暑い!完全に夏ですね。で、いきなりですが、おととい(6月23日)、日本記者クラブというところで行われた文部科学省前事務次官の前川喜平氏の記者会見、とても興味深い内容でしたよ。論理的なトークのお手本のような話し方で、非常に説得力があった。見ました?まだならここをクリックすると見ることができます。
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目次
1)トランプの国賓訪英は無理?
2)メイ政権の命運を握る北アイルランド
3)火事で政治が変わる?
4)日本の「名誉教授」の国民的劣等感?
5)英国人が見た日本人の「ウチ」
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
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1)トランプの国賓訪英は無理?
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6月21日(水曜日)、新しい国会の始まりというわけで、下院・貴族院の両議員を前に女王のスピーチが行われました。普通ならエディンバラ公と夫婦で参加する儀式なのですが、エディンバラ公(96才)が入院したため女王(91才)は長男のチャールズ皇太子を連れてやってきたようです。女王のスピーチは時の政府の政策のアウトラインを説明するもので、日本で言うと首相の施政方針演説にあたるのですが、女王は「私の政府」(my
government)の施政方針を説明するという形をとる。演説は、ここをクリックすると動画で見ることができ、ここをクリックすると文字で読むことができます。 |
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今年の演説の出だしは次のようになっている。
- 私の政府にとっての優先事項は、英国がEUを去るにあたり、英国にとって最善の条件を確保することにあります。私の大臣たちは、国会および自治政府、ならびに産業界その他の人びとと共に働き、EUの外における我が国の未来にとって出来る限り幅広い合意(コンセンサス)を作り出すことに責任をもって取り組もうとしています。
My government’s priority is to secure the best possible deal as the country leaves the European Union. My ministers are committed to working with Parliament, the devolved administrations, business and others to build the widest possible consensus on the country’s future outside the European Union.
このような出だしであることからしても、女王のスピーチ(メイ政権の政策)の中身は圧倒的にBREXITを成功させることに重点を置いたものになっているのですが、保守派のオピニオン・マガジン、The
Spectatorの「分析」によると、この演説は「何が語られたか」よりも、「何が語られなかったか」を考える方が面白いとして
- 女王のスピーチでドナルド・トランプの国賓訪英についての言及がないということは、彼の訪英そのものに疑問符がついたということだ。
Donald Trump's state visit to the UK is in doubt after there was no mention of it in the Queen's Speech
と言っている。スピーチの終わりの方に次のようなくだりがある。
- フィリップ殿下と私はスペインのフェリペ国王ならびにレティジア女王が7月に国賓としてお見えになることを楽しみにしております。
Prince Philip and I look forward to welcoming Their Majesties King Felipe and Queen Letizia of Spain on a State Visit in July.
スペイン王室による国賓訪問には触れられているのに、トランプのそれには全く触れられていない。今年1月下旬にメイ首相がワシントンを訪問した際、トランプを国賓として英国に招待したはずなのに・・・。どう考えても奇妙です。
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ただ最近(6月11日)のGuardianに出ていた記事によると、トランプがメイさんに電話をしてきて、「自分が訪英した際に大規模な反対デモなどが行われるのであれば、訪英を見送りたい」と告げたというわけ。そういえば、トランプの国賓待遇については、これに反対する署名活動が行われたりしたのですよね(むささびジャーナル364号)。
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▼実は女王のスピーチには、英国政府が気候変動についてのパリ合意を、これからも支持することを明言した部分もあります。パリ合意は、つい最近トランプが脱退を表明して英国でも大騒ぎになったものです。しかも女王自身がこれを支持することを公式に表明した。これでは国賓として女王に会うというわけにはいかないのでは?さらにトランプの国賓訪問に反対する署名には180万人を超える人が参加している・・・これでは「国賓」待遇であろうがなかろうが、トランプ訪英がかなりの規模の反対デモを誘発することは間違いない。つまりトランプの国賓訪問はキャンセル・・・!? |
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2)メイ政権の命運を握る北アイルランド
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はるか昔の出来事のような気がするけれど、英国で総選挙が行われた6月8日からまだ2週間とちょっとしか経っていないのですね。前号のむささびではジェレミー・コービン率いる労働党の大健闘について書きました。が、何のかんの言っても下院の最大政党がメイ率いる保守党であることに変わりはない。ただ選挙前の331議席から13議席減の318議席で過半数を割ってしまったことは、「圧勝」が言われていただけに、メイさんにこれは大ショックだった。下院の総議席数は650だから保守党が過半数を確保するためにはあと7議席が必要となる。そこで「協力」を申し出たのが北アイルランドの地域政党で、今回の選挙で2議席増の10議席を獲得した民主連合党(Democratic
Unionist Party: DUP)です。
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DUPのアーリーン・フォスター党首 |
北アイルランドには18の選挙区があるのですが、今回の選挙ではそのうち10の選挙区でDUPが勝利、7選挙区でシンフェイン党が勝ち、1選挙区で無所属議員が当選している。DUPは北アイルランドが帰属先をめぐって紛争状態にあったときに、アイルランドへの帰属を主張するIRAのようなグループに強硬に反対して英国(UK)への帰属を主張した政党で、EU離脱に賛成するなど、思想的には保守党と共通点が多い。そこで議会の過半数を得ることができなかったメイさんの保守党に対してDUPの方から協力を申し出た。ただお互いに与党として政策を実現し、閣僚も送り込むような「連立」というよりも、予算とか重要法案の審議・採決にあたってDUPが保守党に協力する「信頼関係」を構築しようという趣旨の申し出だった。
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首相官邸を訪問したシンフェイン党メンバー(左から二人目がアダムズ党首) |
このDUPからの申し出にメイさんの保守党がどのように応じるのか、まだ分かっていない。ただ二つ返事で受けるというわけにいかないのは、DUPの政治理念が「余りにも保守的」(deeply
conservative)ということがある。例えば英国全体としては合法である同性結婚や堕胎が、DUPの反対もあって北アイルランドでは法律違反となっている。また今回の選挙で健闘したスコットランド保守党のルース・デイビドソン党首は自身が女性同性愛者であり、同性婚に反対するDUPには反対の立場をとっていることもある。メイさんにしてみると、スコットランド独立を掲げたスコットランド民族党(SNP)から多くの議席を奪取したルース・デイビドソンの意向を無視するわけにもいかない。
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さらにDUP+保守党の連立政権が難しい理由として、暴力と紛争に明け暮れた北アイルランドに平和をもたらした1998年のベルファスト合意(Good
Friday agreement)の存在がある。当時のブレア政権とアイルランド政府の間で結ばれた和平協定で、これによって北アイルランドに「対英帰属」を主張するDUPのような政党とアイルランドへの帰属を主張するシンフェイン党のような政党の間で辛うじて成り立っている権力共有(power
sharing system)に基盤を置いている現在の北アイルランド自治政府そのものの存在が危うくなる。ベルファスト合意による和平の前提にはロンドンの英国政府が北アイルランドの国内政治には関与しないという条件がある。これではDUPがロンドンの保守党と連立を組むわけにはいかないということです。
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▼メイさんが選挙後に行なった内閣改造の中で気になったのは、BREXIT推進キャンペーンをリードしたマイケル・ガブ(Michael Gove)という人物が環境大臣として入閣していること。この人はがりがりの反EUであるばかりでなく、1998年に英国とアイルランドの間で結ばれたベルファスト合意にも批判的で、そのことを今でも隠していない。彼のベルファスト合意への批判は、当時のブレア政権が北アイルランドにおける和平を急ぐあまり、テロ集団であるIRAとの戦いを放棄したということにある。その意味では対IRAで強硬路線をとってきているDUPとも意気が合うわけです。
▼ただ、EUとの離脱交渉の中で北アイルランドとアイルランド共和国との間の国境をどうするのかが重要な交渉事項の一つであることを考えると、ほぼ20年も前に結ばれ、その後は北アイルランドからテロリズムが消えているというベルファスト合意の実績を考えると、ガブようなタカ派的な人間を閣僚に迎えることにしたメイさんの意図には首をかしげざるを得ない(むささびジャーナル340)。 |
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3)火事で政治が変わる?
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6月14日にロンドンで起こった高層住宅火災について、事故の2日後の6月16日付のThe Economistのブログが
- グレンフェル・タワー(焼けた高層住宅の名前)の破滅は英国政治における一時代の終わりを告げる事件になるかもしれない
The destruction of Grenfell Tower may come to symbolise the end of an era in British politics
と言っています。
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火災前と火災後のグレンフェルタワー |
この記事によると、ロンドンという都会自体がさまざまなコントラストを有しているところではあるけれど、この高層住宅が存在していたケンジントン=チェルシー(Kensington and Chelsea)という区はとりわけそれが激しい場所なのだそうです。ジョージア朝の豪邸とお粗末そのものの高層住宅が数百メートルの距離で混在している。今回の火災がどのような原因で起こったものであるにせよ、「真の原因は貧困にある」(true cause was poverty)とする意見はかなり多い。
過去50年間を振り返ってみても、最悪の火災というのは大体において低所得者層が暮らす高層住宅で起こっているのだそうです。1968年にイーストエンドで起こったローナン・ポイント・タワー(Ronan Point Tower)の火災では4人が死亡しており、2009年、カマウェルという地域にあったラカナール・ハウス(Lakanal House)の火災では6人が死亡している。
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リッチな南ケンジントンの住宅街
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これらの住宅はいずれも低所得者向けのsocial housingと呼ばれるカテゴリーに入る公営住宅なのですが、区当局による予算カットによって管理がまともではないということも指摘されている。グレンフェル・タワーの場合、スプリンクラーが設置されておらず、外壁の塗装材はアメリカでは高さ12メートル以上の建築物には使えないものであり、ドイツでは「可燃物」(flammable)というカテゴリーに入るものだった。The Economistによると、耐火性の高い塗装にしたとしてもコストの違いはわずか5000ポンドにすぎなかったはずなのに何故それを使わなかったのか?
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庶民的な?北ケンジントン |
The Economistはまたグレンフェル・タワーの悲劇は労働党のコービン党首の長年にわたる主張を裏付けるものとなってしまったとも言っている。即ち、マーガレット・サッチャーおよびトニー・ブレアによる効率重視の新自由主義的な経済運営のおかげで、英国が二つの世界に分裂してしまったということ。ケンジントン=チェルシー区についていうと、金持ち上流階級(over-class)と召使階級(service class)への分裂です。上流階級には彼らに仕える運転手・掃除人・ヘアドレッサーらが必要なわけですが、大体において移民・難民・単純労働者がこれにあたり、彼らは低所得者向けの公営住宅で暮らす。
グレンフェル・タワーの場合、区当局が建物管理をKCTMO(ケンジントン=チェルシー・テナント管理組織)という組織に任せてきたわけですが、この組織が民間企業なのか公的な機関なのかが(むささびには)よく分からないけれど、地方自治体のような公的な機関から建物や不動産の管理を任されているイングランド最大の組織であり、管理している物件はほぼ1万件にも及ぶのだそうです。この組織の幹部4人が昨年、65万ポンドのボーナスを貰っていたとThe
Economistは言っている。生活感覚から言うと6500万円ということです。
今回の火災事故に関連した風刺漫画。現場を訪問した女王が消防隊員や警察官の労をねぎらってから、メイ首相に「で、あなたは何をなさっているのですか」と聞いている。 |
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▼火災に遭った高層住宅(グレンフェル・タワー)が存在していたケンジントン=チェルシー(Kensington and Chelsea)はロンドンにある33の行政区の一つ。人口は約16万で面積の約12平方キロというのは東京でいうと豊島区より少しだけ小さいという感じです(豊島区の人口は約28万)。ウィキペディアにはいろいろと興味深い情報が出ています。例えば平均年齢。今から7年ほど前の調査では女性が89.8才、男性が85.1才で、女性の長生き率は英国一だった。が、同じ区でもリッチな南部とそうでない北部(焼けた高層住宅があったのは北部)では12才も違う。
▼さらにケンジントン=チェルシー区は英国のどの地方自治体と比較しても高所得者(年収6万ポンド以上)の割合が高く、金融業界で仕事をしている人の割合が英国一多くて、小売業で仕事をする人の割合は英国一低いのだそうです。いわゆる「勝ち組」が多いということでしょうね。ただ格差もまた大きいエリアのようで、最高所得者25%の平均時間給が41ポンド、最低所得者25%のそれは12ポンドという具合です。ポンドについて考える場合、モノの値段を考えて、むささびは「1ポンド=100円」として計算することにしています。12ポンドは1200円、6万ポンドは600万円ですね。
▼ケンジントン=チェルシー区民の政治意識はどうか?先ごろ行われた選挙では、区内の2選挙区のうち一つでは保守党が完勝だったのですが、もう一つではわずかな差で労働党が勝った。また昨年のEU離脱をめぐる国民投票では3万8000対1万7000で「残留」が圧勝している。むささびの想像ですが、比較的所得の高い「勝ち組」はEUへの残留を希望しただけではなく、かなりの部分が労働党支持のインテリ層なのではないか・・・。 |
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4)日本の「名誉教授」の国民的劣等感?
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6月10日付のThe Economistの「アジア」のコーナーに "Bristling with indignation"(怒りで毛を逆立てる)という見出しの記事が出ています。書き出しは
- 日本、報道の自由を調査する国連審査官に冷たい扱い
Japan gives short shrift to a UN rapporteur looking into press freedom
となっている。昨年(2016年)、国連の人権理事会が日本における報道の自由の現状について調査するべくデイビッド・ケイ特別報告官(Special
Rapporteur)を派遣、その報告書が最近、ジュネーブの国連人権理事会に提出されたのですよね。内容は、日本では報道の自由が政府によって脅かされているという「深刻に憂慮すべき兆候」(significantly
worrying signals)があるというものだった、と。
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The Economistによると、デイビッド・ケイ氏(米カリフォルニア大学教授)に対する日本政府の応対は冷淡なもので、面会を拒否する大臣もいたりしたのだそうですね。国連が派遣する調査官が行う報告については、どの政府も一応丁寧に取り扱うふりはするけれど、拘束力があるわけではないので大体において無視することが多い。なのに「日本は本気で毛を逆立ている」(But Japan bristles)というわけで、ケイ氏による「報道の自由度」調査のほかに日本政府が怒ってしまった例として、共謀罪法案に批判的なジョセフ・カナタチ氏による報告について「著しくバランスを欠いている」とする安倍首相のコメントなども紹介している。
The Economistでは、日本人が外国からの批判に対して冷静でいられない理由の一つとして、「国民的劣等感」(national inferiority complex)のようなものがある・・・とする林薫・東大教授のコメントも紹介されています。彼女によると、日本政府は何かというと「外国人は日本のことが分かっていない」(foreigners are ignorant of how things work in Japan)と文句を言うわりには、自分たちの立場や意見を説明する能力については「どうしようもない」(hopeless)とのことであります。
で、最初に戻って、デイビッド・ケイ氏による、日本の報道の自由をめぐる報告について、Academics’ Alliance for Correcting
Groundless Criticisms of Japan(不当な日本批判を正す学者の会)という「急ごしらえ」(hurriedly created)の学者団体が声明を発表、アメリカ人のケイ氏に対して「報道の自由に対する批判は(自分の国である)アメリカにこそ向けられるべきだ」(should
be directed toward his own country)と言っているのだそうです。これに対してデイビッド・ケイ氏は「国連の報告官と当該政府の間に緊張が走ることは避けられない」(Tension
is inevitable in the relationship between governments and rapporteurs)としながらも、自分の報告書は議論のための材料として使われるべきだ・・・というわけで、批判的なこの学者団体に対しては
- それほど強く反対なのであれば、直接自分に会いに来ればいいではないか、と言っている。
If they felt so strongly, he says, why didn’t they meet him face-to-face?
とのことであります。
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▼The Economistの記事が触れている「急ごしらえの学者団体」によるデイビッド・ケイ批判の声明文というのを(むささびは)読んでみました。結論から言うと「目を覆いたくなるような」ひどい代物でありました。「日本において、言論の自由は、従来と変わらず、引き続きしっかり確保されている」としたうえで、デイビッド・ケイ氏について、政治活動に携わるアメリカの大学教授の多くがそうであるように「安倍晋三首相がナショナリス
トではないかという誤った予断に支配されているのではないだろうか」と言ってから下記のように続けている。
- 実際、安倍首相は、ナショナリストではなく、愛国者であるに過ぎない。そもそも、国際的な視点に立てば、現実にアメリカ以上にナショナリスティックな国を見つけるのは、むしろ非常に難しい。したがって、ケイ氏の警告は、日本よりも、むしろ彼の母国であるアメリカに対して向けられるべきである。例えば、安倍首相は、現在のドナル
ド・トランプ大統領はいうまでもなく、バラック ・オバマ前大統領と比べても、はるかにナショナリスティックではない。
▼安倍さんは「ナショナリストではなく愛国者」というけれど、ナショナリストと愛国者はどう違うのか?安倍さんが後者であるとする根拠は何なのか?この声明文は日本語と英語で用意されており、日本語では「実際、安倍首相は・・・」、英語では
"In fact, Prime Minister Abe is..." となっている。つまり安倍さんがナショナリストではなくて愛国者であるのは「事実」(fact)なのだと言っている。なのにそれを証明・説明する事実がどこにも書かれていない。本当は「我々の思うところによると、安倍首相は・・・」(We
believe that PM Abe is...)とやるべきだったということ。
▼「国際的な視点に立てば、アメリカ以上にナショナリスティックな国を見つけるのは、むしろ非常に難しい」・・・何を根拠にそのように指摘するのかという説明がゼロだから、次に来ている「したがって」(therefore)という言葉が意味をなさない。自分の勝手な主観だけを並べ立てたうえで「したがって」と言われても困るのよね。
▼根拠のない自分の主観を説明するために「たとえば・・・」として、安倍さんはオバマと比べても「はるかにナショナリスティックではない」とくる。だからオバマとシンゾーのどこを比較してナショナリスティックであるだのないだのと言っているのさ!と聞きたいわけ。「学者」(Academics)を自称するわりには言っていることが日本語としてなっていない。(むささびの判定によると)他人に語りかける「声明文」という知的レベルに達していないわけよさ。
▼ちなみに、この声明文には10人の「呼びかけ人」と36人の「賛同者」が名前を連ねているのですが、呼びかけ人10人のうち9人が「名誉教授」、1人が「客員教授」という肩書になっています。二人だけ年齢を調べさせてもらったら一人は1925年、もう一人は1932年生まれでありました。92才と85才ということです。 |
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5)英国人が見た日本人の「ウチ」
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書評誌、London Review of Books (LRB) のサイトを見ていたら、今から32年前の1985年8月1日号に日系作家のカズオ・イシグロが書いた
"Uchi" というタイトルのエッセイが出ていました。英国人作家・ジャーナリストのジョン・モーリー(John David Morley)という人が書いて1985年5月に出版された
"Pictures from the Water Trade" という本の書評として書かれたものです。モーリーの本には "An Englishman in Japan" という副題がついている。むささび自身は読んだことがないけれど、『水商売からの眺め
- 日本人の生態観察』というタイトルで和訳が出ているようです。 |
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ジョン・モーリーは1973年から3年間、日本政府からの奨学金を得て日本で暮らす機会に恵まれたのだそうです。この人は1948年生まれだから日本にいたのは25~28才のときということになる。また書評を書いたカズオ・イシグロは1954年生まれ、"The
Remains of the Day" (日の名残り)という小説で英国版の芥川賞のようなブッカー文学賞を獲得しているのですが、それはこの書評エッセイを書いた4年後の1989年のことです。書評自体がかなり長いものなので、むささびが面白いと思った部分だけをピックアップして紹介させてもらいます。 |
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日本語を通して日本を見る
ジョン・モーリーは滞日中、日本にいる英米人とは一切接触を絶ち、日本人とのみ付き合いながら生活していたらしいのですが、カズオ・イシグロはジョン・モーリーのこの本について、「自分が接触する日本語という言語を通じて日本の文化を研究した」(examining
a culture through a scrutiny of its language)ものであることを挙げて褒めている。イシグロによると、欧米人が書く「日本論」は大体において、自分が知ることになったエピソードだけを寄せ集めて、あたかも全部知っているかのように書くケースが多い(tend
to resort to making disparate generalisations based on a ragbag of anecdotes)とのことです。そこへいくと、モーリーの場合は、自分が身を以って体験した「日本人が使っている言葉」を通じて日本を語ろうとしている点が優れている・・・というわけです。 |
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人が集まると「ウチ」が生まれる?
そしてジョン・モーリーがこの本の中で最もこだわった言葉が、日本人がしばしば使う「ウチ」(uchi)であるわけです。モーリーによると、この言葉はもともと「家」(house)という意味であったけれど、いまでは「自分」(I)も含めた自分の「家族」(household)との関連で使われるようになった。母親は自分の子供のことを「ウチの子」と言うし、夫は妻のことを「ウチのヤツ」、妻は夫について「ウチのひと」と言ったりする。実は「ウチ」という言葉は、お互いの連帯感が強い構成員から成るグループ(strongly
bonded grouping)にも使われる。企業の同僚のことを「ウチの人間」と言ったりする。ウチの会社・ウチの製品・ウチの社長・ウチの大学・・・人が集まる所には必ず「ウチ」があると言っても過言ではない。
- モーリーによると、日本人の心はウチの概念によって支配されている。世界を見るのも「ウチの人間と外の人間」(insiders and outsiders)という眼鏡で見てしまう傾向がある。
The Japanese mind, Morley argues, is dominated by the concept of uchi, giving it an unusual predisposition to see the world in terms of insiders and outsiders.
という具合に、「ウチ」という概念がモーリーの日本人観の中心になっている。
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曖昧のルーツも「ウチ」
モーリーはさらに、日本人同士の会話やコミュニケーション(意思疎通)における「曖昧」(aimai)さにも「ウチ」の理論を応用して説明しているのだそうです。日本人のコミュニケーションについてモーリーは「エレガントに言葉を省略し、曖昧模糊とした方法で行われる」ものであり、「欧米人には頭痛のタネ」(quite baffling to many Westerners)と言っている。
日本の芸術も文学も「曖昧」を抜きにしては語れないほど大切な要素であるとのこと。でも、なぜ「曖昧」ということが、日本の文化においてそれほどの地位を占めることになったのか?モーリー自身が交わった日本人の説明によると、長い間続いた徳川時代の独裁体制の中で、日本人が日常生活においても自由にはっきりモノを言うことをせずに「曖昧」を通していたのだ、ということになる。
「ソト」に対する丁寧さの本質
ただこの説明にはモーリー自身が納得していない。徳川時代の日本は、現在で言う「独裁体制」が人びとの生活にまで入り込んでいるというような窮屈な社会ではなかった。庶民は庶民なりに自由に会話をしていた・・・というわけで、モーリー自身の解釈によると、日本人のコミュニケーションにおける「曖昧」は「ウチ」の概念に関係している。
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モーリーによると、日本人は世界をインサイダーとアウトサイダーによって成り立っていると考え、その両者の間では「率直な会話」というものはないと考えている。ただ、「自分のウチ」以外の人間はすべてアウトサイダーではあるけれど、アウトサイダーといえどもそれぞれに「ウチ」を有している存在であり、極端に丁寧に扱わないとトラブルのもとになる。さらに自分の意見を明らかにしてもう一方の「ウチ」人間を侮辱しないようにする必要がある。
「ソト」に知られることを怖れる心理
また日本では、同じ「ウチ」の人間同士の間では、率直かつテキパキしたコミュニケーションが行なわれるけれどアウトサイダーに対しては曖昧さを保つ。日本語ではたびたび主語が省かれるけれど、それは日本人が「他人に聞かれる」ことを極端に怖れる傾向にあることと関係しているのだそうです。モーリーの結論によると
- 日本人の「ウチ」心理こそが、言葉がその意味を覆い隠すような形で発展させてきた。
the uchi mentality has caused the Japanese to develop their language in such a way as to suppress meaning.
ということになる。モーリーは、日本人同士の(外部の人間には)意味不明な会話は、日本家屋における薄い仕切り壁のせいであるとも言っている。他人に盗聴されることが頻繁に起こる環境で暮らしてきたということです。
- 日本人は、自分の「ウチ」の外側にいる人間に対してどのように振る舞うべきなのかということについては、明確な感覚も考えも有していない。
the Japanese have no clear sense of the appropriate way to behave towards those outside the uchi.
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「汝の隣人を愛せよ」との差
つまり、日本人の「アウトサイダー」に対する振る舞いが丁寧であったとしても、それは自分の「ウチ」の評判が悪くなることを防ごうとする自分中心主義(narcissism)のなせる業である、とモーリーは考えている。この点において日本人の他者に対する倫理観は「二律背反的」(ambivalent)である・・・即ち「丁寧」と「排他性」(のようなもの)が同居しているような精神状態にある、と。モーリーによると、キリスト教文明で生きる欧米社会には、「汝の隣人を愛せよ」(Love
thy neighbour)という道徳規範があり、日本社会が持つ矛盾のようなものに陥らなくて済んでいる、と。
ただモーリーの本を書評しているカズオ・イシグロは「欧米社会には日本のような曖昧さではなく、明確な道徳的規範としての隣人愛がある」とするモーリーの姿勢について「かなり独りよがりだ」(alarmingly
complacent)と批判的なコメントをしています。
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▼この本が出版されたのは1985年ですが、著者のモーリーが日本に滞在したのはその約10年前、1970年代半ばのことです。その頃の英国人が日本を見る眼は、いまから約10年前の中国を日本人や欧米人が見た眼と似ていると思います。何やら異質の人間が現れた、気持ち悪い、気を付けなきゃ・・・ということ。東京五輪から約10年、日大全共闘とか東大紛争などから5~6年、日本がどのような雰囲気の社会であったのか、ご記憶ですか?むささびに関する限り、世の中全体が欧米化の波に乗っていた時期であったように憶えています。学生運動のようなところにまで「個人主義」の姿勢が生まれていた時代、1960年の安保闘争時代とは異なっていた。英国人のモーリーはそのような日本を見たうえで、日本を離れてから約10年後にこの本を書いたということです。
▼では、その頃の英国はどうであったか?1975年というと、マーガレット・サッチャーが保守党の党首に就任した年です。ある英国人が書いた "Britishness
of the British"(英国人の英国らしさ)がその頃の英国を称して「戦争には勝ったけれど、平和に負けた国」(Britain
won the war but lost the peace)という言い方をしていた。国外では植民地がどんどん独立する中で、国内ではストライキの連続で市民の生活までマヒしてしまい「英国病」(British
disease)という言葉が世界的に定着してしまった。むささびがある英国人に、あの頃の英国人は何を感じていたのか聞いてみたことがあるのですが、「恐怖感」(scared)という言葉が返ってきました。
▼モーリーの本とイシグロの書評が書かれたのは、今からざっと30年前のことです。書評の中でイシグロは、モーリーの本が一読に値する理由として、英国人が日本人対して抱いている必ずしも正しくないイメージをある程度は正す本であるからだ・・・・と言っている。その頃、多くの英国人が日本人対して抱いていた感覚はというと「モーレツ・サラリーマン」(fanatical
businessmen)や「切腹文化」(hara-kiri)あるいはソニーのウォークマンに代表される「ちょっと変わった小物」(sci-fi gadgetry)などによって培われていた、とイシグロは感じていたということです。 |
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6) どうでも英和辞書
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hung parliament:宙ぶらりん議会
英国議会のサイトによると、総選挙の結果、どの政党も単独で下院(House of Parliament)の議席数の過半数(overall majority)をとることができなかった状態のことを'hung Parliament'と言うと書いてある。現在の英国下院がまさにその状態にあるわけですが、メイさんの保守党の議席数がどの党よりも多いという状態ではある。メイさんにとっての選択肢は二つ。一つは他の党と組んで連立政権を形成することで、2010年の選挙で最大議席数(307)を取ったけれど過半数には至らなかった保守党のキャメロンが選んだのが自民党(Lib-Dem)との連立だった。今回も自民党(12議席)と連立を組めば過半数を確保することはできる。が、BREXIT推進を最大の政策課題としているメイさんだから、これに真っ向から反対する自民党と組むという可能性はゼロです。
メイさんにとってのもう一つの選択肢は過半数割れのまま政権党であり続けることですが、それだと何を提案しても議会で否決されてしまうという危険性がある。そこで他党との間で「信任・予算合意」(confidence and supply agreement)という協定を結ぶことによって、連立ではないけれど、内閣に対する不信任動議が提出されたり、予算の成立に向けての議決が行われるような重要な場合にのみ政権政党に投票してもらうように取り決めることはできる。メイさんが民主連合党という北アイルランドの地域政党と結ぼうとしているのがこれにあたる。それがうまくいくかどうかは交渉次第ということ。
このどれもが難しいと思った場合は、最大野党である労働党に政権を譲るしかない。そして譲られた労働党も過半数を確保しているわけではないから、メイ政権と同じ状態であることになる。他党との連立や「信任・予算合意」のような協定ができない限り、少数政権を続けるしかないということになる。今回の選挙でメイさんの保守党が過半数を割って "hung parliament" を生んでしまったことについて、メディアの間ではメイさんの名前を「5月」という意味で使って、"May hung in June" などと揶揄しているところもある。
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7) むささびの鳴き声
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▼TBSの『報道特集』(6月17日)を見ていたら、6月15日に成立した「組織的犯罪処罰法改正案」(いわゆる共謀罪法案)について、哲学者の内田樹(たつる)さんが、この法律は「市民同士による相互監視型社会」の実現を可能にするものだと言っていました。この法律について「国家による市民に対する監視を強化する」という理由で反対する意見は(むささびも)たびたび読んだことがあるように思うけれど、内田さんの指摘には目からうろこが落ちる思いがしたわけです。
▼朝日新聞デジタルに、内田さんの考えが文字で掲載されているのですが、次の部分は特にうなずける。
- 政府が狙うのは「隣人を密告するマインド」の養成だろう。「共謀罪」を必要とする前提には、テロリストだけではなく、外国の意をくんで政府の転覆を謀る「反日分子」がウヨウヨいるという現状認識がある。政府には網羅的に検挙する能力がない。ならば、お上に代わって我々国民が摘発しよう、となる。
▼この種の法案に反対するときに、「戦前の特高警察の再来だ」と騒ぐ人がいるけれど、いまどき「特高」なんて作ろうとしても戦後の「民主主義」の中で育った日本人の多くには受けっこない。むしろ普通の日本人全員に「特高警察」になってもらって、憎らしくて気持ち悪い、中国や韓国・北朝鮮に融和的な態度をとる「反日的日本人」を摘発してもらおう・・・と、これですね。4つ目の記事に出てくる「不当な日本批判を正す学者の会」の先生方の存在もうなずける。
▼昔のことを語るのはノスタルジックで情けないけれど、共謀罪法案が成立した6月15日は、はるか昔(1960年)の安保闘争で学生が国会構内に突入して女子学生が亡くなるという事件があった日でもあったのですね。その事件の2日後に主なる新聞社が「暴力を排し議会主義を守れ」と訴えて「7社共同宣言」というのが出された。要するに国会に警官隊を導入した強行採決を行った政府も悪いけれど、国会構内に突入した学生も悪い・・・どっちも悪い、正しいのは新聞社だけ・・・と。あれから57年も経つんですね。
▼あの安保闘争の際に、むささびの祖母が「あれは軍事同盟やで・・・あんなもん通したらアカン」と深刻な表情で言っておりました。あれから57年、あのお祖母ちゃんが心配していたような徴兵制度や国家主義の復活も起こっていない。けれど「八紘一宇」という思想が素晴らしいなどと言う若い女性議員がいる。この言葉は、あの年に社会党の浅沼稲次郎さんを刺殺した右翼テロリストが愛した言葉なのに。その他、世の中、悪い方向へ進んでいるとしか思えない・・・と言う人が多いけれど、むささびはあえてその種の悲観論には組みしないでいようと思っているわけよね。意地ですな。たまには(いちばん最初のイントロで触れた)日本記者クラブで行われた前川喜平・文部科学省前事務次官の記者会見のような「いいこと」もあるんだから・・・。
▼あの会見は、前川さんのトークそのものも圧巻でしたが、むささびが強い印象を受けたのは、司会者(日本記者クラブ企画委員)の「最初に申し上げておきますが、この会見は我々から前川さんにお願いして実現したものです」という言葉でした。以前に石原慎太郎氏が築地の問題で日本記者クラブで会見をしたときは、石原さんの方から「やらせてくれ」という申し込みがあって実現したと伝えられたけれど、前川さんの場合は記者クラブの側から能動的に主宰したということです。これはとてもいいことである、とむささびは考えているわけさ。前川さんの言うことに賛成するからではなくて、メディアが自分たちの立つ位置をはっきりさせることがいいことだという意味です。
▼その会見で前川さんは、自分が出会い系バーに通っていたことについて報道した読売新聞の記事について「首相官邸の関与があったと考える」との認識を示したわけですが、あの会見に読売新聞の記者はいたのでしょうか?どなたか知っていたら教えてくれません?かなりの数の記者が質問したけれど、読売新聞を名乗る記者はついに出なかった。翌日の読売新聞のサイトも見たのですが、この会見についての記事は全く見当たりませんでした。でも、これはむささびの見逃しですよね。ね?まさか読売新聞が、自分たちの報道内容について「首相官邸に言われて書いたものだ」などと言われて黙っているなんてことないよね。しかも自分たちの根城でもある、日本記者クラブという場所を使った記者会見における発言を無視したというのはないよね、ね?
▼4つ目に掲載した日本の「名誉教授」に関する記事。その中で東大の林薫教授が「日本人が外国人に批判されるとすぐに怒るのは劣等感のなせるわざ」という趣旨のコメントをしているのは当たっていますね。この記事は5つ目の『日本人とウチ』の記事とも関係していますよね(そのつもりはなかったのですが)。外国人に批判されて安物のスピッツ犬のようにキャンキャン吠えるのは、必ずしも日本人だけではないけれど、あまりカッコいいものではない。古い表現だけど、ダサいんだよね。
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