musasabi journal

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386号 2017/12/10
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
2017年、最後から2番目のむささびです。あと2か月もすればプロ野球のキャンプが始まる・・・とか言いながら春を待つしかないのでありますね。上の写真ですが、南アフリカのボツワナというところで撮影されたミーアキャット(meerkat)と呼ばれる動物のシルエットです。撮影したのは英国の野生動物写真家のBurrard-Lucasです。南アフリカ砂漠地帯にすむマングース科の小動物なのだそうですね。二本足で立っている姿がユニークです。

目次

1)エルサレムに米大使館を二つ置け!?
2)北アイルランドとBREXIT
3)行き詰まるメイ政権
4)この50年、生活良くなりました?
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)エルサレムに米大使館を二つ置け!?


トランプがイスラエルの首都をエルサレムと認め、アメリカ大使館を現在のテルアビブからエルサレムへ移転すると発表したことについて、英国のメイ首相は「中東和平の助けにはならない」(unhelpful to prospects for peace in the region)とコメントしています。12月7日付のThe Economistがこの問題を社説で取り上げて「トランプがエルサレムにアメリカ大使館を置きたいのであれば二つ置くべきだ」(he should open two embassies in the holy city, not one)と言っている。


トランプは今回の決定について「大使館をエルサレムに移転した後もイスラエル人とパレスチナ人の和平を求めるアメリカの姿勢に変わりはない」と言いながら、エルサレムを首都として認めるのは、「イスラエルの民主主義に敬意を払い」(honouring Israel’s democracy)、「現実を認める」(acknowledging reality)と言っているだけだと主張している。この場合の「現実」というのは、エルサレムは民主主義の国であるイスラエルの政府が首都としている都市であるという「現実」のことです。トランプとしては、大使館をエルサレムに移転した後もイスラエル人とパレスチナ人の和平を求める姿勢に変わりはないとしている。

歴史的な事情

現在エルサレムに大使館を置いている国はない。つまりイスラエルが首都であるとしているのに、それが世界のどの国にも認められていないということなのですが、それには歴史的な事情がある。1947年に国連がパレスチナ(当時は英国の統治下)を分割(partition)してユダヤ人とパレスチナ人の二つの国家を建設し、聖地エルサレムは国際管理下の都市(international city)とすることを投票で決めた。


その後、イスラエルとヨルダンの間で戦争が起こり、エルサレムは二つに分断され、さらに1967年の戦争でイスラエルが東エルサレムを自国の領土としてしまった。そこではアラブ系の住民は「特別な地位」(special status)を与えられたけれど、あらゆる意味で二級市民扱いされることになった。エルサレムはユダヤ人にとっての「永遠にして分断されることのない首都」(eternal and undivided capital)となったわけです。

オスロ合意

そして1993年のオスロ合意によってパレスチナ自治政府(autonomous Palestinian Authority)の存在が認められるのですが、エルサレムはイスラエルとパレスチナの間における永遠の和平が達成された暁に解決されるべき「最後の地位上の課題」(final status issues)と位置付けられた。要するにオスロ合意の時点でもエルサレムは「国際管理下の都市」であったわけです。

大使館をエルサレムに移転するという考えを示したのはトランプが最初ではない。アメリカ議会は何度もそれを要求しているし、大統領もまた選挙中にはそれを約束しながら、いざ就任してしまうとそれを先延ばしにするということが続いてきた。今回の決定についてトランプは「アメリカおよびイスラエルとパレスチナの和平の両方にとって最善の策となる」(the best interests of the United States of America and the pursuit of peace between Israel and the Palestinians)と言っているのですが、The Economistの社説は単純明快に
  • どちらの役にも立たない。
    It will help neither.
と切り捨てています。


まずトランプは、イスラエルとパレスチナの和平のあるべき姿を勝手に決めつけてそれを追求しようとしている。イスラエルには「首都エルサレムを公認する」という褒美をあげておきながらイスラエル側からは何も引き出していないし、パレスチナ側が主張する国家主権には何も触れていない。これでは両者の和平交渉にトランプが影響を与える余地は全くない。あまりにもフェアでないから。

ハト派に恥をかかせて

次にトランプは、自分たちの希望を「暴力ではなくて話し合いで達成することができる」としているアッバス大統領らのパレスチナ側のハト派が持っているパレスチナ人の間の信用を台無しにしてしまった。「だから話し合いなんて成り立たないのだ」という武闘派の考え方に力を与えてしまったということ。

さらにトランプはアラブ諸国の中でもどちらかというとアメリカ寄りの同盟諸国に恥をかかせてしまった。サウジアラビアのような国は、イスラエルを快く思ってはいないにしても、中東におけるイランの勢力拡張を何よりも嫌がっており、それを阻止するためにはイスラエルとさえも「事実上の同盟国」となる可能性さえあった。なのにトランプのこの決定によってそれも出来なくなってしまった。


The Economistがさらに指摘するのは、エルサレムはこれまでにも「首都のような扱い」受けてきているという事実です。イスラエルを訪問する外国からの外交官や政治家がエルサレムでイスラエル政府の代表と会談することは頻繁に行われてきた。今さらトランプが「公式に」認めてもさしたる違いはない。「何故わざわざそんなことをするのか?」(Why did Mr Trump bother?)というわけです。

トランプの国内事情

The Economistの社説によると、トランプがあえて無意味な行動にでたことは、アメリカの中東政策とは何の関係もない。あくまでも国内の政治的な理由が背景にある。ワシントンの議会や司法機関に対して自分が選挙中の「公約」を実施する人間であることを見せつけるということがある。さらにトランプ支持者にはアラブ嫌いとイスラエル好きが多いということもある。

The Economistが主張するのは、トランプはエルサレムの問題などに触れるべきではないということで、それはイスラエルとパレスチナの和平合意が成される際の「王冠」(crown)として最後までとっておくべきなのである、と。トランプがどうしても画期的なことをやりたいというのであれば、エルサレムにアメリカ大使館を二つ開設することであるということ。一つはイスラエルとの外交関係、もう一つはパレスチナ国家との関係を扱うということであり
  • 二つの国家と国民のために二つの大使館を作る。それこそが本当の新しいアイデアというものだ。
    Two embassies for two states for two peoples: that would be truly fresh thinking.
とThe Economistは言っています。

▼中東で紛争の匂いがしてくると、ほぼ必ずと言っていいほど100~200年以上も前の大英帝国による中東支配が語られます。むささびでは触れなかったけれど、今年(2017年)はバルフォア宣言からちょうど100年目にあたるのですね。ここをクリックすると詳しく出ている。第一次世界大戦末期の1917年11月にバルフォア外務大臣が、貴族院議員であったウォルター・ロスチャイルドに送った書簡のことです。

▼当時、パレスチナの地に自分たちの国家を建設しようとしていたユダヤ人の動きを支持する旨を明らかにしたものだった。ロスチャイルドはユダヤ人であるばかりでなく、パレスチナにユダヤ人国家を建設する運動(シオニズム)の指導者で、しかもヨーロッパ有数の金持ちだった。当時、英国はパレスチナ周辺の支配権をめぐってオスマン帝国と戦争状態にあり、パレスチナに国家建設を進めるユダヤ人とは「敵の敵は味方」という意味で利害が一致したというわけです。

BBCのサイトによると、バルフォア宣言に関連してパレスチナの小学生に「英国はパレスチナ人に対して罪を犯したと思うか?」(Do you think Britain committed a crime against the Palestinian people?) と教師がたずねたところ、クラス全員が「そのとおりです」と挙手をしたのだそうです。

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2)北アイルランドとBREXIT
 

11月24日付のThe Independentのサイトで、ジャーナリストのパトリック・コバーンがBREXITと北アイルランドの問題について語っています。北アイルランドは1960年代末から1998年までの約30年間、アイルランドへの帰属を求めるナショナリストと英国への帰属の継続を主張するユニオニストとの間で抜き差しならない対立関係が続き、アイルランド共和国軍(IRA)と英国軍が武力衝突を繰り返すという状態だった。98年にようやく和平合意(Good Friday Agreement)にこぎつけ、2005年にはIRAが武装解除を発表、それ以後は重大なテロ事件もなく収まってきた。

20年前に逆戻り?

その一方で98年の和平合意と同時に北アイルランドの自治政府ができて、曲がりなりにもスコットランドやウェールズと同じような体制の下でUK (United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)の一部として存在してきた。が、パトリック・コバーンのエッセイはBREXITによって、北アイルランドは20年以上前の状態に戻る可能性があると警告している。その理由としてコバーンは
  • 北アイルランドはBREXITによって、これまで以上に「英国」となる。だからこそDUPもBREXITを支持したのだ。
    Brexit makes Northern Ireland more distinctly British, which is why the DUP supports it.
と言っている。DUP(Democratic Unionist Party)というのは、北アイルランドの英国への帰属を最も強く主張してきた政党で、現在の自治政府の与党を形成している。昨年のEUをめぐる国民投票では北アイルランドは44万票対35万票で「残留支持」の方が多かったけれど、DUPは離脱を支持した。

対EU:北アイルランドの世論

これまでは南のアイルランド共和国も英国もEUの加盟国であったので、南北アイルランドの間の国境は法的には存在しても実際にはないようなもので、お互いの住民が自由に往来することができた。英国がEU加盟国でなくなると、現在の有名無実のような国境が「本当の国境」(hard border)になってこれまでのような自由な往来が許されなくなる可能性がある。そうなるとこれまで普通にされていた北アイルランドから南への輸出入なども面倒なことになってしまう。

カソリックとプロテスタントの対立

しかしコバーンが警告するのは、モノの売り買いという経済的な影響よりも、北アイルランド内部における対立が深刻になるということ。かつては「南」への帰属を主張していたカソリック系アイルランド人のコミュニティと「自分たちは英国人だ」と考えている住民(プロテスタント)の間の感情的な摩擦です。コバーンはIRAのテロが頻発していたころの北アイルランドで暮らしていたのですが、IRAのテロの背景としては、ロンドンの中央政府が明らかにプロテスタント住民を依怙贔屓しているというカソリック住民の怒りがあった。


中央政府による依怙贔屓現象は、1990年に当時の北アイルランド担当大臣が「英国は北アイルランドに国益もバイアスもない」(Britain had no bias or national interests of its own in Northern Ireland)と発言したことをきっかけにして、かなり弱まり、それに伴って住民同士の対立もやわらぐのではないかと思われてきた。そこへ降ってわいたのがBREXITであったわけです。

政府が機能不全に

BREXITの結果、北アイルランドと南の共和国はEU加盟国同士という関係ではなくなる。それだけではない。EUとの離脱交渉で自らの立場を強化しようとして選挙に打って出たメイ首相が惨敗して少数政権へと落ち込んでしまったときに「連立」の相手として選んだのが、あろうことか北アイルランドのDUPだった。こうなると、かつてカソリック系住民が持っていたロンドンの中央政府に対する不信感が再燃しても全く不思議ではない、とコバーンは考えている。

しかもユニオニスト派とナショナリスト派のパワーシェアリングで成り立ってきた北アイルランド政府が両者の対立が激しくて、今年初めから全くの機能不全で、現在のところはロンドンの北アイルランド省が直接統治するという異常事態に陥っている。そうなったについては、余りにも極端な反ナショナリスト政策を推進しようとするDUPに反発するシンフェイン党などが政府をボイコットしているという見方が強い。


1998年に設立された北アイルランド議会ですが、今年3月に行なわれた選挙の結果、次のような議席配分になっています。


民主連合党(DUP)は選挙前の38議席から28議席へと議席を減らし、シンフェインは1議席増やした結果、DUPとの差が1議席へと迫っている。英国への帰属を主張する「ユニオニスト」はDUPとUUP(アルスター・ユニオニスト党)を併せても38議席で過半数(46議席)に届かない。これは和平合意後にこの議会が出来て以来の事態です。一方、アイルランドへの帰属を主張する「ナショナリスト」はシンフェインと社会民主自由党(SDLP)を併せて39議席で、これも過半数には届いていない。

▼要するにBREXITをそのまま実行すると、1998年の和平合意そのものがおかしくなってしまう。そうなると、IRAによるテロリズムが横行したあの時代に戻るのか・・・という危惧の念を抱くのは当たり前ですよね。むささびの想像によると、昨年の国民投票でBREXITに賛成した英国人(主としてイングランド人)には北アイルランドのことなど全くアタマになかった。おそらくメイさんも同じ。はっきり言って甘かったということなのだけれど、イングランド人が "UK=England" としか考えていないということがはからずも露呈してしまったということでもある。

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3)行き詰まるメイ政権

パトリック・コバーンがThe Independent紙上でBREXITと北アイルランドの問題を語ってから10日後の12月4日、メイ首相がブラッセルで欧州委員会のユンケル委員長とバルニエEU首席交渉官と昼食をとりながら会談を行い、EU離脱に向けてのさまざまな課題について話し合った。北アイルランドとアイルランド共和国間の国境問題も重要な話題の一つだったのですが、これについては解決どころかメイ政権の行方さえ危ぶまれるような事態になってしまった。


この国境問題については、英国政府はアイルランド共和国政府に対して、英国のEU離脱後も現在の「開かれた国境」を維持することを提案しており、アイルランド側もこれに賛同する姿勢をとっていた。これでこの問題は決着できる・・・とメイさんは考えていた。なのに・・・この案を知らされて「とんでもない」と怒って「断固拒否」の姿勢を示したのが北アイルランドの与党、民主ユニオニスト党(DUP)のアーリン・フォスター党首だった。

あちらのメディア報道によると、「開かれた国境」を維持するという考え方は12月4日の午前中にアイルランド政府に提案され了解されていたのですが、北アイルランドのフォスターDUP党首に知らされたのは、その後のことだった。ユンケル委員長らとの昼食の合間にメイさんが中座、フォスター党首に電話をして、アイルランド側への提案内容を説明したのですが、フォスター党首の回答は「断固拒否」だった。これを無視することはメイさんには出来ない。メイ政権は今年6月の選挙で少数与党に転落、DUPとの連立によって辛うじてロンドンの議会での多数を維持してきたのだから(むささびジャーナル374号)。


メイ政府による提案は、要するに国境はこれまでどおり検問などはない「開かれた国境」という形を続けるということです。「これまでどおり」ということは、モノのやりとりについても「非関税で自由に」というEUのルールが適用されることを意味する。となると、英国全体としてはEU離脱なのに北アイルランドとアイルランド共和国の間だけは特別扱いということになる。DUPがこれに断固反対なのは、まさにこの「特別扱い」が理由です。自分たちは英国の一部なのだから、EU離脱後も英国本土と同じ扱いにして欲しい・・・というわけ。もちろんスコットランドやウェールズも黙ってはいない。「開かれた国境」案が報道されると直ちに「北アイルランドだけ別扱いはおかしい」という抗議の声があがったし、ロンドンの市長もEUとの自由な貿易を主張したり・・・。


英国全体としてこれを受け入れると、EU離脱後も「EUの単一市場と関税同盟には参加する」という「ソフト離脱」ということになってしまう。そうなると保守党内の強硬派が大騒ぎすることになり、メイ党首の退陣という事態にもなりかねない。

ただ・・・20年前(1998年)に交わされた北アイルランドにおける和平合意(Good Friday Agreement)には、南北アイルランドの国境は「検問なし国境」(unguarded border)として維持されるべしという一文がある。アイルランド共和国政府が、メイさんに対して 書面による確認(written assurance)を求めた理由はここにあるわけです。

▼12月8日にメイさんが再びブラッセルを訪問してユンケル委員長と会談、北アイルランドの国境問題について「EUと英国政府の間で合意ができた」と発表されたのですが、合意文書の内容たるや何を言っているのかさっぱり分からない。メディア報道によると「北アイルランドとアイルランド共和国の間には厳しい国境(hard border)が設けられることはない・・・ということを英国が「保障する」(guarantee of avoiding a hard border)となっている。ということは、国境問題に関する限りこれまでと変わらず、北アイルランドとアイルランド間の輸出入に関税もかからない、と?

▼でも北アイルランドはあくまでも英国の一部であり、アイルランド共和国はEUの一部であるわけで、北アイルランドがアイルランド共和国と無関税で輸出入が行なえるということは、結局のところ英国とEUの間が自由貿易ということになるのでは?と思うと、これが違うんです。2019年3月に英国(UK)がEUを離脱する際には、EUの単一市場や関税同盟も離脱する・・・このことに変わりはない。英国は日本やアメリカなどと同じような立場でEUとの貿易に臨むことになるわけです。

▼だとすると、メイさんがEUおよびアイルランド共和国と合意した(ことになっている)「自由な国境」というのは、北アイルランドとアイルランドの間だけのハナシということになる。つまりDUPが強硬に反対する「北アイルランドだけ別扱い」ということになる。なのに合意文書には、北アイルランドとUKの他のエリアとの間に「新たな法的な障壁を設けることは許されない」(no new regulatory barriers)と書かれている。つまり「別扱いではない」と言っている。さっぱり分からない・・・。

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4)この50年、生活良くなりました?
 

アメリカの世論調査機関、Pew Researchが12月5日付で発表した国際アンケート調査は、38 か国・4万3000人から回答を得るという大規模なもので、質問は
というものだった。「昔」とはこの調査に関する限り「50年前」のことです。国によって反応はさまざまだったけれど、「昔に比べれば良くなった」と答えた人の割合が最も高かったのはどこだと思います?ベトナムです。何と88%のベトナム人が "life is better today" と答えたのだそうです。日本人は?65%がそのように答えており、ベトナム、インド、韓国に次いで「良くなった」組の第4位となっている。良くなった組の「ベスト5」と悪くなった組の「ワースト5」を並べると次のようになる。
ベスト5
ワースト5
50年前というと1960年代後半ですよね。世界的に見ると、米ソは冷戦の真っただ中、アメリカではベトナム反戦運動やマーチン・ルーサー・キングの黒人の地位向上運動などが盛んになりつつあった時代だし、ソ連がチェコに侵攻したのは1968年、イスラエルとアラブ諸国間の第3次中東戦争が起こったのは1967年、東京五輪は1964年だった・・・あなたは何をしていましたか?


ベトナム、インド、韓国がトップ3に来ているのは、それぞれの経済的な発展ぶりを反映していると言えるのですが、Pew Researchが指摘しているのは、日本・ドイツ・オランダ・スウェーデンのようないわゆる「先進国」でも、人びとは50年前と比べると生活が良くなったと感じているということです。


アメリカでは「悪くなった」が「良くなった」を上回っているのですね。50年前といえば、パソコンやインターネットはサイエンス・フィクションの世界のハナシだったのが、今では当たり前になっており、それをリードしてきたのがアメリカなのに、現在のアメリカ人の生活感覚は必ずしも明るいものではないのですね。

英国の場合、わずかとはいえ「良くなった」という人が多くなっている。過去50年となると約40年前(1979年)のサッチャー政権の誕生は話題としては欠かせないでしょうね。それ以前の英国は、ビートルズあり、ミニスカートありで賑やかな若者文化もあったかもしれないけれど、英国病といわれた経済不振の時代だった。サッチャー以後はかなり時間がかかっているけれど、市場経済・新自由主義なるものの波に乗ってきたとも言えますね。

▼この調査はいろいろな意味で興味深いですね。何といっても、ベトナムの人たちが、アメリカとの戦争からざっと50年後のいま、どの国の人たちよりも明確に「生活が良くなった」と思っているのが強烈な印象を与えます。ボートピープルという言葉はこの戦争から生まれたのでは?そのベトナムの村々を破壊したアメリカという国の人びとは、現在、必ずしも「生活が良くなった」とは感じてはいない。むしろ「昔の方が良かった」と感じている人の方が多い。

▼ベトナム戦争ではついに勝つことができなかったアメリカですが、その後は冷戦の終焉で最大のライバルであったソ連が崩壊したのだからアメリカ人は万々歳のはず。なのに何故か「生活が悪くなった」という人の方が「良くなった」という人よりも多い。ベトナム人などよりは、はるかに豊かな生活を楽しんでいるはずなのに・・・。トランプが大統領選挙の際に「アメリカを再び偉大な国にしよう」(Let's make America great again!)と呼びかけて支持されたけれど、彼のいわゆる「偉大なアメリカ」とは50年前のアメリカなのかもしれない。トランプはベトナム戦争当時、ざっとハタチだった。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 

sumo:相撲

横綱・日馬富士が例の事件で引退することを発表した日(11月29日付)のBBCのサイトのフロント・ページに
という見出しの記事が出ていました。「日本の相撲のスターである日馬富士が"暴力行為"によって引退する」というわけですよね。昔は「相撲」といえば "Japanese wrestling" という説明の言葉と一緒に使われたものですが、最近では、小文字で "sumo" で済ませてしまうくらい外国の人にも知られるようになった・・・かな?確かに何十年も前に比べれば "sumo" を知っている外国人は増えたかもしれない、でも、やっぱりそれほど多くはないのよね。それが証拠にこのBBCの記事にも "What is sumo?" という説明文が入っていました。

「日本の伝統的なスポーツで、一年間に6回のトーナメントがあって・・・」という説明と一緒に土俵における力士の行動が次のように説明されていた。
  • Two wrestlers face off in an elevated circular ring and try to push each other to the ground or out of the ring
当たり前だけど、上手な説明であると(むささびは)感心してしまった。「二人のレスラーが盛り上がった円形のリングで向かい合い、お互いを押し合いながら地面に押し倒すかリングの外へ押し出すかしようとするものだ」というわけです。手短でしかも分かりやすいと思いません?ついでに日馬富士の親方である「伊勢が浜親方」については "Stable master Isegahama" となっていた。「部屋」は "stable" なんだ。

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6) むささびの鳴き声
▼2001年9月11日の同時多発テロが起こったときに、アメリカのメディアは「誰がやったのか」についてはさんざ書き立てたけれど、「何故やったのか」については全く語ろうとしなかった・・・と英国の中東専門記者(ロバート・フィスク)が書いている(むささびジャーナル263)のですが、その彼によると9・11の「何故?」はパレスチナ問題です。ニューヨークの貿易センタービルがテロで崩れる様子にパレスチナ人たちが欣喜雀躍して喜んだ・・・テロは悪いし、建物が破壊されることに喜ぶのもどうかしている。でも大喜びをする人間がいた、何故なの?を問いかけることは、あの当時のアメリカではテロリストの手先とされた。そしてひたすら「あいつらをやっつける」ことに走った。あれから16年が経っている。

▼トランプが今、エルサレムをイスラエルの首都として認める行動に出たのは、The Economistのいうように、自分がイスラム教徒の言いなりにはならない人間であるということを、アメリカの有権者に見せつけるための行動であると考えるのが自然ですよね。自分はこれまでの大統領とは違うんだということを示す。「エルサレム」はそのために使われただけ。中東和平だのパレスチナなんて全く関係ない・・・と言われるとトランプは「だから何が悪いのさ」と開き直る。イスラム・テロとの戦いには弱腰平和主義では勝てない、と叫ぶ、それに応える聴衆がアメリカには存在する。

▼というわけで、これは中東の問題なので、むささびにはよく分からない。けれど同じ人間(トランプ)が日本の隣で韓国との大軍事演習なるものを展開している。自分のとった行動がイスラエル人やパレスチナ人の間の憎しみを増大させ、いずれは悲惨な犠牲者が出る・・でもトランプには構わない。それはイスラエルで起こっているのであり、カリフォルニアやニューヨークで起こっているわけではないのだから。それと同じ理屈が北朝鮮についても当てはまる。自分のとった行動によって韓国・日本・中国が戦場になったとしても、それは「彼ら」の問題なのだから。北朝鮮問題で怖いのは金正恩ではなくてトランプだ、というのはそのとおりですね。シンゾーは、そのトランプと仲良くすることで日本を守れると考えているのですよね。

▼4番目に載せた「この50年、生活良くなりました?」という記事。むささび(昭和16年生まれ)と同年代の皆さまにとっても「これまでの50年」は大いなる感慨なしに振り返ることは出来ないのではありません?安保闘争(1960年)があって、シンゾーのお祖父さんの岸信介の後に首相になった池田勇人という人が打ち上げた「所得倍増論」なんてのがありました。そして東京五輪→バブル景気→バブル破裂→大震災・・・ときて憲法改正、と。あなたがPew Researchのアンケート調査の対象になって "Is life today better than in the past?" と聞かれたら、何と答えます?

▼ところで、今年はフィンランドの建国100周年の年なのですね。フィンランドという国は、最初はスウェーデン、次にロシアによって支配されていたのですね。それが1917年にロシアから独立・・・すなわち「建国」というわけです。建国記念日は12月6日だったのですが、フィンランドの公共放送(YLE)によると、この日はフィンランド中のカラオケバーでフィンランド国歌を大合唱する愛国集会が開かれたのだそうです。さらに同じ日の午後2時、フィンランド中のオフィスやお店で「コーヒーブレイク」なるイベントが行われたのだとか。イベントと言っても、コーヒー一杯とパンを差し出して「ま、一休みしたら?」とか言いながら建国を祝う・・・結構なんじゃありませんか?駐日フィンランド大使館のサイトには、日本における関連イベントのリストが出ています。

フィンランドの諺の一つに「ウソも3回つくと、ついた本人も本当に思えてくる」(He who lies thrice believes he's told the truth)というのがある。「アタシはやってない!」と3回言い張れば、さっきのおならも自分がやったのではない、と思えてくる・・・なんてこと、あるわけないよね。

▼お元気で!

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むささびへの伝言