musasabi journal

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280号 2013/11/17
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

National Geographic誌によると、上の写真は、南米コロンビアの森に棲むオリンギト(olinguito)という動物の赤ちゃんだそうです。今年の8月15日に発見が公表された新種の肉食哺乳類で、発見したのは米スミソニアン博物館の研究者グループなのでありますね。いまどき「新発見」の哺乳類なんているんですね。

目次

1)英国はどこへ行くのか?
2)「近寄り過ぎ」の距離
3)サッチャーが恐怖した核戦争
4)義務教育を2才からにする?!
5)義務教育は7才から
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)英国はどこへ行くのか?
 
11月9日付のThe Economistが英国特集を掲載しています。その総論とも言えるエッセイが巻頭に載っているのですが、これからの英国の進むべき方向について
  • Little England or Great Britain?
    小さなイングランドか大きな英国か?
という選択肢があると言っています。英国にあまり関心のない人には意味不明な見出しかもしれません。この見出しに続くイントロは次のように書かれています。
  • The country faces a choice between comfortable isolation and bracing openness. Go for openness
    英国にとっての選択肢は快適なる孤立かしっかりした開放性かのどちらかである。開放性に向かって進むべきだ。
つまり最初の見出しに言う「小さなイングランド」は「快適なる孤立」を指し、「大きな英国」は「開放性を堅持する国」という意味になります。そしてThe Economistは後者を目指して進もうではないかと言っている。

どの国も常になんらかの選択肢に迫られているわけですが、英国の場合は、来年あたりから国の将来にとって重大な影響を持つと思われる出来事が4つ待ち構えています。まず来年(2014年)5月に欧州議会議員(Members of European Parliament: MEP)の選挙があります。英国に関しては、EUからの脱退を主張する英国独立党(UKIP)が大躍進するのではないかとされている。同じく来年9月には、英国にとっては欧州議会選挙どころではない重大な政治的行事が控えている。スコットランドの独立に関するスコットランド人の国民投票です。そして再来年(2015年)には下院の選挙があるのですが、そこで保守党が勝利すると2年後の2017年末までにはEUへの残留の是非を問う国民投票が行われることになっている。

これら4つの政治的な出来事の中で、国際社会における英国の立場に最もストレートに影響があると思われるのがスコットランド独立だろうとThe Economistは言っている。現在のUnited Kingdomからスコットランドがいなくなると、地理的に英国の3分の1がなくなるのだそうですが、それよりも英国という国の国際的な影響力が大いに縮小されるだろうと言うわけです。
  • A country that cannot hold itself together is scarcely in a position to lecture others on how to manage their affairs.
  • 自分の国さえ統率できないような国は、とても外国に対して国の治め方について説教をたれるような立場にはなれない。
言えてる・・・?

英国がEUを離脱するかどうかの国民投票(2017年)ですが、これはもともとEU残留を唱えているキャメロンが保守党内の「小さなイングランド人」(EU離脱を唱える人たち)をなだめるために打ち出したものです。英国がEUを離脱するということは、EUの将来についての英国の影響力はゼロに帰するということです。英国の対外輸出の半分を占めるEUの今後について発言権ゼロというのは望ましい状態なのか?また、もしキャメロンの率いる保守党が2015年の選挙で敗れた場合でも国民投票自体は行われるのでしょうが、そうなると保守党分裂の可能性もあるとThe Economistは言っている。

そしてGreat Britainの道を進むために必要なのはリ-ダーシップであるとThe Economistは言うのですが、それは「世論をリードするということであり、びくびくしながらそれに従うということではない」(they should try to lead public opinion, not cravenly follow it)という意味です。キャメロン首相にとって、そういう意味での「リ-ダーシップ」を発揮できる分野の一つが移民政策(immigration policy)です。現在の英国では移民に対する拒否反応が極めて強いのですが、移民政策における自由化は産業界にとっても必要なもの。特に東欧からの移民労働力は非常に生産性が高いことが証明されている。そのあたりのところはキャメロンも(労働党の)ミリバンド党首も分かっているのに「国民の間に広まってしまった反移民感情にびくついてしまっている」(they are cowed by widespread hostility to the influx)というわけです。

EUについては、もちろん残留して現在の官僚制を打破するために戦うべきであり、そこから離れてしまっては何もならない。スコットランドの独立問題はスコットランド人が決めることであり、キャメロンにもミリバンドにもどうしようもないことであるけれど、独立スコットランドが北海油田やガス田からの収入で生きていけるのは最初だけであり、United Kingdomから離れたスコットランドは国としてあまりにも小さすぎてさまざまなショック(例えば石油価格の下落など)にとても耐えられるとは思えない・・・とThe Economistは主張している。

というわけで、英国の将来については
  • Britain once ran the world. Since the collapse of its empire, it has occasionally wanted to curl up and hide. It can now do neither of those things. Its brightest future is as an open, liberal, trading nation, engaged with the world. Politicians know that and sometimes say it: now they must fight for it, too.
  • 英国はかつて世界を運営したこともあった。大英帝国が滅んで以来、英国は尻尾を巻いてどこかに隠れてしまいたいと思ったこともあった。しかし現在の英国は世界を運営することもできないし、尻尾を巻いて隠遁生活というわけにもいかないのだ。開放的で自由な貿易立国として世界にかかわること・・・そこにこそ英国の最も明るい未来があるのだ。政治家たちはそのことを分かっているし、それを口にすることもある。いまやそのために戦うときでもあると言えるのだ。
というのがThe Economistの結論です。

▼どちらかというと保守派と目されるメディア(Telegraph, Daily Mail, The Times等)を見ていると、英国はEUから離脱すべきだという意見が圧倒的のように見えるけれど、今年初めの世論調査では離脱(leave)賛成が34%、残留に賛成が40%となっています。それ以前の調査ではむしろ離脱を望む声の方が高かった。でも本当の選択が迫られる国民投票が行われたら、おそらく「残留」が勝つであろうと(むささびは)予想しています。それからスコットランドの独立ですが、今年9月の調査ではスコットランド人の59%が独立に反対しています(独立賛成は29%)。これも結局スコットランドの人たちは「英国」の一部であることを望むのではないかと思います。EUから離れた英国、英国から離れたスコットランド・・・両方とも国として生存していくのはタイヘンであることへの不安が勝つのではないかということです。

▼難しいのは移民問題です。中欧諸国からの移民は優れた労働力となっている部分があるのですが、アフリカや南アジアからの移民はなかなか英国社会に溶け込めず、結局自分たちでコミュニティを作ってしまう。ただ移民の子供たちと英国の子供を比べると登校拒否は英国人(白人)の子供たちの方が多い。英国のこれからにとってアタマが痛いのは、移民よりも白人低所得層(poor whites)の動向です。こちらが極右に走るのがいちばん怖い。

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2)「近寄り過ぎ」の距離
 

他人と付き合っていくうえでの大切なルールとして、それぞれの生活にあまり深入りしないということがありますよね。適度な距離を保つということです。それはどちらかというと気持ちの上でのプライバシーの尊重ということですが、もっと物理的な距離の取り方について、人間の心理との関連で研究している先生がいるのですね。ユニバシティ・カレッジ(ロンドン)のジアン・イアネッティ(Gian Domenico Iannetti)という教授なのでありますが、彼の研究チームがJournal of Neuroscienceという専門誌に発表した研究結果によると、人間が二人いたとして、二人の間に保つべき最低限度(absolute limit)の空間は20センチ~40センチなのだそうであります。この空間のことを学術用語で「防衛的周身体空間」(defensive peripersonal space)と言い、それ以上近づくと人間は脅威(threat)を感じるようになるのだそうです。

人間の脳には私的空間を維持しようという自己防衛メカニズムのようなものがあり、その距離は人によって違いがあるけれど、普通の人の場合だと50センチ弱が絶対的な限度ということです。さらに言うと防衛的周身体空間が広い人ほど心に不安感を抱えていることが多いのだそうであります。つまり「怖がり」ってことですね。

イアネッティ教授のチームが行ったのは、20才~37才の15人に参加してもらってそれぞれの「防衛的周身体空間」を測定するという実験だった。自分の両手を顔からいろいろな距離(4, 20, 40, 60センチ)にかざしてもらい、それぞれの距離で両手に電気ショックを与える。そのショックに対する反応をまばたきの回数で計測したのだそうです。まばたきの回数が多いほど不安感も大きいということですが、その実験後にそれぞれの不安心理についてのペーパーテストを行ってまばたき回数の計測結果と組み合わせた。その結果、まばたき回数は距離によって「徐々に」増えるのではなくて、そこへ来ると急に増える地点があることが分かったそうで、これが個人個人で異なるのですが、15人の平均で言うと顔から約40センチのところであった。

イアネッティ教授によると、「防衛的周身体空間」を客観的に計測したのはこれが初めてだそうで、この測定を応用すると、特に危険が伴うような職業(消防、警察、軍隊など)における適性検査が可能になるだろうとのことであります。「防衛的周身体空間」が大きい人にはこの種の職業は向いていないかもしれないということです。

▼例えば混雑している電車で他人の顔があまりにも自分に近づくのは困りますよね。これは「防衛的周身体空間」とかいうすごいものでなくて、いわば「私的空間」(personal space)であり、脅威(threatening)というよりも不愉快(annoying)という感じです。Telegraphによると、中国やインドでは英国ほどには私的空間は重要なものとは考えられていないのだから、国によって「私的空間」も異なるかもしれない。

▼エチケットの専門誌Debrett'sには、守るべき私的空間についてのアドバイスが載っています。状況が二つある。一つは他人が自分に近づきすぎる場合、もう一つは自分が(それとは知らずに)他人の私的空間を犯しているかもしれないという場合です。自分の空間が他人に犯されている場合、後ずさりなどするのではなく(not to back away)、何とかして新しい空間を作り出すこと(to somehow create a whole new space)だそうです。例えばそばを通り過ぎる知り合いの方に顔を向けて挨拶する、さりげなく相手から顔をそむけてバッグから何かを取り出す・・・などです。これはおそらくパーティー会場で立ち話をしているようなケースでしょうね。それと知らずに自分が相手の空間を犯しているかもしれないという心配については、Debrett'sによると「相手の息が感じられるような場合」は明らかに近寄り過ぎであると言っております。

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3)サッチャーが恐怖した核戦争
 
核兵器廃棄運動を続けている英国のNPO、Nuclear Information Service(NIS)によると、1983年11月、米ソの冷戦がもう少しで本当の核戦争を誘発するところだったのだそうです。11月2日付のThe Observerが伝えています。これは英国の情報公開法(Freedom of Information Act)に基づいてNISが得た政府の資料によって明らかになったものです。

1983年11月7日から11日まで、4万人が参加して西ヨーロッパ全域を舞台にAble Archerと呼ばれる、核戦争を想定した米軍とNATO軍の合同軍事演習が行われたのですが、当時のソ連政府がこれを本物の核戦争と勘違いして西側に核の先制攻撃を行うところであったというわけです。もう少しで核戦争という危機的状況を回避したのが、当時の英国首相、マーガレット・サッチャーの危機感であったということです。

この軍事演習ですが、当時は共産圏だったユーゴスラビアで政情不安が起きたことをきっかけにして、ソ連側のワルシャワ条約機構の軍隊(Orange Forces:オレンジ軍)がユーゴスラビアに進駐したという想定で、それに対抗するNATO軍(Blue Forces:ブルー軍)が同盟国を防衛するというシナリオだった。それによると、オレンジ軍はフィンランドとノルウェー、それにギリシャに侵攻、事態はさらに核戦争にまでエスカレート・・・という筋書きで行われたのだそうです。

これは単なる演習に過ぎなかったのですが、オレグ・ゴルドエフスキー(Oleg Gordievsky)というソ連からの亡命者の情報によると、ソ連政府はこれを「本物の脅威」(real threat)としてとらえており、東独とポーランドの戦闘機に対して核兵器を搭載するように指示があり、核ミサイルを搭載したソ連の潜水艦が(敵に察知されることを防ぐために)北極の氷の下に待機するという体制をとっていた。こうしたソ連の行動はNATO側によって監視されていたのですが、NATOはこれを「ソ連側の軍事演習」と考えていた。

ただ、ゴルドエフスキーからの情報を得ていたサッチャー政権の内閣官房長官であるロバート・アームストロング(Robert Armstrong)はサッチャーに対して、Able Archerに対するソ連の反応が軍事演習とは思えないというブリーフィングを行った。その根拠として、ソ連の行動が国内の大きな祝日にとられていること、「演習」にしては動きが実際の軍事行動に酷似しており、それがAble Archerの主なる舞台である中欧地域に集中していることなどを挙げたのだそうです。

アームストロングによる説明を聞いたサッチャーが自分の部下たちに下した命令は二つあった。一つはAble Archerに対してソ連が過剰反応する危険を如何にして取り除くかを考えること、もう一つは、危機的状況をアメリカ政府に緊急に知らせる方法を考えることだった。

英国では外務省と国防省の共同作業でアメリカ政府とのディスカッション・ペーパーが作られ、NATO軍がソ連に対してAble Archerが通常の演習に過ぎないことを通報すべきであると提案した。その後、レーガン大統領も英国政府への通報者であるゴルドエフスキーと面談、サッチャーと危機感を共有するに至りソ連とのデタントへと方針を切り替えることになった。

思えば1983年という年は、3月8日にフロリダでレーガン大統領が、ソ連を「悪の帝国」(the evil empire)と名指しで非難、Star Warsと呼ばれる戦略防衛構想を発表した年であり、しかも9月には、誤ってソ連上空に入ってしまった大韓航空機が、アメリカのスパイ機と誤認されてソ連の戦闘機に撃墜されるという事件も起こるなどして、米ソ間の不信感が一触即発のレベルに達していた年でもあった。

今回開示された情報について、NISのピーター・バート(Peter Burt)理事は次のようにコメントしています。
  • The Cold War is sometimes described as a stable 'balance of power' between east and west, but the Able Archer story shows that it was in fact a shockingly dangerous period when the world came to the brink of a nuclear catastrophe on more than one occasion.
  • 冷戦というものを、東西の力のバランスがとれた安定状態などと表現する向きがあるが、実は世界が一度ならず核の大悲劇の淵に立っていたということであり、このAble Archerが示しているのは、その時代が衝撃的ともいえるくらい危険な時期でもあったということだ。

▼冷戦が核兵器保有によってバランスがとれた状態ということはあの頃によく言われたものです。いまでも「尖閣」をめぐる日中の対立について「武器を構えて対峙した方が却って安全」というような「現実主義」を説く評論家がいます。この記事を読むと、実は安全でもなんでもないことが分かります。すくなくともサッチャーとレーガンは肝を冷やす思いだったということです。ここをクリックすると、NISの情報を基にして制作されたChanel 4のドキュメンタリー番組を見ることができます。

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4)義務教育を2才からにする?!

 

11月5日付のTelegraphのサイトに掲載されたトビー・ヤング(Toby Young)という評論家の
というタイトルのエッセイを紹介するには、英国の教育制度まで紹介しなければならないのですが、これがしょっちゅう変わっているし、日本ほど杓子定規・全国一律でないところがあって部外者である私には確信をもって説明することが難しい。ただこのエッセイが問いかけているテーマは大いにディスカッションの価値があると思います。子供の学校教育は早く始める方がいいのか、遅い方がいいのかということです。

現在、英国の義務教育(compulsory education)は5才~11才の小学校、11才~17才が中学校です。つい昨日までは16才までであったのですが、今年(2013年)から17才に引き上げられ、さらに2015年には最終年齢が18才に引き上げられることになっています。ただ最近の英国では小学校に入る前の3才~4才という「早期年齢」(early years)も教育期間に入れて考える傾向がある。これは殆どの児童が小学校の前に幼稚園へ通う日本と同じようなものです。幼稚園へ行くのは義務ではない。けれどほとんどの子供たちがそのようにしており、小学校への入学時には全員が幼稚園教育を受けたということが前提のような雰囲気になっている。トビー・ヤングのエッセイのポイントは、ここにあります。

最近、ある教育関係者がロンドンにおける会合で「子供たちの義務教育は2才から始めるべきだ」と発言したことが話題になっています。この発言は、OFSTEDという教育関連機関の会長職にある人によるものであっただけに、メディアの間でも大いに話題になっており、トビー・ヤングのエッセイはこの考え方に賛成するアングルから書かれている。OFSTEDはOffice for Standards in Education, Children’s Services and Skillsの略で、日本の教育関係者の間では「教育水準査察院」という日本語に訳されているようですが、イングランドにある個々の小学校や中学校の教育水準を査定、その結果を議会に報告するのが役割です。一応政府機関となっているけれど、教育省とは別の独立機関です。

で、OFSTEDの会長(サリー・モーガンという女性)の「義務教育を2才から始める」という提案ですが、現在のシステムでは、5才の義務教育が始まるころには、貧困家庭に育った子供は富裕層の家庭の児童に比べて読み書き能力の点で「19か月も遅れている」(19-months behind)のが実態であり、とても教育できる状態ではない。そこでこの際、全員を2才から学校に入れてしまおうというわけで、できれば2才~18才までを同じ学校に通う「一貫校」(all-through schools)の設立まで呼びかけてしまったわけです。

で、トビー・ヤングのエッセイのハナシです。彼は義務教育の早期化に賛成なのですが、特に強調しているのが、サリー・モーガンのいわゆる貧困家庭と富裕層の家庭に育った子供たちの間の知的格差の存在であり、それを生む家庭環境の問題で、その昔アメリカの学者が行った調査を引き合いに出しています。

1980年代の半ば、アメリカ政府は巨額の予算を使って貧困層の子供たちの教育水準向上に取り組んでいたのですがさっぱり成果が出ない。そこでカンザス州で暮らしていた二人のアメリカ人心理学者(Betty HartとTodd Risley)が地元の家庭42軒を対象にある調査を行った。ヤングによると、学者はまずこれらの家族を3つのグループに分けた。
  • 生活保護の受給家庭(benefit-recipients)
  • 労働階級の家庭(working class)
  • 専門職の家庭(professional)
所得が最も低いのは最初のもの、3番目の「専門職」というのは、医者、裁判官、大学教授のような人々のことですが、これら42家族に共通しているのは赤ちゃんがいるということだった。

二人の学者が調査しようとしたのはそれぞれの家族における親と子供(赤ちゃん)の会話だった。毎月一回、約2年半それぞれの家庭に通って1時間過ごし、その間の親子の会話を録音した。それから6年間かけて会話のすべてを一言ももらさずに文字に直し、徹底的に分析した。そしてそれぞれの子供が9才になった時点で再会し、彼らの学業成績を調べたのだそうです。当然ながら勉強ができるのは「専門職の家庭」の育った子供たちであったわけですが、トビー・ヤングが問いかけているのは「何故そうなのか?」ということです。

この調査を通じて二人の心理学者が発見したのは、親が子供に語りかける言葉の数の違いだった。専門職の家庭の子供が親から語りかけられる言葉数の平均は1時間当たり2153語、労働階級の場合は1251語、生活保護受給家庭の場合は616語であったのだそうです。つまり1年間に専門職の子供は1100万語、労働階級の子供は600万語、生活保護受給者の子供は300万語ということになる。ということは・・・
  • 4才になるころまでに、専門職家庭の子供と生活保護受給家庭の子供の間には、親から語りかけられた言葉の数の点で3200万語の差があるということだ。
    By age four, a child from a welfare-recipient family could have heard 32 million words fewer than a classmate from a professional family.
と二人の学者は言っているのだそうであります。これでは小学校入学時に知的な差が出て当たり前ということです。もちろん親に語りかけられる言葉の数だけが子供の知能の決定要因ではないけれど、それが「最も重要な環境面での要因」(The most significant environmental factor)であることは間違いないということは、アメリカの教育学者の間でも認められていることなのだそうです。

で、最初の部分にある義務教育の年齢を2才にしようという提案に賛成しているトビー・ヤングの言い分は、子供たちが教室で教師によって語りかけられ、本を読んでもらうという経験をすることで、家庭環境の如何にかかわらず知的な発展には大いに役に立つということです。これをやったとしても子供たちは一日の多くの時間を家庭で過ごすのだから、30年前にアメリカの学者が指摘した「3200万語の差」をすべて解消することにはならないかもしれないけれど、少なくとも1600万語くらいにまでは縮められるのではないか、というのがトビー・ヤングの主張です。

トビー・ヤングが引き合いに出したアメリカの学者の研究について、Rice Universityのサイトでより詳しく紹介されているのですが、その中で親が子供に語りかける言葉の中身についても面白い結果が出ています。親が子供に語りかける言葉の中で、肯定的な(encouragement)言葉と否定的な(discouragement)言葉の割合です。いわゆる「専門職」の親の場合、否定的な言葉一つに対して肯定的な言葉が6つ語られ、労働階級の場合はこれが1対2となり、生活保護家庭ではこれが逆転して、肯定1に対して否定が2であったそうです。つまり富裕層の子供たちは親から常に「よくやったねぇ!」というような言葉をかけられるのに対して、貧困層の子供の場合は「このアホ」というような言葉が多いということです。

サリー・モーガンやトビー・ヤングが推奨する、以上のような義務教育の早期化論は、どちらかというと子供たちの学力の全体的な底上げを意図したもので、現政府の教育大臣もこれには大賛成です。ただ義務教育の早期化には警戒する声も強い。あまりにも早いうちから読み書き・計算を教え込もうとするのは子供たちの「自然な発育」(natural development)にダメージを与えるものだという意見です。この意見については別の記事として紹介させてもらいます。

▼トビー・ヤングのエッセイを読んでいると、富裕層の子供と低所得層の子供たちの間にある学習面でのギャップを埋めるために「富裕層の子供が受けているような教育を恵まれない子供たちにも経験させてあげましょう。そうすれば全体が良くなる」と言っているとしか思えない。「上から目線」を感じますよね。自分たちのおこぼれを恵まれない人たちに分けてあげましょうというのですから。
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5)義務教育は7才から

上の記事では、OFSTEDのサリー・モーガン会長が「義務教育は2才から始めよう」という教育の早期化論を展開していることを紹介しましたが、このような考え方に真っ向から反対する教育関係者もいます。Save Childhood Movementという活動を推進している人たちです。「Childhoodを守ろう」と言うわけですが、Childhoodとは「子供時代」とか「幼年期」という意味です。「子供たちから幼年期を取り上げるのは止めよう」と主張している。

この人たちによると、子供の発育にはそれなりのペースというものが必要であり、何でもかんでも早くから読み書き・計算を教えればいいというものではない。サリー・モーガンらとは全く反対に義務教育の始まりを現在の5才から7才にまで遅らせるように要求しています。最近、この人たち127人が、マイケル・ガブ教育大臣に宛てた公開状というかたちで、どちらかというと保守的なTelegraph紙に発表しています。ガブ教育大臣は義務教育の早期化を推進している本人です。公開状は
というのがその主張であり、「幼児期の子供たちは遊びを通じて学ぶことをゆるされるべきだ」(for children to be allowed to learn through play)と言っている。

英国の場合、5才から義務教育が始まり、7才になると「読み書き・計算」(three Rs)の能力を評価されるけれど、この人たちによると、国際的にみても、こんなことをする国はほとんどない。子供たちは学校教育を始める前に、遊び心を養う「質の高い幼稚園教育」(high-quality nursery education)2~3年受けるべきであると言っている。現在の幼児教育はテストだのターゲットだのということにあまりにも早くから重きを置きすぎており、幼稚園教育を「学校教育を受けるための準備期間」としてしか考えていないのは誤った政策だと主張している。

この専門家たちの考える「質の高い幼稚園教育」とは、遊びを通じての自己規律(self-regulation)の養成、試行錯誤を通じた学び(trial and error learning)などを基礎にしているもので、型にはめない、遊び中心の学び(informal play-based learnin)を受けたのちに、いわゆる学業の世界に入るべきであるしており、日本語でいうと「自由主義教育」「ゆとり教育」というのがそれにあたるかもしれない。

この人たちの運動に対するガブ教育大臣のスポークスマンと称する人のコメントは、「そんなこと言ってるからダメなんだよ」という感じで、特に公立学校における教育は子供に対して「勉強なんかできなくたっていいんだ」と言わんばかりのやり方だとしたうえで
  • 英国が必要としている教育システムは生徒たちが難しい計算問題を解け、優れた詩人やエンジニアにもなれるようにしてあげることを目標にするべきなのだ。
    We need a system that aims to prepare pupils to solve hard problems in calculus or be a poet or engineer.
と言っている。「遊びを通じて学ぶ」などというのは、貧しい子供たちに算数も教えることもしない教育者のたわごとに過ぎない・・・と決めつけております。

▼この専門家たちは5才にも満たない子供たちを読み書き・計算のテスト漬けするようなやり方は間違っており、子供時代は「子供らしく」「楽しく」過ごすべきなのだと言っている。私から見るとごく当たり前の意見だと思うのですが、それに対する教育大臣の側近からのコメントは殆ど感情論ですね。
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6)どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 

journalism:ジャーナリズム

ADVANCED BANTERという有名人の名言集(book of quotations)の中にJoseph Pulitzer(1847年~1911年)がジャーナリズムについて次のように述べているものがあります。
  • Put it before them briefly so they will read it, clearly so they will appreciate it, picturesquely so they will remember it and, above all, accurately so they will be guided by its light.
    記事は短く書け。そうすれば読んでもらえる。明瞭に書け。そうすれば分かってもらえる。生き生きと書け。そうすれば憶えていてもらえる。が、何といっても記事は正確に書け。そうすればその灯りにみんなが導かれるだろう。
この人はジャーナリストにとって最高の栄誉とも言える「ピューリッツァー賞」の生みの親ですよね。知らなかったのですが、生前の彼が経営したNew York Worldという新聞はもっぱらスキャンダル記事で売ったのだそうですね。

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7)むささびの鳴き声
▼4番目と5番目に紹介した義務教育の話題についてもう少し・・・。英国の子供たちは、例のOECDによる教育比較でもそれほどいい成績ではないのですが、教育関係のNPOであるSutton TrustのSir Peter Lampl会長の言葉は納得させます。「教育の国際比較云々よりも英国という社会に存在する格差を小さくすることが肝心だ」というのです。OECDの中でも英国(England)の社会格差は最も大きいのだそうです。サッチャリズムの申し子のようなガブ大臣らによれば「自由競争だから格差も当然」ということになる。しかし社会的格差の部分はそのままにして、義務教育の年齢を下げることで、子供の教育格差のようなものは減少するのでしょうか?この人、発言がラディカルなのでメディアの受けはいいけれど、どう考えても教育大臣には向いていない。

▼もう一つ注目に値する(とむささびが思う)のはKumonですね。日本の塾チェーンの「公文」です。英国内に680の塾(tuition centre)があるのだそうです。最近、大都市のバーミンガムに新たな塾を立ち上げたのですが、生徒の中で最も多いのはパキスタン、バングラデッシュのような南アジアからの移民の子供たち、次いで東欧からの移民の子息がちょっぴり、白人(英国人)はゼロだそうです。英語(国語)、数学、学校の宿題をカバーして週2回の授業で月謝は55ポンド。The Economistなどはこの授業料について「けっこう安い」(fairly cheap)と言っている。Sutton Trustの調査によると、アジア系の子供たちの45%が学校の授業以外に家庭教師や塾のようなところで「課外授業」を受けており、明らかに成績が上がっているのだそうです。

▼The Economistによると、2000年の時点で大学で法律を勉強しているパキスタン系の学生は478人だった。11年後の2011年、その数は2087人にまで増えている。もちろん彼らがみんなKumonに通ったという意味ではないけれど、家庭教師についたり、Kumonのようなところに通っている子供たちが移民の間では多いということです。そのようにさせている親が多いという意味でもある。

▼4番目の記事で紹介した評論家のトビー・ヤングもサリー・モーガンも中流・富裕層の出身であることは間違いない。両方とも子供たちの学力向上を叫んでいるけれど(私の直感によると)Kumonの教育は見下していると思います。暗記中心の勉強なんて・・・というので英国の金持ちインテリ階級の感覚に合わないのです。しかしヤングやモーガンのように学力水準が低いとされる子供たちの学力を向上させることが大切だというときに、富裕層の子供たちが受けているであろう教育とKumonが移民の子供たちに提供している「教育」と、どちらが効果的なのかというと(おそらく)Kumonにはかなわない。そこがヤングのような保守的富裕層のインテリが抱えているジレンマだと思います。


▼11月も後半、寒くなりつつありますね。次なるむささびをお送りするころはもう12月です。お付き合い、感謝します。
 
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