musasabi journal

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378号 2017/8/20
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
上の写真、おそらく1950年代後半のものなのだろうと思います。子供らが集まって紙芝居を見ているところですよね。テレビ時代が来る以前の日本です。この写真を見て、今では死語になった言葉を思い出しませんか?そうです、「坊ちゃん刈り」です。むささびは丸坊主だったのですが、友だちの中には「坊ちゃん刈り」がいました。いまのこの年頃の子供たちは、紙芝居ではなくてスマホをやっているのですよね。もちろん丸坊主なんてほとんどいない。

目次

1)94才の不安「ことしの夏はおかしい」
2)ロシアはほとんどノイローゼ?
3)韓国:対北朝鮮、「無関心」の正体
4)「大英帝国はやはり間違っていた」
5)MJスライドショー:夕焼け
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)94才の不安「ことしの夏はおかしい」

8月14日付のGuardianのサイトに、ハリー・レズリー・スミス(Harry Leslie Smith)という94才になる社会活動家が「戦争の雷鳴が迫っている」という趣旨の短いエッセイを寄稿しています。ドイツ軍がポーランドに侵攻し、英仏などが対独宣戦布告を行ったのが1939年。それが第二次世界大戦の始まりであったわけですが、ハリーは
と言っている。ただ・・・彼によると今年の8月の風は1939年当時に吹いていた風と非常に似ているのだそうです。


2017年のいま、中東ではサウジアラビアがイエメンを破壊しているけれど、それは1935年にムッソリーニのイタリアがエチオピアを侵略したのと同じこと。シリア、イラク、アフガニスタンなどで流されている「罪なき人々の血」(innocent blood)には、英国の支配層が行っている偽善的政策が大いに貢献している。メイ政権によると、「平和は紛争地域における武器の拡散によってのみ達成される」(peace can only be achieved through the proliferation of weapons of war in conflict zones)とされている。ハリーによると、フィリピンのドゥテルテ大統領も英米に保護されながら貧困層(麻薬によって貧困から逃避しようとしている)を殺しまくっている人物ということになる。

あちこちに背筋が寒くなるような兆候が見られるけれど、その最たるものはトランプのような人物をリーダーに選んでしまったアメリカにある。かつてリベラル派のドイツ人は軍隊が自分たちをヒットラーから守ってくれると信じていたけれど、いまのアメリカ人が、将軍たちが自分たちをトランプから守ってくれると思っているとしたら愚かと言うほかはない。


英国だって誇れるものは何もない。ハリーによると、イラク戦争以来の英国政府は民主主義も社会正義も福祉制度も破壊して、自分たちをBREXITの袋小路に追い込んでしまった。
  • BREXITはトランプと同じで、見せかけだけのリベラリズムでは負かすことができない。進路を変えるには新自由主義的な経済モデルそのものを潰すしかない。独裁者の銅像が解放された人民によって倒されるように、である。
    Like Trump, Brexit cannot be undone by liberal sanctimony ? it can only be altered if the neoliberal economic model is smashed, as if it were a statue of a dictator, by a liberated people.
というわけで、英国は長年の保守政権のおかげで、進路を良い方向へ切り替えることが難しくなっている。それはかつて1930年代にナチズムに対して宥和政策をとったチェンバレンの時代よりも難しい・・・とハリーは言っている。


夏というものは本来ならばのんびりできる季節のはず(Summer should be comforting)だけれど、今年はそのような気になれない・・・と94才は嘆く。街へ行くと、若者たちがパブでいっぱいやりながら楽しんでいる。彼らを見ていると、1939年のあの夏を楽しんでいた自分の世代と顔つきが似ているように思えてならないのだそうです。あの頃のハリーは16才、
  • 近づいてくる戦争の雷鳴など聞こえなかった。が、年寄となったいま、自分の孫の世代を想うとそれが聞こえるのだ。自分が間違っていればいいと思いながら立ちすくんでもいる。
    I did not hear the thundering approach of war, but as an old man I hear it now for my grandchildren’s generation. I hope I am wrong. But I am petrified for them.
とハリーは結んでいます。

▼ごく短いエッセイなのですが、むささびが一番注目したいのは「BREXITはトランプと同じで・・・」という部分です。EU離脱という孤立主義の迷路から英国を脱出させるためには、これまでのような「見せかけだけのリベラリズム」では足りない。彼が批判の眼を向けている「見せかけだけのリベラリズム」とは、政府(官僚機構)を極力小さくすることで、社会運営を企業の運営と同じ「利潤追求がすべて」という発想で行う考え方であると(むささびは)思います。「利潤追求」という企業論理に国境はなく、その意味で「グローバル」であり「ナショナル」ではない。

▼偏狭なナショナリズムよりは合理的で開放的なグローバリズムの方がいい・・・これがウォール街やロンドンのシティのような金融街やThe Economistのような「リベラル」の発想です。党派でいうと、アメリカの民主党右派(ヒラリー・クリントン)、英国の保守党左派・労働党右派(キャメロンやブレア)、日本の「XXファーストの会」の発想です。いまのところ大きな顔しているのは共和党右派・保守党右派・自民党右派・・・いずれも反官僚機構と政治的リーダーシップを標榜しているけれど、底に流れるのは、素朴な一国中心、愛国主義の熱狂です。「個人よりも国が大事」という感覚でもあり、日本ではシンゾーとそのお友だち(辞めた稲田さんら)がこのグループに入る。言っていることはアホらしいのですが、権力を持っているとなると単に「アホらしい」と言っているだけでは済まない。

▼ハリー・レズリー・スミスの考えは、いわば労働党左派にあたるのですが、英国ではその支持者たちの多くが、ロンドンで羽振りのいい生活をしているリベラル野郎たちへの反発から右翼的BREXITグループに取り込まれてしまった。ハリーが主張(むささびも共感している)しているのは、反右翼をきっちり貫くためには単なる「小さな政府」論だけでは全く足りないということ。推進すべきなのは「小さな政府」ではなくて「ちゃんとした政府」であるわけです。もっとはっきり言うと社会主義路線です。そう、あのロシアでぽしゃってしまったはず社会主義です!笑われるのもしゃくだから、この辺で止めておきます!

▼で、本題のハリーのエッセイです。確かに世界のあちこちに「寒くなるような兆候」(chilling signs)があり、日本近辺には北朝鮮や中国の問題があるように見えるけれど、北朝鮮の問題に関する限り、本当に怖ろしいのはアメリカですよね。これまでの15年をとってみてもアフガニスタン、イラク、リビア、シリアを爆撃している。それらの国のどれもアメリカを攻撃したことなどないのに・・・。欧米と日本以外の地域の人びとは、北朝鮮とアメリカの「対立」をどのような想いで見ているのでしょうか?

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2)ロシアはほとんどノイローゼ?
 

英国の文芸誌、Grantaのサイトに
という見出しのエッセイが出ています。書いたのはリーザ・アレキサンドロバ=ゾリーナ(Liza Alexandrova-Zorina)という人。ロシア北西端の北極圏にあるコラ半島の出身で1984年生まれだから、まだ33才という若い女性作家なのですが、"The Little Man" という小説でロシアの文学賞を獲得、現在は作家としてのみならずジャーナリスト、映画監督、社会活動家などとしても知られているのだそうです。

このエッセイはロシア語で書かれたものを英訳してGrantaに掲載されているものです。彼女が感じるロシアの今を語っているのですが、かなり辛辣にプーチン体制のロシアの現状を批判しています。非常に長いものなので、むささびが面白いと思った部分だけを抜き出して紹介してみます。

 
惰性+被害妄想=無気力

ロシアでは野党が政府に反対することがないし、市民が市民の権利のために立ち上がることもない。ロシア人は一種の被害妄想(victim complex)に陥っている。何事も自分たち次第とも思わないし、世の中、自分たちの手で変革できるものなど何もないと思い込んでいる。。

ロシア人は、自分たちを取り巻く現状について「これまでずっとそうだったから・・・と言いながら市民としての無能ぶりを「これまで」のせいにしてしまう。1990年代の経済混乱、面白いことなど何もなかった2000年からの10年間、そして現在のプーチン大統領の鉄の支配・・・それら全てが完全なる無力感の醸成に貢献してきたといえる。ここで言う「プーチンの鉄の支配」とは、見せかけだけの選挙であり、腐りきった官僚たちであり、メディアの独占体制であり、政治裁判と抗議運動の禁止などのことである。「どうせ誰かが選ぶんだから」というわけで、選挙では誰もマジメに投票などしない。どうせ解散させられるだけだし・・・というわけで、自分たちの権利のために戦う街頭デモもやらない。そしてつぶやくのだ、「まだ生きているだけだって有難いことじゃないか」(We’re alive, and thank god for that)、と。

▼リーザによると、ロシア人は権力者を嫌うし、不正義に憤りを感じることはある。が、不正義を正そうとする活動家たちを許すことも出来ない。役人に対する反感はあるけれど、生活のありとあらゆる場面に行き渡った国家管理に従属することを何とも思わない。自分たちが国家に騙されていることを知っているくせに「ウソはテレビの世界だけ」と信じている。1億4000万人もの人間が催眠状態で存在しており、生存本能でさえも失う瀬戸際に立たされている・・・と。
乱暴なのかおとなしいのか?

私と夫は、モスクワから300キロほど離れたところにある小さな村で1年半ほど暮らしたことがある。そこそこ豊かな生活水準の村だったけれど、村人たちはいつも喧嘩ばかりしていた。「誰だ、ウチの鶏を盗みやがったのは!」「ウチの犬に毒を食べさせたヤツがいる」「オレのワイフを誘惑しやがって」・・・考えようによっては、プライドが高くてエネルギーに満ちた人びとであると言える。

その村には水道の施設があったけれど、それに繋がっているのはごくわずかな住宅だけ。それ以外の人びとは自然の湧水をたまり場へ汲みに行かなければならなかった。なぜか急にその湧水が枯れてしまい、村人たちはちょっと離れた山間にある井戸まで歩いて水を汲みに行かなければならなかった。寒い日が続く11月のことで道が凍って滑りやすかった。しかし普段は喧嘩ばかりしている村人たちもおとなしくその井戸までバケツを下げて出かけて行った。

で、私が湧水はいつごろ戻ると思うか?と村人たちに聞いたところ、彼らの返事は「春までは出ないだろう」とのことだった。それでは仕方ないというわけで、我々夫婦はしばらく村を出て別の場所で暮らすことにした。ただ念のために村役場に電話をして、自分たちの湧水の状態を伝えたところ、彼らは水が止まってしまっていること自体を知らなかった。村人の家には一軒残らず電話があるのに、誰も湧水の状態について村役場に電話しなかったということだ。早速、翌日工事人がやってきて水槽を修理していき、湧水は無事戻ってきたというわけである。私が電話をしなければ、あの村人たちは春になるまで山の井戸まで水汲みに出かけて行かなければならなかったということだ。
▼以上は、小さな村の出来事だったのですが、リーザに言わせると、首都のモスクワだってあの小さな村と大して変わらない。政府が予算不足を理由に病院施設を閉鎖したり、国立病院を民営化したことで無料の医療サービスが急速に減っていった。しかも1年間に7000人もの医療関係の労働者がリストラされ、28か所もの医療機関が閉鎖された。職を失った医者たちが抗議デモを行った。けれど、誰の支持を得ることもなかったというわけです。
 
この国を出るしかない・・・

私のアパートで隣に住んでいる母親は息子の医療費をねん出するために自分の別荘を売却しなければならなかった。エレベータで彼女に会うと、そのことについて政府当局への不平・不満を並べ立てた。私が医者の抗議運動を支援してはどうか、と薦めてみたのだが、彼女の返事は「そんなことして何になるの?」(What’s the point?)というものだった。彼女に限ったことではない。皆そうなのだ。「そんなことして何になるのだ。何も変わりっこないのだ」と言うだけ。私が「ではどうするのか?」と問い詰めると返ってくる答えは「この国を出るしかない」ということになるのだ。
▼国を変革するのではなく、そこから出ていくしかないというわけですが、殆どのロシア人にとって、外国へ移住するなんて「夢のまた夢」です。でも中にはそれを実行できた人たちもいる。大体において体制に反対する行動を起こしていた人たちだった。リーザによると、彼らが国を出たのは、捕まって処刑されることを怖れたからではなくて、「この国を覆っている希望のなさ(hopelessness)に我慢が出来なかったのだ」ということになる。
洗脳とマスメディア

当局者たちはありとあらゆる手段を講じて「おとなしい社会」(submissive society)の構築に力を注いでいる。もともと「市民の意思」が弱い社会ではあるが、市民を抑える主なる手段は洗脳ということになる。まだつぼみ状態の自由な発想を摘むためにも洗脳が有効だ。洗脳のために最大限に利用されるのがマスメディアであるけれど、たまにテレビのニュースを見るだけでも脳がトラウマ状態になるのだから、毎日これを見たりすると自発的精神外科手術(ロボトミー)の患者にされたような気分になる。
▼リーザによると、ロシアのメディアは二つに分けることができる。一つは親クレムリンの御用メディアであり、もう一つは見せかけの独立系メディアである、と。ただ「どれも大して変わりがない」とのことで、どのメディアを見ても、政治家によるつじつまの合わない発言、大統領の個人崇拝、ニセ情報の流布等々でいっぱいで、これらが合わさって国民は常にストレスに悩まされる状態になり、それが日常化する。
言行不一致だらけ

ロシアは矛盾の中で生存している国である。大統領(プーチン)は金持ちの財閥(オリガーク)との戦いを続けると言っている一方で、その財界人に「祖国に奉仕した」という理由で勲章を与えたりしている。消費物価は上がらないと政府が発表した一か月後に物価が2倍に跳ね上がっている。教会もそうだ。「貪欲は罪だ」とか「金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しい」などと言っている一方で、教会幹部が政府主催の隊列に参加して金持ちや権力者と仲良しになっている。政府要人はウクライナにロシア兵はいないと言っているのに、メディアでは連日、ウクライナ前線での戦果を報道している・・・。

▼このエッセイはむささびジャーナル357号で紹介したスベトラーナ・アレクシェービッチの "Secondhand Time" と併せて読まれると面白いと思います。

▼下のグラフはPew Researchが行った国際世論調査によるプーチンとトランプに対する信頼度です。ベトナム人を例外として、どの国でもこの二人に対する信頼度は4割を超えない。ちょっと興味深いのはドイツ人とポーランド人ではプーチンに対する評価が違うということ。ポーランド人がプーチンを嫌いなのは理解できるけれど、ドイツ人はトランプよりプーチンを買っているのですね。

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3)韓国:対北朝鮮、「無関心」の正体

このむささびが出るころ北朝鮮情勢がどうなっているのか分からないけれど、8月9日付のGuardianに掲載されたHaeryun Kangという韓国ジャーナリスト(女性)のエッセイを紹介します。この人はKorea Exposeという英語サイトの編集長だそうですが、最近の北朝鮮とアメリカをめぐる情勢について「韓国でも怖ろしいことだと思われているけれど、韓国では(北朝鮮に対する)恐怖が当たり前になっている」(In South Korea we’re scared but we’ve normalised the fear)と言っています。エッセイの書き出しは次のとおりです。
  • 我々は北朝鮮の脅威に無関心であるわけではない。ただ恐怖が非常に深いところにあるので、恰も無関心であるかのように見えるのかもしれない
    We’re not indifferent to the threats from North Korea: the fear is so deep it prevents us showing any interest


彼女によると、北朝鮮が7月28日に行った弾道ミサイルの発射(今年に入ってか12回目)について、殆どの韓国人が無関心で、「金曜日の夜のソウルの街には何の緊張感もなかった」と言っている。

彼女は、2016年1月、北朝鮮が水爆実験に成功したときに、ソウルの街頭で市民にインタビューをしたことがあるのですが、そのときも多くの人が無関心という感じであったと記憶している。このような外見上の冷静さや無関心ぶりを見て、大体の外国人は、韓国人が北朝鮮の脅威に余りにも度々さらされており、ウンザリもしくは無関心という精神状態にあるのだ・・・と考えたりする。しかし(筆者によるならば)韓国人の「無関心」(indifference)はもう少し複雑なのだそうです。

 

彼女によると、韓国人の「無関心」の背後には、北朝鮮に対してそれぞれが抱いている強烈な個人的なこだわり(personal attachment)のようなものが存在するのだそうで、このことは若年層にも言えるとのことです。韓国と北朝鮮は、67年前に朝鮮戦争が始まった時点で決定的に分離させられたわけですが、(逆説的に聞こえるかもしれないけれど)韓国の歴史も韓国人の自己認識(アイデンティティ)も北朝鮮とは切っても切り離せないものがある。朝鮮戦争中も戦後にも存在したスパイやテロリズム、さらには言葉による攻撃や暴力行為などによって、南北がお互いを「あいつら」とか「けだもの」と呼び合うようになり、それが現代韓国の歴史の一部となって今でも続いているという側面はある。ただ・・・
  • 韓国人の間には、北朝鮮が自分たちにとって現実の脅威であるという認識が抜き差し難く存在しているけれど、同じように抜き差し難く存在しているのが、北朝鮮が自分たちにとって「兄弟」(our brother)であるという感覚だ。
    But this pervasive narrative of North Korea as a dangerous, existential threat coexisted with an equally pervasive narrative that it was “our brother”.
と筆者は言っている。大多数の韓国人は南北の統一を望んでいるし、2000年のシドニー五輪の開会式で韓国と北朝鮮の選手たちが並んで行進するのを見たときには(彼女自身も)涙が止まらなかったのだそうです。

 

しかしながら現在の韓国、特に政治の世界では、「北朝鮮=赤い恐怖(red scare)」という見方が一般的で、平壌に対して強硬姿勢を誇示しようとする傾向が強い。2014年には当時の保守政権によって左派政党が解散させられたことがあるけれど、その理由は彼らが「北」に対して友好的であるということだった。筆者自身の家族の中にもそのような考えの人間はおり、彼らによるならば、北朝鮮との対話を望む現在の文在寅大統領は「共産主義者」ということになる。

Haeryun Kangによると、今の韓国では保守層を中心とする「北朝鮮拒否症」が大衆の間に染み渡っている部分があるのだそうですが、そのせいもあって韓国の大衆が北朝鮮についての情報にアクセスすることが難しいのだそうです。例えば北朝鮮のサイトへのアクセスはブロックされているし、ソウルにある韓国唯一の北朝鮮図書館は、資料の外部への持ち出しを禁止している。さらに北朝鮮について「間違ったこと」(“wrong” things)を口にしたというだけで韓国政府によって監視され、国外追放され、刑務所に入れられたりということもある。


こうして社会全体に醸し出される「北朝鮮恐怖症」によって、韓国人が北朝鮮に対して「あまりにも大きな関心」(“too much” interest)を示すことを差し控えるようになってしまう。筆者によると、北朝鮮の挑発行為に対する韓国人の外見上の「無関心」は単なる無関心とは異なる。平壌からの脅威が日常化してしまい、その話題自体が退屈なものになってしまったということはあるかもしれないけれど、それだけではない。
  • (韓国人による)そうした無関心の背後には、長い間の恐怖の年月が存在するのだ。その恐怖は余りにも深い部分に無意識に潜在している。それに加えて信じられないような情報制限と現実に対する無知というものがある。
    Behind the indifference lies also years of fear, deep and even subconscious, a glaring lack of information and unavoidable ignorance about what really is happening.
というわけです。


問題は、不安定要素でいっぱいの現在の世界で韓国人の「無関心」がどのような影響を持つのかということである、と筆者は言います。トランプは言っていることがしょっちゅう変わるし、中国の役割もいまいちはっきりしない、韓国の大統領はそれまでの保守路線の切り替えに躍起となっている・・・そうした中で北朝鮮が、これまでにないような頻度でミサイルの発射を繰り返している。このような状態では、物事が極端から極端に振れるということが起こりがちであると筆者は危惧している。

筆者が自分の母親に「北朝鮮のミサイルは怖いか?」(Are you scared by North Korean missiles?)と聞いたところ、母親は笑いながら「全然怖くない」(Not at all)と答えたのですが、それから一拍おいて母の口から出たのは
  • でもみんな死んじゃうのよね。
    I guess we would all get killed, though.
という言葉であったそうであります。

▼北朝鮮は敵だけど兄弟でもある・・・この部分に最も興味があるけれど、むささびなどには理解するのが難しい部分でしょうね。それと筆者の母親の「でもみんな死んじゃうのよね」という言葉はどういう意味なのでしょうか?「じたばたしたってしゃあないでしょ」という意味だとしたら、全くそのとおりですね。

▼英国国際問題研究所(Chatham House)のジョン・ニルソン=ライト(John Nilsson-Wright)という人がBBCのサイトに「金正恩の真の望み」(What does Kim Jong-un really want?)というエッセイを寄稿しています。それによると、金正恩が何よりも望むのは米韓が「北朝鮮を独立した主権国家として認めること」ということ。「それこそが長い間にわたって北朝鮮が希求してきたことなのだ」(the North has long craved)と言っています。

▼ニルソン=ライトはまた「最近、北朝鮮政府関係者との非公式接触がヨーロッパで行われた」(Recent informal track two level talks with North Korean officials in Europe)とも言っています。結果としては単に北朝鮮の要求を確認しただけという感じなのですが、それでもこの部分を読みながら、むささびは前号で紹介した "Oxford Process" という組織の創設者が強調していた非公式の接触の重要さを思い出した。あの中で筆者は「最近、北朝鮮を訪問した」という趣旨のことを言っていましたよね。彼女らのこれまでの活動はもっぱら中東に限られていたのに、急に「北朝鮮を理解しよう」と言いだすのも妙だと思いません?平壌には英国大使館が、ロンドンには北朝鮮大使館がある。

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4)「大英帝国はやはり間違っていた」
 


7月21日付のProspect誌にダニエル・ロー(Daniel York Loh)という作家がエッセイを寄稿、次のように書いています。
上記のイントロが "No..." という書き出しになっている点に注目するべきだと(むささびは)思っています。日本語では「いや・・・」としてある。筆者があえてこのように書き出したのは、EU離脱が決まった昨年の国民投票以来、英国における言論の風潮として「英国人は自分たちの過去を批判ばかりしていないで、誇りを持とうよ」という空気が妙に強いように思える。その種の風潮に「待った」をかけるつもりで書いたのがこのエッセイなのではないか・・・とこれはむささびの推測です(が多分当たっている)。

この人は英国生まれの中国人の作家・脚本家・俳優なのだそうですが、上のイントロには次のような文章が繋がっている。
  • 実際には大英帝国はいま現在でも我々を傷つけるものになっている。中国からイラクまで、大英帝国がもたらしたものを過小に考えることは、自己欺瞞に繋がるのである。
    In fact, it’s still causing harm today. From China to Iraq, we kid ourselves when we downplay the effects of Empire.
ローが話題にしているのは、昨年(2016年)1月に明らかにされた世論調査で、それによると59%の英国人が、英国がかつては7つの海を支配した大帝国であったということを誇りに思っており、大英帝国の植民地になった国には今でも好ましい影響を与えていると考えている、という結果が出ている。
大英帝国の存在は・・・ 
 
この世論調査に参加した英国人の多くが、大英帝国がもたらしたマイナスの影響を直接体験したことがない。どころか、この国(英国)の圧倒的多数の人びとが大英帝国による植民地搾取がもたらした繁栄を謳歌したことは間違いない・・・それを考えると、英国人が自国の植民地主義に対して悪感情を持たないのが当たり前なのかもしれない(とローは考える)。




イラクの場合

例えばイラク。ダニエル・ローによると、イラクは20世紀初めに当時のオスマン帝国にあったモスル、バグダッド、バスラという「県」を英国が勝手に統合させて作ってしまった国なのだ、と。英国の狙いは豊富な石油の埋蔵が見込まれたモスル地域を自分たちの手中に収めるということにあった。それに成功すると、当時の英国政府はこの地域に自分たちのお気に入りのエリートたちを駐留させてこれを支配したというわけです。

宗教的にも人種的にも分断されていたこの地域を統治することができたのは、まさに英国のエリートが統治の才能に恵まれていたからである・・・ローによると、帝国主義・英国についてのこのような見方こそが現代の英国においても多数を占める「バランスのとれた見方」(balanced view)なのであり、英国人が自分に対して振りまいている幻想(delusion)のようなものであるということになる。


80年も前に毛沢東のやったことは「7割正しくて3割が誤り」(70 per cent right, 30 per cent wrong)と考えることが現代中国において「バランスのとれた考え方」ということになっている。そのことを英国人は嘲笑するけれど、大英帝国についての彼らの「バランスのとれた考え方」と同じなのだ、とダニエル・ローは言っている。
  • 現代の英国では、子供たちが植民地主義・英国の過去について学ぶことはほとんどない。自分が通った公立学校では大英帝国そのものに触れることがなかったと記憶している。
    At the moment, our schools barely seem to educate us about the realities of Britain’s colonial past. I don’t remember the subject of Empire being touched on at all at the state schools I went to.
「アヘン戦争」(opium war)という言葉を、ダニエル・ローが初めて耳にしたのは、学校の歴史の時間ではない。大人になってからある短編映画の制作に関わっていたときに、映画の監督が自分が中国人であることを話題にして漏らした言葉を聞いたのが初めてのことだった。

「アヘン貿易に違法性はない」?

ごく最近でさえもツイッター上の議論で、ある英国の学者(academic)と称する人物がローに対して「アヘン貿易に違法性はない」(There was nothing illegal about opium trade)と述べたのだそうです。その「学者」は大マジメにそう言っていたわけですが、それはおそらく「英国が定めた植民地法に従うならば」ということであったのだろう、と。当時は強大な存在であった英国の東インド会社が中国の国内市場を麻薬でいっぱいにしたわけですが、それは当時の中国帝国と英国の間に存在した貿易不均衡(英国側の赤字)を是正するべく、史上最大の麻薬カルテルとも言える東インド会社を使って中国に麻薬の輸出を行ったものだ、とローは主張している。「アヘン貿易に違法性はない」と主張する学者によれば、英国による麻薬輸出を防ごうとした清王朝による抵抗そのものが「フェアでない」のであり、英国が女王と議会の意思によって軍隊を派遣することで中国を屈服させようとしたことの方がフェアであると考えるべきなのかもしれない。


中国が正式に英国の植民地であったことはないけれど、それは中国が植民地として支配・経営するにはあまりにも大きすぎたということであり、植民地主義が悪であると英国が考えたということではない。植民地主義は大いに利益をもたらすビジネスではあるけれど、高くつくビジネスでもある。つまり英国としても損得を考える必要があったということだ・・・とローは考える。
  • それにしてもなぜ大英帝国にはそのような計算が可能であったのだろうか?決まっている、それまでにさんざ儲けた奴隷貿易における経験があったということだ。
    How was the Great British Empire able to speculate in this way? On the back of an enormously profitable slave trade, of course!

「劣等人種に救いの手を!」

植民地主義は、自分たちの国でもないところを勝手に占領して自分たちの支配下に置いてしまうという行為であるわけですが、占領する側には自分たちの行為を正当化する理屈めいたものがある・・・というわけで、ダニエル・ローが紹介しているのが、19世紀末から20世紀初頭にかけてエジプトを支配したときの英国総督(Governor-General of Egypt)であったエブリン・ベアリング(Evelyn Baring)という人物の次の言葉です。
  • 文明人であるイングランド人は、支配する人びとに対して友情と激励の手を差し伸べ、彼らが置かれた悲惨この上ない状況から道徳的かつ物質的に立ち上がることを助けなければならないのだ。
    “It is for the civilised Englishman to extend…the hand of fellowship and encouragement, and to raise (the subject races), morally and materially, from the abject state of in which he finds them”.


何やら高邁なる理想を語っている風に聞こえるけれど、ローによると、この言葉を発したベアリング総督には、現地人(エジプト人)に対して教育を施そうという気は全くなかった。「人種的に劣っている(racially inferior)人間に教育などを与えると社会的な混乱の基になると考えられていたからである」と。エジプト人は(英国人が考えて)「人種的に劣っている」というわけです。

東アジアの帝国・日本

ダニエル・ローが「殆ど知られていない事実」(little known fact)として挙げているのが、1919年に開かれたベルサイユ平和会議(Versailles Peace Conference)における日本の主張です。当時は日の出の勢いであった東アジアの帝国、日本は国際連盟(League of Nations)への加盟条件の一つとして「人種的平等」(racial equality)という条項を加えるように要求したけれど、米英仏の3国は断固これを拒否した。ローによるならば、
  • 人種的不平等こそが国際的にも国内的にも「常識」であったから。
    because racial inequality was at the very foundations of their international (and domestic) modus operandi.
ということになる。この主張をした日本は英米仏から「大きな譲歩」(enormous concessions)を勝ち取ることに成功した・・・とローは言っている。

現在、かつての植民地から大量の難民がヨーロッパに押し寄せており、ヨーロッパ人の間で反感が広がっている。ダニエル・ローによると、難民を生み出すアジアやアフリカの国々の混乱した状況は、英国を始めとするかつての植民地勢力による行為の結果が21世紀の今日にまで及んでいるということであるとして、
  • 大英帝国の「効果」はいま現在、我々の周辺に見ることができる。それが今日に至るまで我々の足かせになっている。それを認めないということは自己欺瞞以外の何ものでもないのであり、結局は自分たちに禍として降りかかってくるだけなのだ。
    The effects of Empire are all around us. They dog us to this day. We kid ourselves by not acknowledging it - at our peril.
と言っています。

▼かつての帝国主義・植民地主義こそが現代・英国にあふれる諸悪の根源だと言っているようなものなのですが、彼のこのエッセイについての読者(英国人と思われる)からの投稿は殆どすべて否定的です。「大英帝国こそがヒットラーやナポレオンのような独裁者を打倒して世界に民主主義を広めたのだ」というわけで次のように言っている。
  • いろいろと良くない点や過ち、犯罪なども犯したかもしれないが、平均をとるならば(大英帝国の存在は)前向きに評価されて然るべきであることは明らかだ。
    Of course had been misgivings, errors and crimes. But the balance is clearly positive.

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5)MJスライドショー:夕焼け
 

太平洋戦争が終わってから今年で72年。上の写真は兵庫県淡路島にある「鳥飼」という集落の海岸から見た瀬戸内海の夕日です。個人的なノスタルジアなのですが、70年も前にほとんど毎年のように訪れて見ていた夏の夕日で、この瀬戸内海の沖合には小豆島があった。というわけで、暇人のむささびがネットをあたってみたら、日本各地の夕焼けが美しい場所で写した写真というのがたくさんありました。ほとんど行ったことのない場所ばかり、4分少々のセンチメンタル・ジャーニーにお付き合い頂けると嬉しいのでありますが・・・。この種の写真は画面を大きくして見た方がいいかもしれません。

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6) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 

hair of the dog:イヌの毛・・・?

ネットの辞書が "hair of the dog" を説明する中で次のような会話を掲載しています。
  • Steve: Man, I'm really paying for all those keg stands I did last night. 昨日は飲み過ぎちゃって・・・気持ち悪いったらありゃしねぇ。
  • John: Yeah, I'm hurting too. Hair of the dog? おれも、参ってる。「イヌの毛」でもやっか?
  • Steve: Why not, man. We got a few beers left in the fridge.それがいい。冷蔵庫開ければまだビールが2,3本残ってるはずだ。
むささび自身は初めて見る表現だったのですが、"hair of the dog" は「迎え酒」のことなんですね。正確に言うと "that bit you" という言葉がこれに続く。つまり「あんたを噛んだ犬の毛=迎え酒」ということ。辞書学者のスージー・デントによると、英語にはお酒とか酔っぱらうことに関連したスラングがやたらに多いのだそうで、「イヌの毛」も中世から使われているらしい。

でも何故、「イヌの毛」が「迎え酒」になるのか?意味としては、酒を飲み過ぎて気分が悪い場合、一つの治癒法として「もっと飲む」というのがある。「毒をもって毒を制す」(Like cures like)というわけですね。中世のころの英国では、イヌに噛まれたら、そのイヌの毛を抜いてきて傷口にこすり付けると治るとされていた。

英国における二日酔い対策として、昔はカニの殻を焼いて出来る灰を食べる(面倒くさい!)とか、単純に酢を飲むなどがあったらしいですね。でもその当時、金持ちの二日酔い防止対策は、天然石のアメジスト(紫水晶)を一つだけグラスに入れて酒を飲むことだった。アメジスト(amethyst)は "amethustos" というギリシャ語からきた言葉で、原語の意味は「酔っぱらわない」(not drunken)だった。アメジストには、その種の解毒剤としての効能があると信じられていたということらしい。

むささびはお酒を飲まない(飲めない)ので分からないのですが、「迎え酒」ってホントに効くんですか?

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7) むささびの鳴き声
▼インターネットというのは有難いですね。居ながらにして日本全国の新聞が読めてしまうのだから。8月15日前後の地方紙をいくつか拾い読みしてみました。

▼8月14日付の沖縄タイムズの「大弦小弦」というコラムが『「尊い犠牲」論に、いつも違和感を覚えている・・・』というエッセイを掲載しています。例えば2016年の全国戦没者追悼式における安倍首相の式辞は「皆さまの尊い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄がある」というものであったのですが、この中の「尊い犠牲」と「私たちが享受する平和と繁栄」の間には因果関係はあるのか?ということです。

▼コラムの筆者の知り合いの女性は自分の両親を沖縄戦で失っているのですが、彼女によると両親の死は「犬死にだった」とのことであります。その女性は、尊い犠牲・名誉の戦死・英霊などの言葉を使って行われる、国家による「顕彰」は全て「次の犠牲を強要し再生産する仕組み」の一環である・・・と考えて辺野古の反基地抗議行動に参加しているのだそうです。

▼「皆さまの尊い犠牲の上に」という言葉を使うのであれば、それに続けるべきなのは(例えば)憲法9条ですよね。それは日本人が多くの犠牲者を出して「戦争に負けることで勝ちとった」成果のようなものなのだから。沖縄戦も含めて、「あの戦争」において亡くなった人びとの死といまの「平和と繁栄」の間には何らの因果関係もない・・・と沖縄タイムズのコラムは言っている。当たっている。シンゾーなどに「尊い犠牲」などと言ってもらいたくない。

▼沖縄タイムズが「尊い犠牲」を語っている一方で、西日本新聞の「春秋」というコラムが語っているのは「非業の死」であります。俳人の金子兜太(とうた)さんは、社会性のあるテーマを詠んだ戦後の「社会性俳句運動」を主導した人なのですね。そんな運動があったこと自体知りませんでした。今年97才になる金子さん自身が「生涯の代表句」としているのが
  • 水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る

    なのだそうです。
▼海軍士官として赴任したトラック島から引き揚げるときに詠んだ作品で、自分の仲間である日本兵が数多く死んだのですが、ほとんどが何のために戦っているのかなど知らない人たちだった・・・つまり訳が分からないうちに殺された。金子さんによると、反戦とは「非業の死者に報いる」ことがなのだそうです。ネット情報によると「非業の死」は別の日本語で言うと「災難などで思いがけない死に方をする」という意味であり、英語だと"unnatural death"(不自然な死)と訳されている。金子さんによるならばトラック島で戦死した仲間の多くが不自然な死に方をした。それを(シンゾーのように)「英霊」扱いするのは余りに無神経というものです。

▼次に神奈川新聞(8月15日)が掲載した河野洋平さんのインタビュー。タイトルは「政治とは戦争しないこと」で、かなり長いけれど必読です。一か所だけ紹介すると、北朝鮮の問題に絡めて次のように語っている。
  • 米国に同調し制裁しているだけでは危機は減らない。拉致問題解決のためにも外交を中心に据えるべきで、今すぐは無理だが、国交の樹立は解決の足掛かりになる。
▼北朝鮮と日本が国交を樹立する・・・このアイデアに何か悪いことでもあります?そもそもシンゾーは拉致問題について何をやったのですかね。何もやっていない。absolutely nothing...笑ってしまうほど何もやっていないのでは?河野さんによると、安倍政権は国民に寄り添って政治をするのではなく、「自分のやりたいことをやる」政権としか思えないのだそうです。シンゾーの言う「官邸主導」とか「リーダーシップ」というのは「自分がやりたいことをやる」という意味なのであります。でしょ?

▼最後に東京新聞の「筆洗」。毎年8月15日が近くなると「怖かった。痛かった。悲しかった」という戦争体験記が語られるけれど、「戦後生まれ」が日本の人口の8割を超えている今、「生身の声」は、か細く、やがては消えてしまう・・・そうなると戦争に向かう日本の足にすがって食い止めていた手が失われることになるのではないか。そうならないために生身の戦争体験を聴き、憶え、真似をする・・・それだけでも何もしないよりはいいのではないか、「声は消えぬ」と言っている。確かに。

▼ただ・・・むささびは正直言って、8月になると判で押したように、メディアが戦争体験者を登場させて「戦争だけはやっちゃいかん」と語らせる、あのやり方にはいい加減うんざりしています。語っている本人はもちろん大真面目に言っており、「筆洗」の言うようにこの人たちの声こそが「戦いに向かいたがる足をためらわせ続けてきた」というのも確かなことだと思うけれど、それを伝えるメディアの人たちがどこまで真面目なのか?「戦争だけはやっちゃいかん」だけでなく、「なぜやってしまったのか?」という部分についても「生身の声」を伝えるべきだと思うのに・・・。「なぜ?」の部分にこそ「戦後生まれ」との接点があると思いません?

▼きょうも埼玉県は蒸し暑いです。お元気で・・・。
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むささびへの伝言