1)言語がアタマを変える?
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イスラエルという国の人口はざっと800万ですが、そのうちの600万がユダヤ人、165万人がアラブ人、約32万人が「その他」となっています。Science Dailyというサイトが、人間の言語能力と思考方法の関連について語っているのですが、話題にしているのはイスラエルにいるアラブ系の人々のユダヤ人に対する感覚です。
アラブ系イスラエル人の場合、圧倒的多数が家庭においてはアラビア語をしゃべり、小学校からヘブライ語を習うのだそうです。人によってヘブライ語の身に付き方が違うのですが、当然のことながら、ヘブライ語が主流の大学で学ぶアラブ系の学生はアラビア語もヘブライ語も流暢というバイリンガルが多い。
ベングリオン大学とバンゴール大学もそのような大学であるわけですが、両大学の言語学の研究者が行ったのは、アラブ系の学生を対象にした実験で、
- アラビア語が使われる環境とヘブライ語が主流の環境にバイリンガルのアラブ系学生が身を置いた場合、アラビア語環境にいる場合の方がアラブ諸国について好意的な考え方をする。
It's likely that a bilingual Arab Israeli will consider Arabs more positively in an Arab speaking environment than a Hebrew speaking environment.
という仮説を立て、これが本当かどうかを試そうというものだった。実験で使われたのがImplicit Association Test(IAT)と呼ばれる心理テストだった。日本語では「潜在連合テスト」と呼ばれているようで、人間の潜在意識(bias)を測定するための心理テストなのだそうです。
Science Dailyによると、IATではコンピュータ画面にいろいろな言葉をパッパッとフラッシュのようなかたちで映し出し、実験参加者はそれぞれの言葉についてgoodと感じたら(例えば)Xのキーをbadと感じたらYのキー推す。言葉が次々に変わるので、参加者は考えているヒマもなくキーを押さなければならず、それが参加者の「潜在意識」を反映したものになるというわけです。
で、アラブ系イスラエル人の学生を対象にしたIATテストでは、アラブ系の名前(Ahmed、Samirなど)とユダヤ系の名前(Avi、Ronenなど)がコンピュータの画面に交互に映し出され参加者はそれぞれにX(good)かY(bad)のキーを叩いた。彼らの反応は当然のことながらアラブ系の名前にはX、ユダヤ系の名前にはYが多かった。
が、このテストは単に無言でスクリーンにフラッシュされるのではなく、研究者がアラビア語とヘブライ語で参加者と会話をしながら行われた。その結果明らかになったのは(Science Dailyによると)アラビア語で会話をしながらユダヤ系の名前を見せられるのと、ヘブライ語を使う中でユダヤ系の名前に接するのとでは参加者の反応が異なるということであったのだそうです。前者の方が後者よりもユダヤ系の名前に対する拒否反応が強いということです。
参加者はいずれも両言語に堪能なバイリンガルですが、ヘブライ語で会話をするということは、アタマの中もヘブライ語になっているということであり、その状態でユダヤとかアラブとかいうことを考えると潜在意識も違ってくるということです。つまり
- 自分たちが口にする言語によって他国民に対する考え方が変わり得る。
The language we speak can change the way we think about other people.
というわけです。
この実験を行ったユダヤ人の教授は英語とヘブライ語のバイリンガルなのですが、英語で考えるときの方がヘブライ語で考えるときよりも「丁寧」(poilte)な傾向があると言っており
- 人間というものは、環境が異なると違った「自分」が出てくることがあるということであり、言語もまた異なる自分が出てくるきっかけとして作用することがあるということだ。
People can exhibit different types of selves in different environments. This suggests that language can serve as a cue to bring forward different selves.
とコメントしています。
▼いまの日本では悲しいかな「嫌中」「嫌韓」人間が多いとされていますよね。日本人で中国語や韓国語を使えるバイリンガルの方々の場合も上のようなことが当てはまるのでありましょうか?つまり中国語で物事を考えることができる人は中国人や中国という国に対して優しい気持ちになるということです。もしそうだとすると、中国語に堪能な日本人が首相になると日中関係も少しはまともになるかも・・・などと言うと、日本語しかできないモノリンガルはもちろんのこと、日本語と欧米語しかできない「バイリンガル嫌中族」の皆さまは「中国人が日本語を学ぶべきだ!」とか言って、安物のスピッツみたいにキャンキャン吠えまくるかもね。
▼IATとは関係ないけれど、言語が人間の思考方法に違いをもたらすということはあるかもしれないですよね。日本人が愛を告白するのに、相手が英語圏の人だった場合、普通は
"I love you" と言いますよね。でも相手が日本人の場合は「私は貴方が好きです」なんて言わない。「好き・・・」で終わり。「・・・」の部分がにくいのだ、と思うのはむささびが日本人だから。英語圏の人々からすると「誰が、誰を好きなのさ、はっきりさせんかい!」などと、醜いブルドッグみたいに吠えまくるかもね。 |
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2)「後悔」のない人生なんて
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「あなたは後悔の念に駆られたことはありますか?」と聞かれて「一度もない」と言い切れる人はおそらくいないですよね。カリーナ・チョカーノ(Carina
Chocano)というアメリカの女性作家はAeon(イオン)という雑誌のサイトで
- I regret everything.
私は何についても後悔する。
と宣言しております。つまり「自分はあの時あのように言ったけれど、他に言い方があったのではないか?」とか「あのときは、あの選択をしたけれど、実は別の選択肢もあったのではないか?」というふうに、いつも自分のやったことを懐疑的に振り返るクセのようなものがあるということです。しかし彼女によると、アメリカでは「後悔する」(regret)ということが「弱さと敗北のしるし」(sign of weakness and failure)として忌み嫌われるし、regretを「役に立たない感覚」(useless feeling)として切って捨てる傾向がある。それが彼女には気に入らない。「過去から学ぶ」という極めて人間的な行為は、後悔することによってこそ成り立つではないか・・・というわけで、この異常に長いエッセイのメッセージは
- Regret is essential to the good life.
後悔こそは良い人生に欠かすことができないものである。
なのであります。
まずは、「後悔する」という行為を「くだらない」と言い切ってしまうアメリカ文化について彼女の想うところをいくつかピックアップしてみます。
- 「後悔する」ということはパイオニア精神に反することなのである。頑固なまでの忍耐力と強固な意志に支えられる、あのパイオニア精神である。後悔は非アメリカ的とも言えるのである。アメリカにおいては、常に眼を地平線の彼方に向け、他人よりも常に一歩前に足を出していることが肝心なのである。アメリカでは、ちょっとでも内向的な人は女のようであり、ひょっとするとフランス的であると目され、疑いの目を向けられるのである。
Regret is so counter to the pioneer spirit - with its belief in blinkered
perseverance, and dogged forward motion - it’s practically un-American.
In the US, you keep your squint firmly planted on the horizon and put one
foot in front of the other. There’s something suspiciously female, possibly
French, about any morbid interiority.
過去のことでくよくよしない・・・そのようなアメリカ的な姿勢を表現する英語表現としてチョカーノは
- What’s done is done.(終わったことは終わったこと)
- It is what it is.(それが現実なのだ)
- There’s no use crying over spilt milk.(すんだことを今さら後悔しても始まらない)
の三つを挙げているのですが、ここから出てくるのは「常に未来を見つめること」、「物事の暗い面ではなく明るい面をみること」、そして「すべては神様にお任せ」(to let go and let God take over)という姿勢である(とチョカーノは言う)。ここで神様(God)が出てくることにご注目を。チョカーノに言わせると、アメリカ人のregret嫌いには宗教的な背景もある。チョカーノにとって「後悔」(regret)とは、過去において自分が行った選択について「別の選択もあったかも・・・」という態度で再検討するということであるわけですが、それを突き詰めると「絶対」というものがなくなってしまう。一種のニヒリズムであり、アメリカでは受けない。
- 後悔は罪深いものであり、神の存在を否定しようとするものである。神は自分のしていることが分かっているし、それを気に留めてもいる。
Regret is sinful, a direct rebuke to the existence of a God that knows what he’s doing, and cares.
アメリカにジャネット・ランドマン(Janet Landman)という心理学者がおり、"Regret"という本を書いているらしいのですが、この人によるとアメリカ人の考え方の中に、物事を経済原理で割り切ろうとする部分が強いのだそうです。この理屈によると、人間の行為(心の動きも含めた)はすべて数字的なデータで説明がつくと考える。この世界には「後悔」(regret)も「どっちつかず」(ambivalence)もない。
- 人生はミステリアスなものだということはない。人生は数学なのだから。
Life is not mysterious, it’s mathematics.
さらにアメリカ人の考え方として、人間には自分の人生を自分で管理する(self-control)能力が備わっているという幻想がある。将来に後悔することを避けるために現在できることが必ずある・・・という考え方からすると、後悔の念を認めるということは、自分が自己管理の能力を発揮できなかったダメ人間(即ち敗北者)であることを認めるということになる。ジャネット・ランドマンによると、
- 我々(アメリカ人)が後悔の念を否定するということは、ある意味で自分たちが現在・過去において敗北者だったことがあるということを全面的に否定することに繋がるのである。
We deny regret in part to deny that we are now or have ever been losers.
ということになる。
カリーナ・チョカーノのエッセイの"I regret everything"という出だしの文章は、アメリカの主流的な態度に対して「あたしは後悔するのよ、文句ある?」という挑戦ともとれるわけですが、regret嫌いのアメリカ的常識は、感情というものの存在を否定しているという点で非人間的(inhuman)であるだけでなく、人間の知的な部分を否定するという意味で反知性的(anti-intellectual)でもある、と批判して
- 「後悔する」ということのポイントは、自分の過去を変えようとするということではなく、現在に光を当てるということなのである。これこそが人間性というものの世界なのである。「後悔の念」は身体でいうと「痛み」のようなものである(痛みを感じることで、身体のどこかがおかしいということに気づく)。過去を再検討することで、現在はどこかが間違っているということに気が付くということである。
The point of regret is not to try to change the past, but to shed light on the present. This is traditionally the realm of the humanities. The first thing regret tells us (much like its physical counterpart - pain) is that something in the present is wrong.
と主張します。
ところでregretと似たような言葉にmixed feelingsというのがありますね。「複雑な感情」というやつです。カリーナ・チョカーノによると、「複雑な感情」こそが人間を人間的にするものであり、本当の意味で合理的な結論を導き出すものであるとなる。なぜならmixed
feelingsを持つことによってこそ、物事のさまざまな側面を検討することができるからである、と。
- 我々は「後悔の念」を否定するのではなく、人間が持つ「どっちつかず性」を喜んで受け容れるべきなのだ。我々は理想を目指すべきであり、絶対的な理想というものが存在するかのように振る舞うべきなのである。ただ、絶対的な理想などというものは実は存在しないということ、何事もすべて不規則に起こるものであるということ、あらゆる可能性が同時に存在しているということは憶えておくべきなのである。
Rather than deny regret, we should embrace ambivalence. We should strive for an ideal - that is, behave as if it’s possible for an absolute ideal to exist - while remembering that it doesn’t, that in fact outcomes are random, and that all possibilities exist simultaneously.
というのが、カリーナ・チョカーノのエッセイの結論です。
▼カリーナ・チョカーノはこのエッセイを書いたこと自体を「後悔」していると言っているのですが、むささびもこの意味不明のエッセイを皆さまに紹介しようなどと思ったことを大いに後悔するわけです。ただ「勝つことがすべて」とか「成功しないヤツは人格的にもダメ人間」という発想に満ちているアメリカ文化に対するチョカーノの苛立ちには大いに共感しますね。物事を「シロかクロか」でしか語ろうとしない態度への苛立ちです。人間の持っているambivalence(どっちつかず的姿勢)をやみくもに否定するのではなく、それも人間性として受け容れようという姿勢は、「単純細胞」には分からないかもな! また、アングルは違うけれど、アメリカ的な姿勢に疑問を呈する英国人のエッセイのサンプルはここをクリックしてお読みください。
▼そもそも筆者であるCarina Chocanoのファミリーネームの読み方が「チョカーノ」であるのかどうかむささびには自信がありません。ひょっとすると「コカノ」かもしれない。書いた人の名前もまともに分からずにエッセイを紹介するなんて・・・regretに値する非常に「遺憾な」行為であることを白状しておきます。 |
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3)「テレビ大統領」のアメリカ
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ジョン・F・ケネディ(JFK)米大統領が暗殺されたのが1963年11月22日。あれからちょうど50年、アメリカの世論調査機関のPew Researchのサイト(11月20日付)に出ている「ケネディのアメリカ」(JFK’s America)というエッセイが1963年のアメリカを世論調査の数字を使って振り返っています。このエッセイを読んだあとで、6年前に亡くなったアメリカのジャーナリスト、デイビッド・ハルバスタム(David
Halberstam)が書いた"The Power That Be" (日本語訳『メディアの権力』)に出ている「ケネディとテレビ・メディア」という部分を読んでみたのですが、いまの政治家とメディアの関係を考えるうえでも参考になる部分だと思うので紹介させてもらいます。
まずジョン・F・ケネディに関する事実関係を確認しておきましょう。生れたのは1917年5月、ということは、いま生きていたら96才ということになる。1960年の大統領選挙で共和党のリチャード・ニクソンを破り、1961年1月に第35代の米大統領に就任、2年後の1963年11月に暗殺されてしまった。つまり大統領としての仕事は2年と10か月だけということになる。
Pew Researchのサイトに出ている「ケネディのアメリカ」ですが、就任3年目の1963年1月にギャラップが行った世論調査の数字を見ると、あのころのアメリカがいかに自信と楽観主義に満ち溢れていたかが分かります。
- 82%がアメリカのパワーはさらに強いものとなると考えている。
- 63%がソ連との平和共存が可能であると考えている。
- 82%が外国との協調路線を望んでおり、単独路線を望むのはわずか10%にすぎない。
- 58%が海外援助を積極的に行うべきだと答えている。
- 64%が地元の景気がいいと言っている。
- 68%が給料に満足。
実際にはその前の年(1962年)10月半ばからの約2週間、米ソが核戦争寸前まで行くという「キューバ危機」があったにもかかわらず、6割以上のアメリカ人が「ソ連との平和共存が可能」であると考えている。ヒステリックな反共主義に凝り固まってはいない。自分の国に対してよほどの自信を持っていない限りこんな数字はでないのでは?これがJFK’s
Americaの一側面であったわけです。
で、デイビッド・ハルバスタムの"The Powers That Be"です。この本が書かれたのがいまから34年前の1979年(ケネディ暗殺の16年後)のことですが、その本の中にケネディ大統領とテレビ・メディアの関係について語った部分があります。
ケネディよりも3代前の米大統領にフランクリン・ルーズベルト(任期:1933年~1945年)という人がいるのですが、この人はラジオというメディアを上手に使いこなした大統領として知られている。ルーズベルトが体現したのは「ラジオ大統領」(Radio Presidency)ですが、J・F・ケネディは「テレビ大統領」(TV Presidency)の体現者であった、とハルバスタムは言っている。ケネディは個人的には読書家(reader)であってテレビ人間(viewer)ではなかったけれど、ニュース番組だけは誰よりも熱心に見ていたそうです。他人がケネディと一緒に見ることはあっても、ニュース番組を見ている間は話しかけることは許されなかったのだそうです。
ハルバスタムによると、テレビのニュース番組は必ずしも現実を反映したものではないし、優れたジャーナリズムとも言えないかもしれないけれど
- (ケネディにとって)それは国民の考える「現実」を反映するものであり、ある意味においては現実そのもの以上に現実に近いものであったのだ。
It was what the country perceived as reality and thus in a way was closer to reality than reality itself.
ということです。つまりTVメディアにはいろいろと問題はあるけれど、それが世相を反映しているということは事実であり、ケネディはそれをしっかり把握することが大統領として最も重要なことであると考えていたというわけです。それは国民世論を知るという仕事における大統領・ケネディのテレビ観です。もう一方でケネディは自分の思うように世論を動かす手段としてテレビを実にうまく使ったわけですが、ハルバスタムは「テレビ大統領」としてのケネディのやり方を「ラジオ大統領」と比較して
- ケネディの時代になると、スタイルというものが本質と同じくらい(あるいは時としてそれ以上に)重要なものとなった。
In his time style became in some ways as important as substance, and on occasion more important.
と書いている。「中身」(政策)もさることながら「イメージ」も大事であるとケネディは考えたということです。ここでいう「イメージ」には自分のプライベートな側面を強調するという意味でもある。良き父親・美しい妻・素晴らしい家族・・・のような面を見せることで、自分の政策についての国民の不安感を和らげる(easing
doubts about his policies)ことができるとケネディは考えていた。
- 大統領は単に政治リーダーというだけではなくなった。彼はスターになったのだ。魅力いっぱいのスターである。彼の友人も、妻も、そして彼の子供たちも魅力いっぱいの存在であった。
The President was not just a political leader now, but a star, he had glamour, as did his friends, his wife, his children.
そしてケネディの子供たち(キャロラインとジョン)はホワイトハウスに住む新しい世代の最初のお姫様と王子様ということになった。ハルバスタムによると、「スター」になった「テレビ大統領」は国民にとって議会や政党を超えた存在となるわけですが、その存在はそれまでの大統領に比べると
- はるかに大きな人心操作の可能性を秘めている(far more potential for manipulation)
- はるかに説明責任が少ない(far less accountability)
- はるかに強力に世の中を支配できる(far more able to dominate the landscape)
ものであった。これらを背景にすることで、「テレビ大統領」は自分の意思を迅速かつ直接的に国民に伝えることができるようになった。
大統領が「スター」になり、ワシントン政治の世界で政党や議会の影が薄くなるのに反比例するように強くなっていったのが、ホワイトハウスで大統領を支える補佐官のようなスタッフたちだった。この人たちが大統領の分身(sub-Presidents)のようになっていったわけですが、補佐官のような人たちと閣僚、議員、政党幹部らとの違いについてハルバスタムは次のように言っている。
- 強力な閣僚の場合は、どこかの地域や利害関係グループなどの代弁者ということがあったかもしれないが、これら補佐官のような人々にはそのようなことがなかった。
These men were not, as a powerful cabinet member might have been, extensions of different regions and different interest groups.
政治家の場合は大なり小なり何らかの利害グループ(労組、各州、産業団体など)との繋がりでワシントンにいるのだから、政権に参加していてもそれらとのしがらみは切れないわけですが、大統領補佐官のようなスタッフたちの場合のしがらみや忠誠心(loyalty)の相手は大統領だけであり、良くも悪くも大統領の分身であったということです。
ただハルバスタムによると、アメリカにとって幸いであったのは、ケネディ大統領が「しっかりした人物」(secure man)であったということです。ケネディは自分のスタッフについては「忠誠心」よりも「能力」を重視したし、自分に賛同しない人物がいてもそれが理由で「忠実でない」という判断はしなかった。
- ケネディは仕事上の関係については、忠誠心とは異なる基盤で考えるだけの内面的な自信と安定感を有していたということである。が、ケネディ亡き後の10年間、アメリカが必ずしもケネディ時代ほどには恵まれた状態にはならなかったのである。
He had the inner confidence and security to judge professional relationship on grounds other than loyalty. But in the next decade the country would not always be that lucky.
つまりケネディと補佐官の関係は徹底的に仕事本位・能力本位であって、いわゆる「忠実度」などは二の次であったということですね。
▼テレビとケネディと言えば、1960年の大統領選挙における民主党のケネディと共和党のリチャード・ニクソンのテレビ討論会が有名ですよね。ニクソンは当時のアイゼンハワー政権の副大統領だったのですが、ハルバスタムによると、テレビ討論会はケネディの勝ちというよりも「ニクソンの負け」であったそうです。クールで高貴な感じがするケネディに対してニクソンは緊張で汗をたらたら流して「ひどい見てくれ」(looked
terrible)であったそうです。案の定、選挙ではニクソンが負けてしまった。1969年の大統領選挙はニクソンとハンフリー(民主党)の間で争われたのですが、そのときにニクソンは選挙参謀に広告代理店の関係者を据えて戦ったのだそうです。ケネディとのイメージ戦に敗れたことへの痛烈な反省であったということです。ケネディvsニクソンのテレビ討論会(第一回)はここをクリックすると見ることができます。ニクソン候補の顔が引きつって見えるのは(むささびの)気のせい?
▼ハルバスタムはケネディを「中身と同様にスタイルも大事にする大統領」と評価しています。そこですぐに思い出すのは英国のトニー・ブレアですね。彼こそ政策の中身よりも、それを提案するときの演説の上手さなどが際立っていた。それから議会ではなく、テレビを通じて国民に直接語りかける手法を好んで使った点も似ています。
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4)スコットランド独立の青写真
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前回のむささびジャーナルに『英国はどこへ行くのか』という記事を載せる中で、来年(2014年)の主なる政治日程の一つにスコットランドの独立に関する国民投票が行われることを紹介しました。国民投票は9月18日に行われることが決まっており、質問は"Should
Scotland be an independent country?"(スコットランドは独立国になるべきか)で、答えは単純にYes
or Noのどちらかしかない。
このほど(11月26日)スコットランド独立を目指す現自治政府が独立国家としての構想をまとめた白書を発表したことはNHKでも伝えられているようですね。グラズゴーで自治政府のアレックス・サーモンド(Alex Salmond)行政府首相(First Minister)が発表したもので、白書のタイトルはScotland's
Future、670ページにのぼる分厚い書物ですが、要約版はここをクリックすると読むことができます。
もともと独立国であったスコットランドがUnited Kingdomの一部となったのは、いまから300年以上も前の1707年のことです。ここまで一緒にやってきて今さら独立だなんて・・・と私などは考えるし、スコットランド人を対象にした世論調査でもコンスタントに独立反対が賛成を上回っている。しかし直近(2011年)のスコットランド議会の選挙では「独立」をスローガンに掲げたスコットランド民族党(Scottish
National Party)が128議席中の65議席を獲得して2位の労働党(37議席)を大きく引き離して単独過半数を占めて第一党になっているのも事実です。
独立反対派の意見はとどのつまり「現状維持」ということなのではないかと思うけれど、知っておきたいと思うのは世論調査的には劣勢と言われる独立派が何を目指しているのかということです。そういうつもりで白書の要約版を読んでみると、アレックス・サーモンドらが目指しているのは、社会保障の充実を通して国民的な団結心のようなものが醸成される、どちらかというと北欧諸国のような国なのではないかと思えてくる。例えば・・・
- 児童手当の画期的拡充(A transformational extension of childcare)
- 英国政府が行っている「寝室税」の廃止(Abolition of the “bedroom tax”)
- 公正労働委員会の設置と最低賃金の保障(A Fair Work Commission and a guarantee that the minimum
wage will rise at least in line with inflation)
- 核兵器保持のために税金を使わない(Our taxes will not be used to pay for nuclear weapons)
などですが、白書では、英国政府が民営化した郵政事業のRoyal Mailを再国有化するとしています。全体的なトーンからして、サッチャー以来の英国が(労働党も含めて)進めてきた市場経済中心主義とは明らかに違います。スコットランドの人口は530万、フィンランドが540万でいちばん近い。北海油田が経済のかなめという意味ではノルウェー(人口490万)とも似ている。
▼英国全体の人口は約6300万、ざっとの内訳はイングランドが5300万、スコットランドが530万、ウェールズが300万、北アイルランドは180万です。イングランドが全体の84%を占めており、スコットランドはその10分の1の8.4%に過ぎない。なのに、日本のデパートが「英国フェア」という催しものをやると、大体においてバグパイプ、タータン、スコッチウィスキーなどスコットランドを想起させるものばかり。「なんでこれが”英国"なんだ」とイングランド人が文句を言っているのをしょっちゅう聞きましたね。無理もないな、これでは。 |
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5)どうでも英和辞書
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Black Friday:黒字の金曜日
アメリカのThanksgiving Day(感謝祭)は11月の第4木曜日ですが、その翌日の金曜日のことをBlack Fridayと呼び、クリスマスにかけての買い物シーズンの始まりの日で、アメリカ中の小売店舗が大賑わいする、店舗にとっては「黒字の金曜日」という意味なのだとか。このアメリカの習慣がここ数年、英国にも伝わってきておりこの日のスーパーだの大型店舗などが買い物客でごったがえすらしい。今年は一昨日(11月29日)がBlack
Fridayであったわけですが、BBCなどによると、アメリカの小売店の最大手であるWal-Martが英国で経営しているスーパーのAsdaにおける騒ぎが特にひどかったらしい。
上の写真はブリストルにあるAsdaショップの駐車場で警備員に取り押さえらる男性客。この人は通常価格179ポンドが99ポンドにディスカウントされたテレビを2台購入しようとして別の客と取っ組み合いのケンカになってしまった。この日は英国中にある約230店舗のAsda
Supercentreで同じような光景が見られたのだそうで、ベルファスト店では混雑に巻き込まれた女性が手首を骨折、救急車で病院へ運ばれるさわぎに。メディア報道では「ちょっと行き過ぎ」という消費者の声が紹介されていた。とにかく朝8時の開店だというのに5時から行列ができたというのだからすごいですよね。ちなみにこの日のブリストルの気温は最低1℃~最高5℃だった。
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6)むささびの鳴き声
▼知らなかったのですが、猪瀬直樹・東京都知事は長野県・信州大学で全共闘の議長をやっていたのですね。和歌山県の紀伊民報に出ていました。この新聞のコラムニストが1969年に長野県上田ある創立間もない大学を訪問したとき、この大学で学園闘争をやっていたのですが、その集会で信州大学の猪瀬さんが駆けつけて応援演説をやっているのを見たのだそうです。「その理路整然とした語り口に心を動かされたことを思い出す」とコラムニストは言っており、昨今の金銭疑惑にからんで苦しい弁明に終始する猪瀬さんの姿に
- 一瞬とはいえ、同じ時代に、同じ空気を吸った人間として寂しくてならない。
と言っています。
▼1969年というと、いまから44年前のことですが、猪瀬さんとほぼ同じころ東京では「日大全共闘」というのが脚光を浴びていました。数ある大きな大学の中でも学生運動の類とは全く無縁であった日大における闘争は大いに注目されたのですが、その日大全共闘の議長であった秋田明大さんが1947年1月2日生れ、信州大学の猪瀬さんは1946年11月20日生れだから年齢差はわずか43日ということになる。その頃の猪瀬さんは、当時の全共闘のヒーロー的存在であった秋田さんのことをどのような想いで見ていたのか・・・。
▼ウィキペディア情報ですが、秋田明大さんは2008年現在、郷里の広島県で自動車修理工場を経営、奥さんと息子との3人暮らしだとか。1994年に”もう一度「あの時代」(全共闘時代)に戻れたら運動に参加するか?”と聞かれた秋田さんの答えは「しない。アホらしい」であったそうですが、いまから5年前の2008年にある新聞とのインタビューでは「日大全共闘は自由を求めて闘った」と言って、「死ぬときは、私の人生は全共闘だったといえばいい」とも発言したのだそうです。
▼全共闘と言えばもう一人、あのころ東大の全共闘のリーダーであった山本義隆さんは、東大闘争後は予備校の教師(物理)を続けているとのことですが、「全共闘に関するマスコミ取材は一切受けていない」とウィキペディアは言っています。原子力発電所には物理学者として東日本大震災以前から警鐘を鳴らし続けていたのだそうです。『福島の原発事故をめぐって:いくつか学び考えたこと』(みすず書房)という著書の中で電力会社のやり方について次のように述べています。
- 他の企業では考えられないような潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、頻繁に生じている小規模な事故や不具合の発覚を隠蔽して安全宣言を繰りかえし<中略>地元やマスコミや学界から批判者を排除し翼賛体制を作りあげていったやり方は、原発ファシズムともいうべき様相を呈している。
▼で、信州大学全共闘の猪瀬さんです。この人と日大・秋田、東大・山本の両氏との決定的な違いは、後の二人が全共闘運動の後、マスコミの世界からは全く姿を消してしまったのとは対照的に猪瀬さんの場合はノンフィクション作家として華々しく活躍していることです。ただ、猪瀬さんの「オフィシャルサイト」によると、彼は大学を出てから「本も読まないし議論もしない」ような生活を求めていたとのことであります。なぜ?
- 僕が地方国立大学の全共闘議長だったことと大いに関係があった。学生運動の後遺症(トラウマ)と、ひとことで片づけてしまうわけにはいかないが、学生独特の空疎な議論が嫌になっていたのは事実である。
▼このあたりの感覚はむささびにも痛いくらい分かります。「学生独特の空疎な議論」は確かに疲れる。が、猪瀬さんも言うとおり、それを単に「学生運動の後遺症」という言葉で片付けてお終いというわけにはいかないと思います。紀伊民報のジャーナリストが見たとおり、猪瀬さんは信州大学などに比べれば出来立てほやほや大学の学生たちに「理路整然と」アジ演説をぶっており、それに影響を受けた学生だっていたはずです。それなのに、演説をした本人が「空疎な議論」と言ってしまう。そのことに猪瀬さんは何も逡巡めいたものを感じないのでしょうか?
▼もう一つ、猪瀬さんと秋田・山本両氏と違うのは、何やらいろいろな肩書の中で生きてきたようだということです。
- 地方分権改革推進委員会委員、東京工業大学世界文明センター特任教授。 東京大学大学院人文社会系研究科客員教授、国際日本文化研究センター客員教授を歴任。
▼これに「都知事」という肩書がつく。自動車修理工場経営の秋田さん、予備校教師の山本さんとはだいぶ違う。ただ・・・なんとか言う医療法人から5000万円のお金を無利子・無担保で借りて、返却日も明記されていない借用書を記者会見で公開、「皆様にご迷惑をおかけしたことを本当におわびいたします」とアタマを下げる。かつて全共闘時代を振り返りながら「学生独特の空疎な議論」が嫌になったと感じた猪瀬さんですが、「都民のため、国民のために頑張ります」という言葉もかなり「空疎」なんじゃありません?
▼長々と失礼しました。寒くなります。お身体を大切に。 |
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