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387号 2017/12/24
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
きょうはクリスマスイブ、2017年最後のむささびジャーナルです・・・ということとは全く関係ありませんが、最近、スズメの姿を見なくなったような気がしてならないのであります。歌では「スズメの学校」、俳句では「スズメの子 そこのけそこのけ・・・」、慣用句では「スズメの涙」「欣喜雀躍」「スズメ百まで・・・」等々、実にいろいろあるのに、最近我が家の庭に来るのはヒヨドリばかり。というわけで、2017年最後の「むささび」は、スライドショーまで用意してスズメさんたちに敬意を捧げようと・・・。

目次

1)スズメを見なくなった・・・
2)パリ不戦条約:いま「戦争は違法」を語る意味
3)「護憲」は「保守」?
4)「実力主義」はまともか?
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)スズメを見なくなった・・・


いきなりですが、最近、スズメの姿を見なくなったような気がしません?ウチの庭に来るのも、電線にとまっているのもヒヨドリと呼ばれるものが多いと思うのですが・・・。6年前(2011年)の朝日新聞の記事によると「20年で6割減少か」となっている。本当に減っていたのか・・・。尤もスズメが減っているのは日本だけではない。英国では1977年~2008年の約30年間で7割も減っている。

40年で2000万羽が

スズメは英語でsparrowですよね。ネットで調べたところによると、sparrowにも2種類あって、都会や住宅街で見かけるものはhouse sparrow(イエスズメ)、農地・山林などで見かけるのはtree sparrow(日本語ではただの「スズメ」というらしい)という。


英国愛鳥協会(RSPB)と英国鳥類トラスト(BTO)という団体が5年前(2012年)にまとめた報告書(State of the UK's Birds 2012)によると、いまから半世紀前の1966年の時点では英国内で営巣する鳥は約2億1000万羽だったのが、2012年には1億6600万羽にまで減っている。46年間に4400万羽減ったということです。中でも減少が激しかったのはイエスズメで、2000万羽がいなくなったとされている。RSPBによると、tree sparrowは1970年~2008年の約40年間で93%も減ってしまったけれど、最近になって少し持ち直しているのだそうです。

▼英国鳥類トラストが行ったバードウォッチングによるイエスズメの数の推移。1995年の時点では、バードウォッチングに参加した家の庭でスズメの姿が確認された庭は全体の80%だったけれど、14年後の2009年にはこれが60%にまで下落、その後は横ばい状態となっている。

昔は食べていた

RSPBのサイトによると、人間とスズメは正に「愛憎関係」(love-hate relationship)にあるのだそうです。英国も含むヨーロッパでは19世紀末までスズメは作物に害を及ぼす厄介者とされ、これを射殺するための助成金が払われたりもした。BBCのサイトによると、英国の科学者たちがスズメが減っているのに気が付いたのは1990年代のことだった。それまでは撃ち殺したりネットで捕獲したりして食料にしていた。


騒音が敵・・・

それにしても何故、都会や人里で暮らすイエスズメが激しく減っているのか?シェフィールド大学の研究者たちの観察によると主なる原因の一つが「騒音」なのだそうです。農村や山の中のような静かな環境にいる鳥に比べると、騒音の近くで暮らす鳥たちは子供への給餌が下手・・・というか、ひな鳥たちが空腹を訴えても周囲の騒音で親鳥には聞こえないケースが多いのだそうです。つまりひな鳥たちがまともに食べ物を与えられないから短命になりがちである、と。ヒナはざっと2週間で巣立ちするのですが、シェフィールド大学の調査では、都会で巣立ちしたばかりのスズメと田舎のそれを比較すると、明らかに都会育ちの方が体重が軽いのだとか・・・。

巣箱をつけよう

スズメが減ったもう一つの理由として挙げられるのが虫が減ったことだそうです。特に彼らの好みである蜂や毛虫の類が減っている。その理由は緑地帯の都市化です。かつては牧場だったところに建物が作られ、庭園の類は「手入れのされ過ぎ」(over-tidied)で昆虫類が育ちにくくなっている。そこで鳥好き、ガーデニング好きの英国人にBBCが呼びかけているのが「あなたの庭に虫を呼び込め」ということ。どうやって?
  • 庭の一角を全く手をつけないワイルド状態とする。
  • 白樺、柳のような昆虫や毛虫が好きそうな樹木を植える。
  • 蝶が集まりそうな花を植えると、卵を産みやがては毛虫になる。

 

と言って、誰もが庭を持っているわけではない。庭はないけどスズメとは付き合いたいという人は自宅の軒下に巣箱を設置することなのですが、BBCによるとスズメはかなり群れたがる(social)わりには、お互いにケンカし合うことも多いので、巣箱も一つや二つでは足りないかもしれないとのことです。西日や寒風が当たらないような場所に設置することだとか・・・。

スズメくんたちに捧げるスライドショー
▼交通量の多い国道のようなところをクルマに乗って窓の外を見ていたら、道端のコンクリートの隙間から生えている小さな雑草を懸命につついているスズメの姿が眼に入りました。本当に必死な様子だった。あのような姿を見ると敬意を表さざるを得なくなる・・・というわけで、このスライドショーは画面を大きくして見てもらえるとうれしいのであります。バックグラウンドの音楽は、昔のジャズのスタンダード "On the sunny side of the street" です。

ネット情報ですが、日本にいるスズメは現在のところ1800万羽と推定されるとのことであります。

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2)パリ不戦条約:いま「戦争は違法」を語る意味


エール大学のウーナ・ハザウェイ(Oona Hathaway)とスコット・シャピロ(Scott Shapiro)という教授が書いた "The Internationalists" という本が英国ではかなり話題になっており、BBCが著者を交えたディスカッション番組を企画したりしています。この本のタイトルの文字だけ読むと「国際人たち」となりますが、副題は次のようになっている。
  • How a Radical Plan to Outlaw War Remade the World
    戦争を違法化しようというラディカルな計画が如何に世界を変えたか
副題にある「ラディカルな計画」とは、1928年にパリで結ばれた "General Treaty for Renunciation of War as an Instrument of National Policy"(国策遂行の手段としての戦争を否定する一般条約)という条約のことです。普通には「パリ不戦条約」とか、この協定の提案に中心的な役割を果たしたアメリカの国務長官フランク・ケロッグと、フランスの外務大臣アリスティード・ブリアンの名前をとって「ブリアン=ケロッグ協定」という名前でも知られています。"The Internationalists" は、「戦争を違法化する」というこの条約の理念が果たした歴史的な役割を再認識するべきだという視点から書かれています。


9月1日付のファイナンシャル・タイムズ(FT)のサイトに出ていた書評の紹介を通してこの本を紹介してみます。書評を書いたのはオックスフォード大学教授で歴史家のマーガレット・マクミラン(Margaret MacMillan)です。

「勝てば正義」の時代

本の評者であるマクミラン教授によると、パリ不戦条約が出来る前の世界では、主権国家は戦争に訴える権利や自由を有すると考えられていた。17世紀オランダのヒューゴ・グロシアス(Hugo Grotius)という学者は「戦争は勝てば正義となる」(if war succeeds, it is just)とか、「力で奪い取ったものは返す必要がない」(you do not have to return what you seized by force)という主張を展開した人物として知られている。「強い者が正しい」という世界観ですね。戦争によって他国を侵略・征服するという行為そのものは許される・・・それがパリ不戦条約以前の「古い秩序」(Old Order)を支配した思想であり、その意味では第一次世界大戦(1914~1918年)は「古い秩序」の最後の産物であるとも言えた。

ここをクリックすると「パリ不戦協定」の英文版が読めるのですが、第1条と第2条には次のように書いてある。
  • 第一条:この協定への参加国は、その各自の人民の名に於て、国際紛争解決のために戦争に訴えることを排し、他国との外交政策の手段としての戦争を放棄する。
    ARTICLE I: The High Contracting Parties solemnly declare in the names of their respective peoples that they condemn recourse to war for the solution of international controversies, and renounce it as an instrument of national policy in their relations with one another.

  • 第二条:この協定への参加国は、紛争や対立の性格や根源が何であれ、その解決および処理は平和的な手段以外には追求してはならない。
    ARTICLE II: The High Contracting Parties agree that the settlement or solution of all disputes or conflicts of whatever nature or of whatever origin they may be, which may arise among them, shall never be sought except by pacific means.
▼不戦条約の英文を読んでいたら、1928年の調印式には日本からは天皇の特命全権大使として "Count Uchida, Privy Councillor"という人が出席したと書いてある。内田康哉・枢密顧問官のことですが、歴史学者・池井優氏の「焦土外交の軌跡」という論文によると、この条約は「その各自の人民の名に於て」(in the names of their respective peoples)という字句が明治憲法に違反するということで、日本国内で大問題になった。条約は批准されたのですが、内田康哉自身は混乱の責任をとって枢密顧問官の職を辞したのだそうです。池井優氏のこの論文は、不戦条約のことのみならず、当時の日本全体の精神状況を知るうえでとても読みでがあります。

日本が最初に違反?

"The Internationalists" の筆者が主張するのは、「古い秩序」を支配した「強い者が勝ち」的な世界観に対する反動として登場したのがパリ不戦条約であり、この協定の登場によって世界は「新しい秩序」(New Order)の時代に入ったということ。それまでのように他国の領土征服という行為は許されなくなり、それに違反する国は侵略国家(aggressor nation)、無法国家として非難され、国際的に抵抗されることになった。パリ不戦協定は1928年8月27日に米・英・独・仏・伊・日など15か国が署名し、その後、ソ連など63か国もこれに参加することになる。つまりこの条約の登場によって世界は「戦争は法律違反」という時代になったということです。


しかしながらパリ不戦条約成立の3年後(1931年)に早くもその存在価値が疑われるようなことが起こった。主なる署名国の一つであった日本が満州を征服、傀儡政権を樹立するという行為に出たわけです。アメリカを始めとする各国はこの傀儡政権を認めることはしなかったけれど、その一方で日本を満州から追放することもしなかった。つまりどっちつかずの態度であった、と。

日独伊が勝っていたら・・・

その8年後の1939年にヨーロッパで第二世界大戦が始まったわけですが、マクミラン教授は、もし日本とその仲間であるドイツとイタリアが第二次大戦に勝利していたら、パリ不戦条約は歴史のくず箱に捨てられ、世界は「戦争は勝てば正義」という「旧秩序」時代に逆戻りしていただろう、と言っている。つまり「戦争は違法」とするパリ不戦条約は、成立はしたものの日本による侵略行為を止めることはできなかったし、第二次世界大戦を止めることもできなかったということです。

"The Internationalists" の筆者によると、パリ不戦条約が本格的に力を持つようになるのは第二大戦後のことであり、その証拠に1945年以後に「領土獲得を目的とした侵略戦争」は殆ど起こっていない、それはパリ不戦条約のおかげである、と。中にはそのような戦争が起こっていないのはパリ不戦協定のおかげなどではなく、一にも二にも核兵器の存在によって超大国が戦争だけは避けたいという気持ちを強く持つようになったからだと主張する向きもある。ただマクミラン教授は
  • とはいえ、第二次世界大戦後、武力による他国領土の征服が正当性を欠くという常識が働いてきたのも事実だ。だからこそプーチンによるクリミア併合があれほどの拒否反応を引き起こしたのだ。
    But by and large, we have come to regard conquest as illegitimate, which helps to explain the widespread shock at Vladimir Putin’s seizure of Crimea.
と指摘します。

マクミラン教授は、"The Internationalists" という本は「素晴らしい」(fascinating)と称賛しているのですが、パリ不戦条約が「人類の歴史を変えた」というほどにすごいものであったかどうかについては疑問を挟んでいる。この協定が出来る以前から、戦争というものが「野蛮かつ不必要」(barbaric and unnecessary)と見なされる傾向はあったし、不戦・平和主義もまた一般大衆の支持を受けるようになっていた・・・と。

戦争は減っていないけれど・・・

"The Internationalists"の筆者たちは、第二次大戦後の世界では侵略戦争が「殆ど」起こっていないことについて、それがパリ不戦条約のなせる業であると主張しており、マクミラン教授も不戦協定の意義は認める。が、1945年以後にも戦争が起こっていることは事実であるとして、中国によるチベット侵攻(1950~51年)、1948年からほぼ50年間にわたってベトナムを始めとするインドシナを舞台とする戦争、1980年代のイラン・イラク戦争、21世紀に入ってからのアフガニスタン、イラクを舞台にした戦争等々、どれもが領土拡大を目的とする「侵略戦争」と定義することはできないにしても、ある国が別の国を破壊するという意味での戦争は一向に終わっていない。


最近の世界を見るならば、世界にはルールなどは存在しないし、力を持つものだけが生き残るのだ、という現実主義者(realists)の主張だけがまかり通っているかのように見える。が、「戦争は勝てば正義になる」と言われていた時代に比べれば、戦争が「誤りであり、不正でもある」(wrong and unjust)という考え方そのものは定着している、とマクミラン教授は主張します。そして "The Internationalists" は、「強い者だけが勝つ」という「現実主義」に反対し、自由主義的な国際主義(liberal internationalism)を守ることを主張するものであり、「書かれるべきとき(at the right moment)に書かれた本」であるとも言っています。

▼パリ不戦条約ができたのが1928年、そのほぼ20年後(1947年)に現在の日本国憲法ができている。不戦条約の第1~2条と日本の憲法第9条は言葉遣いが非常に似ていますよね。例えば日本の憲法では「国権の発動たる戦争」(war as a sovereign right of the nation)、パリの協定では「他国との関係における国の政策遂行の手段」(instrument of national policy in their relations with one another)という言い方をしている。

▼マクミラン教授が"The Internationalists"という本を貫いている考え方を描写するのに使っている言葉に "Ideas matter in human affairs" というのがあります。「人間の問題に取り組もうとすると思想が大事だ」という意味なのではないかと(むささびは)理解しています。戦争・貧困・差別・格差・・・人間社会が抱える問題を克服するためには、理念とか理想(人間のアタマ)を大事にすることだと言っている(とむささびは解釈している)わけです。この部分については、ジャーナリストの田中良紹氏が書いた「政治を『保守対リベラル』の図式で見るから劣化が起こる」という見出しのエッセイ(次の記事)を紹介する中で語りたいと思います。

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3)「護憲」は「保守」?

「保守とリベラルの対立」 「保守」とは何か
日本は倒錯している・・・!? 平和主義は保守主義?

"The Internationalists" という本を紹介する記事で、戦争を非合法化するというパリ不戦協定の底に流れているのは、人間の問題に取り組もうとすると「思想が大事だ」(ideas matter)という考えであると言いました。人間社会につきまとうさまざまな問題(貧困・差別・暴力・戦争などなど)を解決するのは人間のアタマ(intellect)であるということです。「アタマ」を別の言葉にすると理念・理想・理性・理論・理屈・・・ということになる(とむささびは思う)のですが、何故かどの言葉にも「理」という漢字がついていますね。

「保守とリベラルの対立」

で、この本とは無関係なのですが、11月29日付のヤフーニュースのサイトに出ていた『政治を「保守対リベラル」の図式で見るから劣化が起こる』という見出しのエッセイを読んで、むささびは、パリ不戦協定のことを思い出してしまった。これを書いたのはジャーナリストの田中良紹氏で、現在の日本の政治情勢を語りながら、メディアのいわゆる「保守対リベラルの対立・分裂」という視点が如何に誤っているかを語っています。結論の文章を紹介すると次のようになる。
  • 意味も理解していない「保守」と「リベラル」の対立を煽るような幼稚な考えからは卒業しなければならない。「保守対リベラル」の図式でしか見ないところから政治の劣化は始まるのである。


「保守」とは何か

田中氏のいわゆる「メディアに煽られた保守とリベラルの対立」とは、(古いハナシですが)10月22日の総選挙の際に、民進党が「希望の党」と「立憲民主党」に分裂、メディアが前者を「保守」、後者を「リベラル」と呼んだことをさしています。田中さんは、日本の政治メディアは「保守」とか「リベラル」という言葉が分かっていない、と嘆いている。彼の理解する「保守」とは
  • 伝統を重んじ人間の理性に信頼を置かない。人間が頭で考えた理想など間違いを犯す可能性があると考える。長い年月を経た先人の知恵を尊重し急激な変化を好まない。
となる。このような保守の姿勢に共感するかどうかは別問題として、田中氏のこの理解は間違っていないとむささびは思います。そして田中さんによると「リベラル」の思想は
  • 権力からの自由を意味する。従って国家に保護されるのではなく小さな政府や自己責任を主張する。
ということになる。「小さな政府・自己責任」論は、例えばサッチャーさんらが推進した考え方であり、この種の考え方は(英国でも日本でも)「保守主義」とされているのでは?

日本は倒錯している・・・!?

田中氏はさらに、この問題と憲法改正を関連させて、護憲勢力は「保守」であると主張しています。
  • 日本が奇妙なのは護憲勢力を「リベラル」と呼ぶことだ。戦後71年間も憲法を変えさせないできた護憲勢力は伝統を重んじる「保守」と呼ばれてしかるべきなのに「リベラル」と呼ばれ、憲法を変えようとする勢力が「保守」と呼ばれるのは倒錯としか思えない。


「保守」と「リベラル」の言葉の定義はともかくとして、人間の生き方・考え方として、人間の問題を扱うときに人間のアタマを信頼しようとするのか、そんなものは当てにならないと考えるのかということですよね。前者のような姿勢を仮に「リベラル」とし、後者を「保守」と呼ぶとするならば、あなたは自分をどちらに近い人間だと思うかということです。

田中氏は「護憲勢力」をリベラル呼ばわりするのは間違っていると言っている。なぜ?戦後71年間も憲法を変えさせないできた護憲勢力は「伝統を重んじる人たち」なのだから「保守」に決まっとるではないかということですよね。不思議なのは、田中氏が憲法の中身には全く触れずに保守だのリベラルだのを語ろうとしていることです。むささびによると、護憲派が守ることを主張している憲法そのものが「リベラル」なのか「保守」なのかということを語らなければ何の意味もない。


平和主義は保守主義?

現在の憲法を特徴づける「平和主義」について前文は次のように謳っている。
  • 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
「保守主義」について田中さんは「人間の理性に信頼を置かない」姿勢のことだと言っている。この憲法前文は「(日本国民は)崇高な理想を深く自覚・・・」と言っている。この姿勢は「保守」なのか「リベラル」なのか?あるいは全く別のものなのか?むささびの解釈によると、この憲法の文章は「人間の理性に信頼を置こう」と呼びかけているものであり、(余り意味のあることではないけれど、あえて「保守」だの「リベラル」だのというレッテルを貼るとすれば)、上の文章は「リベラリズム宣言」以外の何ものでもない。従ってこれを守ろうと主張する人たちは「リベラル」に決まっている。

然るに田中さんの定義によると、70年以上にもわたって憲法を変えさせないできた護憲勢力は「保守」であり、これを変えようと主張するのは「リベラル」と呼ばれるべきなのだとなる。「守る」のは「保守」で「変える」のは「リベラル」と言っているようで、余りにも雑な理屈ではないかと思うわけです。憲法の中身がリベラルな姿勢(人間のアタマを重視)を反映したものなのか、保守主義の姿勢(人間のアタマに懐疑的)を示すものなのかを語るべきなのに、そのことについては何も言っていない。もちろん田中氏自身は、この憲法を守りたいのか、変えたいのかについては全く語っていない。

▼"The Internationalists" という本の書評の中でマーガレット・マクミラン教授は、パリ不戦協定の基本は "ideas matter" という姿勢であることを強調しています。(繰り返しで申し訳ないけれど)人間が人間の問題を解決しようとするときに頼りにすべきなのは人間のアタマ(理念・理想・理論etc)だと言うことです。むささびの判断によると、その意味において、パリ不戦協定も日本国憲法も精神は同じだということです。

▼保守主義の姿勢についてはむささびジャーナルの別のところ(『保守主義ってなに?』)で語っています。その中で英国における保守派言論人の代表格であったポール・ジョンソン(故人)が人間のアタマについて語った次のような言葉を紹介しています。
  • この世におけるさまざまな問題が、何の助けも借りず自分たちの知力だけで解決できると考える傲慢さ
    the arrogant belief that men and women could solve all the mysteries of the universe by their own unaided intellects
▼ジョンソンは上の言葉を、人間が人間の問題を考える時に避けなければならない傲慢な態度を説明するために使っている。人間のアタマだけですべてを解決できると考えるのは傲慢だ・・・というわけで、信仰心、宗教、道徳観のようなものの復活を主張している。むささびとしては、この種の考え方に対して大いなる魅力を感じながら「それでも人間の知力を信じよう」と言いたいわけです。

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4)「実力主義」はまともか?
 

社会的流動性(social mobility)という言葉がありますよね。江戸時代の日本は「士農工商」という階級が固定化しており、商人の家に生まれた人間は、一生商人として過ごす・・・社会的流動性がゼロという社会です。(例えば)低所得の家庭に育った子供でも、本人の努力次第で中流階級やそれ以上の社会的・経済的な地位を獲得するチャンスがあるような社会のことを「社会的流動性に富んでいる」というわけですね。12月9日付のThe Economistの政治コラム "Bagehot" が
  • Britain ignores social mobility at its peril
という見出しのエッセイを載せています。

分断化が進む

「英国では社会的流動性が危機的状況にあるのに、英国自身がこれを無視しようとしている」ということです。Bagehotによると、情報革命の進展に伴って英国社会はこれまでにない勢いで分断化が進んでおり、金持ちがますますしっかりと自分のパワーを固める一方で低所得の出身者が社会で成功する確率は確実に減っている。英国の場合、分断化が地域間でも広がっているとのことです。


英国には、社会的流動性を促進するための政府機関として「社会的流動性委員会」(Social Mobility Commission)というのがあって、関連の調査や政策提言などを行っている。この委員会が2015年にまとめた報告書に「社会的流動性指数」(Social Mobility Index)というのがある。イングランド(UKではない)にある324の地方自治体それぞれにおいて、「恵まれない背景(disadvantaged background)」で育った子供たちが教育や就職の面でどのような経験をしているのかを調査したもの。

地域別に見た社会的流動性の進み具合
▼社会的流動性委員会がイングランドにあるすべての地方自治体(324か所)における社会的流動性を調査、これが進んでいる地域とそうでない地域をリスト化したことがある。324の自治体のうち特に流動性が進んでいる地域65か所を「ホットスポット」としてリストアップしたところロンドンがダントツで46%、次いでイングランド南東部が23%、この2か所だけで全体のほぼ7割に達している。いわゆる「恵まれない境遇」の出身者でもロンドン(もしくはイングランド南東部)にいる限り、将来を悲観することはないということになるけれど、英国全体として見ると、余りにもロンドンに富が集中しすぎていることは間違いなさそうです。

困難な環境で育っても本人の努力次第で収入に恵まれた職に就けたり、快適な住環境に恵まれるという人間がどの程度存在するのかを調査、そのようなケース(%)が多いエリアを「社会的流動性ホットスポット」、それが進んでいない地域を「コールドスポット」として発表している。委員会の調査では「ホットスポット」はロンドンと南西イングランドに集中しており、「コールドスポット」はイングランド中北部、かつての工業都市付近に多い。

「実力主義」の善し悪し

「流動性に富む社会」とは家柄や育ちではなくて、本人が持っている「能力」や「実力」を重視する社会(meritocracy)であるともいえるわけですが、その種の社会はもともと矛盾をはらんでいる。20世紀前半の世界はまだ「家柄」とか「育ち」のような「古い勢力」(old establishemnt)が支配的で、それに伴う差別を打破するのは、差別が眼に見えるものであっただけに容易ではあった。例えばオックスブリッジのようなエリート大学が男中心であることを打破するためには女性の入学を増やせばよかった。


現代英国社会の問題は、かつての古い秩序を打破した「実力社会」でも、社会が提供する機会を独占するエリートたちが出てきているということにある、とBagehotは指摘している。実力主義社会で成功したエリートたちは、自分たちのサークルの中で相手を見つけて結婚し、子供たちには「最善の教育」(best education possible)を与えようとする。彼らにとってのベストの教育とは試験の点数がいい子供たちを育てる教育であり、古い時代の産物であった私立学校が、いまや実力主義社会のエリートの子息のためにベストの「テスト結果」を残せるような教育に血道をあげているというわけです。

知識経済が生む「石灰化社会」

現在の「知識を基盤とした経済」(knowledge economy)は、勝者が経済成長の果実のほぼすべてを独占する"winner-takes-most"というやり方がまかり通っており、当たった企業は2番手をはるかに引き離してどんどん成長、世の中の機会を独占するような状態になってしまう。英国の場合はこれが地域格差という形で明確に表れている。一言で言うと「ロンドン効果」(London effect)で、ロンドンで仕事をしている職業人たちは、子供たちにも最高の設備が整った寄宿舎つきの私立学校に通わせる。しかもロンドン効果の恩恵に浴するのはエリートたちだけではない。その周辺にいる人びともその「おこぼれ」(subsidy)にあずかれる。ロンドンにある公立学校は、ロンドン以外のそれよりも恵まれているし、卒業後の仕事だってロンドンにいれば、いくらでも見つかる。


結果として生まれるのが「石灰化社会」(calcified society)、つまり柔軟性を失って硬化症に陥ってしまったような社会です。現在の英国では、裁判官の71%、陸軍上級士官の62%、公務員の局長クラスの55%が私立学校の出身なのだそうです。英国全体で見ると、私立学校の出身者はわずか7%にすぎないのに、です。北イングランドのヨークシャーにあるバーンズリー(Barnsley)という町では、低所得者層の子息で大学まで進むのはわずか10%、同じような境遇で育ってもロンドンのチェルシーやケンジントンで育った者の50%が大学まで進学する。いわゆる「労働階級」出身の医者は全体の6%、企業の重役クラスやジャーナリストでも12%なのだそうです。

ロシア・中国のお金持ちが頼り!?

この石灰化現象を逆転させるためには、かなりの革新的な思考方法を必要とする。前述の「社会的流動化委員会」は、例えば恵まれない家庭で育つ児童のために早期教育の充実化が必要であると言っている。Bagehotが考えるのが、オックスブリッジの付属学校を作ること、私立校は低所得層児童のための特別枠のようなものを設けること等々なのですが、最近の私立校の経営者はロシアや中国の金持ちクラスの児童受け入れで儲けることばかりを考えている。私立校が慈善団体という資格を持ち続けたいのであれば、それなりの社会貢献をする必要があることを彼らに教えるべきだ、と。


社会の石灰化を打破するために欠かせないのが政治の力ですが、Bagehotによると、保守・労働の両党とも、そのことには目が向いていない。保守党はBREXIT問題で精一杯だし、労働党も昔ながらの階級対立に明け暮れており、世の中の実力主義や金権主義(plutocracy)がもたらす弊害には気持ちが行っていない。

Bagehotは、19世紀の昔にベンジャミン・ディズレーリという人が首相であったころの英国はヨーロッパでも一番平和で成功を収めている国だったけれど、それはディズレーリ政権(1年以内)が発揮した賢明なる改革への取り組み(commitment to intelligent reform)の賜物である・・・というわけで、
  • 現代の政治家たちも賢明さと改革精神によって達成できること、愚鈍と停滞がダメにするものを示そうとしているのかもしれない。
    The political class may well be about to demonstrate that what intelligence and reform can do, stupidity and stasis can undo.
と言っている。

▼要するに「個人の実力・能力を正当に評価する」という、誰が考えても「まとも」としか思えない発想を現実に移した結果として大都市への一極集中が実現してしまったということなのですよね。実力主義・能力主義という発想自体が間違っていたからなのか、やり方がまずかっただけということなのかということなのか?英国に関していうと、保守党が1975年にマーガレット・サッチャーという人を党首に選んでから約20年、実力主義による革命が行われ、1997年にブレア政権が誕生してそれが少しだけおさまり、さらにその20年後にEU離脱という形で「実力主義」が再び選択された・・・過去40年間を振り返るとそのようになります。

▼封建主義的な階級制度と戦っている間は「実力主義」は間違っているとは思えなかったけれど、それが主導権を握った途端に「強い者勝ち」の哲学になってしまう・・・サッチャー語録の中に「この世に社会なんてものはない」(There is no such thing as society)というのがある。政府・社会などに頼らずに、個人個人が努力してリッチになりましょう・・・と言って大いに受けた、けれどそのおかげで社会格差もまた広がった。だからトニー・ブレアの右寄り労働党政権ができたときに皆大喜びした。その政権が13年も続いた、その後に登場した保守党政権を率いたキャメロンが第一声として言い放った言葉を憶えています?"There IS such thing as society" だった。「社会というものは、やっぱりある」というわけです。

トビー・ヤングという保守派のエッセイストは、英国を階級社会、アメリカを実力主義社会と定義づけたうえで「英国の方が失敗者に対して寛大だ」として実力主義を批判したりしている。むささびも、トビー・ヤングのいわゆるアメリカ的能力主義・実力万能論には、どこかついていけないものを感じるのですが、かと言って「階級社会」が素晴らしいとは思えない。階級社会を乗り越えて実現したはずの実力主義社会の善し悪しはじっくり検討する必要があることだけは間違いない。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 

vending machine:自動販売機

日本でも少しだけ伝えられていたと思うけれど、北イングランドの都会、ノッチンガムにホームレス用の自動販売機(上の写真)が設置されました。Action HungerというNPOがスーパーマーケットのテスコなどの協力で運営するもので、24時間稼働で、特殊なカードを挿入すると食品・衣料品・生活用品などが一日あたり3品まで手にすることができる。

このNPOでは、とりあえず100枚を配布するのだそうですが、ノッチンガムでうまくいけば、マンチェスター、バーミンガム、ロンドンのような都市に設置を計画しており、いずれはニューヨーク、ロサンゼルス、シアトルなど海外の都市にも設置を促進する計画でいます。

ホームレスを援助する慈善団体、Shelterによると、現在、英国全土でホームレスは約30万人いる。30万人が路上生活を送っているというわけではなく、収容施設のようなところで暮らしている人も含めた数です。

ところでウィキペディアによると、自販機なるものが世界で初めて登場したのは1880年代のイングランドらしいですね。はがきの販売に使われたのだそうです。現在、世界で最も自販機が設置されているのは(もちろん!)日本で、ざっと550万台が置かれているとのこと。日本人23人に一台であるとのことです。でも・・・別のサイトにはアメリカ国内に設置されている自販機の数が712万と出ています。尤もアメリカの人口は3億2000万以上いるのだから、国民一人当たりで言うと日本の方がかなり多い。

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6) むささびの鳴き声
▼むささびと同年代のアメリカ人(英国在住)がクリスマスカードを送ってくれたのですが、その中で「理性(reason)は感情(emotion)に勝ると思っていた我々は間違っていた」と言っていた。トランプ支持者が跋扈するかのようなアメリカの現状についての嘆き節です。"reason"という言葉をケンブリッジの辞書で引くと「現実・事実を見据えながら物事を決めることができる健全な心の状態」という説明が出ていた。"emotion"については「怒りや愛のような強い感覚」(a strong feeling such as love or anger)と説明されていた。

▼人間には理性的な面と感情的な面があるということは、個人レベルのハナシとしては分かりますよね。でも、自分も含めた「人間」のハナシとなると、これがなかなか・・・というのが現実です。国連・EU・不戦条約のような機構の善し悪しは、感情というレベルで語れるようなものではない。人間が「健全な心の状態」を堅持しながら「強い感覚」を抑えて作り上げたものですよね。トランプが受けたのは「アメリカを再び偉大な国にしよう」と呼びかけたからであって「世界から核兵器を追放しよう」と呼びかけたからではない。そのトランプに共鳴したアメリカ人の心理は"emotional"ではあっても"reasonable"では絶対にない。彼らの気持ちを後押ししているのは「怒り」ではあっても「愛」ではない。

▼4つ目に載せた英国の社会的流動性についての記事との関連で言うと、社会的流動性委員会の調査で流動性が特に低いとされた町が65か所あったのですが、そのうちの62か所が、昨年の国民投票でEU離脱に賛成する意見が勝っているのだそうです。流動性が低いということは、例えば低所得家庭に生まれた子供が大学へ進んだり、豊かな家庭を作ったりする可能性が低いということです。The Economistによると、英国のEU離脱はそのような地域の人びとの怒りの爆発である、と。何に対する怒りなのか?実力主義社会で実力に恵まれてしまっている階層の人びとへの怒りです。そのような恵まれた階層の人間に限ってヨーロッパ好きであり、国際人であり・・・つまりロンドン的である、と。

▼アメリカのトランプ人間と英国のBREXITERSに共通しているのが「怒り」ですよね。現代の「実力社会」の中核であるインターネットの周辺でアタマを使って生きているスマートなエリートたちに対する怒りです。トランプ人間たちは「偉大でなくなったアメリカ」に怒り、BREXITERSは「何かというと我々のことにくちばしを挟んでくるEU」に対して怒っている。EUの内政干渉に怒る英国人たちに、念のために言っておくと、EU(の前身)に加盟したのはあんたらが希望してのことだったのよね。

▼で、むささびへのクリスマスカードの中で、感情が理性を打ち負かしているとしか思えない現代を嘆いている在英アメリカ人の友人に対するむささびの返答は、「声高にエリートたちを批判する人びとは、怒ってはいるかもしれないけれど、自分たちが正しいことを主張しているという自信はゼロだと思う」というものだった。同じことが日本でヘイトスピーチなどをやっている人間にも言える。父親の代からの民主党員である彼女は、トランプ勢力に対する反撃(fight back)をしなければ、と思うのですが、感情的トランプ人間に対して「理性」でfight backというのもタイヘンです。それでも彼らに屈して自分たちも感情的になるわけにはいかない。

▼というわけでイベントのお知らせ。1月6日(土)午後2時から成城ホ-ル(小田急線・成城学園前駅から徒歩5分)というところで「植村隆さんを支援する新春トークコンサート」というのが開かれるとのことです。植村隆という人については、むささびジャーナル302号の「鳴き声」で触れていますが、かつて朝日新聞の記者として朝鮮人従軍慰安婦の記事を書いて「ねつ造だ」というのでバッシングされまくった人です。詳しくは右側のポスターをクリックすると出ていますが、ピアニストの崔善愛(チェソンエ)さんや政治風刺コントの松本ヒロさんらも出演するそうです。

▼スズメですが、「初雪や せめて雀の三里まで」という俳句をご存じですか?「三里」というのは、膝から少しだけ下の部分(脛に近い)ですよね。「雀の三里」ということは・・・地面からほんの数ミリですね。この俳句は「雑俳」という落語でご隠居さんが八っつぁんを相手に俳句談義をする中で紹介するものです。「初雪というのは、きれいだけどあまり積もらない、この際、せめて雀の三里くらいまでは積もってもらいたいという情を詠んだものなんだ、お前に分かるか」と言われた八っつぁんが「あっしはね、そんなケチなことは言いませんよ、ご隠居の前だけど」と言い返して詠んだのが「初雪やせめてキリンの首ったけまで」という作品だった。むささびが最初にセリフをおぼえた落語です。

▼最後の最後まで、長々と失礼しました。良いお年を!

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むささびへの伝言