musasabi journal

2003 2004 2005 2006 2007 2008
2009 2010 2011 2012 2013 2014
 2015 2016 2017  2018    
407号 2018/9/30
home backnumbers uk watch finland watch green alliance
BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
今日で9月が終わるのですね。9月にはいって3度目のむささびです。2018年、豪雨・台風・地震・酷暑等々、騒がしすぎる9か月だった。本日も台風で外出するのは難しそうだし、大地震(インドネシア)は起こるしで、全くほっとする間もないという感じです。が、上のような風景写真(鳥取市国府町の秋景色)見ると少しだけほっとしませんか?

目次

1)スライドショー:シルエットのアフリカ
2)認知症は老いることではない
3)Shinzo Abe : 生存はしたけれど・・・
4)生き返るか、自由主義
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声

むささび俳壇

1) スライドショー:シルエットのアフリカ

BBCのサイトにグレッグ・ドゥ・トゥ(Greg Du Toit)というカメラマンが写したアフリカの野生動物の写真が掲載されています。そのどれもが朝日もしくは夕陽を背景に写したものでシルエット写真になっている。グレッグ・ドゥ・トゥは1977年南アフリカ生まれだから、40才を少し超えたばかりなのですが、5年前の2013年に優れた野生動物の写真家に贈られるWildlife Photographer of the Yearを獲得しています。

back to top

2) 認知症は老いることではない

むささびジャーナル391号(2018年2月18日)で、58才という年齢で認知症を宣告された、ウェンディ・ミッチェルという女性のことを紹介しました。認知症宣告以来、ウェンディは英国アルツハイマー協会(Alzheimer’s Society)の「大使」としてこの協会による啓蒙活動に携わっているのですが、彼女自身のブログ "Which me am I today?"(今日の私はどの私?)を読んでいたら、最近の投稿として
という短いエッセイが出ていました。


ウェンディは、現在劇場で公演中の "Still Alice"(アリスのままで)という劇の演技アドバイザーをやっている。この劇は2014年公開のアメリカ映画を劇場ドラマにしたもので、若年性アルツハイマー病を宣告された女性が主人公になっている。ウェンディがやっているのは、主人公の女性を演じる女優に対する演技指導なのですが、主人公がアルツハイマーによる「衰え」を示すために杖をついて歩く演技をやっていたことに注文をつけた。ウェンディ自身が認知症を宣告された身であるわけですが、その彼女が女優に伝えたのは次のようなことだった。
  • (認知症といっても)私はお婆さんになりつつあるというわけではないのよ。I'm not becoming an old woman. 認知能力は衰えつつあるし、足取りも変化しているのでふらついているかもしれないけれど、それは自分が年をとりつつあるということではないの。私の平衡感覚が変わるのは年寄になっているからではなくて、脳から出る信号によって影響されるからなのよ。


自分の過去を消し去るなんて出来ない。
それがあるから今の自分があるのだから・・・

認知症による衰えをどのように表現すればいいのか、迷いに迷っていた主人公の女優は、ウェンディのこの言葉を聞いたときに「灯りがともったような気がした」(Light bulb moment)と語っているのだそうです。ウェンディによると、世間では認知症というと、メディアで使われる「年寄りの哀しげな表情」(sad ageing faces)の写真しか思いつかないけれど、実際には認知症の人間はそんな表情はしていない。そのことは "Dementia Diaries" というサイトに出ている写真を見てもらえば分かるとのことであります。
  • もちろん私たちだって涙を流したり、悲しみに沈み込んだり、欲求不満に陥ったりすることはあります。でもそれがない人間なんていますか?それが人生ってものなのではないのですか?私たちにはそれに加えて、認知症がもたらす涙や悲しみや欲求不満があるということです。
    Yes we all have days of tears, sadness and frustration but doesn’t everyone? Isn’t that simply life? We have the added tears, sadness and frustration caused by dementia on top of life.
と、ウェンディは述べている。


ウェンディ・ミッチェル

『アリスのままで』には、主人公の女性に影のように付いて回る「分身」が登場する。それが自分自身(Herself)であり、劇では主人公と「自分自身」の会話が何回も繰り返されるのだそうです。ウェンディによると、彼女自身も毎日のように「自分自身」に語りかけてアドバイスを求めたりするのだそうです。その「自分自身」は「昔の自分」(my old self)であり、常に自分を落ち着かせてくれる存在(reassuring presence for me)であるとのことです。

▼ウェンディの投稿には読者からのコメントが寄せられている。その人はウェンディより年上なのですが、骨関節炎で杖の無い生活はあり得ない。自分より年上の友人で杖を使っていない人間は何人もいるけれど、みんな眼鏡をかけたり補聴器をつけたりしている。誰も「お婆さん」だとは思われたくない、でも「悲しいけど年とってしまったのよね」(Sad, but true…)と言っている。これに対してウェンディが返事をしていて「お婆さん(old woman)という表現は間違っていた。別の言い方をするべきだった」と謝っているのですが、その「謝罪」に対する投稿者の返事は次のようなものだった。
  • 別の言い方なんてないのよ、ウェンディ。それより私たちがあんたから教わるのは、自分の障害をそのまま受け入れて生きていくことの大切さなのよ。
  • Not sure there is an alternative, Wendy…What we are learning from you is the importance of accepting our disabilities and get on with life.
▼一方、読売新聞のサイトに出ていた「認知症との向き合い方」という記事の中で横浜相原病院の吉田勝明院長という人が「認知症患者は、物忘れをごまかそうとして怒ったり、作り話をしたりする。簡単な言葉でゆっくり話し、繰り返し伝えることが大切だ」と語っています。何だか寂しいコメントだと思いません?この人、お医者さんですよ・・・!

back to top

3) Shinzo Abe:生存はしたけれど・・・


9月20日付のThe Economistが、安倍さんが自民党の総裁選に勝利したことについて社説で語っているのですが、それによると
  • Japan’s prime minister is more of a survivor than a reformer
    日本の首相は改革者というより生存者と呼んだ方がいい
のだそうであります。どういう意味なのか?


いきなり結論に飛ぶならば:
  • 要するに安倍政権は、日本の労働力と同じで年寄りになりつつあるということだ。熟練している割には生産性が充分とは言えない。安倍氏は自らの政治力をより良い方向に生かすべきだ。
    In short, like the Japanese workforce, Mr Abe’s government is ageing and, although skilled, insufficiently productive. He should put his political strength to better use.
なんだか漠然としているけれど、The Economistが言っているのは、「政治」の世界を生き残る「技能」の点では優れているかもしれないけれど、社会改革を遂行する政治家としての実績には見るべきものがない・・・というわけで、このままだと
  • 安倍氏は長期政権を担当した人物というより、それを無駄にした首相として記憶されることになるであろう。
    Mr Abe will be remembered less for his long tenure than for wasting it.
とのことであります。


安倍首相は憲法改正に極めて熱心ではあるけれど、The Economistによると、いまの日本が必要としているのはまともな経済改革であり、この面においては余りにも臆病すぎた(his reforms are too timid)とのことです。例えば女性が働ける社会を作ると言いながら、実際に行ったのは看護婦の職場を増やすことだけ(それも十分とは言えない)であり、これからの日本は移民(外国人労働者)を受け入れることが必要であることが分かっているのに、そのことを有権者に訴えることをしてこなかったし、相変わらず外国人労働者が日本に長期滞在することは極めて困難であり続けている。しかも日本人の労働市場も解雇は難しいし、結婚した女性がフルタイムで働き続けることも難しいような税制がそのまま温存されている。


The Economistによると、安倍さんの長期政権は日本にとって良かった面もある。わずかとはいえGDPは伸びている、インフレも一応は前向き、1980年代以後では一番良かった。また昔に比べれば自衛隊のPKOへの貢献もはるかに積極的になったし、安保法制の整備によって以前はタブーとされていた同盟国の防衛も許されるようになった。さらに最近では南シナ海に潜水艦を派遣、中国の拡張主義への歯止めに貢献しようとしている。中国の姿勢を考えれば、安倍氏の防衛に関する考え方は「完全に理にかなっている」(perfectly reasonable idea)とのことです。

が、安倍さんが優先すべきなのは経済政策であって憲法改正ではない(The economy should take precedence over constitutional reform)。そのことで日本がより豊かになれば(安倍さんの念願である)中国と対抗できる力となるというわけです。

▼この記事では、「憲法」という言葉を使うとき、必ず"pacifist constitution"(平和憲法)という言葉が使われる。4番目の記事(自由主義について)とも関係するけれど、The Economistから見ると、この憲法を持っている日本こそが安心して付き合える日本であるわけです。なのに安倍さんときたら、自分が首相になったのはその憲法を変えるためだというわけです。そして安倍さんは憲法改正のための国民投票の実施に大いなる意欲を見せているけれど、それをやると有権者からそっぽを向かれて、肝心の経済成長もままならくなる、とThe Economistは言っている。果たして日本の有権者はThe Economistが期待するほど憲法改正に反対なのでしょうか?

back to top

4) 生き返るか、自由主義

むささびジャーナルがたびたび引用するThe Economistという雑誌の第一号が発刊されたのが1843年9月2日で、今年(2018年)は発刊175年にあたる。The Economistを発刊したのはスコットランド出身のジェームズ・ウィルソン(James Wilson)というビジネスマンだった。自由貿易を促進するためのキャンペーン誌として発刊されたのですが、19世紀半ばのヨーロッパとアメリカで支配的な考え方は保護貿易主義で、英国では「穀物法」(Corn Laws)と呼ばれる一連の法律によって外国からの農産物の輸入には高い関税が課せられていたりした。

穀物法に反対

The Economist発刊号の中でウィルソンは
  • 穀物法は売り手が買い手に実際の価値よりも高くモノを売り付けることを目的として作られたものなのだ。
    They are, in fact, laws passed by the seller to compel the buyer to give him more for his article than it is worth.
というわけで、穀物法に象徴される保護貿易というシステムは地主や農業資本家のような特権階級にのみ奉仕していると批判している。


ジェームズ・ウィルソンが推進しようとした社会原則が自由貿易(free trade)、自由市場(free markets)、政府介入の制限(limited government)というもので、これらの考え方をまとめて「自由主義」(liberalism)と総称している。つまり「自由主義」というのは国の経済運営の在り方についての基本理念(central principles)であり、The Economist発刊以来の哲学であったわけです。


自由主義がけん引した170年

The Economistが発刊された1840年代から今日までの175年間で、世界は大きく変わった。例えば世界全体の平均寿命は約30才から70才を超えるに至っている。いわゆる極貧状態(extreme poverty)で暮らす人間の割合は80%から8%へと下がっている。極貧よりは上という人間の数は、あの当時の1000万人から65億人にまで増え、識字率は16%から80%へと成長している・・・それらがすべて自由主義のお陰とは言わないまでも、19世紀半ばから21世紀の今日まで、人類を支配しようとした様々な思想(ファシズム、共産主義など)が失敗している一方で自由主義を堅持した社会だけは繁栄を謳歌してきたことは事実である、と。国や地域によって多少の違いはあるものの、いわゆる「自由民主主義」が欧米を支配し、さらにそこから全世界へと広がってきたのが人類の歴史である・・・と。

一日1.90ドル(2011年の価値)で暮らしている人口が
世界の総人口に占める割合

<世界銀行>


が、最近どうも世界の流れがそれに反するような方向に向かっている・・・というわけで、2018年9月13日付の同誌では "Reinventing liberalism for the 21st century"(21世紀のために自由主義を作り直す)という特集記事を掲載しています。記事そのものは非常に長いものであり、手短にまとめることなど(むささびには)不可能です。この際、一か所だけ引用して、皆さまのディスカッションの材料にでもなってくれれば・・・と思う次第です。その気がおありの皆さまは原文をお読みになることをお勧めします。原文へのアクセスが困難な場合はご一報を。


自由主義の4原則

The Economistは175年にわたって主として経済政策という意味での「自由主義」を掲げてきたわけですが、それを支える「世界観・人間観」について次のようにまとめている。
  1. 社会には対立(conflict)がつきものであり、それは将来も変わらないだろうし、変わるべきでもない。政治さえしっかりしていれば、対立は競争(competition)を生み、実のある議論(fruitful argument)にも繋がる。
  2. 社会は常に動いている(dynamic)ものであり、良くなることもあり、悪くなることもある。自由主義者は社会を良くするために力を尽くすべきである(liberals should work to bring such improvement about)。
  3. 自由主義者は権力(power)を信用していない。特に集中した権力(concentrated power)は信用しない。
  4. 自由主義者は公的な存在としての個人を尊重(civic respect)するものであり、個人の私生活上の権利、政治的権利、財産権を尊重することを主張する。
このうち1)~3)については、The Economist発刊の時点でも存在していた感覚であると言えるけれど、4)で言われている「公的な存在としての個人を尊重」というのはごく最近の考え方だと思います。NPOとかNGOのような考え方で、運営資金にしても国家からの支援(税金)ではなく自発的な個人による献金を基本にする。いまから約20年前に登場したトニー・ブレアの労働党政権が掲げた「第三の道」(The Third Way)という理念がこれに極めて近いし、当時はThe Economisも大いにテコ入れした思想だった。国家中心主義でもなければ、国家の存在そのものを否定するような極端な個人中心主義でもない、かと言って単なる「いいとこどり」の折衷主義でもない・・・そんな思想のはずだった。


歴史の終わり・・・


その自由主義者たちが推進したのが、貿易のグローバル化や人間の往来(migration)の自由であり、そのような政策によって推進されたのがアメリカをリーダーとする「自由主義的な世界秩序」(liberal world order)だった。第二次世界大戦以後のことです。そして1990年代初期のソ連の崩壊によって、社会組織の優劣競争の点で自由主義は最終的な勝利をおさめた・・・と思われた。その象徴とも言えたのが、1992年に出たフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』(The End of History and the Last Man)という著作だった。この本のメッセージは次のように説明されている。
  • 自由主義的民主主義こそは世界にとって最終的な統治体制であり、人間による思想的な闘いの終わりを意味するものとなった。
    Liberal democracy is the final form of government for the world, and the end of human ideological struggle.
というわけで、自由主義を基盤とする民主政治が政治体制の最終形態であり、安定した政治体制が構築されるため、政治体制を破壊するほどの戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなると考えられた。


エリートへの反乱

が、The Economistによると、このような社会体制においても置いてきぼりを食ったと考える人間がおり、自由主義的な体制の先頭に立つ「自由主義エリート」(liberal elites)に対して攻撃を加えるようになった。自由主義は時代の変化に適応する能力という点では優れていたかもしれないけれど、外国からの移民の流入などで職を失った(と考える)労働者階級にとって、自由主義は自分たちを犠牲にして綺麗ごとを並べ立てるエリートたちの思想としか映らなかった。英国におけるBREXITの勝利、アメリカにおけるトランプの勝利はその象徴的な出来事だったけれど、The Economistによると、自由主義社会自体が生んだ反乱現象とは別に、現代社会においては事実上の独裁といえるロシアや一党独裁の中国も自由主義の敵ということになる。

改革精神の復活を

ピンチに立たされた「自由主義」ですが、ではその再生のためには何をするべきだとThe Economistは考えているのか?自由主義が個人の尊重を絶対的な理念としており、それが故に人間が作る社会には対立がつきものであると考えるので、マルクスが提唱した社会主義的な進歩の思想を「空想的」(Utopian)として否定する。その一方で保守主義者(conservatives)に対しては、安定と伝統(stability and tradition)ばかり重視しすぎるとして退ける。自由主義はあらゆる意味における「進歩」(progress)というものを重視する。その意味において常に社会変革を求める存在であり
  • 現代の自由主義に必要なのは、エリートとか体制というものと同一視されないことであり、その意味において元来持っているはずの改革精神を復活させるということである。
    Today liberalism needs to escape its identification with elites and the status quo and rekindle that reforming spirit.
と言っています。

▼この記事の中で最も興味があるのは「自由主義の4原則」という部分だと思います。人間社会には紛争や対立がつきもので常に揺れ動くもので、それが「進歩」を生むのであり、それを否定しようとすると独裁主義に繋がるというわけですよね。とはいえ自由主義は「自分勝手主義」ではない、これを支えるのは「公的な存在としての個人」(自分が独りで生きているのではないということを意識している個人)である、と。

▼自由主義者が唱えるこのような考え方は、BREXITやトランプを支持した「ポピュリスト」たちによれば「自由主義エリートのきれいごと」ということになり、それが自由主義の恩恵にあずかっていないと感じている「庶民」には受けた。自由主義が掲げるグローバル化のお陰で自分たちが働いていた工場が外国へ行ってしまい自分たちは失職した、自分らの町に得体のしれないよそ者が住み着き始め、犯罪が増えたのは自由主義が進める寛容な移民政策のせいではないのか?というわけで、自由主義は「よそ者排斥」や「自国第一主義」のアジテーションに参ってしまった。

▼むささびが思うに現在の日本国憲法の前文に書かれた次の文章がThe Economistのいわゆる「自由主義」を表現しているのではないか?
  • そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
▼そして日本においては、シンゾーが上のような文章を包含する憲法を変えようと叫んでいる。彼がこだわる「戦後レジームからの脱却」とは、「自由主義からの脱却」ということに違いない。自由主義は国家よりも個人を、秩序よりも競争を重視する一方で「公的な存在としての個人」を尊重する・・・そのような態度はシンゾーが教わった価値観には合わない。彼の脳に浸み込んでいる価値観からすると「個人」とは「国家の役に立つ人間」としてのみ意味がある。だからこそ「LGBTは非生産的」というメッセージが彼のチルドレンの一人から発せられたりするわけです。

▼もう一つ、The Economistは、第二次大戦後の世界を支配した共産主義という体制がソ連の崩壊によって自由主義に敗れた・・・という趣旨のことを言っているけれど、そうなんでしょうか?ソ連の崩壊がソ連流の共産主義体制の崩壊を意味したことは事実だけれど、それは自由主義・資本主義の勝利を意味したのか?という疑問が(むささびには)あるわけです。むささびジャーナル396号に、かつてのソ連圏の人びとが共産主義体制崩壊後17年目にどのような生活感覚を持っているのか?を示すグラフが出ている。それによると「現在の方が生活が良くなった」という人が過半数を占める国は一つもない。ハンガリーやウクライナなどでは、ほぼ7割が「悪くなった」と言っている。これは何を意味するのか?

back to top

5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 
 

tailgating:近づきすぎ運転


もともと "tailgate" はハッチバック式車両の後部ドアのことを言うのだそうですが、それから派生して前を走るクルマの後ろにぴったり貼りつくように走ることを意味するようになったようであります。イングランド高速道路管理局(Highways England)が最近始めたキャンペーンの名前が"Don't Be A Space Invader"というのですが、「車間距離を侵すな」ということですよね。

同局がイングランドにおけるドライバー約1000人を対象に行ったアンケート調査によると、4人に一人が過去3か月間で少なくとも一回は "tailgate driving" をやったことがあると告白しているのだそうです。これをやられるた運転手は、どうしても意図的に煽られている(targeted and victimised)ような気分になり、驚き・怒り・敵意(surprise, anger and contempt)などの感覚の虜になることが車内に取りつけたカメラによる運転手の表情分析の結果明らかになったのだそうです。そうなると注意が散漫になって事故に繋がる危険性が高いというわけですよね。

管理局の統計によると、クルマによる死亡事故の8件に1件が "tailgating" が原因なのだそうで、それによる死者数は年間100人を超える。ただ、悪意による「あおり運転」は少なくて大体が「知らないうちに」(unintentionally)前のクルマに近づきすぎてしまうのだとか。ちなみに "tailgating" がパトカーに見つかるとその場で100ポンド(1万数千円)の罰金チケットを頂くと同時に違反ポイントが3点頂けるそうであります。

 
 
back to top

6)むささびの鳴き声 
▼毎月一回、河野太郎衆議院議員の事務所からニュースレターというのがメールで送られてきます。その8月号で外務省にある「霞クラブ」という報道関係者の集まり(記者クラブ)について語っています。このクラブには放送局と新聞・通信社が全部で18社加盟しており、それぞれの所属記者が外務省を取材しているのだそうです。河野さんによると、霞クラブに常駐する記者のほぼ全員が「外信部」(国際ニュースを担当する)ではなくて「政治部」(日本の国内政治をカバーする)に属しているのだそうです。政治部の記者たちにとっての関心事は(例えば)河野さんが総裁選に出馬するかどうかであって、外務省本来の仕事である「外交」には関心がない。唯一の例外が「北朝鮮」で、「日朝首脳会談」については極めて熱心に報道する。でもそれは例外中の例外だそうです。

▼国際ニュースを担当する外信部の記者は外務省のクラブには属していない。つまり霞クラブの記者たちが取材した記事は、新聞の中の「政治面」と呼ばれる国内政治のためのスペースに掲載されるというわけです。奇妙なハナシですが、河野さんがニュースレターの中でそのことに触れたところ、加盟2社から外信部の記者を霞クラブに派遣するという連絡があったのだそうです。河野さんは「何事も発信してみることが大切だ」と自画自賛しているのですが、その新聞社は何故いままで外信部の記者を「霞クラブ」に派遣していなかったのですかね。

▼河野さんによると、「霞クラブの記者の中にも英語が得意でない記者がいる」とのこと。そうでしょうね。政治部記者の仕事は英語なんかできなくても務まるだろうし・・・。でも河野さんの「私は外務大臣に就任以来、外務省の職員に英語ができるようにしっかり勉強しろとはっぱをかけています」という言葉には目を疑いました。英語がまともに使えなくて外務省に勤務なんてできるんですか!?

▼「新潮45」という雑誌が休刊になりましたよね。例の「LGBTは生産的でない」というエッセイが遠因なのだとか。この件について江川紹子さんが書いたエッセイを読みました(題して「休刊だけではすまされない問題の本質」)。その中で最近流行っている保守系のオピニオン誌(「正論」「月刊WiLL」「月刊Hanada」など)のことについて触れられている。適菜収という作家が5年ほど前に「新潮45」に寄稿したものからの引用なのですが、これらの雑誌は「朝日新聞、中国、韓国、北朝鮮はけしからん」といった話を載せると売れるのだそうです。主な読者層は中高年で、彼らは新しい情報や視点を求めているのではなく、「自分が信じているものが正しいのだと誰かに保証してもらいたい」という気持ちがある、と。この人たちは「定年後、時間をもてあまし、政治に目覚めてしまう。小金も持っている。でもリテラシーがないから、ゴミ情報に簡単に騙される」とのことです。

▼「リテラシーがないから、ゴミ情報に簡単に騙される」とはひどい言い方ですよね。適菜収さんは何を根拠にそのような言い方をするのでしょうか?このような文章を掲載した「新潮45」という雑誌自体の知的レベルを疑いたくなる。むささびはこの種の論壇誌を読んだことがないのですが、「朝日新聞は怪しからん」という類の「怒りのエッセイ」に満ち溢れているのだとすると、それを読んで溜飲を下げるということですかね。だとすると、わびしいハナシですね。「XXは怪しからん」ではなくて「YYは素晴らしい、その理由は・・・」という議論に繋がっているのでしょうか?

▼そういえば安倍さんはは何かというと「朝日新聞はけしからん」という類の発言をしますよね。歴代首相の中で、このように特定のメディアを名指しでけなす人間は彼だけなのでは?部数拡大というビジネスからすると、安倍さんにこのようにけなされる朝日新聞は大喜びでしょうね。「あいつがケシカランというのだから、朝日はいい新聞に違いない」というわけで、シンゾーの言葉のおかげで部数が増える可能性が高いのだから。朝日新聞にしてみれば「安倍びいき・朝日嫌い」の人たちは最初から販売促進活動の相手にする必要がないのでターゲットを絞ることができる。

▼「新潮45」の休刊のことに戻るけれど、篠田博之という人によると、「雑誌が売れなくなったことを受けて、思い切った転換をしないといけないという危機感が編集部にあった」とのこと。で、中高年に受けることを狙って「LGBTは非生産的」路線に進んだってことですね。あの記事に対する批判が高まったのを見て、さらなる受けを狙って「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集を組んだのが裏目にでてしまった。

▼思想など関係なしの受け狙いでドジってしまった、悲劇というべきなのか喜劇というべきなのか・・・。その特集企画に寄稿した小川榮太郎という人がLGBTという存在について「性的嗜好など他人に見せるものではない、迷惑だ・・・」と述べている(らしい)。LGBTを性的嗜好と考えている小川さんの無知もさることながら、このような文章を掲載した編集者のドジぶりは(悪いけど)やっぱり「喜劇」としか言いようがない。

▼我が家の庭の柿の木に実がなっているのですが、今年は実がならない年だと思っていただけに嬉しい誤算であります。干柿にするのが楽しみです。甘柿なのだから干柿にする必要などないのですが、むささびは「干柿の甘さ」が好きなのであります。お元気で!

back to top

←前の号 次の号→
むささびへの伝言