musasabi journal

238号 2012/4/8
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美耶子の言い分 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
ことしもようやくウグイスの鳴き声を聴きました。あの声は人をハッピーな気分にさせますね。埼玉県のウチの近所では桜はまだ満開というわけではありませんが、そこそこ咲いているので梅と桜を一度に見ています。238回目のむささびジャーナルです。よろしく。

目次

1)労働党にショックだったBradfordの補欠選挙
2)カンタベリー大主教が交代する
3)ブラック・スワン:謙虚さの勧め
4)英国でも急増する一人暮らし
5)民間事故調報告書:被災者よりも「菅おろし」を大事にした?メディア
6)美耶子のK9研究:英国の動物ボランティアを体験して
7)どうでも英和辞書
8)むささびの鳴き声


1)労働党にショックだったBradfordの補欠選挙

ロンドンから北へ約300キロのところにあるBradfordという町で最近、下院の補欠選挙が行われ、リスペクト党(Respect Party)のGeorge Gallowayという候補者が当選したことがかなり大きく報じられています。この選挙区(Bradford West)は前回の選挙で労働党の議員が勝利したのですが、この人が病気で議員を続けられなくなったということで補欠選挙となった。

結果、George Gallowayが勝ったのですが、勝ち方が尋常ではない。彼の得票数が18,341票(得票率55.89%)であったのに対して第2位の労働党の候補者が獲得した票数はたったの8,201票(24.99%)だった。Gallowayという人は元は労働党だったのですが、ブレアのイラク戦争に反対して党を追い出されてしまい2004年にRespect Partyを設立して活動を続けている。今回のリスペクト党の勝利に最もショックを受けているのが労働党で、ミリバンド党首は「信じられないくらい失望している」(incredibly disappointing)とコメントしています。

Bradfordは北イングランドのウェスト・ヨークシャーにある大都会の一つで、20世紀初頭から半ばくらいまでは繊維・羊毛産業で大いに栄えたところなのですが、これが衰退するとともに地域経済も衰退の一途をたどってきた。1960年代ごろからはパキスタン、バングラディッシュなどからの移民が衰退しつつある繊維産業で働くようになり、このあたりが南アジアからの移民のコミュニティを形成するようになる。2001年5月に大がかりな暴動が起きて英国全土にショックを与えた。

自らの勝利についてGeorge Gallowayは次のようにコメントしています。

There are very large numbers of people completely disenchanted and alienated from the political process and from the mainstream political parties...There is no difference between the Tories, the Lib Dems and New Labour, or at least not a sufficient difference for anyone to notice or care.
きわめて多くの人々が政治プロセスおよび主要政党から切り離され疎外されていると感じている。保守党、自民党、新労働党の間には違いがないのだ。少なくとも誰にでも分かるような違いはないし、重要だと思うような違いもない。

補欠選挙の投票率が50%で、労働党の候補者が勝った選挙における64.9%よりも低かったことを理由にGallowayの勝利が必ずしもいまの政治状況を反映したものではないという声もあるのですが、労働党のミリバンド党首などは

Clearly there were local factors, but I also say only four out of 10 people voted for the three mainstream political parties. We've got to understand the reasons why that happened in Bradford.
もちろん地元の事情もあったであろうとは思うけれど、今回の選挙で主要3政党に投票した人の数は10人中4人だけなのですよ。なぜそうなったのかについては理解する必要がある。

と言っています。

Bradfordにおける補欠選挙とは別の話なのですが、世論調査機関のYouGovが、5000人ほどの成人を対象にアンケート調査を行ったところ

It doesn’t make much difference to my daily life who wins general elections these days - there’s very little real difference between the main political parties
選挙で誰が勝っても自分の毎日の生活にはあまり関係ない。主要な政党間で違いがほとんどないのだから。

と答えた人が58%に上っています。

また、英国人のほぼ3分の2(62%)が「政治家は常にウソをついており、彼らが発する言葉のただの一つも信用できない」(politicians tell lies all the time and you can’t believe a word they say)と考えているのだそうです。さらに「議会はいい仕事をしている。つまりいろいろな課題を賢明かつ思慮深い議論をしている」と考えている人は4分の1(24%)となっています。

▼ブレアの労働党政権のときに海外向け広報のテーマの一つが「英国は多文化主義(multiculturalism)の国である」ということだったのですが、Bradfordでは白人の人口が減ってイスラム系アジア人の人口が増えています。Bradfordの人口(約30万)の3分の1がパキスタン、バングラディッシュ、ヒンズー系インド人です。その彼らと白人の間の交流も進んでおらず、多文化都市には違いないけれどお互いが離れて暮らしているというのが現状のようです。皮肉なことにGallowayに大差をつけられて2位に甘んじた労働党の候補者はパキスタン系のイスラム教徒だった。

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2)カンタベリー大主教が交代する

カンタベリー大主教(Archbishop of Canterbury)のRowan Williams氏が今年いっぱいで辞任すると発表したことが英国では大きなニュースになりました。日本のメディアでは伝えられていませんよね。カンタベリー大主教は、イングランド南部にあるCanterburyという町にある教会のトップであるとともに英国国教会(Church of England)の聖職者としてのトップでもある。

ご存じかと思いますが、英国ははるか昔(西暦43年)にローマ人たちがやってきて当時の現地人(ケルト族)を征服したことによっていまの形のイングランドとしての歴史が始まっています。ローマ人たちと一緒にやってきたのが彼らの宗教であるカソリック教です。カソリックの国であった英国を、ヘンリー8世(1491年~1547年)が、自分自身の離婚を口実に、ローマ教皇を頂点とするカソリック教会から脱退して、国王である自分を頂点とする英国国教会を創った。この表現が適切であるかどうか自信はないけれど、英国国教会はオーナーが君主(現在はエリザベス女王)で、経営者がカンタベリー大主教ということになる。

で、12月に辞任することになっているDr Rowan Williamsですが、第104代カンタベリー大主教に就任したのは2002年12月だから10年間大主教を務めたことになる。非常にはっきりした物言いで社会問題などについて発言しており、保守派からもリベラル派からも批判されたり尊敬されたりしていたのですが、最近よく話題になったのが同性愛者に対する寛容な態度だった。保守派はそれが故に批判し、リベラルからは「同性愛については言っていることとやっていることが一致しない」と批判されたりしていた。ただ政治的にはどちらかというとリベラル(左派的)な考え方であると見えて、左派系のオピニオン・マガジン、New Statesmanのゲスト編集長を務めたことがある。このときは政府から大いに批判された。

現在英国政府は同性愛者の結婚を合法化しようとしていますが、これについても国教会内部が政府支持派と反対派に真っ二つに意見が分かれている。さらに女性の司祭を認めるかどうかも対立のタネになっている。

▼英国国教会が掲げるキリスト教はAnglicanismと呼ばれており、18~19世紀の大英帝国の時代に世界中に広まった。現在の信者数は約8000万だそうですが、ちょっと興味深いのは20世紀初頭(1900年)におけるAnglicanism信者の82%が英国人だったのに100年後の2005年の調査ではこれが33%にまで減り、ダントツで多かったのがサハラ以南のアフリカ人の55%だった。

▼ウィキペディアによると、日本でAnglicanism(聖公会)が確立したのは1887年(明治19年)のこと。アメリカ、カナダ、英国の聖公会が伝道したらしいですね。現在信者数は5万8000人だそうですが、立教学院、桃山学院、平安女学院などの学校や聖路加病院も聖公会が運営しているんですね。

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3)ブラック・スワン:謙虚さの勧め

Nassim Nicholas Taleb(ナシーム・ニコラス・タレブ)という人が書いたBlack Swanという本は、2007年に出版されてアメリカでは150万部も売れる大ヒット、日本では『ブラック・スワン』というタイトルでダイヤモンド社から出ているようです。読みました?私は読んだことがありませんが、最近BBCのラジオを聴いていたら英国のキャメロン首相がこの人の考え方にのめりこんでおり、いまでは彼のブレーンのような存在になっているというレポートをやっていた。レバノン生まれのアメリカ人で、ウォール街で金融トレーダーもやっていたこともある哲学者です。

で、Black Swanという本ですが、書評によるとテーマは、「人間は自分が思うほどには物事がわかっていない」ということを分かっておくことが大切であるということです。その昔、オーストラリア大陸が発見されるまでは、旧世界(ヨーロッパ)の人たちはスワンといえば「白い鳥」しかいないと思っていたけれど、オーストラリアで黒いスワンが発見されるに及んでそれまでの通説が完全に覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは「ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象」という意味です。誰も予想さえしなかったけれど、ひとたび起こってしまうと、それなりに尤もらしい説明がなされて「最初からわかっていたような気にさせられたりする」のがブラック・スワン現象というわけです。この本に書かれているわけではないけれど、東日本大震災などは「ブラック・スワン」現象の典型かもしれない。

筆者によると

It illustrates a severe limitation to our learning from observations or experience, and the fragility of our knowledge. One single observation can invalidate a general statement derived from millennia of confirmatory sightings of millions of white swans.
「ブラック・スワン」現象が示しているのは、人間が観察とか体験などによって得る「学習」には重大な限度があるということであり、知識というものの脆弱さということである。何世紀にもわたって何百万羽もの白いスワンを見続けてきたことからなされていた(スワンは白いものだという)一般論が(黒いスワンを)たった一回目撃したということだけで無に帰してしまうのだ。

とのことであります。「知識というものの脆弱さ(fragility of our knowledge)」は、自分たちが「知っている・分かっている」と思っていることが実際には全く頼りにならないことがあるという意味ですね。
  • We are not predisposed to respect humble people, those who try to suspend judgment. Think of someone heavily introspective, tortured by the awareness of his own ignorance. I will call such a person, an epistemocrat. To me, Utopia is an epistemocracy, a society in which anyone of rank is an epistemocrat. It would be a society governed from the awareness of ignorance, not knowledge.
    我々は謙虚な人たち(判断を先送りする人たち)を尊敬しない傾向がある。非常に内向的で、常に自らの無知さ加減を意識して、これにさいなまれているような人である。私はそのような人をepistemocratと呼ぶ。私にとって理想的な社会とはepistemocratによってリードされる社会であり、知識というよりも自らの無知を意識している人々によって統治されるような社会である。
謙虚さの勧めというわけですが、ナシーム・タレブによると、世の中は何が起こるか分からない(random)のであって、考えてもいなかったことが起こっても耐えていける強さ(robustness)が必要であるけれど、そのためには「公共部門であれ民間部門であれ、大きすぎることは避けた方がいい」(in both the public sector and the private sector, nothing should be too big)と言います。
  • I think size is not natural. It’s very harmful - particularly when it hijacks the state - so I’m against large corporations. But at the same time against large government. I’m for decentralisation more than reduced role of government. You want to build a society that is robust and with the smallest amount of these large exposures to unnatural black swans.
    大きいということは不自然なのである。特に国家が大きさの虜になると大きな害をもたらすのだ。私には大きな企業にも大きな政府にも反対である。政府の役割を減らすというよりも、分散型政府の方がいいと思う。つまり思ってもいないような事柄(ブラックスワン)にさらされる部分が極力小さい方が社会として頑丈になるということだ。
40年ほど前にSmall is Beautifulという本がベストセラーになったことがありますよね。「人間の背丈に見合った経済開発・発展」をすすめる書であったわけですが、ナシーム・タレブによると、Small is Beautifulについて「やや理想主義すぎる(a little romantic)」としながらも、Black Swanはそれを数学的な論理で証明しようとしたものだと言っています。
  • My whole central idea revolves around prediction errors, or human error typically in form of underestimation of rare events. When you have small budgets people seem to manage them a lot better than large-scale budgets.
    私の考え方の中心は誤った予見ということにある。すなわち稀な出来事というものを過小評価するという人間にありがちな誤りについて考えるということである。例えば小さな予算を管理することは、大きな予算を管理するよりもはるかに楽だということである。
キャメロン首相がこの人に傾倒するのは、この権力分散の勧めという部分なのかもしれない。地方分権ですね。また「人間それほど物事が分かっているわけではない」という、人間の「知」に対する懐疑の念は、英国の保守主義者の代表選手ともいえるEdmund Burkeと似ている。サッチャーさんも保守主義者と言われるし、本人もそうだと思っているのかもしれないけれど、彼女が政権の座にあったころに英国では中央集権化が進んだとされています。地方分権どころかロンドン市議会が社会主義的だというので廃止までしてしまったのですからね。

▼ナシーム・タレブの用心深さは、出身国である内戦が続いたレバノンという国の社会情勢にも関係があるのかもしれないけれど、何が起こるか分からない金融取引のビジネスをやっていたことにも大いに関係があるのだそうです。

▼企業も政府も大きすぎない方がいいという考え方は、危機の回避という点からも傾聴に値いすると思いますね。これまでの日本は巨大企業が支配する社会であったと思うけれど、大きすぎて身動きがとれないという弱点があったし、余りにも大きすぎて「東電こけたら日本もこけた」というような状況であったのですね。このような日本の基礎を作ってくれたのが自民党というわけですが、その自民党のマニフェストが「強い日本を作ることを目指す」を強調しているのだそうです。その場合の「強い」を英語でいうstrong(力持ち)ではなく、ナシーム・タレブのいうrobust(頑丈)、つまり崩れにくいとか復元力がある(resilient)という意味で考えてもらいたいと思います。そのためには巨大なものを一つ作るのではなくて、中くらいのものをたくさん作るということである・・・というのがBlack Swanの発想であります。


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4)英国でも急増する一人暮らし

3月30日付のGuardianに「急増する一人暮らし(the rise and rise of solo living)」という見出しの記事が出ています。ニューヨーク大学の社会学教授であるEric Klinenbergという人が書いたものです。一人暮らしは日本でもおなじみの傾向ですが一人暮らしの増加は世界的な傾向なのですね。Euromonitor Internationalという会社の調査によると、世界中の一人暮らしの数は1996年で1億5300万人であったのが、2011年には2億7700万人にまで増えている。15年間で55%の増加です。英国では一人暮らし世帯の数が日本(31.5%)より少し多くて34%、アメリカは27%だそうです。世界で一番一人暮らしが多いのがスウェーデンの47%、二番目がノルウェーの40%だそうです。ヨーロッパではドイツやオランダが英国より多いのですね。

で、どういう人が一人暮らしをしているのかというと、アメリカの数字が出ていて、女性が1800万人で男(1400万人)よりも多い。年齢層でいうと、一番多いのが「中年」(35~64才)の1600万人、二番目が65才以上の1100万人となっている。若年層(18~34才)の一人暮らしは500万人と低いのですが、半世紀以上前の1950年では50万人に過ぎなかったことを考えるとこれも相当な伸びであると言えます。

なぜ一人暮らしが増えるのか?一つには経済的な発展によってみんなが裕福になり「一人でも経済的に暮らしていけるから」(can afford to)ということがあるけれど、経済的に可能であっても敢えて一人暮らしはしないという選択肢だってあるはずなのだから経済的なものは理由の一つに過ぎない(the economic explanation is just one piece of the puzzle)はずだ、というわけでKlinenbergが挙げているのが「文化的な変化(cultural change)」です。それはthe cult of the individual(個人尊重のカルト)の広がりであるとのことです。このカルトは100年以上も前に世界が工業化する中で家族制度が崩壊して個人が尊重されるようになった現象ですが、最近の個人尊重のカルトはかつての想像を全く越えてしまっている。

Not long ago, someone who was dissatisfied with their spouse and wanted a divorce had to justify that decision. Today if someone is not fulfilled by their marriage, they have to justify staying in it, because there is cultural pressure to be good to one's self.
ちょっと前までは、連れ合いに満足できず離婚したいと思ってもそれを正当化する理由のようなものが必要だった。いまでは結婚生活に不満がある場合、結婚を続けることを正当化しなければならない時代になっている。なぜなら自分自身にとって良しとする生活をすることがプレッシャーとなっているからだ。

望んでもいないのに結婚を続けることが悪いことだという常識のようなものが出来てしまっているということですね。

一方、フィンランドのBioMed Centralという医療専門誌が3500人のフィンランド人を対象に行った調査によると、一人暮らしの人がうつ病にかかる率は家族で暮らしている人よりもはるかに高いという結果が出ている、とBBCが伝えています。

この調査は2000年~2008年という長期間にわたって行われ、労働年齢の女性1776人、男性1695人、調査開始時の平均年齢が44.6才という人たちだった。この人たちの9年間をフォローする調査だった。9年間で抗鬱剤を購入した量は、一人暮らしの方がそうでない人よりも80%多かった。ほとんど倍というわけです。

この調査を行ったフィンランド職業保健学会(Finnish Institute of Occupational Health)によると、他者と一緒に暮らしている人は情緒面でのサポートや社会参加の感覚を得ることができるが、一人暮らしの場合は孤立感が強く社会参加の感覚が欠けがちで、これが精神面での健康にインパクトを与えることになると言っています。

精神衛生の問題を追及している英国のMindというNPOは、一人暮らしが増加することは国全体の精神衛生に大きな影響をもたらすとして、

It is therefore essential that people who live alone are given the most appropriate treatment such as talking therapies, which provide safe, supportive environments to discuss and work through problems, rather than simply being left to rely solely on antidepressants.
一人暮らしの人に対する適切な処方(会話療法のようなもの)を与えることで、抗鬱剤だけに頼ることなく暮らせる健全な環境を提供することが不可欠だ。

としています。


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5)民間事故調報告書:被災者より「菅おろし」を大事にした?メディア報道 
 
 
民間事故調の報告書について、ちょっと不思議な気がしたのは、あの原発事故への対応を語る中で、メディア報道のことがほとんど語られていないということです。私のいうメディアとは新聞、テレビ、ラジオという従来型の「マスコミ」のことであり、政府や東電が事故に対応する中で、マスコミはそれをどのように伝えたのか?マスコミ報道が事故対応に何らかの影響を与えたのか?与えたとするとどのような影響を与えたのか?ということです。

前々回のむささびジャーナルで、民間事故調の記者会見のことを伝えるNHKが「菅前首相の事故対応“不合格”」という見出しをつけていたのを、私は「アンフェア」であると言いました。この報告書を読む限りでは、誰がやっても菅さん以上のことはできっこなかったのだから「不合格」というのは結果論であり、その部分だけを強調するNHKの伝え方はアンフェアであると言ったわけです。

あれからNHK以外のマスメディアがこの会見と事故調の報告書についてどのように報道しているのかを調べてみたのですが、主要メディアに関する限り、8:2くらいの割合でNHKと同じようなニュアンスの報道をしていました。つまり原発事故が悪化したのは、首相官邸(=菅首相)の対応が悪かったからだというニュアンスの報道が圧倒的に多かったということであり、むささびジャーナルの考えることなどは、いまの日本における「主流」の考え方からすると全くの少数派なのだということが改めて確認されてしまったわけであります。

報告書について報じる記事の見出しの例をいくつか挙げると:

民間事故調:福島第1原発 官邸初動対応が混乱の要因(毎日新聞)
菅首相が介入、原発事故の混乱拡大…民間事故調(読売新聞)
福島原発 民間事故調報告書 菅氏の「人災」明らか(産経新聞)
菅前首相の行動で無用な混乱~民間事故調(日本テレビ)
民間事故調「菅前首相は不合格」 情報提供に失敗(共同通信)
民間事故調報告 官邸主導の危うさ露呈(岩手日報社説)
民間事故調 「原子力村」への警鐘だ(北海道新聞社説)
安全規制「ガラパゴス化」 東電は「怠慢」 民間事故調(朝日新聞デジタル)

などがありました。最後の2件だけがむささびと似ているのですが、私が調べた範囲ではこれらはいわば例外で、ほとんどの記事が民間事故調の報告書を菅さん批判の書として報道していました。

振り返ってみると、昨年のいま頃から夏にかけて主要メディアを挙げて「菅おろし」旋風が吹き荒れており、ついには菅さんに対する不信任案の提出にまで至ったのですよね。民間事故調の報告書の中で次のように語っている部分があります。
  • 危機の核心は、政府が、危機のさなかにおいて国民の政府に対する信頼を喪失させたことだろう。危機コミュニケーションが最終的には政府と国民の信頼の構築に帰着するように、危機に際しては、政府と国民が力を合わせなければ乗り切ることはできない。
「危機に際しては、政府と国民が力を合わせなければ乗り切ることはできない」というのは私もそうだと思います。この「政府と国民の信頼の構築」のためにはメディアの果たす役割は大きいわけですが、あのころの日本の政治メディアは「政府に対する国民の不信感の構築」に血道をあげていたと私は思います。それが「菅おろし」で、NHKもそれに加担していた(と私は考える)わけです。

このように感じるのは私だけなのかと不安な気持ちになっていたのですが、WEBRONZAというサイトに掲載されていた『なぜ「政治報道」は批判されるのか~大震災・原発事故下の政治報道メディアは何を誤ったのか?~』という対談を読んで、私のような考えを持っているのは必ずしも私だけではないのかもしれないと思ったわけです。この対談は現役のジャーナリスト(福島民報編集局長、朝日新聞論説委員、毎日新聞論説委員)によるものでかなり長いのですが、メディアによる「菅おろし」報道について語っている部分を紹介します。
  • 福島民報の編集局長:我々福島県民からすると、大震災・原発事故という国難を利用して解散・総選挙をあおるようなムードを感じました。政局を伝えることは、日本の今後のあり方を問う意味で、確かに重要な報道でしょう。しかし、政治報道が政局報道になって、解散・総選挙へと関心が移り、いつの間にか被災地が取り残されてしまった。報道が政治空白を助長して、復興の遅れを招いているのではないかというのが、被災地からの見方です。
  • 朝日新聞論説委員:福島県をはじめ被災地の方々からすると、不安をあおられ、取り残されている感があるというお話には、全くそのとおりだな、そうだろうなと思わざるを得ません。しかし、他方で、では、あのときの「菅おろし」の報道をどうすればよかったのかというと、なかなか答えを見つけにくいなというのが率直な感想です。
  • 毎日新聞論説委員:あの「菅おろし報道」というのは、政治報道の歴史の中でひどい汚点を残したと思っているんです。やっぱりもう少し自制すべきだったと思います。政治家も政治記者も、原発は収束しないし、復旧・復興も遅々として進まないしということで、うまくいかないことを「すべて菅が悪い」と、一種、不満のはけ口みたいにしてしまった。
それにしても、そろいもそろって「菅おろし」を含めた「政局報道」に走ってしまったのはなぜなのか?
  • 毎日新聞論説委員:僕も(政治報道の)現場にいたら、何を期待されているかということを錯覚するかもしれません。菅さんが何か進退について言及することがニュースになるんだと。とりわけ若い記者はだんだん錯覚してくるんですよ。
  • 朝日新聞論説委員:若い記者に限らず、首相の進退ともなれば、政治記者にとって最大の正念場だと、どうしても過熱してしまいますからねえ・・・

▼最後の二つの発言を読むと、「菅おろし・政局」報道はメディアの世界における「空気を読む」という行為の現れなのかもしれないと思えてきます。「若い記者はだんだん錯覚してくる」「どうしても過熱してしまいますからねえ」という部分を翻訳すると「自分はよくないと思っていたけれど、私ひとりが何か言ってもどうにもならなかっただろう」ということになる。あるいは「うちの新聞だけが菅おろし・政局報道をやらなくてもどうせ他社がやっただろう」・・・それは民間事故調の報告書に出てきた原子力関係者の「自分一人が反対しても事態は変わらなかっただろう」というのと似ていると思いません?

▼メディアが菅おろし報道に血道をあげていたとき、「いつの間にか被災地が取り残されてしまった」ように感じたと福島民報の編集局長は言っている。埼玉県在住の私が感じていたのは、みんなが不安に打ちひしがれているときに首相の品定めをやっている政治メディア(NHKの夜9時のニュースも含む)に対する怒りでした。「菅おろし」報道について、上に紹介した朝日新聞の論説委員は「どうすればよかったのかというと、なかなか答えを見つけにくいなというのが率直な感想」だと言っています。「どうすればよかったのか」についての答えは簡単です。福島の人たちに「取り残されてしまった」と感じさせるような報道はやめればよかったのです。でもやめなかった。それがこの論説委員も含めた「朝日新聞」であったということです。

▼メディアが横並びになって一斉に誰かを叩きまくるという現象は日本ではたびたび見られますよね。政治の世界もあるけれど、松本サリン事件で犯人でもない人を犯人扱いしたのは、メディアというメディアが警察の言うことを鵜呑みしたお陰ですよね。警察が冤罪事件を起こすとワイワイ騒ぐけれど、自分たちの冤罪報道については「悪いのは警察」で済ませてしまう。警察発表を鵜呑みにして冤罪報道をやったという理由で新聞記者がクビになったという話は聞いたことがありません。

▼新聞の名誉のために言っておくと、私は知らなかったのですが、「主要メディア」の中では東京新聞が「菅降ろしに原発の影」という特集記事を掲載していたのですね。全部が全部、横並びではなかったということです。

「菅おろし・政局報道」とは関係ないけれど、民間事故調の報告書作成の発案者(?)であった日本再建イニシアティブの船橋洋一理事長が報告書の発表記者会見の中で、メディアが「一番危機のときに、一番必要な情報を国民に伝えることが本当にできたのか?」と言っています。放射能の拡散を示すSPEEDIという文部科学省管轄のシステムの情報が最初は伝わらなかった。首相官邸はSPEEDIの存在さえも知らなかった。船橋さんによると、文科省詰めの記者がSPEEDIの存在に気づいていて、文科省とのブリーフィングでいろいろと問い質していた。3月16日夜のことです。なのに新聞もテレビもそのことは全く報道しなかったのだそうです。何故報道しなかったのか?ご本人がジャーナリストである船橋さんは「そのあたりはメディアのほうでもぜひ検証していただきたいと思っています」と言っています。

▼船橋さんのこの発言は日本記者クラブというメディア組織が主催した記者会見で、出席したジャーナリストに向かって行われたものであることにご注目ください。「あんたら、伝えるべきことを伝えなかったんじゃないの?」と言っているようにも聞こえる。なぜ伝えなかったのか?については「あんたら、自分たちの犯した過ちについてはちゃんと調べて報告しろ」と言っているように聞こえる。調べたわけではないけれど、あの記者会見に出ていた記者たちは、船橋さんのこの発言を報道したのでしょうか?

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6)美耶子のK9研究:英国の動物ボランティアを体験して
 
前回はHearing dogのところで終わりました。今回は今読んでいる教科書からちょっと離れて、Hearing dogも含めた英国の動物チャリティ組織の、特にボランティア・ワークについて紹介してみたいと思います。

私がCollegeで勉強中にもキャンパスにHearing Dog for Deaf People(聴導犬のチャリティ団体)の人が聴導犬の仕事や訓練について話をするために招かれ、実に解り易いプレゼンテーションをしてくれましたが、これもEducational Speakersと呼ばれているボランティアの仕事の一つなのです。しかもこの仕事をやりたいという人のために、それに必要な然るべきトレーニングはチャリティ団体側が責任を持ってやります、という注釈がついています。この種のボランティアはチャリティ団体のみならず、動物園やGreen Peaceといった組織にも必ず用意されているようで、ボランティアにApplyすると、どの仕事をやりたいかを自分で選べるようになっています。参考までに代表的な動物チャリティ組織であるBlue Crossの場合、Horse care, Dog care, Cat care, small animal careなど動物そのものを世話する仕事以外に次のようなものが出ています。
  • Helping on the support line for the Pet Bereavement Support Service (いわゆるペットロスの人のサポート)
  • Helping out at one of our events or organising your own event (イベントの企画及びその手伝い)
  • Getting involved in fundraising or co-ordinating a local fundraising group (基金集めの手伝い)
  • Giving talks to local community groups about our work (活動内容についてのPRプレゼンテーション)
  • Meeting and greeting visitors and lending a hand on reception (来訪者の応対やレセプションの手伝い)
  • Gardening, maintenance and DIY (庭の手入れや施設の修理作業)
  • Helping out with administration and projects(管理運営・ショップや事業のサポート)
私自身もラッキーなことに、当時住んでいたコテッジからクルマで30分弱のところにあるBurfordのBlue Crossで、シェルターに保護されているワンちゃん達の世話(犬舎の清掃、食事、散歩)をするボランティアを約半年間やることができました。ここで更に驚いたのは、ボランティアをやらせてもらうのにもかなりきっちりとしたプロセスが用意されているということでした。まずApplication form(応募用紙)の質問事項に沿って自分の情報を記入し、最低2人の身元照会先(推薦人・Reference)の名前と連絡先を書き、書類審査の結果を待ちます。2週間ほどすると連絡が来て、担当のManagerとの1対1の面接(Interview)が約30分くらいあり、それでOKということになると、今度は他の新入ボランティア何人かと一緒にBlue Crossの歴史、仕事内容、ルールなどのレクチャーを受けます。その上でAWA(Animal Welfare Assistant)という肩書を与えられ写真付きのIDとボランティア用のユニフォーム(ポロシャツ)を渡され、晴れて正式のボランティアとなりそれぞれの持場でスタートという段取りです。このプロセスからはとても「たかがボランティア」などという軽率な表現は誰の口からも出て来ないと思う程でした。

ここでのボランティアは私にとっていろいろな意味でとてもよい経験になりました。何と言ってもまずBlue Crossの敷地の広さと自然環境の素晴らしさには息を飲みました。それから年齢も職業も経験も目的も様々なボランティアの人たちが、Blue Crossにパートとして雇われている人たちやフルタイムで働いている人たちと一緒にチームとして助け合って仕事をしている。こういう普通の英国人達の中に実際に身を置くことによって得た「英国人観」は分かり易くて貴重でした。

シェルターにいるワンちゃん達に対するManagementも非常に参考になりました。1頭1頭の性格、問題行動、人への慣れ具合も色分けされたカードでそれぞれの犬舎に貼られていて、誰にでも分かり易くなっていること。アレルギー体質のワンちゃんや、老犬、幼犬にはそれぞれに合った特別食を用意し、ドッグフードだけだと食べないワンちゃんには特別にトッピングまで用意するというきめの細かさには感心してしまいました。

逆に、動物好きの国と言われている英国なのに、こんなに多くのRescue Dogが保護されているという現実と正しい飼い方をされていなかったと思われるワンちゃんも思いの他多いことにも驚きました。保護されている中には勿論今までの飼い主が事情が変わったために飼えなくなったケースも含まれてはいますが、捨てられたり虐待されたりというケースも決して少なくないようです。私が散歩をさせたワンちゃんの中にも明らかに怯えて人間を信用していない、シッポを振らない、ぐいぐい引っ張る、門柱に近付くと必ず吠えて柱に噛みつく、落ち着きがなくボールを投げると狂ったように追いかける、というワンちゃんがいました。そのワンちゃん達が遺伝的に異常行動を生まれながらに持っているということも無くはないけれど、飼っていた人間による後天的な問題行動なのではないかという疑念を完全に拭い去ることはできませんでした。

こういう誤った飼い方をなくすための法律を自分で作るとしたらどんなものにすれば良いと思うか、という課題が私が取ったコースのAnimal Welfareという授業の中で出されたことがあります。先生は今の英国の法律でも決して十分ではなく、こうすれば完璧というものを作ることは非常に難しいので頭を抱えている状態なのだと言っていたのを思い出します。そういう現実の中で権威も発言力もあるRSPCA(The Royal Society for the Prevention of Cruelty to Animals)というこれまたチャリティ団体が、動物虐待に眼を光らせていてくれる鞍馬天狗(ふる~い!)のような存在としていてくれることが、英国の動物好きの人々にとっての救いと言ってもよいようです。

余談になりますが、私が住んでいたOxfordshireのFinstockという村の近辺で、ワンちゃんを散歩させる人たちに共通な、日本ではちょっと考えられないファッションに気づかされたことがあります。どんなにお天気が良くて、道路がからからに乾いている時でも(勿論夏でも冬でもです)、散歩をさせている人は必ずと言っていいほどWellies(Wellington Boots長靴のこと)を履いているということです。そして、散歩をさせている人間たちの表情は、皆仕事をしているような真面目な顔をして背筋を伸ばして、しかも結構早足で歩いているというところが、日本のワンちゃんの散歩の様子とはずいぶん違っているように感じたのを覚えています。
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7)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら
freak:興奮する

freakは名詞形だと、「異常」というような意味で使われますよね。control-freakはほとんど異常なまでに管理することが好きな人のことを言う。動詞としては「興奮する」とか「異常な精神状態になる」という意味になる。My mom freaked out when I told her that I was pregnant(アタシに赤ちゃんができたと言ったらママはめちゃくちゃに興奮してたわ)という感じですね。

2~3週間前のことだったと思うけれど、ニューヨークからラスベガスへ向かう飛行機で、操縦士が操縦室から出てきて客席の通路で「アルカイダがやってくる!」とか「イランをやっつけろ!!!」などと訳のわからないことを叫び始めて副操縦士らに取り押さえられるという事件がありましたよね。結局、飛行機は副操縦士らの機転でテキサス州アマリロ空港に着陸できたのですが、一時は大騒ぎだった。

笑いごとではないのだろうけど、でも笑ってしまったのは、この事件を伝えるNew York Postという大衆紙にの第一面のトップ記事の見出しです。


飛行機に乗るとパイロットが乗客に話しかけますよね。何時に到着するとか、高度何メートルを飛ぶとか・・・その際の決まり文句がLadies and Gentlemen, this is your captain speaking...この見出しはSPEAKINGの代わりにFREAKINGを使ったギャグというわけです。

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8)むささびの鳴き声
▼いきなりですが、ロンドン五輪の金メダルの重さは400グラムで、夏のオリンピックの金メダルとしては史上最重なんだそうですね。The Economistによると、400グラムというのは「大サイズのベイクトビーンズの缶詰」(a large tin of baked beans)と似たような重さとのことですが、ベイクトビーンズなんて言われてもよく分からないと思ってネットを調べたら「炊き上がったご飯1・5合と同じ」となっていました。首にかけるとそれなりの重さかもしれないのですが、過去5回の五輪金メダルの平均の約2倍、100年前(1912年)のストックホルム大会のそれの17倍の重さだそうであります。

▼オリンピックの金メダルというのは金のみで出来ているのかと思っていたら違うんですね。ロンドンの場合、主に銀が使われていて金は1.5%で、コーティング(上塗り)程度にしか使われていない。純金のゴールドメダルが使われたのはストックホルム大会が最後なのだそうです。ついでに言っておくと、ロンドンの金メダルで使われている金と銀を現在の金・銀の値段を使ってお金に直すと706ドル(ざっと6万円)である、とThe Economistは言っております。

▼オリンピックで思い出したのですが、ラジオを聴いていたら東京都庁を専門に取材しているジャーナリストという人が、石原知事が進めている2020年オリンピックを東京へ誘致する活動のための予算が4000億円であると言っていました。「4年以内に首都直下型の大地震が起こる確率が70%だというのに、4000億円もかけてオリンピック誘致などやっている場合か」と批判していた。

▼東京を巻き込んだ大地震が起こる可能性についてのニュースは世界中に流れているはずですよね。それでも誘致活動を上手にやればIOC委員の多くが東京に投票する、と石原さんは考えているのですね。最近ではテレビ、ラジオ、インターネットが私の主なるニュース源になっており、新聞を読む機会がほとんどないのですが、私の知る限りにおいては首都直下型地震と五輪誘致をテーマにした報道は全くない。

▼いずれにしても、最近の傾向として、一方で将来起こるとされる地震や津波についてさまざまな「予測データ」が発表され、聞いているだけで怖ろしくなるわけですが、その一方で、原発なしでは日本経済は立ちいかなくなって日本中が失業者で満ち溢れるというような、これもまた怖ろしげな解説がなされる。前者は地震学、後者は経済学のそれぞれの専門家と称する人たちによって真顔かつ「客観的に」語られる。そして前者は反原発派の人たちが、後者は産業界の人たちが、それぞれ自分たちの立場を主張するための根拠として使うけれど、両方とも自分たちの主張の結果として起こることを示したうえで「それでもこうすべきだ」ということは言わない。

▼原発推進派は「原発事故がまた起こったら日本は本当に沈没する可能性がある。しかし何よりも物質的に豊かな生活の方がいいじゃんありませんか?」などとは決して言わない。反原発の人たちも「原発がないと失業者が町にあふれるかもしれないけれど、安全・安心はある。貧乏でも安心な方がいい」とは言わないで、諸外国における再生可能エネルギーの発展について語ったりする。要するにそれなりの「覚悟」(心の備え)について語らない。そうこうしているうちに大飯原発の「安全宣言」が出たりする。

▼そんな中で、「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議」という組織が出来ているといういニュースが中日新聞の三重版(サイト)に出ていました。これは原発に頼らない地域づくりを目指す中小企業の経営者が集まって作っている組織だそうで、設立趣意書には「単なる反原発運動ではなく、原発がない方が健全な地域づくりができるという対案を示し、実践していくことを目指す」と書いてあるのだそうです。この組織の会員である津市の建設業経営者は中日新聞とのインタビューで、原発事故が起きても、すぐに原発を動かそうとしている財界の姿勢に疑問を感じていると語っています。この経営者は「本当の豊かさ」ということについて考えていて、それは「お金のものさし」だけではなく「命のものさし」も必要だと主張しています。この人の言う「ものさし」というのが、私の言う「覚悟」に当たるように思います。

▼あまりみじめなことは言いたくないけれど、経団連に所属しているような大企業の場合、原発事故が起こってもそれなりの備えのようなものが出来ていて、社員は守られることになっているのに中日新聞に出ていたような中小企業の場合にはそんなことがない・・・ということはないのでしょうか。「国策民営」(民間企業の営利活動を税金で助けてあげるという仕組み)などというシステムを導入してしまうような国だから、アンフェアなことなど日常茶飯事でやられてしまうという気がしないでもない。

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