1)永住権をオークションで競売?!
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英国の移住問題諮問委員会(Migration Advisory Committee)という独立機関がこのほど外国人の永住権に関する制度の変更を提案する報告書を内務大臣に提出したのですが、「永住権をオークションに」という提案がユニークであるということでメディアの話題になっています。現在のところ英国への永住権を獲得する手段として、英国に投資するというのが一般的なものとしてあります。投資する額は最低で100万ポンド(約1億3000万円)から上は1000万ポンド(13億円)まである。
これらのおカネを英国企業(として登録されている会社)に投資するか政府発行の公債を購入することで永住権をもらえる。金額による違いは何かというと、申請してから実際にもらえるまでの待機期間です。100万ポンドの場合は5年、500万の場合は3年、1000万ポンドを投資する場合は2年間、それぞれ何らかの方法で英国に滞在する必要があるわけです。とてつもない金額ですよね。それでもThe Economistによると2009年から2013年までの4年間で1,628件の永住ビザが外国人に発行された。最も多かったのはロシア人(433件)と中国人(419件)だったのですが、それ以外にもアメリカ人、エジプト人、インド人、イラン人らがこの方法で永住権を取得している。
ただ、現在の制度には大いなる欠陥がある(deeply flawed)のだそうです。まず最低必要投資額の100万ポンドというのは20年前の1994年に決められてから一度も変更(値上げ)されていない。その間の物価上昇などを考慮すると20年前のままというのはおかしいという点。さらに建て前としては英国企業への投資または政府の公債購入のいずれかを選択しなければならないとなっているけれど、実際には投資家はより安全な公債購入にあてる傾向が強い。100万ポンド相当の公債を買って5年間待っているだけで永住権がもらえるということは、5年間待って、晴れて永住権を入手したあかつきには購入した公債を売ってしまえば100万ポンドは利子がついて戻ってくる。金持ち外国人が得するだけで、英国にはさしたる得にはならない・・・というのが移住問題諮問委員会の意見だった。
そこでこの委員会が提案したのは、まず最低投資額を100万ポンドから200万ポンドに引き上げること。さらに投資の対象をベンチャーキャピタル関連計画やインフラ整備のための国債とし、場合によっては公債を投資の対象からはずすことも考える・・・このあたりまではごく無難な改革案なのですが、注目されたのは「特別ビザ」(premium visas)なるものの導入を提案したことです。何が「特別」なのかというと、待機期間をうんと短くする、複雑な手続きを簡素化するなどの特典が与えられるというわけです。さらに「特別ビザ」は最低競売価格を250万ポンドとするオークションを通じて与えられる。落札価格が400万ポンドで決まった場合は、最低競売価格に対する上乗せ分(150万ポンド)は、宝くじ収入と同じように社会的に有意義な目的のために使われるというものです。
▼移住問題諮問委員会は、オークションで競売される永住権は年間100件程度と予想しています。落札価格が400万ポンドとすると英国政府のふところには400万ポンドX100=4億ポンド(520億円)の収入ということになる。
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2)レイプの被害者が加害者を赦した理由
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1月9日付のBBCのサイト(UKセクション)に
という見出しの記事が出ています。「レイプの被害者が加害者と面会、加害者を赦すことを伝えた」というニュースです。記事を読みながら「日本ではこんなことあるだろうか」と考え込んでしまったので、むささびジャーナルをお受け取りの皆さんにも紹介することにしました。
被害者はカーチャ・ローゼンバーグ(Katja Rosenberg)という現在40才になる女性で、レイプ事件が起こったのは8年前の2006年ことですが、加害者(犯行当時は16才)との面会が実現したのは昨年(2013年)のことです。彼女によると、事件のあと「本能的に(intuitively)加害者に会わなければならないと感じた」のだそうです。レイプされたことについて彼女が感じたのはトラウマではなかった。彼女がBBCに語った言葉をいくつか紹介すると:
- とてもとても悲しいとは感じたけれど、アタックされたという感じがしなかったの。I felt very, very sad, but I didn't
feel attacked.
- 人生、本当にいろいろなのよね。何故とても褒められたものでないことをやってしまうような人がいるのか・・・世の中どこかおかしいと思ってしまったわ。どうしていいか分からない人もいるってことよね。ハッピーな生活ならあんなことするわけないものね。
Life deals very different cards to all of us, and why somebody does something
which is not applaudable - it was more about thinking, something's wrong
with society. Some of us don't know where to go. You wouldn't ever do that
if you felt happy.
加害者は実はカーチャを襲ったあとにもレイプ事件を起こしており懲役14年で服役中なのだそうですが、なぜ加害者に会いたいと思ったのかについてカーチャは「人生希望なしというわけではない」(life's
not hopeless)ということを伝えたかったとのことで、次のように言っている。
- 自分ならそれが言ってあげられると感じたの。それと面会することで、自分でも(このことに)何らかの終止符を打つことになるのではないか、と。ごめんなさいと言ってもらいたいと思ったわけではないの。一緒に同じ方角、平和と赦しという方向に歩いていければいいな、と、なぜかそう思ったの。
I just felt I could give that. I also thought the exchange would be good for me to somehow get some kind of closure - I mean, I didn't really need a 'Sorry', but it was somehow just good to see that you walk into the same direction of peace and forgiveness together.
カーチャと加害者との面会は「修復的司法」(restorative justice)と呼ばれる制度によって実現したのだそうですが、ウィキペディアによるとこの制度は
- 犯罪に関係する全ての当事者が一堂に会し、犯罪の影響とその将来へのかかわりをいかに取り扱うかを集団的に解決するプロセス、又は犯罪によって生じた害を修復することによって司法の実現を指向する一切の活動を言う。
となっており、日本では採用されていないのだそうであります。
▼むささびが「日本ではこんなことあるだろうか」と思ったのは、レイプの被害者が加害者に面会するということもあるのですが、メディアのインタビューに応じたということが一つ。さらにBBCのサイトに被害者であるカーチャ・ローゼンバーグの顔写真が堂々と掲載されているということです。BBCによると加害者の写真は使わないでほしいというのが彼女の希望であったそうです。さらにこのサイトには読者に対する呼びかけ欄があって、「あなたは犯罪の被害者になったことがありますか?加害者を赦すことができたことがありますか?」(Have you been a victim of crime and have you been able to forgive?)と呼びかけ、ストーリーの提供を呼びかけていること。こんなこと、NHKはやりますかね。
▼今回のカーチャの行動について、大衆紙Daily Mirrorの女性コラムニストによるコメントが非常に変わっている(けれど当たってるかもしれない)と思います。犯罪が行われた日、襲われたカーチャの運命は加害者に握られていた。が、加害者に向かって「赦してあげる」と告げたことによってカーチャは逆に加害者の人生を支配することになった、というのです。コラムニストはさらに、カーチャがどのように思っていようと、レイプの加害者の性格が変わるとはとても思えないが、カーチャ自身がひ弱い被害者から強い生存者に生まれ変わるということはある(it
can change a victim into a survivor)と述べています。
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3)「近寄りすぎないで!」
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他人と付き合っていくうえで大切なルールとして、それぞれの生活にあまり深入りしないということがありますよね。適度な距離を保つということです。それはどちらかというと気持ちの上でのプライバシーの尊重ということですが、もっと物理的な距離の取り方について、人間の心理との関連で研究しているユニバシティ・カレッジ(ロンドン)のジアン・イアネッティ(Gian
Domenico Iannetti)教授が16インチが限度という研究結果をJournal of Neuroscienceという専門誌で発表しています。
人間が二人いたとして、二人の間に保つべき空間のことを「私的空間」(personal space)と呼んでいるのですが、イアネッティ先生によると、16インチ(40.64 センチ)が絶対的限度(absolute limit)であり、それ以上近づくと人間は脅威(threat)を感じるようになるのだそうです。人間の脳には私的空間を維持しようという自己防衛メカニズムのようなものがあり、その距離は人によって違いがあるけれど、普通の人の場合だと50センチ弱が絶対的な限度ということです。さらに言うと私的空間が広い人ほど心に不安感を抱えていることが多いのだそうであります。
もちろんこの私的空間の限度も状況によって異なります。例えば通勤電車の中では16インチの絶対的限度が犯されても許容できる。不愉快(annoying)かもしれないけれど「脅威」(threatening)は感じない。通勤電車が混むのは当たり前だし、お互い様であるからです。それと国によって私的空間に対する許容度が違うということもある。中国やインドでは英国ほどには個人スペースは重要なものとは考えられていないので私的空間も多少は狭いかもしれない。
それにしてもイアネッティ教授は何が面白くて私的空間の研究などするのか?一つの理由は職業適性の評価に役立つことがあるのだそうです。私的空間が広い人は消防士、警官、軍人のように身近に迫る危機的な状況で仕事をする職業には向いていないということです。ただ教授によると、訓練によって私的空間が小さくなる(危機が迫っても怖がらない)こともあると言っている。
ところで上流階級もしくは自分が上流階級であると思い込みたい人びとのためのエチケットの専門誌、Debrett'sは創刊1769年という信じられないような歴史を有しており、「私的空間」の問題には特別コーナーを設けて読者の注意を呼びかけています。それによると注意すべきポイントが二つある。一つは自分の私的空間を犯すような人間と遭遇してしまった場合、どうするのがエチケットにかなっているのかということ。もう一つは自分が、それと知らずに他人の私的空間を犯すスペースインベーダーにならないようにするためにはどうすればいいのかということです。
まず相手がスペースインベーダーである場合は、あからさまに後退して空間を確保しようとするのはマナーに反するのだそうです。そういう場合は手持ちのバッグの中身を見るふりをして顔をそむけるか、運よく近くを知り合いが通ったような場合、ハロー!とかいいながらそちらに顔を向けて手を振ることで空間を確保すること。
自分がスペースインベーダーにならないためのルールは比較的単純です。相手の息が自分の顔に感じるような場合は明らかに近づきすぎなのだから自分から身を引けということです。
▼そういえばスーパーやホームセンターのレジで並んでいると、後ろのおっさんが妙に近づきすぎていると感じることってありますね。どういうわけか、私の場合はインベーダーがおっさんかじいさんで、おねえさんでもおばはんでもないのが問題でありますね。まさか自分がインベーダーになるわけにはいかないし・・・。
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4)「唯一の被爆国」と放射能災害
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『放射能とナショナリズム』(彩流社)は歴史学者であり、戦争をした敵同士の「和解」についての研究でも知られる山梨学院大学の小菅信子教授が、福島も含めた東日本大震災後の被災地を自分の足で歩き、ボランティア活動に参加し、人々と会話し、自分の頭で考えてきた諸々を文字にしたものです。3・11以来の日本は「放射能による不信の連鎖」によってがんじがらめになっており、これを断ち切る道を模索しなければならない・・・というのが教授のメッセージです。
『放射能とナショナリズム』というタイトルを見て、私はてっきりこの本が2011年3月11日の福島の原発事故からこれまでの3年間、日本を覆ってしまった観がある、右翼的ナショナリズムについて語るものだと思っていたら全然違っていました。表紙をよく見ると、小さな文字で次のような英文のタイトルがついています。
- THE NUCLEAR MYTH AND POSTWAR JAPAN'S NATIONALISM
これをこのまま日本語にすると
となる。まず「核にまつわる作り話」(NUCLEAR MYTH)という言葉については本の裏表紙に説明が書いてある。すなわち3・11後の日本では原子力というものについて、それまでは「絶対安全・大丈夫」という意見が支配的であったのに、事故が起こるや「これほど危険なものはない」という意見が声高に語られるようになり、それが昂じて「原発さえなければ絶対安心」という作り話への逃避現象が見られる。安全神話→危険神話→安心神話というシフト現象です。どれも人間が生み出した原子力というものを落ち着いて議論・理解する態度に欠けており、不健全であるということです。
ではこの英文タイトルのいう「戦後日本のナショナリズム」(POSTWAR JAPAN'S NATIONALISM)とは何なのか?それは福島の原発事故とどう関係するのか?そのあたりのことをアタマに置きながらこの本を読んでみました。
戦前・戦中の日本のナショナリズム(愛国主義)といえば「天皇陛下バンザイ」ですよね。小菅教授は戦前・戦中のそれにあたる、戦後のナショナリズムは広島・長崎への原爆投下が生んだ「唯一の被爆国」という「ナショナル・アイデンティティ」(国としての肩書のようなもの)と深く関係していると言っています。この指摘はとてもユニークで面白いと思うのですが、小菅教授は、日本人はいま、「唯一の被爆国の国民」という「肩書き」を「自己検証」する必要がある、と主張しています。
戦前・戦中を通じて日本人にとって「神聖にして不可侵」なものといえば天皇であったのですが、広島、長崎への原爆投下によって敗戦となり、天皇が不可侵でなくなってしまった時点でこれに取って代わったのが「唯一の被爆国の国民」という肩書だった。日本人は、普通なら侵略国・敗戦国の民として、ひっそりと存在しなければならないはずだったのに、原爆投下という歴史上例のない被害を被った「犠牲者」であり「神聖な記憶の担い手」として「反核・世界平和」を世界に訴えることが許される存在となった。小菅教授によると
- 「唯一の被爆国」というナショナル・アイデンティティは、実は、原子力の神秘的で迅速かつ完全なる壊滅力から生起した神話のアナロジーに支えられていたのだ。あたかも戦前・戦中の「天皇」の神聖性や不可侵性のごとく、原爆の犠牲あるいは核の敗北神話は不可触であり不可知なものでさえあった。
となる。発明したばかりの原爆の威力は誰にも明確には分からない。ただ、とてつもない破壊力であることだけが想像できただけであり、放射能汚染はとても理性的に考え、語ることなどできる状態ではなかった。そして原爆による犠牲も天皇のように「神聖」な存在、疑問を挟んではならない存在、触れてはいけない存在になってしまった。
- そのように考えると反原発熱にうかされ、暴言や失言をくりかえす一部の学者や論者、彼(女)らをもてはやすメディア界の奇矯さも、私には妙に納得できた。
と教授は言います。つまり「唯一の被爆国」という肩書も、実は盲目状態にあった日本人が殆ど信仰心に近い精神状態で自国に与えた「称号」のようなものだったけれど、それが戦後日本の平和教育のバックボーンとなった。福島の原発事故以来、激しい言葉で反原発を唱える一部の言論人たちはこのような平和教育を受けて育った人たちなのだ・・・というわけです。
「唯一の被爆国民」という肩書と3・11原発事故後の福島を取り巻く状況について
- 「唯一の被爆国」として平和教育を受けてきた日本人にとって、放射能汚染の恐怖を理性で抑えることは難しいかもしれない。放射能汚染への恐怖は、戦後日本のナショナリズムとも堅く結びついている。そうしたなか、脱原発・反原発論の中心に、原発事故の被害に苦悩する人びとの救済を位置づける必要がある。
と小菅教授は言っている。「脱原発・反原発論の中心に、原発事故の被害に苦悩する人びとの救済を位置づける」というのが具体的にどのようなことを指すのか分かりませんが、個人レベルではごく常識的なマナーを守るということなのでしょう。小菅教授が紹介している群馬大学の教授は、放射能汚染地図をいち早く作製したことで知られる人らしいのですが、自分のツイッターで
- セシウムまみれの水田で毒米つくる行為も、サリンつくったオウム信者と同じことをしてる。
- 福島の農家が私を殺そうとしている。
などと書き込み、大学から注意されると
- 放射能の危険性を多くの人に迅速に伝えるために、あえて過激にした。処分は学問の自由を奪う行為で、大学の自殺だ。
と大学を批判したのだそうです。むささびの考える「常識的なマナー」が通じない人がいるものなのですね、しかも大学教授です。この人にとっては、放射能被害に苦しむ農家への「いたわり」よりも「学問の自由」の方が大切であったということです。この教授も「唯一の被爆国の国民」として、戦後の「平和教育」を受けてきた・・・!?
小菅教授の本とは関係ないのですが、福島大学の開沼博特任研究員が2012年8月30日に日本記者クラブで行った講演の速記録を読んだことがあります。原発事故が起こった年の春、福島の農家では何人もの人が自殺したのですが、彼らの命を奪ったのは「福島の農業は死んだ」、「福島は終わった」、「家なんかもう帰れない」等々の言葉であり、開沼さんによると「外からのまなざしが殺した」のだそうです。開沼さんはさらに「これらの言葉が善意から出ていることがあるのが厄介だ」とも言っている。
「唯一の被爆国」という肩書がナショナリズム(愛国主義)のような色彩を帯びてしまうようになった例として2010年末に英国のBBCが、コメディ風クイズ番組、QIで「世界一不運な男(The Unluckiest Man in the World)」として、広島と長崎の両方で被爆した日本人男性のことをお笑いのタネにしたというので、ロンドンの日本大使館がBBCに対して抗議し、これにBBCが謝罪したということがありましたよね(むささびジャーナル207)。日本のメディアも取り上げて大いに批判したのですが、小菅教授は
- 日本のマスメディアや世論に、日本国民の集合記憶、愛国主義的ナショナリズムで潤色された「唯一の被爆国」「唯一の被爆国の国民」をみてとれはしなかったか。
と問いかけている。つまりこの番組に対する抗議の気持ちを「日本人として」表すことへの疑問です。BBCの番組が無神経であったのは「人間の苦痛」というものに対してであって、「唯一の被爆国民」に対してではない。BBCが謝罪すべきであったのは「人間」に対してであって「日本人」に対してではないということです。
「唯一の被爆国」のインテリが犯した「犯罪」(だとむささびは考えている)の例をもう一つ挙げると、2007年に当時の防衛大臣であった久間章生さんが、長崎への原爆投下について「しょうがない」と発言したというので、メディアから非難轟々となり結局辞めてしまったことがあります(むささびジャーナル114号)。あの際のメディアの報道について私は「集団リンチ」と呼んだし、いまでもそう思っています。リンチをやっている本人たちは正義の味方の気でいる。「久間リンチ」の約30年前に訪米した昭和天皇が帰国後行った記者会見で、広島・長崎への原爆投下について「やむを得ないことと私は思ってます」という発言をしている。それについてメディアが非難したという話は聞いたことがない。なのに長崎県出身の久間さんの発言を捉えて東京の全国メディアが「けしからん」の大コーラスを繰り広げたわけです。
この本では小菅教授自身の原発観はほとんど出てきません。あえて言えば「脱原発依存」かな、と言った程度のことです。被災地を歩いてきた教授が行き着いた「中間的結論」は
- 「広域放射能汚染」への恐怖に根差した不信の連鎖が日本社会を疲弊させ、先鋭化させ、他者への寛容さを失い、包摂よりも排除に関心を向けるようになり、ひるがえってそのことが被災地復興の障害となっているということである。このような不信の連鎖を断ち切ることによってこそ、東日本大震災後の日本社会再生のための急務だ。
ということです。それはどのように達成できるのか?それが分かれば苦労は要らないわけですが、1923年に関東大震災が起こったときに石橋湛山(元首相)が編集長を務めていた『東洋経済新報』という雑誌に書いた社説の次のような言葉があります。
実は石橋湛山はこの言葉の前後に、「日本人はわっと騒ぐことは得意でも地味な仕事をきっちりやることは不適任である」と言っている。彼によるとそれは「日本の国民性の欠点」であると同時に常日頃の教育が間違っていることに起因する。小菅教授は石橋湛山の言葉を引用しながら、大震災後に大手メディアが行うべきだったのは、湛山が言うように仕事を行うための「冷静さと判断力」を与える報道だったのに、そうはならなかったと批判しています。
▼この本で小菅教授が語っているのは、もっぱら反原発・脱原発といわれる学者たちと彼らの非理性的言動とそれを引き受けて世に送り出したメディアの態度です。原発推進派の学者さんらの言動はどの程度メディアに取り上げられたのか?確かに主要メディアの世界では反原発の意見が多く紹介され、原発推進派の意見はあまり報道されているような気がしない。しかし政治の世界で実際に起こっていることは「反原発」とは全く逆の現象です。これはなぜなのか?
▼この本の中で非理性的な言動が批判されているのは、もっぱら学者とメディアです。「インテリ」と呼ばれる人たちです。普通の被災者ではない。ここをクリックすると震災から6日後の3月17日にTimesの東京特派員が被災地・仙台からロンドンに送った記事が出ています。このジャーナリストは普通の被災者たちが如何に理性的かつ親切であったかに驚かされ
"I feel proud to live among them"(そのような人々とともに生きていることに、私は誇りを覚えるのである)とまで言っている。 |
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5)どうでも英和辞書
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tail docking:断尾
上のシルエットはGerman Short-haired Pointer (GSP)というワンちゃんです。ドイツ系のポインターなのですが、短毛なのでShort-hairedと呼ばれています。猟犬でハンターと一緒に仕事をするのでカテゴリーとしては仕事犬(working dog)ということになっているのですが、尻尾がかなり短いですよね。生れるとすぐに人間によって尻尾を短く切られてしまうのです。なぜそうするのか?尻尾が長いと、猟犬として野山を走り回っているうちにそれが地面や草木に擦れて血が出てきたりするのだそうです。もちろん獲物に食いつかれたりもする。
「尻尾を切ってしまうなんて、動物虐待だ」という声もあるけれど、ハンターたちは愛犬がケガをしないようにしているつもりなのだから、むしろ動物愛護だと思っている。英国の場合、イングランド、ウェールズ、北アイルランドでは仕事犬に限りこれが許されているのですがスコットランドでは全く許されていない。ただグラズゴー大学(スコットランド)の調査ではスパニエルという種類の猟犬の約7割が尻尾にケガをしているという結果も出ており、スコットランド猟友会でも政府に法改正を要求しているのだそうです。
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6)むささびの鳴き声
▼あさっての火曜日は3月11日なのですね。4番目に紹介した『放射能とナショナリズム』は著者なりの3・11との知的な関わりを正確に伝えようとする試みなのですが、あの日以来、むささびも(おそらく皆様も)いろいろと怒り、悲しみ、喜びしながら生きてきたのですよね。小菅教授と異なり、私の場合は福島はおろか被災地と呼ばれるところにさえ行ったことがないし、震災関連のボランティア活動や募金でさえしたことがあるのかどうか・・・多分、ない。その割にはいろいろと書いている。
▼例えば震災から一か月後の4月10日にお送りした212号には「原子力発電の危険性が誇張されすぎている」という英国の科学ジャーナリストの記事と並んで「日本人は怒った方がいい」というThe Economist誌による記事が紹介されています。日本における原子力産業と政府と癒着構造に対して怒るべきだと言っているのですが、むささびのコメントとして「民主的に選ばれた政治家をダメ呼ばわりすることだけでメシを食ってきた政治メディアの言うことは信用しない方がいい」と言っている。当時の菅直人首相に対してNHKを含めたメディアが総力を挙げて「ダメ首相」のレッテルを貼っていたことに対するむささびなりの怒りです。あの怒りは正当なものであったといまでも思っています。
▼福島の原発事故発生から2週間後の3月26日付のBBCのサイトに「放射能から逃げるのを止めよう」(We should stop running away from radiation)というタイトルのエッセイが掲載されています。オックスフォード大学で原子物理学を教えているウェイド・アリソン教授が寄稿したもので、放射線廃棄物を自宅の100メートル下に埋めると言われても「どうぞやってください」(Yes,
why not?)と答えるつもりだと言っている。放射能はメディアが大騒ぎするほど危険なものではないというのが教授の主張なのですが、小菅教授がこのアリソン教授の『放射能と理性』(Radiation and Reason)という本のことを引用しただけで、脱原発の学者さんたちから「とんでもない学者だ!」という非難が集まってしまったのだそうです。
▼原発に対する態度について「推進」、「脱」、「反」、「卒」などがあって、挙句の果てに「脱依存」などと来るのですね。ついメディア批判になってしまうけれど、このような言葉遊びの出所は政治家や役人かもしれないけれど市民権を与えるのはメディアです。小菅教授の本によると、少しでも反原発から距離を置いたようなことを言うと「御用学者」とか「トンデモ系」というレッテルを貼られるのだそうです。
▼これらのレッテルにもう一枚追加させて欲しいものがあります。それは「反・原発的思考方法」であります。それ、アタイです。詳しくはここをクリックしてください。長すぎて「レッテル」にはなりにくい?なんなら「イチバンでないといけないんですか?主義」でもいい。
▼原発には全然関係ないけれど、2月28日付の毎日新聞に
- 東海道新幹線:最高速度285キロに引き上げ
という見出しの記事が出ておりました。
▼現在の東海道新幹線の時速は270キロなのですが、来年(2015年)3月から285キロにまで引き上げられるのだそうです。すなわち「東京−新大阪間は2〜3分短縮され、到達時間は最速2時間22分程度となる見通し」とのことでございます。2時間25分かかっていたものが2時間22分になるということですよね。2〜3分早くなったからって、それの何がニュースなのでありましょうか?私の読み間違いなのでしょうか?真面目に悩んでおります。
▼ダラダラと失礼しました!埼玉県の梅が本当に満開風です。 |
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