musasabi journal

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309号 2014/12/28
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

ことしもついに最後のむささびになってしまいました。いろいろあったけれど、いちおう生きている。それだけでもタイヘンなものです。皆さまはいかがですか?とにもかくにも一年間お付き合い頂いたことに心から感謝します。

目次
1)Telegraphの旅ガイドを読んで名所を訪ねよう!
2)いまさらですが・・・安倍さん、勝ったの?負けたの?
3)「オバマのあとはこの人っきゃない!」
4)「見ぬふり文化」の結末
5)アウシュヴィッツで安楽死を考えた人たち
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
*****
バックナンバーから

1)Telegraphの旅ガイドを読んで名所を訪ねよう!

Telegraphのサイトに海外旅行のための情報コーナーがあるのですが、その中に「世界一気難しいトラベルガイド」(the world's grumpiest travellers)という話題が載っていたので紹介しておきます。何かにつけて文句ばかりつけたがる、気難しい人びとが投稿した世界の名所に関するコメント集です。

ペルー:マチュピチュ(Machu Picchu)
15世紀・インカ帝国の遺跡(標高3400m)ですが、マチュピチュ訪問は歯医者へ行くのと同じだそうです。そのこころは「必要かもしれないが決して楽しいものではない」(a necessary, but not particular pleasant, experience)だそうです。

フランス:ルーブル美術館(The Louvre)
「土曜の午後のスーパーマーケットみたい」(The museum looks like a supermarket on a Saturday afternoon)とはどういう意味なのですかね。行くべき場所ではないという意味なのかも。「はっきり言って最悪。もう二度と行かない」(one of the worst museums I've ever visited - never again!)だそうです。

オーストラリア:シドニー・オペラハウス(Sydney Opera House)
「どうってことない、テレビで見たほうがいい」(Nothing special, looks better on TV)なんてのはまだ好意的な方で、「くだらないタマゴ入れの箱」(Silly damned egg carton)とか「なるべく離れて見たほうがひどさ加減が少ない」(the further away you are the less awful it looks)というのもある。

インド:タージマハール(Taj Mahal)
近くへ行った途端にガイドが50人も集まってくる。こいつら(these scoundrels)を取り締まる人間が誰もいないのだ。トイレは有料で、ガソリンスタンドのものよりひどい。「もう二度と行かないのかって?行くわけないだろ」(I would not go back ? A joke)

アメリカ:自由の女神(Statue of Liberty)
孫を連れてニューヨークへ行ったおじいさん、自由の女神の像を見に行ったのですが、行列がひどかったし、警備の身体検査などは発展途上国と同じ、しかも女神の像まで行くのに乗ったフェリーは超混雑。あんなところへ行くくらいなら「埠頭へ行って海に金を捨てたほうがまし」(Just go to the dock and throw your money in the water)と怒っております。

カナダ・米国:ナイアガラの滝(Niagara Falls)
「滝の周囲はゴミだらけ、どこを見てもネオンが見える、ハンバーガーだけがやたらと高い」(full of litter and in every direction there were neon lights and overpriced burgers)そうなのですが、滝そのものについても「大きな灰色の壁」(Big grey walls)と厳しい意見もあるようです。「まるでバケツにいっぱいの***みたいだ」(bucket of s***!)という人も。まさかそこまでひどくはないんじゃありませんか?

フランス:エッフェル塔(Eiffel Tower)
フランス人は無礼だし、エッフェル塔は行列また行列、100年前のエレベーターにイワシのように押し込まれて(pressed in like sardines)、「あんなところへ行くくらいならディズニーランドの方がマシ」(I would go to Disneyland)、塔の付近はスリが多いらしい・・・というわけで、「Eiffel TowerというよりAwful Towerと呼んだ方がいい」とのことであります。

アメリカ:グランド・キャニオン(Grand Canyon)
ラスベガスから数時間かけて行ったけれど「どうってことなかった」(Nothing special)という人もいるし、クルマで9時間かけて訪れた人も「わざわざ9時間もかけて行くところじゃなかったな。2時間程度なら考えてもいいかもしれない」(worth considering)とのことであります。山道は馬糞がいっぱいで、それをよけて通ると崖から落っこちそうだったそうです。

カンボジア:アンコールワット(Angkor Wat)
どこを見ても工事中という感じで、シェムリアップ(アンコールワットが存在する州の州都)に滞在した中でも最悪だったのがアンコールワットだった。というわけで“Welcome to Scambodia!”(いんちきの国へようこそ!)と吠えまくっています。

中国:万里の長城(Great Wall of China)
“Crowds and lines and people littering and p******" (人ごみ・行列・ゴミを散らかす人びと)というわけですが、最後の "p******" がpeeingだと「おしっこ」のことであり、pooingだと「大」の意味になる。とにかく強烈な臭いが鼻を突く(a very stinky smell will hit your nose)とのことであります。トイレが完備していないってこと?

▼上記のうち私(むささび)が行ったことがあるのは、ニューヨークの「自由の女神」だけ。と言っても中に入ったわけではなく、離れたところから見ただけ。それなりに迫力を感じましてけどねぇ。
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2)いまさらですが・・・安倍さん、勝ったの?負けたの?

12月14日の選挙についてファイナンシャル・タイムズ(FT)のコラムニスト、デイビッド・ピリング(David Pilling)が "The truth behind Shinzo Abe’s election ‘landslide’"(安倍晋三「大勝」の真実)というエッセイを書いています。安倍さんが「勝利」した選挙から3日後、12月17日付のサイトです。その書き出しが面白い。
  • Who will win last week’s Japanese election?
というのです。このまま訳すと「誰が先週の日本の選挙で勝つのだろうか?」となる。書いている時点で選挙結果が分かっているのだから、ピリング自身この質問はバカげている(foolish)と言っているのですが、さらに文法的にややこしい(grammatically confused)とも言っている。「先週」という過去と「・・・だろうか?」という未来が混在しているのですから確かに「ややこしい」。

結論から言うと、あの選挙は一見すると安倍さんの望み通りの「圧勝」(landslide)のように見える。しかし・・・
  • 物事はちょっと掘り下げると表面上の見てくれとは違う・・・日本ではそういうことが多いのだ。
    As with many things in Japan, probe a little deeper and not everything is as it seems.
つまり安倍さんの「勝利」も見てくれどおり受け取るわけにはいかないということです。その理由としてピリングが挙げているのは、選挙後の日本のメディアでもさんざ言われていることだと思うけれど
  • わずか4議席とはいえ自民党が議席を減らしたことは間違いない:Mr Abe’s LDP actually lost seats, albeit only four.
  • 投票率(52%)は戦後最低:The turnout, at 52 per cent, was the lowest of the postwar period.
  • どうにもならないダメ野党と言われながらも民主党は11議席増やした:In spite of its shortcomings, it (DPJ) still managed to scramble 11 more seats.
  • 共産党が21議席へと大躍進した:Communist party more than doubled the number of seats it holds to 21.
ピリングによると、平和憲法を変えたいという安倍さんの野望は捨てなければならないということは、いまや「ほぼ確実」(almost certainly)だそうです。連立政権における公明党の重みが増したということもあるけれど、「小さな右翼政党」(small rightwing parties)が壊滅状態になってしまったことが大きい。

ただ安倍政権のこれからの運命を握るのは憲法だの集団自衛権だのというよりも経済問題であり、そちらを見ると必ずしも悪いニュースばかりではないというのがピリングの見方です。

これからの18ヶ月で景気が回復することだってあり得る。消費税の増税はとりあえず2017年まではなくなった。量的緩和のおかげで円安が進んでいる。企業の海外流失に変わって日本への復帰だってありうる。古河電工、トーレ、ダイキンなどの企業が日本国内に工場を作っている。次はトヨタという噂もある。さらに労働者の賃金についていうと、いわゆる非正規雇用の世界でも明らかに賃金は上がっているとピリングは言っており、一つの例として郵便局の年賀状配達のアルバイトの時給の変化を挙げています。2年前には970円だったのが昨年は1080円、今年はなんと1450円なのだそうですね。こうした状況が続くならば、需要に引っ張られたインフレというのも見えてくる。それこそ安倍さんが望むところであるわけですよね。で、ピリングの結論はというと
  • もちろんこのような考えは童話の世界のシナリオである。が、もしそれがわずかなりとも真実を含んでいるとすると、結局、あの選挙の勝者は安倍さんだったということになる。
    Of course, this is a bit of a fairytale scenario. If it contains even a smidgen of truth, however, Mr Abe will be the winner of Sunday’s election after all.
つまり最初に挙げた、過去なのか未来なのか分からない文章のココロは、安倍さんが勝ったのか負けたのかはまだ分からないという意味になる。

▼ピリングはエッセイの中でMichael Cucekという在日経験の長いアメリカ人(?)のShisakuというブログに出ていたコメントを引用しています。この人は20年以上も日本の政治を見続けているジャパン・ウォッチャーなのですね。知りませんでした。この人によると、今回の選挙はもちろん安倍さんの負けなのですが、その根拠として "Beating Kaieda Banri" というのがあります。海江田さんを打ち破ってしまったということですね。海江田さんはひどい負け方で、民主党代表も辞任せざるを得なかった。

▼が、これで安倍さんらが「ざまあみろ」と言っているとしたら全く甘い。Michael Cucekによると、海江田さんこそが有権者の間で民主党を不人気にした最大の理由(number one reason)だった。彼をあのまま代表にしておけば民主党が政権に就くことは絶対ないし、その意味では自民党は永遠に権力の座にいることができたはずというわけです。

▼衆議院選についてピリングは日本のメディアによる報道については書いていませんが、日本記者クラブという組織が行った党首討論会について、韓国・中央日報の金玄基という記者が、日本記者クラブの会報で「韓国メディアとしては『慰安婦問題』について、各党の位置づけを聞きたかった。外交問題の中で出てこなかったのが残念だった」と言っています。つまりこの件について日本記者クラブの記者が質問をしなかったということですか?新聞社によっては、頼まれもしないのに勝手に「謝罪」までしている、この問題について何も質問をしなかったなんて、そんなことあるんですか!?またジャーナリストの壱岐一郎さんは自身のニュースレターの中で「今度の選挙結果について、東京の全国紙・NHKほど低級・拙劣な分析・表現をした例はない」と言っています。
むささびジャーナルの関連記事
アベノミクスと「富国強兵」

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3)「オバマのあとはこの人っきゃない!」
 

英国で暮らすアメリカ人の友人によると、彼女個人にとって2016年の大統領選挙は憂鬱なものになるとのことであります。むささびと似たような年齢の彼女は民主党の活動家でもある。2016年の選挙がなぜ憂鬱なのかというと、民主党の候補者がヒラリー・クリントンになる可能性が高いとささやかれているから。なぜヒラリーではダメなのかについては後ほど述べるとして、彼女がオバマの後継者として支持しているのはエリザベス・ウォレン(Elizabeth Warren)という上院議員であり、ヒラリーではない。

普段アメリカのメディアをほとんど読まないむささびにとっては「エリザベス・ウォレンって誰ですか?」という感じなのですが、ウィキペディア情報によると、エリザベス・ウォレンは1949年生まれの65才だからヒラリーより二つ年下、昨年マサチューセッツ州選出上院議員となった人で、「ハーバード・ロー・スクールで教鞭をとり、積極的な消費者保護論者」と書かれている。

雑誌New Yorkerの12月15日付のサイトに
というエッセイが出ています。書いたのはジョン・カシディ(John Cassidy)という政治記者なのですが、書き出しは次のようになっている。
  • このマサチューセッツ州選出上院議員は大統領選には立候補しないと言っている。しかしだからと言って本当に立候補しないということにはならない。
    The Massachusetts Senator says that she isn’t running for President?but that doesn’t mean that she won’t.
現在のところ民主党にはリーダーとされる人物が3人いる。一人はオバマ大統領だが彼は大統領の任期終えると同時に民主党のリーダーでもなくなる。二番目はもちろんヒラリー・クリントン、体制的後継者としてはナンバーワンの存在。そしてカシディによると三番目がエリザベス・ウォレンということになる。
  • 3人のうち最もブレないメッセージを送り続けてリベラル派の活動家たちを最も熱狂させているのは、疑いもなくウォレンである。彼女にはウォール街を中心とする金融業界に反対して戦う姿勢があり、これが一般受けに繋がっている。
    Of the three, there’s no doubt who is conveying the most consistent message and generating the most enthusiasm among liberal activists: it’s Warren, with her populist crusade against Wall Street and moneyed interests.

カシディによると、金融業界がワシントンに送り込んできたさまざまなロビイストによる業界への便宜提供のリクエストに対して常に懐疑的な意見をはき、強硬な姿勢で臨んでいたのがウォレン上院議員であり、銀行筋が後押しした法案にも反対の意見を述べて対決姿勢を明らかにすることが多かった。彼女の主張の全てが通ったわけではないものの政治家としての評価は大いに高まっており、主要メディアはもちろんのことネットメディアの間でもヒーローになっている。

ウォレンの生まれはオクラホマ州のオクラホマ・シティ。スタインベックの『怒りの葡萄』に出てくる、アメリカの労働者階級をイメージさせる州です。ヒラリーがイリノイ州シカゴ生まれであるのとはちょっとニュアンスが違う。父親はビルの掃除人をやっていたけれど、エリザベスが12才のときに心臓麻痺で倒れ、彼女は13才でメキシコ料理店でウェイトレスとして働いて・・・とくると、どうしたって企業経営者の娘として生まれたヒラリーとは違うということになりますよね。ボストン・グローブ紙はウォレンのことを
  • 人を食いものにする金貸したち、ほとんど規制されない銀行によって(生活を)滅茶苦茶にされた人びとの声、理解しやすい声
    “… the plainspoken voice of people getting crushed by so many predatory lenders and under regulated banks.”

と形容しており、タイム誌は「ウォール街のシェリフ」と呼んだりしている。またカシディ記者もウォレン議員は「中流階級が直面する経済的な苦境を自身の経験で知っている」(Elizabeth learned first-hand about the economic pressures facing middle class families)と言っている。

それにしても私の友人である在英国・民主党員はヒラリー・クリントンの何がダメだというのでしょうか?一つには彼女では共和党に勝てないからだと言います。なぜ?それは彼女があまりにも長い間、夫とともにホワイトハウスにいすぎたおかげで、いろいろと芳しからぬ噂も取りざたされたりして「スキャンダル好きのメディア」(mud-slinging media)にとって格好のネタにされてしまうということだそうです。

ただ彼女はもっと本質的な部分でヒラリーには乗り気でない。ちょっと長いけれど彼女のコメントを紹介します。
  • ヒラリーは(政治という)ゲームのやり方は知っているであろうが、問題によっては彼女のモラルがどうなっているのか分からない部分がある。彼女はイラク戦争を支持したし、普通の人よりウォール街の金融関係者を支持している。正しい人物とは思えないわけ。私は彼女を疑っているし、彼女がアメリカに変革をもたらすような新しいものを持ってくるとは思えない。アメリカは変わることを必要としている・・・つまり私が彼女に投票することはないということ。
    She knows how to play the game but I doubt her moral stance on some issues. She was in favour of war in Iraq, she supported Wall street financiers rather than the common man, and she just doesn’t feel right to me. I doubt her and do not trust her to bring anything new to the table that will change America - and it needs changing, that means I will not vote for her.
彼女(私の友人)がエリザベス・ウォレンを支持するのは、彼女が「もの事がどうあるべきか」(how things should be)という「ビジョン」(vision)を語っているからだと言います。彼女はオバマにもそれを感じたのだそうで、「ビジョンこそが国を前進させる」(it is vision that can lead a country forward)と言っています。

▼私の友人はウォレン議員が「どうあるべき」(should)を語っている点に注目しているということに、むささびは注目するわけです。日本語で言うと「理念を語る」ということですね。「きれいごと」と言っても構わない。ヒラリー・クリントンにだってそれなりの理念めいたものはあるのであろうとは思うけれど、これまでの行きがかり上、どうしても「現実」が売り物になってしまう。巨大な資金を動かせるだけの人脈があるとか・・・。

▼私の友人が言うように、ヒラリーに対するメディアによるあら捜し合戦が始まって、それが故にヒラリーがつまずくようなことがあったときにエリザベスが出てくるということは考えられる・・・とカシディ記者は言っている。彼が挙げている前例が1968年の選挙です。民主党の候補者はリンドン・ジョンソン現大統領だったのですが、対立候補として上院議員のユジーン・マッカーシー上院議員がいた。マッカーシーは当時アメリカ中を吹きまくっていたベトナム反戦運動の風に乗っていた。そして3月12日のニューハンプシャー州の予備選を迎えた。結果、ジョンソンが勝ちはしたけれど、票数がジョンソン49%:マッカーシー42%と、予想を上回る接戦だったことからジョンソンが降りてしまった。

▼そこで民主党における体制派の切り札として登場したのが、ロバート・ケネディ(司法長官)だった。6月初旬、ケネディはカリフォルニア州の予備選に勝利、民主党の候補者への道をまっしぐらというところだった。なのに彼は自分の祝勝会場で暗殺されてしまった。結果として、シカゴにおける民主党の党大会で候補者に決まったのは、ジョンソン政権の副大統領だったヒューバート・ハンフリーで、共和党のリチャード・ニクソンに負けてしまった。カシディが言っているのは、68年のケネディの役割をウォレンが果たすのではないかということです。
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4)「見ぬふり文化」の結末

BBCのラジオ番組に "Analysis" というのがあります。世の中で起こっていることを取り上げて分析しながら語るというトーク番組なのですが、最近(11月初め)にマーガレット・ヘファナン(Margaret Heffernan)というビジネスコンサルタント(女性)が "Willful Blindness" というテーマで約30分間、話をするのを聴きました。直訳すると「意図的盲目状態」となるけれど、別の言い方をすると「見て見ぬふり」のことです。
  • 「意図的盲目状態」とは法律的な概念であり、知り得たこと、知るべきであったにも関わらずあえて知らずにいた場合、法律的な責任が発生する、ということである。
    Wilful blindness is a legal concept which says that if there are things that you could know and should know and somehow manage not to know, the law holds you responsible.
自分が所属する組織に芳しくないことが起こっているのに関係者が「見て見ぬふりをする」ことはどの組織にも起こりがちなことであるわけですが、そのことが却って組織や企業に致命的な打撃を与えることにつながることがある。マーガレット・ヘファナンが取り上げた例の一つが、今年2月に発覚したアメリカの自動車メーカー、ゼネラル・モーターズ(General Motors: GM)による大量リコールです。

GMが自社生産の車の点火スイッチの不具合によって死者まで発生、リコールが1500万台をはるかに超えていたことを認識していたのに長年放置されていたもので、不具合が原因で発生した事故は54件、死者は13人にも上っていたのにこれが隠蔽されていた。

実はGMの品質管理検査官(Quality Control Auditor)をつとめていたウィリアム・マカリーアという人が12年も前にGMの社長と会長宛に「このままではGM車の安全性は全く保障できなくなる」という趣旨の警告の手紙を送っていた。この人は30数年、GMに勤務しており、心底この会社で働くことに誇りを感じていた。彼が特にGMという職場の良さとして語っているのが、どのようなことでも口に出して発表できる自由な雰囲気だった。

それが変わり始めたのが1990年代の終わりだった。彼によると、その頃からGMは車を売るよりも社内のリストラやコスト削減によって利益を生み出そうとする体質になっていた。それと同時に自由な話し合いの雰囲気も消えてしまい、「沈黙と脅しの雰囲気」(climate of silence and intimidation)と「見て見ぬふり」の態度が蔓延するようになった。ウィリアム・マカリーアの手紙は全く読まれることがなく、本人も8年間にわたって自宅待機(有給)させられるという始末だった。

BBCのトークの中でマーガレット・ヘファナンが「見て見ぬふり状態」のもう一つ例として挙げているのが、北イングランドのロザラム(Rotheram)という町で起こった児童に対する性的虐待です。1997年から2013年までの16年間で1400人を超える子供たちが性的虐待を受けていたというもので、それが今年の8月まで明らかにされてこなかったという事件です。この「見て見ぬふり」はロザラムの警察、市議会および児童福祉機関らが隠蔽工作に関わっており、そのことが発覚して以来、市議会の議長、警察署長、児童福祉関係者らが訴えられたり、辞任に追い込まれたりという事態になっている。
  • 大切な情報がそこにあるのに誰もそれを見たがらず、考えたがらず、それについては何もしたくない・・・という態度が問題だった。
    The problem is that no one wants to look at it, think or do anything about it.

とマーガレット・ヘファナンは言っています。GMやロザラム以外にも企業や組織がらみのスキャンダルは数限りなくあるわけですが、このようなことはなぜ起こるのか?ヘファナンが挙げているのが人間誰にも共通な弱さのようなものです。
  • 人間は誰でも自分についての肯定的なイメージを広めたり保護することに熱心なものだ。その一つの方法はというと、自惚れ・自負心を傷つけるようなものを見ないようにするということだ。
    We are all highly driven to develop and to protect a positive image of ourselves. And one way that we do is not to see anything that threatens to undermine that self-esteem.

組織の中で起こっていることが好ましくないことであることが分かっていても、それを指摘することで組織内における自分の「好ましいイメージ」に傷がつくくらいなら、そのことに目をつぶって「従順」になろうとする傾向のことです。ヘファナンによると、組織の人間というのは道徳的に誤っていると思われることでも、他人に頼まれるとやってしまう確率が極めて高いものなのだそうです。それも自分をよく思われたいという欲求(self-esteem)のなせる業である、と。

また最近の調査によると、「自分が属している組織には問題があるけれどあえてそれを口にしない」という人の割合は85%。組織における序列制度が強ければ強いほど底辺のスタッフは「何を言っても聞いてもらえない(never going to be heard)」という意識が強いし、上層部は「何をやっても咎められることはないだろう」(they can get away with just about anything with impunity)と考えるのだそうです。
  • 内部告発者は序列から外れた得体の知れない人間がなるのではない。彼らの圧倒的多数が(組織には)極めて忠実な情熱家であるにもかかわらず、自分たちが無視されたり、不当な扱いを受けていると感じるがゆえに告発に走るのだ。
    Whistle blowers do not start out as cranky difficult outsiders. They overwhelmingly are passionate committed loyalists who only ever go outside and often do become a little strange, because of the way that they are ignored and treated.
つまり企業であれ、公的な機関であれ、何かおかしなことが起こったときに、誰かが立ち上がってそれを口に出して指摘するような状況を作り出すことが肝心であるとマーガレット・ヘファナンは考えているのですが、その彼女が推進しようとしているのが、"Just Culture" という考え方なのだそうです。直訳すると「正義の文化」ということになるけれど、企業や組織のあり方の問題で、そこで働く人びとが自由に声を上げることが奨励されるような企業文化・組織文化のことを指しています。"Just Culture" が最も浸透しているのは航空業界なのだそうです。

"Just Culture"推進のためにマーガレット・ヘファナンが勧めているのが、企業内での「話し合いトレーニング」(mediation training)と呼ばれる方法です。組織の問題点だと考えている部分を口に出して話し合うことです。その中で自分が心に思っていることを発言しても自分にとって不利なことが起こらないということを実体験すると態度が変わってくる。それが周囲にも伝染して組織内の対話が活発になるというわけです。
  • (自分自身のものであれ組織のものであれ)過ちを公にシェアするということは、みんながその過ちから学ぶことになるだけではない。人間が過ちを犯すのは自然なことであり、過ちを隠し込んでしまうのではなく、そこから学ぶことさえすれば過ちを犯すこと自体は構わないことを学ぶということでもある。
    Sharing mistakes publicly means that not only do people learn from the mistakes, but they also learn that mistakes are natural and okay as long as we use them as learning and we don’t just bury them.
とヘファナンは述べています。

▼マーガレット・ヘファナンの語りの中に出てくるゼネラル・モーターズの品質管理検査官が「車を売るよりも社内のリストラやコスト削減によって利益を生み出そうとする体質」になり始めたときと、自由で活発な議論の雰囲気が失われていったという趣旨の証言をしています。つまり労働条件が悪くなると同時に、社内の議論が消えて「見て見ぬふり」が蔓延し始めた。察しがつきますよね。会社の悪口を言ったことがばれるとクビになるかもしれないという恐怖もあるだろうし、そもそも仕事で疲れてしまって議論どころではないということもあったはずですからね。

▼Willful Blindnessについて、ヨハンナ比較文化研究所という機関の日本語サイトに面白いことが出ています。「見て見ぬふり」的な態度について、いろいろな国で意識調査をしたところ、例えばスイスの企業に行くと 「これはスイス特有の問題です」 と言われ、 ドイツに行けば 「これはドイツ病です」と言われ、 イギリスの企業では 「イギリス人が苦手とする ところです」と言われるのだそうです。つまりどこの国にもあるということであり、「人間固有の問題」であるということですよね。ヘファナンのラジオ・トークを聴きながら、むささびは「日本のことを言っている」と思いました。

▼ヘファナンが述べている「過ちを公にシェアする」(Sharing mistakes publicly)という姿勢について思い出すのは、むささびジャーナル302号で紹介したワシントンポスト紙の例です。日本では朝日新聞が自分たちの記事を取り消して社長が謝罪した例があるけれど、ただ頭を下げるということと「過ちを公にシェアする」ことでは違いますよね。むささびの偏見かもしれないけれど、朝日新聞の態度には「とにかくアタマを下げてしまえば、あとは時間が解決する」という姿勢がちらついてしまう。一方、前号で紹介した「責められてもいないのに勝手におわび」している読売新聞の場合は、最初から謝罪の気持ちなどないのだから、これは論外・・・というより、このような「謝罪」がまかり通ってしまう企業の姿勢はヘファナンの言っている "willful blindness" 文化の見本のようなものであると(むささびには)思えるわけであります。内部の編集関係者は誰も文句を言わないのでしょうか?

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5)アウシュヴィッツで安楽死を考えた人たち
 

11月21日付のドイツの週刊誌、Spiegelのサイト(英文版)に掲載されていたカトリーヌ・クンツ(Katrin Kuntz)という記者のレポートは見出しからして(むささびとしては)興味をそそられるものでありました。すなわち
というのです。むささびジャーナルでも安楽死について取り上げたことは何回かありますが、もっぱら死んでいく人たちとその家族への想いが主役になっていたと思います。この記事は安楽死にかかわるベルギーのお医者さんたちの心を語るものなのですが、きっかけとなったのは、こうしたお医者さん約70名が今年の10月、ポーランドにあるアウシュヴィッツ強制収容所を訪問するツアーに参加したことです。カトリーヌ・クンツ記者はこのツアーに同行したものです。Spiegelの記事は全部で3部に分かれている非常に長いレポートで、むささびは例によってごく一部だけ抽出して紹介します。

ご存知のとおりベルギーでは安楽死が合法化されています。このツアーの団長をつとめるのは、ウィム・ディステルマンズ(Wim Distelmans)というブラッセルの苦痛軽減医(palliative doctor)、すなわち「安楽死」を手がける専門医です。年齢は62才、ベルギー政府の安楽死委員会の委員長もつとめている。このツアーのタイトルは、ずばり「尊厳死」(death with dignity)となっているのですが、ツアーの目的は「死と人間性についてより深く学ぶ」(to learn more about death and humanity)ことであり、ディステルマンズ団長が目指したのは、人間の尊厳や死という問題について参加者たちと意見を交わすことにあった。
  • そのことはまた人間にとっての実存的な質問にも回答を求めようというものでもあった。すなわち自分で自分の運命を決める自決権・恐怖・自由のような実存的な問いかけは、今日の我々にとって何を意味するのかにも関係している。
    It has to do with existential questions: self-determination, fear and freedom -- and what these things mean to us today.
ツアーへの参加者には医療関係者だけではなく、新聞記者もいたし、自分の親類が戦争中にアウシュビッツで亡くなったのでという人などもいたのですが、全員に共通していたのは安楽死には賛成であり、安楽死が認められるような「リベラルな」社会にも賛成であるということだった。ただツアーが公表されると反対意見も数多く寄せられた。英国の新聞などはディステルマン団長のことを “Dr Death” と呼んだりしたし、アウシュヴィッツ記念館の関係者も「安楽死とアウシュヴィッツを結びつけるのは不謹慎だ」という意見を述べたりもした。


今回は5日間の日程であったのですが、アウシュヴィッツへの訪問前日、宿泊先のホテルで参加者を集めた交歓会でディステルマン団長は、この旅の目的が「尊厳死」について考えることにあるとして
  • 「尊厳」の意味を考えるのにアウシュヴィッツほど適当な場所はない。我々は安楽死に関わっているが、我々はまたその正反対のものを理解する必要があるのだ。ベルギーでは「安楽死」(euthanasia)を文字通りの意味で捉えている。すなわち「良い死」(good death)ということだ。問題はそこにある。我々の意図しているのはアウシュヴィッツで起こったことの正反対のことであるということを根気よく説明する必要があるのだ。
    But there is no better place than Auschwitz to ponder the meaning of dignity. When we deal with euthanasia, we must also come to terms with its opposite. In Belgium we use euthanasia in the original sense of the word: It means 'good death.' That's the problem. We will have to explain over and over that we intend the opposite of what occurred in Auschwitz.
と訴えたところ参加者からは大きな拍手が起こったのだそうです。アウシュヴィッツでは生きることを望んでいながら人が殺された。安楽死も形としては人間が人間の死に手を貸すことではあるけれど、意味合いが全く逆であることを安楽死に反対する人たちに理解してもらいたい、と言っているわけです。

団長につづいて壇上に上がった臨床心理士は、アウシュヴィッツでは難民たちが名前ではなく番号で呼ばれていたことを題材にして、安楽死に関係する医者と患者の関係について語る。すなわち、ベルギーへ帰ると自分たち医者は患者を名前ではなく「病名」で呼ぶ傾向がある。「あちらのガン」、「こちらの肺病」、「隣りの大腸病」というぐあいです。これはアウシュヴィッツで難民たちが番号で呼ばれていたのと同じなのであり、「医者が患者よりも上位にあるような態度ではないか」というわけで、「私たち(医者)は自分たちを何様だと思っているのか?」(Who are we to put ourselves above others like that?)と語りかける。

この心理士はアウシュヴィッツのガス室の廃墟の前に来たときに座り込んでしまう。そのガス室こそは「希望ゼロの場所」(place without hope)であり、それを前にするととても前に進むことなどできない・・・と言いながら、自分が相手にする末期症状の患者たちの話をする。
  • みんな痛みの中で孤独でもあるのですよ。私はいつも何か将来の楽しみになるようなことを語るのです。来年の誕生日のこと、結婚式のこと、もう一度だけ行くことになっている海岸のこと、誰かと手をつなぐこと・・・そのような話でもしないと恐怖でたまらないのですよ。
    They are so lonely in their pain. I have to give them something to look forward to: another birthday, a wedding, one last trip to the seaside, and taking another person by the hand, things like that. Otherwise the fear becomes too much to bear.
この心理士はツアー団長のディステルマンとは20年来の友人。心理士はカソリック教徒であり、団長は無神論者。ディステルマンが目の敵にしているのが、医者にありがちなパターナリズム(患者を上から目線で見る態度)であり、パターナリスティックな医者に限って、患者に生きることを押し付けるものだ(forces life upon an individual)と言っている。一方、カソリック教徒である心理士は、患者に対して生きることを選択するように勧めることにしているのだそうです。

旅行の途中で、参加者たちが夕食後のワインを飲みながら諸々の話をする中で、ある参加者が「ナチには安楽死が許されるのか?」という問題提起をしたのだそうです。実際の話なのですが、ある医者の患者は半身不随でほとんど動けないような状態にある。問題はその患者が元ナチの親衛隊員(Waffen-SS)だった人物で、いまでもヒットラーの写真を飾ったりしているとのこと。で、その医者は元親衛隊の患者に安楽死の治療を施すことを拒んだのだそうです。その理由はナチであった人物は「無痛で優しい死」(painless, gentle death)の権利などないというものだった。

その話を聞いた参加者のひとりのコメントは「元ナチ親衛隊のような人物が苦しんでいたとしても同情は持たないだろう」というわけで、
  • もし自分がその人間を殺したら、おそらく自分が殺人を犯したと感じるだろう。
    If I killed him, I would feel like a murderer.
というものだった。もちろんここで言う「殺す」というのは「安楽死させる」という意味なのであり、仮にそのような死に方の手助けをしたとしても、気分は単なる「殺し」のはずだということです。


Spiegelの記事を書いたカトリーヌ・クンツ記者もその会話を聴いており、団長のディステルマンもそこにいたのですが、黙って会話を聴いていただけだったそうです。ただ、後日、ディステルマンと会ってそのことが話題になったときに彼は「自分なら元ナチにも苦痛緩和(安楽死)の治療を施すであろう」と言っていたのだそうです。
  • (ディステルマンによると)彼がそれ(安楽死治療)を行うのは、その男の痛みと人間性に敬意を払うからである。それは無条件の愛がなせる行為であるということであった。
    He says that he would do it out of respect for the man's pain and humanity -- as an act of unconditional love.

とカトリーヌ・クンツ記者は言っている。同記者はまたこのツアーについて
  • ほとんどの医者たち(団長のディステルマンも含めて)がアウシュヴィッツへの訪問によって心が動かされたと語り、これから自分の患者との付き合いにおいてより優しさをもった人間になれるだろうと語っている。
    Most of the doctors, including Distelmans, say after their visit that Auschwitz has moved them, and that they can now be better, more sympathetic human beings in their interactions with patients.
と伝えているのですが、アウシュヴィッツにおける団長のディステルマンの様子については次のようにも書いています。
  • ディステルマンの足取りは全く重そうで、構内の石畳を歩きながら転びそうになったこともあった。彼はこの場所(アウシュヴィッツ)について何ヶ月も考えてきたはずだった。他人を抹殺する(eradicate)という行為に人間を駆り立てるものは何なのか?ディステルマンは大量虐殺というものを自分個人に引き寄せて理解したいと願っていた。彼はまたこの獣のような極悪行為の真実(monstrous, abysmal truth)に直面することで、それが(自分が関わっている)「尊厳と愛による殺し」(killing out of respect and love)と何がどう違うのかを考えようとしていた。が、いまディステルマンはその一線(threshold)を超えてしまうことを恐れてもいた。彼はアウシュヴィッツに漂う恐怖を感じながら、雰囲気に圧倒されて自分の感覚を言葉にすることができずにいた。そして彼が言ったのは「自分には何も理解できない」(He says he understands nothing)ということだった。
▼記事の最後で紹介した、アウシュヴィッツにおける団長さんの心境ですが、ナチも自分も人びとを死なせる行為をしている点では変わりがないのではないか・・・という自問の気持であったということかな、とむささびは考えるのですが。安楽死に反対する意見の中には「人間が人間の生命をコントロールすることなど許されないはず」というのがある。記者の印象では、団長さんが「その一線(threshold)を超えてしまうことを恐れてもいた」となっているのですが、「その一線」って何のことですかね?ちなみにむささびが「その一線」と訳した "threshold" は「それを超えると物事の性格が変わってしまうポイント」という意味であると思っています。

▼ディステルマン医師は、たとえ患者がどうしようもない過去を背負った犯罪者であったとしても、本人が望むのであれば苦しまずに済む「良い死」を提供するであろうとしているのですが、その理由として、「本人の痛みと人間性に対して敬意を払うからだ」と言っている。分かります?むささびには分かるような気がするのですよね。
むささびジャーナルの関連記事
コラムニストの安楽死殺人事件
安楽死を是認しない理由
「安楽死は権利だ」

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6)どうでも英和辞書
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five-second rule:5秒間ルール


オンライン版のオックスフォード英語辞書に今年加わった言葉の一つがfive-second ruleなのだそうです。手に持っていた食べ物(おにぎり、ハンバーガー、アイスクリームなど)を誤って落としてしまうということがありますよね。でもご安心ください・・・
  • 落としてしまった食べ物でも5秒以内に拾い上げれば、ばい菌で汚れていることはないので、食べることができる。
    the food will still be uncontaminated with bacteria and therefore safe to eat if it is retrieved within five seconds.
のであります。こんなルール、聞いたことあります?

英国の国民保健制度(NHS)に関連する子供向けのサイトによると、five-second ruleなんてとんでもない嘘っぱちだそうです。ロンドンのクイーン・メリー大学で細菌を研究しているロナルド・カトラー博士が行った実験では、ピザ、リンゴ、トーストの3種類の食べ物を、予め大腸菌を塗りたくった表面(地面、床、テーブルなど)の上に落とし、0秒後・5秒後・10秒後にそれぞれ拾い上げてどの程度大腸菌におかされているかを計測した。その結果、たとえ「0秒後」に拾い上げたとしてもかなりの汚染は残留するということが明らかになったとのことであります。
  • If you drop food on a floor, it's better to put it in the bin rather than your mouth. 
    食べ物を床の上に落としたら、自分の口ではなく、ゴミ箱に捨てた方がよろしい。
と博士は申しております。
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7)むささびの鳴き声
▼徒然なるままにむささび、年の暮れのつぶやき。NHKのニュースを聴いていて、特に国際問題などで「・・・という思惑があるものと思われる」という言い方が気に障るのであります。先日の例でいうと、アメリカのオバマ大統領がキューバとの国交を正常化させると発表したことについて
  • (大統領としての任期が)残り2年となり、キューバ政策をみずからの外交成果にしたいという思惑もあったものとみられます。

    と言っていた
▼この場合の「~とみられます」というのは「誰が」みるというのでありましょうか?普通に読めばNHKの記者がそのように見たり考えたりしているということですよね。でもオバマにそのような思惑があったとするNHKの記者の見方の根拠は何なのでしょうか?そのあたりの説明は何もない。従って「~とみられます」と言われてもそれをどう信用すればいいのか・・・。それとオバマにそのような「思惑」があったとして、だから何だっての?はっきり言ってこの部分は無駄な付け足しという気がしませんか?と(むささびは)言いたいわけよさ。

▼STAP細胞は結局再現できなかったということを発表する記者会見(12月19日)が終わって、記者たちが会場を出ようとしていたら、いま会見を終えたばかりの理化学研究所特別顧問の相沢慎一さんという責任者が
  • (小保方さんを)犯罪人扱いしての検証は、科学の検証としてあってはならないこと。この場でおわびをさせていただく。

    と述べたのだそうですね。
▼「科学の検証としてはあってはならないやり方」で行われた「検証」なんて信じられるのか・・・なんて言ってみても遅いですよね。それにしても相沢さんという人は、なぜ記者会見が終わってみんなが席を離れ始めたころにこの発言をしたのでしょうか?なぜ会見中に言わなかったのでしょうか?それは(おそらく)彼の言葉が理研の考え方を代表したものではないからですよね。では理研はどう思っていたのか?小保方さんを「犯罪者扱い」しているつもりはなかった。ただ、いろいろと問題があった後だけに「厳しく見守る」必要があり、見る人によってはそれが「犯罪者扱い」と映った・・・理研に対して好意的に解釈するとそうなる。

▼でもある人の眼には「犯罪者扱い」としか見えないようなやり方を採用した理研の組織としての意図はどこにあったのか?それは一にも二にも、自分たちが厳しい態度で臨んでいることを「世間」に示したかった。その「世間」というのが新聞でありテレビであったということ。つまり理研という組織が、メディアの演出する「世間」という影に怯えきっていたということ。STAP問題に関係して、理研の笹井芳樹さんという人が自殺しましたよね。その際に彼が家族宛に書いた遺書に「マスコミなどからの不当なバッシング、理研やラボ(研究室)への責任から疲れ切ってしまった」と記していたのですよね。

▼Aeonという雑誌のサイトにThe retraction warというエッセイが出ています。retractionは、発表された科学論文などが「撤回」されることを言いますよね。それによると、15年ほど前までは撤回される論文の数は年間約30件だったのに、今年は400件を超えそうだとのことです。なぜそれほど撤回が増えるのか?このエッセイを書いた科学ジャーナリストによると、「科学者が名声を求め、出版社はベストセラーを求める」(Scientists seek demigod status, journals want blockbuster results)ことが早とちりの論文発表に繋がっている・・・というわけで「科学はダメになったのか?」(is science broken?)と言っている。

▼が、その一方で撤回された論文を追跡することを専門にしているRetraction Watchなんてのもあるのですね。このサイトのモットーは "Tracking retractions as a window into the scientific process"(撤回論文を追跡すると、科学的な研究過程が見えてくる)となっている。専門的なサイトなのでむささびなどにはよく分からない部分もあるけれど、撤回論文もさらに中身を追究していけば科学の進歩に寄与する部分もあるということ(のようです)。

▼いずれにしてもSTAPをめぐるゴタゴタの最大の理由は、最初の段階からテレビの芸能番組の記者(としか思えないような人びと)まで招待して記者会見など開いてしまったことにある(とむささびは考えています)。普通の人には分かりっこない話題なのに芸能ネタのような扱いをして、まずは「日本人が素晴らしい発見をした!皆さん、日本人ってすごいんですよ!!」と叫んで小保方さんをヒロイン扱いした、と思ったら次には「日本の科学技術への信頼が失われた!」と犯罪人扱いして、ついには自殺者まで出してしまった。芸能ネタ的な騒ぎをやったメディアが悪いのか、それを演出した側が悪いのか・・・どっちもどっちですよね?

▼STAP問題を、4番目に紹介した「見て見ぬふり文化」の記事と併せて考えると、まずは理研という組織におけるWillful blindnessに目が行ってしまうけれど、むささびが思ってしまうのは、あの記者会見に詰めかけた記者やカメラマンの中に自分たちが所属している新聞社やテレビ局の報道の仕方に対して疑問を感じている人はいるのだろうかということでありました。

▼というわけで、ことしも終わりですが、考えてみるとあと1ヶ月もすればプロ野球のキャンプが始まるのですね。2015年はあの松坂が福岡のソフトバンクで、黒田が広島カープでピッチングをするのですよね。札幌の日ハムの大谷と併せて「お金を払ってでも見たい」というプレーヤーが結構いる。どれも東京周辺のチームではない。NHKや安倍さんとタッグを組んで、長嶋だの松井だのを「国民的英雄」に仕立てようとしても、現実にはかなわないのよね。

▼よいお年をお迎えください!
 
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むささびへの伝言
バックナンバーから
2003
ラーメン+ライスの主張
「選挙に勝てる党」のジレンマ
オークの細道
ええことしたいんですわ

人生は宝くじみたいなもの

2004
イラクの人質事件と「自己責任」

英語教育、アサクサゴー世代の言い分
国際社会の定義が気になる
フィリップ・メイリンズのこと
クリントンを殴ったのは誰か?

新聞の存在価値
幸せの値段
新聞のタブロイド化

2005
やらなかったことの責任

中国の反日デモとThe Economistの社説
英国人の外国感覚
拍手を贈りたい宮崎学さんのエッセイ

2006
The Economistのホリエモン騒動観
捕鯨は放っておいてもなくなる?
『昭和天皇が不快感』報道の英国特派員の見方

2007
中学生が納得する授業
長崎原爆と久間発言
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小田実さんと英国

2008
よせばいいのに・・・「成人の日」の社説
犯罪者の肩書き

British EnglishとAmerican English

新聞特例法の異常さ
「悪質」の順序
小田実さんと受験英語
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「日本型経営」のまやかし
「異端」の意味

2010
英国人も政治にしらけている?
英国人と家
BBCが伝える日本サッカー
地方大学出で高級官僚は無理?

東京裁判の「向こう側」にあったもの


2011
悲観主義時代の「怖がらせ合戦」
「日本の良さ」を押し付けないで
原発事故は「第二の敗戦」

精神鑑定は日本人で・・・

Small is Beautifulを再読する
内閣不信任案:菅さんがやるべきだったこと
東日本大震災:Times特派員のレポート

世界ランクは5位、自己評価は最下位の日本
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2012

民間事故調の報告書:安全神話のルーツ

パール・バックが伝えた「津波と日本人」
被災者よりも「菅おろし」を大事にした?メディア
ブラック・スワン:謙虚さの勧め

2013

天皇に手紙? 結構じゃありませんか

いまさら「勝利至上主義」批判なんて・・・
  
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