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326号 2015/8/23
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
科学誌 "Discover" のサイトによると、2015年7月という月は1800年以後の記録に残っている1626カ月の中で最も暑い月であったそうです。20世紀における海洋表面温度の平均は16.4度だったのですが、先月はそれを0.75度上回ったのだとか・・・。埼玉県の住人としては、海の表面温度などと言われてもよく分からないけれど、あの暑さが異常であったことは確かだった。

目次

1)仕事の意味と無意味
2)オリンピックを古代に戻そう!
3)"Pacifism"って何?
4)「平和国家」が世界を武装する?
5)「安倍談話」の読まれ方
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)仕事の意味と無意味

今年の初め頃のロンドン、地下鉄の社内や駅の構内に奇妙なポスター広告が張り出され、書かれた文章の中身が話題になったことがある。2枚あってそれぞれ次のようなことが書いてあった。

  • It's as if someone were out there making up pointless jobs for the sake of keeping us all working.
    まるで誰かが、俺たちを働かせるためにだけ無意味な仕事を作り出したみたいだ。
  • Huge swathes of people spend their days performing tasks they secretly believe do not really need to be performed.
    大変な数の人間たちが、自分たち自身が必要ないと密かに思っている仕事をやりながら毎日を過ごしているのだ・・・

この二つの文章はいずれもSTRIKE!という、ややアングラ的な雑誌に掲載されて、大いに話題になった "On the phenomena of bullshit jobs" というタイトルのエッセイからの引用だった。bullshitは「くだらない」とか「無意味な」という意味だから、このタイトルの意味は「くだらない仕事現象について」ということになる。ロンドンの勤め人たちは「我々のやっている仕事なんて、どれもくだらないものばかりだ」という「嘆き」とも「怒り」ともとれるこのメッセージを毎日の出勤途中で読まされていたというわけです。

この広告が話題になったことを受けて、YouGovという世論調査会社が英国人の仕事に対する意識調査を行ったところ、次のような結果が出た。

  • 「充足」が何によって得られているのかにもよるけれど、「充足感なし」という人の割合が最も高いのはロンドンなのだそうです。
  • 自分の仕事が世の中に意味のある貢献(meaningful contribution)をしているとは思わないという人が3割以上いるわけですが、その人たちの中でこれから1年の間に職場を変える可能性が高いと考えている人は35%で、半数以上(53%)が「変えない」と言っている。また自分の仕事が無意味だと考えるのは女性よりも男性に多いのだそうですね。
  • 初対面で仕事の話になったときに、英国やアメリカではおそらく "What do you do?" と聞くと思うけれど、日本ではかなりの確率で「どちらへお勤めですか?」と聞くのでは?仕事ではなくて勤務先を聞く。で、勤務先の名前を言うと初めて「どんなお仕事で?」となる。日本では「所属」が問題なのよね。
このエッセイの筆者はロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のデイビッド・グレバー教授で、エッセイの趣旨は、いまから80年以上も前にジョン・メイナード・ケインズという経済学者が予測したことが必ずしも正しくなかったことを語るものだった。ケインズは、さまざまな技術開発や機械の発明によって人間は今ほどあくせく働く必要がなくなり、英国やアメリカのような国では20世紀末頃までには1週間15時間労働(15-hour work week)が定着しているであろうと予測したのですね。

が、グレバー教授によると、ケインズの予測は外れた。確かにオートメーションを始めとする新しい技術開発は実現したけれど、ケインズのころには予想もしなかったような新しい産業や職場も出てきた。そして新しく生まれた職業の中には、世の中のために役に立っているとはとても思えないような仕事、それがなくても誰も困らないような仕事・・・つまり「くだらない仕事」(bullshit jobs)がわんさか登場してしまったおかげで、労働者が最初に紹介した張り紙メッセージのような状態におかれるようになったというわけです。

▼あなたは上のような質問をされたらどのように答えますか?このエッセイの中で、現代社会が生んだ "bullshit jobs" (無意味な仕事)の例の中に「PRマン」というのがありました。お笑いください、むささびの仕事がそれであったのですよ。確かに世の中の役に立っているとは思えなかったし、現にPR会社や企業の広報部なんてあってもなくても世の中動いていきますよね。

▼このアンケート調査のきっかけとなった"On the phenomena of bullshit jobs"は、現代人の精神的な問題を語っていてとても面白そうであります。が、相当に長いので、別の機会にきっちり紹介させてもらいます。
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2)オリンピックを古代に戻そう!

オリンピック関連の記事をいくつか紹介します。

まず、最近、2024年の開催都市として立候補を断念したアメリカのボストンですが、ボストン・グローブ紙のコラムニスト、ジョアン・ベノッチ(Joan Vennochi)は8月1日付の同紙に「古いボストンにさよならを言おう」(Say farewell to old Boston)というエッセイを載せています。彼女のいう「古いボストン」とは、不動産開発業者、建設業者、PR会社およびこれらと利害関係をともにする政治家や「市の偉いさんたち」(city’s elite)・・・要するに五輪招致に血眼になっていたもろもろの関係者のことです。中には野球のボストン・レッドソックスのスターも含まれている。

ベノッチによると、五輪招致に反対した人びとのなかには「古き良きボストンが壊される」ことを快く思わない年寄りエリートたちもいたけれど、反対運動の中心だったのは、FacebookやTwitterのようなソシアルメディアを駆使して運動を展開した "No Boston Olympics" という若者のグループだった。彼らのメッセージは "thinking smart" で、オリンピックではボストンの将来は築けないと訴えた。で、最初は誘致に乗り気だった市長も米国五輪委員会(USOC)から、開催予算がオーバーした場合はボストン市が追加分を負担すべしとする契約を迫られてノーと言わざるを得なかった。

次に紹介するのが今年2月28日付けのThe Economistに出ていた "Sporting mega-events: Just say no"(スポーツ関連の巨大イベントなんて止めたほうが利口だ)という記事です。これは実はアメリカのアンドリュー・ジンバリスト(Andrew Zimbalist)というスポーツ経済学者(そんなものがあるんですね)が書いた「極限のサーカス」(Circus Maximus)という本の紹介です。この本のサブタイトルは
  • The Economic Gamble Behind Hosting the Olympics and the World Cup
    オリンピックとワールドカップを主催するについての経済的ギャンブル
となっている。

オリンピックやワールドカップのような世界的なイベントを開催するには大変なコストがかかる。しかし開催都市や主催国はこれらのイベントを通じて世界中の注目の的になり、観光収入は莫大なものになるであろうし、イベントを機にインフラ整備も行われたりして、その経済的な効果も計り知れないほど大きい。だから・・・というのが、これらのメガイベントを招致する人びとの考えですね。

実際、2012年のロンドン五輪が生み出した収入は、テレビ放映権、入場券販売、さまざまなライセンス使用料とスポンサーシップなどを併せて520億ドルだったそうです。これが全部、ロンドンの懐に入るのであれば英国にとってもロンドンにとっても万々歳だった。特にロンドンのように、もともとホテルや競技場のような「インフラ」はそれなりに整備されているような都市の場合、既存のものを利用すれば十分に黒字であったはずである、と。

が、ジンバリストによると、ここ数十年、五輪収入についてのIOCの取り分がすごいのだそうです。例えばTV放映権収入の半分以上がIOCに行ってしまう。1960年~1980年のころの五輪ではIOCの取り分は4%~10%に過ぎなかったのに、です。観光収入というけれど、北京(2008年)の場合もロンドンの場合も五輪の年の観光客は前の年に比べて減っているのだそうですね。TV放映権収入は、五輪収入全体の半分を占めるのですが、1964年の東京五輪の場合、160万ドルで、その殆どが東京への収入になったのですが、2012年のロンドン五輪の場合、収入は25億6900万ドル、うち51%はIOCの懐に入ったというわけです。


▼上段のグラフでも分かるけれど、2012年(ロンドン)のテレビ放映権による収入は1964年(東京)の1600倍以上にまで増えており、しかもIOCの取り分が10倍以上に増えている。この数字そのものが異常だと思いません?IOCのサイトによると、オリンピックによる収入の内訳は、放送権収入が47%でトップなのですが、2番目がスポンサー企業からの収入で45%、次いで入場券販売(5%)や商品のライセンシング(3%)からの収入となっている。つまり事実上、テレビ局とスポンサー企業がオリンピックをやっていると言っても言い過ぎではないということになる。東京五輪(2020)だって酷暑の中でやる必要などないのにそうするのは、テレビ局とスポンサーの意向なのではないか?と勘ぐりたくなる。

FIFAの場合、ワールドカップのゲームそのものの実施予算はFIFAが出すということになっているのだそうですね。しかしワールドカップであれ、オリンピックであれ、最もお金がかかるのは、ゲームそのものではなく、会場建設やそれに伴う交通網のようなインフラ建設でこれはすべてホスト側の負担となる。FIFAもIOCも表立って新しい施設の建設を求めることはないけれど、これまでのホスト選択を見ると、やはり見た目にも派手な競技会場を提示した都市や国が選ばれている事実は否定できない、とThe Economistの記事は指摘します。

7月28日付のワシントン・ポスト紙のサイトにメリーランド大学で都市計画を研究するジョン・ショート教授の寄稿エッセイが出ているのですが、その中に驚くような数字が出ています。すなわちオリンピック関連の施設建設に伴って立ち退きをさせられた人の数です。これまでの20大会の合計が2000万人だそうです。1大会平均100万人ということです!例えば1988年のソウル五輪の場合、低所得者層が暮らすエリアに関連施設が作られたため75万人が「移住」させられ、アトランタ五輪(1996年)のときは黒人街の住人3万人が立ち退きを余儀なくされた。すごいのは2008年の北京五輪で、125万人が自分の住んでいるエリアを離れたのだそうです。

左は北京五輪のビーチバレー会場(五輪開催当時)、右は現在の様子

アンドリュー・ジンバリストによると、巨額の税金を使って作られた施設もイベントが終わってしまうと、「無用の長物」(white elephants)と化してしまうケースがあまりにも多い。アテネ五輪(2004年)のバレーボール会場は、ホームレスがたむろする施設になっているし、ソフトボール会場は樹木が生え放題、北京五輪(2008年)自転車競技会場は草ぼうぼう、つい昨年(2014年)ブラジルで行われたワールドカップの会場の一つなどは、4万人収容のはずなのに、現在使っているのは観客が1500人程度という「二軍戦」だけという具合です。

こうした状況ではさすがに立候補する国も都市も減っている。例えば2004年の五輪ホストにアテネが選ばれたときは12都市が立候補していたけれど、2020年(東京)の場合はわずか5都市、2022年の冬の五輪(北京)の場合は、最初は立候補する予定だったオスロー(ノルウェー)が降りてしまったので、立候補地は北京とカザフスタンのアルマティという都市だけだった。2028年が前回のアムステルダム五輪(1928年)から100年目にあたるというので、オランダ政府も立候補を検討中なのですが、とてつもないコストを考えると「五輪は非民主主義の国が国威発揚のために行うもの」という意見も出ており話が進まないのだそうです。

というわけで、アンドリュー・ジンバリストなどは、IOCもFIFAも新しい競技会場の建設を奨励するかのような態度を改めて既存の会場の利用を奨励することが肝心だと言っている。ただ前出のメリーランド大学のジョン・ショート教授はさらに「画期的」と思われる提案をしている。
  • We should host the Olympics in the same place every time
    オリンピックのホストは常に同じ都市であるべきだ。
つまりオリンピックに関しては世界の都市における持ち回り開催というアイデアを止めにして、どこか一か所を「オリンピックの町」に決めて、夏の五輪といえば常にその町でのみ開かれることにするというものです。もともと五輪が持ち回りで開催されるようになったのは、近代オリンピックが始まった1896年(アテネ)のことであり、それまでの「古代オリンピック」常にギリシャのオリンピアで開かれていたではないかというわけです。言えてる!

▼結局ぽしゃってしまったザハ・ハディドさんの新国立競技場のデザインについて、審査委員長をつとめた安藤忠雄さんが記者会見で「世界に日本の先進性を発信し、優れた日本の技術をアピールできるデザインを高く評価」したことが最優秀賞の理由であると述べたのですよね。これに対して建築家の槇文彦氏は、「世界に日本の先進性を発信・・・」という「見せびらかし」の発想そのものが、2008年の北京五輪の感覚と全く同じであると批判していたのですよね。彼によると、ザハ・ハディド案は「無用の長物」(white elephant)である、と。

▼むささびによると、オリンピックを開催しようという考え方そのものが「見せびらかし」の欲求なのですよね。つまり五輪開催に狂喜乱舞している人たちのアタマからすると「世界をあっと言わせる」ことが重要なのだということですね。で、上の記事を読むと、いまではその発想そのものが続かなくなっているということが見えてくる。1964年の東京五輪のころは日本人もまだ無邪気に興奮していたけれど、大震災や原発事故があって、しかも財政は大赤字というような背景では「日本人の凄さを世界中に見せつけよう!」などとアジられても白けるだけということですね。はっきり言って、時代遅れってこと。
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3) "Pacifism"って何?

8月15日は、、日本では終戦記念日ですが、英国では「対日戦勝記念日」(VJ Day)というわけで、英国全土でさまざまな式典が行われました。むささびが気になったのは、アイルランドではこの日はどのようにして「記念」するのかということです。英国の一部である北アイルランドではそれなりのメモリアル・サービスが行われたりしたのですが、第二次大戦中は「中立」を保った南のアイルランド本国の人びとはどのような気持ちで8月15日を迎えたのか?

アイリッシュ・タイムズ(Irish Times)という新聞のサイト(8月15日)に "VJ Day 70 years on: Irish connections"(70年後のVJ Dayとアイルランド)という記事が出ているのですが、それによるとアイルランドの「中立」政策というのもそれほど完全なものではあり得なかったようですね。

例えばケリーマン・オコネルという人にとってVJ Dayは「複雑かつ繊細で微妙な問題」(quite extraordinarily complex, delicate and sensitive issue)なのだそうです。彼は1941年に日本軍がシンガポールを爆撃したときに5才の少年としてシンガポールにいた。父親は現地の警察訓練所の長官をやっていた。

結局、家族はアイルランドに帰り着くことができたけれど、いま腑に落ちない気分でいるのは、なぜ北アイルランドではVJ Dayがあるのに南ではないのかということだそうです。アイルランドの公式な説明によると、「当時のアイルランドは中立であり、アイルランドにとって第二次世界大戦というのは存在しないのであり、軍人であれ民間人であれ、アイルランド国民がこの戦争に参加したことはない」ということになる。

実際、オコネルは、アイルランド独立運動の指導者、エイモン・デ・ヴァレラの下で中立を堅持していたアイルランド自由国(Irish Free State)は、「非常事態」(the Emergency)にもかかわらず比較的平和で静かな状況だったのであり、それ自体は悪いことではなかった(その頃のアイルランドでは「戦争」ではなく「非常事態」という言葉が使われたのだそうです)と考えてはいるのですが・・・。
  • しかしながら、かなりの数のアイルランド国民とその親戚・縁者にとって、実態はそれほど単純ではなかったのだから、今、せめて目立たない形で非公式のVJ Dayの行事などはあってもいいのではないか。
    However, for a significant number of Irish citizens, (and their descendants or relatives), the actual situation was somewhat more complicated. It would have been nice to have had a discreet semi-official occasion.
と言っています。

一方、フランシス・ベイは1923年生まれだから今年で92才になる。二十歳のころにイングランドで英国陸軍の工兵隊(Royal Engineers)に志願入隊、インド経由でビルマに送られて橋や戦場病院の建設に従事したりしているうちに病にかかり、部隊とは離れ離れになる。彼によると、あの戦争は「単なる歴史の一コマなどではない」(not a piece of history)。自分の人生に直接影響を与えたもの(directly affected my life)である、と。

1945年8月に広島と長崎に原爆が投下されたとき、「原爆投下は間違っている」と主張して自分の同僚の兵士たちと大激論になった。この考えはいまでも変わっておらず、
  • 私は平和主義者ではない。守る価値があるものは守らなければならない。しかし武力行使にも限度というものがある。原爆の威力を見せつけたいのなら、アメリカはそれを離れ小島の砂漠地帯にでも落とすことだってできたはずだ。何十万もの人びとを殺すことはない。これだけは許すことができない。
    I’m not a pacifist. We have to defend what is worth defending, but there are limits to which one should go. I can’t understand why the Americans could not have dropped the bomb on a desert island as a demonstration instead of killing hundreds of thousands of people. I can’t reconcile that.
という文章を最近Irish Timesに投書したのだそうです。

Irish Timesのこの記事には、これ以外にも父親が気象学者として香港の天文台で仕事をしていたときに進駐してきた日本軍に捕まって捕虜収容所に入れられて飢餓状態に陥った際に、現地の中国人が塀越しに食料をくれたという話を聞いたという女性のコメントなども掲載されています。

▼「原爆投下は間違っている」と考えている92才のフランシス・ベイが新聞に投書する中で "I’m not a pacifist" という言葉を使っていますね。むささびには "pacifist" とか "pacifism" という言葉が気になるのでありまよ。日本国憲法のことを「平和憲法」という場合、"constitution of pacifism" とか "pacifist constitution" という言い方をしますよね。フランシス・ベイのコメントについてむささびは「私は平和主義者ではない」という日本語を使ったのですが、ひょっとすると「非戦主義者」という日本語の方がいいのかも?

▼あちらの辞書によると、"pacifism" とは "the belief that war is wrong, and therefore that to fight in a war is wrong" と説明されています。「戦争は間違っており、従って戦争で戦うことは間違っているという考えかた」ということですね。7月初めあたりから8月中旬にかけて日本のメディア(特にテレビ)は「戦争体験を語り継ぐ」番組で埋め尽くされていましたよね。いずれもあの戦争の悲惨な状況を掘り起こしたうえで「もう二度と戦争をしてはいけない」という関係者のコメントで締めくくりとなっていましたね。日本中が"pacifists"だった。

▼この92才のアイルランド人は、原爆投下は許せないけれど「守る価値があるものは守らなければならない」と言っている。ここでは「武力を使ってでも」という言葉が省略されている。"I’m not a pacifist"とはそういう意味ですよね。戦争そのものが絶対悪ではない・・・という意味でもあるよね?ね?
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4) 「平和国家」が世界を武装する

8月17日付のファイナンシャル・タイムズ(FT)のサイトに、日本の武器輸出に関する記事が出ています。題して
  • Japan: A pacifist’s plan to arm the world
    世界を武装する平和国家・日本の計画
というわけで、イントロは「安倍首相が期待するのは武器輸出によって日本の産業基盤がより強化されて中国に対抗することができるようになるということだ」(PM hopes defence exports will boost the country’s industrial base and counter China’s rise)となっています。FTの記事はかなり長くて詳細なものなので、この話題については素人のむささびとしては自分の理解できる範囲でのみポイントだけピックアップしてみます。ここをクリックすると原文を読むことができます。

FTの記事によると、日本は過去70年間、防衛産業の分野では「眠れる巨人」(slumbering giant)であったけれど、昨年(2014年)4月に「積極的平和主義」(proactive pacifisim)という謳い文句とともに、それまでの「武器輸出三原則」に代わって「防衛装備移転三原則」なるものを導入することで武器輸出を可能にすることに閣議決定したのですよね。

日本には軍用機器や関連部品のメーカーは3000社あると推定されるのだそうですが、自分たちの防衛関連ビジネスについては余り語りたがらない。特に三菱重工、小松製作所、IHIのような大企業は企業収入に占める防衛関連の製品や技術による割合が1~11%と非常に小さい(アメリカの同種企業の場合は60~90%)ということがあるのだそうです。

また日本の関連企業にとって顧客は自衛隊しかなく、その購入予算も大きくはない。2011年度の自衛隊の機器購入予算は67億ドル、2019年でさえも73億ドルに過ぎない。それに比べて中国軍の武器購入予算は2011年度で181億ドル、2019年には468億ドルにまで膨らむと予想されている、とFTは言っている。

安倍首相は中国、韓国との外交関係の点ではそれらしい成果を全く挙げていないけれど、それ以外の国々との関係については大いに外交官として活躍しており、日本製の潜水艦や哨戒機のような主要防衛システムを、ロシア・中国・北朝鮮などと国境を接する国々に売り込むことに熱心だ。それはそのことによって日本の国際政治の面における立場も強くなると分かっているからだ、とFTは言っており、
  • 長期的に見ると、日本は世界でも十分に通用する武器システムを広範囲に提供することができるし、メーカーは自国の自衛隊以外の顧客を求めてうずうずしている。
    In the longer term, Japan offers a formidable choice of fully fledged weapon systems whose manufacturers are itching for customers other than Japan’s own Self-Defence Forces.
と強調しています。

▼むささびが殆ど知識のない「防衛産業」などという分野の記事を紹介する気になったのは、この夏のメディアを埋め尽くしたかのように思える「二度と戦争をしてはならない!」という、ほとんど悲鳴に近いような叫びに比べると、このような「死の商人」(merchants of death)たちの動きがあまりにも裏腹であるからです。原爆・沖縄戦・特攻隊などにまつわる話を語り継ごうと呼びかけるようなテレビ番組に日本人が大きく(涙まで流しながら)頷いている一方で、シリア、イエメン、イラクなどでは延々と破壊が続けられており、欧米・ロシア・中国などが武器輸出で稼いでいる・・・という風景に日本も参加して一儲けしようということですよね。安倍さんのいわゆる「積極的平和外交」もその一環である、と。

▼もう一つ、興味があったのは、前号で触れた日本経済新聞のFT買収との関連です。英国メディアの間では、FTの編集権の独立ということが盛んに言われていましたよね。これら「日本の」防衛産業について報道することに日経がどの程度熱心なのか?FTのこの記事は、必ずしも防衛ビジネスに批判的ではないけれど、いろいろな企業の名前が出てくるような記事を掲載することに「親会社」である日経は何を思うのか?これまでの日経はどの程度、防衛産業の報道に力を入れてきたのか?気になる。
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5)「安倍談話」の読まれ方
8月14日に発表された安倍さんの「70年談話」については、英国メディアはそれぞれかなり詳しく伝えています。ほぼ共通しているのは、安倍さんが「新たな謝罪」(fresh apology)をしなかったということで、韓国や中国が批判的であるということなのですが、もう一つ共通して取り上げられていたのが、安倍談話の次の部分だった。
  • あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
    We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with the war, be predestined to apologise.
実際には安倍さんはこれに続けて
  • しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。
    Even so, we Japanese, across generations, must squarely face history. We have a responsibility to inherit the past, in all humbleness, and pass it on to the future.
と言っており、両方あわせて「延々と謝罪を続けることはないけれど、謙虚な気持ちを持ちましょう」という具合に、何となくバランスをとったような段落になっているのですが、英国のメディアの多くが使ったのは前段の発言だったわけ。

Guardian:この部分をすべて(前段も後段も)安倍さんの原稿のとおりに伝えています。記事そのものの見出しは "Japanese PM Shinzo Abe stops short of new apology in war anniversary speech" というわけで、安倍さんが「新しい謝罪」を表明しなかったことに焦点を当てたものになっています。

Financial Times:日本が永遠に謝り続けるつもりはない(the country does not intend to keep apologising for ever)という安倍さんの「意図」を具体的に表すものとして "We must not let our children..." の文章を特別な見出しとして使っている。

The Independent:戦後世代が「永遠に謝罪を続ける宿命を背負ってはならない」(must not be predestined to apologise)と言ったうえで「それでもなお・・・」という後段も伝えている。

BBC:「あの戦争には・・・背負わせてはなりません」の部分を伝えたうえで、次のような解説を加えている。
  • 安倍氏は注意深く綱渡りをしたのだと言える。即ち、過去の(政府の)謝罪は維持しながらも、将来の世代までもが終わることなく永遠に謝罪を続けるようなことがあってはならない・・・と伝えたのだ
    Mr Abe walked a careful line, maintaining previous apologies, but also saying future generations should not have to go on apologising endlessly.
Telegraph:保守派の代表格のような新聞ですが、「永遠に謝り続ける・・・」の部分を見出しで使っている。
  • Japan PM expresses Second World War remorse, but says next generation need not apologise
「第二次世界大戦についての自責の念を表明したが、同時に次の世代までが謝罪する必要はないと発言した」ということですね。Telegraphは記事の導入部でもこのことに触れて
  • emphasised that future generations should not have to keep saying sorry.
と言っている。見出しと同じことなのですが "emphasise" とか "keep saying sorry"(ごめんなさいを言い続ける)というように、記者独自の言葉で安倍さんのメッセージを書き直しているところが、首相官邸から配布されたであろう演説原稿の言葉(predestined to apologise)をそのままコピペしていない点で他とはちょっと違う。

Daily Mail:これはTelegraph以上に独自の見出しをつけている。例によって異常に長い見出しです!
  • Japan shouldn't have to keep apologising for Second World War: Prime Minister expresses 'profound grief' as he marks 70th anniversary of surrender but says it's time to move on
    日本は第二次世界大戦について謝罪し続ける必要はない:日本の首相は降伏70年周年にあたり、そのように発言したが、前へ進むべきときでもあるとも発言した。
というわけです。安倍さんの原稿は "it's time to move on" などとはどこにも書いていない(と思う)のですが・・・。Daily Mailのサイトは英語圏のニュースサイトとしてはヒット件数ナンバーワンと言われる人気を誇ります。読者は英国よりもアメリカやオーストラリアに多い。安倍談話を伝える記事についても読者からのコメントが寄せられています。
  • 謝罪のことなど全く知らなかったけれど、謝ったのならそれで正しい。70年も前のことだよ。ほとんど当事者は死んでしまっている。一回だけ真面目に謝れば十分。前進あるのみだ。(オーストラリア人)
  • 全くそのとおりだ。いまは前進するときだ。みんなで協力してISISをやっつけよう。(英国人)
  • 自分の祖父は日本の捕虜収容所に入れられていた。とてもじゃないが「前進しよう」などというわけにはいかない彼らの残虐さは全く許しがたいものだ。(オーストラリア人)
  • 第一に日本は本当には何も謝っていない。第二に彼らは学校で、戦争を始めたのはアメリカだと教えたりしている。自分たちが悪かったとはっきりと認めるならば謝罪は止めても構わないだろう。メリカ人
  • の件についての投稿を読んでいると、歴史に対する投稿者の知識のなさ加減に怖ろしくなってくる(truly frightening)。学校へ行かなかったか、行ったとしてもほとんど勉強しなかったかのどちらかだろう。(英国
安倍さんとは無関係ですが、いまから4年前の2011年5月18日、英国の王室として初めてアイルランドを国賓訪問したエリザベス女王が、アイルランド政府主催の晩餐会で演説を行ったことがあります(むささびジャーナル215号)。そのときの原稿はここをクリックすると読むことができますが、1カ所だけBBCによると「謝罪にかなり近い」(pretty close)とされた部分を紹介すると:
  • To all those who have suffered as a consequence of our troubled past I extend my sincere thoughts and deep sympathy. With the benefit of historical hindsight we can all see things which we would wish had been done differently or not at all.
    我々の困難に満ちた過去の結果として、苦しみを味わった人々すべてに対して、私は心からの想いと深い同情を捧げるものであります。いまになって歴史を振り返って見ると、私たちは"あのようなやり方をしなければよかったのに"とか"あのようなことはしなければよかったのに"と言うことができます
安倍さんは、国内外の戦争犠牲者に対して「痛惜の念」や「永劫の、哀悼の誠」を捧げると言っています。女王は、昔さんざひどい目にあわせてしまったアイルランド人に対して "my sincere thoughts and deep sympathy" を捧げると言っている。エリザベス女王の言葉の方が分かりやすいと思いません?「永劫の、哀悼の誠」なんて、聞いたことないもんね。

あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません・・・この部分、どうもピンと来ないのですよ、むささびには。主語は誰なのか?英語では "we" となっているから「我々」が主語である、と。「我々」って誰のこと?現代の日本人のことですよね。「我々は・・・宿命を背負わせてはなりません」ということですよね。でもそのために何をしようと言っているのか?分かります?

▼むささびは安倍さんが談話を発表する模様を生で見るのはなく、後ほどネットで談話の文章を読みました。そして最も強く印象に残ったのは、「談話」の長さだった。日本語で3354文字、英語で1663語。これは「談話」というよりも「エッセイ」という長さだったのでは?エリザベス女王のアイルランドにおけるスピーチは安倍談話の約半分(862語)だった。ちなみに20年前の「村山談話」の場合は日本語1282文字、英語658語だった。

▼安倍談話は最初から700語ほどを使って、明治維新から日露戦争、第一次世界大戦における日本の歴史を語っており、まるで歴史の教科書を読んでいるような錯覚に陥るのですが、このあたりのことについて、ファイナンシャル・タイムズが極めて鋭い(とむささびは思う)指摘をしています。
  • Mr Abe said he upheld past apologies but reframed them in a more nationalist narrative about resistance to western colonialism.
    安倍氏は過去の政府による謝罪を尊重すると言いながらも、それをこれまでとは異なる額縁に入れている。即ち国家主義的な発想を欧米の植民地主義への抵抗という額縁に入れ替えているのである。
▼つまり日本が植民地主義的な侵略行為を犯すにいたった、明治維新以来の諸々(特にヨーロッパ列強のアジア進出)を詳しく語ることで、アジアを欧米の植民地主義から解放しようとした日本の行為にも一理あったのだと思わせようとしている、と。この指摘は鋭いと(むささびは)思うわけです。

▼むささびの想像によると、安倍さんの取り巻きたちはFTが指摘するような意図をもってやたらと長い演説原稿を書き上げたけれど、彼らにとってのターゲットは中国人や韓国人、欧米人たちではなく、日本人だった。日本人に対して「我々の祖先のやったことは皆が考えているほど悪いことではない。自信持ちなさい、自信を」と伝えたかった。違います?
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Fukuyama教授の安倍首相警戒論
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6) どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 

idioms:イディオム(慣用句)

その国の人でないと理解できないような表現は日本語にはわんさとありますよね。「口が軽い」、「顔を立てる」、「目を丸くする」などなど。初めて聞くガイジンさんには理解不能ですよね。英語にだって結構ある。雨が土砂降りになることを、なぜか "raining cats and dogs" と言うし、"Ball is in your court" は「あなた次第ですよ」という意味です。ネットを見ていたら世界中の面白いイディオム(Unusual Idioms From Around The World)というのがありました。いくつか紹介すると・・・。

イディオム 意味
フィンランド to let a frog out of your mouth
口からカエルを出す
to say the wrong thing
間違った事を言う
ロシア to ride as a hare
野うさぎ乗車
to travel without a ticket
無賃乗車
スペイン to give someone pumpkins
かぼちゃをあげる
to reject somebody
会うことや付き合うことを拒否する
ドイツ a cat's jump
ネコのジャンプ
a short distance away
すぐそこ
ポーランド not my circus, not my monkeys
私のサーカスじゃないし、私の猿でもない
not my problem
私の知ったこっちゃない

という具合にいろいろと出ておりますが、日本語のイディオムについては何が掲載されていると思います?
  • to have a wide face
でありますね。お分かりですよね。「顔が広い」つまり "to have many friends"というわけです。「平べったい顔の持ち主」ではない。となると
  • 口が軽い:to have a light mouth
  • 顔を立てる:to get your face stand up
  • 目を丸くする:to have round eyes
ということになるのでありましょうか?たぶん、分っかんねえだろな、非文明人たちには!
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7) むささびの鳴き声
▼安倍談話ですが、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という部分に注目して、「日本はいつまでも中国や韓国に対して謝り続ける必要はない」というのが首相のメッセージである、と英国のメディアは解釈し、そのように伝えているのですよね。興味深いと思うのは、日本の新聞では(社説に見る限り)この部分はそれほど取り上げられていないのですね。毎日、日経はこの部分には全く触れず、東京、朝日、読売が少しは触れているけれど、英国メディアほどの注目ではない。全国紙における唯一の例外といえば産経新聞で、社説の最初の部分で「過去の歴史を忘れてはならないとしても、謝罪を強いられ続けるべきではないとの考えを示したのは妥当である」と言っています。

▼安倍談話とそれを報道する英国(と日本)のメディアは、日本が他国に対して行ったことへの「謝罪」だけを取り上げているけれど、むささびとしては、日本が日本人に対して行ったことへの「謝罪」をきっちりして欲しいと思っています。2011年8月16日付け東京新聞の「筆洗」というコラムが、故・池部良さん(俳優)の戦争体験について書いています。池部さんは敗戦後の東京裁判について、勝者が敗者に烙印を押したものとして批判していたのですが、その一方で、戦争を起こした陸海軍指導者の責任を日本人自身の手で追及すべきだった、と語っていたのだそうです(むささびの鳴き声103)。

▼ごく最近、2013年8月13日付の高知新聞のサイトで『A級戦犯 ラジオ番組で語る 「敗戦 我々の責任でない」』という見出しの記事を読む機会がありました。記事は、旧日本陸軍のA級戦犯が自らの戦争責任などについて語ったラジオ番組の音源が見つかったというものです。このラジオ番組は『マイクの広場 A級戦犯』という30分もので、終戦10年後の1955年に録音され、1956年に東京の文化放送が放送したものだそうです。高知新聞の記事では、このラジオ番組の中で戦犯たちがいろいろと語っている部分が文字で再現されています。その中から少しだけ無断でコピペさせてもらいます。
  • 荒木貞夫氏(陸軍大将):(米軍が戦争に)勝ったと僕は言わせないです。まだやって勝つか、負けるか、分からんですよ。あの時に(米軍が日本本土に)上陸してごらんなさい…彼らは(日本上陸作戦の)計画を発表しているもんね。九州、とにかくやったならば、血は流したかもしれんけど、惨たんたる光景を、敵軍が私は受けたと思いますね。そういうことでもって、終戦になったんでしょう。
▼「降伏などせずに、もっと頑張っていたら日本が勝っていた。その過程で少々死ぬ人間が出たかもしれないが、それはしゃあないわな、戦争なんだから・・・」と言っているのですよね。高知新聞には陸軍大佐だった橋本欣五郎という人物のコメントとして、戦争に負けたことで国民には申し訳ないと思うけれど、「外国に向かって相済まないとは、一つも思っておらない」というのも紹介されている。また、元陸軍大将や大佐らの発言について広島で被爆した女性は次のように語っている。
  • この私の顔、体をその人に見せてやりたいと思います。私のこの体を見て、目を見て、そのことが言えるんだったら、そのような人は、人間じゃ絶対にあり得ない。
▼いずれも終戦後10年目の「証言」です。この二人の軍人によって代表される「日本」が日本人に対して謝るためにするべきことは、この種の人たちが祀られている神社への政治家の参拝など二度とやらないということを公式に明らかにすることです。

▼二つ目のオリンピックの記事に対するむささびのコメントの中で、「見せびらかし」の欲求について触れたけれど、低所得者層の住宅街に五輪施設を作るために住人を立ち退かせたりするというのは、国家の「見せびらかし」のために国の民を犠牲にするという感覚なのですよね。民の福祉よりも国のイメージの方が大事である、と。2020年の五輪を東京に招くことに熱心だった人に共通する(とむささびが思うのは)劣等感の塊ということです。「あの人」も「この人」も自分の劣等感を五輪開催によって晴らそうと思った・・・自分が劣等意識を持っている相手に対して「どうだ、恐れ入ったか!」と言いたかった。自分の劣等感を晴らすために民を犠牲にする・・・高知新聞に出ていた「陸軍大将」と大して変わらない。「外国に謝る気はない」と言い切る元軍人の言葉にも劣等感でビクビクしている人間が見えません?

▼というわけで、暑いのにお付き合いをいただきありがとうございました!
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むささびへの伝言