1)女王のクリスマス・メッセージ
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BBCなどによると今年の英国、特にイングランド南部は嵐に見舞われて2万4000世帯が停電するなどしてタイヘンなクリスマスになってしまったとのことです。そんな中で、12月25日午後3時にエリザベス女王のクリスマス・メッセージが放映・放送された。今年を振り返って、ひ孫のジョージ王子が生まれたこと、自分自身が戴冠60周年を迎えたことなどを述べているのですが、メッセージは次のような言葉で始まっています。
- I once knew someone who spent a year in a plaster cast recovering from an operation on his back. He read a lot, and thought a lot, and felt miserable. Later, he realised this time of forced retreat from the world had helped him to understand the world more clearly.
私の知り合いに、背中の手術を受けたのち一年間をギブスをはめた状態で過ごさなければならなかった人がおります。彼はたくさんの本を読み、いろいろなことを考え、情けない気分に陥りもしました。しかしあとになって、世の中からの隠遁を余儀なくされたその時間によって彼は世の中のことがよりはっきりと分かるようになったことに気がついたのだそうです。
このギブスをはめた知り合いについては、メッセージの最後の方でもう一度触れられます。
- In the year ahead, I hope you will have time to pause for moments of quiet reflection. As the man in the plaster cast discovered, the results can sometimes be surprising.
これからの迎える年において、皆さまがちょっと立ち止まって静かに想いにふけるときを持たれることを希望します。あのギブスをはめた男性と同じように(静かな思索の)結果が驚くべきものになることもあるのです。
というわけです。
8分半ほどのスピーチですが、この中にreflect/reflectionという言葉が8回も出てきます。この言葉は光などが「反映・反射する」という意味もありますが、静かに・真剣に「想う」(thinking seriously)という意味もあり、メッセージでは後者の意味で使われています。今年のクリスマス・メッセージのテーマのようです。
- quiet personal reflection(独りで静かに想う)
- I myself had cause to reflect this year(自分にも今年は振り返るべき理由がある)
- reflection is not just about looking back(過去を振り返ることだけが思索ではない)
メッセージの原文は次のとおりですが、BBCによるとクリスマス・メッセージだけは最初から最後まで女王自身で書くもので、政府や役人がドラフト(案)を書くということはないのだそうです。
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I once knew someone who spent a year in a plaster cast recovering from an operation on his back. He read a lot, and thought a lot, and felt miserable.
Later, he realised this time of forced retreat from the world had helped him to understand the world more clearly.
We all need to get the balance right between action and reflection. With so many distractions, it is easy to forget to pause and take stock.
Be it through contemplation, prayer, or even keeping a diary, many have
found the practice of quiet personal reflection surprisingly rewarding, even discovering greater spiritual depth to their
lives.
Reflection can take many forms. When families and friends come together at Christmas, it's often a time for happy memories and reminiscing. Our thoughts are with those we have loved who are no longer with us. We also remember those who through doing their duty cannot be at home for Christmas, such as workers in essential or emergency services.
And especially at this time of year we think of the men and women serving overseas in our armed forces. We are forever grateful to all those who put themselves at risk to keep us safe.
Service and duty are not just the guiding principles of yesteryear; they have an enduring value which spans the generations.
I myself had cause to reflect this year, at Westminster Abbey, on my own pledge of service made in that
great church on Coronation Day 60 years earlier.
The anniversary reminded me of the remarkable changes that have occurred since the Coronation, many of them for the better; and of the things that have remained constant, such as the importance of family, friendship and good neighbourliness.
But reflection is not just about looking back. I and many others are looking forward
to the Commonwealth Games in Glasgow next year.
The baton relay left London in October and is now the other side of the world, on its way across 70 nations and territories before arriving in Scotland next summer. Its journey is a reminder that the Commonwealth can offer us a fresh view of life.
My son Charles summed this up at the recent meeting in Sri Lanka. He spoke of the Commonwealth's 'family ties' that are a source of encouragement to many. Like any family there can be differences of opinion. But however strongly they're expressed they are held within the common bond of friendship and shared experiences.
Here at home my own family is a little larger this Christmas.
As so many of you will know, the arrival of a baby gives everyone the chance to contemplate the future with renewed happiness and hope. For the new parents, life will never be quite the same again.
As with all who are christened, George was baptised into a joyful faith of Christian duty and service. After the christening, we gathered for the traditional photograph.
It was a happy occasion, bringing together four generations.
In the year ahead, I hope you will have time to pause for moments of quiet reflection. As the man in the plaster cast discovered, the results can sometimes be surprising.
For Christians, as for all people of faith, reflection, meditation and prayer help us to renew ourselves in God's love, as we
strive daily to become better people. The Christmas message shows us that
this love is for everyone. There is no one beyond its reach.
On the first Christmas, in the fields above Bethlehem, as they sat in the
cold of night watching their resting sheep, the local shepherds must have
had no shortage of time for reflection. Suddenly all this was to change. These humble shepherds were the first
to hear and ponder the wondrous news of the birth of Christ - the first
noel - the joy of which we celebrate today.
I wish you all a very happy Christmas. |
▼メッセージの最後から2番目のパラグラフ(On the first Christmas...)にキリスト生誕のときのことが書かれています。羊たちが眠りにつき、羊飼いたちが静かに一日を振り返っていたであろうベツレヘムの寒い夜・・・というわけですが、このむささびジャーナルの最初に掲載した、イラクの羊飼いのいるハルブジャというところからキリスト生誕の地といわれるパレスチナのベツレヘムまで直線距離にすると1500キロ程度なのですね。
▼ここをクリックするとメッセージを伝える女王の様子が動画で見ることができます。彼女の声だけ聴きながらメッセージを文字で読むと、英語教材としても使える? |
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2)使われなかった女王の演説原稿
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日本では特別秘密保護法なるものが成立したばかりですが、公文書の保存期間というのはどのくらいなのでありましょうか?英国には情報公開法(Freedom of Information Act)というのがあって、政府(地方自治体も含め)の公文書は作成後30年で一般公開されなければならないとなっており、今年からこれを20年に短縮する作業が始まっています。むささびジャーナル280号で、米ソの冷戦がもう少しで本当の核戦争を誘発するところだったというお話をしましたよね。1983年のことだった。この話は核兵器廃棄運動を続けている英国のNPOが、情報公開法に基づいて今年(2013年)30年前の政府の秘密文書などの公開請求をした結果出てきたものだった。
1983年の核戦争の危機は英国も含めたNATO軍による軍事演習によってもたらされたものだったのですが、その軍事演習の一環として、本当に核戦争が始まったことを想定して、エリザベス女王が国民に対して団結を呼びかける演説を行うことになっていたのですね。これは情報公開法に基づいて1983年から30年後の今年(2013年)公開された文書で明らかになっているのですが、その「文書」というのが、女王の国民向けの演説の予定稿であったというわけです。
核戦争の始まりに際して英国の官僚が作成した悲壮な調子の草稿の全文はここをクリックすると読むことができますが、次の言葉で始まっています。
- When I spoke to you less than three months ago we were all enjoying the
warmth and fellowship of a family Christmas.
- 私が皆さまにお話したのは、いまから3か月前にもならないときでした。あのころ私たちはファミリー・クリスマスの暖かさと絆の強さのようなものを楽しんでいたのです。
ここでクリスマスが出てくるのは、想定によるとこの演説が行われるのは3月初旬となっていたからです。女王は、第二次世界大戦開始の際に彼女の父親(ジョージ6世)が国民向けに行った演説を幼稚園で聞いたときの悲しみや恐怖に触れながら
- Not for a single moment did I imagine that this solemn and awful duty would one day fall to me.
まさか自分がこのような厳粛ではあるけれど厳しい義務を負わなければならなくなるなどとは考えたこともありませんでした。
と言います。そして次のような言葉で国民に団結を呼びかけます。
- If families remain united and resolute, giving shelter to those living alone and unprotected, our country's will to survive cannot be broken.
家族がそれぞれ団結し、固い決意をもって、独りで暮らしている人や身寄りのない人々にシェルターを提供するならば、私たちの国の生存への意志が崩れることは決してないでありましょう。
これ以後もさまざまな言葉で、「家族の絆」を大切にすると同時に、これをもてない人々に援助の手を差し伸べようと呼びかけ、次のような言葉で演説を終えることになっています。
- As we strive together to fight off the new evil let us pray for our country and men of goodwill wherever they may be. God bless you all.
団結して新たなる悪との戦いを進める中で、私たちの国のために祈りましょう。善意の人々がどこに居ようと彼らのためにも祈りましょう。皆さますべてに神の祝福を。
▼BBC Radio 4にUK Confidentialという番組があります。情報公開法の規定によって公開された30年前の公文書をもとにその時代と出来事を振り返る番組です。例えば1982年の場合はフォークランド紛争直前のサッチャーとレーガンの電話によるディスカッションがドラマ風に語られる。実際のメモや議事録を基にしているので正真正銘の「歴史」です。 |
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3)「フィンランドにいたければフィンランド人のようになれ」!?
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フィンランドの国営テレビ、YLEの英文サイト(12月17日付)に、フィンランドにおける人種差別についての記事が掲載されています。この記事はウマーヤ・アブ=ハンナ(Umayya Abu-Hanna)という女性ジャーナリストとのインタビューに基づいて書かれている。このジャーナリストはパレスチナ生まれなのですが、30年ほど前にフィンランドで暮らすようになったのだから「パレスチナ系フィンランド人」ということになる。
テレビのキャスターをやっていたりして、フィンランドでは名前の知られた人であったのですが、いまから1年ほど前にフィンランド最大の日刊紙、Helsingin Sanomatに、フィンランド社会にはびこる人種差別を告発する記事を書いたところ賛否両方から大反響を呼んだ。記事内容は彼女の養女(南ア生まれ)に対するフィンランド人からの嫌がらせを告発するものだったのですが、それに対して「アンタに我々の国についてとやかく言ってほしくない」という類の抗議が相次いで寄せられ、ついにフィンランドにいることが苦痛になったというのでオランダへ移住してしまった。
ただ「よくぞ言ってくれた」という声もあってフィンランドのNGOが主宰するGlobal Family Awardという賞が彼女に贈られることになり、このほど一時的にフィンランドに戻ってきたところをYLEがインタビューしたというわけです。
テレビ・キャスターをやっていた時代、彼女のフィンランド語がフィンランド人らしくない(un-Finnish)という苦情が視聴者から寄せられてこの地位をギブアップせざるを得なかったという経験を持っている。彼女は、自分がパレスチナ人であるということでつまはじきにされるている部分もあると言っているのですが、新聞に載った彼女のエッセイについては普通のフィンランド人のみならず、移民社会からも苦情が寄せられたのだそうです。すなわち彼女の記事が移民社会全体を代表していると受け取られ、嫌がらせを受ける移民も出てきてしまった。そのような人々から「アンタの記事が出る前は普通に暮らしていたのに・・・」というわけで、「何さまのつもりなんだ」(Who
do you think you are?)という怒りの声が寄せられた。
彼女によるとフィンランドには人種差別を許す社会構造があると言います。例えば雇用に際してはフィンランド人が嫌がるような重労働が移民に提供される。若い移民女性たちはもっぱら看護婦見習いのような職に就くことを奨励される。フィンランド社会では「移民のいる場所」が常に意識させられるのだそうで、メディアとインテリ社会はこのような問題をタブー視する傾向があると文句を言っている。
移民問題について行われた世論調査では、ほとんどのフィンランド人が、フィンランドで暮らしたいのなら「外国人はなるべくフィンランド人のようになるべきだ」(foreigners
should become as Finnish as possible)というステートメントに賛成だという結果が出たそうなのですが、そもそも「フィンランド人らしさ」(Finnishness)なるものを定義すること自体に無理があるという声もある、とYLEは言っている。アフリカ生まれのあるフィンランド人によると、都会のフィンランド人と田舎の人たちでは生活習慣や価値観が全く違うのだそうです。
この世論調査の結果について、移民問題をきっちり議論しようというMigrant Talesというブログを主宰しているエンリック・テッシエリ(Enrique Tessier)は「要するにフィンランド人は文化的多様性というものに反対なのだ」として、その理由の一つとして移民問題についてのメディアの態度があると言っている。この人は「良くも悪くも物事のグローバル化は避けられない」(For
better or worse I think we have to accept globalisation)として、移民を始めとする外の世界に対して排他的な姿勢を続けているようでは、外国企業もフィンランドには来ないだろうと言っています。
ウィキペディア情報によると、昨年(2012年)の時点で外国生まれでフィンランドに住んでいる人は約28万人で全人口の5.2%にあたります。一番多いのが旧ソ連出身者(52,000人)、次いで対岸のエストニア(35,000人)、スウェーデン(3万人)などとなっていますが、これらはいずれも白人だからちょっと目には分からない(かもしれない)。外見からして違うアフリカ、中東、アジア出身者としてはソマリア(アフリカ)出身者が9000人、イラクが8300人、中国が8200人、タイが8000人などとなっています。このエッセイが言っている「移民」「外国人」というのはこれらの人々のことです。
▼フィンランドにタイからの移民がいるとは知りませんでした。日本にいる外国人は約230万人。ということは総人口の約2%。フィンランドの半分以下ということです。
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4)人生はモノで決まる・・・
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英国の世論調査機関であるIpsos MORIが世界20カ国の市民1万6000人を対象に行った生活意識調査の結果を見ると世界の現状を反映しているようで非常に興味深いものがあります。意識調査はオンラインで行われ、テーマは次の4つです。
- 人生における成功は持ち物によって決まると考える人の割合
- 成功して金持ちになることへの大きなプレッシャーを感じる
- 自国の将来(1年後)に楽観的な人の割合
- 自分・家族の将来に楽観的な人の割合
結果はここをクリックするとフルに見ることができますが、ここでは①と④についての結果のみグラフで紹介します。
中国人の7割以上が人生の成功・失敗はモノによって決まると考えている。つまり「金持ちになる」、「立派な家に住む」、「高級車を乗り回す」等々が人生の目標であると思っている人が多いということですが、実は②のテーマでも中国人はトップ68%です。約7割の人が「人生、成功しないとバカにされる」というプレッシャーを感じてもいる。ただ③の数字によると自国の将来(1年後)に楽観的である人は上から4番目に、自分や家族の将来となると下から9番目(56%)となるのが中国人なのですね。
で、英国人はどうかというと、人生におけるモノの所有の大切さについてはわずか16%で下から3番目、物質的に成功することへのプレッシャーについては平均値よりもかなり下の39%です。日本人は「モノの所有」については英国人よりは高いけれど、平均値よりはかなり低い。また自国の将来については日本人も英国人も平均より悲観的なのですが、違うのは自分や家族のような個人レベルの1年後については、英国人は平均値よりも上(61%)なのに対して日本人は下から2番目(40%)と非常に悲観的であることがうかがえます。
むささびが興味を持つのはスウェーデンと韓国の人たちの意識です。「人生モノがすべて」という感覚について、スウェーデン人はたった7%しか賛成していないし、物質的競争によるプレッシャーについてもいちばん低い(26%)。なのに自国の将来については上から5番目(45%)、個人の将来については上から3番目(73%)と非常に高い。対照的だと思うのが韓国で、モノの所有を成功の尺度と考える人も多いし、そのためのプレッシャーを感じる人も多いのですが、自国の将来となるとぐっと悲観的、自分自身や家族の将来については、日本よりも低くて最下位となっている。
▼人生の価値を持っているモノで決める姿勢が強いのは中国、インド、トルコ、ブラジルのような新興国です。反対にかつてのG7の国々はいずれも平均値以下です。これは何を意味するのか?新興国の人々は欲しいモノが手に入る状態であるのに対して先進国の人々は(日本人も含めて)物欲がないのではなくて、物欲を満たすことができるような経済力が、かつてほどにはないということなのですよね。 |
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5)Shinzo Abeがもたらす不安
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12月26日の安倍さんの靖国訪問に関する英国メディアの報道ぶりですが、BBCとGuardianがそこそこ詳細に報道していましたが、他のメディアはむささびの眼には見えない程度の報道だったようです(The Timesは全面的に有料なので見ていないし、Financial Timesは英国メディアとは思っていない)。
Guardianの記事には約500件のコメントが掲載されています。ほかの記事は、1000件以上というのが当たり前なので500件というのは大した数ではない。Shinzo
Abeの行動はやはり「遠い場所」での出来事なのかもしれないですね。コメントの多くが靖国参拝に批判的なもので、「日本はいまだに過去を清算していない」という感じのものなのですが、その中に安倍さんが読んだらウハウハ言って喜びそうなものもありました。SmirkingLiberal(ニヤニヤ笑いのリベラル人間)というペンネームによる投稿で「日本はこれまでの70年間、平和主義の道を歩んできたのに、その結果として得たものは近隣諸国からの罵詈雑言だけ」と言ったあとで次のように述べています。
- 日本にとっての解決策は明白だ。大規模な再軍備によって自国の安全保障を確保し、中国の冒険主義を抑え込む。そうすれば近隣諸国も(日本に対して)正当かつ当然の尊敬を払うようになる。
The solution for Japan is clear. Only through large scale re-militarisation will their own security be maintained, Chinese adventurism be deterred, and their neighbours show the correct and deserved respect.
この投稿には39人が「推奨」(recommend)のボタンを押しているようです。また同じペンネームによる過去の投稿記録を見るとオーストラリア人なのではないかと(むささびは)想像しています。
ところで、安倍さんが靖国を参拝する10日前、12月16日付のFinancial Times(FT)のサイトに
という見出しのエッセイが出ています。「安倍(首相)の権力増大に対して日本(人)は意見を言う必要がある」ということですが、最近の安倍首相の政治を見ていると、歴代の首相のような「合意形成」(コンセンサス)のためのマネジャー(管理人)というよりも軍隊を率いる司令官(commander-in-chief)のようになっている・・・としている。エッセイを書いたのは、Teneo Intelligenceという国際政治のthink-tankで日本政治の分析を仕事にしているトビアス・ハリス(Tobias Harris)という人です。
エッセイは安倍さんの最近の動きを象徴するものとして、日本版NSCと言われる国家安全保障会議の創設と特別秘密保護法の成立を挙げており、首相就任から1年、安倍さんが単に日本経済の復活だけを目標にしているのではないことがはっきりしてきた、として
- 安倍首相は日本の政治機構に大きな変革をもたらし、それによって中国との競争に勝てる日本を作り上げたいと思っているのだ。
he wants to introduce sweeping change to political institutions to steel Japan for competition with China.
と書いている。そのためにこれまで首相の権力を公式・非公式に縛ってきた制度を取り除き、日本に対する軍事的脅威に応え、東アジアにおける日本の影響力を向上させるためにフリーハンドを手に入れようとしているというわけです。
ハリス氏は安倍内閣は首相や閣僚が国会の委員会に出席する時間を減らそうとしていること、かつては行われた国会における党首討論の回数も大幅に減らしていることなどを挙げて
- 政府は国会議員に対して提供する情報を制限したがっているばかりでなく、議員が政府に質問する機会さえも制限しようとしている。
Not only does the government want to limit the information available to MPs, it wants to limit the opportunities MPs have to question the government.
と指摘している。
ハリス氏は安倍さんのやり方は日本の戦後民主主義の政治とは対照的である言っている。これまでの首相は自分の党の意向を尊重し、重要法案の審議にあたっては野党とも協力するという姿勢をとってきた。それによって首相のリーダーシップが犠牲にされたことはあったものの、戦後日本の民主主義はそうすることで少数意見を尊重し、政府と国会の間の力関係のバランスをとってきたのだというわけです。
もちろん戦後のコンセンサス政治を否定してリーダーシップ発揮を目指したのは安倍さんだけではないのですが、安倍さんの場合は、特に安全保障に関することを秘密裡に行うことを可能にしようとしているように見えるとハリス氏は言っています。
ただ安倍さんの強権的なやり方がうまくいくかどうかは全く分からない(far from certain that he will succeed)とハリス氏は見ている。特別秘密法に対する反対デモの広がり、世論調査における安倍人気の下落という現象を見ると、国会をバカにしたり、世論を無視するような政府は「世論」(public opinion)によって罰せられることになるかもしれない・・・というわけで
- 安倍氏は強権的な中国と日本の民主主義は違うのだと強調することがお好きである。しかし国民への説明責任を弱めることが、安倍氏のいう民主主義を弱体化させるというリスクも負っている。中国の台頭に対してより自己主張を強くする安全保障の姿勢をとる必要はあるのであろう。しかし中国との競争に勝つことが、コンセンサスをベースにした民主主義を犠牲にしてまで遂行する価値のあることなのか・・・それを決めるのは日本人自身であるべきなのだ。
Mr Abe is fond of stressing the differences between Chinese authoritarianism and Japanese democracy. However, by weakening the executive’s accountability to the Japanese people, he risks undermining it. Perhaps a more assertive national security posture is a necessary response to China’s rise. But it should be for the Japanese people to decide whether competing with China is worth sacrificing its consensus-based democracy.
と結論しています。
▼この筆者は安倍さんのリーダーシップ政治を不安視しているようなのですが、これまで日本型のコンセンサス政治は「顔が見えない」とか「決められない政治」などと言われて否定的に語られる方が多かったのではありませんか?確かにコンセンサス政治は「派閥政治」という面も持っていたのですよね。リーダーシップ政治そのものが悪いのではなくて、安倍さんが日本をどこへ持っていこうとしているのかというリーダーシップの中身が問題なのでは?
▼特別秘密保護法が強行採決されたとき毎日新聞の社説は
- かつての自民党であればいくら「1強」でもベテラン議員らが自重を促したが今はそうした声はほとんど聞かれない。
と嘆いています。
▼しかしそのようなベテラン議員によって行われて、毎日新聞を含むメディアがさんざ批判したのが「なあなあ主義」であり、「派閥政治」であったのではないのですか?この社説が主張したのは、特別秘密保護法についての「国会の熟議」だった。むささびが思うに、毎日新聞が主張すべきであったのは「熟議」ではなく「廃案」であり、そのためにやれることは何でもやろう、と読者に呼びかけることだった。
▼英国において「コンセンサス政治」を否定したのは、いまから30年以上前に首相になったマーガレット・サッチャーですよね。彼女はコンセンサスというものについて「誰も信じていないけれど、誰も反対もしないことを遂行するためのプロセス」として真っ向からこれを否定している。安倍さんが目指しているのはひょっとしてサッチャーさんのような政治家なのかもしれないけれど、「コンセンサスよりもリーダーシップを」という言い方でサッチャー流の政治が行われたについてはメディアの力が欠かせない。と、そのあたりについてはむささびジャーナルの152号で「英国の政治とジャーナリスト:国会無視のつけ」という記事が掲載されています。 |
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6)どうでも英和辞書
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virtue:徳
猪瀬都知事が辞任を発表する記者会見の冒頭で、例の5000万円について「いろいろと説明責任を果たすべく努力したけれど、何を言っても疑念を払拭することはできなかった」という趣旨のことを言ったうえで、自分が信じてもらえなかったのは
と述べた部分があった。これを伝えるBBCの記事を読んでいたら、この部分を
- It's solely because of my lack of virtue.
と書いていました。英国人やアメリカ人に確かめたわけではないけれど、"my lack of virtue"という表現(徳が欠如している)という英語がなぜか不自然に響くのでありますよ、むささびには。文法的には完全に正しいけれど「こんなこと言うだろか?」というヤツですな。そこでmy
lack of virtueをGoogleの検索に入れてみたところ、たった一つだけありました!New York Timesの1988年4月17日付の記事で、
- Although I exerted myself to the utmost to promote the welfare of the people
during my presidential term, I failed to control my brother. It is because of my lack of virtue.
とあったのでございますよ。これは韓国の全斗煥元大統領(1980年~1988年)が政界から身を引くことにしたときに語った言葉なのだそうです。verbatimとなっているから、記者が書いた文章ではなく、大統領の言葉の速記録という感じであります。自分の弟だか兄だかが汚職めいたことをやってしまい大統領として実に申し訳ない・・・と言って最後の締めがIt
is because of my lack of virtue(不徳のいたすところ)というわけであります。つまりmy lack of virtueというのは、日本や韓国の文化では普通かもしれないけれど、これ以外に文章が見つからなかったということは、英米の発想からは出て来ない類の表現なのかもしれない。
ただ全斗煥さんの場合、弟だか兄さんだかがよろしくないことをしてしまい「親族として申し訳ない」と言っているのに対して、猪瀬さんの場合は「自分がいくら説明しても納得してもらえないのは自分に徳が足りないからだ」と言っている。弟や息子が悪いことをしたからといって親族が申し訳ないと思う必要など全くない(とむささびは思う)のだから全斗煥さんの言い分も妙だなと思う。でも本人がそのように思ってしまっているのだからしゃあないとも思える。
でも猪瀬さんは自分が無実だと叫んでいるのに、他人がこれを理解してくれないのは自分に落ち度があるからだと言っている。これではなんだか分からない・・・というより、「不徳の致すところ」なんて本当はこれっぽっちも思っていないけれど、とりあえず辞任会見ではそのような言葉を発しておけば、メディア関係者はそのまま受け容れるであろうと思った、ということ?決まり文句というヤツで、大した意味はない。だからそんなことをヤイヤイ言うむささびの方が常識がないということ、かな?
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7)むささびの鳴き声
▼靖国参拝を行った安倍さんが最も気にしなければならないのは、中国、韓国、アメリカなどの意見ではなくて日本人がどのように感じているのかということですよね。支持率が下がるとかいう問題ではない。中国や韓国がいかなる罵声をもって非難しても、独裁政治でもないのに国内の意見がまとまって安倍さんを支持していることが明らかになると、外国としても安倍さんを見直さざるを得ない。
▼で、日本人は安倍さんの靖国参拝をどう見ているのか?むささびが参考にしたのが、北海道から沖縄まで日本各地に存在する「地方紙」と言われるメディアの社説(12月27日付)です。全国紙と違って、どちらかというと地元に関係した話題を取り上げることが多く、読者に近い場所で仕事をしている分だけ読者の感覚からあまりかけ離れたことは言わないのではないか・・・というのが地方紙を参考にしようと思った理由です。共同通信のサイトには全部で35紙リストアップされているのですが、12月27日付の社説では靖国問題にふれていないのが9紙あった。この問題を取り上げた26紙の論調は次の通りです。
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