musasabi journal

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401号 2018/7/8
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
上の写真、6月18日付のガーディアンに出ていた、ワールドカップ関連の写真集の中の一枚です。6月15日、サンクトペテルブルグで行われたイランvsモロッコ戦を見守る観客です。試合は相手のオウンゴールによる1対0でイランが勝った。これは1998年のフランス大会でアメリカを破って以来、イランにとってはワールドカップ二つ目の勝利であったそうです。それにしても奇妙な観客席だと思いません?

目次

1)是枝監督の「メディア=権力」論
2)英国人と軍隊
3)何がトランプを生んだのか?
4)金さんとトランプ、どちらが危険か?
5)ドイツの68世代
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)是枝監督の「メディア=権力」論

「Yahoo!ニュース特集」という名前のサイトを見ていたら、カンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞した『万引き家族』を作った是枝裕和監督とのインタビューが掲載されていました。題して『是枝監督の「非常な危機感」“内向き日本” に多様性はあるか』。是枝さんによると
  • 同調圧力の強い国の中で、多様性の大事さを訴えていくのはすごく難しい。
とのことであります。


「同調圧力」とは(ネット解説によると)「少数意見を有する者に対して暗黙のうちに多数意見に合わせることを強制すること」となっている。「多数=正しい」という無言の掟のようなものがまかり通っている社会で、是枝さんによると、日本は正にそのような場所であり、人間が本来持っている「多様性」が尊重されることがない社会である・・・というわけで、そのあたりのことについての監督の思うところが語られている。かなり長い記事の中からいくつか選んで紹介すると・・・。



「大きな物語」と「小さな物語」
僕は人々が「国家」とか「国益」という「大きな物語」に回収されていく状況の中で映画監督ができるのは、その「大きな物語」(右であれ左であれ)に対峙し、その物語を相対化する多様な「小さな物語」を発信し続けることであり、それが結果的にその国の文化を豊かにするのだと考えて来たし、そのスタンスはこれからも変わらないだろうことはここに改めて宣言しておこうと思う。

以前に何度も言ったことですが、むささびは「国民」という言葉にどうしても馴染めない。この言葉を英語に直訳すると "national people" となる(と思う)。自分のことを「日本人」とは言っても「日本国民」とは(国籍が問題になっている場合を除いては)絶対に言わない。国民という言葉に、是枝さんの言う「大きな物語」を感じてしまう。虫唾(むしず)が走るのよね。もちろん英国やアメリカの友人のことを「英国民」などとは言わない。是枝さんのいう「小さな物語」とは「春海二郎」の物語であって「日本国民・春海二郎」のハナシではないということなのであろう、と。是枝さんは「小さな物語」を発信し続けることが「結果的に」その国の文化を豊かにすると考えてきた、と言っている。一人一人の人間がそのまま大事にされる社会が育む「文化の豊かさ」を言っているのでしょうね。

是枝さんの言葉の中で注目すべきなのは「大きな物語」の語り手について「右であれ左であれ」と言っている点です。「右」の場合は、シンゾーのような国家主義者のことを言っているのであろうと想像するのは容易だと思うのですが、「左」の人たちが語る「大きな物語」とはどのようなものを言っているのか?



「パブリック」と「ナショナル」の差
(「小さな物語」の発信にこだわることについて)いろんな意味で国益とか、国家とか、ナショナリズムみたいなものがこの国全体を覆い始めて、教育や放送というパブリックなものもナショナルなものに回収されていく。そのプロセスがあからさまになり、僕は非常な危機感を持ったわけ。昔は裏で行われていた権力の介入が、表立って行われるようになり、視聴者の一部がそのナショナルなものの側に自分を重ねて、放送を『反日』だと言い始める倒錯が起きている。

是枝さんは放送倫理・番組向上機構(BPO)という放送メディアの組織に「放送倫理検証委員長代行」という肩書でかかわっているのですが、(むささびの想像によると)是枝さんが本当に危機感を持つのは「視聴者の一部がそのナショナルなものの側に自分を重ねて・・・」という部分なのではないか。視聴者や読者が、誰に強制されたわけでもないのに、ナショナルの側に身を置いて「あいつは反日だ」というような言葉を発するようになっているということ。そして放送メディアの編集者たちもナショナルな視聴者の側に自分を重ねるようにして仕事をするようになっている。そして考える「オレたちは国民のために仕事をしている」と。



「内向き」の気持ち悪さ
カンヌの映画祭でも、なかなか日本の記者の方たちは、基本的には日本映画のことしか書かない。自分で外国の監督や俳優にアポイントを取って、取材して、その記事を開催中に新聞に載せた例は、僕の知る限り、今年は一つもない。韓国や中国だってやっているライブレポートもできていない。そういうことに、非常に危機感を持っているわけ。<中略>たぶん、非常に内向きなんです。

是枝さんはオリンピックを例に挙げて「日本人が金メダルを取った競技は見るけど、そうじゃない競技には興味がない」と批判している。米大リーグのニュースにしても「日本人選手の活躍ぶり」だけが報道の対象となる。ニュースを送る側も受ける側もそのことについては何らの疑いも抱いていない。


  • メディア=権力?
    映像、放送に関わるって非常に危険なことだからね。メディアに関わるということは、ある一つの権力を手にすることですよ。自分の振る舞いがどう社会的な影響を持つのか、それぞれの作り手が自覚しないといけない。書くことも同じだと思う。そのときに、『どうからめとられないか』はすごく大事。<中略>(権力とメディアの関係を)意識しなければいけない人たちがいるとするなら、まず社会の側だからね。この国では、そのへんのルール作り、メディアをめぐる環境がすごく曖昧になっている。
この部分はとても大切だと思うのですが、むささびにはいまいち分からない。ただ、この発言に続く、インタビューする記者と是枝さんの次の会話を読むと一応の納得はいく。
  • 記者:「平時」においても公権力とは潔く距離を保つのが正しい振る舞い、と監督はブログに書いています。日本では、ルールがなかったり、自覚的でなかったりすれば、いつの間にか「大きな物語」にからめとられてしまうと?
  • 是枝:「そう思っています。(あなたは)思っていませんか?」
▼「内向きメディア」による同調圧力推進型報道の見本とも言えるのがワールドカップ報道だったのでは?特に日本がベルギーに敗れた翌日の関連サイトの見出しにそれが感じられません?『日本8強逃す 攻めた 美しき敗退』、『英国人が見たベルギー戦「本当に称賛するしかない」』、『本田「仲間に感謝…選手のみんなを好きになった」』などなど。日本が敗れたことについて日本人同士が慰め合っているというムードです。気持ち悪い(とむささびは思う)。



▼このような報道と極端に違う例がむささびジャーナル192号(2010年)で紹介されている記事です。2010年の南アにおけるワールドカップでドイツに完敗して帰国したイングランドの選手たちについてDaily Mailが掲載したもので、「ドイツにやられたダメ野郎たちは金儲けにしか興味がない、歯抜けライオン」と表現して叩きまくっている。いくらなんでもひどすぎる。同じ日のThe Sunなどは "YOU LET YOUR COUNTRY DOWN"(お前らが国をダメにしたんだ)とののしったりしている。

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2)英国人と軍隊

英国にArmed Forces Day(軍隊記念日)なんてのがあったんですね。知りませんでした。毎年6月の最終土曜日だそうです。祝日というわけではないけれど、軍隊および軍関係者に対して敬意を表する催しが英国内および英国の軍事基地がある外国でも開かれている。その軍隊記念日にちなんで、世論調査機関のYouGovが軍隊というものの存在についての英国人の意識調査を行なっている。

第二次大戦のような戦争が起こった場合は軍隊に入る


例えば英国では採用されていない徴兵制についてはほぼ半数(48%)が、「若者対象に一カ月程度の義務があってもいいのではないか」と言っている。(申し訳ないけれど)ちょっと可笑しかったのは65才以上の年寄りの74%が賛成なのに対して、徴兵される若者(18~24才)の場合はたったの10%が賛成している。

また第二次大戦のような規模の戦争が起こった場合、軍隊に入る気があるか?という問いに肯定的な回答をしたのは全体の20%で、前回(2016年)よりも5%ほど下がっている。戦場に行く気はあるか?という問に対してもかなり消極的なのですが、特に兵隊の中核を担うであろう25~49才の年齢層では数字が低い。

軍事行動が許される場合とは?

第二次大戦のような形の外国との交戦は存在しておらず、現在いちばん多いのが外国政府が自国民の人権を犯しているような場合の軍事介入のケースが極めて多い。コソボ、イラク、リビア、シリアなどへの介入がそれにあたる。このような介入に対しては「許されない」とする意見の方が多いけれど、過半数というわけではない。「許される」と「分からない」を足すと過半数を超えてしまう。単純にyes/noと言えない場合が多いということなのでしょうが、ちょっと興味深いのは25才以下の若者の間ではほぼ半数(44%)が軍事介入に理解を示しているのに対して、65才以上の高齢者になると22%しかこれを支持していないということです。

▼外国政府が自国民に非人道的な振る舞いをしている、だから軍事介入に訴えてでもこれを止めさせるのだ・・・むささびよりも20才も年上の英国の友人が言いました。彼はその意味でトニー・ブレアのコソボ、アフガニスタン、イラクなどへの攻撃を大いに支持していた。ブレアは労働党右派の政治家だったけれど、自分の正義感のようなものをハキハキした口調で訴えると、他国への軍事介入があたかも正しいことをやっているかのように思われた。その正義感のおかげで他国の人間が死んでいることまでにはアタマが回らなかったということです。その正義感がイラク戦争でぐらつき、シリアへの軍事介入については拒否反応を示した。

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3)何がトランプを生んだのか?

アメリカの公共ラジオ、National Public Radio (NPR) のサイトに
という見出しのインタビュー記事が出ています。インタビューされているのは経済学者のロバート・カットナー(Robert Kuttner)という人で、最近出版した "Can Democracy Survive Global Capitalism?" という本がアメリカ国内で話題になっている。


日本語版が出ているのかどうか(むささびは)知らないけれど、トランプ、BREXIT、欧州における極右勢力の台頭のような現象は「グローバル化した資本主義」抜きには語れないということがメッセージになっているようです。カットナー自身は政治的にはリベラル(昔風に言うと「左派」)ということになるようなのですが、むささびが興味を持つのは、なぜアメリカでトランプのような「強い者勝ち」哲学の持ち主が大統領に選ばれたりするのかということを、いわゆる「リベラル」がどのように説明するのかという点です。

インタビューは30分で記事もかなり長いので、むささびの独断と偏見を頼りに面白いと考える部分だけ抜き出してみます。サイトにはインタビュー全体を文字化したものも載っています。
自由放任主義の教訓 管理された資本主義
グローバル化は誰を豊かにしたのか? ヒラリーが敗れたわけ



NPR:グローバル民主主義と極右の台頭の間にどのような関係があるというのか?

自由放任主義の教訓


Kuttner:第二次世界大戦前の資本主義は、政府による干渉を排する「自由放任資本主義」(laissez faire capitalism)だったけれど、それは1920年代の大恐慌に繋がったという意味で失敗に終わった。しかし「自由放任主義」が生んだ失敗は大恐慌だけではない。ヒットラーの登場もまたその副産物だったといえる。失業率は高いし、福祉政策はないに等しいものだったから欧米の人びとが絶望的な気分になって強いリーダーを求めてファシズムに走ったとしてもさして不思議ではない。失業率が20~30%という世の中で民主主義は機能しない。

 
自由放任資本主義がナチズムを生んだ

戦前の自由放任資本主義による苦い経験を生きた人びとが目指したのは「管理された資本主義」(managed capitalism)を採用することで、経済的な繁栄が幅広く行き渡るグローバル規模のシステム構築だった。が、1970年代、80年代に始まった、いわゆる「新自由主義」が推進したグローバル化(globalisation)によって、管理された資本主義が破壊され、経済的な不安が広がったことで普通の人びと(ordinary people)がリーダーたちに不信感を抱くようになり、それが欧米の国々で極右勢力の台頭に繋がることになった。1920年代に起こったのと同じことが起こったということだ。

NPR:戦後の国際的な貿易体制の目的の一つは、かつてのようなファシズムの台頭を防ぎ、経済協力を通じて世界的な規模の戦争を起こさせないということにあったはずだが・・・。

管理された資本主義

Kuttner:そのためには、幅広い「公共の利益」(public interest)を促進するために政府が管理する資本主義という体制が必要だったのだ。欧米では(例えば)銀行に対する厳しい規制が実施されたし、労働者の保護も促進される政策が実施された。大規模な公共投資が実施されたのもその頃だ。すなわち資本主義のシステムを支える二つの柱(市場と民主主義)が見事にバランスをとって存在していた。それによって生まれたのが高い経済成長であり、極めて広範囲に行き渡る経済的な繁栄が実現していたのだ。その頃には極右の台頭もなかった。普通の人びとが「フェアな社会」がもたらすものを大いに享受していたから極右勢力の出る幕はなかったのだ。

が、1970年~80年代になって「管理された資本主義」が、かつてのような「自由放任資本主義」(いわゆる新自由主義)にとって代わられた。新自由主義者たちは「市場経済がグローバル化すればするほど、皆が豊かになる」(if we just move to a more globalized market system, everybody will be better off)と考えた。そしてそのような発想は民主・共和両党の間で「党派を超えたコンセンサス」(bipartisan consensus)となったのだ。


グローバル化は誰を豊かにしたのか?


しかし現実には、世の中のトップ1~2%の人間だけが大いに豊かにはなったものの、「皆が豊かになる」ことはなかった。経済全体としては大きくなり、豊かになったにもかかわらず、普通の人びとの生活はより不安定となり、社会にバカにされている(disrespected)と感じる人間の数だけが増えていった。第二次大戦前、大恐慌からファシズムの台頭までの時代を支配した自由放任資本主義時代と似たような状態が実現してしまった。そして普通の労働者階級の人間が「あの頃」と似たような精神状態に陥るようになったのと時を同じくして起こったのが移民現象だった。移民たちが「豊かな国」に押し寄せて自分たちも入れてくれ、と要求するようになった。正に「火に油を注ぐ」(to pour oil on the flames)ような現象が起こったのだ。

NPR:欧米で起こっている極右の台頭の根底には移民・難民に対する拒否反応があるということですね。それが政治家によって利用された、と。つまり経済のグローバル化が民主主義を破壊する方向に動いた。少なくとも欧米諸国ではそうだった、と。

ヒラリーが敗れたわけ

Kuttner:その通りだ。特にヨーロッパとアメリカで中道路線をとろうとした政治家たちが犯した過ち(blunder)は決定的だった。ヨーロッパの指導者層を中心として、難民たちに門戸を開放するという寛容な姿勢で臨んだリーダーたちは、経済的な緊縮政策によって失業率の高まりに直面する普通の国民たちの苦境を無視せざるを得ないような状況に陥ってしまったのだ。その結果生まれたのが英国のBREXITであり、ドイツの極右勢力の台頭であり、ハンガリーの右翼政権だったのだ。「自分たちの生活が苦しいというのに外国人を歓迎しようというのか!」という反発だ。


アメリカにおいて苦境に陥った中道政治家の典型がヒラリー・クリントンだ。彼女は一方ではグローバル経済の担い手ともいえるゴールドマン・サックスのようなエリートビジネスから資金を得ながら、もう一方では移民問題、性的な差別問題などに「理解」を示すような態度をとるようになった。自分としてはそのようなヒラリーに拍手を送りたい(I applaud that)けれど、選挙で勝つためには、苦しい生活を強いられていた労働者階級に対して、移民に寛容になれとか、社会正義を実現しようなどとは言えなかったはずなのだ。生活が苦しくなっているのに、社会問題については「リベラル」であることを期待することはできない。

経済がうまく行っていたときのアメリカ、即ち幅広い中間層が市民権運動などに寛容な姿勢を見せていた時代のアメリカならヒラリーのような姿勢でもよかった。しかし(現在のように)多くのアメリカ人が生活苦に陥っているときに「(外国人に)開かれた心を持て」などと言ったら反発を食うのが当たり前で、結局アメリカ人はトランプのような右翼リーダーを選んでしまったということだ。


カットナーが言う「管理された資本主義」がグローバル資本主義にとってかわられた1970年~80年代は英国でいうとサッチャーさんの全盛時代です。1975年に保守党党首に就任、1979年の選挙に勝利してから辞任する1990年までのほぼ11年間の英国をリードしたのですが、その間に石油・ガス、航空宇宙、鉄道、水資源、鉄鋼、造船など、ありとあらゆる分野の民営化を進めた。それと同時に労働組合の力も急激に削減されたのですが、おかげで社会的な格差も顕著になった。そのことを指摘されると「平等社会を作ろうなどというのは、皆が貧乏になる社会を作ろうというのと同じだ」と一蹴したわけです。"There is no such thing as society"(この世に社会などというものは存在しない)という彼女の言葉が大うけに受けてしまった。一般的には、彼女の荒療治のおかげで英国病が克服されたと言われたりしているのですが・・・。

▼トランプやBREXITを支持した英米人の多くが「労働者階級」と言われますよね。強い者勝ちの自由競争社会における負け組(と自分で思っている人びと)です。でもなぜ「負け組」がトランプや反EU的指導者に走ったのか?EUを離脱することが「負け組」に対してどのような利点をもたらすというのか?移民が規制されるということ?つまり自分たちのコミュニティによそ者が入って来なくなるってこと?そうすれば負け組の生活が良くなると思ったってこと?

▼「管理された資本主義」という言葉は "managed capitalism" の和訳としてむささびが使った日本語なのですが、「管理」は "manage" なのであって "control"(「操作する」とか「自分の意のままにする」というニュアンス)ではない。「管理」するのは政府ですが「国家」ではない。民主主義が機能している限りにおいては、政府は選挙で変えられる。そのあたりが英米の資本主義と中国の資本主義の違いなのですよね。つまり一つの国の資本主義のことを言っているのであれば、資本主義と民主主義は両立する。が、企業活動が国境を越えてグローバルなものになった場合、誰がこれを「管理」するのか?WTOとかIMFのような国際機関はあるけれど、「政府」ほどには「国民」の意思は反映していない。カットナーは "Can Democracy Survive Global Capitalism?" と問いかけているのですが・・・。

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4)金さんとトランプ、どちらが危険か?


はるか昔の出来事のように思えるシンガポールの米朝会談(6月12日)に関連して、英文のmusasabi journal(6月15日付)に「トランプと金正恩、どちらが危険なのか?」(Is Mr Kim more dangerous than Mr T?)という記事を掲載しました。むささびの結論はトランプの方がはるかに危険ということでした。仮に金正恩の号令で発射された核ミサイルがアメリカを直撃するようなことが起こった場合、金正恩個人と彼の体制はお終いになる→そのことは金さんにも分かっている→だからそのようなことはやらない・・・というのがむささびの理屈です。トランプはどうか?金さんがアメリカを攻撃しようがしまいが、トランプがMAGA(Make America Great Again:アメリカを再び偉大な国にする)のためなら適当な口実で北朝鮮を爆撃することは大いにあり得る。



北朝鮮には、日本人の拉致だの兄を殺害するなど訳の分からない気味悪さはあるけれど、(むささびは)彼らの核武装にはそれほどの危機感を持っていない。仮に北朝鮮が発射したミサイルが日本のどこかに着弾した場合、シンゾーを始めとする日本の「その種の人びと」(右翼の皆さんのこと)の報復行動を止めることは(むささびのような)普通の日本人には出来ない。あえてそれができる(かもしれない)人たちは誰かと言えば、トランプのアメリカしかない。しかしトランプは日本の行動を止めようとはしない、どころか積極的に日本に加担する。その方がアメリカにとって得だから。ドローンなどを使って北朝鮮を攻撃すれば、アメリカ兵の命は危険にさらされず、しかも費用負担(ドローンの購入料金)は日本に決まっている。いずれにしても日本を攻撃することは自らの体制崩壊に繋がる、ということは金正恩にも分かっている→だから対日攻撃はやらない・やれない。

こんなことをむささびのような年寄りがほざいてもお笑いの対象でしかないと(自分でも)思うけれど、トランプの危険性についてはマジメに考えているのであります。その理由はトランプが発信した次の二つのツイッター・メッセージです。両方ともシリアに関するものです。
  • 2013年9月9日 4時59分
    シリアは攻撃するな。そのような攻撃はアメリカにとってトラブル以外の何物ももたらさないからだ。アメリカは、再び自分たちの国を強力にして偉大なる国にすることだけを考えればいいのだ。
    Don't attack Syria - an attack that will bring nothing but trouble for the U.S. Focus on making our country strong and great again!
2013年9月といえばアサド政権が反政府勢力に対して化学兵器を使ったというので、シリアを爆撃するべきだという意見が欧米で強くなっていた。アメリカのオバマ政権は最初のうちはビビりながらも結局フランスなどに同調してシリア爆撃に踏み切った。一方、英国ではシリア爆撃に反対する大きなデモが起こり、キャメロン政府が議会に提案したシリアへの軍事介入を進める決議案は「賛成」が272票、「反対」が285票で否決されてしまった。


トランプはまだ大統領候補ではなかったけれど、その気はあったと見えて、上のツイッターで当時のオバマ政権がシリアを爆撃したことを批判している。但しトランプによれば、他国を爆撃することが悪いというのではない、それをすることがアメリカにとって得にならないから止めるべきなのだということです。つまりアメリカにとって得になるのならどの国であろうと爆撃するという意味でもある。現に2018年4月には英仏と一緒になってシリアを爆撃しており、次のようなメッセージを発信している。
  • 2018年4月14日 5時21分
    昨夜の攻撃は完ぺきだった。フランスと英国の英知と優れた軍事力に感謝したい。これ以上の素晴らしい結果はない。目的は達成されたのだ!
    A perfectly executed strike last night. Thank you to France and the United Kingdom for their wisdom and the power of their fine Military. Could not have had a better result. Mission Accomplished!
"Mission Accomplished!"は、あのイラク戦争に「勝利」したアメリカのブッシュ大統領が発した言葉ですよね。2003年5月1日、航空母艦・エイブラハム・リンカーンの艦上のことだった。ブッシュとブレアがイラク爆撃を始めたのがその年の3月20日だったから、わずか一か月半で勝利宣言したわけです。実際には全然"Mission Accomplished!"などではなかった。

▼アメリカの得になることはやるけれど、そうでないものはやらない・・・トランプのAmerica First主義は、ちょっとだけ聞くとビジネスマンの合理主義のようにも響きますよね。その種の合理主義には致命的な弱点もある。近視眼的という弱点です。アメリカの爆撃で身内を殺されたシリア人、トランプ大好きのイスラエル政権によって悲惨な運命にあるパレスチナ人、アメリカとの国境で親子が引き離されたメキシコ人やホンジュラス人以外にもトランプとアメリカを憎み切っている人間はわんさといる。その中の誰かがオサマ・ビン・ラディンのようなことを実行したら、彼らは拍手はするけれど悲しむことは絶対にない。そしてトランプとその支持者は、そのような「テロリスト」を生み出した国や民族を抹殺することはAmerica First主義に合致すると考える。国連のような国際機関の言うことなど知ったことか、となる・・・となれば「金とトランプ、どっちが危険?」の答えは決まっている。

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5)ドイツの68世代



6月2日付のThe Economistのヨーロッパのセクションに "Beneath the paving stones" (石畳の下に)というタイトルのエッセイが出ています。いまからちょうど50年前の1968年は、ドイツにおける学生運動にとって忘れられない年なのだそうで、そのことを語りながら現代のドイツについて語っているのですが、1968~2018の50年間を日本との対比で考えるうえで、同じ時代を生きてきたむささびにとっては非常に面白い内容だった。


「進歩的ドイツ」発祥の年?


むささびはベルリンには超近代的な鉄道駅に数時間いたことがあるだけなのですが、ベルリンにあるKrumme Strasse 66(クルメ通り66番地)という場所は、今のドイツ発祥の地(birthplace of today’s Germany)とも言える場所なのだそうですね。この付近にはDeutsche Operaという国立歌劇場があるのですが、1967年6月2日、西ドイツを国賓訪問していたイランのパーレビ国王(当時)がモーツァルトの『魔笛(Magic Flute)』を観劇に来た。その際に独裁者・パーレビに反対する学生たちと彼を支持する学生のデモ隊が押し寄せて衝突、26才になる反パーレビの学生が私服警官に射殺されるという事件が起こった。この事件をきっかけにして翌年(1968年)ドイツ全土の大学に反政府抗議運動のようなものが広がることになる。参加した学生たちにとって前年(1967年)の事件は、戦後20年以上も経過しているのに、戦争中の権力者たちの横暴が生きている(authoritarian violence still lurked in German society)ことを示すものだった。


1968年、ドイツ全土の大学キャンパスに吹き荒れた反権力闘争に参加した人びとのことをドイツでは「68世代」(英語ではSixty-eighters: 68ers)と呼ぶのだそうですが、参加学生の中には後にドイツ政界で活躍するような人間も含まれている。例えば1980年に創立された「緑の党」を代表して社会民主党との連立を組んだジョシュカ・フィッシャーはかつては警官隊に石を投げつけた過激学生であったし、連立の相手であった社会民主党のゲルハルト・シュレーダー首相も政治家になる前は68世代の過激派活動家を法廷で弁護する仕事をしていた。さらに2005年以後のメルケル政権は保守派のキリスト教民主同盟ではあるけれど、進歩的な68世代が推進したような福祉・環境保護に重点を置く政策を遂行してきた。

反体制が体制に・・・

あれから50年、68世代も60~70才を超える時代になっており、さまざまな分野で重鎮的な存在になっているけれど、いわゆる「体制」(establishment)の一部になってしまった人間も多い。あのジョシュカ・フィッシャーは社会民主党政権の外務大臣、副首相にまでのぼりつめたのですが、1999年のコソボ紛争に際しては、それまでの平和主義を放棄してドイツの軍事参加を主張するに至っている。女性解放運動をリードした人物がテレビ・タレントになり、68世代からは蛇蝎のごとく嫌われた大衆紙"Bild"のジャーナリストになっている人物も・・・。つまりかつての反体制運動の担い手が「体制」という立場についたのが現代のドイツであるというわけです。

昔は貧困エリア、今ではファッショナブルタウン

ポスト68世代のドイツを代表するものの一つが、ベルリンにあるホロコースト記念館(Holocaust Memorial)で、ナチによる犯罪を後世に伝えるものではあるのですが、この記念館の「精神的な故郷」(spiritual home)は北ベルリンにあるプレンツラウアー・ベルク(Prenzlauer Berg)というエリアなのだそうです。このエリアはかつての東ベルリン地区にあり、貧しい学生や芸術家が暮らす街だったのですが、今ではカフェやオーガニックのショップが並ぶお洒落なエリアに変身している。「リッチな自由人(ボヘミアン)」には大いに好かれているけれど、The Economistのエッセイはこのエリアのことを「進歩的で善意ではあるけれど、偽善的でもある」(progressive and well-meaning, but sanctimonious)と表現している。日本流に表現すると、1968年という時代を「古き良き時代」としてノスタルジックに振り返る「進歩的文化人の街」という感じなのでしょうね。

ドイツ版の自虐史観批判!?

68世代が体制化してしまったかのように見える2018年のドイツにおいては、それに反対する「反体制」グループが存在する。「反68世代」は大きく二つに分けることができる。一つは「もう一つのドイツ」(AfD)と呼ばれる右翼政党の支持者たち。彼らによると68世代は「自己嫌悪によって国をダメにした」(1968 infected the country with self-loathing)人間たちということになる。この種の主張をするコメンテーターの中には1968年当時は過激派学生だった人間もいるのだそうです。


反移民の右翼デモ

もう一つの反68世代グループはAfDほど過激ではない「中道右派」だそうです。現政権の中でもメルケルに批判的とされるグループなのですが、ポスト68世代の時代は終わったと主張している。つまり「1968年」を軸にドイツを考えること自体を止めようと言っている。このグループは移民規制、堕胎規制などを主張するのですが、要するにメルケルによる「行き過ぎたリベラル政治」に対抗して「ドイツ人としての自分たちにもっと自信を持つ」(more confident sense of German identity)ということが主張のポイントです。

ニ極化の時代に

もちろんこれらに対抗するように「68年体制派」(pro-1968 establishment)とでもいうべきグループは存在する。メルケル政権の中でも「リベラル」と目されるグループ、緑の党、そして幅広い意味での「左派」の人たちがこれに入る。今年の5月28日、ベルリンで右翼のAfD支持者たちが終結して反メルケルのデモを行ったのですが、同じ日にそれに対抗するかのように左派系グループによるデモも行われて右翼グループによる人種差別主義などに対抗して気勢を上げていた。いずれも自分たちの意見に確信を持つ人間の集まりという感じであったのですが、The Economistのエッセイはそのデモが象徴するドイツについて次のように述べています。
  • このデモが行われたのは、これまで「コンセンサス」ということに慣れ親しんできた国には、似つかわしくない現象を示していた。すなわち二極化ということである。
    But in a country that has become used to consensus, it spoke of something unfamiliar: polarisation.


反右翼のデモ隊

メルケル首相が率いる現在のキリスト教民主同盟(CDU)政権は、実際にはキリスト教社会同盟(CSU)という姉妹党との連立政権です。最近そのCSUを代表して内務大臣としてメルケル政権に参加しているホルスト・ゼーホーファーが、メルケルが推進する、どちらかというと寛容な移民受け入れ政策に反対して連立解消のピンチにまで陥った。結局、メルケルが譲歩したことで、いちおう連立解消は回避されたと報道されています。
 


▼1968年という年、日本では何が起こっていたのか?東大・日大・明大のキャンパスでそれぞれの学生による「闘争」が繰り広げられていたし、キャンパス以外でも成田の空港建設反対闘争、佐世保における原子力空母(エンタープライズ)寄港阻止闘争などもあった。要するに現在に比べればかなり騒がしい時代であったのですが、50年後の2018年、その痕跡はどこにも見られない(とむささびは思う)。東大の安田講堂に立てこもり、学生運動には無縁だった日大を揺さぶった全共闘の闘士たちで後に閣僚になったような人間はいたのでしたっけ?

▼ウィキペディアによると、日大全共闘の議長だった秋田明大氏(1947年生まれ)は、「闘争」から26年後の1994年にあるアンケート調査で「もう一度"あの時代"に戻れたら運動に参加するか?」という質問に答えて「しない。アホらしい」と言ったのだそうです。が、「闘争」から40年後の2008年、ある新聞とのインタビューで「死ぬときは、私の人生は全共闘だったといえばいい」と語っている。むささびの想像によると「アホらしい」というのはウソ。人生そのものが全共闘だったとまでは言い切れないかもしれないけれど、簡単に忘れられるものではないし、忘れるべきでもないと思います。

▼日本の場合、1968年の8年前の1960年に日米安保反対闘争というのがあったのですよね。規模の点ではむしろこちらの方がドイツの1968年に近いように思う。ドイツの場合、私服警官に撃たれて死亡した学生の故郷には彼を偲ぶ碑が建てられているらしい。1960年の安保闘争では東大の女子学生が警官隊との衝突で死亡しているし、社会党(当時)の浅沼稲次郎委員長が17歳の右翼少年・山口二矢に暗殺されている。安保闘争で死亡した女子学生の碑が建てられたなどという話は聞いたことがないけれど、あるサイトによると、毎年6月15日に「9条改憲阻止の会」の主催で、あのときに死亡した学生を(樺美智子さんという名前)偲ぶ会が国会南門で開かれているとのことであります。

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6)どうでも英和辞書
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libtard:アホなリベラル

アメリカのトランプ支持者たちが、オバマ支持者のようなリベラル人間をバカにして使う言葉。"liberal"と"retard"(知恵おくれ)という二つの単語をつなげた造語で、Urban Dictionaryには次のような説明が出ています。

政治であれ経済であれ、自分は何でも知っていて、しかも正しいという発想に酔いしれてしまっているような人物。Someone who, intoxicated by being knowlegable and right about politics and economics

→こんな人間のこと、どこかで聞いたことがある・・・と思ったらむささびのことだったというわけで、大笑い。実はこのあとにさらに説明が続いている。

"libtard"は「自分の考え方を広めるためには"普通の人たち"の支持が欠かせない」ということを忘れている。Libtard forgets that they need to get actual real ordinary people to support them if their agenda is to be advanced.

→「普通の人たち」って、つまり「庶民」のことですよね。合ってるな、この部分も。むささびは「庶民」がきらいなんです。ここをクリックしてくれれば分かります。大笑い!実はまだ説明が続くんです。

善意の持ち主で社会問題について知識も深い well meaning and with good insight to society's problems.

→これも当たってる・・・よね?

しかし政治については考え方が甘く、権力については全くの無知蒙昧人間である(but naive about the mechanics of politics and utterly ignorant about how power actually works).

→何もそこまではっきり言わなくてもいいじゃありませんか、あんまりだ!笑いごっちゃない!!

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7) むささびの鳴き声
▼今回紹介した記事はどれもいろいろとコメントしたくなる。最初の記事で是枝監督が語る「メディアに関わるということは、ある一つの権力を手にすること」という言葉。新聞社や放送局で仕事をする人たちは、入社したてのころは「いい仕事にありついた」という意識はあっても「権力を手にした」なんてこと考えることはない。でも考えてみると新聞社も放送局も何百万・何千万という読者や視聴者が存在するから商売になっているのですよね。自分の言葉が何十万・何百万の人の眼に触れて、人びとの心に影響を与えることは避けようがない。是枝さんによると、それが「ある一つの権力を手にすること」になるのですよね。メディア人たちは自らの存在価値について「権力をウォッチする」ということを挙げるけれど、メディアをウォッチするのは誰なのか?もちろん読者・視聴者しかない。その彼ら自身がメディアの世界(SNSのような)を持ってしまったのが現代ですよね。そちらのメディアは誰がウォッチするのか?それは本人たち、としか言いようがないのでは?

▼2番目の「英国人と軍隊」ですが、「第二次大戦のような戦争が起こった場合は軍隊に入る」という気がある人の割合はあまり高くないのですね。自分中心主義の英国人らしいのかもしれない。でも何やらほっとする数字ではあるよね。これに関連するけれど、労働党のコービン党首は長い間 "Anti-war Coalition" という反戦組織のトップをやっていたのですが、党首に就任してからは、何かというと「自分は平和主義者ではない」(I'm not a pacifist)という発言を繰り返している。場合によっては「正義のための戦争」は認めるのだ、と言っているのですが、何やら将来の「首相の座」を意識した発言のようでいまいち信用できない。

▼「ドイツの68世代」で紹介したThe Economistのエッセイが、締めくくりのところで現代のドイツについて、コンセンサス社会ではなくて二極化社会になっていると書いています。二極化・分裂化はドイツだけではないですよね。英国も含めた欧米はどこも同じような現象が起きている。そして日本も。対立軸は同じで、平和・民主主義・平等・・・のような「きれいごと」とどう付き合うのか?ということである、と(むささびは)考えているわけ。トランプやEU離脱論者やシンゾーのお友だちは "political correctness" として一笑に付してしまう(ように見える)けれど、むささびによると、本当は彼らは「アホなリベラル」を嫌がっている。なぜなら人間である以上、libtards的な要素は誰にでもあり、それを嘲笑し続けると最後には気が狂ってしまうことが嘲笑している本人にも分かるから。

▼本当はもっとあるのですが、キリがないのでこの辺で止めておきます。お元気で!

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むささびへの伝言