かつては温度が30度を超えると「暑~い!」と言ったのに、最近では30度だとほっとしたりしますね。車で走っていたら温度計が39度を指すこともあります。それと夜、窓を開けて寝ても「冷気」「夜気」というものが感じられない・・・と言っているうちにもう7月も終わりです。空高く悠々と飛んでいる鳥が羨ましい・・・。 |
目次
1)鶴見俊輔を憶えておきたい
2)ギリシャ:がんばれ「記者たちの新聞」
3)サラブレッドの時速
4)世界平和度指数が語るもの
5)金持ちバカにしよう!
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
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1)鶴見俊輔を憶えておきたい
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鶴見俊輔さんが亡くなりましたね。むささびはそれほど熱心に鶴見さんの本を読んだりしたわけではないけれど、『思想の科学』はなぜかつい買ってしまったものです。いわゆる「左翼」ではないけれど、世の中のことに自分なりに関わりたいと思っていた人びとにとっては親しみやすい存在ではあった。ネットを当たってみたら「鶴見俊輔語録」がたくさんありました。例えば1998年2月の朝日新聞に掲載された「鶴見俊輔の世界」にあったものをピックアップすると:
- 日本国憲法について:
いい憲法ですよ。でも、残念ながら英文の方がよい。草案のなかに「オール・ナチュラル・パーソンス(すべての自然人)は尊重されるべきだ」とあった。私生児も、外国人も、何人も尊重されるという、素晴らしい精神なんだ。
GHQによる草案の第13条(Article XIII)は "All natural persons are equal before the law"(あらゆる自然人は法の前に平等である)として、人種・性別・出自などによる差別は許されないとしてあったのですね。鶴見さんによると、この条項は削られてしまったのだそうですが「これは世界を前に進める偉大な知恵だったんた」と残念がっている。
- 憲法改正について:
憲法改正に関する国民投票を恐れてはいけない。その機会が訪れたら進んでとらえるのがいいんじゃないかな。護憲派が四対六で負けるかもしれない。それでも四は残る。四あることは力になる。そう簡単に踏みつぶせませんよ。
むささびは「護憲派が四対六で負けるかもしれない。それでも四は残る」という発想が非常に健全だと思うのであります。絶望的敗北主義の世界ではない。鶴見さんはまた、平和を望むのであれば、そのことを「自分の憲法」として心にとめておくことを呼びかけているのですが、その憲法は「書いたらだめですよ。知識人の欺瞞性はそこから発するんだ」とも言っている。これ、どういう意味ですかね?
- 沖縄について:
沖縄に未来を築く力がある。本土決戦といいながら本当に戦ったのは沖縄でだけだった。戦後、日本は沖縄を切り離して繁栄した。どう考えてもおかしい。どうすればいいか。沖縄に賠償金を払い独立してもらって米軍基地を本土に移す。その沖縄に水先案内人になってもらい世界へ出て行く。そうすれば世界が抱える悩みを日本の悩みとして共有できる。
鶴見さんが沖縄の独立を語っていたとは知りませんでした!前回のむささびジャーナルで紹介した沖縄の新聞の編集長さんの言葉、それと「沖縄の新聞は潰した方がよろしい」と発言した(もちろん本土の)人びとの言葉と合わせて読むと余計にはっきりします。
▼NHKの『戦後史証言プロジェクト』のサイトに「思想の科学」と鶴見さんに関する番組が掲載されています。その中で日本人がなぜ太平洋戦争に突き進んでいったのかを知りたいと語っている部分がある。
- 人民の記憶っていうのがね、私にとっては国民の記憶より重大なんだ。(あの戦争が)いったいどういう風に人民の記憶に残っているか、それが知りたいんだ。それが生きている歴史学の課題だと思う。
▼むささびがはっとしてしまったのは、「人民の記憶が国民の記憶より重大なんだ」と言っている部分です。鶴見さんはなぜここで「人民」という言葉と「国民」という言い方を分けて使っているのか?実を言うと、むささびは
"people" という英語に「国民」という言葉を使うのが嫌いなのでございますよ。なぜか虫酸(むしず)が走るわけです。かと言って「人民」というのも不自然だし・・・ってんで、大体は「日本人」とか「英国人」というようにしているわけ。なぜ「国民」というと虫酸が走るのだろう、と自分でも考えるのですが、おそらく「国の民」と呼ばれることが嫌なのですよね。自分のことを「国の」などと言って欲しくないということです。もちろん他人もそのようには呼ばないし考えない。
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「戦争体験を語り継ぐ」ことへの虚しさ
『真珠湾収容所の捕虜たち』の新鮮さ |
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2)ギリシャ:がんばれ「記者たちの新聞」
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7月19日付のObserverに、ギリシャのアテネで発行されている、"Efimerida ton Syntakton" という名前の新聞についての記事が出ています。これはギリシャ語をローマ字表記したものなのですが、英語でいうと
"Journalists’ Newspaper"(記者たちの新聞)という意味なのだそうです。この新聞が発行され始めたのは3年前の2012年。それまで発行されていた "Eleftherotypia"
という新聞が廃刊になったことをきっかけに、そこで仕事をしていた記者たちが作り始めて現在にいたっている。
編集長は創刊当時のことについて「全部自分たちでやりました。頼りは自分たちのやる気と能力だけだった」(We did it alone, believing in our power and abilities)と言っているのですが、社員の数は150人、全員でお金を出し合って経営する「生協」(co-operative)方式なので、全員が社員であると同時に会社のオーナーでもある。給料は受付係も記者たちも全員同じなのだそうです。唯一の例外は編集長(editor-in-chief)で、この人は年金で生活しており無給です。
前身の"Eleftherotypia"は、いわゆる「左派系」の新聞であったのですが、ギリシャの経済危機の初期のころに破綻、実験としてこの新聞がスタートした。最近の危機の最中にも発行部数を昨年比で3分の2伸ばした。取材したObserverの記者は、「このようなご時世なのに部数が増えているということは、信頼できる情報はお金を払う価値あり(reliable
information is something worth paying for)と思われているということなのだろう」と書いています。無給の編集長は40年前に軍事政権によって政治犯として刑務所に入れられたという経歴の持ち主だそうですが
- 我々がギリシャを危機から救うことができるという壮大な理想でこの新聞を始めた。あれから3年、他の新聞は部数を減らしているのに我々は読者を増やしている。大新聞が信用を失っているということも理由の一つなのだろう。
We began with the very big idea that we would help Greece overcome the crisis. Now, after nearly three years, when other papers have seen their circulation fall, we have been gaining readers. Part of the reason is the loss of credibility of the big papers.
と言っている。前身の新聞が廃刊に追い込まれたときもアテネでは連日デモが続いていたけれど、その際にデモ隊が、当時のギリシャの体制に反発して叫んだ言葉は
- Thugs, Ruffians, Journalists!
悪党・ごろつき・ジャーナリスト
というものだった。
現在の記者たちの月給は800ユーロ。創刊当初は給料を払えないこともあったけれど、記者たちはそれでも雀の涙のような失業手当でその日暮らしをするよりはましだと考えていた。そのような生活には将来性がないが、ここで記者として仕事をしている分には、少なくとも仕事上の満足感がある・・・という感覚だった。
元ロイター通信の記者だった、政治担当の記者は
- 自分たちの新聞が作れ、しかもマーケットで存在感を示し、大きな尊敬を集めることができるなんてマジックそのものだ。
It was magic to create our own paper, to see it established in the market and earning a huge amount of respect.
と言っています。ただ記者たちにも不満はある。それはどんな仕事をやってももらえる給料が全員同じということで、これを不公平だと感じる記者も出てきている。ただ編集長によると、他紙へ移ろうという記者はいないのだそうです。
▼Efimerida ton Syntaktonという名前で検索すると、この新聞のサイトが出てくるのですが、ギリシャ語なのでまったくわからない。グーグルの翻訳システムに入れてみたら、現在の危機的状況について、特に農民が置かれた苦境を語っている(と思われる)社説らしきページがありました。ただ出てきた日本語はほんとど判読不可能だった。
▼Observerのレポートを読んでいると、「情熱的ジャーナリスト」たちのきれい事風のコメントが鼻につくと思ったのですが、考えてみると、ゼロから自分たちだけの力でスタートさせたのだから、頼りになるのは自分たちの記者としての理想やプライドしかないのですよね。
▼この記事には英国人と思われる読者からのコメントが投稿されていて「ギリシャのメディアは少数の金持ちによって支配されており、彼らがギリシャの腐敗政治を促進している」とした上で、この生協新聞の成功については「彼らにはその資格がある」(They fully deserve it)と激賞しています。こうなると、「少数の金持ち」に支配されているギリシャのメディア界のことが気になりますね。「緊縮反対」を叫ぶギリシャのデモ隊にとっての「敵」が「悪党・ごろつき・ジャーナリスト」であるということは、緊縮の犠牲になっていると感じている人びとの中には、記者という職業人を憎みきっている向きもあるということですよね。
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3) サラブレッドの時速
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あなたは競馬がお好きですか?私(むささび)は全然嫌いじゃないのです。と言っても賭け事としてのレースには全く興味がなく、カッコいい馬たちが走る姿を見るのが好きであるわけです。で、よろしければ付き合ってもらいたいのが、上の写真のレースなのですよ。これは昨年(2014年)6月19日に英国のバークシャーにあるアスコット競馬場で行われたメインレース
"Gold Cup" のビデオです。ここではエリザべス女王所有の "Estimate" を "Leading
Light" が首の差で破るシーンを見ることができます。
このレースの距離は2マイル・4ハロン(約4000メートル)、出走頭数は15頭、勝った"Leading Light"の走行時間は4分21秒09だった。4000メートルを約4分半で走ったということは、時速に直すとざっと55キロということになる。これは競走馬の速度としては速いのでしょうか?ウィキペディアにはこのレースの過去の記録というのが出ているのですが、時計で記録を取り始めたのが1950年(第一回のレースが行われたのは1807年)で、それ以後の最速は1988年にSadeemという馬が出した4分15秒67、いちばん遅いのが1963年の4分52秒95なのだから、"Leading Light"の4分21秒09は決して悪い記録ではない。
競馬の距離にはハロン(furlong)という単位が用いられます。1ハロン=200メートル。ネット情報によるとこれまでの世界最速記録は「1ハロン:9秒6」で、これは時速に直すと75キロということになるけれど、あくまでも瞬間的なスピードであって持続するような速さではないのだそうです。 |
▼ところで、最初に紹介した昨年のアスコット競馬"Gold Cup"で勝った"Leading Light"ですが、騎乗したジョゼフ・オブライエンという騎手が馬にムチを入れすぎたというので7日間の出場停止と3000ポンドの罰金を課せられたとのことであります。最終局面で11回ムチを入れてしまったのですが、これは規定を4回オーバーしているのだそうです。
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4)世界平和度指数が語るもの
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国際的な研究機関である平和経済研究所(Institute for Economics and Peace:IEP)が発表した2015年の世界平和度指数(Global Peace Index)は、現在の地球がどの程度「平和」なのかを数字で表しています。例えば
- 昨年(2014年)1年間、世界各地で発生した紛争のために費やされたコストは14兆3000億ドルですが、これは世界のGDPの13%にあたり、ブラジル、カナダ、フランス、ドイツ、スペイン、英国のGDPを合わせたのと同じ数字です。
- 世界的な傾向として言えるのは国内紛争の激化傾向であり、これによる死者は2010年では4万9000人であったのが、昨年は18万人にまで増えている。
- テロで殺された人の数は2013年の1年間で1万8000人、前年比で61%の増加です。そのほとんどがイラク、アフガニスタン、パキスタン、ナイジェリア、シリアにおける数字です。
- 2014年の調査時に比べて81カ国が「より平和」(more peaceful)、78カ国の「事態が悪化」(deteriorated)している。
- 世界で最も平和な地域はヨーロッパでベスト20のうち15カ国がヨーロッパの国です。
- 世界で「最も平和でない」(least peaceful)地域は中東と北アフリカで、テロ活動が最も盛んであり、国内の反政府運動も盛んに行われている。
IEPでは毎年、調査対象となった国の「平和度」を数字化してランキングを発表しています。これは例えば「近隣諸国との関係」「武器の輸出入」「暴力的なデモの可能性」など23項目にわたる平和に関係のありそうな基準について各国のスコアをつけ、全部を平均したものを総合スコアとしてそれぞれ比較してランク付けするものです。5段階評価で、数字が低いほど平和度が高いということになる。例えば2015年の平和度第1位のアイスランドの場合は「外国での紛争に参加」と「武器輸入」が[2.0]である以外はすべて[1.0]で、総合スコアは[1.148]となっている。
日本は総合スコアが[1.32229]で162カ国中の第8位。多くの基準が[1.0]なのですが、重火器の所有件数のスコアが[2.6]、さらに「隣国との関係」が[3.0]と極めて悪かった。英国は総合スコアが[1.685]の第39位、アメリカは[2.038]の第94位、中国は[2.264]で第124位などとなっています。平和度が最も低かったシリアは[3.645]となっている。ここをクリックすると詳細を見ることができます。
今回の報告書には "POSITIVE PEACE" という見出しのセクションがあります。「前向きの平和」という日本語が適切かも知れない。そのセクションのイントロには次のように書かれています
- 平和とは単に紛争がない状態以上のことを指す。Positive Peaceとは、平和な社会の基盤を強固なものとする人びとの姿勢、社会的な構造、そして伝統・慣習などを指すものと理解することができる。この調査によるならば、Positive Peaceのレベルが高い国ほど反政府の抵抗運動などが暴力化する可能性が低く、自分たちの要求に対する妥協を国家から引き出す可能性が高い。
Peace is more than just the absence of conflict. Positive peace can be understood as the attitudes, structures and institutions that underpin peaceful societies. The research shows that in countries with higher levels of Positive Peace, resistance movements are less likely to become violent and are more likely to successfully achieve concessions from the state.
▼この調査で平和度が最下位だったシリアですが、内戦が始まったのは2011年、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの数字によると、それ以来、死者が20万人、国内難民が650万人、国外難民が400万人などとなっています。シリアの人口(2013年現在)が約2300万であることを考えると、難民数1000万以上という数字がとてつもないものであることが分かります。
▼最後のPositive Peaceですが、むささびは「前向きの平和」という日本語を使いました。安倍さんのいう「積極的平和主義」とは異なると思うからであって、それが最善の日本語であるという自信はない。誰か教えてくれません?Positive Peaceの反対はNegative Peaceですよね。これは「とりあえず現在は紛争・戦争・暴力的対立がない状態」のことだそうです。それに対して、Positive Peaceは紛争があってもなくても、その国の人間がどの程度、戦争や紛争の要因になりそうな事柄(貧困・差別・政治腐敗・言論弾圧など)に気を配っているかということであり、政府がどの程度、国民の意識や世論の流れに敏感かつ理性的に対応する能力を有しているかということですね。
▼安倍さんのいう「積極的平和主義」(Proactive Pacifism)の場合、戦争・紛争を煽ったり、それを助長するような活動を行っている勢力をこちらから出かけて行って(proactively)叩き潰すことによって平和を実現するということですよね。フリージャーナリストの後藤さんがISISのテロで殺されてしまったことがあった。その直前に安倍さんがエジプトで「テロリストと戦うための資金を提供する」という趣旨の発言をした。テロリストは黙って見ていても無くならない、こちらから叩かなきゃ・・・という発想です。独裁者フセインを殺さないと世界中にテロが広がる、というブッシュ・ブレアの戦争コンビと同じ考え方です。はっきり言って、安倍さんにはPositive
Peaceは無理。
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世界の平和度比べ
日本の平和度・イラクの平和度 |
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5)金持ちをバカにしよう!
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4月23日付けの書評誌、London Review of Books(LRB)のサイトに
というエッセイが出ています。これは"Breadline Britain"という本と"Inequality and the 1 Per Cent”という本の書評を通して英国における不平等の問題を語っているものです。LRBの書評を書いたのはジェイミー・マーティン(Jamie Martin)というハーバード大学の歴史学者、ここ20年~30年ほどの間、世界を席巻してきた観のある「社会的な不平等の是正よりも経済成長を重視しよう」という考え方に疑問を呈しています。
いまから25年も前の1990年11月22日、当時の英国首相だったマーガレット・サッチャーが英国下院においてある野党議員に批判された。すなわち1979年に彼女の政権が誕生してから10年余、英国では「トップ10パーセントの富裕層と最貧困層10パーセントの格差が大きく広がっているではないか」ということだった。これに対してサッチャーさんは、自分の政権が誕生してからというもの、「あらゆる階層の人々の収入が増えている」(People
on all levels of income are better off than they were)としたうえで、次のようにやり返している。
サッチャーさんは、何でもかんでも平等であればいいという発想では「よりよい社会サービスを提供できるような富を生み出すことはできない」(one will never create the wealth for better social services)と主張したわけです。つまり社会から貧乏人が減るのであれば、誰かが大金持ちになったって構わないではないか、それより努力さえすれば貧乏人も金持ちになれる「自由」の方が望ましいではないかということだった。サッチャーさんは実はこの答弁をしてからほぼ1週間後に首相の座を降りており、この答弁は「サッチャー最後の反社会主義の弁」(Thatcher's Last Stand Against Socialism)などと言われています。
「貧困」とは何か?どのような状態のことを「極貧」(extreme poverty)と呼ぶのか?サッチャー流の考え方からすれば、飢餓状態(starvation)でない限り、「極貧」ではなく、現在の欧米社会では「飢餓」は事実上存在していない。あえて問題といえば「不平等」ということになるけれど、欧米社会では「下層階級」といえども、昔に比べればずいぶん生活が良くなっているのだから「不平等」など大した問題ではない。サッチャー政権で社会保障大臣だったジョン・ムーア(John Moore)は次のように言っていた。
- 世の中どんなに豊かになったとしても、所得格差による相対的な貧困は存在するものだ。これをもってケシカランと文句を言う「貧困ロビイスト」の定義に従えば、天国に行ったって貧困は存在することになるのだ。
However rich a society it will drag the incubus of relative poverty with it up the income scale. The poverty lobby would in their definition find poverty in Paradise.
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国民所得が上がったのなら自分たち(貧乏人)にも公平なシェアをよこすべきだという議論は成り立たない。シェアが「公平」でないとしても、貧乏人の生活そのものがレベルアップしているではないか。貧乏人はむしろそこまで生活水準が上がったことで資本主義に感謝すべきだ(they
should be grateful)・・・というのが格差解消よりも経済成長が大事だという考え方がたどり着く結論です。
確かにここ30年ほどで、英国の国民所得(national income)は倍増しており、パイは大きくなっていると言える。それに伴って貧乏人は貧乏人なりに生活が向上するのであれば、サッチャーさんの言うとおりなのかもしれないけれど、"Breadline Britain"によると次のような現象も事実としてある。
- 1980年代初頭と現在を比較すると、食事を抜きにする(skipping meals)人の数が2倍以上に増えている。
- 現在、「最低の生活水準」(minimum living standards)にも満たない生活をしている家庭は全体の33%で1980年代初頭に比べると倍増している。
- 1990年代に比べると、まともな暖房(adequate heating)や寝室のない住宅に暮らす家庭が3倍に増えている。
"Breadline Britain"によると、「貧困とは、とりも直さず富の分配の問題」(poverty is, first and foremost, a problem of distribution)なのである、と。一部の「リッチ」が「スーパーリッチ」になるに従って政治力を獲得、次第に国民所得の大きな部分を自分たちで支配するようになり、それを社会の底辺にいる人びとの生活を向上させるために使うことをしなくなるというわけです。そして富が一部のクラスに集中するに伴って低所得者層の生活が苦しくなる。それを是正するためには、(例えば)「スーパーリッチ」から多額の税金を取り立てて、貧困者の生活をよくするような政策を導入するという考え方になる。
一方、所得格差に伴う社会的不平等について「ゆっくりした革命」(slow revolution)を起こそうと呼びかけているのが "Inequality
and the 1 Per Cent" という本の著者でオックスフォード大学のダニー・ドーリング(Danny Dorling)教授です。 |
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リッチがスーパーリッチになり格差が生まれたとしても、社会全体がリッチになるのならいいではないか、金持ちよ、もっと金持ちになれ!(let the
rich get richer!)・・・というサッチャリズム流の考え方についてドーリング教授は、Guardianに寄稿したエッセイのなかで
- 一つの国において経済格差が大きくなればなるほど、そこで暮らす人びとは初めて会った時すぐに相手を「値踏み」しようとする傾向が強い。
The more economic inequality there is in a country, the more people are prone to instantly size up each others’ status upon meeting.
と言っている。相手が「尊敬に値しない」とわかると、すぐに別の方向に目をやるような仕草をするということです。
また米プリンストン大学の研究者たちが、学生たちにいろいろな写真を見せて、彼らの脳がどのように反応するのかをMRIスキャナーで調べたことがある。ホームレスとか麻薬常習者のような写真も含まれていたのですが、特に富裕層出身の学生たちの脳は全くの無反応であったのだそうです。ただ言葉による反応はあって、「ゴミの山に躓いた奴ら」(stumbled on a pile of trash)というものであったのだそうです。
ドーリング教授によると、いまの英国で「トップ1%」に入るためには年収が最低16万ポンドであることが要求されるのだそうです。むささびが記憶している金銭感覚でいうと、16万ポンドは(おそらく)1800万~2000万円という感じなのでないかと思います。いまの英国で子供たちを大学まで進学させるだけの財力があるのは「トップ1%」だけなのだそうです。
ドーリング教授のいわゆる「ゆっくり革命」を説明するのに教授が例に挙げるのが左の写真。15世紀ごろの英国の騎士の衣装なのですが、男の「あの部分」をカバーしている袋のようなものがありますよね。それをコッドピース(codpiece)というのですが、16世紀末ごろになると「ダサい」「カッコ悪い」というので全く流行らなくなったものらしい。ドーリング教授は現代の格差社会においてス-パーリッチが持っているとてつもない富をコッドピースに喩えており、彼の「ゆっくり革命」は、スーパーリッチに対して、とてつもない富を独占していることがダサくてカッコ悪いものであると思わせるような運動(ムーブメント)です。
- 金持ちは自制心に欠けることが多い。従って彼らを律するのは金持ち以外の我々の仕事であり、(彼らが富というダサいものを投げ出すように)彼らを仕向けることは我々にとってのみならず彼ら自身にとってもいいことなのだ。
The rich lack self-restraint and it is up to the rest of us to control these people - for their own good as well as ours.
というわけですが、ドーリング教授の主張についてジェイミー・マーティンは「一種の道徳革命」のようなものなのではないかとしながら、教授のいわゆる「ゆっくり革命」は具体的にどのように進めようというのか、またその革命の結果として世の中がどう変化するのかがいまいちピンと来ないと言っている。
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ジニ係数は、主に社会における所得分配の不平等さを測る指標で、所得分配の不平等さ以外にも、富の偏在性やエネルギー消費における不平等さなどに応用される(ウィキペディア)。このグラフで棒が高ければ高いほど不平等さが激しい国ということになります(OECDのデータ)。 |
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ただマーティンの解説によると、最近ではOECDのような組織でさえも不平等が経済成長そのものに「マイナスの影響」(negative impact
on growth)をもたらしていると言い始めているのだそうですね。OECDが昨年12月に発表した報告によると、1980年代からこれまでに、メキシコやニュージーランドでは不平等が故に経済力が10%低下したという数字が出ている。OECDよりもさらに金持ちクラブ的なIMFでさえ昨年4月に「成長の妨げになるのは不平等であって再分配ではない」(inequality, not redistribution, hurts growth)という報告書を出したりしている。つまりダサいとかカッコいいとかいう議論以前に、「不平等」が経済成長の妨げになっているという話もあるってことですね。
ジェイミー・マーティンは彼の書評のエッセイの締めくくりとして、ドイツの社会学者であるウォルガング・ストリーク(Wolfgang Streeck)の次の言葉を紹介しています。
- ここ何十年もにわたって経済成長は下落、不平等が顕著になり、負債が大きくなっているということを考えるならば、資本主義というものについて再度考察をする時期に来ているということが言える。すなわち資本主義といえども歴史の一幕としての現象であり、始まりがあれば終わりもあるということだ。
It is high time, in the light of decades of declining growth, rising inequality and increasing indebtedness to think again about capitalism as a historical phenomenon, one that has not just a beginning, but also an end.
▼ダニー・ドーリング教授の「ゆっくり革命」ですが、例えばビル・ゲイツのような「スーパーリッチ」を相手に「アンタは金持ちすぎてダサいね」などとバカにしてみても、「こいつ、アホか」と思われるだけ・・・と普通なら考えますよね。リッチになれない人間による「負け犬の遠吠え」である、と。ただ教授が、格差社会が内蔵している精神的・心理的な病根のようなものに目を向けていることは大いに評価するべきだと思いませんか?初対面の人間を「値踏み」(できるヤツ・できないヤツ)したがる癖、何かと言うと「勝ち組・負け組」に分けてしまう発想・・・教授によると、このような病根を「非暴力的」に除去しようとするのが「ゆっくり革命」のようです。
▼上に紹介した「ジニ係数の国際比較」を見ても分かるけれど、日本はいわゆる「先進国」の中でもあまり褒められたものではないのですよね。格差が激しい社会だということです。新幹線の中で身体に石油をかけて自殺した71才がいましたよね。ひとりの女性が巻き添えで亡くなってしまった。亡くなった女性は気の毒としか言いようがないし、彼女を死なせた71才には(むささびも)腹立たしい気持ちがしました。でも、ガソリンを購入して新幹線に乗り込んだ、あの高齢者の希望のなさがあまりにも悲しいとも思ったし、「自分がああでなくてよかった」と思う気にもならなかったわけ。
▼最後に紹介されているドイツの社会学者、ウォルガング・ストリークによると「資本主義にも終わりがある」というのは名言ですね。かつてカール・マルクスらは資本主義は必然的に共産主義にとって代わられると宣言、純粋なる共産主義社会の実現によって人類の歴史は頂点に達すると主張した。が、それはソ連崩壊という形で終わってしまった(ことになっている)。「それ見たことか」とサッチャーさんらは「資本主義こそが人類の最終到達点、歴史の終わりだ」と宣言した。しかしその資本主義もまたダニー・ドーリング教授が指摘するような病気を抱え込んでおり、やがて終焉を迎えるというわけです。
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むささびジャーナルの関連記事 |
「実力主義社会」は住みにくい… |
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6) どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら |
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sponging off:たかり
こんな表現、全く知りませんでしたが "sponging off" というの別の英語で言うと
- obtaining money from others without doing anything in return
となるんだそうですね。「お金をもらって何もお返しをしない」ということで、日本語でいうと「たかり」ということになるのではないか、と。この言葉が10日ほど前の英国メディアを賑わせたってことは日本のメディアでは報道されました?ロンドンのダゲナム(Dagenham)という地区に新しいコミュニティセンターが出来たのですが、その開所式に参加したある人物が、このセンターで働くことになっているボランティア・ワーカーの女性に
と声をかけてしまった。「あんた、誰からお金もらってるの?」ということですが、聞きようによっては「誰にたかって生活しているのか?」という意味にもとられかねない。発言の主?決まってるでしょ、あの人ですよ。エリザベス女王の旦那さんのエディンバラ公(Duke of Edinburgh)でんがな。この式典に女王が招かれたのについて来てしまったというわけ。
実はこの人、同じ会場でこのセンター設立のために資金集めに奔走した、ある慈善団体の関係者に向かって
- Do you have any friends left?
それでもまだ友だちはいます?
と言ったのだそうです。「他人にさんざたかってしまったのだからもう誰も口きいてくれないのでは?」という意味にとれますね。言われたその人は "Not many"(あんまりいませんね)と答えたらしいのですが、それに対する殿下の答えは "I guess so"(だろうな)であったそうです。尤も言われた本人はエディンバラ公との会話を「とても楽しかった」と言っているのですが・・・。
エディンバラ公は今年で94になるんですね。それだけに気短かになってきているらしく、王室の面々と家族写真を撮ったときのゴタゴタの様子もTelegraphのサイトに動画で出ているのですが、そのときに言い放ってしまった(それほど明瞭には聴こえない)のが、うろうろしているカメラマンに対する "Just
take the f***ing picture" という言葉だった。「早く撮っちまえよ、このお!」という感じですね。この人、はっきり言って、もう人前には出ない方がいいと思うけど・・・。 |
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7) むささびの鳴き声
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▼安保法制を審議する特別委員会が7月15日に「強行採決」した・・・何やらはるか昔のことのように感じます。翌日(7月16日)、共同通信のサイトにリンクしている地方紙32紙の社説を調べてみたらこの話題を取り上げていない新聞は5紙で残りの27紙はすべて社説でこの問題を扱っており、1紙を除いてすべて強行採決には批判的でした。一部だけ紹介すると次のようになる。
▼むささびは、過去においてこのようなチェックを2回やっている。一つは2013年末の283号で、話題は安倍さんの靖国訪問。このときは地方紙の世界では「1対25」で安倍さんの完敗。二度目は297号で「集団的自衛権閣議決定」がテーマ。この際も「2対27」で安倍さんの惨敗。そして今回は「1対26」で、安倍さんのノックアウト負けというわけです。
▼それにしても外交だの防衛だのという話になると、なぜ地方紙の世界の意見と安倍さんの政策はかくも極端に対立し、結果的には地方紙の社説がほぼ完全に無視されるのか?自民党議員にもそれぞれ「地元」というのがありますよね。その地元で最も親しまれている(はずの)新聞の社説が言っていることなど、どうでもいいと考えている・・・そうとしか思えないですよね。そのことについて地方紙の社説担当者らは何を想っているのでしょうか?
▼ただ、むささびが気になって仕方ないのは、ここに挙げた8つの社説の見出しだけ見ると、あまりにも似ているということなのですよ。京都新聞と中国新聞、中日新聞と西日本新聞などほとんど同じです(もちろん中身は違います)。何故こんなことになるのでしょうか?偶然ですか?かつて読売新聞の論説委員をつとめていた前澤猛さんが、新聞の「社説」というものについて次のように書いています。
- それは、誰か一個人の意見を代弁するものではなく、新聞社の総意、あるいは少なくとも社の信託を受けた論説委員たちの幅広い英知の集合といってもよいだろう(『表現の自由が呼吸していた時代』)。
▼むささびには、これらの地方紙の社説に見る「画一性」のようなものが気に入らないわけです。どれも同じ。とくにネット時代になって、九州の人だって北海道新聞が読めてしまうのがいまの時代です。そんなときに「どれも同じ」というのでは「英知の集合」とは思えない。例えば「安倍さん、あんた辞めなさい!」とか「これに賛成の地元議員は落選させよう」というようなことは言えないのか?ということです。「民意置き去りにした暴走」だという北海道新聞の社説担当者は、だからどうしろというのでしょうか?と、こんなことで文句を言っているのは事情を知らない素人ってこと?
▼日本経済新聞がファイナンシャル・タイムズ(FT)を買収したというニュースですが、7月23日付のガーディアンの社説は、メディアもグローバル化時代を迎えており、日経による買収は
"good news for the Financial Times" と言っています。ウソかホントか知りませんが、日経の買収費用をFTに雇われているジャーナリストの数で割ると一人あたり240万ドルになるとFTのコラムニストが自分のツイッターで言っており、彼は「安い買い物じゃん(A goddamn bargain if you ask me.)」と申しております。
▼5番目に紹介した英国における社会的不平等の記事の中で、オックスフォード大学のドーリング教授が触れている数字として「現在の英国でスーパーリッチであるためには少なくとも16万ポンド(約25万ドル)の年収が必要」というのがある。日経による買収費用でFTのコラムニストの言うことが本当だとすると、240万ドルというのは、英国のスーパーリッチの年収10年分ということになりますね。この記事を読みながら2番目に掲載したギリシャの「記者たちの新聞」における給料を考えると心底複雑な気分になる。かなり前に亡くなったジャーナリストのアンソニー・サンプソンは、大新聞の有名コラムニストたちついて「彼らのほとんどが、内面では自分たちの職業の持つ限界と頼りなさにびくびくしている」と言っている(むささびジャーナル153号)。オーナーに嫌われたりすることが恐怖なのだそうであります。
▼BBCのサイトには面白い数字が出ていました。FTと日経の読者数です。FTは合計で72万人なのですが、内訳がネット版の読者が約50万、紙の読者が22万です。日経のネット版の読者は43万なのですが、紙の読者が約270万もいる。270万は発行部数のことだと思う。英国の新聞社経営者にとって、いまだに紙の新聞(しかもビジネス紙)が270万も売れているなんて信じられないことでしょうね。
▼それにしても日経のFT買収を日本の他の新聞社はどのように受け取ったのでしょうか。ロンドンの金融街で "Nihon Keizai Shimbun" と言っても通じないかもしれないけれど "Nikkei" と言えば誰でもわかる。でもYomiuri ShimbunとかAsahi Shimbunとか言っても「なんですか、それ?」で終わり。一般紙の皆さんは外国の新聞の買収を考えたことがあるのでしょうか?日本国内の「お山の大将争い」で忙しくてそれどころではない?
▼我慢するっきゃない暑さだってのにダラダラと失礼しました! |
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