1)まだくすぶっていた、フォークランド
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ここ一か月ほど、英国のメディアでフォークランドが話題になっています。理由が二つある。一つは今年がフォークランド紛争30周年という年であることで、もう一つはあのウィリアム王子が英国空軍の救援ヘリコプターパイロットの訓練の一環として2月にフォークランドへ行くことになっているということです。英国政府はもちろん王子の訪問と紛争30周年は無関係だとしているのですが、アルゼンチン政府の南大西洋担当の高官は「英国による挑発行為」と非難している。
1月21日付のBBCのサイトによるとブエノスアイレスにある英国大使館前ではフォークランド諸島(Las Malvinas)の領有権を主張する約100人のデモ隊が英国との国交断絶を要求し、英国の国旗を燃やすなどして気勢をあげたとのことであります。
アルゼンチン政府は英国に対してフォークランド諸島の領有権について話し合うことを要求しており、これを実現するためにいろいろやってきている。例えば2007年、Nestor
Kirchner大統領(当時)が英国との間で交わされた石油・ガスの供給合意を破棄すると同時にフォークランドで操業するエネルギー関連企業のアルゼンチン本土におけるビジネス活動を禁止したりしている。
さらにCristina Fernandez現大統領(Kirchner大統領の未亡人)が昨年(2011年)12月にブラジル、パラグアイ、ウルグアイの三国との間で、フォークランドの旗を掲げた船舶の自国への寄港禁止で合意を取り付けている。この三国とアルゼンチンが参加してMercosurという貿易圏を作っているのですね。尤もThe Economist誌などによると、 フォークランド旗を掲げているのはほとんどがスペインの漁業会社のものであり、英国のビジネスにはほとんど影響がないとのことではあるのですが・・・。ただMercosur貿易圏加盟国はフォークランド護衛のための英国の軍艦の寄港を歓迎しないという態度を表明しており、単にフォークランド旗だけの問題ではなくなりつつある。
さらに昨年12月、ラテンアメリカ・カリブ海諸国共同体(Community of Latin American and Caribbean States)という機構がフォークランドと南ジョージアに関するアルゼンチンの領有権主張を支持する決議を全会一致で採択したりするなど、南米諸国を巻き込んだアルゼンチンの外交攻勢が功を奏している部分もある。
英国政府の立場としては、フォークランドは1833年以来、英国の管轄下にあることは国際法的にも明らかであり、島民(3000人)の自決権については話し合いの余地がない(not negotiable)としています。で、30年前の紛争では英国を支持したアメリカはどうかというと一昨年(2010年)クリントン国務長官がフォークランドについて発言し、アルゼンチンと英国は話し合うべきだと語ったのだそうです。
▼BBCのサイトへの書き込みなどを読んでいると、英国人の意見としては「島民の望みどおりにすべきだ」というのが圧倒的なのですが、その声には「みんな英国領でありたいと思っているに違いない」という思い込みがあります。中には
The Falklands no more belong to the UK than the Shetlands belong to Argentina. Our possession of them is down to the UK's colonial past and our belief in ownership of them is part of the hang-over suffered by all receding powers.
フォークランドが英国の領土でないことは、シェトランドがアルゼンチンのものでないのと同じだ。英国がフォークランドを所有しているのは植民地主義時代の過去のハナシであり、フォークランドが自分たちのものだと信じるというのは衰退する大国ならどこにでも見られる過去の名残のようなものだ。
というのもありますが、これは少数意見。 |
▼でも緊縮財政の折から、はるか彼方の小さな島をめぐって戦争なんかできっこないですよね。The Economistなどは南米における英国の外交努力が足りないという趣旨の批判をしています。
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2)日本と統一韓国が核武装?
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最近のLondon Review of Books(LRB)にパキスタン系英国人ジャーナリストのTariq Aliによる北朝鮮訪問記が掲載されています。と言っても訪問そのものは42年も前の話で、LRBの記事は40年以上も前の経験をもとにしたAliなりの個人的北朝鮮論であり、しかもめちゃくちゃに長くて要約するのも困難であります。が、Tariq
Aliという人がどちらかというと左派系のジャーナリストであり、そのような人による40年ほど前のアジア情勢の回顧録を読むつもりになればとても面白いエッセイです。
ただこのエッセイの最後のパラグラフに書かれていることだけ紹介させてもらいます。日本にも関係しているので・・・。ご記憶の方も多いと思いますが、アメリカはクリントン政権のときに北朝鮮との関係改善をはかりましたよね。政権末期の2000年にオルブライト国務長官をピョンヤンに派遣して経済支援と引き換えに北朝鮮の非核化を図ろうとしたけれどうまく行かなかった。クリントン政権の次のジョージ・ブッシュ(息子)大統領はクリントンのような政策はとらず、北朝鮮を「悪の枢軸」の一部としていた。
2001年に9・11テロがあった2年後の2003年にベルリンで、イラク戦争の是非をめぐる公開討論会があってTariq Aliもパネリストとして参加したのですが、討論の相手がRuth Wedgwoodというアメリカ人で、ラムズフェルド国防長官のアドバイザーであった人だった。討論会の合間を縫ってRuth Wedgwoodと昼食をとりながらTariq Aliが「ブッシュ政権が南北朝鮮の統一には関心を示していないのは何故か」と聞いてみたところ、
You haven’t seen the glint in the eyes of the South Korean military. They’re desperate to get hold of the North’s nuclear arsenal. That’s unacceptable.
あなたは北朝鮮の核問題を、韓国軍の立場から見ることをしていませんよね。彼ら(韓国軍)はなんとしてでも北の核兵器を手に入れたいのですよ。そんなことさせるわけにいきません。 |
と語り始めた。彼女(Ruth Wedgwood)によると、
if a unified Korea becomes a nuclear power, it will be impossible to stop Japan from becoming one too and if you have China, Japan and a unified Korea as nuclear states, it shifts the relationship of forces against us.
(南北統一で)韓国が核保有国になると、日本の核保有を止めることは不可能になる。中国・日本・統一韓国のすべてが核保有国になるということはそれらが反米勢力にシフトするということでもあるということです。 |
とのことだったのですが、Tariq Aliはこの考え方が「説得力がある」(cogent)と思ったのだそうです。
▼Tariq Aliのエッセイはここをクリックすると読むことができます。 |
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3)福島原発:英国人には遠いところ
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英国の発電に占める原子力の割合は19%で、日本よりも小さいのですが世論調査機関であるIPSOS MORIが最近発表した原子力発電に関する調査によると、日本の世論とはかなり違います。まずは世論調査結果の数字から紹介します。間もなく引退する古い原子炉に代わって新しい原子炉を建設することを支持するかどうかの調査です。
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2009 |
2010 |
2011年6月 |
2011年12月 |
大いに支持 |
12% |
13% |
9% |
16% |
どちらかというと支持 |
30 |
34 |
27 |
34 |
支持でも反対でもない |
28 |
26 |
31 |
25 |
どちらかというと反対 |
12 |
12 |
18 |
12 |
大いに反対 |
7 |
7 |
11 |
8 |
分からない |
11 |
8 |
5 |
6 |
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この中の2011年6月の数字は福島の原発事故に最も近い調査で、さすがに支持が減り、反対が増えているのですが、それでも支持が36%であるのに対して反対は29%に過ぎない。それが12月になると支持が50%で反対は20%という具合です。「支持でも反対でもない」を支持(反対ではない)に入れると75%と圧倒的多数ということになる。
この結果についてIPSOS MORIは「英国民にとって日本は遠い国なのだ(the public see Japan as a long way away)」と言っているのですが、Guardianの環境記者、Damian Carringtonは「英国の原子力発電企業と政府が余りにもくっつきすぎている(Nuclear power operators work extremely close with government in the UK)」として、福島原発の事故直後に政府と企業が一体となって「原発は安全だ」という広報活動を繰り広げたことを挙げています。
事故直後の3月13日に英国の政府機関の間でやりとりされたメールがGuardianに掲載されているのですが、その一つには次のようなメッセージが書かれています。
We need to work together on this and have very strong coordinated messages.
There is a risk here that this event could impact on the global industry.
We need to ensure the anti-nuclear chaps and chapesses do not gain ground
on this. We need to occupy the territory and hold it.
この件に関して我々は共同作業で当たって、非常に強い統一したメッセージを発信する必要がある。この事故は世界中の原子力業界に影響をもたらす危険性を有している。この件について反核野郎たちが陣地を広げるようなことがないようにしなければならない。我々が領土を占領しそれを確保しておく必要がある。 |
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4)第三次日英同盟:仮想敵国は日本!?
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20世紀初頭の日英関係について知っていくと近代社会としての日本のルーツが見えてきて、それが現代の日本に繋がっているということが分かって非常に面白いですね。現在の日本では、外交といえば「日米同盟」ということになっているけれど、いまから100年前の日本外交の基本は日英同盟であったのですよね。日英同盟は1902年に締結され、1923年に失効するまでの20年間で2回改訂されているのですが、それぞれの成り行きを見て行くと、当時の世界が見えてきます。
最初の同盟(1902年・第一次日英同盟)の仮想敵国はロシアであり、カバーするのは中国と韓国における英国と日本の権益保護だった。第二次日英同盟(1905年8月)も仮想敵国がロシアである点では第一次同盟と同じですが、違うのは一方が第三国と戦争状態に入った場合、もう一方は中立を保つのではなく、同盟国を支援して軍隊を派遣する義務を負っているということだった。もう一つの大きな違いは、同盟のカバー範囲が中国・韓国における日英の権益だけでなくインドにまで拡大されたこと。インドはもちろん英国の植民地です。英国としてはロシアの南下がインドにまで及ぶことを怖れており、万一そのようなことになった場合は日本も参戦するということにしたわけです。
この第二次日英同盟調印の翌月(1905年9月)に日露講和条約が締結されて日露戦争は正式に終わります。その2年後の1907年になって英国がロシアとの間で親善関係を結ぶための協定(英露協商)を成立させ、日本もロシアとの間で第一次日露協約に調印する。つまり以前のように(日英同盟が想定していたように)ロシアが英国と日本の両国にとって「敵」ではなくなったのであり、第二次日英同盟が意図した、日本がインド防衛のために軍隊を派遣するという想定の必要性がなくなった。
それから4年後の1911年、日英同盟は再び改訂されて第三次日英同盟の時代に入るのですが、第一次・第二次日英同盟と第三次同盟の決定的な違いは、アメリカが意識されているということにあります。実は第二次同盟改定の前の2010年秋、英国はアメリカから「仲裁条約」を締結しようという提案を受けていた。仲裁条約というのは、二国間で紛争が起こった場合は戦争ではなく、仲裁裁判によってこれを処理するという約束です。英国はアメリカからの提案に大いに乗り気であったのですが、日本と結んでいる日英同盟との間で矛盾が生じてしまう。第二次日英同盟によると日英のどちららかが第三国と戦争状態に入った場合、もう一方は軍隊を派遣して加担することになっていた。つまり万一、日本がアメリカと戦争状態になった場合、英国は日本に軍事的に加担しなければならなくなり、アメリカが提案している仲裁条約とは矛盾してしまう。
日英同盟と矛盾してしまう米英仲裁条約の動きは日本にも伝わっており、英国は、日英同盟を改訂してアメリカを適用除外とするか、米英仲裁条約に日本も加わって「日英米仲裁条約」にするのか、日本側の希望を聞いてきた。それに対して日本の小村寿太郎外相は日英同盟改訂の方を選択したのですが、その理由として「国家の興廃に関することまで仲裁裁判に委ねるべきではない」ということに加えて「仲裁裁判官の多くが欧米人となり、日本は文化の相違や人種・宗教上の偏見から不利となる危険がある」ということを挙げていたのだそうです(岡崎久彦著『小村寿太郎とその時代』)。
そして第三次日英同盟には「締結国のいずれかが第三国との間で一般的な仲裁条約を有している場合、日英同盟は適用されない」(the alliance would not apply to a country that had a treaty of general arbitration with either of the contracting countries)という趣旨の文章が書きこまれたわけです。アメリカが名指しはされていないけれど、「第三国」がアメリカを指していることは明らかであり、日英同盟が適用されないということは、万一、日米間で戦争が起こったとしても英国が日本に加担する軍隊を派遣する必要はないということになった。
米英仲裁条約はアメリカ上院が批准せず、結局お流れになったのですが、外相・小村寿太郎の選択について、岡崎久彦さんが『小村寿太郎とその時代』の中で次ように言っています。
日本の仲裁条約加入は事実上の日英米同盟である。仲裁条約は米国の上院が批准しなかったので結局は成立しなかったが、調印するだけでも日本がアメリカと敵対しない強い意思表示となったであろうし、日英だけで成立すれば日英同盟の有力な補強となったろう。20世紀初頭において、日本が自主独立外交を捨てて何らかの形で米英にもたれ込んでいれば、その後の日本が安泰だったことは、自主独立外交の破滅を経験したいまとなってみれば疑問の余地はない。小村はその芽を一つ摘んだのである。 |
日英関係の研究者であるAyako Hotta-Listerという人の解説によると、第三次日英同盟はアメリカを意識したということのほか、第一次、第二次の同盟にはなかった側面として「太平洋地域における大英帝国を日本から保護する」(the third alliance turned to defence of the British Empire in the Pacific against Japan)ということがあった。1911年5月に英国自治領の代表を集めてロンドンで開かれた会議で、Grey外相が日英同盟を改訂・継続することの意義について次のように述べています。
If the alliance were to be terminated in 1915, Japan would be left with free hands without restraint and we could not control her and her fleet might array against us in the Pacific or allied with that of some other Power. These are changes that are unpleasant to contemplate and I believe that in 1914 it will still be our policy to be in alliance with Japan.
もし日英同盟が1915年をもって終了するとしたならば、日本は抑制なしのフリーハンドをもって放り出されることになり、我々のコントロールを超えてしまい、太平洋においては日本の艦隊が他の列強国と一緒になって我が国と対立することもあり得るのです。これらの変化は考えるだに不愉快なことであり、私としては、1914年においても日本との同盟関係を維持することが英国の政策であるべきだと信じております。 |
第一次・第二次同盟はロシアを仮想敵国として意識していたはずですが、第三次同盟ではこれが日本になっているともとれる言葉です。
▼岡崎久彦さんが『小村寿太郎とその時代』の中で述べている「米英にもたれ込んでいれば、その後の日本が安泰だった」ことは「疑問の余地はない」というのは、かなり思い切ったステートメントですね。岡崎さんによると、自主独立外交などせずに米英仲裁条約の仲間に入っていたら米英と戦争などしなくても済んだのに・・・ということですよね。「自主独立外交の破滅を経験したいまとなってみれば」という文章の中の「いまとなってみれば」を読むと結果論という気がしないでもない。
▼それよりも小村寿太郎の「仲裁裁判官の多くが欧米人となり、日本は文化の相違や人種・宗教上の偏見から不利となる危険がある」という言葉に欧米人中心の外交という世界の中で小村という人が持ったであろう孤立感を想像すると切ないですね。日米英仲裁条約などと言うけれど、実際にはそんな条約などなくても米英戦争などあり得ないのだから、日米英仲裁条約というのは「新参者帝国主義の日本に勝手なことをさせない条約」であると考えたりしたのではないか?というのはむささびの想像です。 |
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5)EUとは「良いお友だち」でいよう!
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The Economistのサイトにdebate(誌上討論会)というセクションがあります。一つの話題について、オピニオンリーダーのような人が賛成意見と反対意見を述べ合い、それを読みながら読者が投票したり、意見を投稿したりする。読者の意見にも応えたりしながらオピニオンリーダーが3回意見を述べたところでdebateはお終いとなり、読者からの賛成・反対の意見を集計してどちらが多いかを示す。およそ2週間をかけて行われるものです。
最近のdebateが取り上げたのが英国とEUの関係です。Britain should leave the EU(英国はEUを脱退すべきだ)という問題提起があってこれに賛成か反対かを討論するものです。オピニオンリーダーは英国選出の欧州議会(European Parliament)保守党議員のDaniel Hannanという人で、彼は英国のEU脱退に賛成という意見です。脱退反対はDouglas Alexanderという労働党議員だった。この際、 EU脱退を主張するHannanの意見を紹介してみます。
The European Union (EU) was sold to the British people as an economic proposition.
EUという機関が英国民に売り込まれたのはあくまでも経済的な提案としてであった。 |
Hannanの主張のポイントとなるステートメントです。1973年、英国がECに加盟したのはあくまでもそうした方が経済的に得だと思われたから。経済圏としてのECに魅力を感じたからだというわけですね。現在、EUからの脱退論に対する批判として常に言われるのも「人口5億人の市場から脱退するのか」ということですが、それに対する反論としてHannanはノルウェーやスイスのようにEUには加盟していなくともEU圏内の市場でビジネスをしている国もあるではないかと主張します。また1973年当時、世界のGDPに占めるEC加盟15カ国の割合は40%だったのに現在ではこれが25%にまで下落、2020年には18%にまで下がると推定されるとHannanは主張します。
One of the reasons the EU's GDP is shrinking as a proportion of world GDP is that deeper integration means less competition among the member states, which in turn means higher taxes and more regulation.
世界のGDPに占めるEUのGDPが低下している理由のひとつとして、EU統合が深化すればするほど加盟国間の競争がなくなり、その代わりに税金が上がり規則だけが増えるということがある。 |
Hannanはまた世界における英国の地位についても語っています。世界第7位の経済大国であり、第4位の軍事大国であり、第4位の輸出大国でもある。それだけではない、英国はG8の一員、国連常任理事国であり、アメリカや英連邦諸国との緊密な関係を享受している国でもある。人口700万のスイス、400万のノルウェーがEUに加盟せずに世界でも屈指の生活水準をエンジョイしている。6000万の英国にできないはずがない・・・。
Hannanは、1973年のEC加盟以来、英国がEUに対してとり続けてきた態度についても批判しています。新しいプロジェクトがあるたびにこれに反対し、拒否権行使で脅迫したあげく結局は妥協し、そしていつも不平をたれてばかりいる・・・そういう英国への批判です。そしてEU加盟諸国へのメッセージとして、次のように語ります。ちょっと長いけれどお許しを。
If you want to establish a deeper union among yourselves, do it with our goodwill and our blessing. You will always be able to rely on us as friends, as trading partners, as supporters in international forums and as military allies. We simply wish to recover control of our domestic affairs. We apologise for the misunderstandings of the past 40 years, and look forward to a much improved relationship. You will lose a bad tenant and gain a good neighbour.
あなた方(英国以外のEU加盟国)がお互いにこれまで以上に深い繋がりを築きたいというのであれば、どうぞそうなさってください。我々はいつも皆様への善意と祝福の気持ちを持っているのです。我々は常に皆様方の友人として、貿易パートナーとして、国際社会では助け合う存在として、そして軍事的な同盟国として皆様方の頼りになる存在であり続けるでしょう。我々は自分たちの国内問題は自分たちでコントロールすることを取り戻したいのです。それだけのことなのです。過去40年間におよぶお互いの誤解について謝罪をしたうえで、これからはより良い関係を維持させてもらいたいと思っております。皆様はダメな同居人を失う代わりに良い隣人を手に入れることになるのです。 |
この討論会は、読者投票の結果57対43で英国のEU脱退反対という意見が勝ったのですが、この場合の「読者」は英国人に限りません。英国人以外のヨーロッパ人もいるし英国人でもヨーロッパ人でもないという人もいたわけで、英国人もしくは英国人も含めたヨーロッパ人に限ったらどうなっていたのか・・・。
Daniel Hannanが言っているのは、英国とEUはいやいや一緒に暮らすより、離れて暮らすことで友人同士でいましょうってことなのですよね。協議離婚。しかし英国はいまさらEUから離れてどうしようというのか?と疑問を呈するのが脱退反対のDouglas Alexanderで、その理由の一つとして英国が国際社会で大きな影響力を発揮するうえで欠かすことができないアメリカとの関係が変化せざるを得ないということを挙げています。それはアメリカの眼がこれからは大西洋(ヨーロッパ)ではなく太平洋(アジア)に向けられていくということであり、その中では英国の存在はますます「関係ない」(irrelevant)存在になっていくということです。
▼Hannanは、英国がG8の一員であり、国連の安保常任理事国であることを国際的なステイタスの例として挙げているけれど、G8はいまやG20にとって代わられているし、国連の組織も時代遅れが指摘されて久しい。 英連邦との絆というけれど、例えばオーストラリアの対英輸出は約83億豪ドルなのに対して対日輸出は470億豪ドル、中国は650豪ドル。輸出先のトップ3は中国・日本・韓国です。ニュージーランド、カナダ、南アのような英連邦諸国が英国との付き合いをそれほど重要視しているのか?
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6)どうでも英和辞書
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national anthem:国歌
英国ヨーク大学とロンドン大学の音楽理論の研究家(musicologist)が英国を含む6カ国とウェールズ、スコットランドの国歌を比較、沢山の人が一斉に歌うためにどれが最も歌いやすいかということを比較検討したことがある。歌いやすさ、歌詞の長さなどなど音楽にまつわる様々な要素を検討するとともに、北イングランドにあるパブやクラブに企画を持ち込み、それぞれの国歌を演奏してもらい、どのくらいの客が唱和に加わるかを比較したのだそうです。スコットランドとウェールズの歌はいわゆる「国歌」ではないのですが、それに準ずるものとして加えたのだとか。
で、皆で歌って乗れる国歌の順位は次のとおりです。
フランスのラ・マルセイユは確かに乗れるかもしれないな。ドイツのは讃美歌にある?英国の国歌が下位に位置しているのは、歌いにくいからではなくて、イングランドのパブなどで歌わせたから、しらけてしまったのでは?!日本人だってカラオケで「君が代」はやらないもんな。
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7)むささびの鳴き声
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▼原発事故で設置された「原子力災害対策本部」が議事録を作っていなかったことについて、ジャーナリストの田中良紹さんが『愚者の楽園』というエッセイで怒っています。
(このことは)国家としてあるまじき行為、民主主義の根幹が否定された話である。ところがメディアは騒がない。日本は極めて静かである。本質的な問題を直視しようとしない国は「愚者の楽園」と言うしかない。 |
▼前々回のむささびジャーナルで英国政府の閣議の議事録をめぐる官房長官のインタビューを紹介しましたが、英国の官房長官は政治家ではなくお役人であり、閣議の議事録をとるのは彼の責任です。「原子力災害対策本部」が議事録を取っていなかったというのは確かにひどいハナシです。が、ちょっと不思議な気がするのは、「年金記録不備問題をきっかけに、ずさんな公的文書管理に歯止めをかけようと二〇一一年四月に公文書管理法が施行された」(東京新聞・1月28日)ということです。ここでいう公文書管理法というのが『公文書等の管理に関する法律』なのだとすると、3年前の平成21年に出来ているのですね。しかも施行は昨年の4月、大震災の後のこと。
▼そんなに最近までそのような法律がなかったのですか?本当に不思議だと思いません?ひょっとして私の誤解なのかも?と不安になってネットを当たってみたら、あなたは「公文書管理法」を知っていますか?という資料に出会いました。それによると、私の誤解ではないようです。書いたのは一橋大学大学院社会学研究科博士課程の瀬畑源さんという方で、2009年9月25日に掲載されています。瀬畑さんの解説の中には次のような記述があります。
(この公文書管理法は)福田康夫元首相が強力にリーダーシップを取って進めた政策である。ただ、法律ができる前に政権を投げ出してしまったため、官僚に骨抜きの法案を作られる羽目になったが、重要法案と認識していた民主党が巻き返して、現状では十分な内容の法律になった。 |
▼東京新聞の記事は”政府内には「菅政権が官僚を信用せず、重要な会議で大半の官僚を追い出していたこともあって議事録がない」という説もある”とも書いてある。これも私には不思議なんです。この部分は極めて重大なことなのに「という説もある」などと書かれている。
▼「大半の官僚を追い出していた」というのは事実なのかどうか是非書いてほしい。もしそれが事実だとすると、追い出された官僚がいるわけですよね。本来なら議事録をとることになっていた官僚が、です。その官僚たちはただ黙って追い出されるままにしていたってことですか?だとしたら子供みたいですよね。それとも東京新聞の「という説もある」というのはただのウワサ話ってことですか?
▼東京新聞の「政府内には・・・という説もある」というのは、書いた記者が官僚から聞いた話なのではないか?この記者は「官僚を追い出していた」とされる菅政権の当事者に取材をしたのでしょうか?いわゆる「政界」のことなどには全くの素人である私の先入観によると、議事録作成をサボタージュした(わざとすっぽかした)官僚が「会議から追い出された」と言い張っているだけなのではないかということです。これ、私のアマチュア的偏見であり、お笑い草ですよね?ね?
▼全然関係ありませんが、本日(1月29日)は「人口調査記念日」なのだそうですね。NHKのラジオが言っていました。明治5年(1872年)のこの日、明治維新後最初の人口調査が行われ、戸籍が編纂されたのだとか。当時の日本の人口は3480万6000人であったそうです。
▼風が強いです。今回もお付き合いをいただきありがとうございました。
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