musasabi journal

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433号 2019/9/29
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
夏が行って、ちょっと寂しいけれど静かな秋。埼玉県の山奥へ行くと、高い高い空にトンビが2羽、鳴き合いながら飛んでいました。午後3時ごろになると、木々の間から漏れてくる太陽の光が、この世とは思えない美しい景色を演出してくれます。このむささびの最後の俳句をお読みください。

目次

1)マクドナルドは要らない…か?
2)「兵器で未来は守れるか?」
3)「福島の原発事故は日本製」か?(再読)
4)職業別信頼度が示すお国柄
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)マクドナルドは要らない…か?


ロンドンから車で北へ2時間半ほど走るとラトランド(Rutland)というところに着きます。人口は4万人、正確に言うとラトランドは郡(county)です。現在、英国全体では102の郡があり、イングランドに限ると50の郡があるのですが、面積の点で最も小さいのがラトランドなのだそうです。この郡が最近、ハンバーガーショップのマクドナルドの進出をめぐって話題になっています。ラトランドはイングランドで唯一、マクドナルドがない郡なのだそうですが、最近になってマクドナルドから開店申請が郡当局に提出されている。9月17日付のGuardianによると「多くの住民がマクドナルドの進出に反対している」のだそうですが、これが認可されると65人分の職場が生まれるとのことで、正に痛しかゆしというわけであります。


ここがラトランド

この記事によると、マクドナルドはどうやら開店先のコミュニティではあまり歓迎されない店のようで、つい最近、湖水地方のアルバストン(Ulverston)という町にオープンした際には約1000人に上る地元民による開店反対の署名が提出されたりした。反対の理由としては「ゴミで汚れる」(It will cause so much litter)、「町民が肥満体になる」(Ulverston will become obese!!)などが挙げられた。

Guardianによると、マクドナルドは世界中のあちこちで開店拒否運動に直面しているのですね。フランス領大西洋に浮かぶオルロン(Oléron)という島に開店した際には延々4年間に及ぶ反対運動が起こった。その際はラトランドどころではない規模の8万3000人もの署名活動が行われたにも拘わらず結局これを拒否することは法律的にできなかった。オーストラリアのビクトリア州にあるタコマという町の場合、開店用地にコミュニティガーデンを作ったり、反対のピケまで張られたけれど、これもアウトで、2014年に開店して未だに続いている。


1997年、イングランドのデボン郡にタビストック(Tavistock)にマクドナルドが開店したときにも地元民によるボイコット運動まで起こったけれどオープニングにこぎつけた。が、この店の場合は9年後に閉店してしまった。理由は簡単、余りにも客の入りが悪かったということで、
  • マクドナルドに反対する人間にとって最大の武器は、要するに開店してもそこで食べないということのようだ。The best weapon against McDonald’s, it seems, is simply not eating there.
とGuardianの記事は申しております。ウィキペディアによると、2018年末現在、世界中のマクドナルドの数は37,855軒、一番多いのはもちろんアメリカ(14,146軒)なのですが、2番目は日本(2,975)なのだそうですね。英国は1,274軒です。

▼The Economistが主宰するデータにBig Mac Indexというのがありますよね。世界各国の通貨の対ドル交換レートを示すものらしいのですが、むささびはそれぞれの国のビッグマックの値段が分かって面白いと思うわけ。世界で一番高い国はスイスで、ビッグマック1個が6.8米ドルです。日本の場合は3.4ドルなのだから確かにスイスは高い。英国は4.4ドルだそうです。

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2)「兵器で未来は守れるか?」



北朝鮮の弾道ミサイル対策として日本政府が配備しようとしているアメリカ製の「イージス・アショア」(Aegis Ashore)という迎撃ミサイルシステムの配備先として、防衛省が「ここしかない」と言い切った秋田市の陸上自衛隊新屋演習場ですが、その根拠とする調査データに誤りが見つかって大問題となったのは、今年6月のことだった。例えばNHKの夜9時のニュース番組のサイト(6月6日)にもかなり詳しく書いてある。実はNHKが取り上げる一日前の6月5日、秋田県の地元紙、秋田魁(さきがけ)新報が第一面で「適地調査、データずさん」のスクープを報じています。同紙にはこのスクープによって2019年度の新聞協会賞が与えられています。


と、以上は前書きです。むささびが紹介したいと思うのは、昨年(2018年)7月16日付の秋田魁新報第一面に掲載された『どうする地上イージス 兵器で未来は守れるか』というエッセイです。このエッセイが掲載されてから約一年後に秋田魁新報が防衛省のデータがいい加減であったことを告げるスクープを放つことになる。エッセイを書いたのはこの新聞社の小笠原直樹社長(当時・67才)で、見出しからしてもイージス・アショアの配備に疑問を呈していることが分かるのですが、むささびが最も面白いと思ったのは次の部分です。
  • 秋田魁新報社は不偏不党を貫き、政治的勢力から一定の距離を保ってきた。だが、それはすなわち、賛否の分かれる問題から逃げ、両論併記でその場をやり過ごすことではない。
むささびがここ数年、全く見なくなった日曜日朝の政治討論番組(あえてテレビ局名は伏せるけれど)は「両論併記」の見本のような番組でしたよね。それぞれの政党の代表に発言させたうえで、司会者が「視聴者の皆さまはどうでしょうか?」と言って番組が終わる、というあれ。小笠原氏はそのような姿勢のことを「その場をやり過ごす」と表現しています。


小笠原氏は戦後の日本が「平和主義・国民主権・基本的人権の尊重」という理念のもとに生きてきたのであり、新聞社はそのようなアタマで権力者を監視し、「言論の力をもってチェック」する役割を負っているとして・・・
  • 朝鮮半島の南北首脳が板門店の軍事境界線上で手を握り、劇的な一歩を踏み出そうとしているその時に、「脅威に備える」として、ミサイル発射装置を据え付けることは正しい選択だろうか。
と疑問を呈している。小笠原氏はこれに続けて「(日本は)南北の融和と民生安定に、隣国として力を尽くすべきではないのか」としているのですが、この部分について、ある人(おそらく秋田県人)がツイッターで次のようにコメントしています。
  • 南北の融和になんで日本が力を尽くさないといけないんだ?まず竹島の返還と拉致被害者を全員帰国させるのが先だろ?勝手にお前らで力尽くしとけ。ジリ貧マスゴミが何をほざこうと勝手だが、もはやお前らが好き放題やれる時代はオワタ(原文のまま)
小笠原氏は「兵器に託す未来を子どもたちに残すわけにはいかない」という言葉でエッセイを締めくくっています。

▼後日談ですが、9月20日付の朝日新聞が「異例の社長論文」と題する記事を載せています。秋田魁新聞が新聞協会賞を受けたことに関連して、あのスクープを後押ししたのかもしれない、あのエッセイの書き手本人にインタビューしている。その中で小笠原さんが言った言葉を一つだけ紹介します。
  • (イージス・アショアが)迷惑施設だから置くなというんではないんです。
▼「そんなもの迷惑だから他所へ置いてくれ」という「地域エゴ」(NIMBY)で反対しているのではないということです。秋田県が面する日本海は、昔からアジア大陸との交易・交流の海だった、それを抗争の海にしてはならない・・・それが彼なりのイージス・アショア配備計画への反対の理由だったということです。

▼小笠原氏のような意見に対して「ジリ貧マスゴミが何をほざこうと・・・」と毒づいているツイッター投稿者のような感覚こそが今や世界を席巻しているように見える。トランプもボリス・ジョンソンもシンゾーもそのような波に乗ったつもりでいるわけですが、「竹島の返還と拉致被害者を全員帰国させるのが先だろ」という発想の後に来るものは何なのか?新型のミサイル迎撃システム(2基で6000億円以上という説もある)のようなものをいくつも装備する必要に迫られる日本です。それをやり始めたらきりがなくなる。小笠原さんが主張しているのは、そのようなことをする必要のない世界を作ろうということであり、政府のやろうとしていたことはそれに反しているということだと思います。

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3)「福島の原発事故は日本製」か?



9月19日、福島第一原発事故に関連して、業務上過失致死傷罪に問われていた東電の旧経営陣3人に対して、東京地裁が無罪の判決を言い渡したというニュースはBBCなどでもかなり大きく伝えられましたが、むささびは8年前のむささびジャーナルに掲載したいろいろな記事を思い出しました。そのうち245号(2012年7月15日)に掲載した「福島の原発事故は日本製?」という記事を再読してみました。


2011年3月の原発事故から1年4か月後の2012年7月5日に、この事故に関する国会事故調査委員会が報告書を発表したのですが、その報告書についてGuardianとFinancial Timesがコメント風のエッセイを掲載していました。

まずGuardianに出ていたエッセイは、ロンドンのバーベック大学で歴史を教える島津直子という日本人で、エッセイのタイトルは "Fukushima report hides behind the cultural curtain"(この報告書は文化のカーテンの陰に隠れている)となっている。どういう意味?教授が触れているのは、英文版の報告書の前書きの中で事故調の黒川清委員長が福島の事故について次のように書いている部分です。
  • What must be admitted - very painfully - is that this was a disaster “Made in Japan.” 大いなる苦痛をもって認めなければならないのは、これが「日本製の」大惨事であったということである。


黒川委員長によると、あの事故の根本的な原因は、日本文化にしみ込んだいろいろな慣習・因習にある。具体例として「盲目的服従」「権威を疑問視することを嫌がる態度」「決まっていることにこだわる」「グループ中心主義」「閉鎖性」などが列挙されている。この種の習癖は日本人の誰にでもあるものなのだから、事故当時の東電の社長が誰であろうと、日本の首相が菅直人であろうとなかろうと結果は同じであったかもしれない(the result may well have been the same)というわけです。福島の事故が「日本製」(Made in Japan)であるというのはそのような意味である、と。

島津教授が指摘しているのは、福島の事故を日本人の国民性のようなものと関連付けて語ることで、事故の本質を「文化のカーテン」の陰に隠してしまい、より深く事故を検証しようとしなくなるかもしれないということです。ましてや「服従」「権威に弱い」「閉鎖的」「グループで固まりたがる」等々は必ずしも日本や日本人の間だけの現象ではないのだから、この原発事故やそれへの対応を"Made in Japan"などと決めつけてしまうのは全く正しくないというわけです。


全く同じような指摘がFinancial Timesに寄稿したコロンビア大学のジェラルド・カーティス教授(当時)によってなされている。即ち
というわけですが、カーティス教授によると「人間を責めても仕方ない」とか、「これも日本文化のなせる業だ」という言い方は「究極の言い逃れ」(ultimate cop-out)にすぎない。「原子力ムラ」の専門家たちは彼らの世界で特殊な文化を共有しているかもしれないが、「そのようなことは日本に限ったことではない」として、この報告書に見る福島の事故への対応は、2008年に起こったリーマン・ブラザーズの崩壊とそれに伴うアメリカの経済メルトダウンへの対応と同じである、と。二つの「事故」の間の共通点は、必要な改革に抵抗し、人災であるにもかかわらず具体的な人間の責任を追及しようとしない点にあると言っています。そしてカーティス教授は
  • 国会事故調の報告書は「公共の利益を犠牲にしてまでも組織の利益を重視しようとする思考方法」について触れている。もしそのような思考方法が日本文化なのだとしたら、我々はみんな日本人だということになるのだ。 The Fukushima Commission report “found an organisation-driven mind-set that prioritised benefits to the organisation at the expense of the public.” Well, if that is Japanese culture, then we are all Japanese.

と結論しています。つまり企業の利益のために公共の利益が犠牲になりがちなのは、日本だけに限った話ではないということです。

▼二人の教授が批判しているのは、日本のインテリの間に根深く存在する「日本は特殊」論なのだろうと、むささびは思ったし、それは当たっているとも思いました。黒川委員長による前書きを読んでむささびが強く感じたのは「日本人全体が反省しなきゃね」という姿勢です。戦後の日本では太平洋戦争について「軍部だけが悪いのではない、軍部の独走を許した日本人みんなが悪かったんだ」という言い方が流行ったと聞いています。何やら尤もらしく響くけれど、何でもかんでも「一般論」で問題の本質をぼかしてしまうという姿勢です。今回の東京地裁による東電幹部への無罪判決にも同じような「アンタらだけが悪いんじゃないよ」というけったいな「温情」があったのではないか?

▼ロンドンの島津直子教授がもう一つ指摘しているのは、黒川委員長のメッセージが英文版と日本語版では違うということです。日本語版では、この事故がmade in Japanというような記述はない。日本語版の中でこれに近いようなことを言っている部分をあげると
  • 世界が注目する中、日本政府と東京電力の事故対応の模様は、世界が注目する中で日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった。想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る・・・<以下略>
▼ということになるかもしれない。日本語版と英語版の「委員長メッセージ」を読むと(むささびなどには)英文版の中身がいかにも「外人向け」に書かれたように見える。なぜ日本人に向けて書いた日本語のメッセージをそのまま英訳しなかったのか?黒川委員長を始めとする委員たちのアタマに「日本人の言うことはガイジンさんには分かりっこない」という思い込みがあったのではありませんか?黒川委員長らはそのつもりはなかったのかもしれないけれど、福島の原発事故をmade in Japanと定義してしまうことで、この事故の経験をほかの国の人々と共有しようという姿勢がなくなってしまったように見える。

▼今回の東京地裁による無罪判決については、東電刑事裁判被害者代理人の海渡雄一弁護士が書いた『東電旧経営陣無罪判決、裁判所が犯した七つの大罪』という記事が詳しく解説しているようです。

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4)職業別信頼度が示すお国柄
 

世論調査機関のIPSOS-MORIが行う、英国人が最も信頼する職業人という調査についてはこれまでにも何回が紹介してきました。9月18日付の同サイトが掲載しているのは22か国の人びとを対象にした調査なのですが、22か国平均でいうと、信頼度ベスト3の職業はトップから科学者・医者・教師となっています。反対に最も信用できない職業人は下から政治家・政府大臣・広告業となっている。

信頼される職業人・されない職業人 
注:「信頼されない職業人」のグラフで使われている数字は、それぞれの職業人を信頼していない人の割合を示しています。数字が大きいほど信頼されていない割合が高いという意味であり、グラフでは一番下に書かれています。

日本



韓国


調査対象国の中で「科学者」がトップにきたのはアルゼンチン、ドイツ、日本、韓国など12か国、「医者」がトップに挙げられたのはオーストラリア、フランス、南アなど7か国、さらに「教師」がトップにきたのはアメリカとブラジルだった。その意味でちょっと変わっているのはインドと中国で、前者では「軍人」(Members of the armed forces)が、後者では「警察官」(the police)がトップに挙げられている。ただ、この両者に対する信頼度は世界平均でも4位と5位なのだから決して低いわけではない。軍人に対する信頼度が特に低いのはドイツ(24%)と韓国(18%)です。
 
中国



英国

この調査は、調査する側が予め18の職業をリストアップして、それぞれに対する信頼度を調査するという方法をとっているのですが、それぞれの職業人について「信頼できる」(trustworthy)か「信頼できない」(untrustworthy)かの二つに分けて答えを求めている。職業によって「信頼できる」とする意見が「信頼できない」とする意見を大きく上回っているものもあるけれど、反対のケースもある。


例えば上のグラフに見る世界平均における数字によると、「科学者」の場合は、「信頼できる」の数字の方がはるかに大きいし、教師についても同じことが言える。それが「警官」ともなると「信頼できる」と「信頼できない」の差がかなり小さくなる。最悪なのが「政治家」ですが、「ジャーナリスト」や「広告業」も決して評判は良くない。ちょっと意外な気がしたのは「牧師・僧侶」に対する信頼度がさして高くないということだった。

下のグラフは「職業人」というものに対する感覚に関するものです。調査対象になった18の職業について「信頼できる」を「+ポイント」、「信頼できない」を「ーポイント」として合計すると、全体評価が「プラス」なのは22か国中の9か国、「マイナス」なのが13か国だったそうです。
職業人に対する感覚

このように見ると、全体のプラス評価が最も高いのは中国、次いでインド、カナダ、スウェーデンなどとなっており、マイナス評価が最も高いのはハンガリー、次いで韓国、アルゼンチンなどとなっている。日本はマイナス評価国の下から9番目となっている。それにしても中国のプラス・ポイントは殆ど「異常」にさえ見えませんか?IPSOSでは、全体評価のプラスが多い国ほど、自分たちの国や社会について「楽観的」なムードが支配していると見ている。

▼というわけで、職業に対する信頼度の世界平均を改めてリストアップすると上のようになる。いろいろとコメントを入れたくなりません?まず「政治家」の低スコアぶりです。IPSOSによると、調査したすべての国で政治家は信頼度の点で「最下位」であったそうです。このことについて、政治家ではない我々はどのように考えるべきなのか?彼らの無能ぶりを嘲笑したり、怒ったりするのは簡単だけれど、ではどうすればいいのか?世の中には政治家という職業が必要であることは間違いない、なのに評判が悪い。このあたりをどのように考えるべきなのか?自分が政治家になったら?などとは考えたこともない。

▼政治家の低スコアは、ジャーナリストによってけなされまくるからということは言えますよね。ただそのジャーナリストにしてからが、決して信頼度が高い部類には入らない。ちょっと面白いのは「ジャーナリスト」よりもテレビの「ニュースキャスター」の方が信頼度が高いということ。英国ではNews Readerと呼ばれているようです。英国に関して言うと政治色が強い強い新聞よりもテレビ報道の方が中立的で信用がおけそうな気がするということでしょうね。

▼普通の意味では「職業」とは言えないけれど、「普通人」(ordinary men and women)に対する信頼度が裁判官より高いというのはどのように考えるべきなのでしょうか?

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 
thrift:倹約

ケンブリッジの辞書では"thrift"を"careful use of money"と説明しています。浪費や無駄遣いをしないことというわけですが、アイルランドの詩人、オスカー・ワイルドの言葉に
  • To recommend thrift to the poor is both grotesque and insulting.
というのがある。「貧乏人に倹約生活を勧めるのは醜悪にして侮辱的だ」というわけです。なぜそうなのかというと
  • It is like advising a man who is starving to eat less.  飢え死にしようとしている人間に「食べすぎは良くない」と言うようなものだから。
だそうであります。確かに。アメリカには"thrift shop"というのがありますよね。英国で言うと"charity shop"で、主に古着ですが、お金のない人間が買うお店です。むささびはサンフランシスコにある"thrift shop"で、ジャンパーを買ったことがある。値段は5ドル。レジへ持って行ったら、店番の爺さんがにこにこ笑いながら「500ドルで~す」と言っていました。懐かしい!
 
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6)むささびの鳴き声 
▼昨日(9月28日)ラグビーの試合で日本がアイルランドを破ったことについて、アイルランドのThe Irish Timesが、試合終了後30分の時点で大ニュースとして伝えています。"Japan’s rising sons leave Ireland under a cloud"(日本の上昇息子たちがアイルランドを雲の下に置き去りにした)という見出しがついている。"rising sons" は "rising sun" との語呂合わせというところでしょうね。記事を読んでみたのですが、何だかさっぱり分かりませんでした。余りにもラグビー用語風のものが多くて、むささびにはどうにもなりませんね。

▼70年も前の子ども時代に、父親に連れられて神宮の秩父宮ラグビー場へ何度か行きました。その際にオールブラックスも見ていたのを思い出します。子どもだから何が何だか分からなかった割には、彼らが非常にカッコよかったのを記憶しています。むささびの記憶に誤りがなければ、明治大学のチームに宮井というキャプテンがいました。でっかくて速い選手だったように記憶しているのですが、何と言ってもむささびにとってプロのスポーツと言えば野球でしたね。

▼二つ目の記事で取り上げた、秋田魁新報という新聞の「魁」は文字通り「さきがけ」であり、「時代の先端を行く」という意味ですよね。新聞社の社長が書いた、いわば個人的なエッセイなのですが、それが新聞の第一面に載るともなるとその新聞自体の主張(社論)であるのが普通ですよね。書いた本人がそれを意図したのかどうか分からないけれど、筆者名と肩書を明記したうえで「個人の意見」を発表している。むささびはそれが面白いと思うわけよね。筆者名が書かれるのは読者からの投稿も同じことなのですが、掲載面が第一面であり、筆者がその社の社長であるとなると、個人的見解には違いないけれど意味は「公共」ということになってしまう。何十万部も出ている新聞に掲載されるということはそういうことである、と。「天声人語」とか「筆洗」のような新聞のコラムや社説は、書いた人間の名前が出ていない。むささびは、特にコラムは筆者名を入れるべきだと思います。

▼三つ目の福島の原発事故と東電幹部の無罪についての記事の中で、コロンビア大学のカーティス教授のコメントを紹介しています。事故当時の首相だった菅直人さんが、福島の現場へヘリコプターで出かけたことがありましたよね。あの行動については、日本のメディアというメディアが叩きまくりましたが、カーティス教授は「私の意見は全く違う」(I beg to differ)として次のように語っています。
  • 菅(直人)氏が東電本社に乗り込んで同社の幹部に対してある種の権威を行使しようとすることがなかったら、事態ははるかに悪くなっていた可能性だってあるのだ。もし東電の社長がもっと能力のある人物であったならば首相官邸とのコミュニケーションはもっとよくなっていたはずなのだ。 
▼菅さんが原発現場へヘリコプターで飛んで行ったのは、震災翌日(3月12日)の朝6時過ぎから約2時間程度のことです。それをメディアが取り上げて「司令官が本部を離れた」と批判したわけです。ヘリコプターに乗り込む菅さんに対して枝野官房長官が「絶対に後から政治的な批判をされる」と原発訪問に反対したのですが、それに対する菅さんの返答は「政治的に後から批判されるかどうかと、この局面でちゃんと原発を何とかコントロールできるのとどっちが大事なんだ」というものだった。そして枝野長官は「わかっているならどうぞ」と答えたのだそうです(民間事故調の報告書)。

▼賭けてもいい、あのときの首相がシンゾーであったならば、事故発生の翌日に事故現場に行ったりすることは絶対にしなかったはずです。その辺のことは役人や専門家にやらせて、自分は官邸や国会で同僚議員たちを集めて、どうすれば野党から批判されずに済むかを考えることに全力を集中する。だから何が起ころうとも自分のやるべきことは、役人やいわゆる「専門家」たちの言う通りに行動すること、それがシンゾー流というものであり、彼を取り巻く政治メディアにも受け入れられるパターンであるということです。そのあたりのことは「被災者より『菅おろし』を大事にした?メディア報道」という記事に出ていますが、職業信頼度の点で政治家とメディアの評判が悪いというのも頷けますね。

▼もう10月。お元気で!

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