1)「移民で1億人維持可能」という無神経
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ちょっと古いけれど、2月25日付の朝日新聞デジタルというサイトに
という見出しの記事が出ていましたよね。イントロには
- 外国からの移民を毎年20万人受け入れ、出生率も回復すれば100年後も人口は1億人超を保つことができる・・・。こんな試算を内閣府が24日示した。
と書いてある。何かにつけて対照的な部分が多い英国と日本ですが、人口についても全く異なるパターンを示しています。
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英国の人口 |
日本の人口 |
2011年 |
6330万 |
1億2779万9000 |
2012年 |
6370万 |
1億2751万5000 |
差引 |
40万人増加 |
28万4000人減少 |
英国が40万人増加しているのに日本は30万人近く減っている。増減の背景を見ると、英国では2011年6月末から2012年6月始めまでの1年間における死亡者は約56万人、新生児は約81万人、差し引きで25万人の増加です。でもこれだけだと、英国の場合の「40万増加」には届きませんよね。
実は英国の場合、死亡者と新生児の数以外に人口の増減に大きく影響を与えるのが移民の数なのです。上の統計と同じ時期に移民として英国へやってきた人の数は約52万人おり、移民として外国へ出て行った英国人は約35万人いる。差引すると英国への移民の数の方が17万ほど多いという数字になる。
日本はどうか?2012年の一年間の数字によると、死亡者は約125万で出生児数は約104万、差し引きすると20万強の人口減ということになる。「社会実情データ図録」というサイトによると、日本にいる外国人の数は、1992年末の128万人から2012年末の203万人へと20年間で75万人増という数字が出ています。1年平均にならすと4万人にも満たない。この間にどのくらいの数の日本人が移民として外国へ渡ったのかは分からないけれど、OECDによる「移民人口比率」(外国生まれの人口比率)という調査によると、英国は12%なのに対して日本は1.1%。ほとんどいないのと同じです。
さらに英国統計局(Office for National Statistics: ONS)のサイト(2014年2月4日)によると、2001年に生まれた子供は約60万人だったのですが、2011年に生まれた子供は約72万人で10年前に比べると22%増えている(この場合の「英国」というのはイングランドとウェールズのこと)。
この増加にはEU諸国からの移民の増加が関係しています。2011年の新生児約72万人のうち英国生まれの女性に生まれた子供は539,000人、英国外出身の女性の出生数は185,000人、英国外で生まれた女性を母親とする子供の出生が全体の16%から26%へと増えている。また一人の女性が一生に産む子供の平均数(合計出生率:total
fertility rate)は英国生まれの女性が1.84、英国外生れの女性の場合は2.21となっている。つまり英国全体の合計出生率は1.93なのですが、それは英国外生れの女性の高い出生率のお陰とも言えるということです。
▼日本の人口減少については、このまま何もしなければ100年後の2110年には4286万人にまで減る・・・と内閣府は言っているのだそうです。他の国の人びとを受け容れるという姿勢自体は悪いことではないに決まっているけれど、「日本の人口を1億人に保つために」これを推進しようという発想には全くついていけない。この国は、70年ほど前に「お国のために」カミカゼ特攻隊などというものを考え付いたけれど、今度は世界において自分たちが「大国」であり続けるために外国人を利用しようという発想に駆られているわけですね。そんな日本への移民など、私ならお薦めはしませんね。
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2)クリミアの想い出
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ロシアに編入されることになってしまったクリミア自治共和国について、英国・ブリストル大学でヨーロッパ現代史を講義するジュリエイン・ファースト(Juliane
Furst)教授が『シンフェロポリにて』(In Simferopol)というエッセイを書いています。掲載されているのはLondon Review of Books(LRB)のサイト(3月20日付)です。シンフェロポリはクリミア自治共和国の首都で、彼女は15年ほど前にシンフェロポリの国立大学でロシア語を勉強していたのです。
エッセイはそのときに見たクリミアについての想い出なのですが、彼女によると、クリミアはソ連の体制下にあって最も豊かな国とされていたのですが、クリミア人たちはウクライナ政府によって差別されていると感じており、ウクライナ語を話すことを非常に嫌がっていた。彼らによるとウクライナ語は「百姓の言葉」(peasant language)だった。
ジュリエイン・ファーストにはナターシャというロシア人の友人がおり、彼女はウクライナ人と結婚している。けれどナターシャによると、クリミアではウクライナの政治家は全く評判が悪い。中には自分の家のトイレを金(ゴールド)で作らせたりする人間もいるというのだから人気も出ようがない。それでも追放されたヤヌコビッチ大統領はクリミアでは多くの票を集めることもあった。ナターシャによると、クリミアのロシア人がうんざりしているのはソ連崩壊後いまだに続く混乱なのだそうです。ロシアへの編入を要求するデモ隊が掲げたロシアの国旗に混じってソ連の旗があったことがそれを示している。
私(むささび)はクリミアのことなど完全無知なのですが、彼女のエッセイを読んで非常に気になったのがクリミアで暮らすタタール人(Crimean Tatars)のことでした。クリミアの人口は約200万、人種的に最も多いのがロシア人で、全人口に占める割合は58%だからざっと110万程度、次に多いのがウクライナ人の24%(40万強)、3番目がタタール人で12%(20万強)という具合にロシア人がダントツで多いのですが、ファーストによると、首都・シンフェロポリでもロシア人(と少数のウクライナ人、ギリシャ人、アルメニア人)はもっぱら南側、タタール人は北側で暮らしていた。
- 南は美しく、開発も進んでおり、水道が通っていたが、北は木のない大草原でインフラは全くお粗末、水道が通っていなかった。
The south was pretty, developed and had water. The north was steppe, an
infrastructural nightmare, and had no water.
クリミアのタタール人が決して忘れないのが1944年5月11日のこと。スターリンの命令でクリミアにいたタタール人約25万人が強制的に中央アジアに移住させられた。理由はタタール人がナチに協力したということだった。ほとんどが女性と子供であったそうなのですが、半分が運ばれる貨車の中で命を落としたのだそうです。タタール人はトルコ系の民族で、彼らの心は黒海を隔てた反対側にあるトルコにある。タタール人はイスラム教スンニ派で、内戦が続くシリアで反政府勢力として戦いに加わったりしているのだそうです。
▼クリミアのタタール人についてはNational Geographicに詳しく出ているのですが、ロシアにはタタール人の血を引く有名人が結構いるのですね。例えば1961年にソ連から西側へ亡命したバレエダンサーのルドルフ・ヌレエフ(Rudolf
Nureyev)、ピアニストのセルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff)、ソ連の宇宙開発のパイオニアでゴルバチョフのアドバイザーなども務めた科学者のロアルド・サグジェーエフ(Roald
Sagdeev)らはいずれもタタールの血を引いているのだそうです。
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3)スコットランド独立:怖がらせ作戦が始まった
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スコットランド独立の動きについては、これまでにも何度か(215号・227号・281号)お話してきました。今年9月18日にスコットランドで国民投票が行われることになっているのですが、今回はこの件について対照的な記事をを二つ紹介します。一つは2月22日付のThe Economistに出ていたもの、もう一つは2月18日付のGuardianに掲載されていたものです。
まずはThe Economistですが、申し訳ないけれど笑ってしまうのは
- 本誌はスコットランドが英国を去るべきかどうかは、ひとえにスコットランド人自身が決めるべき問題だと信じている。
This newspaper believes it is entirely up to Scots to decide whether their country should leave the United Kingdom.
と「断言」しておきながら、記事の中身は独立について悲観的なことばかり羅列したものになっていることです。例えばスコットランドは独立後もポンドを使用するために英国と通貨同盟(currency
union)を結ぶことを考えているのですが、これについては現政権のオズボーン大蔵大臣が否定的な見解を示したのに続いて保守・労働・自民の主要三党の党首も同じスタンスであることを表明している。次にスコットランドは独立後にEUへ加盟することを考えているのですが、これについては欧州委員会のバローゾ委員長が「ほとんど不可能」(almost
impossible)と発言したりしている。
さらに独立後のスコットランド経済にとって生命線とも言われる北海油田については
- 独立後のスコットランドは最初のうちは財政的にやっていけるかもしれないが、人口の高齢化が進み、北海の石油やガスが枯渇すると急速な財政悪化に見舞われるであろう。
An independent Scotland might be able to pay its way at first, but its finances will deteriorate sharply as its people age and the North Sea runs out of oil and gas.
という具合です。国家財政を石油や天然ガスからの収入に頼ると、国際的なエネルギー価格の高騰や低下によって国家収入の急激な増減が避けられない。そうなると手厚い社会福祉を保とうとするスコットランド経済は長続きするはずがない・・・要するにスコットランドの独立なんて夢のまた夢であるというのがThe Economistの意見です。
一方、2月18日付のGuardianに掲載されたエッセイは、スコットランドのジャーナリスト、アンガス・ロクスバラ(Angus Roxburgh)が寄稿したもので、国民投票が迫る中で英国による「怖がらせ作戦」(scare tactics)が始まっている、と批判しています。
独立したスコットランドのEU加盟は難しいというバローゾ欧州委員長の発言については
- EUは、40年間もEUの加盟国であった国を追放しようというのですか?スコットランドではEUの法律がすべて国内法に取り込まれているのですよ?そんな国を追放しようものならスコットランドのみならずEU加盟国全体が大混乱に陥るのですよ。それでもスコットランドを追放するのですか、バロ-ゾさん!
Why, Mr Baroso, would the EU expel a country that has been a member for 40 years, and which has already transposed all EU legislation into Scottish law, knowing that this would cause utter havoc - not just for Scotland, but for all the other member states?
と疑問を呈し、ポンドを使う通貨同盟に反対するオズボーン大蔵大臣に対しては
- スコットランドと英国が同じ通貨を使う方が英国の産業界の利益になるというのにこれを拒否するのですか?
Why, Mr Osborne, would you refuse to share a currency when it would be in the interests of British business to do so?
と言っている。産業界にとっていちばん困るのは、独立後のスコットランドとの間において関税や不必要な貿易障壁ができてしまうことであり、同じ通貨を使うことでそのようなことを最小限に抑えることができるではないか、それに反対するということは2012年のエディンバラ合意の精神に反するものだというわけです。エディンバラ合意というのは、国民投票で独立派が勝利してスコットランドが独立する場合でもお互いに平和的な別離を目指して話し合おうというものだった。
スコットランドのEU加盟が難しいという議論については、もし独立スコットランドがEU加盟国でなくなるとなると、例えばスコットランドの領海内におけるEU加盟国の漁業が不可能になり、EUの水産業界にとっては壊滅的な打撃になる、EU域内で暮らすスコットランド人やスコットランドで暮らすEU市民の法的な立場が全く異なってくる、輸出入についての関税ができる・・・さまざまな障害が出てくる。さらにスコットランドが独立するということは、現在の「英国」の人口が500万程度減るということを意味する。そうなるとEUの予算配分も含め、「英国」の立場にも変更が出て来ざるを得ない。どれをとってもスコットランドをEUから締め出すことから来る混乱はタイヘンなものになるというわけで、バローゾ委員長の発言を真面目にとるわけにはいかない。
- 怖がらせ遊びはいい加減に止めて現実を受け止めようではないか。すなわちスコットランド人が民主的な手続きを経て独立を選択した場合は、EU、「英国」、そして世界のあらゆる機構・機関がそれを受容するということであり、独立実現に向けて努力するということである。そのことはスコットランドのみならず皆のためにもなるのだ。誰も我々(スコットランド)を締め出すようなことはしないだろう。
Let's quit the scaremongering, and accept one thing: if the Scots democratically choose independence, then Brussels, London, and all global institutions will accept this and work to make it happen. Not for Scotland's sake, but for their own. No one is going to throw us out.
というのがロクスバラ記者の結論です。
▼スコットランド独立に対して「あくまでもスコットランド人が決めるべき事柄」と、リベラルを装いながらも「あれもダメ・これもダメ」というネガティブな側面のみを強調するThe
Economistの姿勢にイングランド人の不安を見てとるのは「むささび」だけではないと思います。要するに独立なんて止めてもらいたいのです。500万人もの人口が減る。それ一つとっただけでもタイヘンなことなのだから。
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4)袴田事件を伝える英国メディア
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死刑囚として拘置されていた袴田巌さんが、48年ぶりに釈放されたニュースは英国のメディアでも広く伝えられました。
という具合です。いずれも46年間も死刑囚監房(death row)に閉じ込められた末に釈放されたということが見出しになっています。特に詳しく報道しているのがGuardianで、人権団体のアムネスティ・インタナショナルの関係者による
- 日本の当局は、袴田氏がこれまでに受けてきた野蛮この上ない扱いを恥じるべきだ。
The Japanese authorities should be ashamed of the barbaric treatment Hakamada has received.
というコメントも掲載しています。アムネスティは、死刑というただでさえ非人道的・残酷な刑罰を与えたうえに46年もの間心理的な拷問を与えたということを指摘している。
3月27日付のThe EconomistのサイトがAmnesty Internationalによる死刑に関する統計を紹介しているのですが、それによると昨年(2013年)中に死刑が執行された国は22か国、ヨーロッパでは殆どの国で廃止されているけれど、世界的に見ると死刑の執行件数は増えているのだそうですね。Amnestyが確認した件数は「少なくとも778件」(at
least 778 executions)で一昨年比で12%増となっている。
国別にみてダントツに多いのが中国で、公的な数字が明らかにされていないけれどAmnestyの推定では「数千人」(in the thousands)、次いでイラン(369人)、イラク(169人)、サウジアラビア(79人)、アメリカ(39人)などが続いています。日本は8件で第9位。また刑の執行におびえながら暮らす死刑囚の数は世界中で23,392人(中国を除く)と推定されています。
▼袴田さんの件については、3月28日付の「太陽のまちから」というサイトに世田谷区長の保坂展人さんが「問われる国の責任」というエッセイを書いています。袴田さんの支援活動に取り組んだ経緯を書いているのですが、その中に
- 誰とも会わなくなって3年半以上続いた袴田さんの様子をみるために、私は半年ががりで法務省矯正局と交渉して、東京拘置所での面会にこぎつけました。
という部分があります。
▼保坂展人という政治家が袴田さんと面会するのに法務省矯正局というところと「半年がかりで」交渉したとのことですが、なんでまたそんなに時間がかかったのでしょうか?保坂さんはまた再審の開始決定までに33年もかかったことについて
- 捜査をした警察・検察、死刑判決を続けた司法の責任をうやむやにするには、袴田さんの生命が尽きることが、国にとって一番都合がよかったのではないでしょうか。再審の扉を閉じたまま袴田さんが亡くなれば、真相を闇の中へ葬ることができるからです。
と言っています。
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5)「袴田死刑囚」が「袴田さん」になるとき
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再審決定が英国メディアでも大いに報道された袴田巌さんですが、日本の新聞や放送は再審決定までは「袴田死刑囚」と呼んでいたのに、その後は「袴田さん」と呼んでいます。日本の新聞や放送では、例えば私が何かの罪で逮捕されると「春海容疑者」となり、起訴されると「春海被告」などと呼ばれるのですよね。そして冤罪となると「春海さん」になる。
英国のメディアはどうなのか?私、専門家として詳しく調べたわけではないのですが、4月2日付のBBCのサイトに出ていた"Man stabbed to death in Ilford carjacking"という見出しの記事を読んでみました。いまから3年前の2011年9月にイルフォードという町で起こったカージャックで、クルマの持ち主が刺殺されるという事件があった。4月2日付のBBCの記事は、この事件の公判に関する記事だったのですが、次のような書き出しになっています。
- Rory Gordon, 23, of Chadwell Heath, and Jae'Don Fearon, 21, of Chingford, east London, deny murder.(チャドウェル・ヒースに住むロリー・ゴードン<23才>とチンフォードのジェイドン・フィアロン<21才>は公判で殺人を否定した。
The prosecution said Mr Gordon was the carjacker and attacker who was working in a "joint enterprise" with Mr Fearon.(検察によると、ゴードン氏がカージャッカー兼アタッカーであり、フィアロン氏と「共同事業」をしていた)
検察は、この二人がカージャックを実行し、必要に応じてナイフも使うことを共謀していたと主張しているわけで、ゴードンとフィアロンは「被告」(defendant)として出廷しているのですが、記事はまず二人のフルネーム、年齢、住所を紹介し、その後の文章では二人のことをMr GordonおよびMr Fearonと敬称付きで呼んでいます。記事はこのあとは徹底的にMr GordonおよびMr Fearonという呼び方を貫いている。
この公判についてはDaily Mailも報道しているのですが、まず二人のフルネームを敬称抜きで伝えているのはBBCと同じですが、そのあとの記述ではMrという敬称は使われていない。要するに社によって違うということなのでしょうね。ちなみに袴田巌さんについては、英国のメディアは(私の見る限り)いずれも最初にIwao Hakamadaと書いているのですが、BBCとGuardianは2回目からはHakamadaだけ、他の3紙はMr Hakamadaとなっています。
一方4月3日付の毎日新聞のサイトに『全盲女性殴られ、顔の骨折る重傷 容疑者逮捕』という見出しで次のような書き出しの記事が出ています。
- 全盲の女性を殴って重傷を負わせたとして、兵庫県警須磨署は3日、神戸市須磨区竜が台2、無職、松浦衛容疑者(44)を傷害容疑で逮捕した。松浦容疑者は「女性の脚に引っかかって腹が立った」と容疑を認めている。女性は白杖(はくじょう)を持っており、一目で視覚障害者と分かったという。
毎日新聞は松浦衛という名前に「容疑者」という「呼称」を付けています。英語の記事ではRory Gordonにはそのような呼称は付けられていない。日本流に書くとするとRory Gordon the suspectとかthe suspect Rory Gordonのようになるのであろうと思うけれど、そのような記事は(むささびに関する限り)見たことがない。
私(むささび)は新聞やテレビが、逮捕されたり、起訴された人を「XX容疑者」とか「XX被告」と呼ぶことに大いに抵抗を感じており、日本のメディアは警察と一体になっているのが怪しからんと思っていたのであります。が、『日本ジャーナリズムの検証』(前沢猛著・三省堂)によると事情がかなり違っていました。「容疑者」「被告」「死刑囚」のような呼称は必ずしもメディアが警察の言うことを鵜呑みにした結果として出来上がってしまった習慣ではない。事件当事者の名前を呼び捨てにすることによる「人格否定的な印象を何とか弱めたい」というメディア側の苦労の結果なのだそうであります。
例えば1976年のロッキード事件と田中角栄首相の場合。地検に逮捕された時点で、メディアは彼を「田中元首相」とか「元首相田中」などと呼び、起訴されると「田中被告」となった。困ったのはNHKのような放送メディアであったそうです。それまでは容疑者の類は、名前を呼び捨てにしていたのですが、田中角栄にそれを応用して「田中」などとやると、「人権蹂躙だ」と政治家からいちゃもんをつけられるかもしれない。かと言って「元首相」などとやると、普通の「容疑者」らから「差別だ」と文句をつけられる。で、結局、新聞も放送も「XX容疑者・〇〇被告」という「慣行が広がった」のだそうであります。
「XX容疑者」という呼称は、放送の世界では1984年にNHKが、新聞では1989年に毎日新聞が採用、他の社もこれに倣ったとのことなのですが、NHKがこれを採用したのは「活字と違って、話し言葉での呼び捨てはきつい印象を与える」からであり、毎日新聞の場合は「事件・事故当事者の呼び捨てをやめ、氏名のあとに『容疑者』という用語や肩書、職業などをつける」と発表したとのことです。いずれにしても「呼び捨て」よりは「容疑者」のような呼称をつけた方がましと考えたということですね。つまりメディアとしては、事件当事者の人権を尊重するつもりで「容疑者呼ばわり」しているのに、むささびのように「けしからん」と文句をつける者もいる。そのあたりのことについて前沢さんは次のように書いています。
- 人権尊重の建前とは裏腹に、むしろ「容疑者」であることが強調される逆効果を生んだことも否めない。従来のような呼び捨てが人権無視だとするならば、将来はすべての容疑者を「〇〇さん」と敬称つきにするほか、矛盾のない呼称方法はあり得ないだろう。
前沢さんによると、アメリカの新聞の場合は「すべての人物に敬称(Mr, Mrs, Ms)をつける」(New York Timesスタイル)、「原則として敬称はつけない」(Washington
Post流)、「性別をはっきりさせるために一部に敬称をつける」(AP型)の三つに大別されるのだそうです。ただ、前沢さんも言うように社会習慣も言語文化も違うので、「機械的に(欧米を)真似ることが適切でないことを、十分に認識する必要がある」のは当然ですね。
▼前沢さんの言うように、いわゆる「容疑者」を「〇〇さん」と呼ぶとなると確かに抵抗があるでしょうね。むささびでさえおかしいと思うのだから。「〇〇氏」というのはダメなんですかね。英国では、日常生活でも「呼び捨て」(David Cameronとか単にCameron)は当たり前になっている(と思う)。「人名」というものに対する感覚の違いなのですよね。面白い違いですね。韓国や中国、ベトナム、タイなどではどうなのでしょうか?
▼揚げ足とりのように響くかもしれないけれど、上に挙げた毎日新聞の「松浦衛容疑者(44)を傷害容疑で逮捕した」というのは奇妙じゃありません?松浦という人は逮捕されて初めて「容疑者」になるのですよね。この記事だと「容疑者を逮捕」というわけで、逮捕される前にすでに容疑者となっている。ただ、これも「XX(人名呼び捨て)を逮捕」というのは人権保護の点からまずいと思ったということ!? |
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6)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら
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cherry blossoms:桜
いきなりですが、下記の英文を和訳してください。
- a) I'm wondering why cherry blossoms are going to fall in a flurry on such
a day with sunlight calm and mild.
b) Miss me as well as I miss you, wild cherry blossoms. In such a heart
of a mountain, it is only I that know how beautiful you are and it is only
you that know how lonely I am.
むささびの答えは
- a) これほど日の光が静かで柔らかい日だというのに、桜の花というものはなぜそうも散り急ぐのか?
b) 野生の桜よ、私があなたを懐かしむようにあなたも私を懐かしんでほしい。このような山の中で、あなたの美しさは私だけが知っている。そして私がいかに寂しいかということもあなただけが知っているのだ。
となる。分かりやすい訳文ではないけれど、いちおう誤訳はないと思います。ね?だけど何だかよく分からない。実は上の英文は小倉百人一首の和歌の翻訳です。原文の和歌は・・・
- a) ひさかたの ひかりのどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
b) もろともに あはれと思へ 山桜 花より外に 知る人もなし
「ひさかたの・・・」を詠んだのは紀友則で、『古今和歌集』(905年)に収録されている。「もろともに・・・」は大僧正行尊という僧侶の作品で『金葉集』(1124年)に入っている。日本人は1000年以上も前にこんな芸術を楽しんでいたのですね!驚異としか言いようがない。でも、英文に直すと台無し!
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7)むささびの鳴き声
▼5番目に掲載した”「袴田死刑囚」が「袴田さん」になるとき”の記事にもう少しこだわりたい。記事の中で毎日新聞が「XX容疑者」という使い方をしている例を挙げました。この部分、もう一度お読みいただけません?実はむささびの神経にひっかかるのは「松浦衛容疑者」という表現だけではありません。その前に挿入されている「無職」という情報、これが気に入らないのであります。これを記述する必要がどこにあるのか?松浦衛という人が(例えば)派遣社員であった場合、間違いなくそのように書くでしょう。この種の記事の場合、職業(主婦も含めて)を必ず書く。社会の中で何処に属している人間かということを明確にしたがる。そのことが犯罪そのものとは全く無関係であっても、です。私、これが非常に嫌いなのであります。
▼毎日新聞の記事についてもう一つ。松浦氏の住所を「神戸市須磨区竜が台2」と報道しているけれど、そこまで詳細を伝える理由はどこにあるのか?「神戸市須磨区」で充分なのではありませんか?それだけなら読者も「ふーん」で終わりでしょうが、ここまで詳しく書いてあると、「これ、ウチの近くやがな!」「竜が台2いうたら、あのアパートとちゃいまっか?」「そや、あっこや!」「シーッ、あの子、マツモトいう名前やったんと違いまっか?」「そや、そや、おとうちゃん無職やったんやな、ああ、こわ」とかいう会話が成り立ったりする・・・というのはむささびの被害妄想であることは認めるけれど、書かれる身にもなれと言いたいわけです。
▼新聞を宅配の購読ではなく、近所のコンビニへ買いに行くようになって久しいのですが、驚きましたね、あの夕刊紙が一部140円になったのですね。最近は電車に乗ると皆さん、携帯をじっと見つめています。ネットやメールを読んだりしているわけですよね。そうなると、夕刊紙はますます売れなくなるでしょうね。昔は100円以下だったと思うのですが。週刊誌はどうなのでありましょうか。
▼週刊誌で思い出したのですが、「みんなの党」の渡辺さんがお金の問題で追い詰められているのは、もとはと言えば『週刊新潮』の記事がきっかけなのですよね。3月26日に発売される雑誌に掲載される前に朝日新聞が同じ日の朝刊に「『渡辺喜美氏に8億円』DHC会長貸し付け 週刊誌報道」という見出しで伝えたのだそうです。『週刊新潮』の記事のアウトラインを朝日新聞が伝えたのだから、「詳しくは週刊新潮に書いてあります」と宣伝したのと同じなのですね。お互いに持ちつ持たれつというわけ。はっきり言って「みんなの党」がどうなろうと全く関心はないけれど、メディア同士の「持ちつ持たれつ」は気持ち悪い。
▼「どうでも英和辞書」にある百人一首の「もろともに あはれと思へ 山桜」ですが、英訳では「山桜」が"wild cherry blossoms"となっています。私の訳は「野生の桜」、いずれにしても興ざめですよね。「やまざくら」は、人里離れたところでひっそり咲くから僧侶が自分の寂しさを共有する気になるわけです。「野生」だの"wild"という言葉には、この「ひっそり感」がないんだよね。
▼というわけで、埼玉県の山奥にも「やまざくら」がひっそりとたたずむ季節です。
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