musasabi journal

2003 2004 2005 2006 2007 2008
2009 2010 2011 2012 2013 2014
 2015          
311号 2015/1/25
home backnumbers uk watch finland watch green alliance
美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
2015年、2回目のむささびです。いつも今頃になると、プロ野球の「自主トレ」なるものが始まるのですよね。球団が強制するのではなく、選手たちが自発的に集まってやるから「自主トレ」。変な言葉でありますね。昨年の今頃のような大雪が降るのか、びくびくしながら過ごしております。

目次
1)「離れ島国」の対テロ戦争
2)「イスラム過激派が諸悪の根源だ」
3)「ヨーロッパにモラル・ヒステリアは要らない」
4)冤罪でも国家賠償は払われない!?
5)84才、ゴルバチョフの歯ぎしり
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
*****
バックナンバーから

1)「離れ島国」の対テロ戦争

このむささびが出るころに、イスラム国に捉えられた二人の日本人がどうなっているのか見当がつきません(これを書いているのは1月24日)が、1月24日付のThe Economistが "Japan and jihad"(日本とイスラム聖戦)という、ごく短い記事を載せています。イントロは次にように書かれている。
  • 離れ小島(列島)の国が、対テロ戦争には近寄らないようにしようと懸命になっている。
    A remote archipelago struggles to remain apart from the war on terror
中身は日本のメディアでもさんざ報道されている、この事件の経過説明なので、ここでは書くのを止めておきます。一言でまとめるならば、人質は助けたいけれど、憲法の手前、自衛隊を派遣して取り戻すことはできないし、身代金を払えばアメリカがかんかんに怒るだろうし、国際的にはテロとの戦いにおける信頼されるに足るパートナーと見なされたいし・・・というわけで、安倍さんはこの時点ではにっちもさっちもいかない手詰まり状態。ただ日本のソシアルメディアなどを観察するところによると、普通の日本人は人質に対して同情的であるばかりでなく安倍さんの努力も支持している。ただ・・・
  • 多くの日本人は(自分たちから遠く離れた)広い世界で起こっているトラブルなどどこかへ消えてくれればいいのに、と思っている。しかしその希望が叶えられることはますます困難になりつつある。
    But many Japanese also wish the troubles of the wider world would just go away. That hope has now got harder.
と結んでおります。

The Economistはまた、人質になっている二人の日本人について「考えにくいペア」(an unlikely pair)であると表現しています。湯川遥菜さんは、自分を見つけるためにシリアまで出かけて行ってイスラム国との戦いに加わった人物であり、後藤健二さんは戦争の苦しみを伝える「ベテランのジャーナリスト」(seasoned journalist)であるとして、
  • もし後藤氏が湯川氏の釈放を求めてイスラム国に接触したのだとしたら、彼はさまざまなことを十分に承知の上で行ったはずだ。
    If he approached IS with a view to securing Mr Yukawa’s release, he will have done so with his eyes open.
と言っている。

The Economistの記事とは直接関係ありませんが、欧米で暮らしているイスラム教徒の若者がイスラム国へ出かけて行って義勇兵として活動に参加していることが問題になっていますよね。このことに関連して、欧米諸国がシリアの隣国であるトルコに対してイスラム国対策が不十分だと批判しているということがありますね。もっと国境警備をきちんとやれということです。

1月21日付のThe Independentのサイトで、前号のむささびで紹介したパトリック・コクバーン記者が、最近(1月18日~21日)ロンドンを訪問したトルコのアフメト・ダウトオール(Ahmet Davutoglu)首相とインタビューした記事が掲載されており、その中でダウトオール首相は欧米からの批判について反論しています。

▼トルコとシリアの国境は800キロもありそれを全部閉鎖することなどできっこない、欧米の若者がシリアへ向かうのを規制するために国境沿いに兵士を配備するわけにはいかない、とした上で "In any case, there isn’t any state on the other side [of the frontier]"(国境のあちら側には国家というものが存在していないのだ)と言っている。これでは規制のしようがない、ということです。
むささびジャーナルの関連記事
イラクの人質事件と「自己責任」


back to top


2)「イスラム過激派が諸悪の根源だ」

イスラム国による日本人人質事件のせいで日本ではやや忘れられがちですが、欧州諸国にしてみれば、パリの新聞社襲撃テロのショックが尾を引いている感じです。パリのテロ事件に関連して、前回の「むささびの鳴き声」で、9・11テロの際にアメリカのメディアが「なぜ」を問うことを全くしなかったということを紹介しました。パリにおけるテロ事件についても同じような現象が起きているようです・・・と言ってもむささびの場合はフランス語が読めないので、観察できるのは英語のサイトに限られてくるのですが。

このような事件が起こったときに、テロリストたちが「なぜ」あのようなことをしたのかを考えることは無意味なことなのか?今回は二つの極端に異なる意見を紹介します。いずれもテロ事件直後にメディアに掲載されたもので、ショックが冷めやらぬ時点での発言である点にもご注目を。

まずは1月7日付のNew Yorkerに掲載されたジョージ・パッカー(George Packer)という人のエッセイから。彼の主張は、パリのテロ事件に関しては「なぜ」を問おうとする態度は誤っているというものです。書き出しが次のようになっている。
  • 本日パリで起こった殺人は、かつての植民地からのイスラム教徒の移民をフランスが受け入れようとしなかったことに原因があるのではない。
    The murders today in Paris are not a result of France’s failure to assimilate two generations of Muslim immigrants from its former colonies.
パッカーが言いたいのは、この邪悪そのもののような殺人犯について、あたかも移民をまともに扱わないフランス社会が悪いとでも言わんばかりの意見は全く間違っているということです。彼によると、今回のテロ事件は中東におけるフランス軍のイスラム国に対する軍事行動とは関係ないし、アメリカによるイラク戦争にも関係ない。もちろん欧米社会が経済的に疲弊し、社会道徳までおかしくなっているということも関係ない。
  • そして何よりも、テロリストの行動を(シャルリーエブドという新聞社の)漫画家による宗教に対する不遜な態度への怒りのリアクションであると「理解」すべきだ、などと考えてはならない。
    Least of all should they be “understood” as reactions to disrespect for religion on the part of irresponsible cartoonists.
パッカーによると、パリのテロは、これまで何十年にもわたってテロ行為を繰り返してきた思想(イデオロギー)による暴走の一環にすぎない。古くは1991年、英国人作家、サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』(The Satanic Verses)の日本語訳者が殺されるということがあり、2001年の9・11テロ、2004年にはイスラム社会を馬鹿にするような本を書いてたオランダ人の作家が殺されたこともある。さらにはイラクやシリアで大量レイプや殺人を犯し、パキスタンの学校では32人もの学童を殺害した・・・どれも同じ思想の持ち主の仕業であり、今回はその続きということです。

パッカーは、テロに襲われたパリの新聞の風刺画にはユダヤ教やキリスト教を揶揄する類のものもあったにもかかわらず、テロ行為に及んだのはイスラム教だけであることに触れながら、今日のイスラム教には少数派とはいえ、自分たちの信ずるところのためなら「ある程度の暴力」(a degree of violence)の使用も許されると考えていると言っている。
  • 今回の殺人者(テロリスト)たちは思想と言論の自由に対する戦争行為を実行する兵士なのである。彼らはまた寛容さ、平和的共存、他者を怒らせるかもしれないことを行う権利・・・すなわち民主主義社会における「まともなこと」をすべて否定しようとしている。従って我々は、本日(1月7日)のみならず毎日「シャルリー」であり続けようと努力しなければならないのである。
    The killers are soldiers in a war against freedom of thought and speech, against tolerance, pluralism, and the right to offend - against everything decent in a democratic society. So we must all try to be Charlie, not just today but every day.
パッカーと同じような意見をもう一つだけ簡単に紹介しておきます。Foreign Affairsという国際問題の専門誌に出ていた「アルジェからの戦い」(The Battle From Algiers)というエッセイです。アルジェはアルジェリアの首都。アルジェリアはかつてフランスの植民地であった国でありパリの新聞社を襲ったテロリスト兄弟アルジェリア人であったのですよね。このエッセイを書いたのはロビン・シムコックス(Robin Simcox)という人ですが、エッセイの書き出しと、結論の部分だけ紹介します。

まず書き出し。イスラム国のスポークスマンであるアルドナニ(Abu Mohammed al-Adnani)が2014年9月に語った言葉が紹介されている。
  • アメリカやヨーロッパの異教徒、とりわけ邪悪にして呪われた存在であるフランス人を殺せるのであれば、どんな方法でも構わない、殺してしまえ。
    If you can kill an American or European infidel, especially the spiteful and cursed French, kill them in any way possible.
シムコックスは、イスラム過激派の同調者たちがフランスへの敵意について、さまざまな事柄でいちゃもんをつけてくると言います。2011年のリビアへのフランスの軍事介入、2013年のマリへの侵攻、さらには国内ではイスラム女性のヘッドスカーフ着用禁止やイスラムを侮辱する風刺漫画・・・テロリストは常に自分たちの攻撃を正当化する理由を見つけるものなのだ(Terrorists will always find a way to justify their attacks)と言ったうえでシムコックスは次のように結んでいる。
  • 欧米のリベラルにとっての選択肢は次の二つのうちのどちらかしかない。一つは彼らのご機嫌をとること。すなわち「そっと歩く・問題があってもそれを話題にしないこと・彼らを侮辱しない」等々で、ほとんど役に立たない。もう一つの選択肢は欧米の文化が拠って立っている価値観に忠実であることである。
    The liberal West must choose whether to accommodate - tread softly, don’t talk about the problem, don't offend - likely to little avail, or stay true to its founding values.
要するにテロリストとの妥協は許されないということです。断固戦え!ということですね。

▼パッカーが繰り返し強調するのは「(パリにおける)大量殺人の責任はあくまでもイスラム教過激派にある」ということで、それ以外の「社会的要因」だの「フランスの植民地主義の過去」などの一般的な背景を云々することは、テロリストたちに味方するのと同じことであるということです。2001年に9・11テロが起こったときに、スーザン・ソンタクという作家が「アメリカの中東政策にも問題がある」という趣旨の発言をして「テロリストに味方するのか」とさんざ叩かれたことがある。パッカーが批判しているのは、その手の「物分りのいいリベラル」の態度です。しかしパッカーのエッセイを読んでいると、結局、あのようなテロリストを生むのは過激派というよりもイスラム教そのものに原因があると言っているとしか思えない。そんなことでいいんですか?

むささびジャーナルの関連記事
パリのテロ事件:本丸はシリアに

back to top

3)「ヨーロッパにモラル・ヒステリアは要らない」

パリのテロ事件は「言論と表現の自由」に代表される、ヨーロッパの民主主義に対する挑戦であり、世界中が「私はシャルリー」(Je Suis Charlie)というスローガンのもとに団結しなければならない・・・というのが、最初に紹介したNew Yorkerのジョージ・パッカー、Foreign Affairsのロビン・シムコックスのエッセイの結論だった。一方、オックスフォード大学のブライアン・クラグ(Brian Klug)講師(哲学)がMondoweissというサイトに寄稿したエッセイは、これら強硬派の主張に真っ向から反対しています。クラグ講師のエッセイは
となっているのですが、1月11日にパリで行われた反テロ連帯集会の熱気に触れながら、「もしあの集会で、誰かが、テロで殺された新聞社の犠牲者を茶化すようなプラカードを掲げていたら、どうなっただろうか?」と言っている。例えばテロの現場で犠牲者が血の海でのたうちまわりながら次のような言葉を叫んでいるプラカードです。
  • Well I’ll be a son of a gun!
    冗談だろ!?
  • You’ve really blown me away!
    まいっちまったなぁ、もう!
クラグ講師は次のような問題提起を行っています。
  • 集会参加者は、そのようなプラカードを掲げた人物を言論の自由のために立ち上がった英雄と考えるだろうか?それとも大いに侮辱されたと感じるであろうか?
    Would they have seen this lone individual as a hero, standing up for liberty and freedom of speech? Or would they have been profoundly offended?
テロの標的となった風刺新聞がからかったのはイスラム教だけではなく、キリスト教もユダヤ教も風刺の対象になったし、政治家、金持ち、人種差別主義者など、あらゆる階層・職業・主義主張が風刺の対象になっていた・・・として新聞社を褒め称える意見があるけれど、クラグ講師は
  • その新聞社は彼らが抱えるジャーナリストたちそのものを茶化しの対象にしたことはあるのか?表現の自由の名のもとに、結果も考えることなくイスラム教徒、ユダヤ人らを嘲笑する、あのジャーナリストたちである。つまりあの新聞社は自分たちを風刺の対象にしたことはあるのか?
    Did they, for example, lampoon journalists who, in the name of freedom of expression, mock Muslims and Jews regardless of the consequences? Did they, in other words, ever satirize themselves?
と言っている。

で、最初の質問です。あの連帯集会において、集会そのものを茶化すようなプラカードを掲げ、バッジを身に着けていたら、集会参加者は「これこそフランス的」というわけで笑って過ごしたのであろうか?おそらくそのようなことはなかっただろう、とブライアン・クラグは言います。そのような人物は袋叩きにあったであろうというのが講師の結論です。

多くの大衆が今回の事件の犠牲者をフランスと言論の自由を守る英雄であると見なしてしまっている。クラグ講師によると、犠牲者を英雄扱いすることが偽善的(hypocritical)であるのが問題なのではなくて、"Je Suis Charlie"(私はシャルリー)と叫ぶ人たちが自分たちのやっていることを分かっていないことが問題であるということです。すなわち
  • 彼らは表現の自由には制限というものがないという考え方にコミットしていると思っている。表現の自由は極めてデリケートな事柄で、神聖にして犯すべからざるもののシンボルであり、からかったり、馬鹿にしたりしてはならないし、パロディの対象にすることもできない。そのようなことをしたらタイヘンなことになる。
    They see themselves as committed to the proposition that there are no limits to freedom of expression: no subject so sensitive, no symbol so sacrosanct, that it cannot be sent up, sneered at and parodied, consequences be damned.
と彼らは思い込んでおり、そのことが「勇気」(courage)であり、自分たちとテロリストとの違いであると思っている。彼らは表現や報道の自由にも制限というものがあるということが分かっていない。
  • 人間というものは、自分の心が分かっていない(けれど分かっていると思い込んでいる)場合、独善的な道徳的情熱によって押し流されてしまうものなのである。現在、ヨーロッパの地平線には暗雲が立ち込めている。そんな時には、このような独善主義ほど不必要なものはないのである。
    When people don’t know their own minds - but think they do - they are liable to be swept away by self-righteous moral passion; which is just what we don’t need as the storm clouds gather on the European horizon.
とクラグ講師は言っています。

▼むささびは、風刺メディアが自分たち自身を風刺することはあるのか?というブライアン・クラグの意見に共感を覚えます。これは風刺のみならずメディアが持っている致命的な弱みだと思います。常に自分たちだけは安全地帯にいることを許したうえで「報道の自由・表現の自由」を云々する。どこの国のメディアでも同じことですね。

▼ところで1月16日付の朝日新聞のサイトに、この問題に対する日本の新聞各紙の対応を紹介する記事が出ていました。銃撃事件後に「シャルリー・エブド」が初めて発売した特別号に関する報道について、「涙のムハンマド」をあしらったこの特別号の第一面の写真をそのまま掲載したかどうかについての対応です。

  • 朝日新聞:「紙面に載れば大きさとは関係なく、イスラム教徒が深く傷つく描写だと判断」して掲載をやめた
  • 毎日新聞:「絵画による預言者の描写を『冒とく』ととらえるイスラム教徒が世界に多数いる以上、掲載には慎重な判断が求められる」というわけで「現段階で掲載は考えていない」とのこと。
  • 読売新聞:「社会通念や状況を考慮しながら判断」する」として、これも掲載はしないのだとか。
  • 東京新聞:「『表現の自由か、宗教の冒とくか』と提起されている問題の判断材料を読者に提供」するために掲載したのだとか。
  • 産経新聞:東京新聞と同じような理由で掲載


back to top

4)冤罪でも国家賠償は払われない!?

自分が犯してもいない犯罪のために逮捕され、刑務所行きという「冤罪」(miscarriage of justice)は日本の専売特許ではない。英国にももちろんありますが、The Independentに出ていた「冤罪」の記事はちょっと変わっています。冤罪そのものではなく、その被害者に対する国家賠償が全く出ない可能性があるということです。

まずは事件そのものから。いまから約20年前の1996年8月8日、イングランド中部の町、レディッチ(Redditch)でレイプの未遂事件があり、郵便配達員をしていたビクター・ニーロン(当時36才)という男が逮捕され有罪となって刑務所に入れられた。が、ビクターは獄中にあっても自らの潔白を主張し続け、ついに2013年12月の控訴審で17年ぶりに無罪を勝ち取り釈放された。

ビクターは事件のあったときは自宅でテレビを見ていたと主張していたのですが、彼の有罪が覆されたのは、レイプの現場で採取されたDNAを再鑑定した結果、別の人間がその場にいたことが示されたことによる。そのDNAの人物は特定されていないのですが、ビクターのものでないことだけは確かであったわけです。故に彼は無罪放免となったわけですが、国家賠償の支払いとなると別の話なのだそうであります。英国にはAnti-social Behaviour, Crime and Policing Act 2014(2014年反社会行為・犯罪・警察法)という法律があって、冤罪に関する国家賠償の請求ができるのは次のようなケースのみであるとされている。
  • 新たな事実もしくは新たに発見された事実によって、その人物がその犯罪を犯したものではないことが合理的に疑いもなく示された場合、その場合のみ。
    if and only if the new or newly discovered fact shows beyond reasonable doubt that the person did not commit the offence
ビクター側は、賠償が払われないのは不当だというので、法務大臣を訴えているのですが、大臣からの公式の手紙によると
  • DNAの分析結果によって、申請者(ビクターのこと)がその犯罪を犯したものではないことを正当な程度に示すことがなかった。
    DNA analysis plainly did not show beyond reasonable doubt the claimant did not commit the offence.
とのことだった。別の人間の犯行である可能性は高いけれど、ビクターの犯行でないということも証明されていないということです。分かります?つまり裁判における有罪か無罪かという意味では、ビクターは「推定無罪」(presumed innocence)であるけれど、国からの賠償金をもらうためには、自分がやっていないということを立証しなければならない。そのためには(例えば)ビクター以外の真犯人が特定されなければならないけれど、いまの段階ではそれができていない。ビクターの有罪が覆されてから警察がこの事件の再捜査に乗り出しているのですが、結論がでるまでには「かなりの時間」(a considerable amount of time)がかかると言っている。

ちなみに17年におよぶ刑務所生活を終えて出所した際、ビクターが国からもらったのは、現金46ポンドと彼が希望する町までの電車の切符だけだったそうです。

▼日本の場合はどうなっているのか?刑事補償法というのがあって、第4条に「抑留・拘禁 1日当たり1,000円以上12,500円以下の範囲内で、裁判所が定める額の補償金を交付する」と書いてある。あの袴田事件の場合、冤罪被害者の袴田巌さんは1966年8月18日に逮捕され、2014年3月27日に釈放されるまで約48年間拘禁された。刑事補償法で定める最高額の12500円が出たとして、単純計算で、12500円×17520日=2億1900万円が支払われることになる。最低額の1000円ならば1752万円ということになる。


back to top

5)84才、ゴルバチョフの歯ぎしり
 

1月16日付のドイツの週刊誌、Spiegelのサイト(英文)にかつてのソ連の指導者であったミハイル・ゴルバチョフ氏との単独インタビューが掲載されています。今年で84才だそうです。インタビューの中身はウクライナ問題と欧米とロシアの関係がほとんどです。

「ヨーロッパで再び大きな戦争が起こると思うか?」という質問に対してゴルバチョフは「欧米かロシアのどちらかが冷静さを失ったら、我々はもう生きてはいない」と答える。それに対して記者が「大げさに言いすぎているのでは?」と言うと
  • そのようなことを軽々しく口にしない。私は心底、深く憂慮しているのだ。
    I don't say such things lightly. I am truly and deeply concerned.
と答えている。インタビューの記事の見出しである "I Am Truly and Deeply Concerned" はこの発言から来ているものです。ゴルバチョフはまたウクライナ問題について米露で話し合うことをプーチンとオバマの二人に提言したのだそうですが、彼らの反応は「二人とも聴く耳は持っていなかった」(I fell on deaf ears)だった。

このインタビューはモスクワにある彼の事務所で行われたそうなのですが、Spiegelのサイトに出ている写真を見ると、応接間風の部屋で16年前(1999年)に亡くなったライザ夫人の写真が壁から微笑みかけている。Spiegelの写真に見る限り、ゴルバチョフは寂しげであります。

むささびがこの人の口から直接聞きたいと思っていたこと、すなわち社会主義というシステムについて何を考えていたのかについては全く語られていないのが残念なのですが、長々としたインタビューの中から一か所だけピックアップして紹介します。関心のある方はここをクリックして原文をお読みください。

SPIEGEL: ソ連(という体制)があのまま続いた方がよかったと思うか?
Would it have been better if the Soviet Union had remained intact?
Gorbachev: もちろんだ。ソ連邦を無理やり崩壊させてしまったことが、現在のウクライナ紛争の大きな理由の一つなのだから。
Surely. The rapidly induced collapse of the Soviet Union is also part of the deeper reason for the current Ukraine conflict.
あなたが言っているのは1991年のことですね。あの年に異なる民族間の紛争と経済危機の結果としてソ連が解体したのですよね。
You're speaking of 1991, when the Soviet Union broke up as a result of its conflicts between different nationalities and because of economic and supply crises.
あの当時、ペレストロイカに反対する勢力はすでに大衆との政治闘争に負けていた。彼らは戦いをエスカレートさせてクーデターを起こそうとしたのだ。彼らは権力欲しさにソ連邦を破壊してしまったのだ。おかげでいまのロシアは私の後継であるエリツィンが行ったショック療法の後遺症に悩んでいるようなものなのだ。私には改革のためのプログラムがあったのだ。あのころのソ連は、名前はソビエト連邦(Soviet Union)となっていたが、「連邦」(Union)と呼ぶにしては、これを構成する共和国の主権に制限がありすぎた。だから私は改革連邦条約というものを作って提案、1991年8月20日に全共和国によって署名されることになっていたが、新しい時代の到来を怖れる特権階級によってつぶされてしまったのだ。
The opponents of perestroika had already lost the public political battle, so they instead focused on escalation and instigated a putsch. They wanted power, but they destroyed the Soviet Union. My successor Boris Yeltsin prescribed a shock therapy under which Russia still suffers today. I had a reform program. Although union was a part of the Soviet Union's name, it wasn't really a union. The republics had only very limited sovereignty and competencies. That's why I presented a reformed union treaty that was to be signed on August 20, 1991. But the nomenklatura feared the new era.
ウクライナの状況については(ロシアと欧米の)どちらに大きな責任があると思うか?
Who carries the greater responsibility for the Ukraine conflict?
このようなタイヘンな危険な状態のときに非難合戦などやっても何の助けにもならない。が、はっきりさせておきたい点はいくつかある。1990年にパリで安全保障・協力会議が開催されたときに新しい世界の平和秩序が話題になった。ジョージ・ブッシュ(パパ・ブッシュ)と私が特に推進役になっていたのだが、結局あの会議では何も生まれなかった。政治の非軍事化ということは起こることがなかった。それどころかアメリカの国内では危険このうえない「勝者の心理」が広がっていたのだ。そのような態度については、私はアメリカを訪問するたびに批判してきた。JFケネディがソ連の国民を悪者扱いすることに反対していたこともアメリカ人に対して語ってきた。さらに真の平和はアメリカ中心の平和(パックス・アメリカーナ)ではあり得ないこと、平和はアメリカが独裁的に支配するものでもないことを語ってきたのだ。平和というものは、皆のためにあるもので、それ以外にはあり得ないということだ。
Casting blame isn't helpful in this highly dangerous crisis. But I do want to be clear about a few things. In November 1990, at the Conference for Security and Cooperation in Paris, the talk was of a new peaceful world order. George Bush, Sr. and I were especially active in promoting this. But nothing came of it -- a demilitarization of politics didn't happen. Instead, a dangerous winner's mentality became widespread in America. I criticize this attitude every time I visit the United States. I remind people of how John F. Kennedy took a stand against the demonization of people in the Soviet Union and said that a true peace could not be a Pax americana, that peace could not be dictated by America. There is either peace for all or there is no peace.
しかし結局、アメリカが冷戦の勝者として登場することになったのではありませんか?
Did America not emerge as the victor of the Cold War?
(冷戦後の)大々的な変革は、モスクワの助けも借りずにアメリカだけでできただろうか?ノーに決まっている。あのときに我々が共に協力し合うことで何ができるのかを示すことができたのだよ。地域紛争も解決したし、ドイツの再統一もやり遂げたではないか。東欧からのソ連軍の撤退、非核武装化もそうだ。が、残念ながらアメリカは、冷戦の終了を機に世界帝国、メガ帝国の建設を始めてしまったのだ。
Would America have been able to achieve these massive changes without Moscow, without us? No! We showed at the time what is possible if we work together: We solved regional conflicts, we achieved German reunification, the withdrawal of Soviet troops from Eastern Europe, nuclear disarmament. Unfortunately, America then started building a global empire, a mega empire.
アメリカはいつごろからそのような道を歩み始めたのか?
When did America begin down that path?
それはアンタらが良くご存知のはずだ。ソ連が崩壊したときに、それを小気味良く思う人間たちは偽の涙を流しながら、机の下では大喜びで手を擦り合っていたのだ。アメリカはいわゆる防衛の環でロシアを取り囲み始めた。NATOの東方拡大がそれだ。NATOは国連の承認もなしにユーゴスラビアの内戦に軍事介入した。あれが前例の役割を果たす出来事となり、ロシア国内での反発の引き金を引くことになった。そうなると、クレムリンの指導者は無視することはできないのだ。
You know yourselves. When the Soviet Union fell, those who didn't wish us well shed crocodile tears as they rubbed their hands together beneath the table. The Americans began by surrounding Russia with so-called rings of defense -- NATO's eastward expansion. NATO intervened militarily in the Yugoslavian civil war without the consent of the United Nations. That was a precedent-setting case. All that triggered a backlash in Russia. No Kremlin leader can ignore something like that.

▼ロシア革命によって社会主義体制ができたのが1917年、ゴルバチョフが生まれたのは1931年です。1952年(21歳)に共産党に入党している。「社会主義ロシア」が生まれてから33年目だった。彼が30歳のころ(1961年)、日本の大学生の間ではモスクワに憧れていた人がわんさといたのです。むささびもちょうどその頃に大学生で、多少は社会主義的な本を読んだりしていたので分かるのです。しかしそれは社会主義からは遠く離れた日本でのこと。「現場」にいたゴルバチョフはその頃のソ連で何を考えながら暮らしていたのか・・・。

▼上に引用したゴルバチョフの語りの中で、むささびがいちばん興味を持ったのは、冷戦の終結に対するアメリカの態度を批判する部分です。彼の目には、アメリカの態度が「勝者が敗者を見下ろす」ようなものに映ったわけですよね。実際にはベルリンの壁崩壊も世界の非核化も自分が推進したソ連の自由化政策があったからこそできたことなのに・・・というわけです。実はこの部分についても、むささびは疑問に思っていることがある。「冷戦の終結=アメリカ資本主義の勝利」というのは正しいのでありましょうか?むささびは、ソ連が勝手にこけただけで、資本主義が勝ったわけではない、と考えているのです。文句あります?


back to top

6)どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 


right to offend:感情を害する権利


パリの新聞社へのテロ事件以後、英国メディアの多くが "right to offend" という言葉を使って表現の自由とか報道の自由について語りましたね。むささびはこんな英語が言葉として定着しているのを知りませんでした。to offendは他人の気持ちを傷つけたり、気分を害したりするという意味ですね。"With no intention of offending you..."(あんたの気分を害する気は全くないけどさ・・・)とか。

パリのテロ事件の後、ローマ法王が「表現の自由にも限度というものがある」という意味の発言をしたのに対してキャメロン首相が
  • I think in a free society, there is a right to cause offence about someone's religion.(自由な社会においては他人の宗教について感情を害するようなことを言う権利がある)
と反論している。"to cause offence" は "to offend" と同じことです。キャメロンは自分がキリスト教徒であり、誰かがイエス・キリストについて悪いことを言うのを聞いたら「気分はよくないと思う(I might find that offensive)けれど、それを言った人間に暴力で復讐するような権利はない」と言っている。アメリカのテレビ番組での発言です。

ローマ法王が言ったのは、表現の自由や報道の自由は大切ではあるが、それが相手の信仰や信念(faiths and beliefs)をバカにするようなものについては制限があるということで、例え話として
  • もし私の親友が、私の母親について口汚い言葉で語ったら、ぶん殴ることだってある。。
    If my good friend Dr Gasparri says a curse word against my mother, he can expect a punch.
と言ったものなのだそうです。

キャメロンはアメリカのテレビだから、あんなこと言えただけで、アルジャジーラにインタビューされて同じことが言えますか?浅いんだよね、この人は。

back to top

7)むささびの鳴き声
▼この「むささび」では、パリでのテロ事件に関連して「イスラム過激派が諸悪の根源だ」と「ヨーロッパにモラル・ヒステリアは要らない」というエッセイを紹介したのですが、いまイスラム国による人質が報道されているような状況で、日本人の思考はどちらへ向かうのか?(むささびとしては)自分自身の問題として考えなければと思います。で、むささびが思うのは、今ほどヒステリアが邪魔なときはないということです。英米はイスラム国への空爆を行っているけれど、英国人、アメリカ人の根気が切れるのは時間の問題。悲しいかなヒステリックな強硬論ではことは片付かないということです。英米がアフガニスタンのタリバンを爆撃し始めたのがいつだったか、憶えていますか?2001年ですよ。あれから14年、タリバンは壊滅していますか?

▼イスラム国の人質事件に関連して、同志社大客員教授でイスラム学者の中田考という人が1月22日、東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見を開きましたよね。ここをクリックすると中田さんのスピーチを文字で読むことができます(動画はここをクリック)。人質の安否やイスラム国の話は別にして、中田さんの語りは、むささびにとっては、実に納得がいく「目からウロコが落ちる」という内容のものでした。


▼まず安倍さんの訪問先について、中田氏は次のように言っています。
  • 訪問国として、エジプト、パレスチナ、ヨルダンと、すべてイスラエルに関係している国を選択している時点で、アメリカとイスラエルの手先と認識されます。人道支援、難民支援のためと理解されないことは、中東を知る者としては常識です。
▼次に安倍さんの中東訪問の目的が「難民支援・人道支援」と言っているけれど、訪問先リストにトルコが入っていない。トルコにはシリアからの難民(約300万人)の半数以上がいるのに、です。安倍さんはまた、自分の中東訪問や中東への支援が「中東の安定に寄与する」ことを目的にしている、と強調しているのですが、中田氏さんは
  • 中東の安定が失われているのは、イスラム国が出現する前のことです。その中で、わざわざイスラム国だけを名指しで取り上げて「イスラム国と戦うため」と言いながら、「人道支援だけやっている」と言っても、通用しない論理だと思います。

    と言っている。
▼中田さんはさらに、日本の外務省は、イスラム国に人質にとられている日本人が二人いることを知っていながら、訪問中の安倍さんの発言の中に「イスラム国と戦う」という趣旨の言葉を入れた不用意さも批判しています。記者会見であれ、演説会であれ、外国におけるスピーチの原稿を書くのは外務省の人たちですよね。安倍さんは単に口をパクパクさせてそれを読むだけ。つまり日本人の人質がいるのに安倍さんに「イスラム国と戦う」と言わせたのは外務省の人たちですよね。おそらく人質のことなど眼中になかったということでしょうね。

▼今回の件で、2004年にイラクで起こった日本人の人質事件を思い出した人は多いと思います。イラク国内の武装勢力が日本人3人を人質に取って、イラクに派遣されていた自衛隊の撤退を要求したという、あの事件。人質のうちの一人は女性で、イラクの子供たちを支援することを目的に出かけて行って誘拐されてしまったのですよね。あのとき日本のメディアを埋め尽くしたのが「自己責任」という言葉だった。憶えてます?3人の勝手な行動のおかげで大いに迷惑した、これからは自己満足の迷惑行為は止めてほしい、やるのなら「自己責任」でやってほしい・・・日本のメディア人たちの頭脳に対してむささびが最初に疑惑の気持ちを持ってしまった事件の一つです。その説明をやり始めると長くなりますが、ここをクリックすると出ています。

▼今回の人質事件については2004年のときのような「自己責任論」が聞こえてこない(ように思う)のはなぜなのでしょうか?朝日新聞などは「2人が拘束された経緯ははっきりしないが、どんな事情で現地にいたにせよ、人命の重みを最優先に対応すべきだ」と言ったりして、かなり好意的なのであります。2004年の人質事件の際に、ある国際機関で働くフィンランド人と話をしていたら、「なぜ戦争で路頭に迷うことになったイラクのストリートチルドレンを助けに行った日本人が、日本のメディアによって叩かれなければならないのか」と説明を求められて困ったことを記憶しています。安倍さんが、外務省の人たちの言葉を繰り返すだけなのと同様に、メディアの人たちもひたすら外務省のお役人による「自己責任論」を繰り返していただけというわけですね。

▼というわけで、1月も終わり。埼玉県の山奥では蝋梅が咲いているし、ほんの少しですが白梅の花も見かけました。お元気で!
 
back to top
  ←前の号 次の号→



むささびへの伝言
バックナンバーから
2003
ラーメン+ライスの主張
「選挙に勝てる党」のジレンマ
オークの細道
ええことしたいんですわ

人生は宝くじみたいなもの

2004
イラクの人質事件と「自己責任」

英語教育、アサクサゴー世代の言い分
国際社会の定義が気になる
フィリップ・メイリンズのこと
クリントンを殴ったのは誰か?

新聞の存在価値
幸せの値段
新聞のタブロイド化

2005
やらなかったことの責任

中国の反日デモとThe Economistの社説
英国人の外国感覚
拍手を贈りたい宮崎学さんのエッセイ

2006
The Economistのホリエモン騒動観
捕鯨は放っておいてもなくなる?
『昭和天皇が不快感』報道の英国特派員の見方

2007
中学生が納得する授業
長崎原爆と久間発言
井戸端会議の全国中継
小田実さんと英国

2008
よせばいいのに・・・「成人の日」の社説
犯罪者の肩書き

British EnglishとAmerican English

新聞特例法の異常さ
「悪質」の順序
小田実さんと受験英語
2009
「日本型経営」のまやかし
「異端」の意味

2010
英国人も政治にしらけている?
英国人と家
BBCが伝える日本サッカー
地方大学出で高級官僚は無理?

東京裁判の「向こう側」にあったもの


2011
悲観主義時代の「怖がらせ合戦」
「日本の良さ」を押し付けないで
原発事故は「第二の敗戦」

精神鑑定は日本人で・・・

Small is Beautifulを再読する
内閣不信任案:菅さんがやるべきだったこと
東日本大震災:Times特派員のレポート

世界ランクは5位、自己評価は最下位の日本
Kazuo Ishiguroの「長崎」


2012

民間事故調の報告書:安全神話のルーツ

パール・バックが伝えた「津波と日本人」
被災者よりも「菅おろし」を大事にした?メディア
ブラック・スワン:謙虚さの勧め

2013

天皇に手紙? 結構じゃありませんか

いまさら「勝利至上主義」批判なんて・・・
  
  back to top