民自らの手で国民総意に基づく初めての憲法をつくり上げるという作業だろうと自覚する。
▼明治憲法は薩長同盟によって、現在の憲法はマッカーサーによって、それぞれ上から押し付けられたものであって、日本国民自らの手で作られたものではない、今度こそ「国民総意に基づく」憲法を作らなければ・・・というわけですよね。明治維新そのものが一揆のような庶民レベルの反乱の結果として生まれたものではなかったのだから、憲法の制定にあたっても「国民」が参加するようなシステムそのものがなかった。
▼いまの憲法は日本が戦争に敗れたことがきっかけで出来たものです。日本人を抑圧してきた日本の軍国主義を自分たちの手で打倒して自分たちの憲法を書き上げることができればよかったのかもしれないけれど、日本人にはそれができなかった。アメリカがやってしまった。新憲法の作成過程についていろいろと裏話はあるにせよ、それが直接日本人の手によって作られたものではないことは確かですよね。しかしだからと言って日本人が今の憲法を、自分たちの意に反して押し付けられたものとして渋々受け入れたわけではない、どころか多くの日本人がこれを歓迎した。
▼ただ全ての日本人が新しい憲法を歓迎したわけではない。例えば安倍さんのお祖父さんだった岸信介さんのように、それまでの「軍国主義・日本」、「帝国主義・日本」を担いで来た人びとは「マッカーサーに押し付けられた」と感じたのだと思います。現在の憲法が施行された1947年5月3日、中曽根さんはほぼ30才になっていた。彼もまた岸さんと同じように、戦争に敗れたことの「無念さ」は感じたかもしれないけれど、戦争をやってしまったことへの罪悪感はなく、「いつの日か必ず日本人の手で憲法を作る」と心に誓ったりしていたのかもしれない。それがシンゾーに受け継がれて、現在に至っているというわけですね。
▼むささびは、中曽根さんや安倍さんがこだわっている「日本人の手で」という発想とEU離脱を推進する英国人の姿勢の間に共通点を見てしまう。BREXITEERSが叫ぶ「英国は英国人のもの」という言葉と「日本の憲法は日本人の手で」という言葉の間に存在する類似点です。それはおそらく「ひきこもり志向」という言葉で表現するべきなのかもしれない。日本人が「自主的に」決めれば素晴らしい憲法になるなどという保障はどこにもない。EUの支配から抜け出して「主権」を回復することによって英国は何を得たのか?「他国の言いなりにはならない」というプライドだけ。そんなものが大多数の英国人にとって何の意味があるのか?
▼BREXITと日本の憲法改正・・・どちらも国民投票が絡んでいる。単純多数決で決まりという点も同じですが、違いもある。日本の憲法改正の場合は、国会の発議の段階で3分の2をクリアしていなければならない。その意味では一応の歯止めらしきものはかかっている。BREXITはひどい。キャメロン首相のツルの一声で国民投票が行われ、しかも単純なYES/NOの多数決だけでそれが「国民の意思」とされてしまった。議会における突き詰めた議論など何もなし。「議会での議論と承認が必要だ」と言った裁判官は、大衆紙の第一面に顔写真付きで「国民の敵」(People's Enemies)と非難され、この訴訟を起こした女性には脅迫状まがいのメールが殺到した。
▼BREXITと日本の憲法改正の間にはもう一つ決定的な違いがある(とむささびは思っている)。憲法改正の場合は、将来において「再改正」という可能性だってある(シンゾーの言うように、憲法は「不磨の大典」ではない)。EU離脱はどうか?ひとたび離脱したら復帰の可能性はないと考えた方がいい。その意味でもBREXITはひどい。 |
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2)フィンランド独立記念コインの悪評
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うかつにも気がつかなかったのですが、今年(2017年)はフィンランドの建国100周年という年なのですね。ある英国のサイトを見ていたら、フィンランドの建国を記念するコインが発行されたのですが、これがちょっとした揉めごとに発展してしまったということがあるのだそうです。フィンランド国営放送(YLE)のサイトを見たら確かにそれらしきことが出ていました。
それを説明するためには、ごく簡単にフィンランド建国までの歴史を説明する必要がある・・・というわけで、History of Finlandというサイトを見ると、フィンランドの建国記念日というのは、ロシアからの独立を宣言した日(1917年12月6日)という意味のようであります。いまのフィンランドの地に人間が住み始めたのは、ざっと1万年ほど前からのことですが、9世紀になってスウェーデン人が定住するようになった。日本でいうと平安時代あたりかな・・・。1150年になってスウェーデンの統治下に入り、これが19世紀初頭(1809年)まで続く。1809年というのは江戸時代もかなり終わりに近いころで、ネット情報では「間宮林蔵が間宮海峡を発見」したのがこの年だそうです。1700年代になってスウェーデンとロシア帝国の間で戦争が起こるのですが、1809年という年はスウェーデンがフィンランドをロシア帝国に割譲、以後フィンランドがロシア皇帝によって治められる「大公国」となった年でもある。そのロシア帝国が1917年の革命のよって倒されると同時にフィンランドが独立を宣言、ロシアの革命政府もこれを承認したというわけです。
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ロシアからの独立に伴う国内的なごたごたの際に、フィンランド政府軍(「白軍」The Whites)とソ連に後押しされた急進左派勢力(「赤衛軍」The Red Guards)の間で武力紛争が起こったのですが、ドイツからの援軍を得た政府軍の勝利に終わる。この内戦のことを「フィンランド独立戦争」と呼び、フィンランドという国の歴史の中では欠かせない部分になっている・・・ということで、100年後の2017年、独立100周年の記念コインのハナシになる。写真ではちょっと見えにくいかもしれないけれど、記念コインに独立戦争の際にフィンランド政府軍の兵士が「赤衛軍」の兵士を並ばせて銃殺刑に処しているイメージ(上の写真)が彫り込まれている。これが問題になったわけです。
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フィンランド国営放送によると、この独立戦争はフィンランド人の間でも亀裂を呼ぶような出来事で、今日でも「微妙な話題」(sensitive subject)であるにも関わらず、フィンランド造幣局(Mint of Finland)が外注したコイン・デザイナーが選んだのが処刑の写真だった。デザインが発表されると、フィンランドのネットメディアの間で疑問の声が上がり、財務大臣も
- フィンランドは100才になったのだ。我々は共にある、一つの国なのだ。(なぜこのようなコインを発行するのか)私にはさっぱり分からん。
Finland is 100 years old, we are together, we are one nation. I simply don’t understand.
というコメントを発表、結局このコインは発行されないことになった。実は記念コインの中にはもう一つ、フィンランドのソシアルメディアで顰蹙を買っているものがある。それは「世界正義」(Global Justice)といいうタイトルのコインなのですが、あしらわれているイメージが一昨年、地中海で溺死して世界中の話題をさそったシリア難民の男の子の姿であるというわけ。ネットでは「処刑だの溺死した難民だの・・・もっとましなものを考え付けないのか?」と悪評サクサクという感じです。「処刑」のコインはキャンセルされたけれど、「難民の子」のコインについては2019年発行という予定だけが発表されているのだそうです。
▼確かに記念コインに銃殺刑のイメージをあしらうというのは、どうも・・・という感じがしないでもない。問題のコインで銃殺されているのは、社会主義ロシアの影響下にあったフィンランド人で、銃殺している側はスウェーデンの影響下にあった政府軍の兵士です。両方ともフィンランド人です。現在ロシア語を第一言語としてフィンランドで暮らしている人はざっと7万人、人口の1%強だそうですが、このうち約3万人がロシアの国籍保持者だそうです。記念コインの絵柄についてフィンランド国営放送が「微妙な問題」というのは、このことにも関係しているのかもしれない(むささびの想像)。 |
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3)相変わらず日韓びり争い:女性と「目に見えない壁」
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ちょっと古いけれど、3月8日は国連が定めた「国際女性デー」(International Women’s Day) だったんですね。それに関連して同じ日付のThe
Economistのブログ欄に「働く女性」(working
woman)の地位に関する国際ランキングが掲載されています。
OECD加盟の28か国における女性の大学進学率、賃金、子育てコスト、出産休暇等々10の分野における進展具合を数字化したもので「働く女性にとって最善の国と最悪の国」(The best and worst places to be a working woman)としてランク付けされています。トップ4がアイスランド、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドでいずれもスカンジナビア諸国となっています(デンマークは第7位)。100点満点で、トップのアイスランドと2位のスウェーデンは80点を超えている(OECD平均は60点)。最下位は韓国ですが、ビリから2番目の日本とともに得点は20点強ということになっております。
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OECD加盟国に関する限り、女性の地位は向上しているのですが、最近は向上率が低くなっているの だそうです。例えば2005年における女性の労働参加率は60%だったのですが、11年後の2016年 の数字は63%で殆ど上がっていない(男性の参加率は両年度とも80%)。賃金の点でも女性の賃金は男性のそれを100とすると85です。
具体的な女性の社会参加率を見ると、国会議員の割合がトップのアイスランドは48%なのに対して、 日本・韓国などは15%程度、企業の取締役を見ると、OECD平均が20%なのに対してスカンジナビ
ア諸国では30~44%となっている一方で韓国企業の場合はわずか2%なのだそうです。
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▼The Economistはこのランキングのことを "glass-ceiling index" と呼んでいます。glass-ceiling(ガラスの天井)とは「目に見えない壁」のことを言います。女性の社会進出を妨げている「目に 見えない壁」の厚さを数字化したものが "glass-ceiling index" ですね。中国とロシアが含まれて いないのですね。前回(2014年)の調査については、むささびジャーナル341号で紹介しています。あ の時は総合点のトップがフィンランドで、2位はノルウェー、3位がスウェーデンという具合に常に北欧勢が 上位を占める結果になっています。びり争いをやっているのが、日本と韓国であるということに変化ありません。「指定席」ってやつですね。
▼この調査とは関係ないけれど、ケンブリッジ大学のメリー・ビアード(Mary Beard)教授が London Review of Books(LRB)のサイトに
"Women in Power"(権力者としての女性) というエッセイを寄稿、女性の社会進出の歴史について書いている。彼女によると、いま世界で一番女性 国会議員の割合が高いのはアフリカのルワンダで60%を超える議員が女性なのだそうですね。さらにサ
ウジアラビアの議会に占める女性議員の割合はアメリカの下院のそれよりも高いのだとか。このあたりのこ とについてビアード教授は、「ルワンダやサウジでは、英米ほどには権力が国会に集中していないということかもしれない」と言っています。女性議員の数が多いというだけで民主国家というわけではないということです。これは興味深い指摘であります。 |
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4)男女平等、女たちの意見
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上に紹介したThe Economistの「目に見えない壁指数」は働く女性にテーマを絞ってランク付けしているのですが、英国の世論調査機関であるIpsos-MORIが世界24か国の女性の成人だけを対象に行った意識調査が
"Feminism and Gender Equality around the World" というタイトルで発表されています。それによると
- 世界中の女性の4分の3が、それぞれの国で不平等が存在すると思っている
Three in four women around the world believe there are unequal rights in their country
となっている。この調査が行われたのは今年(2017年)1月下旬です。日英米など8か国を取り出して、それぞれの国における女性の意見を紹介します。それぞれの国柄が見えるようでとても面白い。ここをクリックすると調査の全体を見ることができます。
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1) 私の国では男女平等が完全に実現しているとは思えない |
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ちょっと回りくどいけれど「自分の国では、男性との間で完全な平等を享受しており、自分の夢や希望を完全に叶えるだけの自由が許されている」というステートメントに同意できないという人の割合です。つまり数字が高ければ高いほど女性の不満が高いということになるわけですが、トップはスペイン(73%)、次いで日本、韓国が続いている。すごいのはロシアと中国で、全体から見ても不平等扱いを受けていると感じる女性が最も少ない国ということになる。 |
2) 私は男女平等を信じている |
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「女性は全ての分野で男性と同様、性別ではなく自分の能力に応じて扱われるべきだと思う」(women should be treated equally
to men in all areas based on their competency not their gender)というステートメントに賛成であると答える人の割合です。全体のトップはスウェーデンなのですが、中国も23か国中第6位です。最も低い(と言っても7割以上)のが日本と韓国なのですが、別の記事で紹介しているThe
Economistの調査では日韓が働く女性にとっては最悪の国となっている。あの数字とこの数字には何かの関連性があるのか? |
3) 自分の国には、社会的・政治的・経済的に
男女間の不平等が存在すると思う。 |
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全体の数字を見ると、スウェーデンがトップでメキシコ、インドと続いている。スウェーデンは男女平等社会の実現率では世界のトップクラスに位置している。なのに(であるが故にと言うべきか?)「まだ不十分だ」と考えている女性の割合が他国に比べると高い。女性の社会意識が高いということですかね。どうもよく分からないのがロシアですね。全体でも最下位なのですが、「男女間の不平等が存在すると思う」と感じる女性が5割以下の国なんてロシアしかない。ポーランドでも6割にのぼっているのに・・・。 |
4) 私は自分の国の女性の権利のために発言し活動もしている |
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男女平等社会実現のために自分自身が実際に活動していると言う女性はどの程度いるのか?中国のほぼ9割は全体でもトップであり、日本の3割以下というのは全体でも最低です。ドイツ、英国、韓国も「最低」の部類に属するのですが、日本の28%というのは際立っている。中国に次いで上位にいるのはインド、ペルー、スペイン、メキシコ、トルコ・・・という具合に、いわゆる「先進国」ではない国が多い。 |
5) 自分は女性の権利保護主義者(フェミニスト)だと思っている |
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自分がフェミニストだと考える女性は、かなり意識が高くてラディカルな感覚の持ち主ですよね。全体のトップはインド(83%)で中国は2番目です。このように考える女性が5割以下なのは(低い順から)ドイツ、ロシア、日本、ハンガリー、韓国です。 |
6) 私は、男性は女性よりも能力が高いと思っている |
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ここでいう「能力」は「仕事・金稼ぎ・教育」のような「社会的な能力」という意味です。女性自身が自分たちより男の方が優れていると思っている女性の割合で、全体のトップ5は中国、インド、ロシア、韓国、日本です。このように思っている女性が最も少ないのはスペインで100人中9人だそうです。 |
7) 女性の権利主張のために声を挙げると
何をされるか分からないので怖い |
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男女平等を叫ぶのに肩身が狭い思いをする女性がどの程度いるのか・・・トップはインド(50%)で唯一、半数に達している。次いでトルコ、ブラジル、韓国、中国と続くのですが、日本も全体の8位だから、肩身の狭い思いをする女性は決して少なくないということです。最も少ないのはドイツ、次いでアルゼンチン、英国などとなっているのですが、アメリカも全体の13番目でそれほど低くない。 |
8) 女性は男性よりも劣っていると思う |
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「男は女より能力がある」(men are more capable than women)というのと、「女は男に劣っている」(women are
inferior to men)というのではニュアンスが違うように思うけれど、ロシアの女性がそのように感じているケースが約5割なんですね。高いと思いません?英国女性の場合は10人に一人以下というのだから恐ろしい!? |
9) 女性は野望は持たない方がいい |
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要するに「女は家事・出産・育児以外のことをやろうなどという野望は持たない方がいい」と思っている女性がどの程度いるのかってことですね。インド(44%)が全体のトップなのですが、次いでロシア、中国、トルコ、韓国などが続いている。そのように考える女性が最も少ないのはカナダ、スペイン、英国でいずれも100人に8人という数字です。アメリカと日本は「平均」とほとんど同じ、大して低い方ではない。 |
▼どの調査もそれなりにお国柄というか「国民性」のようなものを反映しているのだろうと思うのですが、興味深いのはロシア人女性の感覚ですね。調査の数字をまとめると、ロシア人女性は(他国の女性に比べて)「自分たちの国では男女平等が実現している」、「男女間の不平等は存在しない」、「男は女より能力が高い」、「女は男よりも劣っている」という人の割合が高いのでありますね。男にとっては、やたらとものわかりのいい女性が多いように見える。 |
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5)男たちの市場経済に抵抗する
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The Prospectは、時事問題を扱う英国の雑誌にしては珍しく党派性が感じられない月刊誌です。同誌の不定期シリーズとして "If I ruled the world" というのがあります。「もし自分が世界を支配するとすれば」というわけで、書き手の世界観のようなものを手短に語る企画です。3月10日付のサイトに登場したのがヘレナ・ケネディ(Helena Kennedy)という貴族院議員(本職は弁護士・67才)で、昔ながらの労働党議員です。その彼女が世界を支配すると・・・
と言っている。「世界中の父権法を焼却(廃止)するための焚火大会をやる」とのことであります。「男中心社会を破壊する」というわけで、書き出しは次のようになっている。ちょっと長いけれどそのまま紹介します。
- もし自分が世界を支配したならば、まずこの世に存在するいくつかの作り話をぶち壊すだろう。例えば人間は実績を重ねることで人の上に立つことができる・・・というウソ。もしそれが本当だとするならば、何故かくも多数の役立たずの男が世界を取り仕切っているのか?私なら政府であろうと企業であろうとお役所であろうと、幹部職は男女の割当制にするだろう。あらゆる職場、あらゆる場で男女同数にするということである。
I would start by smashing some myths, like the idea that people get to leadership positions based on merit. A lie. If that were true, why are so many useless men running the world? I would introduce gender quotas across the board - from governments to corporations and public services. I want an equal number of women to men at every table.
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ケネディによると、女が男より優れているとは言い切れないかもしれないけれど、劣っているということはない。また女性は何につけても男性ほどには物事を決める立場に身を置くことが少なく、そのようなことに慣れていないこともあって、"why”
という質問をぶつけることが多い。「うまくいっていないのに、何故そのやり方を続けるのか?」ということを平気で口にする。それこそが民主主義には欠かすことのできない質問であるということです。現状に慣れてしまっている男の口からは出てこない質問が出てくる可能性が高いというわけです。
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このエッセイでケネディが最も力説しているのは「経済についての作り話に騙されるな」ということ。いわゆる「トリクルダウン経済学」(trickle down economics)は、「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」と主張するけれど、これは全くのウソ。資本主義を国家の縛りから解放する(小さな政府論)ことで、皆が成功し繁栄する・・・これもおとぎ話。この与太話のおかげで世界中の女性が犠牲を強いられている(women fare the worst)ということである、と。ケネディに言わせると、「小さな政府」や「トリクルダウン経済学」こそが社会的分断を加速させ、公共サービスを低下させ、政治家に対する不信感を燃え上がらせてきた。それを利用しているのが極右勢力というわけです。
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ケネディはこれまで30年以上にわたって世界を席巻してきた「産業の民営化」という考え方にも反対しており、例えば鉄道のような社会の中核を担う産業は再国営化するべきだとしている。さらに司法、国民健康保険、ソーシャルケア、刑務所、教育機関のような分野に「利潤追求」という発想を導入することを止めるべきだとも。
- この世にはマーケットという思想の入る余地がない場所があるのだ。人びとがお互いを支え合う「集団的責任」というものが存在するのだ。公共サービスといえども「ビジネスライク」である必要があることは間違いないが、私の支配下の公共サービスがビジネスそのものになることはない。
Market ideology should have no place in certain aspects of our lives where we have collective responsibility for each other. Yes, public services should be business-like, but they are not to be businesses under Kennedy’s rule.
とケネディは強調している。そして「以上はほんの手始めである」(That would be for starters)と付け加えている。
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▼英国人であるヘレナ・ケネディが挑戦しているのは、サッチャリズムが推進した「政府は小さければ小さいほどいい」という「常識」ですよね。「世の中、皆が貧乏になる平等主義より、金持ちが余計に金持ちになる自由主義の方がいい」というわけで
"Let the rich get richer" を主張したサッチャーさんですが、公にはしなかったものの「金持ちたちはもっとチャリティ精神を持ってくれなければ困る」として、自分中心的金持ちたちには批判的だった。いずれにしても「トリクルダウン」なんて現象が起こったとはとても思えない。それから公的なものを何でもかんでも「利潤追求」を前提にすればうまくいくという発想も甘かった。結局、行き着いたのはトランプのアメリカとBREXITの英国という国家中心主義でしかなかった。 |
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6) どうでも英和辞書
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tolerance:寛容さ・我慢
"tolerance" という単語を研究社の英和辞書で引くと「寛容さ」、「我慢」、「許容誤差」などの日本語訳が出ています。このうち「寛容さ」という意味での
"tolerance" という言葉をめぐって最近、オーストラリアで学校における性的少数者(LGBT)に対するいじめ撲滅運動がぽしゃってしまったというハナシが5月4日付のBBCのサイトに出ています。
LGBTについては、オーストラリアでは、これを認めよと叫ぶ市民団体と保守的なキリスト教徒の団体の間でほとんど感情的ともいえる対立にまで発展していた。この運動は、感情的な対立を止めて、性的少数者にも「寛容な」態度で臨むべきだとして、政府に対しても支持することを求めていた。が、この運動の主宰者がオーストラリアの首相あてに送った公開状の中に次のような記述があった。
- Make no mistake of our request: we do not seek a program that seeks approval of the way certain members of our society live. We seek only mutual respect and tolerance.
我々の要求について誤解しないで下さい。我々が求めているのは、この社会で生きるある人びとの生き方に対するお許し(認可)ではありません。我々が求めているのは互恵と寛容なのです。
この手紙文が公になると、この運動に賛同していた人びとから「toleranceとはどういうつもりか」という抗議が殺到、運動に対する支持を取り下げる有名人が相次ぐ事態となり、運動そのものが中止に追い込まれたというわけ。BBCのサイトには、抗議のツイッター・メッセージがいろいろと掲載されているのですが、その中にToleranceと似たような言葉であるAcceptanceという言葉を並べて比較しているものがあった。
- Tolerance: you're gross but I refrain bashing you. (お前は気持ち悪いけど、いじめるのはやめておく)
- Acceptance: you're a bit different but that's cool.(お前ってちょっと変わってるけど、おもろいじゃん)
首相あてに公開状を送ったのは、この運動に対する政府からの助成金の獲得を狙ってのことだった。責任者がLGBTの団体に謝罪の手紙を書いたのですが、その中で「手紙文の草案ではAcceptanceという言葉が使われていたけれど、極秘に政府高官のアドバイスを求めた結果、この言葉は使わないようにした」と言っている。
むささびの想像にすぎないけれど、Acceptanceという言葉には社会の構成員として「普通に受け入れられる」というニュアンスがあるのが、政府高官には気に入らなかったということかもしれない。LGBTはあくまでも「マイノリティ」であって、お情けで存在が許されるもの、「だから助成金」ということです。Oxford Living English Dictrionariesというサイトは "tolerance" という単語を次のように定義づけている。
- The ability or willingness to tolerate the existence of opinions or behaviour that one dislikes or disagrees with.
「あんたなんか嫌いなんだけど、我慢して付き合ってあげる」ということです。だったらやはりまずいよね。この手紙の草案を作った責任者はPR会社の人間だそうです。 |
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7) むささびの鳴き声
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▼「2020年に新憲法を施行したい」と発表した安倍さんが国会で「(憲法改正についての)自民党総裁としての考え方は詳しく読売新聞に書いているので、熟読していただければいい」と答えたのですよね。むささび自身は読売新聞を「熟読」してはいないのですが、テレビの報道番組を見ていたら、あるジャーナリストが、読売新聞が第一面で大々的に報道した安倍さんとのインタビュー記事について「あれはスクープと言えるのでしょうか?」と言っていました。そこで思い出したのがジョージ・オーウェルの次の言葉だった。
- Journalism is printing what someone else does not want printed: everything else is public relations.
▼「書いてもらいたくないことを書くのがジャーナリズム、それ以外はみんなPR(宣伝)」という意味ですね。あの番組のジャーナリストが言いたかったのは、「読売新聞の報道は、ジャーナリズムというより安倍さんのための宣伝活動のお手伝いだ」ということなのではないか(とむささびは想像するわけです)。そのような批判的コメントについて読売新聞の関係者は、何を語るのでしょうか?「正しいことの宣伝のお手伝いをして何が悪い」ということ?5月12日付の毎日新聞のサイトに、このインタビューについての解説記事がでているのですが、同紙の記者が読売新聞に取材したところ「取材や記事作成の経緯等に関しては従来お答えしていません」と言われたのだそうです。
▼「単独インタビュー」と言えば、5月13日付のThe Economistがトランプとの単独インタビューを掲載しています。主として経済政策をテーマにして、インタビューの部分は一問一答形式でトランプの語ったとおりに掲載されています。それ以外の「解説」の部分では同誌なりの見解を紹介しているのですが、同じ号の社説は次のような見出しになっている。
▼社説のイントロは「大統領の衝動性や浅薄さは、法の支配にとってのみならず経済にとっても脅威でしかない」(The impulsiveness and shallowness of America’s president threaten the economy as well as the rule of law)となっている。急にシリアにミサイルを撃ちこんだり、北朝鮮に航空母艦を派遣したり、FBI長官をクビにしたり・・・何をするか分からないトランプですが、インタビューでは、大統領の言葉を一言もらさずそのまま掲載したうえで、The Economistなりの批判的見解を、これも極めて詳しく載せている。刷り上がったThe Economistを見て、トランプは何を想ったのか?はっきりしていると思うのは、トランプはこの雑誌が日ごろから自分について非常に批判的な姿勢をとっていることを承知の上でインタビューのリクエストに応じたということ。安倍さん場合は、読売新聞が自分に好意的に書いてくれることが分かっているからインタビューに応じた。
▼読売新聞の安倍インタビューでは、安倍さんの考え方を詳しく知ることはできるかもしれないけれど、それとは反対の意見はどの程度カバーされているのか?それがしっかりカバーされていないのであれば、ジョージ・オーウェルのいう「宣伝」でしかない・・・つまり読者が金を払ってまでして購入するには値しないチラシと同じということ。
▼憲法改正について、The Economistは「安倍さんの計算違いということもあり得る」と言っているのですが、むささびもそのような気がしないでもない。「2020年に新憲法の施行を」というシンゾーのビデオ演説を聴きながら、そのように思ってしまった。自慢ではありませんが、むささびの感覚は笑ってしまうくらい「当たり前感覚」なので、自分がそのように感じるということは自分以外にも何百万という人が同じような感覚に陥っているに違いないということです。
▼安倍さんは2020年を、オリンピックと新憲法で「新しく生まれ変わった日本がしっかりと動き出す年」にするのだと言います。日本人全員がオリンピックをわくわくしながら待っていると思い込んでいるし、「ミサイルと拉致の北朝鮮」や「尖閣を狙う中国」のことを思えば平和憲法を変えて、自衛隊を国防軍にするというアイデアは素晴らしいと考えていると思っている。この人の想像力の世界には「沖縄」や「東北」は存在しない。
▼5月9日付の日本経済新聞のサイトに、「北朝鮮が核を放棄するならキム・ジョンウン氏を米国に招いて首脳会談に応じ、北朝鮮への武力侵攻などもしない」という方針をトランプが中国に伝え、中国が北朝鮮にパスしたという内容の記事が出ています。韓国では「北朝鮮に融和的」という政権が生まれ、中国とアメリカが接近し、中国と北朝鮮の間がおかしくなっているのを見てロシアが北朝鮮に接近している・・・こんな中でシンゾーは何を考えているのか?「オリンピックと憲法改正で生まれ変わる日本」ですか?巨額を投じる国際イベントで「世界の注目」を浴びると同時に、軍事力も高めて周辺敵国に勝手なことをさせない「強い国」になる・・・余りにも新しさがなさすぎると思いません?気の毒なくらいです。
▼ところで、むささびには5月3日生まれの弟がいます。むささびの兄は「一郎」、むささび自身の名前は「二郎」だから、弟は「三郎」となっても良さそうなものなのに、付けられた名前は「三吾」だった。憲法記念日の「5月3日」という日付を意識したとしか思えない命名です。両親にとって新憲法はそれほど大きな意味を持っていたということです。シンゾーには分からないだろうから親切にも教えてあげると、「新しく生まれ変わった日本」がしっかりと動き出したのは、現在の憲法が施行された1947年5月3日であって、1964年の東京五輪などではないの。分かる?シンゾー!
▼フランスにEU支持のマクロン大統領が誕生した途端にパリで左翼勢力による反マクロンの大デモが・・・というわけで、早くも「前途多難」という見出しが躍っている。むささびは、EUを強化しようとするマクロンの考えそのものは間違っていないと思うけれど、がんばりどころだと思うのは、いわゆる左翼勢力の言い分を取り入れることです。このむささびの5つ目の記事(男たちの市場経済に抵抗する)の中でヘレナ・ケネディが主張している部分です。もう一つ、むささびジャーナル357号でベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシェービッチが語った言葉も大いに傾聴に値します。
▼わ、分かりました、もう止めときます! |
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むささびへの伝言 |