1)イングリッシュオークの周辺:福島県白河市
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東北新幹線の新白河の駅から20-30分行ったところにJR東日本のスタッフ訓練センターがあります。この広大な敷地の入り口部分にイングリッシュオーク植わっています。これを植えるきっかけになっているのが、明治2年に日本にやってきた英国の鉄道エンジニア、エドマンド・モレルという人です。新橋・横浜間に走った最初の鉄道建設に大いなる貢献をしたのに働きすぎで過労死。結局開通を見ることはなかった。でもこの頃の英国という国の存在感は信じられないようなものであったのですね。興味がおありの方は ここをクリックしてご覧ください。
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2)リビングストンが労働党に復帰
ロンドン市長のケン・リビングストンが労働党にカムバックしたというニュースは日本の新聞に出ていましたっけ?日本に影響を与えるような「事件」ではないので報道されていなくても不思議ではないのですが、私の独断と偏見(と個人的関心)ということからすると、はっきり言ってダイアナ妃の謀殺説どうのこうのよりもリビングストンの復帰の方がニュース価値はあると思うのであります。
4年前の2000年にロンドン市長の選挙が行われたのですが、リビングストン(労働党の左派だった)の立候補については労働党内部から反対があり、結局無所属で立候補して労働党の推した候補を破って当選してしまった。ご案内でない方のために申しておきますが、ロンドンという都会に選挙で選ばれた市長(つまり日本で言うと都知事にあたる)がいなかったのです。私自身このあたりのことを詳しく説明するには知識不足・勉強不足ですので勘弁して貰いますが、とにかくケン・リビングストンという人はロンドンの歴史上初めての選挙で選ばれた市長であったわけです。
ロンドンの災難!?
4年前の選挙の時には労働党首のトニー・ブレアは口を極めてリビングストンを批判、「ケンが市長になることはロンドンにとって災難(disaster)である」とまで言ってのけた。が、結果としてはリビンストンが勝ったのみならず、この4年間で渋滞税の導入など、うまくロンドンを治めてきてしまった。全然「災難」ではなかったわけです。次なる市長選挙は今年行われることになっているが、労働党の候補とされていたNicky Gavronは殆ど当選の可能性なしという人なのだそうです(BBC放送)。
今年は各地で地方議会の選挙があるし、欧州議会の選挙の年でもあってブレア労働党党首としては特に象徴的なロンドンには「労働党市長」がいることを望んでいたのですが、このほど党の全国委員会がリビングストンの復帰を認める決定を下したわけです。ブレアにしてみると4年前に「ロンドンにとって災難だ」とまでこき下ろした人物の党復帰を認めることになるわけですが、そのことについてのコメントは"I think I should be big enough to say the prediction I made...has not turned out to be right."(自分の予想が正しくなかったということを認めて大人ならなきゃ)というもの。率直でよろしいんじゃありませんか?
「ジョージ・ブッシュは人類に対する脅威・・・」
ところでむささびジャーナルでも一度紹介したと記憶していますが、リビングストン市長はイラク戦争にからんでジョージ・ブッシュのことをthe greatest threat to life on this planet that we’ve most probably seen(地球上の生命に対する最大の脅威)などと読んで物議をかもしたことがあります。
で、どうして私がダイアナさんのことより、ケン・リビングストンのほうがニュース価値があると思ったのかというと、仮に(仮にですよ) ダイアナさんの死が事故でなかったとしても、世の中の大勢に影響はない(と私などは思う)けれど、一度はクビになった(左派であるということで)有力党員が復帰したことが英国の労働党(つまり政府)には大いに影響を与えるし、ひいては英国と付き合っている国にも関係してくると思ったということです。
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3)短信
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ビートルズのマネジャーの家
ビートルズを育てたマネジャーがブライアン・エプスタインであることはよく知られています。この人、不幸にして32歳という若さで亡くなった。これが1967年のこと。殆ど40年前ってことですね。そのエプスタインがかつて暮らしていたリバプールの家がB&Bに生まれ変わったというニュース。この家にはエプスタインの祖父母が1927-1946年まで暮らしたし、彼の父親もまた1933年まで住んでいたとのこと。で、この家を36000ポンド(約700万円)で購入したDarren McLennan とIan Quiggの二人の人物はそんなこと全く知らなかったので、この家を幼稚園に建て替えようとしたところ近所の人から家屋の「歴史」を聞いてビックリ。今もなおリバプールにはビートルズ・ファンがわんさと押しかけるそうで、この際だからエプスタインの家もB&Bにして売り出せば「儲かること間違いない」というわけ。このニュースは12月28日に流れたもの。その後この家がどうなったのか・・・よく分からない。
Asshole・・・でも無罪
英語でよく使われる汚い言葉にAssholeというのがあるのはご存知ですよね。ノルウェーのNettavisenという新聞が伝えるところによると、ある警官がAssholeと呼ばれて腹が立ち、呼んだ人間を裁判に訴えたのですが、結局無罪になってガックリしているらしい。この警官、ある夜、パトロール中にある家に立ち寄ったのですが、その時出てきた42歳の男に「あんたなんかAssholeだ。帰れよ」(I think you are an asshole. Have a nice evening)と言われた。で警官は「これは明らかに脅迫であり、他人の平和を脅かすものだ」というわけで、「おおそれながら・・・」と訴えたわけ。で、裁判所は「この言葉は他でもよく使われており、それが違法であるという法的な根拠があるとは思えない」との判決を下したのであります。尤もassholeは英語なのでこの場合、ノルウェー語のそれに当たる言葉でもめたということなのか・・・。いうまでもなく「おおそれながら・・・」というのはむささびの意訳です。ノルウェーに大岡越前の守はおりません。
後ろ向き運転12000キロ
インドのバティンダというところに住むタクシー運転手のHarpreet Devi氏は、何故かどこへ行くのにも車をバックで運転するという信じられないような趣味を持っているそうです。ことの発端は2年前に、ある場所で客を降ろしてからちょっとだけバックするためにバックにギアを入れたところ、どういうわけかギアがバックに入ったままリリースできなくなってしまった。「しようがないから、その日はウチまでバックして帰ったのさ」というDevi氏が考えたのは「後ろ向き運転、ひょっとすると受けるかも・・・」というアイデア。悪乗りした奥さんまでこれを始めて病みつきになってしまい、今では二人とも時速25マイル(約40キロ)でバック運転して走れるようになった。主要道路も町中も問題なし。過去2年間の後ろ向き走行距離は何と7500マイル(12,000キロ)。今や二人は「後ろ向き夫婦」(reverse couple)として近所の評判になっているらしい。で、Harpreet Devi氏の夢はというと、後ろ向き運転でパキスタンとの国境まで行くことだそうで、これを平和のメッセージを伝えるイベントにしたいと申しております。私は大丈夫なんですが、中には後ろ向きの運転だと車酔いする人がいますね。
800円で転寝できます
恥ずかしいのですが、私、知りませんでしたが「うたたね」を漢字で書くと「転寝」なんですね。英語ではこれを何故かcatnapというのであります。最近英国のTravelodgeというホテルチェーンがドライバー対象に"catnap and coffee"なる「30分間うたたねサービス(5ポンド:約800円)」を開始したところこれがバカ受けで、今や全国展開にまで発展、転寝時間も1時間に延長しているそうです。このアイデア、元はというと運輸省の安全運転のためのアドバイスである「長距離運転をして眠気を催したときは2時間に一回は休憩するように心がけた方がいい」というものにヒントを得たのだそうです。運輸省ではさらに強いコーヒーを飲むことを勧めてもいたらしい。運輸省の調査では夜中から午前6時にかけての時間帯が非常に危険なのだそうで、Travelodgeでは「午後10時以後のご利用につきましては半額とさせて頂きます」と運輸省に協力しています。これ、日本にありましたっけ?
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4)マスター由の「フロム・ザ・ウェスト」
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はじめまして。今回からむささびジャーナルにコラムニストとして登場することになりました。実はこのコラムについては、むささびジャーナル創刊の時から折々頼まれていたのですが、むささびジャーナルの読者の方々、および編集長に満足していただけるようなコラムが自分に書けるのか分からず「とりあえず考えておきます」といういい加減な返事しか出来ずに1年が過ぎてしまいました。最近になって編集長のマネージャーから再び打診があり「由先生のスタイルに全てお任せします」とのことでした。
ここまで言われると、さすがにノーと言えない「由先生」は「とりあえず何か書いてみます」という返事を出しました。「由先生のスタイル」が編集長及び読者の皆さんのニーズとマッチしているかどうかは、見切り発車するしかないということにしました。ということで、これから何度かおじゃましますのでどうぞお手柔らかによろしく。
どこから始めましょうか?
さて、あいさつはここまでにして、どこから始めましょうか。ん?この「どこから始めましょうか」というセリフ、どこかで聞いたことが…。実は心理カウンセリングでよく冒頭で使われるものなんですよね。心理カウンセリングというのは、日本の読者の方々にはあまり馴染みのないことかもしれませんが、要するに悩みを抱えた人たちのための「駆け込み寺」のようなものです。心理カウンセラーの仕事というのは、そういった人たちの相談相手になってあげることです。
悩みを抱えるクライアントたちに対して適切なアドバイスを与えることがカウンセラーの仕事、と考えていらっしゃる人たちが多いかと思うのですが、実はこれは大変な誤解です。もちろんある程度のアドバイスを与えるのも仕事のうちかもしれませんが、カウンセラーの仕事の本質は「クライアントが自分自身を助けるのを手助けすること」なのです。アドバイスを与えることもその一部かもしれませんが、そのアドバイスに従うかどうかはクライアント自身にしか決められないことですから。カウンセリングというのはカウンセラーのためにあるものではなく、クライアントのためにあるのだ、ということです。
だからカウンセリングの始めのセリフも「どこから始めましょうか?」なのです。つまり、カウンセリングの時間はクライアントのための時間なのですよ、だからその時間をどう使うかはあなたにお任せします、という意味が込められているのです。
ということで、このコラムをどう読むかも、読者の皆さんにお任せしましょう。それにしても、コラムニストとしての初仕事をいきなり「どこから始めましょうか」で始めるのは、僕の「職業病」なんですかね?
コラムニスト・プロフィール 春海由(はるみ・ゆう):1974年2月17日東京生まれ。15歳まで埼玉県飯能市で過ごした後、アメリカに留学。アメリカで高校、大学を卒業した後一時日本に帰国。3年間日本で勤務後再渡米。サンフランシスコ大学でカウンセリング心理学の修士号を取得。現在はワシントン州立大学の博士課程プログラムでカウンセリング心理学を学んでいる。趣味はスポーツ観戦、野球、ゴルフ、スノボー、テニス、茶道、ビリヤードなど幅広い。筋金入りの大リーグ、シアトル・マリナーズファン。AB型。独身。
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5)むささびMの<ことばの運用能力> |
日本語でも英語でも、「ア、このことば自分のものになったな」と思える瞬間というものがあるものだ。そして、その瞬間のことを結構鮮明に記憶していたりもするものだ。クラッシェンという言語学者が、意識的に「学習」したものと無意識のうちに「習得」したものとは永遠に平行線状態でありお互いに影響しあうことはない、という仮説を立てたらしいのだが、学者の仮説と言うものも案外あっさり崩れたりするらしい。
個人的な経験から言うと、「ア、自分のものになったな」という瞬間は、まさに「学習」と「習得」が交わった瞬間と言えるような気がするのである。 お母さんたちの新年初の英語クラスで、約一時間まるまるフリー・トーキングをやってみた。かなりのブロークンであり、日英チャンポンでもあるのだが、途中で諦めずにとにかく会話を続けるということに挑戦したのだ。
それで改めて気付いた事が二つある。ひとつは、少なくても6年間は英語を勉強した筈の彼女達、その6年間で身に付いたと言えるのは、そこそこの「英単語」が他の単語との繋がりもなく、ポツンと頭の引き出しに入っただけなのだということ。例えば、ParentsもHouseもそれぞれ引き出しに入っているのに、「えーっと・・・実家ってなんて言うんですかあ・・・?」という具合なのである。「うーん、多分my parents’ houseでいいんじゃないかなあ」と言うと、目からウロコのような顔で「あー、そうか!」という調子である。
もう一つは、「平均思考能力40歳、平均英語運用能力約1歳(?)のギャップをこれからどのように埋めて行くかが、私に与えられている課題だな・・・」と痛感したことである。人間、ものを考えるときに如何に「ことばで考えている」か、ということを見せ付けられた思いがした。原始時代、人間の「ことば」が未熟だった時には思考力もさぞかし未熟だったに違いない。
こと英語に関しては、考えている事を思うように言えないお母さんたちのもどかしさと手足を縛られているような不自由さは、想像して余りありで、その障害を何とか取り除いてあげたいと思った。その意味では、日本にいる外国人が、言いたい事を言えないでいる感覚も同じだ。 自転車乗りや水泳のように肉体を使って出来るようになることと同じくらい簡単に、ことばの運用能力も身に付いてくれるものだったら、皆どんなに楽しいだろう・・・。 |
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6)編集後記 |
とにかく2004年の最初なので「あけましておめでとうございます」●4番目に「マスター由」とかいう人の記事が出ています。あたかもむささびジャーナル編集部から頼まれて重い腰を挙げたようなニュアンスのイントロですが、これは全くの「おしかけコラム」です。頼まれもしないのに自分のプロフィールまでつけちゃったりして●@の記事ですが、明治の初期における1000ドルってどんなお金であったのか・・・どなたか教えてくれませんか?30才の若者にその頃の明治政府は1000ドルという月給を払っていた・・・今、JETという英語の教師(英国人は1000人くらいでアメリカ人はもっと多い)にどの程度のサラリーを(日本政府が)払っているのか?
●というわけで、今年もよろしくお願いします・・・。
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