musasabi journal

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406号 2018/9/16
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
本当に秋になって、埼玉県の山奥でもさすがにウグイスやホトトギスの声は聞こえなくなりました。ちょっと寂しいですね。上のタンポポの写真ですが、ある写真サイトから拝借したものです。むささびの想像によると、撮影場所はアメリカではない。英国もしくは英国と文化的に近いところなのではないかと思います。なぜそう思うのか?最後の「むささびの鳴き声」に書いておきます。

目次

1)スライドショー:ドローンが見る「不平等な風景」
2)プラスチック海洋汚染の源
3)フィンランドとギャンブル
4)日英米、それぞれの「孤独」
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声

むささび俳壇

1) スライドショー:ドローンが見る「不平等な風景」

8月21日付のBBCのサイトにちょっと変わった空中写真が出ていました。南アフリカのジョニー・ミラーという写真家の作品なのですが、どれもがドローンによって撮影されたものです。彼が取り組んでいる "The Unequal Scenes" (不平等な風景)というプロジェクトの一環なのですが、いずれも南ア、インド、メキシコにおける大都会の風景を空から見たもの。「不平等な風景」というのは、それぞれの写真が大都会における富めるエリアと貧困エリアが隣り合わせに生きている風景を写真に収めているということです。ミラー自身のサイトはここをクリックすると見ることができます。

▼こうして見ると「ドローン写真」はフォト・ジャーナリズムの新しい分野を切り開くものかもしれないですよね。

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2) プラスチック海洋汚染の源


プラスチックによる海洋汚染が問題になっていますよね。科学誌 "Nature" のサイトに河川を通して海へ流れ込むプラスチック廃棄物の量に関するレポート "River plastic emissions to the world’s oceans" が出ています。ローレン・レブレトン(Laurent C. M. Lebreton)というオランダの海洋学者を中心とする専門家が調査したものなのですが、それによると1年間に河川を通して海へ流れ込むプラスチック廃棄物の量は115万~241万トンと推定されている。


プラスチックごみの河川からの流入のうちダントツで多いのがアジアの河川で、全体の67%を占めているのだそうです。特に中国の河川からの流入がすごい量にのぼっており、世界のワースト20河川のうち6河川が中国(単独)から海へ流入する河川となっている。ワースト10の河川からの年間流入量は次のようになっている(ここをクリックするとワースト20河川のリストを見ることができます)。

プラスチックごみの海洋流入河川ワースト10
 

これらの河川を有する国の面積は地球全体の陸地面積の2.2%、人口は世界の21%に過ぎないにもかかわらずプラスチック廃棄物の海洋への流入量が世界全体のほぼ7割にのぼっているわけです。ローレン・レブレトンらによると、世界におけるプラスチック汚染のひどい河川は122あるのですが、そのほぼ9割(103河川)がアジアに存在している。アフリカや中南米は8河川、ヨーロッパの河川はわずか1つなのだそうです。

▼長江(中国)から流出されるプレスチックごみが33万3000トン・・・と言われてもどのような量なのか(むささびには)ピンとこない。ネットで調べたら、日本人の男性(50~59才)の平均体重が約70kgだった。33万3000トンというのを、50代の日本人男性の平均体重で割ると約480万人分ということになる。例に出して申し訳ないけれど日本の県別人口で最も近いのは福岡県の510万のようであります。というか1年間に宮城県(ミセスむささびの出身地)の人口のざっと2倍の量のペットボトルが長江から海に流出しているということです。全世界となると長江からの量のざっと8倍だから、50代の日本人男性がざっと3500万人が海に放り出されたのと同じということになる。気持ち悪い!(これも例に出して申し訳ないけれど)ざっとカナダの人口と同じってことです。

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3) フィンランドとギャンブル



知らなかったのですが、フィンランドにもスロットマシーン、競馬、宝くじのような「ギャンブル」はあるのですね。すべてVeikkausという国営企業が運営しているのですが、公共放送のYLEのサイト(英文版)によると "A Robin Hood system in reverse"(ロビン・フッド制度の反対)なのだとか。批判的な意味で言っている。どういう意味?

ロビン・フッドの反対

ギャンブルによる売上金はすべて国のスポーツ振興、文化活動、社会福祉などのために使われるわけで、ギャンブルで負けた人間が使ったカネは社会のために使われて役に立つ、その意味では「みんなが勝ち」(everyone wins)ということになる・・・とVeikkausは言うのですが、実情はそれほどいいことずくめではないとのことです。


フィンランド国立保健・福祉研究所の調査によると、Veikkaus主宰のギャンブルの売り上げの23%が依存症のような「問題ギャンブラー」(problem gamblers)とされる人間からの収入であり、3分の1が年金生活者や失業者のような社会的弱者からのものとなっている。ロビンン・フッドといえば、金持ちからカネを盗んで貧乏人に与えたという美談で知られているけれど、Veikkausのやっていることは、貧乏人から巻き上げたカネを社会福祉に使うことで金持ちたちが高い税金を払わなくても済むようにしているのと同じではないか・・・とヘルシンキ大学のジャネ・ニッキネン教授は批判している。なるほど「ロビン・フッド制度の反対」とはそういう意味か。金持ちの役に立っているだけということですね。

問題ギャンブラー

2015年の調査によると、フィンランド人のほぼ8割がギャンブルをやる。でも殆どの場合、問題にはならない。が、そのうち12万4000人(フィンランドの全人口の3.3%)が 「問題ギャンブラー」 とされる人たちなのだとか。人口550万のうちの12万4000はかなりの数ですよね。

ギャンブルにのめり込むのは、大体において社会の「底辺」に属する人びとであるというのは、フィンランドに限ったことではない。フィンランドの場合、「底辺」の人たちが特にのめり込んでしまうのがスロットマシーンで、その多くがどちらかというと低所得者層と見なされる人びとが住むエリアに設置されている。Veikkausの関係者は、どの装置であれ「顧客が存在するところに置いているだけ」と言っているのですが・・・。


身分証明を義務付け

フィンランド政府(社会問題・厚生省)はスロットマシーンの設置台数そのものを減らすべきではないかと言っているのですが、Veikkausとしては、2023年からギャンブルをするためには身分証明書を提示することが義務付けられることになっており、それによって問題に対処するのが一番だとしている。またスロット・マシーンの設置場所をゲームセンターのような場所に限定すべきだという案もあるのですが、Veikkausは「すべてのフィンランド人に平等のゲーム機会を与えるという理念に反する」としている。

EUの規則によると、ギャンブル産業の国営化が許されるのは、それによって依存症のような問題がなくなるということが条件になっている。つまりVeikkausのような国営企業は、ギャンブルが民間企業ではなく自分たちのような国営企業が運営することで依存症のような問題が減っているということを証明しなければならないわけですが、それが2023年から実施予定の身分証明書の提示義務の実施であるということです。


「国営」は合わない?

ギャンブル業界の監視は警察庁(National Police Board)の仕事なのですが、スロットマシーンが生む社会問題については「ギャンブル政策の目的は、それに伴う問題を効果的に防止すること」と述べるだけで、特に何もしていない。YLEによると、当局はスロットマシーンよりも宝くじの方が道徳上の問題があり(morally questionable)、中毒に繋がる危険性が高いと考えているのだそうです。でも「宝くじ中毒」なんて聞いたことないな。

YLEによるとVeikkausの経営報告書は「記録破りの売り上げ増」のような景気のいい言葉で埋め尽くされているけれど、批判派に言わせると、国営会社であるVeikkausの場合は、利潤の追求というビジネス上の要求と社会問題を起こさないという社会的要求のバランスの上に成り立っており、この二つの要求は相容れない関係がある。ギャンブルに伴う社会問題を減らすにはギャンブル行為そのものを減らすしかない(It is hard to make any prevention without cutting down people's gambling)というわけです。

スウェーデンの場合

YLEの記事によると、スウェーデンでもギャンブルは国営なのですが、今から約10年前の2009年にギャンブルがもたらす社会的なコスト(犠牲)を数値化したことがある。つまりギャンブルにのめり込んだおかげでうつ病になったり失業したりした人間の救済に当てられた経費などを合計してみたところざっと2億3000万~4億5000万ユーロという数字が出たのだそうです。これは少なく見積もっての数字だったのですが、同じ年に国営ギャンブル企業によって国庫に納められた「収益」は4億9500万ユーロだった。つまりギャンブルによる国の収入と「社会的コスト」に要する金額が大して変わらないという結果であったということです。ただスウェーデンの場合は国営ギャンブル企業の市場占有率は50%程度なのに対して、フィンランドの場合はこれが90%と、殆ど独占状態であり、スウェーデンよりもフィンランドの方が、ギャンブルによる社会的コストは大きく、国営企業が国庫に納める金額を上回っているのではないかと言っている。


NPO・NGOの活動資金に

YLEがさらに指摘しているのは、フィンランドではNPO・NGOのような組織がギャンブルによる売上金から回される寄付金によって賄われていることが多く、これらの組織がVeikkausのやっていることをおおっぴらに批判したがらないということ。例えばフィンランド・アルコール研究財団(Finnish Foundation for Alcohol Research)のような機関が行っているアルコール依存症の研究資金がVeikkausから出ているのですが、アルコール依存症という病そのものがギャンブルにはまり込むことで起こっているというケースだってある。Veikkausのビジネスに批判的なグループでは、フィンランドの場合、さまざまな社会活動がギャンブル業界からの資金提供で成り立っており、両者が相互依存のような状態にあることに問題があると指摘しています。

YLEによると、ノルウェーでも90年代にギャンブルが自由化された際に似たような問題が起こったのだそうです。が、10年ほど前に政府の方針でスロット・マシーンの台数を86%も減らしただけでなく、マシーンそのものをゆっくりと動くものに切り替えた。その方が依存症に陥る確率が小さくなる。さらに証明書の発行によってギャンブルで負けた金額がすぐに分かるようにする・・・等々の対策でギャンブルによる社会問題が減ったことは間違いないのですが、企業の収益も落ち込んだからビジネスとしての魅力は減ってしまったとのことです。でしょうね。

▼これはフィンランドのギャンブルというわけではないけれど、フィンランド人が絡んだギャンブルの話題。上の写真は「ボーナス・パラダイス」というオンラインのギャンブルサイトで一人のフィンランド人男性がスロットマシーンで約860万ユーロ(約11億円)の大当たり(Jackpot)を当ててしまったことを伝えているもの。この男性のコメントが泣かせる。
  • 最近は仕事・仕事の毎日だった。でもこれで家族や子供たちと一緒に過ごせる。これからは仕事も減らして「人生のクォリティとは何か」(what quality of life really involves)について考えみたい。
▼一度でいいからむささびも11億円もらって「人生のクォリティ」について考えてみたい!

ネット情報によると、フィンランドには二つのカジノがあるけれど、それなりの規模でやっているのは、ヘルシンキのラマダ・プレジデント・ホテルの中にあるGrand Casino Helsinkiだけだそうです。1994年にできたのですが、現在のホテルに移ったのは14年ほど前のことらしい。ここにはスロットマシーンが300台、ゲームテーブルが32台、ポーカーテーブルが6台という規模なのだそうです。でも普通のフィンランド人がギャンブルを楽しむのは全国に散らばる76か所のゲームセンター、250のギャンブル場つきレストランなのだとか。スロットマシーンの数は全国で約3万台だそうです。ただフィンランドにおける「賭け」のルーツはというとペサパーロ(Pesäpallo)と呼ばれる野球に似た球技だとの説もある。1920年代に登場したものだそうですが、フィンランドではアイスホッケーやスキーなども賭けの対象になるのですね。知らなかった・・・。

▼フィンランドにおけるスロットマシーンは(おそらく)日本で言うとパチンコなのでは?これも知らなかったのですが、日本におけるパチンコ屋の数がぐんぐん減っているのですね。ウィキペディア情報ですが、1990年には全国で約1万6000店であったものが、2017年には9600店にまで減っている。半減とまではいかなくてもかなりの減り方ではある。
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4) 日英米、それぞれの「孤独」

9月1日付のThe Economistが "Loneliness is a serious public-health problem"(孤独は深刻な公衆衛生上の問題だ)と題する特集記事を掲載しています。
  • 孤独人間は単に悲しい存在というだけではない。不健康であり早死にもする。どうすればいいのか?
    The lonely are not just sadder; they are unhealthier and die younger. What can be done?
という書き出しなのですが、記事の中心になっているのは、最近、同誌とカイザー家庭財団(Kaiser Family Foundation:KFF)というアメリカのNPOが、アメリカ、英国、日本の三国で行った意識調査です。
というタイトルで報告書が作られています。The Economistの記事も報告書も非常に長いものなので、むささびの独断でポイントと思われる部分だけ抜き出して紹介します。

孤独は伝染病?

そもそもThe Economistがなぜ今、このような調査に参加して記事を掲載することにしたのか?孤独(loneliness)がいわゆる先進国においてはほぼどこでも政策決定者にとっての関心事となっているからです。英国、デンマーク、オーストラリアなどでは孤独解消を目指すキャンペーンが盛んに行われているし、日本では「ひきこもり」(hikikomori)についての調査も行なわれている(「ひきこもり」は英文で“people who shut themselves in their homes”と説明されている)。アメリカでは軍医の最高位である"surgeon-general"という立場にあった人物が孤独を「伝染病」(epidemic)とまで呼んでいるし、英国では今年1月に孤独担当大臣までが誕生したり・・・というわけです。


「常に」または「頻繁に」

それにしてもどの程度の数の人間が「孤独」を感じているのか?The Economistの調査には何人くらいの人間が参加したのかが書いていないのですが、いずれも成人で、「常に」(always)もしくは「頻繁に」(often)孤独を感じる人の割合は日英米では次のようになっている。

「常に」または「頻繁に」孤独を感じる

「孤独」(loneliness)というのをもう少し具体的に言うとleft out(仲間外れ)、isolated(孤立)、lack companionship(仲間がいない)などという言葉が使われている。ただ「孤独を感じる」と言っても程度がいろいろあって、深刻だ(major problem)という人は日英米ともに20人に一人という感じです。英米に比べると日本では一般的に孤独を感じるという人の割合はぐっと低いのですが、深刻に受け止めている人の割合は高いという数字が出ている。

近所付合いが苦手?


孤独であると感じるアメリカ人、英国人と日本人の間には、家族・友人・隣近所のような本来なら親しいはずの人間関係についての感覚の違いがある。英米人に比べると日本人はこれらの関係に不満を持っていることが多いのだそうです。特に英米と比べて目立つのは、日本人の隣近所との付き合いに関する抵抗感です。

人間関係のつまずき

接触の方法

家族や友人との接触を見るとさらに違いが顕著になる。常日頃から孤独を感じているとする英米人の場合、ほぼ半数以上が一週間に少なくとも2~3回は家族や友人と、直接もしくは電話で話をすると言っているのに対して、日本人の場合でそのような習慣を持っているのは20%にも満たない。

家族との接触(週2~3回)
友人との接触(週2~3回)
 

孤独の解消

普段から孤独を感じている人間は、どのようにしてそれを解消しているのか?下のグラフに出ている数字は必ずしも高齢者だけではないのですが、日英米とも似たようなやり方で孤独解消をはかっているのですね。一つだけ指摘しておくと、「昔の思い出に浸る」は英語では "Relive past memories" となっている。直訳すると「過去の思い出を追体験する」となる。例えば「旧友と交わる」とか「昔のアルバムを見て時間を過ごす」などの意味なのではないかと(むささびは)想像しています。いずれにしてもこのようにして過ごすのは日本人がいちばん多いのですね。

孤独解消の方法

社会問題か個人の問題か


孤独や社会的孤立感の問題を「社会の問題」と考えるのか、あくまでも「個人の問題」と考えるのかについては、最も目立つのは「個人の問題」であるとする英国人の割合が日米に比べるとかなり低いということですが、英国人の場合はこれを社会問題として考える人がかなり多いのですね。

社会問題?個人の問題?

孤独・孤立が「社会問題」と捉える人がほぼ半数いるわけですが、現実の自分が孤独を感じるに至ったことについては「誰の責任」(who is to blame)だと考えるのか?日本人の場合、「自分の責任」という人間と「環境のせい」という人間が殆ど同じような割合でいるのに対して、英国人の場合は圧倒的に「環境のせい」とする意見が多く、「自分の責任」論は極端に少ないのが目立ちます。「環境のせい」とは「自分たち管理外の要因や環境」(Due to factors and circumstances beyond their control)という意味です。

 孤独・孤立は誰の責任か?

宗教の役割

では、孤独の解消に主なる役割を担うべきなのは誰なのか?と問われると「本人もしくは家族」と答えるのが最も一般的なのですが、日本人と英国人の場合「政府」と答える人が6割を超えているのに対して、アメリカ人は極端に少ない。アメリカ人は孤独の解消は個人の領域であると考えているわけです。ただむささびがもう一つ注目するポイントが「宗教機関」と「NPO」の役割に期待する日本人の割合が英米に比べると低いということ。つまり「個人・家族」でも「政府」でもない機関に対する期待が英米では大きいということです。特に英米人の日常生活においては教会がそれなりの役割を担っているということ。日本では神社やお寺がそのような役割を果たしているとは思えない。

孤独解消の担い手は?

ロンドンにCares Familyという名前の組織があって、孤独解消のためのいろいろな活動を行っている。大体においてクイズ大会とか談笑の会のような行事なのですが、特徴的なのは会員の年齢層です。地元で生活する高齢者とロンドンを職場とする20~30才の若者が多い。創設者のアレックス・スミス(35才)によると、いま孤独・孤立を感じているのは年寄りだけではなく、若者たちも同じことなのだそうです。現在のところロンドンに2か所、マンチェスターとリバプールにそれぞれ1か所拠点を構えて参加者の「所属意識」(sense of belonging)の醸成を促進しています。

▼記事の中に「人間関係のつまずき」というグラフがあります。それを見ると英米人に比べると、人間関係がうまく行っていないと感じる日本人が多いのですよね。その割には「常にまたは頻繁に孤独を感じる」のは英米人であって日本人ではない。それから「常に孤独を感じる」という人は、実際には3割にも届かない。つまり圧倒的多数の人びとがこれを感じることなく暮らしているという意味ですよね。それでもThe Economistのようなメディアが警鐘を鳴らすかのような特集記事を掲載している・・・つまり「3割に満たない」ような数字でも社会的には警戒すべきものであるということですよね。

▼唐突に思ったのでありますが、孤独感・孤立感は正に「疎外感」そのものですよね(むささびジャーナル404号)。現代人の孤独感や孤立感は、どう考えても人間を経済発展のための道具としてのみ評価するThe Economistのようなメディアの論調とは無縁とは思えない。「生産性」の論理というやつです。トランプとかBREXIT、シンゾーのような現象はそのような風潮が生んだ病のように思えてならないのですよ。違います?

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 
 

bungalow:平屋


バンガローと言えば、キャンプ地のようなところで林の中に点々と散在している小屋のような建物を想像しませんか?英国で "bungalow" は1階建ての建物全般のことを言う(とむささびは理解しています)。昔、英国の競馬場に行ったとき、馬券売り場はどこにあるのかを尋ねたら "Go straight and you see a bungalow on your right. That's it." という答えが返ってきた。確かにそれは1階建てだった。

英国では "bungalow" を平屋の住宅という意味でも(もちろん)使います。が、かつてに比べると平屋住宅はかなり劇的に減っているのだそうですね。業界団体の調べでは、約20年前(1996年)の新築住宅のうち"bungalow"は7%を占めていたのに、2014年にはこれが1%にまで下がっている。一方で2階建てのアパート(メゾネット)やフラット(日本で言う「マンション」)は、15%から33%へと倍増している。年寄りとか障害者のいる家庭の場合は階段を上らなくて済む"bungalow"は有難いに決まっている。なのにこれが激減している。原因は土地の値上がりです。同じ面積の土地に住宅を建てる場合、不動産会社にしてみれば少ない土地代で沢山の「住まい」を提供できるアパートを作る方が経済的な合理性がある。

地方自治体が運営する住宅の中には平屋建ての住宅もあるけれど、苦しい財政を背景に殆どの自治体がこれらの住宅を土地ごと民間業界に売却しようとしているのですが、ひとたび民間の不動産開発会社に売られると、企業は"bungalow"を取り壊して集合住宅を作ってしまう。BBCによると、2021年までに1万5300戸の"bungalow"が民間企業に売り渡されると予想されている。

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6)むささびの鳴き声 
▼この「むささび」の表紙に使ったタンポポの写真がアメリカではなく、英国もしくは英国と文化的に近いところなのではないかと言いました。その根拠は "PLEASE DO NOT TOUCH" という英語です。これがアメリカなら "PLEASE" は省かれて "DON'T TOUCH" もしくは "DO NOT TOUCH" とするのではないかということです。反対に英国の場合は、ほぼ必ずと言っていいほど "PLEASE" をつける(と思う)。

▼先日、日本記者クラブで自民党総裁選候補者討論会というのがありましたよね。安倍さんと石破さんが出席したあれ。朝日新聞の記事を読んでいたら、あの討論会で朝日新聞の記者が「モリカケ問題」に関連して「なぜ加計学園に抗議しないのか」と安倍さんに質問したところ、「すでに学生が学んでいる状況の中で、平穏な状況を一日も早く取り戻すべきだと考えた」と答えたうえで、「朝日新聞の方々の批判はあるだろうと思うが」とも付け加えたのだとか。この辺りにこの人の知的レベルの低さ加減が伺える。言わなくてもいいことを口走ってしまうアタマの悪さということです。

▼「朝日新聞の言うことなんか何も気にしていないもんね、ボクには読売と産経がついてるもん!」というところを見せつけたかったってこと?トランプがNYタイムズを敵に回してツイッターを書きまくっているのと同じ。特定のメディアの名前を出して悪しざまに言う、そのことで名指しされたメディアのファンを敵に回すけれどそれはオーケー、自分には競争相手のメディアのファン(朝日嫌い)がついているから・・・そんな知的レベルの人間が首相をやっているんだ、この国は。今から半世紀以上も前に「安保反対デモ」というのが国会周辺を取り巻いたことがあったときに、シンゾーのお祖父さんである岸信介という首相は「デモをやっている人なんて少数です、後楽園に行ってみなさい、みんな野球見物してますよ!」と真面目に発言して嘲笑を買っていました。

▼あの日の夜、TBSのラジオを聴いていたら、日本記者クラブの討論会について伝えていました。TBSの記者によると、「記者からの質問が安倍さんに集中してしまい石破さんは手持無沙汰の感じだった」とのことでした。日本記者クラブのサイトによると、この日の代表質問者は「日本記者クラブ企画委員」と呼ばれる人たちで、読売・朝日・毎日・日経の記者たちだったようです。その人たちからの質問がシンゾーに集中してしまったということです。彼らは現在の自民党総裁(首相)を「攻める」ことに血道は上げるけれど、将来リーダーになる(かもしれない)未知の存在は無視しても構わない思っているということ?

▼北海道の地震に関連して「Yahoo!基金」という組織が行なっている「緊急災害支援募金」という活動に対して寄付された金額を見て信じられない思いでした。募金した人の数が約12万4000人、集まった金額が約9300万円。むささびがこれを目にしたのは地震発生からざっと一日半経過した9月7日午後6時半です。募金活動の残り日数は85日だった。あれから10日後の本日現在では約1億7000万円が集まっていました。サイトには募金をした人からのコメントも出ているのですが、「大好きな北海道。頑張って北海道!」のような文面から察するに圧倒的に若い人だと想像します。

▼札幌が2026年冬季五輪の招致活動から降りたのですね。正解です。2011年の大震災にもめげず2020年の五輪招致に血眼になっていたシンゾーや慎太郎と大違いです。大震災にやられた日本の復興のためのシンボルとしての東京五輪であるというのが、慎太郎らの言い分であったよね。東京が豊かになることで日本全体が豊かになる・・・よく恥ずかしくもなくそんなこと言えたものですよね。

▼今年の夏のさまざまな自然の脅威を体験して、しみじみ思ったのは、日本にとっての最大の「外敵」は自然災害だということですよね。北朝鮮や中国やロシアではない。トランプのアメリカから様々な武器を買い込むのに使われているおカネは災害対策の方に回すのが当たり前というものです。シンゾーはもちろんそんなことやらない。それはアメリカからのプレッシャーが理由ではない。日本を「強い国」にしたいという彼自身の希望があるからです。

▼先日、埼玉県飯能市に元文部科学事務次官の前川喜平さんが講演にやってきました。彼が強調したことの一つに自民党による憲法26条改正案の危険性というのがあった。憲法26条は日本人が教育を受ける権利について規定しているのですが、現在は1~2項があって教育の無償化などが謳われている。自民党の改憲案は、これに第3項を追加しており、その中で「(教育は)国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものである・・・」ということが書いてあるらしい。憲法26条は教育を受ける権利を保障する「人権保障規定」なのであって、「国の未来」などという条件を持ち込んではいけないというのが前川さんの主張だった。「国の未来を切り拓く」上で役に立つ国民の教育は保障するが、役に立たない国民の教育は保障しないという論理につながる危険性を持っているということです。LGBTには生産性がないから面倒見る必要がない・・・あの理屈です。ネットで調べたら『「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ』という前川さんのエッセイが出ていました。ご一読を。

▼だらだら長々失礼しました。今朝の飯能市の気温は20度でした。お元気で!

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むささびへの伝言