ようやくあの狂暑の夏が過ぎ去ろうとしています。気のせいか空が高くなったような・・・。上の写真はギリシャのアテネにあるフェリーの港から町の中心部にあるアテネ駅へ向かうバスにのるシリアからの難民の女性。顔つきからすると母親のように見えます。おそらくアテネ駅から電車に乗ってドイツ方面に向かうのでしょうね。 |
目次
1)ドイツが恐れたアメリカの「過剰反応」
2)空爆のイエメンで
3)難民受け入れ:フィンランドも右傾化!?
4)コービン旋風と労働党
5)トニー・ブレア:労働党を潰さないで!
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
|
1)ドイツが恐れたアメリカの「過剰反応」
|
|
8月31日付のドイツの週刊誌、Der Spiegelの英語版のサイトに気になる記事が出ていました。日本のメディアでも伝えられたかもしれないけれど、簡単に紹介しておきます。記事はドイツがシュレーダー政権であった頃(1998年~2005年)に首相付きの外交補佐官をつとめたミハエル・シュタイナー(Michael
Steiner)とのインタビューで、補佐官時代を振り返っていろいろと語っている。記事のタイトルは
これは2001年の9・11同時多発テロに関連するアメリカの「過剰反応」のことを言っているのですが、具体的に言うと、アフガニスタン攻撃の際にアメリカが核兵器を使う可能性があったことを示唆している。インタビュー記事そのものはここをクリックすると読むことができますが、ここではその「気になる」部分のみピックアップしてそのまま紹介します。
|
Spiegel |
アメリカにおける同時多発テロが起こった2001年9月11日当時、あなたはシュレーダー首相の外交アドバイザーだった。あの日のことを憶えているか?
The attacks in the United States on Sept. 11, 2001 came during your stint as Chancellor Gerhard Schroder's foreign policy advisor. Do you remember that day? |
Steiner |
もちろん憶えている。おそらく誰でもあの日のことは憶えていると思う。あの日、シュレーダーはベルリンにあるドイツ外交問題会議(German Council on Foreign Relations)でスピーチを行うことになっていた。側近たちがとても優れた演説原稿を用意したのだが、出かける段になってシュレーダーがテレビの前から動かなくなってしまった。ニューヨークのツインタワー・ビルが焼け落ちる様子をじっと見ながら私にこう言った。「マイケル、君が(ベルリンの会議に)行って、私が行けなくなったことを伝えて欲しいのだ」と。
Of course, just like everybody, probably. Schroder was actually supposed to hold a speech that day at the German Council on Foreign Relations in Berlin. My people had prepared a nice text for him, but when he was supposed to head out, he -- like all of us -- couldn't wrest himself away from the TV images of the burning Twin Towers. Schroder said: "Michael, you go there and explain to the people that I can't come today." |
SPIEGEL |
あの日の後の数日間はどんな状態だったのか?
What was it like in the days following the attacks? |
Steiner |
あの頃、ジョージ・ブッシュ(大統領)の安全保障補佐官はコンドリーサ・ライスだった。私は彼女とは非常にいい関係にあった。しかし9・11以後はアメリカ政府全体がそれにかかりっきりになってしまったので、ライスへの接近も難しい状態になってしまった。もちろん大統領にはもっと近寄れない状態だった。それは我々だけでなく、フランス政府も英国政府も同じ状態に置かれていた。それで我々としては非常に心配になっていたのだ。
Condoleezza Rice was George W. Bush's security advisor at the time. I actually had quite a good relationship with her. But after Sept. 11, the entire administration positively dug in. We no longer had access to Rice, much less to the president. It wasn't just our experience, but also that of the French and British as well. Of course that made us enormously worried. |
SPIEGEL |
なぜそれが心配だったのか?
Why? |
Steiner |
我々が考えたのは、(9・11テロが引き起こした)最初のショック状態の中でアメリカが過剰に反応してしまうのではないかということだった。アメリカにしてみれば自分たちの国土そのものがアタックされたのだから、さぞやショッキングな出来事であっただろう。
Because we thought that the Americans would overreact in response to the initial shock. For the US, it was a shocking experience to be attacked on their own soil. |
SPIEGEL |
「過剰反応」とはどういう意味か?ブッシュがアフガニスタンを核攻撃するとでも思ったということか?
What do you mean, overreact? Were you afraid that Bush would attack Afghanistan with nuclear weapons? |
Steiner |
あの頃、アメリカが言っていたのはあらゆる選択肢が準備されているということだった。(9・11から)数日後にライスをホワイトハウスに訪ねた際に、「あらゆる選択肢・・・」というのが単なる言葉だけではないということが分かった。
The Americans said at the time that all options were on the table. When I visited Condoleezza Rice in the White House a few days later, I realized that it was more than just a figure of speech. |
SPIEGEL |
アフガニスタンに対して核兵器を使うことについてアメリカは具体的な計画を作っていたのか?
The Americans had developed concrete plans for the use of nuclear weapons in Afghanistan? |
Steiner |
彼らはありとあらゆるシナリオを考え抜いていたし、必要な報告書の類も書かれていた。
They really had thought through all scenarios. The papers had been written. |
SPIEGEL |
9・11の翌日にシュレーダーはアメリカに対して「無制限の連帯」を誓った。あのアイデアはあなたから出たものなのか?
One day after the attacks, Schroder pledged his "unlimited solidarity" to the US. Did that formulation come from you? |
Steiner |
いや違う、反対だ。私はそれ(無制限の連帯)は間違っていると思っていた。フルに連帯する・・・というのなら問題はない。しかし国家は(他国に対して)白紙の小切手を書くわけにはいかないということだ。
No, on the contrary. I thought it was wrong. Full solidarity, absolutely. But a state can't be writing blank checks. |
SPIEGEL |
シュレーダーに対して考えを変えるように勧めたのか?
Did you try to convince Schroder to change his mind? |
Steiner |
そうした。私はそれを言いたさにハノーバーにいる彼に会いに行った。しかし彼の気持ちを変えることはできなかった。私は彼に追い出されてしまったのだ。
Yes, I went to see him in Hanover for exactly that reason. But he didn't change his mind. He threw me out. |
「気になる部分」はこれで終わりです。シュレーダー政権のドイツはアメリカが主導するNATO軍によるアフガニスタン攻撃(2001年10月)に参加してこれを支援したけれど、2003年のイラク爆撃についてはフランスやロシアとともにこれに反対して参加しなかったのですよね。
▼メディアを通じて伝わってきたあの当時のアメリカの雰囲気からすると、狂気としか思えないけれど「核攻撃」もあり得たですよね。アメリカ中が怒りに燃えており、怒りの発散場所を探していたのだから。9・11テロはオサマ・ビン・ラディンのアルカイダが起こしたものであり、ビン・ラディンはタリバンによってアフガニスタン国内に匿われていたかもしれないけれど、それで核攻撃をするという発想が不気味ですよね。それをやって何が得られるというのか?アフガニスタンそのものは9・11とは無関係なのだから、核攻撃は単なる「見せしめ」であり「復讐」ですからね。
▼9・11テロ後のアフガニスタン攻撃について、NATOのサイトに次のような文章が出ています。
- アメリカに対する9・11テロ攻撃への対応として、NATOは初めてワシントン条約第5条にうたわれている自衛権の行使に訴えた。
NATO invoked its self-defence Article 5 for the first time in response to the terrorist attacks of 9/11 on the United States.
▼ワシントン条約第5条でいう「自衛権」というのが、いわゆる「集団的自衛権」(Collective defence)であり、NATO加盟国の一国への攻撃はNATO全体への攻撃と理解されるということです。アメリカによるアフガニスタン攻撃はこの「集団的防衛権」の行使にあたるわけで、ドイツはNATOの加盟国としてこれに参加することが義務であったわけです。でもイラク戦争は「集団的自衛権」ではなかったわけですね。
|
むささびジャーナル関連記事 |
アフガニスタン戦争って何だったの?
サッチャーが恐怖した核戦争
核戦争回避:「運がよかっただけ」(チョムスキー) |
|
back to top |
2)空爆のイエメンで
|
|
上の写真は、8月18日付の書評誌London Review of Books (LRB) に掲載されていたものを拝借したものです。場所はサダハ(Sa‘dah)というイエメン北部の町、今年の5月5日にサウジアラビアを中心とする湾岸諸国(サウジアラビア、カタール、クウェート、バーレーン、アラブ首長国連邦)の連合軍によって空爆された直後の写真です。
なぜサウジなどがこの町を空爆したのかというと、サダハがイスラム教シーア派の武装組織「フーシ」(Houthi)の拠点とされたところであったからです。イエメンではイスラム教スンニ派とシーア派の争いが続いており、今年3月にはそれまで政権の座にあったスンニ派の大統領がシーア派の攻撃を受けて首都(サナア)を離れ、テロ集団であるフーシが政権掌握を宣言するという事態に発展していた。サウジ軍らの空爆は首都を追われた大統領側の要請に応える形で行われたものとされています。
以上のようなことは少しでも中東に詳しい人なら誰でも知っていると思うし、そうでなくてもネットを検索すればいくらでも出ています。むささびが紹介したいと思ったのは、LRBの記事を書いたマギー・マイケル(Maggie Michael)というAP通信の女性記者が報告する現地の人びとの様子です。彼女によると、サダハで暮らしてきたアブダラ・アリビ(Abdullah al-Ibbi)という床屋さんは妻を2人、息子を10人、娘を17人、孫を8人も殺されてしまったのだそうです。またサダハから数キロのところにあるアルサブル(al-Sabr)という谷間の集落への爆撃のよって53人の民間人が殺され、うち30人が子供だったとも伝えています。
サダハの中心街は写真のような状態なのですが、ヤヒア・ハトルーム(Yahia Hatroom)一家(夫婦+夫の母親+子供10人)は空爆を恐れて小さな避難壕(funk holes)のようなところで夜を明かす生活をしている。「うさぎ穴に暮らしているような気分だ」とのことです。
LRBの記事によると、サウジとイエメンの対立は、今に始まったことではない。1930年代の初めにサウジアラビアが王国を作って以来、付近にある豊富な油田の所有権をめぐって延々と続いている。争いそのものはサウジの勝ちということで国境線が定められたのですが、イエメンの中にはそれをいまだに認めない強硬派がいるのだそうです。今回のようにサウジによる空爆が続くと、必ずしもフーシ派の支持者ではなくても反サウジ感情が高まらざるを得ない、とマイケル記者は書いています。
この記事には欧米人と思われる読者からの次のようなコメントが寄せられている。
- イエメンは世界の最貧国の一つですが、この男には妻が二人、息子が10人、娘と義理の娘が17人もいる。そのような文化環境では将来はおぼつかない。空爆のような暴力的なことが起ころうと起こるまいと、そのことに変わりはない。残念だが仕方ない・・・。
- Yemen, one of the poorest countries in the world, and this guy has two wives, ten sons and 17 daughters and daughters-in-law. The future is bleak in any such culture, violence or no. Sorry.
このコメントについて、次のような反論も掲載されています。
- 自分たちの目と鼻の先で戦争犯罪が行われているときに、被害者の文化、人種、政治的傾向を批判するようなことをしてはならない。我々がしなければならないのは、サウジのイスラム主義の王様による、このひどい犯罪を止めることにあるはずだ。
- When a war crime is taking place right under our nose, we must not criticize the victim’s culture, race or political affiliations. We must attempt to stop this horrible crime by the Saudi Wahhabi Islamist King.
▼サダハの中心部の写真を見ると、東日本大震災で破壊された東北の町の風景を思い出しませんか?一方は空爆、もう一方は津波による破壊です。津波は自然災害、空爆は人間の行為であり、自然災害は止めようがないけれど、戦争は止めようと思えば止められたはず・・・と思いたいけれど、人類の歴史始まって以来、戦争による破壊が全くないという状態は皆無です。悲しいかな戦争は人間の世界につきものであり、その意味においては人間ならではの「自然現象」のようなもの。そういう人間が生きていくためには、それなりの「防災対策」が必要であり、攻撃されても大丈夫なシステムを構築するか、先手必勝で相手を先制攻撃するしかない・・・これが世界の常識であり、安倍さんらの「積極的平和主義」の理屈ですよね。憲法第9条に言う「平和主義」なんて絵空事だというわけで、「日本の常識は世界の非常識」とか言って悦に入っている評論家がいましたよね。この人にはイエメンの床屋の運命などは「戦争にはつきもの」で済ませられる問題なのであります。
|
むささびジャーナルの関連記事 |
戦争は人間の本性か?
|
|
back to top |
3) 難民受け入れ:フィンランドも右傾化!?
|
|
ちょっと古いけれど、7月28日、フィンランドの首都、ヘルシンキで1万5000人が集まって「開かれた国、多文化主義の国、フィンランド」(open, multicultural Finland)を要求する大集会が開かれたことは日本のメディアではどの程度報道されたのでしょうか?むささびはフィンランドの知り合いに教えてもらうまでは知りませんでした。
なぜ今さら「開かれた国」の要求集会なのか?実は集会が開かれる4日前、フィンランドのオリ・イモネン(Olli Immonen)という国会議員が自分のFacebookで
"Finland for the Finns"(フィンランド人のフィンランド)と題する次のような英文メッセージを載せたことがこの集会が行われるきっかけとなっている。
- 私は夢見ている。多文化主義と呼ばれる悪夢を打ち負かすような強くて勇敢な国が現れることを。我々の敵が生息する(多文化主義という)醜い泡はもう間もなく破裂して100万ものちっぽけな粒と化すであろう。我々の生活はいま極めて厳しい時代に巻き込まれている。いまの日々は、さまざまな国々の未来にその足跡を残してしまうであろう。しかし私は自分の同士である闘士たちを信じている。我々は祖国、たった一つのフィンランド人の国のために最後まで戦い抜くであろう。勝利は我々のものとなるであろう。
|
多文化主義の蔓延に対して反対するということは、最近ヨーロッパに押し寄せている中東やアジア・アフリカからの移民の受け入れに反対するということです。「フィンランドはフィンランド人のものだ!」というわけです。この愛国的メッセージを掲載したイモネン議員はthe Finns Party(フィンランド人党)という名前の政党に所属している。この党は考え方が「反移民・反EU」で、極右に近いのですが、ことし4月の選挙では、得票数では第3位、議席数では第二の勢力を誇る政党となり、中央党,国民連合党とともに現在のフィンランド連立政権の一翼を担っている。党首は現在のフィンランドの外務大臣となっている。
最近もオーストリアとハンガリーの国境付近で保冷車の中から70人を超えるシリア移民の死体が発見されたりして、移民の受け入れは、ヨーロッパにおける最大の問題となっている。EUの統計によると、2014年の1年間で、約63万人の外国人(EU圏外)がヨーロッパ各国に到着して難民申請を行っている。ダントツで多いのがドイツで申請件数は20万を超えている。それに比べるとフィンランドにおける件数は3620人だから、絶対数で見ると微々たるものという気がするけれど、ドイツの人口(8000万)とフィンランド(500万)を比較すると必ずしも「微々たるもの」とは言えない。人口10万人あたりの難民の数は662人でヨーロッパ31カ国中の17位で英国(494人)よりも多い(トップはスウェーデンの8365人)。
「フィンランド人党」という政党自体が、増え続ける移民を制限すること、ギリシャを始めとするユーロ圏の借金国には厳しく対応することなどを訴えて勢力を伸ばしてきたわけで、イモネン議員の発言はそれをちょっと過激にしただけという捉え方もできる。この発言に対しては1110人が「いいね!」というボタンを押している。それが全員フィンランド人ではないかもしれないけれど、フィンランド人の中には「よくぞ言ってくれた」と考える人も相当数いるということですよね。イモネン議員は、自分のブログにネオナチ風の写真を載せたりして党本部から懲戒処分を受けたりしている「札付き」らしいので、心から彼を支持する勢力がどの程度いるのかはよく分からないのですが・・・。
ただイモネン議員のメッセージがFacebookに投稿されたのが7月24日の夜だったのに、4日も経たないうちに1万5000人の糾弾集会が組織されたということは、彼の発言に対する拒否反応もまた強かったということになる。
7月27日付のファイナンシャル・タイムズ(FT)によると、移民の受け入れに反対するフィンランド党のような政治勢力が伸びているのは、これまではどちらかというとリベラルなところと考えられていた北欧諸国に共通して起こっていることなのだそうです。ノルウェーの進歩党(Progress party)、スウェーデン民主党(Sweden Democrats)、デンマークの人民党(Danish People’s party)などの人気の高まりがそれにあたる。
▼イモネンさんはキャンキャン騒ぐけれど、フィンランド移民局の統計によると、昨年1年間で難民申請が受け入れられた件数が1346件なのに対して、却下された件数が2050件というわけで実際には却下される方が多いのですね。またドイツなどでも申請件数は多いのですが、実際に難民として受け入れられるケースは5割以下なのだそうです。
▼気になるのは、申請が却下された難民はどうなるのかということですよね。BBCによると、英国の法律では、再度申請することができるけれど、それでも却下された場合は強制送還(deportation)ということになる。ただ「送還」と言っても難民が出てきた国へ返すわけにはいかないというわけで「安全な国へ行けるように最大限の努力はする」(every effort is made to send them to a 'safe' country)となっている。
▼日本の法務省のサイトによると、昨年(2014年)1年間で日本国政府に対して難民認定申請を行った人の数は5000人、一昨年に比べると約53%の増加だそうです。また一度申請を却下されて再度申請(異議申し立て)をした人は2533人。つまり全部で7533人の申請を審査したことになりますよね。で、難民として認定された人は11人だそうです。難民認定はされなかったけれど「人道的な配慮が必要なものとして在留を認めた者」は110人、合計121人が在留を許可されたということです。申し込み7533人で許可されたのが121人ということは許可される確率は1.6%(100人中2人以下)というのだから大したものですね。「アパルトヘイト絶賛論」の曽野綾子さんはさぞやお喜びなのでは?日本における難民については、国連UNHCR協会という組織のサイトにいろいろと出ています。
|
むささびジャーナルの関連記事 |
「移民で1億人維持可能」という無神経
地中海の移民・難民:40年前を思い出そう
|
|
back to top |
4) コービン旋風と労働党
|
|
今年5月に行われた英国下院の選挙で労働党がキャメロンの保守党に惨敗したのをご記憶でしょうか?その責任を取ってエド・ミリバンドが党首を辞任したのが5月8日、間もなく(9月12日)新しい党首が決まります。党首を選ぶのに4カ月以上かかるというのはいくら何でも長すぎる気がしないでもないけれど、今回の選挙はざっと次のような日程で行われています。
- 6月9日:立候補受付開始
6月15日:立候補締め切り
6月17日:選挙運動開始
8月12日:選挙人登録締め切り
8月14日:投票用紙配布
9月10日:投票(郵送またはオンライン)締め切り
9月12日:党首決定
つまり選挙運動開始から投票締め切りまで約3カ月かけているわけ。その間、候補者による公開討論会があったり、遊説が行われたりということで普通の国政選挙と同じようなやり方になっている。候補者4人の名前は次のとおりです。
労働党支持者の間では、最後に挙げたジェレミー・コービン候補が圧倒的な人気を誇っており、おそらく彼が次なる党首に就任するだろうとされている。8月中旬のアンケート調査では、コービンだけの支持率が53%と半数を上回り、残りの3人の支持率を足したものより高くなっている。
が、そのことでメディアの間で賛否両論が激論状態・・・というより殆ど「コービン・バッシング」のような状態になっています。彼の打ち出している政策が余りにも「左翼的」だからです。鉄道・エネルギー・水道などの再国営化、高所得者層への増税と福祉の充実などはもちろんのこと、外交政策ではNATOからの脱退やISISへの爆撃に反対など、現在の英国の「常識」からはかなりかけ離れている。
例えば8月22日付のThe Economistなどは、「コービンの政策で英国経済が立ち行くくらいなら1970年代(サッチャリズム以前)の英国病はなかっただろうし、1997年にトニー・ブレアの労働党が近代化した中道左派政権として圧倒的な支持を受けることもなかったはず」であると言っている。サッチャーの保守党政権が誕生したのは、それ以前の左翼的労働党時代における経済停滞のせいであり、97年に登場したブレアの労働党政権は右寄りだったから保守党政権を倒すことができたのに・・・というわけで、コービンが党首をつとめる労働党は、次回の選挙(2020年)でも絶対に勝ち目はなく、政権につく可能性のない野党の存在は「英国にダメな政府をもたらす」(Mr Corbyn will leave Britain open to bad government)と批判しています。
労働党は1997年の選挙でトニー・ブレアの下でそれまでの党是であった産業の国営化政策を破棄して「新労働党」(New Labour)として政権に就いて一大ブームを巻き起こし、2010年の選挙で敗れるまで労働党政権が続いたのですが、今回の党首選についてはブレア、ブラウンのようなかつての「新労働党」の指導者たちから「コービンを党首にしたら労働党は終わりだ」という声が上がっている。それがGuardianやIndependentのような、どちらかというと左寄りとされる新聞にも取り上げられて、メディアを上げて反コービン・キャンペーンが繰り広げられているという雰囲気なのであります。
これら主要メディアの報道だけを見ていると「一体誰がコービンを支持しているのか?」という素朴な疑問が沸いてくる。この点、YouGovという世論調査機関のサイトを見るとコービン支持層のアウトラインが見えてきて非常に面白いのです。例えばそれぞれの候補者の支持者に「自分の政治スタンス」について聞いてみたところ、コービン支持者の74%が「左翼」(left-wing)と答えており、「中道左派」(centre-left)とする18%と合わせると92%が「左翼」を自認している。また年収4万ポンド以上の人が26%と、他の候補者の支持者に比べて最も少ない一方で、ニュースや情報の入手方法としてソシアル・ネットワークが最も多いという人が57%いる。これは他の支持者に比べるとかなり高い数字です。
YouGovの解説によると、これらの数字が示すのは、コービン支持者が昔ながらの労働党支持者およびインターネット世代の若者に多いということです。前者はブレアらが推進した右寄り路線には裏切られたと感じているし、後者は「New Labour=イラク戦争」という図式で捉えがちであり、昔ながらの体制派には反発を感じている。4人の候補者の中で「オックスブリッジ」に関係ないのはジェレミー・コービンだけ。彼の場合は大卒でさえない。
今回の党首選挙は、選挙のやり方そのものが従来と異なっておりそれが混乱のもとになったとされている。まず投票システムですが、Alternative
Votingと呼ばれるやり方を採用しています。このシステムの場合、有権者は一人の候補者のみに印をつけるのではなく、立候補者全員を1、2、3、4という風に順位づけする。イチバン勝たせたい候補者は[1]、2番目に勝たせたい候補者は[2]というぐあいです。ある候補者の[1]が過半数を超えた場合は、そのままその候補者の勝ちとなる。詳しくはここをクリックすると出ています。
次にもっと話が厄介であったのが、今回の党首選から採用された「3ポンドを払って党の承認を得て登録すれば誰でも選挙人になれます」という制度だった。選挙人には3種類ある。一つは労働党員、二番目が労働党の関連組織・機関の会員、そして三つ目が3ポンドを払って登録する「登録選挙人」(registered voters)です。8月中旬の集計によると、党員が約30万人、関連会員が19万人、そして登録選挙人が12万人だから合計約60万を少し超えた人数ということになる。
問題は3ポンドを払って登録する「登録選挙人」という制度です。これだと(例えば)明らかに保守党びいきであるような人びとが3ポンド払って、労働党の力を最も弱めそうな党首候補に投票することだって不可能ではない。現にそのようなケースが出てきたので、党の選挙本部では登録そのものを拒否するという行為に出たわけです。この種の選挙人は、予め党の了解を得て登録することになっているのだから、場合によっては党が登録を拒否しても構わないのですが、残念ながら完全にチェックするということは不可能です。
英国における次なる下院議員選挙は2020年です。保守党にしてみれば、最も国民受けしない人物が労働党の党首であってくれれば自分たちが勝つ確率は高くなるということで、登録を拒否された人の中にはほぼ誰でも知っている保守の論客である評論家も入っていた。彼らはいずれもコービンに投票するつもりであったのだろうと言われている。いずれにしてももう間もなく決まります。
▼過去40年間の英国の政権を振り返ると、労働党(1974年~79年)⇒保守党(1979年~1997年)⇒労働党(1997年~2010年)⇒保守・自民連立(2010年~2015年)⇒保守党(2015年~)というわけで、労働党が18年、保守党は23年間、政権を担当しているのですね。興味深いと思うのは、1997年にブレアの労働党政権ができたときに叫んだのが、サッチャリズムの長所を取り入れて、「昔の労働党ではありません!」ということであったし、2010年に連立政権ができたときのキャメロン首相のメッセージがサッチャリズムとは一線を画した「弱者にも優しい保守主義」だった。つまり右も左も「極端」が受けなかったということですね。
▼英国人なりの生存本能のようなものがそうさせたのかもしれないけれど、結果として起こったことは、どの政党も同じだと思われるという現象だった。国会議員による経費スキャンダルが発覚して、いわゆる「政治家不信」が広がったのもその頃だった。保守党と労働党の違いが明確でなくなったことで、政治メディアが政策を語るというよりも政治家個人の行動について報道することに力を入れるようになってしまったということ。"political
class" (政治階級)などという妙な言葉が当たり前に使われ始めたのもその頃からだった。
▼コービン旋風の中でむささびにとって印象的であったのは、エッセイやインタビューという形をとりながら、主要メディアの世界で党首候補者同士の政策や世界観が大いに語られたということです。誰と誰がくっついて離れて・・・という情報はそれなりに流れても、候補者同士の哲学、価値観、そして政策のようなものがおよそ語られることがない、日本の政党の党首選びとはかなり違うということです。むささびの想像によると、これは政治家が悪いのではなくて、政治報道に携わる人たちが怠慢なのだということです。面倒なのですよ、世界観だの政策だのって。あいつとこいつは仲が良いとか悪いとか、その種の記事を書いている方が楽であり、無難であるということです。
▼コービンの労働党が選挙で勝つことは(たぶん)ないけれど、彼に投票する人の気持ちは分かります。政権に就く可能性はゼロなのに度々共産党に入れるむささびと同じです。選挙を機に自分の意思を表示してみたいという心理です。
|
むささびジャーナル関連記事 |
労働党はなぜ負けたのか |
|
back to top |
5)トニー・ブレア:労働党を潰さないで!
|
|
トニー・ブレア元首相が今回の労働党党首選挙で優位とされる左派のジェレミー・コービンの台頭について8月13日付のGuardianに
というタイトルのエッセイを寄稿しています。
- 政府は国を変革できるが、抗議運動にできるのは政府に対する反対の声を扇動することだけだ。
Governments can change a country. Protest movements simply agitate against
those who govern.
というわけで、ブレア氏のリーダーシップの下で1997年に政権を握った労働党は、最低賃金制度の導入、貧困世帯への援助拡充、北アイルランドにおける和平の実現などなどさまざまな実績をあげることによって「英国の時代精神」(nation’s
zeitgeist)をも変えることができたのであり、その影響は保守党にまで及んだのだと強調しています。党員歴40年のブレアさんに言わせると、それもこれも党が政権にあってのことであり、野党では所詮「抗議運動」程度のことができるだけだというわけです。
- もちろん政府は、国民によって好かれないこともしなければならず、それが故に政権を失うこともある。それが民主主義というものだ。
And, yes, governments do things people don’t like, and in time they lose
power. That is the nature of democracy.
鉄道の国営化とか富裕層への課税強化のような政策を掲げるジェレミー・コービンについては
- それらの政策はどれも過去のものなのであり、すでに(国民によって)拒絶されたものなのである。なぜ拒絶されたのか?それはあまりにも原理原則にこだわりすぎていることが理由ではない。多くの英国人が、そのような政策が「うまくいきっこない」と思ったから拒絶されたのだ。
These are policies from the past that were rejected not because they were too principled, but because a majority of the British people thought they didn’t work.
と言っている。それにしても現在のブレアさんは、英国がどのような国であればいいと思っているのか?ブレアさんは、コービンらの推進する政策が「時代の要求にそぐわないものばかりだ」(irrelevance to the challenges of the modern world)と強調して次のように書いている。
- 我々が議論するべきなのは、例えばテクノロジーの利用によって公共サービスを革命的に変えさせるということであり、どうすれば若い人たちが給料も高くてまともな仕事に就けるかということだけではなく、彼ら自らがコミュニティの役に立つようなビジネスを創業できるのかということである。さらに英国が団結してEUに残ることや人口構成の変化に応じて福祉制度の改革を断行することなどもある。
We should be discussing how technology should revolutionise public services; how young people are not just in well-paid, decent jobs but also have the chance to start businesses that benefit their communities; how Britain stays united and in Europe; what reform of welfare and social care can work in an era of radical demographic change.
このコメントの中の「若い人たち」のあるべき姿について述べている部分にご注目を。給料のいい仕事に就けることは大事だが、それ以上にその仕事が世の中のためになっているかどうかが問題であり、若者のアイデアが活きるような企業の設立を奨励することも大事だと言っている。申し分なし、ですよね。ただ大学卒の就職難や非正規労働によって残業代が支払われない人もいる、現代の英国の普通の若者たちにとっては、ブレアの言葉が「エリートのきれいごと」としか聞こえない可能性はある。現にブレアのこのエッセイに寄せた読者からのコメントの中に次のようなものもある。
- ブレアが率いた労働党という組織は、ただ政権に就くことだけに一生懸命で、就いた途端に自分たちが何のために政治に参加しているのかという原則を忘れてしまったのだ。ブレアさんよ、私がアンタに教えてもらいたいのは、たくさんの人びとを死なせることで金儲けをする方法、それだけだ。それ以外のことでアンタからお説教をされたいとは思わないのだ。
It's not funny that he headed an organisation that was only geared up for getting in office but the minute they were there, they forgot the principles that got them into politics in the first place. You have lost the right to lecture me on anything apart from how to make money on the back of a lot of dead, innocent people Blair.
ブレアさんは、ジェレミー・コービンが党首になると、2020年の選挙で労働党は単に負けるだけではなくて「完敗して壊滅する」(rout, annihilation)と警告しています。 |
▼「政府は、国民によって好かれないこともしなければならず・・・」とブレアさんが言うのはイラク戦争のことだと思う。100万人単位の反戦デモが起こったほどの不人気政策だったけれど、ブレアさんはこれを実行した。そして国民に好かれなくなったわけですが、彼の弱みは自分の政策の正しさが証明されていないことです。不人気だけが証明されている。アフガニスタン攻撃によって世界からテロリズムが減ったのか?サダム・フセインを死刑にしてイラクに平和や安定が確立したのか?あれから10年以上経っているのですよ。
▼ブレアのコービン批判を快く思わない人からと思われるメッセージがFacebookに載ってそれが結構受けています。
- I wonder why Tony Blair has attacked Jeremy Corbyn more in the last few
weeks than he has criticised David Cameron in the last five years?
- 過去5年間、キャメロンの政策を批判したことなどないブレアが、ここ数週間、コービン批判を繰り返すのはなぜなの?
▼「アンタ、どの党の人なのさ?」ってことです。確かにブレアさんの場合、国内的には労働党員というより、進歩的保守党員という感じです。労働党の古さを攻撃することで人気を保ってきたという部分もあるのですが、労働党の責任といわれる、あの「英国病」から40年も経っているのだから、保守党政権下で進んだとしか思えない格差拡大、福祉切り捨てのような社会現象にどのように立ち向かうのかを語らなければ、労働党員は耳を傾けない。ただでさえ、ブレアと言えばイラクやアフガニスタンを爆撃するかと思えば、スイスで開かれる世界経済フォーラムの常連として、ビル・ゲイツらとともに「世界の貧困を追放しよう!」などときれいごとばかり並べ立てるという批判が強いのだから。
▼ブレアさんはイメージ的には小泉純一郎と似ていますよね。「自民党をぶっ壊すんです!」と叫んでメディアで大いに受けてしまった、あの人です。二人の共通点はThe Economist誌の受けが極めていいということです。両方とも「急進的資本主義変革論者」(そんなものがあるのか知りませんが)であるということです。それと、口だけが達者ということ。
|
むささびジャーナルの関連記事 |
「選挙に勝てる党」のジレンマ
主義がないから長持ちした?ブレアさん |
|
back to top |
6) どうでも英和辞書
|
A-Zの総合索引はこちら |
|
compliment:お世辞・褒め言葉
上の写真、ある老夫婦の会話ですね。奥さんが鏡で自分の姿を見ながら:
- I feel horrible; I look old, fat and ugly. I really need you to pay me a compliment.
がっかりだわ。アタシって年寄り臭くて、太っちょで、しかもブスときてる。アンタ、少しくらいアタシのこと褒めてくれてもいいんでない?
と言う。するとダンナが
- Your eyesight is damn near perfect!
アンタの場合は視力がほぼ完璧ってことだな。
と応じるというわけ。"compliment" という言葉を英和辞書でひくと「賛辞」「ほめ言葉」「お世辞」「敬意」などという日本語が出てくる。でもむささびの経験する範囲では、「お世辞」(心にもない褒め言葉)というネガティブな意味はあまりなかったように思います。むしろ「敬意を払う」というニュアンスが強い。「お若く見えますね」(You look young)と言われたら、あなたはどのように応じますか?「と~んでもない、アタシなんか、もうダメ!」(Oh, no. I'm not young any longer. No, not really...!)ですか?それはアウト。正解は "Thank you. I take it as a compliment"(ありがとう、そう言われると嬉しいです)であります。何事も素直にいきましょう、素直に。
「敬意」という意味での"compliment"から派生して、"complimentary tickets"(優待券)なんてのもあるんですね。著者が自分の書いた本を「贈呈」するときは "complimentary copy" と言うのでありますね。 |
back to top |
7) むささびの鳴き声
|
▼ドイツのシュレーダー首相の外交政策アドバイザーだったシュタイナー氏が、Spiegelとのインタビューの中で、ロンドンで行われた当時のブレア首相とシュレーダー首相の会談に同席したときの思い出を語っている部分がある。ブレアが英国の自動車産業について「すべて19世紀の遺物のようなもので英国の将来には不必要だ」と語ったところ、シュレーダー首相が「トニー、あんたは何も分かっていないな。自動車産業こそが経済の推進役なのだ」と答えた。それを聞きながらシュタイナーは、ブレアの言うことのほうが当たっていると思い、自分のボスの時代遅れぶりを情けなく思ったのだそうです。が、いま考えてみるとボスの言うことが完全に正しかった、と恥じ入っているわけです。ブレアが「19世紀の遺物」とまで言い切った英国の自動車産業は、ロールスロイス、ジャガー、ベントレー、ローバーなどによって代表される車です。
▼シュタイナーとしては、ドイツ経済の未来は(英国と同じように)金融とか情報産業にあると信じきっていたのだそうです。あれから15年、英国は確かに金融・情報産業で栄えているとされている。が、それはどれもロンドンが中心の産業です。自動車?ジャガーもロールスもローバーも、みんなインド系の資本が所有している「外資系」になってしまった。外資系だから悪いとは(むささびは)思わないけれど、現実問題として言えるのは、金融とか情報のようなスマート産業が栄えているのはイングランドの南だけです。北イングランドはいまでも製造業が中心。ブレアとしては(おそらく)南のスマート産業が栄えれば北の産業もこれに導かれて栄えるようになるだろうと思った・・・けどそのようにはなっていない。労働党の党首選でもコービンを支持するのは北の人びとです。
▼増え続ける移民についてヨーロッパ各国はいまのところお手上げ状態という感じですが、The Economistなどは「どんどん受け入れてお金を稼いでもらえ」(Let them in and let them earn)と主張しています(8月29日号)。いかにも自由主義的ビジネス誌という言い分ですが、理屈は合っている。日本における難民申請の件数は5000件(2014年)。日本の人口は約1億。フィンランドの場合は人口500~600万で3600件。フィンランドは人口10万人につき662件とされているけれど、日本の場合を人口10万人で計算すると、1億人で申請件数は5000件だから、え~と、え~と、10万だとすると、えーと、5人ってことになりません?5人!? 算数嫌いのむささびの間違いだよね?
▼2014年4月のむささびジャーナルによると、日本政府が「外国からの移民を毎年20万人受け入れ、出生率も回復すれば100年後も人口は1億人超を保つことができる」と考えている。難民と移民は性格が異なる。難民は故郷へは帰れない人びと、移民はその気になれば帰って行ける故郷がある人びと。いずれにしても経済的には弱い国からのお客さんであるという点では似ている。2014年、日本で難民として暮らすことを望んだ5000人のうち、その希望が叶えられたのは11人。そんな国が年間20万人の移民を受け入れられるとでも思っているの?できっこないよね、曽野綾子さん?
▼最後に五輪エンブレム問題で、組織委員会の武藤敏郎事務総長が行った記者会見における一問一答が9月2日付の産経新聞のサイトに実に詳しく再現されています。その中で武藤さんが、例のエンブレムを使うことには「一般国民は納得できないと判断した」と発言したことについて、記者の一人が「一般国民とは誰のことか」と質問した。武藤さんの答えは次のようなものだった。
- (一般国民という表現は)メディアや政治家も使うと思うが、これは誰なのかという答えはないと思う。問題は、さまざまなメディアや意見を通じ、出てきたものを総合的に判断すると。それしか答えは出ない。
▼始めの(一般国民という表現は)というのはむささびが挿入したものです。武藤さんは「一般国民て誰のこと?」などと聞かれても「答えはない」と言っている。「一般国民」なんて本当はどこにもいないのですよね。メディアが作り出した幻(まぼろし)のようなものです。新聞という新聞、テレビというテレビが「あいつは怪しい」と言えば、事情の分からない「一般国民」が「そうかもな」と言い始め、それをまたメディアが報道して・・・雪だるまのように「一般国民」が大きくなっていく。
▼今回のゴタゴタについてはデザイン業界をよく知る「専門家」によるいろいろな「解説」があるようですね。新聞やテレビのような「主要メディア」が騒ぎ立てるのは、もっぱら「専門家」による解説や情報提供がきっかけになっていますよね。新聞や放送局の記者たちは何についても「専門家」ではない。ただ騒ぎを掻き立てる技術と影響力には長けている。その人たちに囲まれて武藤さんたちが「一般国民」というありもしない幻に恐れおののいて「総合的に判断」(面倒だから自分で考えるのを止めたという意味)したことだけは間違いないようであります。
▼ラジオを聴いていたら、「一般国民って誰のことですか?」という質問をして、武藤さんをまごつかせたのは「東京スポーツ」の記者だったとのことでした。さすが東スポ、よくやってくれました!東スポは昔から一面の見出しが素晴らしいことで知られています。ウィキペディアで調べただけでも「阪神次期監督に上岡龍太郎」とか「マドンナは痔だった」、「ネッシー出産」、「SMAP解散」などなど、まさに言いたい放題、やりたい放題。これらの見出しを超特大の活字でドカーンとやっておいて、その下にごく小さな活字で「か」とか「?」などを入れる。駅のキオスクに並んでいる場合、「か」や「?」は見えないようになっているわけ。見出しにつられてつい買ってしまってから「か」の文字に気がついて「ざけやがって」と思いながらも、なぜか怒れなかったのよね、東スポには。懐かしい!
▼ところで原発事故で全域避難となった福島県楢葉町の避難指示が解除されました。この町にあるJビレッジというサッカー施設の構内に英国生まれのオークの木が植わっていることは以前にも申し上げたと思います。原発事故にもかかわらず立派に生きているようであります。ご注目を! |
|
back to top |
←前の号 次の号→ |
|
むささびへの伝言 |