musasabi journal

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275号 2013/9/8
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書


1)お墓が足りない!
 
8月31日付のThe EconomistにTombstone blues(墓石ブルース)という記事が出ています。英国では現在、墓地内のお墓のスペースが足りなくなって困っているというもので、特にロンドン以外の地方でそれが激しいらしく、この記事も
  • ロンドンが唯一、田舎よりも混雑していないところ。
    In just one way, London is less overcrowded than the countryside
というイントロになっています。

墓地・火葬管理協会(Institute of Cemetery and Crematorium Management:ICCM)のモリス専務理事によると、30年以内に殆どの墓地が満杯状態になる。英国の人口自体が増加していることもあるけれど、1990年代に急増した火葬がここにきて横ばい状態になっているのだそうです。

ヨーロッパ大陸の墓地(cemeteries)では現在使われている墓を再利用することが許されている。つまり墓穴をさらに深く掘って現在埋められている棺桶をさらに深く埋め、その上に新しい棺桶を置くというシステムです。なるほどそれもひとつの手ですが、英国では150年以上も前のビクトリア時代に作られた法律によってこれが禁止されているのだそうです。なぜ禁止されたのか?それは墓泥棒を防止することが理由だった(とThe Economistは言っています)。ただ英国の場合、教会の敷地内の「正式」なお墓が満杯の場合、敷地の外側にあるスペースではお墓の再利用が一般的に行われているのですね。

ICCMは長年にわたって墓の再利用を禁止している法律を改正するようにロビー活動を行っているのですがなかなか進まない。その一方で生まれ育った町や村のお墓に入れなかった人々が遠くの町にある墓地に埋葬されるケースが増えており、家族や親せきがお墓参りをするのに不便このうえないという不満が高まっている。大体において墓地は地方自治体が管理しているのですが、自治体によっては地元出身者以外の利用者には高い利用料金を課しているところも少なくない。

ロンドンでは2007年から墓の再利用が許されているらしいけれどいろいろ制約はある。例えば再利用される墓が私有物であり、75年以上いっさい手が付けられない状態で地元自治体の管理下に置かれることになったお墓だけが再利用を許される。墓地内には、古ぼけた墓石がごろごろしていて、墓地を管理する自治体もどうしたらいいのか分からないというケースも多いらしい。

そのロンドンのNewhamという区で1881年創業という歴史を誇る葬儀屋の経営者によると、Newhamの墓事情は最近改善の兆しを見せている。背景の一つとして挙げられるのがイスラム教徒の住民が増えていることなのだそうです。この区の人口の3分の1がイスラム教徒なのですが、彼らの場合は区以外の場所に自分たちだけの墓地を持っており、地元の墓地は使わないということです。さらに移民社会の場合、家族が亡くなると自分たちの生まれ故郷の国で埋葬するケースもあるのだそうです。もちろん経済的に可能な家族に限るのですが、この葬儀屋の経営者は「最近では亡くなった人の本国送還が当社のビッグビジネスになっている」(Our big business is repatriation now)と言っています。

▼戦後英国の社会福祉政策のシンボルとなったのが「揺りかごから墓場まで」(from the cradle to the grave)というスローガンだった。そのうちの墓場がピンチというわけですね。地方の場合、現在ある墓地の隣に空き地があるのに、住宅開発に使われてしまって、墓地建設には回ってこないのだそうです。

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2)Facebookの不幸な世界?
 

あなたはFacebookの会員ですか?Twitterは使います?スマホは?私(むささび)はFacebookのアカウントは持っていますが殆ど使ったことがありません。実はTwitterのアカウントも持っているけれど、こちらの方は一回も使ったことがありません。スマホは持っていません。要するにこの種のものには非常に弱いということです。

で、米ミシガン大学のイーサン・クロス(Ethan Kross)という心理学の先生が調査してPublic Library of Science ONE(PLOS ONE)というサイト上で発表した報告によると、Facebookについては熱心なユーザーほど生活上の満足感が薄いのだそうであります。日本のメディアでも紹介されましたか?この先生のチームは、10代後半から20代前半のFacebookユーザー82人にボランティア参加してもらい、それぞれが自分のスペース上で誰とどのような会話をしたのかを2週間にわたってモニターすると同時にそれぞれに心境の変化のようなものをアンケート調査したのだそうです。

アンケートはメールで質問する形式をとったのですが、「いまの気分は?」(How do you feel right now?)とか「さびしいと感じていますか?」(How lonely do you feel right now?)、「心配事は?」(How worried are you right now?)など5項目の質問があり、参加者はそれぞれの程度をゼロから100までの数字に置き換えて答えるというやり方だった。「いまの気分は?」に対する答えとして、「気分は爽快」はゼロだし、「落ち込んで死にたいくらいだ」は100という具合です。さらに電話による会話も含めて他の人と直接接触した回数などについても聞いている。

その結果明らかになったのは、アンケートとアンケートの間にFacebookを利用した回数が多い人ほど心理的な幸福感が減少するということだったのですが、もう一つ分かったのはアンケートとアンケートの間、他人と直接接触(電話による会話も含む)する回数が多かったりすると、幸せ感が増大するということだった。また調査開始時の心境と2週間後の終了時の心境をたずねたところ、Facebookの利用回数が多かった人ほど生活上の満足感が低いという結果になったのだそうです。

この調査では一日5回のアンケート以外に、それぞれがFacebookを使うに至った動機を聞いているのですが、それによると
  • 友人と連絡を取り合う:98%
  • 新しい友達を見つける:23%
  • 良いことを友人とシェアする:78%
  • 悪いことを友人とシェアする:36%
などとなっています。Facebookのようなソシアル・ネットワーク・サービス(SNS)がユーザーの心境に与える影響についてはこれまでにもいろいろと調査されているのですが、2週間という期間を設定して連続的に心の変化を調べた研究は珍しいのだそうです。

▼つまりFacebookてえものは、すでに知っている人たちと連絡を取り合うための世界であり、新しい知り合いを見つける場ではないし、良いこと(good things)は伝え合って楽しむけれど、悪いこと(bad things)については黙っている・・・そういう世界なんですね。後者の傾向は面白いと思いますね、私は。Facebookを使っている若者たちは、楽しいことや良かった経験については語り合うけれど、そうでないことは話さない・・・なのにlife satisfaction(生活上の満足感)は低いってことですね。

▼他人と実際に顔を合わせる世界の場合はどうなのでしょうか?そんな場合でも、若い人たちはいいことばかり話し合うのでしょうか?私の想像によると、おじさんたちの場合、Facebookでは高級イタリア料理店で食事して楽しかったなどというハナシを伝えるけれど、冴えないスナックなどでたむろすると、「世の中、気に入らねえことばっかしだよな。な?そうだろ?アベノミクスだかアベカワモチだか知らねえけどよ・・・ざけやがってさ・・・おネエさん、ビール!」というような会話ばかり。とてもFacebookで公開できるような代物ではない。でも実際にはスナックでの会話の方に充実感を覚えたりして・・・。ちなみに英国におけるFacebookの利用者は2400万人だそうで、本当だとすると全人口の3分の1を超えているってことですね。

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3)教材としてのBarefoot Gen(はだしのゲン)
 

松江市の教育委員会が学校の図書館で閲覧制限を加えようとして話題になった漫画『はだしのゲン』ですが、第1弾が『月刊少年ジャンプ』(集英社)に掲載されたのは1972年、著者の中沢啓治さん(2012年死去)は私より二つだけ年上なのですね。私自身はこの漫画の名前だけは聞いたことがあったけれど読んだことはなかった。松江市の教育委員会でこの作品が問題になったことについて、英国では(私の見た限りですが)8月23日付のTelegraph、同26日付のGuardianのサイトがごく短く伝えていました。

『はだしのゲン』の英訳は"Barefoot Gen"というのですね。これをキーワードにして検索していたら、おそらくアメリカのものと思われるComics Observerというサイトに行き当たりました。漫画やコミック関連情報が掲載されているサイトなのですが、アナスタシア・ベッツ(Anastasia Betts)という元小学校教師が、"Barefoot Gen"を教材として使ったときの経験を語るエッセイを載せていました。

ベッツさんは南カリフォルニアで暮らしており、現在は教材制作会社を経営しながら、漫画やイラストを学校教材として使う研究と運動に取り組んでいます。Comics Observerに掲載された彼女のエッセイ(かなり長い)をエッセンスだけ紹介してみます。エッセイのタイトルは
  • Comics in Education: Teaching Controversial Comics
    教育と漫画:物議を醸している漫画を教材として使うということ
となっています。ベッツさんによると、この漫画で使われている「ドタバタ風暴力シーン」(slapstick type violence)に慣れるのにちょっとだけ時間がかかったけれど、数ページ読み進むうちにこのストーリーにのめりこんでしまった(get lost in the story)のだそうです。
  • 『はだしのゲン』はこれまでに読んだコミックの中でも私が最も好きなものだ。静かで、謙虚で、子供らしい。この漫画を数巻読んでいくと、非常に良くできた子供のための漫画を読んでいるような気になる。表向きは娯楽だが皮をむいていくと深い意味がいっぱいに詰まっているという感じである。
    It is, I believe, my most favorite comic of all time. It is quiet, unassuming, and childlike. Reading portions of this comic is like watching a very clever child’s cartoon: entertaining on the surface, but chalked full of meaning if you begin to peel back the layers.
この作品に惚れ込んでしまったベッツさんは、『はだしのゲン』を教材として使うことに決め、学校当局に提出する企画書(カリキュラム)を作り始めた。教育的な理由づけはそれほど難しくはなかった。
  • この作品に描かれているようなことが二度と起こってはならない。そのためには何が起こったのかをあらゆる悲劇的な詳細も含めて知る必要がある。
    We never want this to happen again - and therefore we have to know what happened, in all its tragic detail.
というわけですが、ベッツさんが『はだしのゲン』を教材として使うことにためらいを覚えたのは、本の真ん中あたりに出てくる、あるシーンであったと言います。そのシーンとは、平和主義者であるゲンの父親の態度に腹を立てた学校の担当者が、父親の娘(ゲンの妹のことか?)を校長室に呼び出して洋服を脱がせて立たせたうえに侮辱的な言葉を浴びせるというシーンだった。
  • この場面を読んだとき、教材として使うのはやはり無理かもしれないと深刻に悩んでしまった。生徒の親、学校の運営者たち、さらには学生たちも、このシーンには大いにとまどいを覚えるのではないかと思ったからである。
    But when I read this part of the book, I became seriously worried that I would never be able to use the book because parents and administrators, even students, would be so disturbed by it.
その場面だけ飛ばしてしまおうかとも思ったほど深刻に悩んだ挙句にベッツさんが到達した結論は、ストーリー全体からしてこの場面を抜かすことは絶対に出来ないということであり、親や学校当局に分かってもらうように努力するしかないということだった。

ベッツさんのエッセイは、彼女が『はだしのゲン』に感激して教材として使おうと決心するまでを書いており、実際に使ったのかどうか、使ったとして学校当局、親たち、子供たちからの反応はどうだったのかについては書かれていない。ただ彼女が教師としての体験から学んだ教訓のようなものがいくつか書かれています。例えば「教材を使う生徒・学生の年齢層を考慮する」とか「学校当局の許可を得ておくこと」等々がありますが、
  • Preteach, preteach, preteach!
ということがあった。その教材を使って授業をする以前に、出てくる事柄についての予備知識のようなものをしっかり与えておくことで、"Barefoot Gen"の場合は、「戦争」や「性暴力」のような事柄についての事前のミニレッスンが必要だとしています。

彼女によると"Barefoot Gen"を教材にした授業は、小学校5・6年から大学生まで可能なのだそうですが、授業をするにあたっては、原爆投下についてはいろいろな見方があるということ教えることが肝心だと言います。この漫画だけを読んでいるとどうしても投下に批判的になるけれど、原爆投下によって日本本土への米軍の上陸が避けられ、それによって何百万人もの人が死なずに済んだという見方もあるということを伝えることが重要であるとしています。それによって子供たちのinformed judgments(いろいろと知ったうえで判断する)が可能になるのだから・・・ということです。ベッツさんはさらに授業を通じて子供たちが学校外の世界との繋がりを見つけることも大切だとして、『はだしのゲン』の場合はHiroshima Peace Projectという活動への参加を奨励したとしています。

アナスタシア・ベッツさんによると、"Barefoot Gen"のような「物議をかもしそうな内容」(controversial content)の授業をするにはいろいろと考えなければならないことが多い(a lot to think about)ので、大変ではあり、それを避けたがる教師が多いけれど、「やってみる価値はある」(It's worth it!)と言っています。

▼上の漫画のカットは英文版Barefoot Genの中のシーンです。左側のカットは、ゲンが反戦論者の父親と会話しているところです。
  • B...BUT EVERYONE SAYS KOREANS AND CHINESE ARE STUPID...
    ゲン:で、でも朝鮮人と中国人はバカだって、みんな言ってるよ。
  • DON'T BE FOOLED
    父:だまされちゃダメだよ。
で、右側のカットは父親がゲンにお説教をしている場面です。
  • IT'S JUST THE PEOPLE AT THE TOP WHO BEGAN THE WAR THAT SPREAD THAT THEY'RE STUPID....THAT JAPANESE ARE SUPERIOR AND THAT KOREANS AND CHINESE ARE STUPID AND USELESS...
    朝鮮人や中国人がバカだという噂を広めたのは、戦争を始めた上の人間たちなのだよ。日本人は偉くて、朝鮮人と中国人はバカで役立たずだってな。
▼日本語はむささびが勝手につけたものです。アナスタシア・ベッツが教材として使ったBarefoot Genにはこのようなシーンやセリフがたくさん出てくるのでしょうね。ネットで見ていると、英語圏の読者と思われる人々が読後感を述べているブログがわんさとあるのですが、次のようなニュアンスのコメントが非常に多いことに気が付きます。
▼おそらくアメリカの読者のコメントではないかと思うのですが、話題が原爆だけに身構えて読んでみたら、日本人自身のことを非難する部分はあるけれど、アメリカ人を非難する部分がないという点に意外な想いをして、戦争と平和の問題に頭が行くということなのでしょう。

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4)シリア:アサドに懲罰の一撃を!

 

このむささびジャーナルが出るころにシリア情勢がどうなっているか分からないけれど、9月1日付のBBCのサイトのトップニュースの見出しは
というものだった。このまま訳すと
  • シリア危機:オバマ大統領の決定延期はアサド大統領に力を与える可能性がある
ということになる。シリアへの軍事介入を望むアメリカか英国の政治家の発言かと思ったらシリアの反大統領派幹部の発言だった。つまり「さっさとアサド攻撃に踏み切ってくれ」と言っている。

この際、シリア爆撃についての賛成意見と反対意見の典型と思えるものを一つずつ紹介してみます。まずは軍事行動賛成のThe Economist誌8月31日付の社説から。この雑誌を「英国の」メディアに入れていいのかどうか疑問がなきにしもあらずですが、とりあえず発祥が英国であるということで紹介することにします。で、この社説ですが、まず
  • Hit him hard(アサドに強烈な一撃を)
と言ってから次のようなイントロが続いています。
  • Present the proof, deliver an ultimatum and punish Bashar Assad for his use of chemical weapons
    証拠を提出し、最後通牒を与え、アサド大統領に罰を与えよう。彼は化学兵器を使ったのだ。
The Economistによると欧米の取るべき道は次の三つのうちのどれかであります。
  1. 何もしない。
  2. アサド大統領およびその政権を追放するという明確な目的を持って持続的な攻撃(sustained assault)を加える。
  3. この独裁者が化学兵器を使用したことへの罰として短期間ではあっても強烈な一撃を与える。
これらの選択肢のうちベストなのは選択肢3、即ち短期間にアサド政権にとって致命的となるような爆撃を加えることで、化学兵器を彼らの手から取り上げ、しかも「もう二度と化学兵器など使うまい」と思わせるような強烈な一撃を加えることである、とThe Economistは言っています。

選択肢1の「何もしない」というのはアサド大統領のような独裁者に対して化学兵器を使っても大丈夫だと思わせることになり、事態がさらに悪化する。それから選択肢2はアサド追放まで攻撃を続けるというのですが、The Economistによると、アサド政権がかつてよりも強化されているだけでなく、反対派の中でイスラム過激派が勢力を伸ばしてきており、選択肢2をとると、結果としてイスラム過激派の反アサド闘争を支援することになってしまう可能性がある・・・というわけでこれもアウト。

選択肢3については具体的にいうと、例えばアサド大統領一派が指令塔として使っているような場所や建物に対して、一週間連続で爆撃を加える、あるいは彼の宮殿そのものに爆撃を加える・・・このような攻撃を徹底しても、それだけでアサド追放ということはできないかもしれないけれど、反対派を大いに勇気づかせ、アサド大統領を交渉のテーブルに引きずり出すことに繋がるかもしれない。あるいはそれでもアサド大統領が白旗をあげることはないかもしれない。そのような場合は・・・
  • 彼には極力、情け容赦を与えるべきではない。まさに彼自身が自国民に対して行ったと同様に情け容赦のない仕打ちを行うべきである。もしアメリカのミサイルがアサド大統領本人に命中しても構うことはない。悪いのはアサド大統領とその一派なのであるから。
    He should be shown as little mercy as he has shown to the people he claims to govern. If an American missile then hits Mr Assad himself, so be it. He and his henchmen have only themselves to blame.
というのがThe Economistの主張です。かなり長い記事をはしょって紹介しました。原文はここをクリックすると読むことができますが、読めない場合は「むささび」宛てお知らせください。

▼非常に好意的に考えて、この社説を書いた人は、世の中常に善か悪かで動くと確信しているようです。サリン・ガスを使って自国民を殺害する独裁者をやっつける手助けをして何が悪いのさ・・・ということです。この記事の中に頻繁に出てくるキーワードだと(むささびが)思うのはpunishmentという言葉です。悪いことをした人間を「罰する」ということですよね。非常に情緒的・感情的だと思いません?さらにこの記事の中でアサド大統領の同盟者としてイラン、ロシア、ヒズボラと並んでレバノンのイスラム教シーア派の過激グループが名指しされていて、それが「悪」であることの根拠として、「5万発のロケット弾とミサイルでイスラエルを脅迫している」(threatens Israel with 50,000 rockets and missiles)ことを挙げている。

▼アサド大統領はとんでもない極悪人であり、欧米軍がミサイルを雨アラレと打ち込んで、アサドの肝を冷やしてやれば事態は良くなるというわけですが、そんな「極悪人」がミサイルを撃ち込まれた程度で「おそれいりやした」と化学兵器を差し出すわけがないですよね。The Economistは、そんなときはミサイルでアサドを撃ち殺しても「構うこっちゃない」(so be it)と言っている。その結果として中東全体がますます不安定になり、それがアフリカまで飛火して・・・というようなことはThe Economistだって考えている。それでも悪いヤツは「罰する」のは何故?そのことに自分たちの生き死にがかかっている(と思い込んでいる)人たちがいるからですよね(あえてどの人たちとは言いませんが)。つまり一見「情緒的」と思える主張にもそれなりに必死な部分があるのかもしれないということです。だから「傾聴に値する」と言っているのではありませんが。
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5)シリア:介入しない勇気

 

シリアの問題について、8月29日付のGuardianのサイトが同紙のコラムニスト、サイモン・ジェンキンス(Simon Jenkins)のエッセイを掲載しています。彼の主張は、The Economistの社説(上の記事)が言う「何もしない」という選択肢で、見出しは
となっており、イントロには
  • シリアにおける人間の悲劇は見るに忍びないが、結果を考慮しない、中途半端な軍事介入の類は賢明ではない。政治家のエゴを満たすだけだ。
    The human misery in Syria is agonising to watch. But intervention-lite is a bad idea for all but the politicians' egos
と書かれています。

国連決議1674というものがあって、ある国の国民が自国の政府によって虐待されたりしている場合はその国民に対する「保護責任の原則」("responsibility to protect" doctrine)というのがある。英国政府がシリア攻撃の正当化として挙げたのがこの原則だった。ただこの原則を適用して他国を攻撃するには安保理の承認が必要になる。それが今回はないのだから「保護責任の原則」適用はきかない。

ジェンキンスによると、化学兵器の使用はひどい(awful)ことであるけれど、だからと言って超法規的な方法でシリアを爆撃するというのは「手前勝手」(wilful)なのだそうです。そもそもなぜ今回の化学兵器の使用がこれほどの大問題になっているのかというと、オバマ大統領が一年ほど前に「もしシリア政府が化学兵器を使うようなことがあったら、それは絶対に越えてはならない線(red line)を越えてしまう行為にあたる」という警告を発したということが遠因になっている。
  • (化学兵器の使用が”それだけは許せない”行為である)というのは、アメリカ大統領が発する警告としては奇妙なものではないか。アメリカ自身の兵器庫にはリンだの劣化ウラニウムだのを使った爆弾があるし、延期クラスター爆弾のようなものもある。もちろん核兵器もだ。それらの爆弾や兵器の存在はタブー視されることがないのに、なぜ化学兵器だけがそのような扱いになるのか。ミステリーとしか言いようがない。
    This is odd from a leader whose own arsenal embraces phosphorous and depleted uranium shells and delayed-action cluster bombs, not to mention nuclear weapons. Why such dreadful weapons are not taboo, and chemical ones are, is a mystery.
ここで「なんとかしろ」(Something-must-be-done)熱に浮かれるロビイストたちに動かされて「限定的な爆撃」などやってみてもシリア国内の勢力バランスにはほとんど影響がなく、単に難民の数を増やし、ロシアとその同盟国を遠ざけ、穏健派が主導権を握ったイランを不必要に怒らせるだけ。ハッピーなのは、「独裁者に罰を与えた」("punish a dictator")というので、大きな顔をして気分も爽快という欧米の政治家だけだ・・・とジェンキンズは決めつけている。

ミサイルを数発撃ちこんだからといってシリアが自由と民主主義の国になるなどと考えること自体がナンセンスであるけれど、そうやってアサド一派を追放した後に誰を大統領にしようと言うのか?アサド政権崩壊で喜ぶのはヒズボラかアルカイダか、あるいはイスラム教スンニ派の過激グループか・・・どれをとってもアサド政権より血なまぐさくないということはない。

ジェンキンスによると、ある国における紛争に外国が関わるとロクなことがないという事実を認めるのは勇気がいるけれど、内戦というものは、戦っている同士が内戦そのものに疲れてしまうか、あるいは近隣の国のどこかが侵入して鎮圧するかのどちらかで終わりを告げるというのが普通であり、遠くの外国が爆弾を数発落として済むようなものではない。シリアの内戦は見ているだけでも苦しいものであり、最大の外交努力と人道主義的な援助が振り向けられねばならない。
  • 爆弾はこの際出る幕ではない。爆弾は大きな音がして新聞の見出しにはなる。政治家に大きな顔をさせ、その支持者たちが名誉の埃にまみれることもある。爆弾こそが現代政治の最も愚かなる自己主張というものである。
    Bombs are irrelevant. They make a bang and hit a headline. They puff up the political chest and dust their advocates in glory. They are the dumbest manifestation of modern politics.
とジェンキンスは結んでいます。

▼むささびジャーナルの初期のころ(2003年3月23日発行の第3号)に、ブレア政権のイラク攻撃についての新聞のコラムニストの意見を紹介する記事が載っているのですが、そこでサイモン・ジェンキンスの意見も紹介されています。当時はThe Timesのコラムニストだった。下院で大評判だったブレア演説についてジェンキンスは”Bin Laden's laughter echoes the West”(ビン・ラディンの高笑いが欧米に響き渡る)とし「アメリカによるイラク攻撃で一番喜んでいるのはビン・ラディンだ。無心論者のサダムが懲らしめられるのみならず、アラブ全体に反米感情が広がる…」というわけで、ビン・ラディンにとっては正に「一石二鳥」と言っています。

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6)シリア:英国人が拒否した軍事介入
 

8月29日、キャメロン首相が議会に提出した、アメリカらと同調して軍事介入するという動議が下院で否決され英国は軍事介入には同調しないことになったわけですよね。下院での投票結果は軍事介入に「賛成」が272票、「反対」が285票だったのですが、「反対票」の内訳は労働党が223票、自民党が11票、「その他の党」が21票ときて、キャメロンにとってショックだったのは保守党から30人が反対の投票をしたということだった。さらに言うと、欠席した議員が保守党から33人も出たというのも計算外だったかもしれない。保守党議員304人のうち63人が賛成しなかったということですから。

その8月29日の下院での審議の様子はここをクリックすると動画で見て聴くことができ、ここをクリックすると文字で読むことができます。軍事介入が否決されたことを受けてのキャメロン首相の締めくくり発言は次のようになっています。
  • 今夜明らかになったことは、下院が動議を可決しなかったということで、英国民の意思を反映している議会が英国の軍事行動には反対であるということであります。了解しました。政府としてはその線に沿って行動いたします。
    It is very clear tonight that, while the House has not passed a motion, the British Parliament, reflecting the views of the British people, does not want to see British military action. I get that, and the Government will act accordingly.
「議会の意見は国民の意見」とキャメロンは認めたのですが、ではその国民はシリア問題についてどのように考えていたのでしょうか?YouGovの世論調査でも軍事介入には反対という意見が多いようです。下院で政府提出の動議が否決される一日前に行われた調査結果は次のように出ています。


YouGovの調査で興味深いのは、シリアの反政府勢力への肩入れにも反対の意見が多いということで、外国の内戦に首を突っ込むのは止めようというわけです。The Economistのような軍事介入賛成のメディアは、独裁者を追放するためにシリア国内の反政府分子を支援することを訴えています。そうすれば英国人の血が流されずに目的を達成できるではないかということです。しかしこの調査に見る限り英国人の意見は他国の内戦に介入すること自体に反対しているように見えます。かと言ってシリア人の苦しみに無関心というわけではなく、人道支援は行うべきだという意見が圧倒的に多い。

議会における否決後にBBCが行った世論調査でも、下院の議決が正しかったとする意見が71%で「誤りだ」という意見の20%を大きく上回っています。この調査では、
  • Will the vote hurt Britain's international standing?
という質問もされています。「議会が軍事介入を否決したことで、国際社会における英国の立場にキズがつくと思うか?」という質問ですね。それに対する答えは次のようになっている。


「キズがついた」と言う人(16+33=49%)と「全くキズついていない」(44%)と言う人がほぼ同じなのですね。実はキャメロンの動議が否決されたとき英国の主要メディアがいっせいに書き立てたのが、英米関係に悪影響を及ぼすということと、それに関連して「国際社会で孤立する」というニュアンスの意見だった。フランスが軍事介入に積極的であるということで、「アメリカの友人は英国ではなくフランスになったのだ」などと言う人もいた。

ちなみに英国人が気にするアメリカの人たちはどのように思っているのか?Pew Researchによる調査(8月末)では、シリアへの空爆について「賛成:29%」「反対:48%」「分からない:23%」という数字が出ています。反対の方が多いけれど英国人ほどの拒否反応ではない。ただ今年の4月に行われた調査では、軍事介入に「賛成:45%」「反対:31%」「分からない:23%」となっていた。つまりアメリカの世論は軍事介入が現実のものとなって語られ始めると「止めた方がいい」という意見が多くなるということです。また「空爆によってアサド政権による化学兵器の使用を止めさせることができる」という可能性については「賛成:31%」「反対:51%」「分からない:16%」となっており、軍事介入などしてもアサド政権が化学兵器を止めるとは限らないという意見の方が勝っている。

英国のポリー・トインビー(Polly Toynbee)は、どちらかというと左派的な論調で知られるGuardianの看板コラムニストですが、下院が軍事介入を否決したことについて"Britain's illusion of empire is over"(大英帝国という幻想にようやく終わりが来た)というエッセイを寄稿して次のように述べています。
  • これは「左寄り」「右寄り」などという変化ではない。英国がかつてほどは力のある国ではないし、昔よりは貧しい国であり、戦争にはうんざり、自分の背丈以上に拳を振り回すほどの誇りもない・・・そういう国になったということを遅まきながら受け容れたということなのだ。もう(大国のような)ふりをすることもないし、そのようなポースをとることもないのだ。
    This is not a left-right shift, but a long-delayed acceptance that Britain is less powerful and poorer than it was, weary of wars and no longer proud to punch above its weight. No more pretending, no more posturing.
トインビーによると、英国は(本当はフランスも)もう大国でも何でもないのだから、膨大な軍事予算など必要ないし、トライデント・ミサイルも要らないとなる。そして今回アメリカが英国抜きでシリア爆撃に踏み切ったときにこそ「帝国幻想の最後の部分が永遠の眠りに就くのだ」(the last illusions of empire will be finally laid to rest)と言っています。

▼ポリー・トインビーは第二次世界大戦が終わった翌年(1946年)の生まれです。彼女のような年代の英国のインテリにとって、英国は良かれ悪しかれ「世界をリードする国の一つ」だった。そのような国として学校で教わり、親からも聞かされ、メディアの論調にも接していた。おそらく学生時代から社会民主主義者であり続けているのだと想像するのですが、彼女のエッセイを読んでいて、普通の国・英国の人間であることについての寂しさ・哀しさを覚えているのではないかと、私などは感じてしまいます。左派は左派なりに大国の人間であり続けたいという欲望を捨てきれないということです。むささびの考えすぎ?

▼シリアへの軍事介入を提案して議会に否決されたキャメロンですが、首相が議会に戦争を提案して否決されたのは1782年以来のことだそうですね。この時は、ノース(Lord North)という人が首相で、植民地アメリカとの戦争を続けるべきかどうかでもめており、2月27日にノース首相は当時の国王の希望もあって戦争続行を議会に提案、19票差で否決されてしまった。それを知った首相のコメントは"Oh God, it is all over."(ああ、これですべてお終いだ)というものだった。約一か月後の3月20日、下院で不信任案が可決されて辞職してしまった。

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7)どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 

red line:超えてはならない線

シリア問題に関するオバマ大統領の発言としてこのところ欧米メディアでさんざ言及されているのが"red line"という言葉ですね。昨年の8月20日、ホワイトハウスのプレスルームで行われた記者会見でオバマさんが使ったとされています。USA Todayによるとオバマさんは次のようにコメントしたのだそうです。
  • アサド政権や関係者にはアメリカの立場をはっきり伝えてある。すなわち我々にとって絶対に超えてはならない線というのは、諸々の化学兵器がうろうろ動き回り、それが使われるのを眼にし始めた時ということだ。
    We have been very clear to the (Bashar Assad) regime, but also to other players on the ground, that a red line for us is we start seeing a whole bunch of chemical weapons moving around or being utilized.
戦争だからいろいろ悲惨なことはある、でも化学兵器の使用だけは何があっても絶対に許されない、この一線を超えたが最後、何があっても仕方ないと思え・・・と、こういうわけですね。そこまで言ってしまったのだからオバマさんとしても今更引っ込めるわけにはいかないのだろうと思うけれど、それにしてもなぜ化学兵器の使用がred lineを超えることになるのでしょうか?シリアでは内戦によってこれまでに10万人もの人が死んでいる。なぜ「化学兵器」だと死者が1000人を少し超える程度なのに外国の軍事介入が許されることになるのか?ワシントンポストに出ていた説明によると、
  • 戦争というのは常にひどいものであり、これからも戦争がなくなるということはない。しかし化学兵器だけは使わないということにみんなが合意できれば、戦争も悲惨の度合いが低くなる。
    The idea was that war, sadly, is going to happen. But if we can all agree not to use chemical weapons, warfare will be less terrible.
というのでありますが、いまいち納得いかないですね。化学兵器の使用禁止は第一次世界大戦後の1925年に締結されたジュネーブ条約で謳われているのですよね。それなりの歴史があるのだ、と。これに対して、イラン・イラク戦争(1980年~1988年)のときにはイラクがイランに対してこれを使ったのにアメリカは何も言わなかったではないかという批判が英国ではかなり聞かれます。もう一つ、アメリカのSlateという時事問題の雑誌サイトによると、このジュネーブ条約をアメリカが批准したのは、調印から半世紀後のことで、いわゆる先進国の中では最も遅かったとのことです。

原爆は落とすは、ベトナムでは枯葉剤をまき散らすは、最近では無人の飛行機を使って外国内を爆撃までしているのだから、どこかの独裁者が化学兵器を使ったからと言って、それがred lineだなんて、アメリカにだけは言ってほしくない。

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8)むささびの鳴き声
▼今回は「シリア」にこだわりました。英国下院が軍事介入拒否を決議したのは、本当に歴史的な出来事になるかもしれないと思うからです。アメリカという超大国に対する忠実な同盟国という英国のイメージに終止符が打たれてしまったかのように見えるということです。ベトナム戦争のときにハロルド・ウィルソンの労働党政権(1964年~70年)が参戦しなかったけれど、今回の「拒否」はそれ以来のことです。

▼もう一つ、むささびが感じるのは、中東の国の問題に英国がしゃしゃり出て「民主主義とは何か」という教えを垂れるのは止めようと宣言してしまったということ。欧米が出しゃばるとロクなことにならないということを、国民の代表である議会が宣言してしまったということです。今回の議決について、自民党(Lib-Dem)の重鎮であるパディ・アシュダウン貴族院議員が「英国がアサドのような悪者を退治する戦いに参加を拒否するなんて実に恥ずかしい」というニュアンスの嘆きの投書を新聞に掲載したところ、読者から「あんた、何さまだと思っているんだ」という怒りの書き込みが殺到しています。

▼10年前のイラク爆撃のときには議会の外では大規模な反戦集会が開かれたりしていたのですが、少なくとも議会における最終的な投票ではブレアさんの「サダム・フセインに大量破壊兵器を持たせておくわけにはいかない」という、国民や議員の「正義感」に訴える「情熱的」演説が圧倒的多数(賛成412:反対149)で支持されたのですよね。

▼議会での投票の翌朝のBBCのラジオ番組(Today)を聴いていたら、前夜の投票で政府の動議に反対投票をした保守党の女性議員がインタビューをされていました。「保守党なのに、なぜ反対なのか?」という質問に対する答えは、「英国は世界の警察官ではない」というものだったのですが、興味深いと思ったのは「あなたの反対投票は選挙区の意思でもあるのか?」と聞かれた彼女の答えだった。"I'm a representative, not a delegate"と言ったのです。representativeもdelegateも日本語に直すと「代表」となるわけですが、delegateには「請負人」とか「代理人」というようなニュアンスがあるように思える。本人の意思とは無関係に託されたことを忠実に実行するという意味で、representativeには、本人が自分のアタマで考えるというニュアンスが含まれる「代表」です。

Sarah Wollastonというこの女性議員は自分のホームページで、シリアへの軍事介入には反対であるという意見を表明したうえで、選挙民に対して意見を聞かせて欲しいと呼びかけた。その結果集まった意見は、軍事介入に賛成が21人、国連の支持があれば賛成というのが32人で、反対の意見は507人であったそうです。彼女が「自分は地元民のrepresentativeである」と言うときの意味は、自分の意見がたまたま地元の意見と同じだったというわけで「典型的」とか「代表的」という日本語が適切かもしれない。司会者が「地元の多数意見が軍事介入に賛成だったとしても、あなたは反対票を投じたか」と聞いたところ「地元民の意見を聞く努力はするけれど、最終的には自分の意思に沿って投票するだろう」と言っていました。

▼話は全く変わるけれど、8月25日付の毎日新聞のサイトに、福島原発における汚染水漏れに関連して「タンク、金かけず作った」協力会社会長証言・・・という見出しの記事が出ていました。この会長さんによると
  • タンクは工期が短く、金もなるべくかけずに作った。長期間耐えられる構造ではない。
  • 野ざらしで太陽光線が当たり、中の汚染水の温度は気温より高いはず。構造を考えれば水漏れは驚くことではなく、現場の感覚では織り込み済みの事態だ。現場の東電の技術スタッフも心配はしていた。

    とのことであります。
▼毎日新聞の記事でいまいち分からないのは、この会長さんの証言が「会長が東電幹部やゼネコン関係者から聞いた話」を基にしているらしいということです。他人から聞いた話を記者に伝え、それを記者が読者に伝えている(ように見える)。読者が眼にしているのは「また聞きのまた聞き」情報であるわけです。

▼この記事を読んでいると、この会長さんは汚染水タンクが今のような状態になることはとっくの昔に分かっていたという風に思える。読者である私は、それが分かっていたのならなぜその時に指摘しなかったのか?と聞いてみたくなる。こういうことってよくありますよね。何か悪いことが起こると、必ず「ああなることは分かってたんだよね、オレ」としたり顔で言う人がいるってこと。英語で言うとshould have doneとかcould have doneというヤツで、いちばん嫌われる。この会長さんは私と同じ72才、あまりにも悲しい結果論をどのような気持ちで新聞記者に話をしたのでしょうか。ちなみに会長さんの名前は報道されていません。

▼(またまた話題を変えて)2020年のオリンピックが東京で開かれることが決まったニュースは、今朝(9月8日)8時ごろのBBCのサイトが「オーストラリアの首相選挙で保守党が勝利」、「シリア爆撃への支持が広がっている(という米国務長官の発言)」についで3番目に大きなニュースとして取り上げられています。新聞のサイトをみてもトップページのニュースとして報道されています。ロンドン五輪から1年、英国メディアの間では、オリンピックについては相変わらず関心が高いのですね。

▼The ObserverはOwen Gibsonというスポーツ担当記者がブエノスアイレスから送ってきたレポートを載せているのですが、わざわざこのために現地まで派遣したということですよね。ロンドンからブエノスアイレスまでは、日本で想像するよりはるかに近いのだとは思うけれど、現地からのレポートが載っていたのには驚きました。Gibsonの記事は"Japanese bid's passion earns Tokyo the 2020 Olympic Games"(日本の熱意が五輪を勝ち取った)という見出しになっており、1964年の東京五輪開催と2020年のそれとの共通点について触れています。64年の開催は、日本が戦争の焼け跡から立ち直り、平和な経済大国として歩もうとしていることを誇示する大会として見られていたが、2020年の場合も2011年の大震災のトラウマから回復する国というイメージを与えることが出来るのではないかと言っています。

▼1964年当時、あなたはどうしていましたか?東京五輪のことを憶えています?私に関する限り、敗戦のトラウマから立ち直った国云々ということは全く意識にもなかったように思います。そうでしょうね、23才だった私は戦争を実体験としては殆ど知らないようなものであったのですから。

▼というわけで、相変わらず長々、ダラダラ、失礼しました。本日の埼玉県は曇りのち雨だそうで、暑くないだけ有難いですね。

 
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