1)責められてもいないのに勝手に「おわび」?
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12月6日付のThe Economistに "History is haunting Shinzo Abe" という記事が出ています。直訳すると「歴史が安倍晋三に付きまとう」ということになる。意味としては太平洋戦争にまつわる歴史認識の問題が安倍晋三氏にまつわりついて離れないということですよね。この記事は
- 傲慢をもって知られる日本の新聞が謝罪を表明するなどということは稀なことであるが、半年で2回も謝罪するとなると前代未聞である。
JAPAN’S imperious newspapers rarely issue apologies; two in six months is unheard of.
という書き出しになっている。"imperious" という言葉をむささびは「傲慢」と訳したけれど、この言葉を別の英語で言うと
"unpleasantly proud" となる。「不愉快なほどにプライドが高い」ということです。The Economistの記事はいわゆる「従軍慰安婦」(comfort
women)に関する新聞報道について書いているもので、「半年で2回も謝罪」のうちの一つは8月に朝日新聞が「謝罪」した報道のこと。もう一つは読売新聞が11月28日付のサイトで掲載した
という記事に関係しています。日本語の「おわび」の英語版は、読売新聞が出している英字新聞、Japan Newsの紙上に
という見出しで掲載されています。
朝日新聞の場合は、およそ20~30年前に掲載した記事の中身が間違っていたという謝罪であったわけですが、読売新聞の場合は22年前の1992年2月から1年前の2013年1月までの間に英文のDaily
Yomiuri(現Japan News)の紙上において「不適切な表現」を使っていたことを謝っている。読売新聞の英字紙が、いわゆる「慰安婦」(comfort women)のことを「性奴隷」(sex slaves)という言葉で説明したことを「不適切」(inappropriate)であったと(読売新聞は)言っている。そしてThe
Economistの記事は
- (読売新聞の)謝罪は、過去20年間続いてきたイデオロギー戦争の反映であるとも言える。
The apology reflects an ideological war that has been waged for over two decades.
と伝えている。太平洋戦争の最中に日本軍がアジアの女性を性奴隷として使ったことを認めた、かつての政府の立場について、日本の保守派はこれを覆(くつがえ)させようと頑張ってきた。彼ら(保守派)の言い分によると、それらの女性は軍のためにサービス提供を行った売春婦であり、彼らの行為は「自らの意思に基づく」(willing)商売にすぎなかったのだということになる。政府や軍が強制したものではない、と。商売としての売春なんてどこにだってあるではないか、と。それに対して批判的な立場をとる意見は、日本が「自らの過去を糊塗している」(whitewashing
the past)と攻撃している。
これに対して安倍さんはThe Economistとのインタビューの中で、それらの女性が売春行為を「強制」(coercion)されたという証拠はどこにもないとして、朝日新聞の「誤報」によって貶められた日本の「尊厳」(honour)を取り戻さなければならない、と語ったのだそうであります。
が、The Economistによると、歴史家たちは安倍さんのような意見には反対であり、太平洋戦争中、日本が占領した地域では現地の女性は「戦利品」(spoils of war)扱いされており、中には売春婦として扱われた女性もいると主張している。例えば和田春樹さんのような歴史家は、安倍さんら歴史修正主義者が従軍慰安婦について「自発的な行為であった」などと主張するのは「完全に誤っている」(completely wrong)と言っている。
で、読売新聞による記事の取り消し(retraction)ですが、The Economistによると、これはNHKによる似たような動きに追随するものであり、安倍さんのような修正主義者の勝利であると同時に(批判的な意見に対する)「先制攻撃」(pre-emptive
strike)でもあると同時に、
- (読売新聞の)謝罪は自社に対する反撃から身を守ろうとする動きであり、思想的な敵対者を公然とバカにしようとする行為でもある。
The apology is a way of protecting the newspaper from counter-attack, while thumbing its nose at its ideological opponents.
というのがThe Economistの記事の締めくくりです。
読売新聞の「おわび」について、むささびの見た限りにおいては英国メディアではBBC、Guardian、Daily Mailのサイトでそれぞれ報道されていました。そのうちGuardianの記事は、読売新聞のこの動きについて
- 戦争中の日本の歴史を書き換えようとする政府主導のキャンペーンに、日本のメディアのある部分が同調したものとして憂慮する意見が高まっている。
"...has fuelled concern that sections of the country’s media have signed up to a government-led campaign to rewrite Japan’s wartime history..."
と言っている。
▼The Economistの記事の締めくくり部分がいまいちピンと来ないけれど、むささびの解釈によると、朝日新聞が慰安婦報道で「謝罪」したことで「そら見たことか」と朝日新聞をこき下ろしてきた読売新聞は、「あんたらだって性奴隷なんて言葉を使って、日本軍がひどいことをしたという報道をしているではないか」と糾弾される前に自分たちで謝ってしまおうという自己防衛作戦に出たということ。さらに「思想的な敵対者をバカにする」(thumbing
its nose)というのは、朝日新聞のようなリベラル派のグループに対して「オレたちなんかちゃーんと自分で気がついたんだもんね!」と自慢しているという意味なのではないか・・・。
▼読売新聞の「謝罪文」(日本語)は自社の英文紙が1992年から不適切な表現を使っていたことが「社内調査で明らかになりました」と言っているけれど、記事としてすでに公に発表されている事実が「社内調査」で明らかになったというわけ!? 自社が発刊する英字新聞が20年以上にわたって、97回も "sex slave" もしくは似たような言葉を使っていたのに、今の今まで、しかも「社内調査」をするまで気がつかなかったということですか!!?? 普通、新聞社には校閲部というセクションがあって、誤字誤植はもちろんのこと、意味の上でも間違いと思われるものも発見することを仕事にしている。読売の英字新聞には校閲係がいなかったということですか!!!??? 校閲部の眼を通らないような新聞を発行して売っていた、と、そういうこと!!!!????
▼読売新聞とJapan Newsは「慰安婦」のことを「性奴隷」と説明したことを「謝罪」しているのですが、ワシントンポスト紙のサイト(12月8日)に投稿したコラムニストのリチャード・コーエン(Richard Cohen)は
- (いわゆる慰安婦のことを)性奴隷ではなく自発的な売春婦であったと呼ぶことによって、これらの女性の人間性を再度否定することは、言葉にならないほど醜いことである。
it is unspeakably ugly to once again deny these women their humanity by
saying they were volunteers - prostitutes - and not sex slaves.
と言っています。
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2)香港と台湾の「心」が掴めていない中国
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12月6日付のThe Economistのサイトに、中国と香港・台湾の関係についての記事が出ています。かなり長いもので、今の中国は香港や台湾の人びとの「心と気持ちを失っている」(Losing hearts and minds)と言っているのですが、両方の人びとの気持ちが中国から離れつつあるということですね。この記事はそのような現象の背景には「驚くほどの共通点がある」(The causes are strikingly similar)と言っている。
まず台湾。知らなかったのですが、台湾では11月末に統一地方選挙があったのですね。その結果、中国との経済関係の緊密化を促進する現政権党の国民党が惨敗、党の指導者である馬英九氏がその座を辞任する事態にまで発展してしまった。今回の地方選挙は全土の市町村の首長と議会議員を選ぶものであったのですが、The
Economistによると、台湾の全人口(2300万)の6割を超える人びとが野党である民主進歩党(民進党)が支配する市町村で暮らすことになった。台湾における次なる総統選挙は再来年(2016年)の初めだそうです。
次に香港ですが、2か月ほども続いた大きなデモや座り込みも当局によって解散させられたのですが、学生の一部にはハンストという手段に訴える者も出てきており、「中国本国への反感は未だに高い」(Anti-mainland
sentiments still run high)とThe Economistの記事は言っている。香港中文大学(Chinese University
of Hong Kong)が10月に、香港で暮らしている人を対象に「自分は何者か」というテーマのアンケートを行ったところ、「中国人であってそれ以外ではない」(solely
as “Chinese”)と答えたのは、わずか8.9%だった。香港が返還された1997年に同じアンケートをしたときにこのような答えが32.1%もあったことを思うとかなりの下落ではある。いちばん多いのが「香港人と中国人のあいのこ」(combination
of Hong Konger and Chinese)というもので全体の3分の2なのですが、「香港人であってそれ以外ではない」(just Hong
Kongers)という人が26.8%にものぼり、これは1998年以来最高の数字なのだそうです。
ことしの6月に同じような調査が台湾の国立政治大学(National Chengchi University)によって行われているのですが、自分が台湾人(Taiwanese)であると答えた人は60.4%、馬英九氏が総統に選ばれた2008年のころの50%を上回っている。また「台湾人であり中国人でもある」(both Taiwanese and Chinese)と答えた人は32.7%で、「かつてない低い数字」(a new low)であったそうであります。
台湾で馬総統が不人気なのは景気が悪いことへの不満の現れであり、香港の学生の反乱は中国の支配に対する反感というわけで、香港と台湾では事情が違うという声はもちろんある。さらに中国当局などは英米のような「敵意ある外国勢力」(hostile foreign forces)が騒乱を煽っている非難してもいる。
が、The Economistによると、両方の若者たちの不満には極めて似ている点もある。それは中国との経済的な結びつきが増えることで、本国の中国人たちが自分たちの職を奪ってしまうということ。また中国本土からの投資が増えたおかげで土地の値上がりが起こっており、これが庶民の手には届かないようなレベルにまでなっていることもある。台湾では若者(20~24才)の失業率が14%にまでのぼっており、職を見つけたとしても賃金が極めて低いものばかり。その一方で中国との経済的な結び付きによって一部のエリートだけが裕福になっている・・・などなど。
で、中国はどうしようとしているのか?6月には「国務院台湾事務弁公室主任」という立場にある張志軍という高官が台湾を訪問、野党の幹部らとも会談するなど、中国側に「軟化」(magnanimity)の雰囲気が見られるとThe Economistは言っている。香港についていうと、人民日報の国際版である『環球時報』(Global Times)が最近の社説で、
- 本土(中国)は(香港における)不安定な状態に安易に軍隊で対処しようとするべきではない。そうすることで一時的な平和は得られるかもしれないが、(不安定の)要因そのものは根深く残ってしまうことになるであろう。
The mainland shouldn’t be tempted to quell the unrest with troops too easily. It can only bring temporary peace, but the deep-rooted cause will still linger.
と述べている。The Economistはこの論調をもって「香港における不平・不満の根源に対処しなければならない」(the roots of discontent in Hong Kong must be addressed)という認識が北京政府にあるのではないかと言っています。
▼考えてみると自分のアタマの中で台湾というところは影が薄かったけれど、つい最近この国を訪問した友人が送ってくれた台湾印象記によると、何かにつけてきちんとした国なのだそうです。道路の舗装、田畑の区画整理などなど。またいわゆる経済規模(GDP)は日本より少しだけ小さいかもしれないけれど、所得格差は日本よりも小さくて自殺率は日本よりも低い。つまり安定した社会が実現している国であるということですよね。
▼非常に恥ずかしいけれど、むささびにとって台湾といえば、かなり前に西武ライオンズに在籍した、あの郭泰源投手の流れるような綺麗なフォームです・・・などということを書き始めるとキリがなくなるので止めておきます。
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香港で試される英国の矜持 |
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3)「私はポピーを身につけない」
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むささびジャーナル284号でもお話したように今年(2014年)は第一次世界大戦(1914~1918年)の開戦から100年目ということで英国ではさまざまな催しやメディアの特集企画がありました。中でもハイライトとされたのが、11月9日にロンドンの官庁街にある世界大戦戦没者記念碑(Cenotaph)前で行われた「戦没者追悼日曜日(Remembrance
Sunday)の式典はエリザベス女王も出席して大いに話題になりました。
その同じ日曜日のGuardianに
という短いエッセイが掲載されました。書いたのはハリー・レズリー=スミス(Harry Leslie Smith)という元英国空軍のパイロットで、年齢は今年で92才、1929年の世界大恐慌と第二次世界大戦を生で体験した数少ない人物です。エッセイのイントロは次のように書かれている。
- 戦争のコストを真に理解しようとする中でセピア色のノスタルジアにまどわされてはならない
We mustn’t let sepia-tinted nostalgia get in the way of a real understanding of the costs of war
英国では今年に限らず11月になると戦争で死んだ人びとを追悼する行事が行われ、誰も彼もが赤い造花のポピーを胸につけているのが見られる。日本で言うと「赤い羽根」という感じなのですが、英国のポピーには「戦争で犠牲になった兵士への尊敬の念」のようなイメージがついてまわる。英国中が戦争の英雄たちを称えはするけれど、さまざまな理由で戦争に参加しなかった人たちのことは全く忘れられている、とレズリー=スミスは批判的に書いています。
彼がさらに指摘しているのは、ヒットラーとの戦いとなった第二次世界大戦の初期のころの英国内のムードです。決して一枚岩で結束していたわけではなく、当時のチェンバレン内閣の閣僚の中にはナチスと交渉することを主張する者もいたし、一部の貴族やビジネスマンらも同じだった。
- さらに言うと、多くの労働者階級の英国民は大恐慌時代に窮乏生活を強いられて、戦争があってもなくても英国という国に対して愛国的とは言えない考え方をしていた。
Moreover, many working-class citizens who had been hit by austerity during the Great Depression didn’t feel particularly patriotic about Britain in either peace or war.
ハリーが空軍に志願したのは18才のときですが、それまではカーペット・メーカーでセールスマンをやっていた。彼が軍隊に志願すると聞いたときに社長は「頼むから止めてくれ」と懇願したのだそうです。もちろん社長が反戦主義者であったわけではなくてセールスマンに辞められると困るという事情からだったのですが・・・。ハリー自身はというと、国がタイヘンなときは軍隊に入って奉仕することが当然であると思っていた。ただその頃でさえも英国内には6万人の良心的兵役拒否者(conscientious
objectors)がいたし、戦場に赴いた兵士の中にも途中で脱走したり、休暇から戦場に帰還しないという者が10万人もいたのだそうです。
- たとえ自分たちが正義の戦いだと信じているとしても、戦争に反対する人たちのことを想うことは大切なことだ、と私は思っている。そして国が掲げる戦争の目的そのものに反対する人間をどのように遇するのかによって、その国の真の「啓発度」が分かるのである。
I believe it is important that we remember those who dissent in a time of war even if we believe our struggle to be true and just. How a nation treats those who oppose their war aims is the true measure of its enlightenment.
彼の言う "enlightenment" という言葉を一言で表現する日本語が見当たらないので「啓発度」としていますが、意味としては「ものごとをよく分かっている」「理性がある」というようなことです。つまり国が「大義がある」と言うことに反対する者を国としてどのように扱うのか?ということです。
現代の英国は第二次大戦から学ぶべきことが多い、とハリーは考えています。例えば良心的兵役拒否者は戦場には行かなくても国内で医療支援とかコミュニティ活動などに従事することで社会との一体感のようなものを持つことができたし、脱走兵でさえも第一次世界大戦のときに比べれば人間的な扱いを受けた。第一次世界大戦では脱走兵は直ちに銃殺ということも多かった。とはいえやはり脱走兵には政府も世の中も厳しい態度で当たったことは否めない。
ただハリーは、毎年戦没者追悼の季節(11月)になると英国人のほとんどが襟につける「赤いポピーはもう身につけない」(I will no longer wear the poppy today)と言います。何故なのか?
- あの赤いポピーによって象徴されるのはもっぱら戦争の「勇ましさ」だけだからだ。立ち上がって戦った人びとの象徴であって、立ち上がって戦いを拒んだ人びとの象徴ではないからだ。
it represents only what is seen as the “courage” of war - those who stood and fought, but not those who stood and disagreed.
戦いを拒んだが故に人生が全く変わってしまった人びとを追悼する方法も見つけなければならない・・・というのがハリーのメッセージです。
▼安倍さんのような人が「国のために戦い、倒れた方々に、手を合わせ、尊崇の念を表し、ご冥福をお祈りするのは当然のこと」というときに、恐らく引き合いに出すであろうと思うのが「諸外国の例」であり、口にするのが「英国だってやっているではないか」という言葉ではないかと(むささびは)思います。ただ英国にもそのことに居心地の悪さを感じている人びともいるということは記憶しておくべきであるし、むささびの直観によると、この種の人びとの数は今後間違いなく増えていくと思います。最近の例だけ見てもアフガニスタン、イラク、リビアなど、国(政府)が「正義の戦争」と謳ったものを疑う世論が増えているということです。 |
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4)パラシュート議員は要らない!?
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英国の政治で「パラシューティング」と言えば、国会議員(下院)と選挙区の関係のことを言いますよね。選挙の際にそれぞれの選挙区で立候補するのは、いわゆる地元の人物ではなく、所属政党が中央から送り込む候補者であるということ。「空から落下傘で降りてくる」という意味でパラシューティングというわけ。例えばキャメロン首相の選挙区はオックスフォードシャーのウィトニー周辺ではあるけれど、キャメロン本人はロンドンの出身であり、首相になる前の住まいだってロンドンだった。先輩のマーガレット・サッチャーの選挙区はロンドン北部のフィンチレイというところであったけれど、住まいはロンドン南部のチェルシーであり、出身地は北イングランドのリンカンシャーだった。いずれも保守党の本部がそれぞれの選挙区に送り込んだ候補者だった。
ただ最近のThe Economistに出ていた “No more parachuting in”という記事によるとこのあたりの事情に変化のきざしが見えており
- 多くの国会議員が自身の選挙区に根を下ろすようになっており、そのことが英国の政治制度に新たな挑戦を突きつけている。
Ever more MPs have deep roots in the places they represent. That presents the political system with a challenge
とのことであります。
具体的な数字でいうと、サッチャー政権が誕生した1979年の選挙において選挙区との関係を持ったうえで立候補した議員は全体の25%であったけれど、18年後の1997年には45%にまで増えている。Think-tankのDemosによると、現在ではこれが63%にまで増えている。これはどの政党についても言えるのだそうで、保守党の場合は30%(1997年)から65%(2010年)に、労働党は69%から75%へと「ローカル議員」が増えている。
来年5月の選挙に向けてどの政党も臨戦態勢という感じですが、The Economistが例に挙げているロンドンのある選挙区から立候補することになっている労働党候補者は、その地域に20年ほど暮らしている「地元の人」であり配布するチラシにも子供時代にはあの公園で遊んだとか、この映画館で映画を楽しんだとかいうことを謳っている。彼女(候補者)によると「地元の人間であることが政治家に対する有権者の猜疑心を和らげる」と期待している。つまり
- ロンドンのような国際都市でさえも「よそ者」であることが不利になることがあるということだ。
Even here in Britain’s churning, cosmopolitan capital city, an outsider would be at a disadvantage.
このような傾向は昔ながらの「ウェストミンスター政治」には合わない。英国の国会議員はある程度は(somewhat)地元のニーズに応えることも大切だとされてはいるけれど、やはりいちばん大事なのは自分の党幹部に対する忠誠(obedience to party bosses)だとされている。それがあるからこそ党の団結が強まり、安定した政治も可能になる。そうでないと政治的な行き詰まり現象が頻繁に見られるようになる。
でもなぜいま「地元議員」が望まれるようになったのか?世論調査で知られるIpsos MORIによると、国会議員による「経費スキャンダル」をきっかけにして「国会議員全般」(MPs in general)に対する信用は落ちているけれど、「我が地元の議員」(my local MP)に対する信頼は却って高まっているのだそうです。議員の方でもこの傾向を意識せざるを得ないと見えて、選挙用の自分のチラシなどに所属政党の党首のメッセージのようなものは入れたがらない候補者が増えているとのことです。
要するに有権者にとっては従来の主要政党が魅力を失っているということなのですが、候補者サイドに立って考えると必ずしも明るい話題とは言えない部分もある。英国は完全小選挙区制(first-past-the-post)の国です。この制度はもともといろいろな意見の政治家を傘下に入れる大きな政党が政権争いをするように設計されている。この制度のおかげで結束力に富み(cohesive)、効率的な(effective)政府の運営が可能になるわけですが、それを支えているのが議員の党首や幹部への忠誠です。それが揺らぐと選挙制度そのものも揺らいでしまう。
2015年の選挙では労働党であれ、保守党であれ、過半数をとるとしても「圧倒的」の可能性は低い。となると効果的な政権運営のためには議員の結束が求められる。議会が地方の偉いさん(local champions)の集まりであったり、多数の小政党が乱立するようになると強力なリーダーシップを持つ政権運営など出来なくなってしまう。
- 安定した昔ながらのウェストミンスター政治をとるか、何をおいても選挙区に対する忠誠を大事に考える議員をとるか・・・英国に与えられた選択肢はこの二つのうちのどちらかであり、両方ということはあり得ない。
Britain can have stable, traditional government from Westminster, or it can have independent-minded local MPs who are loyal to their constituencies above all else. It cannot have both.
ただ二つの選択肢が持つギャップを埋めるための改革の可能性はある。一つは選挙に比例代表制(proportional representation)を導入することであり、もう一つはロンドン政治からの地方分権の促進である、とThe
Economistは言います。然るに、比例代表制、地方議会の創設、地方首長の直接選挙のどれも英国(イングランド)では住民投票で否決されている。
中央政党がパラシュートで派遣した議員は信用せずに「おらが国の議員」は大いに信頼する。それなのに地方分権には消極的・・・そんなこと続きっこない。というわけで
- いずれは何とかしなければならなくなる。
Eventually, something will have to give.
とThe Economistは言っています。
▼何かと言うと民主主義国家のお手本のように言われる英国ですが、選挙のやり方についても、日本では「地元意識」ばかりが旺盛な政治家が闊歩して、地元の利益ばかりを考えて国のことを考えていない」というので、むしろ「地元」との結びつきに否定的な英国の制度の方があるべき姿だと言われていましたよね。ただこの記事を読む限りにおいては「我が地元の議員」が望まれるからと言って、有権者が日本でいうような地元エゴのようなものにこだわっているという意味でもなさそうですね。
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5)賃金が下がり続けている
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2か月も前のハナシですが、10月18日の土曜日、ロンドン、ベルファスト、グラズゴーの3都市で、英国最大の労働組合組織である労働組合評議会(Trade
Union Congress: TUC)の主催によるBritain Needs a Pay Riseというスローガンの賃上げ要求のデモ行進が開かれました。その翌日のObserver紙にInstitute
for Public Policy Research(IPPR:公共政策研究所)のチーフ・エコノミストであるトニー・ドルフィン(Tony Dolphin)という人が
というエッセイを寄稿しています。それによると、最近の英国の労働者の実質賃金は150年間で最低の伸び幅であるとのことです。そして高賃金労働者と低賃金労働者の間の格差が極めて顕著になっている。労働者の間の賃金格差は、時代の要求にかなった職場とそうでない職場の差という意味でもある。
イングランド銀行のアンディ・ホルデーン(Andy Haldane)というチーフ・エコノミストが最近行った演説によると、英国における実質賃金(インフレ調整を考慮にいれた賃金)は、7年前の経済不況以前に比べると10%下落しているのですが、これほどの落ち込みは英国では19世紀半ば以来のことだそうです。上のグラフは1862年から2014年までを7年ごとに区切って賃金の上がり下がりを示しているのですが、例えば1862年からの7年間は上がったり下がったりです。しかし1870年を少し過ぎたあたりからの7年間は急激な落ち込みを示している。この頃の英国は経済不況が激しかった。次に1930年代は世界的な大不況の時代で上昇率0%以下(つまり下落)がかなり長く続いています。そして最近の7年間は落ちっぱなしです。
表全体を見ると、まさに上がったり下がったりだから景気が良くなれば再上昇ということも考えられないではないけれど、トニー・ドルフィンによると、労働者の中で低所得者の賃金が下がる一方でトップ10%の高所得者の賃金は20%も増えているというのが最近の傾向なのだそうです。
雇用の伸びを見ると、高度技術者と低度技術者の両極端で最も大きくなっており、中くらいの技術者に対する雇用が減っている。「中くらいの技術者」というのは例えば生産ラインで機械を操作するような職業のことで、これらの職はロボット化が進行しており、人手が要らなくなっている。さらに中国のような低所得国からの競争もあって製造業が英国からどんどん消えているということもある。いまから30年前の英国では賃金労働者の5人に一人がモノを作る工場労働者だったけれど、いまではこれが12人に一人にまで下がっている。
もちろん事務職の世界も変化している。かつては何人もいたタイピスト、会計事務員、ファイル管理者などはすべてコンピュータにとって代わられてしまった。いまやどんな上役も自分でメールを打つ時代になってしまったというわけです。
つまり昔はたくさんいた「オフィスワーカー」と呼ばれる人たちの職場がなくなってしまったということですが、その一方でコーヒーショップだのサンドイッチ屋さんだのという低技術者でも勤まる職場は10年前に比べると大きく増えている。そしてこれらの職種の場合、賃金が極めて低いというのが現状であるというわけです。
ここで疑問が出る。高技術者も低技術者もそれぞれ職場は増えているのに、なぜ前者は賃金が上昇し、後者は足踏みか下落という状態になるのか?答えは単純で、高技能産業では人材が不足気味であるのに対して外食産業には働き手がたくさんいるということです。なぜならかつての「中間技術者」たちが職場を失い、しかも高技能の職に就けるほどの技術もない。となると行き先は「低技能職」か「自営業」ということになる。いずれにしても外食産業の経営者たちは働き手が多いからあえて賃金を上げることによってこれを確保する必要もないというわけです。
そもそも英国の労働者たちはどのくらいの給料をもらっているのか?
英国の場合、法律で定められた最低賃金(minimum wage)なるものができたのが1999年だから比較的最近のハナシなのですね。現在の最低賃金は全国一律で6.5ポンドとなっている。ただ最近では、最低賃金ではなくて「生活賃金」(Living Wage)という考え方が普及しつつあるのだそうです。生活をしていくのに必要な最低賃金という意味で、場所によって違いがある。ロンドンの場合は9.15ポンド、地方では7.85ポンドとなっている。
最近のThe Economistの記事を見ていたら「ほとんどの英国人の時給は10~20ポンド」(Most people in Britain earn between £10 and £20 an hour)と言っていました。英国で暮らす友人からの報告によると、「平日のサービスランチが5~10ポンド前後」だそうです。「サービスランチ」がどんなものなのか、むささびにはわからないけれど、おそらく普通の人がそこそこお腹いっぱいになるような昼食のことでしょう。生活上の金銭感覚からすると「5~10ポンド=500~1000円」ということになる(と思う)。
The Economistなどによると、英国の場合、世代によって賃金格差があり特に若年層が厳しい状況にある。政府の発表では、法で定めた最低賃金より低い給料をもらっている労働者は全体の1%程度となっているけれど、16~20才の場合はこれが5%になる。また昨年(2013年)、全国平均の時給額は中間値で13.03ポンドだったのですが、20才以下の時給はその半分以下だったという数字もある。これをこのまま放っておくと、英国の次世代はかなりの部分が社会福祉の給付金に頼らざるを得なくなるということが心配されているのだそうです。
日本はどうかというと、法律で決められている最低賃金は都道府県によって異なるのですが、厚生労働省のサイトによると、いちばん高い東京では888円、最も安いのは677円(沖縄・宮崎・長崎・大分・熊本・高知・鳥取)。全国平均は780円となっています。
▼マクドナルドのビッグマックの値段を比較する「ビッグマック指数」によると、英国では1個=2.89ポンド、日本は370円だそうです。英国の最低賃金だと2個買うことができるし、日本だと全国平均でかろうじて2個、安い県では1個しか買えないということです。
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6)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら
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times table:掛け算表
「掛け算表」なんて言葉があるのかどうか知らないけれど、times tableは日本でいう「九九表」のことですね。英国の子供たちが学校で習う掛け算は「九九」ではない。「掛け算表」は縦横それぞれに1~12まで並んでいる。つまり1X1に始まって、最後は12X12まであるのでありますよ。それをすべて暗記するってんですから、大したものじゃありませんか!
BBCのサイトによると、英国の財務大臣(ジョージ・オズボーン)が小学校の教室を訪問したときに子供たちに「7X8はいくつ?」と聞かれたことがある。その時の大臣の答えは「そんな質問には答えないことにしているんだ」(I've
made it a rule in life not to answer)というものだった。実は16年前の1998年に、労働党政権の大臣が小学校を訪問、同じ質問をされ、報道陣がわんさといる前で「7X8は54だよ」とやって大恥をかいたことがあり、それ以来大臣たちはこの種の質問には答えないことになっているのだとか。
ところで「九九」の場合、我々は「サブロク・ジュウハチ」とか「ハッパ・ロクジュウシ」という具合に理屈抜きで暗記するのだから間違ったとしても、それは記憶に誤りがあったというに過ぎませんよね。ちょっと不思議なのは「12X12表」を記憶する子供たちの場合、多くの子供たちが間違える掛け算があるということです。BBCによると最も間違いやすいのが「6X8=48」というもので、ある小学校では62.5%の子供たちが間違った答えをしたのだそうです。どうやら1~12の中でも真ん中あたりの数字が絡むとダメな子供が多いらしい。5以下とか10以上の数字が絡む場合はほとんど問題がない。
で、念のために掛け算の英語を復習しておくと、キーワードは "times" です。「サブロク・ジュウハチ」は "three
times six is (equals) eighteen" です。「掛ける」という部分に "multiply"
という言葉を使うと "three multiplied by six is eighteen" となる。でも "times"
を使う方がはるかに楽です。
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7)むささびの鳴き声
▼最初に載せたThe Economistの記事が紹介する読売新聞の「おわび」についてですが、読売新聞(日本語)の謝罪文によると、1997年8月30日付の「編集手帳」というコラムに「『従軍慰安婦』などの記述について」という文章があったのを、当時のDaily Yomiuriは "comfort women" という英語に
- ..who were forced into sexual servitude by the Imperial Japanese Army.(大日本帝国陸軍によって性奴隷となることを強制された慰安婦)
という説明を付けて掲載したのだそうです。
▼読売によると、「慰安婦」というのを "comfort women" とだけ書いても外国人の読者には分からないであろうというのが、日本語の記事にはない説明を付記した理由です。ここで受験英語の講座です。次の二つの文章の違いは何でしょうか?
- women who were forced to work as sex slaves
- women who are said to have been forced to work as sex slaves
▼最初の文章は「強制的に性奴隷として働かされた女性たち」という意味(単なる事実を表現するもの)であり、もう一つの文章は「強制的に性奴隷として働かされたと言われる女性たち」という意味になる。「・・・と言われる」という言葉の有無が違いですよね。当時のDaily
Yomiuriは最初のスタイルの文章を書いてしまい、しかもそれが「性奴隷」などという不適切な言葉だったということです。Japan Newsに掲載された英語の謝罪文には
"sex slaves" という表現は「不適切」(inappropriate)で「誤解を招く」(misleading)ものであると書いてある。
▼読売はDaily Yomiuriが、「本紙にはない説明を、誤った認識に基づき加えていた」と謝っているのですが、英字新聞の担当者としては、外国人の読者にわかってもらうための努力そのものは認めてもらいたいですよね。「・・・と言われる」を入れなかったのは確かにドジだったかもしれない。でも"comfort women"の説明として "sex slaves" という表現が「不適切」であると言うのなら、どのような言葉が「適切」(appropriate)であったと言いたいのでしょうか?
▼そもそも読売新聞社は誰に対して謝罪をしているのですかね。それがはっきりすれば、「性奴隷」という言葉がなぜ "inappropriate"
で "misleading" であるかが具体的になりますよね。読売新聞はそのような立場に置かれた人(慰安婦)たちに謝罪しているのでしょうか?だとすると「皆さんは売春という行為を通じて日本の兵隊さんに慰安のひとときを提供するという立派な仕事を自発的にされていた。それなのに”性奴隷”などとお呼びしてしまい誠に申し訳ない」という謝罪になる。そうなんですか?
▼The Economistは読売新聞が「1000万の読者に対して謝罪した」(Yomiuri Shimbun said sorry to its 10m readers)と言っている。前々回の「むささび」で、朝日新聞の「第三者委員会」の報告について「読者に語りかけていない」という趣旨の批判をしたのですが、今回の読売新聞の「謝罪」が読者に宛てたものなのだとしたら、そのひどさ加減は朝日新聞の比ではない。ここをクリックすると英文のJapan Newsの謝罪文が出ているのですが、下の方に「不適切」な言葉を使った(と読売が言う)対象記事のリストが出ている。こんなもの誰が読むと思っているのか?誰も読まないことは読売新聞自身がよく知っている。
▼読売が「謝罪」しているのは、安倍さんのような人たちなのですよね。「日本軍が女性を性奴隷扱いしたことなど絶対にない!」と言っている人たちに対して、「自分たちの記事が悪かったのです、申し訳ない」と言っている。そして読売新聞の「謝罪」は、実は安倍さんらに対する「忠誠の誓い」なのですよね。読者なんて最初から相手にしていない。安倍さんらへの「忠誠の誓い」をするためのネタを血眼になって探した結果、行き着いたのがDaily
Yomiuriであった・・・違います?というわけで、さっぱり意味不明の読売新聞の「謝罪」については英文musasabi journalでも紹介させてもらいました。何かの間違いで英語圏の友人の眼にとまるかもしれないと思ったからです。
▼というわけで本日は選挙ですね。ダラダラと失礼しました!
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