musasabi journal

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266号 2013/5/5
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

ゴールデン・ウィークなんて、私は忘れてしまいましたが、ラジオでは関越自動車道の渋滞が50キロとか言っておりました。サクラも散って、緑がやや重い感じになってきましたね。素晴らしい天気なのに埼玉県はなぜか空気が冷たくて、青空が秋のようであります。

目次

1)「1ポンド住宅」に希望者が殺到
2)安倍さんと靖国
3)シラクさんを思い出させてくれた猪瀬さん
4)R・マードックが戦った相手
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)「1ポンド住宅」に希望者が殺到

 

ロンドンから北西へ約200キロ、マンチェスターの近くにストーク・オン・トレント(Stoke-on-Trent)という町があります。人口は約25万、ウェッジウッドの陶器の町として知られているのですが、いまこの町で1ポンドで買える住宅があるということで話題になっています。1ポンド=約150円ですが、金銭感覚から言うと英国における1ポンドというのは100円だと思えば間違いない。つまり100円住宅があるってことになる。

ストーク・オン・トレントの中心部から約1マイル(1.6キロ)のところにCobridgeという地区があるのですが、4月23日付のBBCのサイトによると、その地区にある市営住宅35軒が1ポンドで売りに出されており、これに興味を持つ人々からの問い合わせが殺到しているとのことであります。それにしても市営住宅が1ポンドで買えるなんて、なんでまたそんなことになってしまったのか。話せば長いことながら・・・。

いまから約10年前の2002年、当時の労働党政権によって住宅市場刷新計画(Housing Market Renewal Initiative:HMRI)という名前のプロジェクトがスタートしました。中部から北部イングランドの大都市における住宅地再開発計画なのですが、かなり老朽化したり、スラム化している住宅街を政府資金を使って再開発しようという計画だった。ストーク・オン・トレント以外にバーミンガム、マンチェスター、リバプール、ニューカッスルなど全部で9都市がHMRIの対象地域とされ、15年間で22億ポンド(約3500億円)を投じて、古くなった住宅街を取り壊して新しいものにするという計画だった。

それが経済危機の関係などもあって、2010年の選挙で政権交代した後に計画が途中で取りやめになってしまった。つまり再開発指定地域になっていたのに再開発そのものが行われなくなってしまった。

ストーク・オン・トレントの郊外にあるCobridgeと呼ばれる地区の中のPortland Street一帯もそんな地域の一つで、BBCによると、この3年ほどの間にコーナーショップもパブも店じまいしてしまい、道路にはごみが散乱するは、落書きがはびこるはで、何やらわびしげなゴーストタウンと化してしまった。でも全くの無人地帯になってしまったわけではない。いまだにこのエリアで暮らしている人もいる。ただここまでさびれてしまうと「コミュニティ」感覚を取り戻すのは難しい。住民が政府のやり方に「不信感と怒り」(ill feeling and anger)を持ったのも当たり前です。

Portland StreetエリアがHMRIの再開発地区に指定されたことで、ここを引っ越してしまった人もおり、現在のところ35軒が空き家になっているのだそうですが、ストーク・オン・トレント市当局が思いついたのが「1ポンド住宅」のアイデアです。もちろん無条件で1ポンドというわけではない。これに申し込むためには次のような条件を満たしている必要がある。
  • 年収が夫婦合わせて£18,000~£25,000(子供がいる場合は£30,000)であること。
    A joint income of £18,000 to £25,000 a year - £30,000 maximum if they have children
  • 過去3年間はストーク・オン・トレントに住んでいること。
    Must have lived in the city for the past three years
  • 過去2年間は雇用されていること。
    Must have been employed for the past two years
  • この住宅以外に不動産を有していないこと。
    Must not own another property
  • 英国での永住権を有していること。
    Must have the right to live permanently in the UK
  • 購入する住宅は購入者にとって少なくとも5年間は「メイン・ホーム」(本宅)であること。
    New house must be their main home for at least five years
何せここ数年人が住んでいなかった住宅だけに、住むに当たっては修繕が必要になるわけですが、そのための援助として、最高£30,000のお金を市当局からローンで借りることができる。ただし返済は10年以内、利子はイングランド銀行の基礎レート(現在は0.5%)+3%ということになる。ストーク・オン・トレント市によると、4月末現在で35軒の「1ポンド住宅」に600人が申し込んでいるのだそうです(申し込み締め切りは5月12日)。

ここをクリックすると、ストーク・オン・トレント市のウェブサイトを見ることができます。その中にempty homes(空き家)というのと、council housing(最近の市営住宅)というのとprivate sector housing(民間住宅)というコーナーがあって、それぞれの現状を見ることができるのですが、確かにかなり違います。「空き家」エリアなんて、いくら1ポンドでも買う気にはならないのでは?

▼そもそもこの住宅地再開発計画(HMRI)には当初から批判が強かったのだそうです。一定のエリアを「再開発地域」に指定し、そこに存在している住宅は原則として全部取り壊すという方針だったのですが、英国の遺産を残す会(Save Britain's Heritage)という団体などは、「まだ十分使える住宅もあるのに、すべてが取り壊しの対象にしてしまったから、誰もそのエリアには住めなくなってしまった」と批判しています。

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2)安倍さんと靖国
 

麻生副総理・財務相を始めとする安倍内閣の閣僚や国会議員が靖国神社を参拝したことで、中国や韓国がかんかんに怒っていることについて、The Economistの4月27日号が「誰がために鐘は鳴る」(For whom the bell tolls)という見出しの記事を掲載しています。

中国とは領土問題で対立し、北朝鮮の核にも直面している日本にとって、「アメリカが強く求めるように」(as America has urged)韓国と良好な関係を保つことは大きな利益となるはずなのに・・・。さらにThe Economistは、中国と日本の間には、首相、官房長官、外務大臣が靖国から距離を置く限りにおいては基本的な関係は損なわれることはない(relations remain undamaged)という非公式な了解(informal understanding)があるという上智大学の中野晃一氏のコメントを紹介しています。ただ麻生氏は副総理であり、元外務大臣でもあるのだから、今回の彼の参拝は中国との了解を殆ど破ったようなもの(nearly broke the agreement)であると書いています。

The Economistの記事はまたある自民党幹部のハナシとして、今回の麻生参拝は安倍首相自身が参拝しなくても済むように政治的な助け舟(political cover)を提供することを意図したものであると伝えています。安倍さんが麻生さんを派遣したという形にするということです。そうでもしない限り、安倍さんが外国の圧力に屈したというので党内の右派勢力が騒ぎ立てるというのがその自民党幹部の意見であったそうです。

この記事によると、麻生さんが2006年に靖国神社を宗教組織ではなく、国が管理するfoundation(財団)のようなものにしてはどうかと提案していることを挙げて、今回も麻生氏のそのような努力に期待する声があると伝えています。麻生氏の案が実現すると、現在靖国に祀られている戦犯はどこか別のところは移すことが可能になるということです。しかしそれは将来のハナシで、
  • 現在のところは、新たになされた(日韓・日中関係への)ダメージが話題の中心となっている。
    For the moment, attention is focused on the damage freshly done.
とThe Economistは結んでいます。

ところで、The Economistが触れている、麻生さんの2006年の「提案」ですが、彼のホームページ(2006年8月8日)に「靖国にいやさかあれ」という記事が出ています。その中で麻生さんは
  • 靖国はまず、宗教施設でなくなる必要がある。政教分離原則に照らし一抹でも疑いが残る限り、仮に他に問題がなくとも、皇族方はもとより首相や閣僚の参拝が安定しない。無理に参ると、その行為自体が靖国を政治化し、再び本旨を損ねる悪循環を招く。
と述べています。

麻生さんによると、戦争で亡くなった人々を悼むという事業は、本来国家が担うべきであるのに、靖国神社という「一宗教法人に委ねた結果、靖国は支持基盤の衰弱とともに、その存続自体が危ぶまれる状態に陥った」とのことであります。そこでこの際、靖国を靖国社(招魂社)という名前の「国立追悼施設」にして宗教色を抜くことによって誰でも(キリスト教徒でも仏教徒でも無宗教者でも)戦争で亡くなった人々を追悼できるではないかというわけです。チャリティ組織の日本赤十字社というのは昔は陸海軍省所管だったのですね。それが講和条約調印後に特別立法で福祉団体になった。靖国神社も同じ陸海軍省の所管だったのだから、特別立法によって「追悼施設」にすることは可能だ・・・と麻生さんは言っています。

▼麻生さん以外にもう一つ、ニューズウィーク日本版のブログ(4月25日)で、冷泉彰彦さんという在米ジャーナリストが「日米関係まで揺らぐ危険、靖国問題に落とし所はあるのか?」という記事を載せています。靖国神社とは個人的にも繋がりがある立場から、冷泉さんは、靖国神社を民間人の戦争犠牲者(東京大空襲、長崎、広島など)、日本が絡んだ戦争における外国の犠牲者・被害者、反日運動や独立運動における受難者なども合祀するという壮大な計画を提案しています。

▼詳しくは冷泉さんの記事をお読みいただくとして、私が彼の記事に共感を覚えるのは、未来志向性ということです。安倍さんのような「外国の言うとおりにする必要はない」という被害妄想による受身的な発想ではないということです。尖閣・竹島・靖国・・・いずれの場合も必要なのは被害者意識ではないし、とりあえず「波風を立てないように」というご都合主義でもない。自分たちなりの「未来図」です。

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3)シラクさんを思い出させてくれた猪瀬さん

 

猪瀬・東京都知事が、ニューヨーク・タイムズとのインタビューの中で、2020年の五輪招致に関連して、ライバル候補都市であるイスタンブールを悪くいうような発言をしたことが話題になり、猪瀬さんが謝罪、国際五輪委員会(IOC)が東京の招致委員会にIOC規則について注意を喚起する手紙を送ったことで「この問題は終わった」(this concludes the matter)というコメントを発表してお終いということになったわけですよね。

IOCのコメントはともかく、そもそも猪瀬さんがどのような発言をしたとニューヨーク・タイムズで伝えられたのかが気になって調べてみたら4月26日付の同紙のサイトにそのインタビュー記事が掲載されていました。記事そのものはここをクリックすると読むことができます。

猪瀬さんは、「東京以外の候補地は五輪のためのインフラ整備もこれからだし、非常に洗練された施設も作らなければならない。そんなことできるんですかねえ」というニュアンスのことを言ったうえで、明らかにイスタンブールを意識して
  • イスラム諸国はというと、彼らに共通しているのはアラーの神だけで、しかもお互いに喧嘩ばかりしており、階級もあるのですよ。
    Islamic countries, the only thing they share in common is Allah and they are fighting with each other, and they have classes.
と言ってしまった。イスタンブールに関するこのような発言について、ニューヨーク・タイムズの記者が後から猪瀬さん側に問い合わせたところ、広報担当者が次のように説明したとのことであります。
  • イスラム国で五輪開催は初めてということだけでは、(イスタンブールが)開催都市として選ばれる充分な理由とは言えない。それは「初めての仏教国」とか「初めてのキリスト教国」というのが五輪開催の理由にはならないのと同じこと・・・猪瀬氏が言いたかったのは、そういうことだ。
    Inose meant that simply being the first Islamic country to hold the Olympics was not a good enough reason to be chosen, just as being the first Buddhist country or the first Christian country would not be, either.
▼このスポークスマンの説明、分かります?宗教は五輪開催とは無関係と言いたいのであれば、そのように言えば済むことなのに、猪瀬さんは、イスラム国が野蛮で「お互いにケンカばかりしている階級社会」なのだからオリンピックなどやる資格がないと言ってしまった。そして結局「不適切な発言があったことについておわびしたい。イスラム圏の方に誤解を招く表現であって、申し訳なかった」と述べることになった。

日本のメディアの報道を見ると、「イスラム諸国は喧嘩ばかり・・・」という発言だけが問題になっています。IOCの規則ということだけを考えるとそれでいいのかもしれないけれど、ニューヨーク・タイムズのインタビュー記事を読んで、むささびが極めて不愉快な思いをした部分は他にあります。インタビューをした記者は
  • 猪瀬氏は、インタビューの中で何度か、日本文化がユニークである(優越しているという意味)と語った。この考え方は日本では広く受け入れられているものだ。
    At several points in the interview, Inose said that Japanese culture was unique and by implication superior, a widely held view in Japan.
として、猪瀬氏が「日本は他のいかなる文化とも異なる」(Japan was unlike any other culture)という政治学者のSamuel P. Huntingtonの言葉を紹介したと書いています。

▼私は、猪瀬さんの「日本文化がユニーク」という奇妙な思い込みに不快感を抱いてしまう。同じようなことをニューヨーク・タイムズの記者も感じたのだと思うし、IOCの委員たちも感じるであろうと思うわけです。「文化がユニーク」なのは日本だけではない。そんなことも分からないのか?ということです。このような一部の日本人の思い込み(自己陶酔)のおかげで非常に情けない思いをしている日本人はたくさんいると思います。Is he really the top man of your capital town?(あの人、本当にお国の首都のトップなんですか?)とか言われて。

猪瀬氏はまた、トルコが日本よりもはるかに若者人口が多く、そのことが次世代のオリンピック発展のためには好ましいという意見があるということについて、「貧乏人の子沢山」(if you are poor, you have lots of kids)という現象に言及している。まるでトルコが「子沢山の貧乏国」と言っているように(むささびには)響く。さらに日本が長寿国であることに触れて
  • トルコの人々だって長生きはしたいはずですよね。もし長生きをしたいのであれば、我々が日本で享受しているような文化を創造するべきです。若い人がたくさんいるかもしれないけれど、若死にするのでは何にもならないのだから。
    I’m sure people in Turkey want to live long. And if they want to live long, they should create a culture like what we have in Japan. There might be a lot of young people, but if they die young, it doesn’t mean much.
とも言っている。ニューヨーク・タイムズの記事について、IOC委員が「個人的に」不愉快な思いを抱くとすれば、「ケンカばかり・・・」の部分よりも、むしろこちらの方だと思います。

▼私の想像によると、猪瀬さんとしては東京のいい点を積極的にPRしたつもりなのだと思います。惜しむらくは「積極的」ということと「自己陶酔」「傲慢」ということの違いが全く分からなかったということで、結果としてアホみたいに見えてしまったということです。しかも「謝罪」するまでに記事掲載から5日も費やしている。自分のアタマで考えて決断することもできなかった・・・?猪瀬さんの前任の「自己陶酔知事」も五輪招致に失敗、その後で「ブラジルが汚いことをやった」というニュアンスの発言をして世界の笑い者になってしまったのですよね。

▼このニュースで思い出すのは、2005年7月にシンガポールで開かれたIOCの会合で2012年の五輪がロンドンで開かれることに決まったときのことですよね。2012年の五輪はパリ開催が最有力視されていたのですが、シンガポールの会合が開かれる何日か前にロシアのプーチン大統領、ドイツのシュレーダー首相と会談したフランスのシラク大統領が英国の食べ物について「あのようなひどいものを食する人たちを信用することはできませんね。英国の食べ物はフィンランドに次いで世界で二番目にひどい」(We can't trust people who have such bad food. After Finland, it's the country with the worst food)と述べたとフランスのメディアに報道された。

▼で、IOC会合の前夜レセプションに出席したシラク大統領に近づいたのが英国のブレア首相夫人のシェリーさんだった。「あなた、私たちの食べものについてひどいことを言っているそうじゃありませんか」(I gather you've been saying rude things about our food)と金切声で詰問した。これに恐れをなしたシラクさんは、IOCの関係者とろくに話もできずに会場を立ち去ってしまった。お陰で翌日の投票結果はロンドン54票・パリ50票の僅差で栄冠はロンドンに行ってしまったというわけです。投票したIOC委員の中にフィンランド人が二人もいたのだからシラク発言さえなかったら・・・なんてこと今さら言ってみても始まらない!?

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4)R・マードックが戦った相手

 
メディア王、ルパート・マードックについてはむささびジャーナルでも何度も触れてきましたが、否定的なアングルのものが圧倒的だったと思います。むささびが意図的に否定的な報道だけを取り上げたわけではありません。実際に英国メディアでは否定的な報道が多いからそうなるわけです。大衆紙、高級紙、衛星テレビなどメディアの世界を支配し、選挙ともなると特定の候補者を露骨に支援することで、常に英国政治を牛耳っているかのような印象を与えてきた(「印象」だけでなく、実際に牛耳ってきた部分もある)。

最近では自分が経営する大衆紙の記者が電話盗聴をやったというので大問題となり、ついにその大衆紙が廃刊に追い込まれる事態にまでなっており、英国に関する限り、「窮地に追い込まれたメディア王」です。そのようなマードックに対する英国メディアの反応はというと、「ざまあみろ」というものが圧倒的です。

が、4月13日付のオブザーバー紙(The Observer)に掲載された
というエッセイはこれまでとはちょっと違うマードック論です。政治的には左派(リベラル)とされるオブザーバー紙が、全く逆の立場にあるマードックについて「英国を変革した」人物として肯定的に書いている。書いたのはスティーブ・ヒューレット(Steve Hewlett)というジャーナリスト。かなり長いエッセイなので、私が勝手に重要なポイントと思う部分だけ紹介しますので、興味のある方は原文をお読みになることをお勧めします。


ルパート・マードックは1931年、オーストラリアのメルボルン生まれ。今年で82才になる。サッチャーより5才年下ですね。父親(Sir Keith Murdoch)は第一次世界大戦の報道で大活躍したジャーナリストで、マードック家はオーストラリアでも指折りの名家だったのですが、父親は英国のことを「古臭い国」(old country)として毛嫌いしていることを隠そうともしない人物であったそうです。

ルパート・マードックはオックスフォード大学のWorcester Collegeで学ぶのですが、大学時代は筋金入りの社会主義者(dyed-in-the-wool socialist)で、自分の部屋にはレーニンの肖像画を飾っており、オックスフォード共産党とも親しい間柄だった。ただその一方で当時の学生にしては珍しく自家用車を乗り回し、しかもギャンブルが大好きという学生だから大学でもかなり有名な存在ではあった。多くの人がルパートのことを「反逆者」(rebel)であり、アウトサイダーであると見なしており、「自分たちと同類ではない」(not one of "us")と思っていた。

オックスフォードの学友たちに「自分たちと同類ではない」と見なされていたということは、英国の「上流社会」から締め出されていたということであり、ルパートもそのことを強烈に意識していた。彼の反上流階級意識が初めて鮮明になったのは、彼が買収に成功したNews of the Worldの紙上において「クリスティーヌ・キーラー回想録」(Christine Keeler memoirs)なるものを掲載した時とされている。1969年のことです。


クリスティーヌ・キーラーは1961年に起こった「プロヒューモ事件」(Profumo Affair)という政界スキャンダルで渦中の人物となった売春婦です。1961年当時、マクミラン保守党政権の閣僚であったジョン・プロヒューモが、ソ連側のスパイとも親交があった売春婦(クリスティーヌ・キーラー)に国家機密を漏らしたと疑われて辞任したというものです。

マードックは、8年前のスキャンダルを「売春婦の回想録」掲載という形で蒸し返そうとしていると批判された。しかもジョン・プロヒューモ本人はとっくに辞任して、慈善事業に取り組む「善良なる市民」として生活していたのだから、マードックは金儲けのためならなんでもやる「薄汚れた掘り返し人間」(dirty digger)として非難された。これに対するマードックの主張は、「プロヒューモ事件を風化させてはならない」(Profumo Affair should not be forgotten)というものだった。

この回想録の掲載こそが、マードックと「自由主義の英国」(liberal Britain)の決定的対立の始まりとなったものです。ちなみにdiggerという言葉には、オーストラリア人やニュージーランド人に対するさげすみの意味もあるのだそうです。またliberal Britainは、「もの分かりのいい自由主義的なエリートたちによって導かれている英国」という意味でもあり、マードックが忌み嫌っていた英国の気取り屋(English snobbery)のシンボルでもあります。

1969年、ルパート・マードックはThe Sunという新聞を買収します。The Sunは1964年に創刊された、比較的新しい新聞だったのですが、どちらかというと左派系の新聞でスキャンダル専門の「大衆紙」ではなかった。マードックはこの新聞をタブロイドの大衆紙として生まれ変わらせるわけですが、次のような文章を新聞の「マニフェスト」として第一面に印刷していたのだそうです。
  • The Sunは党派政治とは関係ありません。The Sunは過激な新聞であり、恵まれた場でぬくぬくして体制にお辞儀をするようなことはしません。絶対にしません。
    The Sun has no party politics. The Sun is a radical newspaper. We are not going to bow to the establishment in any of its privileged enclaves. Ever.
つまり「庶民の味方」ということですが、最後にEver(絶対にやらない)という言葉を追加したところに「反体制」マードックの意気込みが見えるようです。そしてThe Sunは大成功を収めるわけですが、スティーブ・ヒューレットは成功の理由としてマードックの編集哲学を挙げています。それは
  • 読者が望むものを提供することであり、読者が「知るべき」だと誰かが考えるものを提供するのではない。
    to give readers what they wanted as opposed to what someone else thought they should have.
ということです。読者が見たいのであればヌード写真もバンバンやるし記事もセンセイショナルな見出しでド派手に訴える。The Sunは1979年の選挙でサッチャー率いる保守党を支持、保守政権誕生に大きく貢献したのですが、そのことに恩義を感じたサッチャーが、当時のThe Sunの編集長だったラリー・ラム(Larry Lamb)を大英勲章の叙勲リスト(honours list)に記入した。ラムもこれに感激して喜んで勲章を受けるのですが、マードックは直ちに彼をクビにした。マードックの傘下に入ったThe Sunは、英国の叙勲制度に反対するキャンペーンを行っていたのだそうです。考えてみると「叙勲」などという制度は「体制」そのものですよね。


その後マードックは高級紙とされるThe TimesとSunday Timesの買収に成功、さらに衛星テレビ局(Sky TV)も手に入れてメディア王として大成功の道を歩んできた。高級紙の方はいまだに赤字だそうですが、テレビの世界のThe Sunと言われる大衆性が受けて、BSkyBの加入世帯は1000万に達している。大衆紙であれ、衛星テレビであれ、マードックは「人々が望むもの」(what people want)を提供して成功している。人々が読むべき・見るべきであると自分たちが考えるものを提供してきた、BBCに代表されるメディアの世界の「上流階級」にとっては苦々しい限りです。

が、「人々が望むもの」を提供してきたことの帰結の一つがNews of the Worldによる電話盗聴事件であり、同紙の廃刊だった。あれ以来マードックは自分が親分であるはずのメディア企業でもコントロールを失いつつある。100%所有を望んだ衛星テレビ局の完全買収も諦めざるを得なくなった。いわば「落日のメディア王」となっているわけですが、スティーブ・ヒューレットによると、電話盗聴事件以前に、マードックのメディア企業はトニー・ブレアの労働党に代表される「新しい体制」(new establishment)の一部になってしまっていた。「利己的で堕落しやすい」(self-serving and corruptible)という意味では、マードックがさんざ戦ったはずの昔のエリートたちと同じようなものになってしまったというわけです。

スティーブ・ヒューレットは自分の「マードック論」を次のように結んでいます。
  • 英国におけるマードック時代はほぼ終わったようなものだ。「早く終わってくれて良かった」という声が聞こえそうである。しかし40年におよぶマードック時代というものを経験した英国は、それがゆえに昔より悪くなったと言えるのだろうか?
    For Britain, the Murdoch era is almost over - not a moment too soon, I hear some of you say. But is Britain really worse off for having had 40 years of Rupert Murdoch?
▼このエッセイを通じてスティーブ・ヒューレットが提起している問題はどれもディスカッションの材料として欠かせないものばかりです。まず英国の新聞界に登場したばかりのマードックの新聞観。「読者が読みたい」ものを載せるのであって、「読むべきであると編集者が考えるもの」を載せるのではないということ。前者は商業主義、後者は啓蒙主義と定義できるかもしれないですね。マードックの商業主義的な新聞観は正しいのか、間違っているのか?「一概にどちらとは言えない」などと分かり切ってことを言わずに、敢えて断言してみると、私は(読者として)商業主義には反対ですね。自分が何を望んでいるのかをマードック(編集者)に決めてもらいたくないということです。

▼次に興味深いのはサッチャーとの関係です。「反体制」という意味では似た者同士だし、彼は11年半、サッチャーの保守党政権を新聞人として支持し続けた。が、不思議なのは、サッチャーの回想録(Downing Street Years)にマードックのことが全く出て来ない。自分が見つけてきたThe Sunの編集長(ラリー・ラム)がサッチャーのおかげで叙勲された途端にクビにしてしまった。オーストラリアからやってきて、遊び半分とはいえ社会主義やレーニンにかぶれたことがある人間と、イングランドの田舎町出身ではあるけれど超保守的イングランド人である女性首相では、「叙勲」制度に代表される「体制」に対する感覚が違っていたということでしょうね。

▼さらにマードックは1997年の選挙で、なぜブレアの労働党を支持したのでしょうか?あのころ「首相らしくない」と、メディアの間では悪評サクサクだった保守党のメージャーと比較してブレアは颯爽としていていかにも新しい時代の到来を思わせる部分があった。労働党なのに企業の国有化政策を破棄したブレアに「新しい体制」(new establishment)の臭いをかぎ取ったということでしょうね。ガリガリの左翼青年だった人間が労働党を右寄りにさせた首相を支持したということです。ダボスの世界経済フォーラムは、世界中の「新しい体制」の担い手が集まる場だった。もちろんマードックもその一人として招待されていたわけですが、その彼の眼から見ると、王室に代表される英国の古い体制はもはやケンカ相手でさえなかった?

▼最後に、マードックが英国のメディアを支配した40年は英国にとって良かったのか、悪かったのか?スティーブ・ヒューレットは「特に悪くなった(worse off)部分はないのではないか」と言っています。むささびとしては、「良くなった(better off)部分」はあるのかと聞いてみたい気がするのですが、こればっかりは英国人でないと分からない。サッチャーの死が伝えられたときには多くの英国人が涙を流したけれど、マードックの場合はどのような反応を示すのでしょうか?

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5)どうでも英和辞書
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bank note:紙幣

3年後の2016年から新しい5ポンド紙幣が使われることになっているのですが、イングランド銀行によるとそれに使われるのがウィンストン・チャーチルのポートレートになるのだそうです。この際、英国の紙幣についておさらいをしておくと、£5、£10、£20、£50の4種類があるのですが、使われているポートレートには世界的に有名な人物が多いですね。『種の起源』のチャールズ・ダーウィン(£5)、経済学者のアダム・スミス(£20)、蒸気機関のジェームズ・ワッツ(£50)等々。日本ではそれほど知られていないかもしれないのが現在の5ポンド紙幣に使われているElizabeth Fryという人。18世紀後半から19世紀中ごろまで活躍した女性の社会改革者で特に刑務所の改革では世界的に知られているのだそうです。

イングランド銀行のサイトには紙幣で使われた人物とまだ使われてはいないけれど候補には違いない人物のリストが掲載されています。使われた人物には、アイザック・ニュートン、ウェリントン公、マイケル・ファラデー、チャールズ・ディッケンズ、フロレンス・ナイチンゲールらが入っています。また「候補者」となるとわんさと名前が挙がっているのですが、日本でも知られている人物としては、ダイアナ妃、ビートルズ、ミック・ジャガー、デイビッド・ベッカムらも入っています。
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6)むささびの鳴き声
▼猪瀬さんのハナシを蒸し返して申し訳ないけれど、ニューヨーク・タイムズの記事における発言が問題になりそうになっていたとき彼は「真意が正しく伝わっていない」というコメントを発表したのです。これ、政治家が失言をしたときによく使う言葉ですよね。で、これを英語に直すというとどのようになるのだろうと思ってネットを調べていたら毎日新聞の英文版が
という英訳を使っていました。

▼real intentionsが「真意」で、「正しく伝わっていない」はnot accurately conveyedというわけですね。私、この中のreal intentionsという言葉がしっくりこない気がしてBritish National Corpusという英語の使い方集で調べたところ"real intentions"の使い方の例として次の英文が出ていました。
  • In any case she could always find out his real intentions by telling him she was pregnant.
▼「自分が妊娠したということを彼に告げることで、彼の本当の気持ちを知ることができる」という意味です。普段は「愛してる」だの「キミがいちばん大切だ」とか言っているけれど、実際にはそんなこと全く考えていないかも・・・というわけで、この例文に見る限り、real intentionsは「本音と建て前」の「本音」ということです。口でうまいこと言っても腹の中で何考えてんだか・・・という、あれです。右の写真では握手しながらナイフで殺そうとしている。これです、real intentionsというのは。

▼そうなると、猪瀬さんのコメントである「真意が正しく伝わっていない」を"My real intentions..."とやってしまうと妙なことになりません?仲間内でケンカばかりしている「イスラム圏」のイスタンブールではまともな五輪などできっこない・・・これが猪瀬さんの「本音」なのだから。つまりニューヨーク・タイムズの記事は猪瀬さんのreal intentionsを「正確に伝えた」(accurately conveyed)のであります。

▼(話題を変えて)インターネットの世界には面白いモノがあるのですね。「ゼゼヒヒ」というネットの国民投票というサイト、誰が考えついて、どのようにやっているのか、むささびは知らないけれど、すごいなぁと感心してしまう。私同様、知らなかった人のためにちょっとだけ紹介すると、「英語は日本人全員に必要だと思いますか?」には回答が822件あって、「必要」が28%(232人)、「不必要」が72%(590人)となっている。私も「不必要」組ですね。「北朝鮮に脅威を感じますか?」というアンケートの結果はどのようなものだと思いますか?「感じる」が61%(196人)、「感じない」は39%(123人)です。テレビなどを見ていると「感じる」が95%くらいだと思いません?猪瀬さんの話題を取り上げたついでに、「ゼゼヒヒ」サイトにおける「東京の五輪招致」についての賛否はというと、賛成411人(27%)・反対は1121人(73%)という結果です。これはじぇったいIOCには見せたらあきまへんでぇ。


▼このサイトにおける「国民投票」の結果をマジメにとる人もいるし、ギャグ程度にしか考えない人もいると思います。一つだけはっきりしていると思うのは、主要メディアによる世論調査の回答者がどちらかというと高齢世代であるのに対してゼゼヒヒの回答者は圧倒的に若い人たちであろうということです。メディアの世論調査は電話で行うのが普通です。それも携帯ではなく、家庭にある固定電話。むささびの勝手な想像で間違っているかもしれないけれど、電話による調査は大体において「週日・昼間」なのではないかと思います。そのような電話に回答する人は高齢者に決まっています。それに対してゼゼヒヒのような活動に参加しようと思うのは、20~40代というのが多いはずです。それとゼゼヒヒの場合、回答者がそれぞれ「意見」を述べているのが素晴らしい。数字もさることながらそちらの方が面白い。こんなサイトを考えた人に乾杯したいですね。

▼田端義夫が亡くなりましたね。すごいじゃありませんか、94才ですよ!「かえり船」というのをご存じですか?「波の背の背に 揺られて揺れて~」という歌詞なのですが、この歌が発表されたのは1946年だそうです。終戦の翌年です。私は5才。歌詞の意味など分かりっこないのに最初と最後(夢もわびしく よみがえる)だけ憶えてしまった。バタやんとくればなんつっても「大利根月夜」ですな。「あれを御覧と 指差す方(かた)に 利根の流れを ながれ月~」ときて、「今日は 今日は涙の 顔で見る~」で締める。泣かせるじゃありませんか。

▼というわけで、本日は「子供の日」です。「母親に感謝する日」という意味もある・・・とNHKのラジオが言っておりました。
 
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