1)パール・バックが伝えた「津波と日本人」
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NHKラジオの第2放送を聴いていたらパール・バックの『つなみ』という小説の朗読をやっていました。この短編小説(私は読んだことがなかった)はThe
Big Waveという原題で、書かれたのは1947年。ネット情報によると、バックは夫とともに中国の南京大学で英文学を教えていたのですが、1927年、中国国内で共産主義勢力とナショナリスト勢力の内戦が激しくなり、一時的に日本(長崎県・雲仙)に避難していた。その際に実際に見た津波をテーマにして書いた児童文学がThe
Big Waveだったのだそうです。
ストーリーは海に面した山の斜面で段々畑を耕す農家の息子キノと、浜辺に住む漁師の息子ジヤが主人公。浜辺の村は津波の危険にさらされ、陸の暮らしも、いつ噴火するとも知れぬ火山を見ながら暮らしている・・・ある夏、海底火山の噴火による津波が村を襲い、浜辺の集落は跡形もなく流されてしまいジヤは孤児になるのですが、農業を営むキノの両親がジヤを自分たちの子供として育てる。この物語の中で、農家の息子キノが彼の父親に向かって「火山と海に挟まれて、地震や津波に襲われる、こんな島に暮らすオレたちは運が悪いということ?」と尋ねる場面があります。それに対して父親は
To live in the midst of danger is to know how good life is. To live in the presence of death makes us brave and strong. |
と答える。「危険の真っただ中でで生きているからこそ生きることがいかに素晴らしいものかが分かるし、死と隣り合わせに生きているから勇敢で強くもなれる」という意味ですね。この本の表紙には葛飾北斎、安藤広重の絵が使われていますが、パール・バックは序文の中で
If you look long enough and deeply into the pictures while you read the story, you will know how it seems to be in Japan, and you will understand Kino and Jiya and when you understand them, you will like them.
この物語を読みながら、これらの絵画をじーっと見ていると、日本で暮らすということがどういうことなのかが分かるはずであるし、キノやジヤのことが理解できるようになる。そして理解できれば彼らを好きになるだろう。 |
と書いています。昨年の東日本大震災から一週間後の3月17日、日本の災害のニュースに接したあるアメリカ人が子供のころに読んだパール・バックのThe
Big Waveという物語を思い出しながら、自分のブログで次のように語っています。
In the telling of the story, the reader learns about bravery and grief and desperation, while also growing to know how good life is. It tells about the spirit of a people, much like what is happening right now in Japan, but a spirit that also lives in Christchurch, New Zealand, and in the Gulf Coast states, in Louisiana and Mississippi.
この物語によって、読者は勇気・悲しみ・絶望について知ることになるが、人生というものがいかにいいものであるかを学ぶようにもなるだろう。この物語は、ある人々の精神について語っている。それはいま現在日本で発揮されているのと非常に似ているものであると同時にニュージーランドのクライストチャーチやメキシコ湾沿いの州やルイジアナ、ミシシッピでも生きている精神でもある。 |
ここで言う「メキシコ湾沿いの州やルイジアナ、ミシシッピ」というのは、ハリケーン・カテリーナに襲われたり、BPの石油漏れ事故で大きな損害を受けた地方のことですね。
The Big Waveに話を戻すと、孤児だったジヤは大人になってキノの妹と結婚、再び浜辺の漁村へ下りて行き、津波前には自分の家が建っていた場所に家を建てて漁師として暮らすというところで終わっています。
No one knows who makes evil storms ... We only know that they come. When they come we must live through them as bravely as we can, and after they are gone, we must feel again how wonderful is life. Every day of life is more valuable now than it was before the storm.
津波を起こすのが誰のせいなのか、誰にも分からない。自分たちにわかるのは津波が来るということだけ。来たときには勇気をもって生き延びなければならないし、去ったあとには人生がいかに素晴らしいものであるかということを感じなければならない。生きていることが、津波の前よりも価値あるものとなるのだ。 |
というのが農民の父親の言葉でありパール・バックのメッセージであるようです。
▼The Big Waveは1948年度の優秀児童書(1948 Children’s Book Award)として表彰されている名作です。『大地』がピューリッツァ賞を受けており、パール・バックは1938年のノーベル文学賞を受けているのですね。代表作ともいえる『大地』は、私の子供のころには読書の定番だった。やたらと分厚い本で、読んで感激したことだけは漠然と憶えているけれど、中身は全く憶えていない。
▼NHKラジオでThe Big Waveの朗読を聴きながら、これからの日本が国際的な貢献ができるとすると、自然との付き合い方における生活態度とか人生観のようなものかもしれないと思ったりしたわけです。これからも世界中で自然災害が起こり、そのたびに被災者が出るわけですが、その人たちが「日本人なら我々の苦しさを分かってくれるだろう」と思ってもらえるような国になるということです。このような考え方は情緒的(emotional)に過ぎるのでしょうか?
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2)大卒が中卒・高卒の職場を奪っている
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3月10日付のThe Economistが英国における若年層の失業問題に関連して、大学まで出ているのにそれなりの職場にありつけない若者たちの状況とそれに影響を受ける低学歴者の困難について伝えています。
英国では過去6年間、大卒の3人に一人が中・高卒程度の技能でもできる仕事に就いているのですが、10年前には4人に一人だったことを思うと大卒なりの職に就けない人が増えているということになる。また大卒の失業率は16才の失業率と変わらないというわけで、かつてのように「大学を出ればいい職にありつけるので、学費を使う意味がある」という時代ではなくなっているということです。
このような傾向は必ずしも不況だけが理由ではない(This is not all a consequence of the recession)とのことで、新大卒者が低技能の職に就くことは経済状況が悪くなる前から起こっていたのであり、最近の不況でそれが余計に目立つようになっただけなのだそうです。一つには大卒者の数そのものが増えているということがある。2001年から2011年までの10年間で5割も増えているのだそうです。The
Economistによると、高技能の職も成長してはいるが、職業紹介所などで斡旋される職場はハンバーガショップのような低技能職の方が職場は多い。
というわけで、大学卒業者にとっては厳しい就職状況なのですが、実はそれ以上に厳しいのが中卒・高卒者の状況です。大卒の場合、卒後2年経っても職にありつけない人の割合は9%に過ぎないけれど、中卒・高卒者の場合は27%ではるかに高い。しかも低技能職であるとしても給料は大卒者の方が高いのだそうです。
英国ではここ十数年間、大学まで進む若者の数が増えており、そのことによっていい職に就ける若者が増えていることは事実なのですが、いまのような経済状況では大卒者が中卒・高卒者の就職の機会を奪っているということさえいえる。かつては低学歴・低技能の人たちの職を奪うのは、老人と移民とされていたのに、です。そのことは意図的な結果ではないけれど、重大な問題だ(It is an unintended consequence, but an important one)とThe Economistは言っています。
▼NHKのニュースによると、日本では、一昨年の春に大学や高校を卒業した人のうち就職できなかったり早期に辞めたりした人が大卒で2人に1人(52%)、高卒者になると3人に2人(68%)に上る。これらのパーセンテージの中で「早期に辞める」人の割合がどのくらいなのか分からないのですが、かなりの数の若者が就職した職場に幻滅して辞めていく。幻滅の中には、あまりの重労働についていけなかったという人もいるのですね。 |
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3)老後は大聖堂のある町で暮らしたい!
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3月17日付のThe Economistに出ていた記事によると、英国における定年退職者の生活が昔(1970年代)とはかなり違ってきており、その一つがリタイヤ後にどのような場所で暮らすのかということです。昔は定年後の理想といえば「海辺の町」で暮らすことだったのだそうですが、最近の傾向としては明らかに内陸部に向かう傾向が強いらしい。
昔の人気スポットと言えば、DorsetにあるBournemouth、DevonのSalcombe、SuffolkのSouthwoldなどで、どれも海辺の町だったのですが、最近ではこれらの町における定年退職者の数は減少傾向にある。
イングランド第2の都市、バーミンガムから北へ30キロほど行ったところにあるLichfieldという町は最近の退職者の人気スポットの一つだそうで、この10年間、65歳以上の町民の数が14,500から19,600にまで増えている。町全体の人口も2001年に約2万8000であったのが今では3万1000人となっており、増加した人口の9割が65才以上の老人で占められている。
ではなぜ定年退職者が海辺から内陸部へ向かっているのか?一つにはロンドンのお金持ちが海辺にセカンドハウスを買う傾向があり、お陰で海辺の土地や住宅の価格が上がってしまって普通の定年退職者には「高嶺の花」のようになってしまったということがある。
しかしThe Economistによると内陸の町が好まれる理由として一番大きいのが「ナイスであること」(niceness)という概念なのだそうです。「ナイス」にもいろいろあるので一言では説明ができないのですが、大聖堂があって、静かで、きちんと整備されていて・・・ときて、学生がうろうろしていたりしないなどということも挙げられている。それと最近のリタイヤ族は外国旅行などもしていろいろ見てきている。英国の海辺の町は外国のそれに比べると落ちぶれ観が漂っている(decrepit)のだそうであります。
Lichfieldは定年退職者に「ナイスなところ」と思われるのは悪くないけれど、人口の高齢化に伴ってソーシャルワーカーを増やしたり、警察や消防に対しても「弱者保護」を徹底するように指示しているし、退職者向け住宅も増やしている。お年寄りの場合、ちょっと若い者が騒いだ程度で「反社会的行為」であると警察に訴えたりするので、お役所も結構忙しくなっているらしい。
Lichfieldの市長によると、この町の政治は「生活の質」(quality of life)向上のための小さな「変革」(changes)をめぐることが多いのだそうで、最近では深夜まで飲んで騒ぐクラブの付近にタクシー乗り場を設置して、客が街路で騒ぐ前に自宅へ帰らせることにしたり、持ち帰りの食べ物ショップの営業時間を短縮させたり・・・というようなことが多い。
Lichfieldで暮らす79才のご婦人はこの町について「散歩にもいいし、大聖堂でいい音楽は聴けるし」(A lovely place to walk, with good music in the cathedral)と絶賛、「海辺も悪くないけど、寂しくなるんじゃないの」(You could be by the seaside, and lonely)とのことであります。
The greatest and most subtle challenge for a place like Lichfield is the preservation of niceness.
Lichfieldのような町にとって、目には見えないけれど最大ともいえる課題は「ナイス」を保持し続けることである。
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とThe Economistは言っています。
▼この記事の見出しはGod’s new waiting rooms(神様の新しい待合室)です。お年寄りのために神様が用意している待合室というわけです。Lichfieldの場合、人口の98.10%が白人、79%がクリスチャン、24.30%が大学卒というわけで、いずれもイングランドの平均を上回っています。私自身、Lichfieldには行ったことがないけれど、似たような町はあちこちにありますよね。nicenessの条件の一つとして大聖堂が存在することが挙げられているのを見ると、改めて英国がキリスト教の国であるという当たり前のことに気づかされますね。
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4)「福島をチェルノブイリと比べるな」
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科学雑誌、New ScientistにDon't compare Fukushima to Chernobyl(福島をチェルノブイリと比べるな)という見出しのエッセイが出ています。書いたのはDon
Higsonという人で、Australasian Radiation Protection Society(オーストラリア放射能防護協会)の会員であり、Australian
Nuclear Association (オーストラリア原子力協会)の副会長をつとめ、International Nuclear Energy
Academy(核エネルギー学会)の会員でもある。
It's time to revise the way nuclear incidents are rated. Failure to do so plays into the hands of anti-nuclear propagandists.
原発事故の評価尺度を見直すときが来ている。それをやらないと反原発プロパガンダにやられてしまう。 |
というのがこのエッセイのイントロです。筆者は福島の事故のお陰で原子力に対する否定的な意見が広がっていることについて危機意識を抱いているらしい。
このエッセイは「これからの40年で日本においてがんにかかる人は、自分の不運を福島第一原発からの放射能のせいにするだろう」(Everybody who gets cancer in Japan over the next 40 years will no doubt blame their misfortune on radiation from Fukushima Daiichi)という書き出しになっています。そのような見方は「理解はできるが科学的根拠がない」(entirely understandable but will have no basis in science)としています。
昨年(2011年)4月12日に日本の原子力安全・保安院が国際原子力事象評価尺度(International Nuclear and Radiological Event Scale:INES)をそれまでの5から7に引き上げると発表したのですが、そのことによってあたかも福島の事故がチェルノブイリと同じ程度に深刻(as bad as Chernobyl)という間違った印象を与えてしまったけれど、
despite the fact that there is no possibility that the physical health consequences of Fukushima Daiichi will be anywhere near as bad as
those of Chernobyl.
しかしながら実際には、福島第一原発の事故の結果として起こる肉体的な健康被害はチェルノブイリにおけるものとは比較にならないようなものであろう。 |
というのがこの人の意見です。
Don Higsonによると、ソ連以外の原子炉では絶対に必要とされた原子炉格納容器(containment)がチェルノブイリの原子炉にはなく、その原子炉内部でメルトダウンが起こってしまった「起こり得る最悪の事故」(the worst that could happen)であったのであり、さまざまな数字がそれを物語っている(the figures tell a story)としています。
例えばチェルノブイリの場合、放射能関連の疾患にかかっているかもしれないという理由で病院に連れてこれらた原発作業員は237人、うち134人が罹っていることが確認され、28人が致命傷、約20名の作業員が放射能被ばくが引き起こしたと思われる病気で死亡している。また2人は別の原因で死亡、一人だけ行方知らずで死亡したのではないかとされている。
これらに加えてチェルノブイリでは放射能が原因とみられるガンによる死亡者の数(将来のものも含めて)は約4000人と推定されている。これには原発内で直接被ばくした作業員と原子炉から出た大量の放射能にさらされたとされる住民が含まれている。チェルノブイリではこれまでに子供による放射性ヨウ素の吸引・摂取が原因とされる甲状腺がんは4000例が報告されている。
では福島はどうだったのか?Higgsによると、高レベルの放射能の存在が故の重大な危険性(Severe potential hazards)が原子炉の敷地内に存在したことは間違いないが、健康管理は概ね効果的(mainly effective)だった。また放射能を原因とする死者も出ていない。作業員二人がベータ放射能によるやけどで入院したが二日後には退院している。ただ放射性ヨウ素131を吸引したことによる内部被ばくが甲状腺がんを引き起こす危険性がある作業員が二人いることは事実だとしています。
またこれとは別に100名程度の作業員が、20年後もしくはその後でがんにかかるかもしれないような量の放射能を体内に取り入れているが、そのがんの発症率は非常に小さい。放射能に晒されようが晒されまいが、日本におけるがんの死亡率は約25%とされており、福島の事故が理由でがん増えると言っても増加率は1~2%であり、それは放射能に直接晒された作業員の話であって付近の住民の話ではない。さらに重要なことは福島では子供や住民に放射能によるケガが起こっていないということだ、とHiggsは言っている。
Higgsは福島の事故をチェルノブイリと同じとしたINES(国際原子力事象評価尺度)という尺度の在り方に問題があるとしており、福島の事故で放出された放射性ヨウ素131の量はチェルノブイリの10%以下であり、セシウム137の放出量は15%以下であるにもかかわらず、二つの事故が同じレベルとされるのはおかしいというわけです。
そもそもINESは、普通の人々が原子力の安全性を理解するための道具の一つであるにもかかわらず、福島ではそれが、より大きな混乱を生み、日本人に心理的な苦痛を与えるものになってしまったわけで、IAEAはINESそのものを破棄するか、そうでなければ改良(modify)するべきであるとHiggsは主張しています。改良点としては、例えば「レベル7」に対して、さらに詳細にレベル分けした「サブレベル」を作るということが考えられると言っています。
But perhaps a better option might be to start again. A scale based on health effects would mean a lot more to non-specialists than the technical and scientific terminology that is used at present.
しかしながら一番いいのは最初から作り直すことであろう。すなわち尺度を「健康に与える影響」を目安にするということである。その方が現在使われているような技術的・科学的な専門用語の尺度よりも専門家以外の人々にとっては大きな意味を持つからである。 |
というわけです。
▼New Scientistのサイトに出ていたエッセイ(非常に短い)はここをクリックすると読むことができます。福島の事故が発生した当初は「大丈夫です」という原子力関係の先生方がテレビにでずっぱりであったけれど、最近は全く見なくなりましたね。それに代わって登場したのが反原発派の方々だった。私自身は原発など廃止した方がいいと思っているけれど、Don Higsonのような意見を持っている人はもっと発言の機会を与えられるべきだと思います。メディアの側が世論の「空気を読む」ことをしているのでしょう。 |
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5)民間事故調報告書:菅さんのマネジメント・スタイル
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前回に続いて福島原発事故に関する民間事故調による報告書の中身について。今回は事故対応に当たった人々と菅さんの「マネジメント・スタイル」についてです。当たり前ですが、たくさんの人が原発事故に対応しており、菅さんはそのトップにあって彼らを束ねる(マネージ)する立場にあった。この点に関する報告書の菅さん評は
判断の難しい局面で、菅首相の行動力と決断力が頼りになったと評価する関係者もいる一方、菅首相の個性が政府全体の危機対応の観点からは混乱や摩擦の原因ともなったとの見方もある。 |
となっています。例えば震災当日(3月11日)の夜、福島原発のための代替バッテリーが必要であるとわかると
自分の携帯を取出し、「必要なバッテリーの大きさは?縦横何m?重さは?ということはヘリコプターで運べるのか?」などと電話で担当者に質問し、居並ぶ秘書官らを前に自身で熱心にメモを取っていた。こうした状況に、同席者の一人は「首相がそんな細かいことを聞くというのは、国としてどうなのかとぞっとした」と述べている。 |
と報告書は言っています。菅さんが然るべき「権限移譲」をせずに、何でもかんでも自分でやったりくちばしを挟んだりしたので周囲の人々が非常にやりにくい思いをしており、そのことが初期対応のごたごたに繋がった部分もあると(報告書は)言っているように見える。
▼ここで触れられている「同席者」の「ぞっとした」発言ですが、報告書では名前が出ていないけれど、この発言をしたのは、内閣審議官の下村健一という人のようです。彼は自分のツイッターで、この証言をしたのは自分であるけれど「意味が違って報じられている」と文句を言っています。彼のツイッターをコピーさせてもらうと・・・
★私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。
★実際、「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目を逸らす首脳陣。「判らないなら調べて」と指示されても、「はい・・・」と返事するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した。 |
▼報告書を読むと、「菅さんの過剰介入にぞっとした」と言っているとしか解釈できないのですが、彼が信じられない思いであったのは茫然としているだけの「技術系トップ」に対してであります。下村さんのツイッターの住所はhttp://twitter.com/#!/ken1shimomuraです。
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報告書はまた関係者が困惑した問題として菅さんの「強い個性」があったと言っています。「自分の意見を強く主張する」個性です。原子力安全委員会の斑目委員長と一緒にヘリコプターで福島原発へ行ったときにヘリの中で委員長が自分なりに現状説明しようとしたら「俺は基本的なことは分かっている。俺の質問にだけ答えろ」と一喝されたという話は有名ですよね。報告書の中で斑目委員長は「菅首相の前で大きな声で元気よく言える人は相当の心臓の持ち主」であると言っています。
そのような菅さんを前にすると、
官邸中枢チームの政務メンバーの中でも本心では菅首相の判断に異論がありつつも強く反対することを躊躇していた様子もうかがえる。 |
と報告書は言っている。尤も細野補佐官(当時)などは「私は、菅首相から叱責されたときは倍くらいの声で言い返す。それは全然問題ない」として、遠慮や萎縮などの影響はなかったと証言している。というわけで、報告書は菅さんの「強い個性」については
トップリーダーである菅首相の強い自己主張は、危機対応において物事を決断し実行するための効果という正の面、関係者を萎縮させるなど心理的抑制効果という負の面の両方の影響があったと言える。 |
と結論付けている。
▼ほとんど毒にも薬にもならない「結論」であるわけですが、はっきりしているのは菅さんが「空気を読む」というタイプの人間ではなかったということです。だからみんなに嫌がられた。 |
報告書はさらに菅さんが霞ヶ関の官僚を信用せず自分が個人的に集めた専門家を内閣官房参与として登用し、彼らのアドバイスの方を重視していたと言っています。情報についても霞ヶ関や東電ルートで上がってくるものよりも自分の個人アドバイザーから来る情報の方を信用していたふしがあるとのことです。
▼官僚よりも個人アドバイザーを信用したのは菅さんだけではない。英国のサッチャー、ブレアも同じことだった。英国の場合、内閣にPolicy Unitという政策アドバイザーの集まりのようなグループがあって、これがWhitehall(英国版の霞ヶ関))の官僚よりも重視されたりして問題になったことがあります。菅さんが鳩山内閣でヘッドを務めた「国家戦略担当室」がまさにこれにあたる(と当時の菅さんは言っていた)。ただこの部分は、上述した下村審議官が目にした(と言っている)「技術系トップ」たちの茫然自失状態と一緒に考える必要がある。 |
昨年(2011年)6月初めのむささびジャーナル216号で、当時の菅首相に対して自民党が提出した内閣不信任案のことを話題にしています。不信任案の趣旨説明の中で自民党の大島理森という議員は、菅さんの原発事故への対応について次のように述べています。
行政職を信用せず、口を挟ませないことが政治主導である、そんな間違った思い込みにとらわれたあなたが、行政や現場の専門家の助言に耳を傾けず、緊急時に外部の専門家に意見を求め、根拠もなく、それを信奉し、決められていた手順、マニュアルを無視し、自分の判断を押し付け、気に入らないことがあると、ただわめき散らし、あまつさえ非常事態の中にパフォーマンス。周りが止めるのも聞かずに強行したヘリによる原発の視察、それによるベントの遅れも、海水注入をめぐる混乱も、すべてはあなたに大きな原因があるのです。 |
まさに民間事故調のいわゆる菅さんのやり方の「負の面」を取り上げて糾弾しているわけです。ただ大島さんは、菅さんが「マニュアルを無視し、自分の判断を押し付けた」と言っているけれど、民間事故調の報告書は、事故発生から4日間も「菅首相に対して原子力災害時のマニュアルや関連法制の基本設計について事務的な説明は一度も行われなかった」と指摘している。
おそらく大島さんに言わせると、そのような説明がなかったのも「行政職を信用しない」菅さんの人格のせいだということになるのでしょう。しかし事故調の報告書によると、あとになって菅さんらが見せられたマニュアルは「"想定外”を放置したままの穴だらけの原子力災害マニュアル」であった。要するに使いものにならない代物であり、報告書は
このようなマニュアルを放置してきた歴代政権の政治的責任も問われなければならない。 |
と批判している。使いものにならないマニュアルを目にした菅さんは「事故にセオリーはない」と割り切って事態に対応した。すなわち大島さんのいわゆる「決められていた手順、マニュアルを無視し、自分の判断を押し付け」ざるを得なかったのであり、そのことについてこの報告書は「致し方なかったところもある」と言っています。
▼上に挙げた自民党の大島さんによる不信任案の最後の部分にある「すべてはあなたに大きな原因がある」という言葉に、あのころ「菅おろし」に明け暮れていた政治の世界(政治メディアも含む)の退廃を見る思いです。ものごとを菅さん個人の資質の問題として語ろうとしている。「菅さえ辞めれば事態は良くなる」という思考方法です。下村審議官のツイッターは「総理を取り替えれば済む話、では全く無い」と言っている。どう考えてもこちらの方がまともです。
▼菅政権の内閣官房参与であり、福島第一原発事故対策や原子力政策のアドバイザーだった田坂広志・多摩大学大学院教授が昨年10月に日本記者クラブで行った記者会見は非常に面白いのでご覧になることをおすすめします。ここをクリックすると見ることができます。 |
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6)美耶子のK9研究:イヌとオオカミの差
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前回、イヌの学名がCanis lupus familiarisであり、それはCanis lupusという「種」(species)から派生したものであると言いました。そしてCanis
lupusにはイヌだけでなく灰色オオカミも入っているということも。イヌとオオカミは同じ種に属しているのですが、類似点と相違点がいくつかあります。まず類似点を挙げると;
1)捕食動物であり、Scavenger(腐肉を食する動物)であり、肉食動物であり、鋭い歯と強いあごを有する。
2)社会性のある種(Social species)であり、単独ではなく群れのなかで暮らす。
3)染色体が39対あるという遺伝学的な同一性がある。
4)出産や後産(あとざん=afterbirth)への対応が同じである。 |
などがあります。相違点はたくさんあるのでいくつか限定して挙げてみると;
1) |
イヌは大人になっても幼児期の特性が残る。例えばイヌはいくつになってもクンクン鼻を鳴らして注意を惹くとか、顔をなめるなどの行為をする。しかしオオカミにはこの習性がない。 |
2) |
イヌの発情期はBasenjiという犬種を除いて年に2回が通常であるが、オオカミは年に1回のみであり、且つ最初の発情時期にも違いがあり、イヌは通常生後6か月から8か月目であるが、オオカミは2歳になって初めて最初の発情期を迎える。 |
3) |
イヌは他のペットや小動物を殺したりせずに共に生きることが可能だが、オオカミは強力な捕食本能を持っているのでそれは難しい。 |
4) |
両方とも群れで暮らすが、繁殖活動がまるで違う。オオカミの社会では、群れの中の親玉の雄と雌(アルファ・ペアという)だけが繁殖活動を行い、群れの構造はアルファ・ペアによって完全に支配された縦社会である。イヌも群れで暮らしはするが、オオカミほど厳重な縦社会ではなく、アルファ・ペアのようなものも存在せず、決まった相手とだけペアになるとは限らない。つまり厳密な一雌一雄制(monogamous)ではない。イヌはオオカミのように支配と服従で群れを形成しているのではなく、集団の中でそれなりの「社会性」を保ちながら生きているが、たまには群れの中で喧嘩をすることがある。しかしオオカミの場合、異なる群れ同士の争いはあるけれど、同じ群れの中では喧嘩は殆ど起こらない。 |
では元はと言えば同じ種に属するイヌとオオカミを交配することは可能なのか?ということについて、私の教科書は「今のところイヌとオオカミとは十分に似た種であるので、二者の間で交配をすることは可能であるけれど、今後このままそれぞれの変化と進化が続いて行けば、おそらくイヌとオオカミは全く別の「種(species)」としての形を作って行くことになるであろう」と言っています。
DNAの研究によるとイヌがオオカミから分かれてイヌとなったのは約10万年前とされています。人類の祖先と目される「動物」が地球上に現れたのが600万年~500万年前とされているのだから、イヌの歴史は人間に比べれば短いということができます。オオカミの中のある種族のものが、人間によって飼いならされ、家畜化(domestication)
されたのがイヌであるとされており、イヌという存在は人間が作り出したものであるということもできます。
人間がオオカミを手なずけてイヌにしたのには理由があります。自分たちの生存のためにイヌの力が必要であったということです。10万年も経過する中で実にさまざまな種類のイヌが人間によって生み出され、中にはペットとして「可愛がられる」存在も出てきたわけですが、もとはと言えば、オオカミが人間にはない能力を持っていることに眼を付けた人間が飼いならして自分たちの仲間に引き入れたのがイヌであるということです。
このことは現在でも「仕事犬」(working dogs)と呼ばれる種類のイヌと人間の関係に見ることができます。狩人のアシスタントである猟犬、羊の番をする牧羊犬、麻薬を嗅ぎ出す探知犬、障害者を助ける盲導犬や聴導犬などがそれにあたるのですが、中には病人や高齢者と一緒にいることで、人間を孤独から救うセラピー犬というのもいる。イヌが盲導犬として使われ始めたのは1000年も前のことです。イヌには人間から見ると驚異的な聴覚、嗅覚、脚力、集中力、忍耐力などがあるわけですが、それだけではworking dogsにはならない。人間によって訓練されることが必要です。オオカミとイヌの大きな違いの一つに「訓練が可能」(trainability)の有無がある。オオカミにはこれがないのです。
そうしたworking dogsの典型が聴導犬(hearing dogs)です。日本の聴導犬普及協会のホームページによると、聴導犬になるイヌは大体において生後2か月から4か月の間のころに動物愛護センターなどの行政収容施設や動物愛護団体などからもらってくる。いわゆる「血統書付き」というようなイヌではなくて雑種が多い。英国ではこういうワンちゃんをRescue
dog(レスキュードッグ)というのですが、この言葉を初めて聞いた時はてっきりもともと救助犬として働いていたワンちゃんのことかと勘違いしてしまいました。そうではなくむしろ逆で、本人(?)が救助または保護された方の立場のワンちゃんのことなのです。
聴導犬候補に向いているイヌの条件として「人間が好きであること」「人間のそばにいることが好きであること」「怖がりでないこと」などが挙げられています。いずれも訓練でどうにかなるというものではなく個々のイヌが生まれつき持っている性格に関係しています。ただこれらはいずれも聴導犬の訓練を受ける「候補者」としての性格であり、これらを備えたイヌの中から訓練生が選ばれるのだそうで、訓練を経て実際に聴導犬として活躍するまでにはかなりの狭き門をくぐることになるのです。余談になりますが、仕事中の主人に電話をかけることを大してためらわない私なのですが、仕事中の聴導犬に話しかけたり、気を散らすような行動は絶対に出来ません!
上の写真は英国にある聴導犬養成のためのチャリティ団体を訪問したキャメロン首相が訓練中の聴導犬候補者を抱いているところです。ご覧のとおり、首相に抱かれたイヌは嫌な顔や緊張した様子を見せていません。「抱っこされた時にも、人を信頼し全体重を預ける、そんな犬が、聴導犬として人との信頼関係を築いていけるのです」と聴導犬普及協会は言っています。聴導犬こそは、祖先であるオオカミから最も遠い存在なのかもしれません。 |
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7)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら |
well...:そうねぇ...
一期限りで国務長官を辞めることを発表したヒラリー・クリントンがThe Ecocnomistのコラムニスト(Lexington)と単独インタビューをしており、それが3月22日付のサイトに掲載されています。とてつもなく長いインタビューで、実にいろいろなことを語っているのですが、あちらのインタビュー記事にしては珍しく一問一答形式になっている。インタビューの最後の部分は次にようになっています。
MRS CLINTON: I have relished the opportunity to be out there representing this president
and this country at this point in history.(歴史上のこの時点で、この大統領とこの国を代表して仕事をする機会に恵まれて十分に堪能しましたよ)
LEXINGTON: There will be a next, I presume?(でもまた戻ってくるのですよね?)
MRS CLINTON: I have no idea. I have no idea. Well...(分からないわ、分からない。そうねえ・・・) |
というわけで、超の字がつくような長い会話の最後の最後が"Well..."だった。話しているのを聴いている場合、このWell...は全く気にならないのですが、このように文字になると妙に目立つわけです。「そうねぇ...」は私が勝手につけた翻訳です。これだと「そうねえ・・・オバマさんのあとは私ってこともあり得るわよね」となる。「さて・・・」だってwell...の訳としてはあり得る。その場合は「さて、そろそろ行かなきゃ」というような意味かもしれない。
ただ、「分からないわ」を2回繰り返しておいてWell...とくれば、私の解釈しかないですよね。つまりオバマ後の大統領はこの人で決まりってこと!?このインタビューの記事をご覧になりたい方はむささびジャーナルまでお知らせください。
secondhand smoking:間接喫煙
Tobacco Atlasという禁煙促進団体のサイトによると、昨年(2011年)間接喫煙による死亡者は60万人にのぼるそうです。また1990年~2009年の10年間でヨーロッパの喫煙率は26%減ったのですが、同じ期間中、中東やアフリカ諸国では57%も増えている。いわゆる新興経済国を合わせると男性が8億人、女性が2億人の喫煙者がいる。何かにつけてスケールの大きい中国ですが、世界中で消費されるタバコの3分の1が中国だそうです。中国はまた喫煙の男女格差が非常に大きく、男性の50%がタバコを吸うのに対して女性はたったの2%なのだとか。
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8)むささびの鳴き声
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▼institutionという単語をご存じで?英和辞書を見ると「制度・法令・慣例・学会・協会・公共施設」という日本語が出ているのですが、どれも分かったようで分からない、非常に使いにくい部類に入る単語だと思うのですが・・・。
a custom or tradition that has existed for a long time and is accepted
as an important part of a particular society.
ある社会に長い間にわたって存在し、社会の重要な構成要素として受け入れられている慣習や伝統
という意味として使われるケースが多く、私には使いにくいけれど、大いに使い道のある言葉であります。 |
▼わりと最近のThe Economistに「3・11大災害後の日本」(Japan after the 3/11 disaster)という記事が出ており、そのイントロがThe death of trust(信頼の死)という見出しで次のように書かれていました。
Last year’s triple disaster - earthquake, tsunami and nuclear meltdown - has shattered Japanese faith in many of the country’s institutions.
昨年の三重災害(地震・津波・原発メルトダウン)は日本人が持っていた日本の多くの慣習や伝統への信頼感に壊滅的な打撃を与えた。 |
▼このイントロの最後の単語(institutions)がまさにこれにあたるわけです。The Economistの記事は、現在の日本の状況を第二次世界大戦が終わる直前の日本国内のムードにたとえています。すなわち日本を悲劇に導いたのが当時の軍部であることに、日本人が気づき始めた(けれどあえてそれを口にしなかった)ころの日本です。つまり政治・経済・文化等々きわめて幅広い部分でこれまでに信じ込んできたことに対する幻滅感が広がっているということになります。
▼The Economistの記事ではinstitutionが複数になっています。つまり幻滅の対象が一つではないということですが、institutionに対する幻滅を感じさせている最大の要因は原発事故であり、揺らいでいるのは「企業中心の社会」だと(私は)思っています。先日も鉄鋼連盟という組織のトップにいる人が記者会見で「日本の経済復興は原発抜きにはあり得ない」と言っていました。20~30年前の日本は「経済は一流、政治は二流」と言われていた。このうちの「経済」は企業だけではなくて、それを後押しする「官僚」も欠かせない要因だった。鉄鋼連盟の主張はそのころの日本ではさしたる反対もなく受容されていたかもしれない。
▼民間事故調の報告書に見る限り、原発事故を前にして何もできなかったのが「企業+官僚共同体」というinstitutionであり、それに対する人々の信頼(faith)が失われたということです。「経済は一流、政治は二流」という流行り言葉を作ったのは企業と官僚であり、それを広める役割を果たしたのが政治メディアだった。その意味で日本人が幻滅している対象にmedia
baron(メディアの大物たち)も入れているThe Economistの観察は当たっている。
▼企業や官僚が政治家を二流呼ばわりしているのを喜んで後押ししたのがメディアであったわけですが、この中で企業(メディアも含む)と官僚という社会は「試験」に受かってのみ所属することができる。政治家は選挙民に選ばれないとなれない。その意味で政治家を二流呼ばわりするということは、選挙民(国民)を二流扱いしているのと同じことであるわけです。「選挙」も「試験」もinstitutionです。後者が前者を潰しにかかっているというのが今の日本であると「むささび」は考えています。
▼Institutionと言えば相撲もまさにそれですね。大相撲春場所の白鵬・鶴竜の優勝決定戦を見ながら、力士の国籍がどこであろうと全く関係ないとしみじみ思いましたね。相撲が面白ければそれでいいわけですから。テニスにおけるウィンブルドン化現象が相撲で起ころうとは思いませんでしたが、それほど安いとは思えない入場料を払って見物していたお客さんをあれほど興奮させたのがモンゴルの人たちなのでありますね。相撲協会はよくぞ国際化しておいてくれたものです。感謝・感謝。
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