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388号 2018/1/7
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
あけましておめでとうございます。2018年最初のむささびジャーナルです。今年は戌年(Year of Dog)というわけで、むささび夫婦が一緒に暮らしているワンちゃんを紹介します。左はボーダーコリーのジョイス、右はジャーマン・ショートヘアード・ポインターのフロイデです。前者は牧羊犬、後者は狩猟犬で両方とも "working dog" なのですが、当方では家庭犬として家の中で暮らしています。よろしく!

目次

1)「生き辛さ」が引かせた「一線」
2)もう一度、実力主義批判
3)日本の公共放送:「いびきが出るほど退屈」!?
4)世界の迷子、英国はどこへ行くのか?
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)「生き辛さ」が引かせた「一線」


12月29日夜、単なる偶然で非常に面白いラジオ番組を聴きました。TBSラジオで放送された『Scratch 線を引く人達』というタイトルのドキュメンタリー番組で、テーマは2016年7月に神奈川県相模原市の障害者施設で起こった殺傷事件。実際には東京のTBSと九州のRKB毎日放送による共同制作だった。"Scratch"は「ひっかく」という意味の英語ですが、この場合は地面にガリガリと爪を立てて「線を引く」という意味で使われている。また「線を引く人達」は、この殺傷事件の被告のことだけを言っているのではなくて、ヘイト・スピーチをやって「XXは日本から出て行け!」などと叫んでいる人間たちのことでもあります。要するに他人と自分の間にラインを引いてその中に引きこもるような心境にある人間のことです。


神戸金史というRKB毎日の放送記者が、現在拘置所で暮らす、あの事件の被告・植松聖と面会したことが話題なのですが、この記者自身が障害者(自閉症)を子供に持つ父親であり、記者としてはこの事件を他人事とは思えない・・・それがこの番組のポイントの一つです。残念ながら放送自体を聴くことは(再放送でもされない限り)できない(と思う)のですが、放送前日(12月28日)の毎日新聞に、この番組を紹介する記事が出ています。それを読むと番組の内容が分かる。番組の中核部となった神戸記者と被告の会話が次のように紹介されています。

 被告との会話
神戸記者:あなたは「意思疎通ができない人」のことを「心失者」と呼んでいますが、具体的にどういう人を指しているのですか。
植松被告:名前と、年齢と、住所を言えない人です。
記者:真夜中で、みんな寝ていたでしょう。どうやって心失者かどうかを見分けたのですか。
被告:起こしました。「おはようございます」と答えられた人は、刺していません。
記者:私の子どもは、はっきりとした言葉は話せないが、私は言っていることが大体わかります。
被告:恐縮なんですけど、言っていることを親だけがわかるというのは、意思疎通が取れているとは言えないです。
記者:では、うちの子がやまゆり園に入所していたら、殺す対象だったということですか。
被告:その時になってみないとわからないですね。

というわけです。毎日新聞で紹介されていた会話はこれだけですが、ラジオではもっといろいろなことを語っている。例えば神戸記者が「生と死を司るのは神のやることです。あなたは神なのか?」と突っ込むと植松被告は
  • そんなことは言ってません。恐縮ですが、皆がもっと考えるべきなんです。考えないからやったんです。わたしは気づいたから・・・。
と答えている。

「民主主義はお遊び・・・」

神戸記者がさらに「世の中には、社会福祉とか義務教育などのように、国がお金を使ってって人びとの生活を支えている部分が大いにある、あんただって学校へは行ったはずだし生活保護も受けていたではないか」と言うと
  • 義務教育は義務教育です。でも建前ですよ。ですから国が間違っているんです。民主主義なんてものはお遊びなんですよ。
と「反論」するという具合です。


ちなみに神戸記者は自閉症である自分の子供との生活について『障害を持つ息子へ』という本を出版したことがあり、被告に対する取材申し込みの際にその本を送ったのだそうです。それに対する被告の反応は
  • 自分の子どもが可愛いのは当然かもしれませんが、いつまで生かしておくつもりでしょうか
というものだった。

浅はか人間の浅はか犯罪?

拘置所での会話における被告の言葉から伺えるのですが、彼は自分と障害者の間に一線を引き自分と彼らは全く別の存在であると考えている。実際、被告は警察での供述の中で「障害者は不幸を作ることしかできない」と言っている。そして障害者は社会から抹殺されるべきだと確信するようになり、衆議院議長宛てに「障害者抹殺計画を自分にやらせてくれ」という趣旨の手紙まで書いた。それが日本や世界の経済に役に立つことなのだ・・・と。


しかし横浜の拘置所で被告と面会した結果、神戸記者が得た印象は、被告が障害者の施設で働いていたにも拘わらず、発達障害の人たちがとる行動についてはほとんど何も分かっていない、なのに「思い込みで短期間のうちに計画を立てた」ようだということだった。その意味で極めて浅はかな人物による浅はかな行為という印象でもあり、神戸記者は「こんな人間に殺された犠牲者は本当に可哀そうだ」と思わざるを得なかった。

神戸記者は、拘置所での被告との面会後に奥田知志というキリスト教会の牧師と会って、この殺傷事件や自分と被告との会話についての意見を求めます。神戸記者はこの牧師とは初対面ですが、これまで30年以上にわたってホームレス支援などを行っており、社会的な「マイノリティ」(少数者)と考えられる人びととの付き合いが長い。。

生き辛い時代に

その奥田牧師が神戸記者に語ったのは、あの事件を「異常な人間による異常な行為」としてのみ見てしまうのは間違いだということです。あの事件は今の社会にある「生き辛さ」のようなものを象徴している。どういう意味?奥田さんによると、いまの世の中では、26才の若者が仕事もしないで生活保護を受けながら存在し続けることは相当なプレッシャーがかかる。自分が何の意味もない存在であると自分で思い込み、それに対して「自分は意味のない存在ではない」と、自分の存在証明のようなものをあの事件に込めたのではないか、と。


 

奥田牧師はここで「生産性の圧力」という言葉を使っている。何も生産しない人間には存在価値がないという発想が生む圧力・・・「生き辛さ」の根源のようなものです。それが加害者も被害者も巻き込む形で動いているのが現代である、と。その圧力に翻弄されながら生きているという意味では、あの被告も自分も同じ「時代の子」なのだということです。そして強調したのが「独りで生きることは出来ない」という「人間の本質」に踏み込んで考えないと、この事件は過去のこととして忘れられてしまうということです(牧師は「忘れられてしまう」というのを「スルーしてしまう」という言葉で表現しています)。

「もう一度会うつもり」

この事件に関連して、むささびジャーナル351号に東大の福島智教授のメッセージが載っています。その中で教授は、被告の行動の根源となったものについて次のように述べています。
  • こうした思想や行動のオリジンがどこにあるのかはさだかではありませんが、今の日本をおおう「新自由主義的な人間観」と無縁ではないでしょう。人間を労働力の担い手としての経済的価値や生産能力で価値付け、序列化する社会では、重度の障害者の生存は、本質的には軽視され、究極的には否定されます。
神戸記者は、奥田牧師の話を聞いていて、被告も自分も「時代の子」なのだと思えてきて「私の中で彼との間で自分でも知らないうちに引いていた線が薄くなったような気がしました」というわけで、
  • 私はもう一度植松被告と会うつもりです。
という言葉で番組を締めくくっている。拘置所で面会終了後に植松被告に「また会いに来ていいか?」と尋ねたら「いいですよ」という返事であったのだそうです。

▼神戸記者が被告との面会後に会った奥田牧師の「この事件を異常な人間による仕業とだけ言って片づけてしまっては本質が見えてこない」という言葉は重大です。「本質が見えてこない」という言葉の意味は「きちんと見ないと、これからも同じような事件が起こる」という意味です。この被告も我々も同じ「時代の子」としての「生き辛さ」を味わっていると奥田牧師は言っており、その「生き辛さ」の根源に「生産性の圧力」がある、と・・・。この部分はもっと詳しく議論するべきだったと思うのですが、むささびの想像によると「生産をしない人間は無用な存在」という「常識」を否定しろと言っているのでは?「むささび」にメッセージをくれた東大の福島教授も全く同じことを言っている。

▼この牧師さんは、ホームレスの人たちと30年間付き合ってきた。彼らが何故ホームレスになったのか・・・というハナシはさんざ聞かされたはず。その人物の口から出た言葉が「生き辛さ」であり、「生産性の圧力」であるということ。あの事件が起こったときメディアではもっぱら「危険な人間を如何にして閉じこめるか」という議論しか出なかった。「措置入院」などという聞きなれない言葉がさんざ使われた。このあたりのことは、みわよしこさんというジャーナリストが書いたエッセイ「相模原事件の植松聖被告とは、何者か?」が細かく語っている。長いけれど読む価値は大いにある。

▼この事件のあとで、厚生労働省に「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」という長ったらしい名前の委員会ができたのですが、結果として出てきたのは、精神医療の目的が「治療」ではなく、如何にして「危険な人間を閉じ込めておくか」を考えることにある・・・と言っているとしか思えないものである、と。その提案に基づいて「精神保健福祉法改正案」なるものが国会に提出され、いったん廃案となったけれど、2018年に再提出される見通しであるとのことです。カギを握るのは、このことを取材・報告する記者たちが、どこまで「時代の子」としての自分を意識しているのかということかもしれない。

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2)もう一度、実力主義批判


前号で取り上げた「実力主義(meritocracy)」を再び取り上げたい。BBCのサイトの中でトビー・ヤングというジャーナリストがこの問題について語っている。この人は保守派のオピニオン・マガジン "The Spectator" のコラムニストとして知られているのですが、1963年生まれだからまだ60にも達していない。父親は貴族出身ながら左派系の社会学者で労働党の貴族院議員、母親はBBCラジオのプロデューサーで芸術家というわけで、誰がどう見ても中・上流階級のお坊ちゃんとしか思えない家柄の人物です。オックスフォード大学出身で、いわば「階級社会・英国」の産物であるトビー・ヤングのような人物が(サッチャリズムの根幹ともいえる)実力主義・能力主義のような考え方をどのように見ているのか・・・大いに興味があった。


まずは "meritocracy" という言葉の定義から。ケンブリッジの辞書では
  • a social system, society, or organization in which people have power because of their abilities, not because of their money or social position
    人びとがカネや社会的な地位ではなく、それぞれの能力が故に力を持っているような社会制度、社会また組織
と定義されている。例えば「いい仕事をすれば昇進によって報われる」ような企業は "meritocracy" であるというわけです。社長の親戚だから昇進できるというような会社は"meritocracy"ではない。この際、日本語は「実力主義」としておきましょう。以下、トビー・ヤングによる「実力主義社会批判」であります。


不平等の正当化

今から60年前の1958年に "The Rise of the Meritocracy" という本が出て話題になったことがある。書いたのはトビー・ヤングの父親であるマイケル・ヤングだったのですが、この本が描いたのは、50年後の「21世紀の英国」だった。マイケル・ヤングは、21世紀の英国は「知能指数と本人の努力(IQ and effort)が組み合わさって人間の地位が決まる」社会になっていると想像したのだそうです。マイケル・ヤングは、社会的な地位が親から子へ代々受け継がれるような貴族主義社会(aristocracy)に比べれば実力主義社会はフェアであることは認めてはいた。が、それが自由競争の資本主義社会で適用されることによって、諸々の社会的不平等が正当化されるようになってしまうことには反対していた。


実力主義社会はフェアか?

アメリカの政治哲学者であるジョン・ロールズ(John Rawls)という人が実力主義社会と貴族社会を比べて、必ずしも前者の方がフェアであるとは言えないと言っているのだそうであります。実力主義社会で成功するのは、「例外的にアタマがよくてやる気がある」(exceptional intelligence and drive)人びとであるけれど、大体においてその種の資質は持って生まれたもの(natural gifts that people are born with)である、と。それらの資質は自分で努力して手に入れたものではない、その意味では貴族の子息が親の財産を受け継ぐのと似たようなものである・・・というわけです。なるほど。

遺伝子階級社会!?

その社会が100%実力主義的であるためには、完全なる機会の平等(complete equality of opportunity)が確保される必要がある。それを保障するためには、子供を幼いころに生みの親から引き離して全く同じ環境で育てるっきゃない。そうでない限り、親の社会的・経済的な地位のようなものが子供の人生に影響することは避けようがないではないか・・・とトビー・ヤングは指摘する。


これもアメリカの政治学者、チャールズ・マレー(Charles Murray)によると、実力主義社会は必然的に「遺伝子に基づくカースト制度」(genetically-based caste system)に行き着く。実力主義的な原理によって培われるそれぞれの特性のようなものは、親からの遺伝による可能性が高い。親のアタマが良ければ子供も・・・という可能性は高いというわけです。もちろん遺伝子そのものにバリエーションがあるのだから、頭脳明晰なる子供が、ごく普通の親から生まれることはあるけれど、実力主義社会における「エリート」たちの子息はおおむね恵まれた環境に生まれてくるものであり、それが数世代も続けば社会の固定化に繋がることは避けようがない。

ノブレス・オブリージェ

トビー・ヤングの記憶によると、父親である左派の社会学者が実力主義を嫌った理由の一つが、世の中で成功した人びとが持っている「自分にはその資格がある」という思い上がりの雰囲気であったそうです。自分たちが社会的に上に位置するのは「全く当たり前」(thoroughly deserved)という感覚です。世の中の特等席に坐るのは、特等席のキップを持っている自分たちに決まっているではないかということ。彼らには地位の高さに伴う義務感(sense of noblesse oblige)のようなものはない。ヤングによるならば、貴族的な社会において「選ばれた地位」にある人間には、そのことについての罪悪感や自己懐疑の気持ちのようなものが存在する。それが故に自分たちより下の人びとに対しては親切である傾向が強いのだそうであります。


ヤングの観察によると、アメリカ人は自分たちの国がこの世で最も「実力主義的」であると考えたがるものなのだそうです。が、実際にはアメリカは世界でも最も実力主義的でない(the least meritocratic)国かもしれない、とのことであります。世代間における社会的流動性(inter-generational social mobility)の国際比較によると、アメリカは最下位なのだそうであります。世代間における社会的流動性とは、ある階層に生まれた子供たちが人生の中で別の階層に移動する可能性のことです。

▼実力主義社会が、それぞれの人間が持っている能力がちゃんと発揮できて、正当に評価される社会だというのであれば、生まれや階級ですべてが決まってしまう世の中よりはまともであることは確かだと思うけれど、現実は「実力主義=弱肉強食」であることは否定できない。であるのならいっそのこと階級社会・貴族主義社会の方が実力のない人間には優しい社会だ・・・というトビー・ヤングの主張は分かりやすい。けれど結局は上流社会の発想ですよね。弱者に優しい「ノブレス・オブリージェ」も、階級社会が前提になっているのだと、上から下への「お恵み」に過ぎず、いつ消えてしまうか分かったものではない。そもそも(むささびも含めて)下層階級は「お恵み」なんかして欲しくないっつうの!

▼実力主義社会は、階級社会の固定的で不公平な上下関係のようなものを打ち破った結果としてできたもので、最初から弱肉強食社会を目指していたわけではない。そこで実力主義を推進した人たちは「富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が滴り落ちる(トリクルダウンする)」とする経済思想に凝ってしまった。でも富が上から下へ「自然に」滴り落ちるわけがない。人間が「意図的に」落とさない限りトリクルダウンなんて起こりっこない、とむささびは思うわけです。でもその「意図的」はトビー・ヤングの言うような「ノブレス・オブリージェ」による「お恵み」ではない。独りでは生きていけないという本質を抱えた人間が生存していくための知恵のようなものです。

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3)日本の公共放送:「いびきが出るほど退屈」!?

1月4日付のThe EconomistのAsiaのセクションに "Snoringly boring"(いびきが出るほど退屈)というヘンな見出しの記事が出ています。イントロが「日本人の多くが公共放送にお金を払うことに抵抗感を持っている」(Many Japanese resent paying for their boring public broadcaster)ときて
  • でもそれが相撲を見ることができる唯一のチャンネルだもんな
    But it’s the only channel to show sumo
というわけです。


12月の初めに最高裁が、NHKの「受信料制度は合憲」とする判決を下した、あの問題に関連してNHKを始めとする日本のメディア全般に対する評論風の記事となっている。毎日新聞のサイトを参考にしながらあの判決についておさらいしておくと・・・。
  • 東京に住む60代の男性が、いまから11年前の2006年3月に自宅にテレビを設置したのですが、NHKとの受信契約は拒み続けたところ、NHKは2011年に8年分の受信料約21万円の支払いを求めて男性を提訴した。男性側は「受信料制度は憲法が保障する契約の自由に反する」などと主張、NHK側は「契約の自由を不当に制限していない」と反論していた。が、最高裁は「テレビ受像機があればNHKとの間で受信契約を交わすことが義務であるとする放送法は合憲」という判断を下した。
というわけで、テレビを置いた以上、NHKを見ても見なくても受信料を払わなければならないってことですよね。そのような制度について日本人は反発(resent)しているとThe Economistは伝えているのですが、むささびが興味を持ったのはNHKの番組を"Snoringly boring"(いびきが出るほど退屈)とする理由です。


The Economistの記事はまず、NHKのニュース番組が「世界一退屈」(the world’s most boring)と決めつけるカリフォルニア大学のエリス・クラウス教授の言葉を伝えている。「事実は伝えるけれど、事柄の分析は全く不十分(scant)で、手前勝手な"中立"論を振りかざすくせに官僚や政治家には不愉快なほどに気を遣い、少しでも独立心のある記者がいると冷遇して資料室のような部署に追いやってしまう・・・」とケチョンケチョンであります。クラウス教授は(The Economistによると)1990年代に日本の公共放送について研究したことがあるのだそうです。

NHKはその姿勢が「政府寄り」で知られており、その極め付けが2013年に政府によって会長に任命されたモミイなんとかいう人が「政府が右だと言っているのに、我々が左というわけにはいかない」(We cannot turn left when the government says right)と発言したりした、あの件ですよね。あの人は昨年(2017年)の初めに任期切れして退き、それからは多少は事態が改善した(things have improved)けれど、かつてNHKの記者をしていたYasuo Onukiという人は「傷が癒えるのには時間がかかる」(it takes a long time for wounds to heal)し、NHKの臆病な報道(timorous reporting)の根本的な理由は未だに残っているとコメントしている。


メディアと政府・政治家・官僚らとの癒着はNHKに限ったことではなく、政府・政党・官庁などに存在する「記者クラブ」の閉鎖性などはこれまでにも話題にはなっている。東大でメディアを研究している林香里教授が語るのは、戦後の日本のジャーナリズムが報道活動を実践する中で、政府と一緒になって国の発展に寄与してきたという歴史です。日本のメディアは、規模も大きくて何かというと大騒ぎするという傾向にはあるけれど、欧米で言われるような「第四の権力」(fourth estate)という存在ではなく、「自己検閲」(self-censorship)が当たり前に行われている。例えばNHKの国際放送で仕事をするジャーナリストが「慰安婦」問題を伝える際に使ってはならない言語をリストアップしたスタイルブックなるものが配布されている。さらに日本軍による "Rape of Nanjing" は「事件」(incident)であって「大虐殺」(massacre)ではない・・・という具合です。


「政府と一緒になって国の発展に寄与」という意味では、NHKも他のメディアも大して変わらない。「何のかんの言ってもNHKのない日本は貧乏国。NHKは優れたドキュメンタリーを作るときもあるし、たまにはスクープも飛ばす。大災害といえば頼りはNHKの情報だし、何と言っても相撲が見れるのはNHKだけだから」・・・とは元NHKのジャーナリストの言葉です。

とはいえ(The Economistが言うのには)日本人が受信料の強制的徴収には反発していることも事実であり、NHKはオンラインによる視聴者からも料金を徴収する気でいる。
  • NHKが(例えば)もっと面白い番組を提供することによって、視聴者が自発的に受信料を払うことに納得するようにならない限り、視聴者が強制的に払わなければならない理由などないのでは?
    If NHK cannot persuade people to pay voluntarily for its programmes (for example, by making more interesting ones), why should they be forced to?
とのことであります。

▼Yasuo Onukiという元NHKジャーナリストが「NHKの臆病な報道の根本的な理由は未だに残っている」とコメントしているとのことですが、その「根本的な理由」(underlying causes)って何ですかね?

▼The Economistが何と言おうと、NHKにだって面白い番組、「見て良かった」と思う番組はありますよね。具体的に言え、ですか?そ・それは・・・でもあるんです、ホントです!先日、衛星放送でやっていた太平洋戦争中の「インパール作戦」についてのドキュメンタリーは面白かった。むささびがこれまでただの一度も見たことがない(けれどあるのは知っている)番組が「大河ドラマ」です。見たいと思わせてくれないのです。紅白歌合戦というのも、いまだに続けていることがギャグとしか思えない。

▼それから・・・BBCに比べるとNHKのラジオ番組がひどすぎる。ここをクリックするとBBCのRadio4のサイトが見れる。この局は時事問題が多いのですが、実に種類が豊富です。それに比べるとNHKラジオの番組はあまりにもお粗末。特にひどいと思うのは夜9時以後のプログラムで、若者が集まってワイワイガヤガヤやっている。民放と同じなんです。あんなものを聴いて喜ぶ若者はいるんでしょうか?

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4)世界の迷子、英国はどこへ行くのか?


 

クリスマス少し前のこと(だったと思う)ですが、英国内務省が、2019年10月から英国のパスポートの色が現在のバーガンディ(上の写真右)から青(左)に変わることを発表、英国のメディアでは大いに話題になりました。日本ではニュースになったんでしたっけ?英国が正式にEUを離脱後にパスポートの色が変わるということなのですが、青いパスポートは1920年に使われ始め、EC加盟後も1988年まで使われていた。1988年に機械での読み取りが可能なEU加盟国の統一スタイルに変わって現在までそれが使われている。それがBREXITに伴って昔の青いパスポートが復活することになったというわけ。

独立と主権の復活だ!

昔の色が復活することについて、例えばブランドン・ルイス移民担当大臣は「国としての存在証明の復活であると同時に世界における英国の進路をも象徴するものだ」(restore our national identity and forge a new path in the world)と言い、メイ首相も
  • 我が国の独立と主権の表現であり、誇り高き偉大なる国の国籍を象徴している
    an expression of our independence and sovereignty, symbolising our citizenship of a proud, great nation
とコメントしたりしている。さらにBREXIT運動のリーダー格ともいえる独立党(UKIP)のナイジェル・ファラージ党首などは「2016年の国民投票で我々が勝利したのは、正にこのパスポートを取り戻すためだったのだ}と、ちょっと悪乗り気味の談話まで発表している。要するにEU離脱派が大喜びということです。このことについて12月24日付のThe Observerが「世界における英国の地位は弱体化している」(enfeebled Britain’s place in the world)とする論説を掲載、
  • 青いパスポートの復活が象徴するのは、単に危機に瀕する国の本当の色がはっきりしたということだけだ。
    The return of the blue passport merely reveals the true colours of a country in crisis.
と批判しています。

▼「危機に瀕する国の本当の色」(true colours of a country in crisis)がどういう意味なのか、むささびにも正確なところは分からないけれど、「昔の色を復活させるということ自体に今の英国の危機的状況が表れている」というようなニュアンスなのではないかと想像しています。

狂信的愛国主義の象徴

パスポートの紋章の下の部分に "DIEU ET MON DROIT" という文字が刻まれている。フランス語で「神と私の権利」(God and my right)という意味で、王室のモットーなのだそうですが、The Observerによると、「極めて英国的な狂信的愛国主義」(very British piece of puerile chauvinism)の象徴であり、きっちり検討する必要があると言っている。


パスポートは海外旅行をするときのドキュメント(書類)の一つに過ぎない。なのにこれほど大騒ぎをする・・・そんな国は他にない。昔から危機に瀕した状態のことを表現するのに「溺れる者は藁をもつかむ」と言うけれど、青いパスポートの復活に狂喜乱舞するのは「愛国的な藁」にすがりつく溺れる者のようなものだということです。厳しいことを言う。この社説によると、ハリー王子とミーガン・マークルの結婚式も「愛国的な藁」の一つとなるだろう、と。

青いパスポートの復活は「自己証明」にまつわる英国の危機を和らげるものというよりは、その危機の象徴であるとさえいえる。英国を世界につなげる錨の役割を果たすどころか、英国を世界から隔離させてさらなる漂流を余儀なくさせるものとなる。いまほど英国が世界で孤立しているときはない・・・とThe Observerは言っている。

トランプ訪英、誰も望んでいない

例えばアメリカとの関係。イスラム教徒の入国禁止に始まって不必要な北朝鮮刺激策、さらにはエルサレムをイスラエルの首都として認めるという最近の動き・・・トランプのやることなすことが英国の外交政策や英国がこれまで大事にしてきた価値観とは相反するものばかりではないか。


最近(2017年12月半ば)ティリーザ・メイがトランプと電話会談をしたけれど、二人の意見が一致したのは Happy Christmas というだけのことで、ロシア問題、気候変動、自由貿易、中東和平・・・何もかも意見が合わなかった。今年に予定されているトランプ訪英が誰も望んでいないものであることは明らかになっている。要するにこれまで「特別な関係」(special relationship)とされてきた英米関係が危機に瀕しているということ。それは必ずしもティリーザ・メイの責任ではない。が、それでも英国が直面するさまざまな国際問題に立ち向かうためにアメリカとの協調関係が機能していないということは嘆かわしいと言わざるを得ない。


ロシアにはバカにされ

ロシアはどうか?メイ首相はロシアによる欧米諸国における選挙への「サイバー介入」を非難したり、シリア問題ではアサド政権に肩入れするロシアに不快感を示したりして、プーチンとは全くうまく行っていない。クリスマス直前にジョンソン外相が初めてモスクワを訪問したけれど、ロシア政府の態度は全くもって冷淡なものだった。何を話題にしても「肩をすくめて無視」(contemptuous brush-off)されただけだった。
  • 外相のような主要閣僚があのような冷淡な扱いを受けるのは普通のことなのか?これまでは普通のことではなかったはずだ。が、最近の英国は国際舞台において影の薄い存在になってしまっているのだ。ロシアはそのことを充分に知っている。知らないのは英国の保守党の政治家だけだ。
    Is it normal for a senior minister to be treated with such mocking disdain? No, not in the past. But nowadays, Britain is a much diminished player on the international stage. And the Russians know it full well, even if the Tories do not.


パスポートの色なんてどうでもいい!

EUとの関係はどうか?The Observerによると、チャーチル以後の英国の指導者たちは、ヨーロッパ大陸との強い結びつきを保つことの重要性を認識していた。それを通じてのみ、アメリカとバランスのとれた関係を保つと同時にロシアを抑え込むことが可能になるということです。しかし最近の保守党のBREXIT推進者はそうではない。彼らの想いについてトニー・ブレア元首相は「ノスタルジック・ナショナリズム」と呼んでいる。BREXITERたちは勝手にでっち上げた過去とありもしない未来を夢想して楽しんでいるだけと言っている。そしてヨーロッパに眼を向けると、フランス人は英国を非難し、ドイツ人は「情けない」とアタマをふる、オランダやデンマークのような「友人たち」でさえ言うべき言葉を持っていない。英国には裏切られたと思っているのだ・・・と。

ハモンド財務大臣やキャメロン前首相などは「これからは中国が相手だ」と提案するけれど、中国の独裁的な指導者にすり寄ったからといって、かつての英国の力と独立を取り戻すことができるわけではないだろう。ポーランドやサウジアラビアのような非民主的な政府とお付き合いしてもダメ。The Observerによると、英国は保守党政権下において、世界における迷子になってしまった(lost its way in the world)ようなものなのである・・・というわけで
  • 英国は自分たちが依って立っている基盤そのものを忘却しているし、どこへ向かっているのかさえ分かっていないのだ。どこにも行き場所さえないというのに、パスポートなど必要なのか?パスポートの色などどうでもいいのではないか?
    It has forgotten what it stands for. It has no clue where it is heading. And who needs a passport, of any colour, when you have nowhere to go?
と怒っている。

▼日本と英国の新聞論調でちょっと違うのではないかと思うのは、新聞によって意見が異なる場合、相手の新聞名を出して批判するのですね。例えばパスポートの色が変わったことについて、The Observerの社説は、大衆紙のThe Sunが“stunning Brexit victory for the Sun”(あっと驚くThe SunによるEU離脱の勝利だ)と大騒ぎしていることについて「思ったとおりだ」(predictable)と如何にもバカにしたように表現している。The Observerに言われるまでもなく、たかがパスポートが昔のようなものになった程度で「何をそんなに騒いでいるのさ」と聞きたくもなる。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 

irrelevant:関係ない・お呼びでない

"irrelevant"という単語をケンブリッジの辞書で見ると
  • "not related to what is being discussed and therefore of no importance"
    現在話題になっていることとは無関係、従って重要でない
と出ている。日本語のいわゆる「~は関係ねえんだよ」がこれなんですね。はるか昔、あの植木等が流行らせた「お呼びでない」もこれ。2018年1月5日付のワシントン・ポスト紙に次のような見出しの記事が出ています。
北朝鮮と韓国の南北会談が開催されることになったことについての解説記事です。北朝鮮によるミサイル発射だの核実験だのについて「ロケットマン(金正恩)がくだらないことをやったら、北朝鮮を"完全破壊"にしてやる」などと強気一本やりの発言ばかりしていたのに、彼とは無関係に南北が接触して会談の運びとなった途端に、オリンピック期間中は米韓軍事演習を中止してもいいなどと言い出した。はっきり言うと「トランプはお呼びでない」ということかもしれない。

でもトランプもさるもの、1月4日のツイッターで、彼の北朝鮮政策を批判してきた専門家に対して「オレが強気だったからこそ南北会談が実現したんだ」として、
  • Fools, but talks are a good thing!
と申しております。「専門家のアホどもが・・・でも話し合うのはいいことだ」ということです。

"irrelevant" の反対は"relevant"(関係がある)ですよね。
  • Is Shinzo relevant on North Korea? I doubt it...

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6) むささびの鳴き声
▼最初に掲載した相模原の事件についてのラジオ番組の件。非常に残念なのは、このラジオ放送を再度聴くことができない(と思う)ということです。この放送が面白かった理由の一つに、主人公ともいえるRKB毎日放送の神戸記者の「障害者殺傷」に対する当事者感覚のようなものが伝わってきたということがあります。息子が自閉症である彼にとって、この被告との会話は単なる「取材」とは思えない部分がある。(右の写真をクリックすると神戸記者の息子さんについての歌が聞こえます)。

▼ジャーナリストの当事者感覚は、実は新聞記事や放送内容の質にかかわる要素だと思いません?それは神戸記者のように自分の家族が関係しているとかいう問題ではない。あくまでも記者本人の想像力の問題です。貧困・差別・戦争・災害etcについて取材・報告をするジャーナリストが、目の前にあるそれらの現象を当事者感覚をもって見ることができるのかどうかということです。

▼この番組の最後に神戸記者は「また被告と会うつもりだ」と言うのですが、毎日新聞の予告記事では神戸さんは「また会いに行こうと思っている。次は父としてより、もっと記者として」と述べたことになっている。最後の部分は放送では言われていない。「次は父としてより、もっと記者として」とはどういう意味なのでしょうか?この記事を書いた「青島顕」という毎日新聞の記者にぜひ聞いてみたい。

▼(それを狙ったつもりはないけれど)最初の「相模原」の記事と2番目の「実力主義」の記事は繋がっていると思いません?最初の記事の中で牧師さんが口にした「生き辛さ」、「生産性の圧力」などという言葉は実力主義社会と無縁であるとはとても思えない。さらにBREXITやトランプ現象も、実力主義社会が行き着くところまで来てしまった結果である、と。国際的な実力主義競争で落ち目になった国の人びとが選んだのが排他主義と「かつての栄光時代」に戻ることを訴える指導者の下に集まることだった。ブレアさんのいわゆる「ノスタルジック・ナショナリズム」ですね。アメリカや英国ではそれが形になったのは、英国の国民投票とアメリカの大統領選が行われた2016年ですが、日本では憲法改正の国民投票が行われる時ということになるのでしょうか。

▼2018年も始まってから1週間、ことしもよろしくお願いします。

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