ずいぶん寒い日が続いています。前前号のイントロの部分で、ことしは我が家の庭の柿の木に実がたくさんついているとお伝えしました。干し柿を作って食べるのが楽しみである、とも。あれから一ヶ月、干し柿は作りに作りました。問題なのは食べるのがむささびだけであるということ。食べても食べてもキリがないほど作ってしまい、それでも柿の木にはまだわんさとなっている。ついにそれを鳥がつっつきに来る季節になりました。むささびはというと、作りすぎた干し柿を前に呆然としているわけです。昔は結構ぜいたくなオヤツだったのですがね・・・。 |
目次
1)「銃は人を殺さない」論の破綻
2)英国の原子力発電は中国が頼り
3)EU離脱で英国は解体する?
4)「保護する責任」というプロパガンダ
5)「声なき声」にノーベル文学賞
6)「チェルノブイリの声」が伝えたかったこと
7)どうでも英和辞書
8)むささびの鳴き声
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1)「銃は人を殺さない」論の破綻
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10月1日に米オレゴン州の大学キャンパスで起こった銃の乱射事件に関連して、10月7日付のBBCのサイトに、来年の米大統領選に出馬の意向を示している民主・共和両党の候補者によるコメントがいろいろ出ています。その中のあまりにもひどい(とむささびが思う)コメントを紹介します。
ボビー・ジンダル(Bobby Jindal)は、現職のルイジアナ州知事で共和党の候補者争いをやっている人です。射殺事件の犯人の父親が「息子が銃を持っていることなど知らなかった」として、「このような事件を再発させないためには銃規制が必要」と発言したことについて、ジンダル知事は「息子が何をしているのかも分からない父親失格人間(complete
failure as a father)だ」として、
- この父親こそ顔を見せて公衆の面前で恥をかかせるべきだ。問題はこの父親にあるのだ。
he should be embarrassed to even show his face in public. He's the problem here.
と決めつけている。知事によると、この父親こそが「アメリカ文化の劣化現象」(cultural decay)の象徴であり、彼のような人間が銃の乱射事件などを生むのだと主張しているわけです。ジンダル知事は銃規制には反対であり、この種の悲劇を繰り返さないためには、この父親のような人間の方を何とかしなければならないと主張しているわけです。
今回のような銃の乱射事件が起こるとアメリカの銃規制反対派によって必ず言われるのが
- 銃は人を殺さない。人が人を殺すのだ。
Guns don't kill people. People kill people.
という言葉です。ジンダル知事のコメントなどはその典型であると言えます。この種の意見については、10月4日付の米ハフィントン・ポストでニック・ウィングという記者が反論しています。その意見も紹介しておきます。
悪いのは人間であって銃ではない・・・アメリカという国は市民が自己防衛のために銃を所有することが権利として、憲法で認められていますよね。"Guns don't kill..." という言葉の意味は、市民が銃を持つことが悪いのではなくて、精神不安定な人間、犯罪に走りやすい人間が持つから悪いのだから、大量射殺などという悲劇が起こるのだ。規制すべきなのは銃ではなくて、そのような危険な人間なのだというわけです。だから銃による悲劇を防止するためには犯罪目的で使うような人間をビジバシ取り締まることが肝心であり、人民の自己防衛権を否定する銃規制などとんでもない・・・全米ライフル協会や銃メーカーたちはそういうわけですね」。
このような見解についてニック・ウィング記者は、確かに銃そのものが人を殺すことはないし、犯罪者の取り締まりも大切であることは間違いないけれど、「だから銃規制は不要だ」という議論にはならないと言います。例えば交通事故で人が死ぬことがたくさんあるけれど、自動車業界が
- 車は殺さない。人を殺すのはドライバーだ。
Cars don't kill people. Drivers kill people.
などと言うだろうか?
自動車の世界では、交通事故死を減らすために政府によるさまざまな規制が設けられているし、安全な道路設計にも力を入れてきている。また自動車メーカーも政府の「命令」に従って技術開発を行ってきている。銃関連の団体のように「悪いのは人間だ」という理屈で「政府の介入はいっさい許さない」というやり方を自動車業界や関係組織が採用したら、今ごろ高速道路はさぞや混乱していたはずだ・・・というわけで、銃関連の団体が主張する「悪いのは人間」という理屈だけでは大量乱射事件はこれからも起こってしまうだろうとニック・ウィングは言っている。"Guns don't kill people" と言って済まされるような問題ではないということです。
▼アメリカの世論調査機関の調査によると、銃規制を強化するべきだという意見がこの15年間で66%から50%へと減っているのに対して、規制に反対という意見は29%から47%へと増えている。ところがアメリカにおける銃の所有率は(長いトレンドで見ると)下がっているのですね。個人の所有率は1980年の28.1%が2012年には21.8%に、家庭における所有率は1974年の46.1%が2012年には33.1%へと下がっている。
▼BBCのサイトに出ている共和党の候補者の意見を読んでいると、銃規制反対の意見はほとんど政策にはなり得ないような「素朴な意見」が多いように見える。例えば元アーカンソー州知事のマイク・ハッカビーは「気持ち悪い(creepy)人を見たら警察に届けろ」と提案しているし、元フロリダ州知事のジェブ・ブッシュ(イラク戦争のジョージ・ブッシュの弟)は「人間関係の再構築が必要」(we
need to re-connect ourselves with everybody else)などと言っている。これではお話にならない。
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銃規制とアメリカ:英国の保守派も唖然
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2)英国の原子力発電は中国が頼り
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9月26日付のThe Economistに「英国の核エネルギーとチャイナ・シンドローム」(Nuclear energy:The China syndrome)という記事が出ています。英国における原子力発電所の建設と中国のかかわりについて伝えているのですが、イントロは次のようになっています。
- 英国の原子力発電計画はあまりにも高価で中国に頼りすぎているように見える。
Britain’s nuclear plans look over-expensive and over-reliant on China
イングランド南西部のサマセット(Somerset)に建設中のヒンクリー・ポイントC(Hinkley Point C)と呼ばれる原子力発電所は建設費が245億ポンド(約4兆4000億円)、稼動開始が2023年とされているのですが、この記事によると建設費がオーバー、2023年の稼動開始などとても無理と言われている。が、ここへ来てちょっと様子が変わってきたのは、オズボーン財務大臣が最近、北京を訪問した際に、この原子力発電所の建設計画に中国からの投資が見込まれるようになったことを明らかにしたことによる。
そもそも世界に先駆けて原子力発電所を作ったのは1950年代の英国であり、オズボーン大臣によれば、英国こそが原子力発電についての指導的な役割を果たすべきなのだということになるけれど、The Economistによると「それは中国からの援助があってこその計画」(it could only do it with China’s help)ということになる。
ヒンクリー・ポイントCの原子力発電所の計画にはこれまでも問題がつきまとってきた。欧州委員会(Commission:EC)によると、建設費は元々160億ポンド(約2兆9000億円)と言われていたのが、昨年、85億ポンドも値上がりしてしまった。また政府の負担となる稼動コストも現在のままだとメガワット/時で92ポンドを発電会社であるフランスのEDFに対して35年間払い続けなければならないようなものになっている。
ヒンクリー・ポイントCで導入が予定されている原子炉はEDFがフィンランドやフランスで導入しているのと同じ型のものなのですが、EDFによるとフランスで建設中のものは当初計画よりも6年間遅れで完成、建設コストも当初予定の3倍を超えるものになってしまっている。
要するに考えていた以上のコストと建設の遅れが予想される事態になっているわけで、中国の名前が登場するのもそうした状況がバックになっている。The Economistによると、北京を訪問したオズボーン財務大臣が持ちかけたのが、中国企業によるEDFへの投資(約20億ポンド)およびイングランドのブラドウェルという場所に建設を予定している原子炉を中国製のものにするというハナシだった。
オズボーン大臣のこうした動きについては、英国の原子力産業や発電事業をそこまで中国の手にゆだねてしまって大丈夫なのかという声が英国内にあがっているわけですが、オズボーン大臣の思惑としては、これらの原子力プロジェクトを(中国のおカネを使ってでも)軌道に乗せることで、原子力発電所建設によって雇用も生まれるし、英国の建設業界にとっては経済的には大いに望ましいということもある。The Economistがさらに指摘しているのは、中国政府が国内で進めようとしている原子力発電所の建設にEDFや英国の関連企業が参加できるのではないかという思惑もあるということです。ただ最初に書いたコストの問題は相変わらず残るわけですが、
- コストの問題は発電所が完成して請求書が来て初めて分かることであり、つけを払うのは将来の政府であって現在の政府ではない。
The costs, meanwhile, would not become apparent until the plant is completed and bills rise. Future governments would reap the fallout, not this one.
とThe Economistは言っている。
▼最後に入れた英文の中に "reap the fallout" という表現があり、むささびは「つけを払う」という日本語をあてていますが "fallout" には事故が起こった際に原子力発電所出る「死の灰」という意味もある。
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3)EU離脱で英国は解体する?
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これまでにも何度か触れてきたけれど、英国がEUへの加盟を続けるかどうかの国民投票が遅くとも2017年末までには行われることになっています。10月13日付のThe Economistのネット版によると、残留への賛成・反対両派のキャンペーンが始まったのだそうであります。10月12日に残留賛成派(Britain Stronger in Europe)が旗揚げしたのですが、その3日前の10月9日に残留反対派が“Vote Leave”という名前で発足しています。賛成グループの名前が長ったらしいけれど、意味としては「ヨーロッパに居てこそ英国は強いのだ」ということです。
これら二つのグループは、今のところ名乗りを上げただけで、これら以外にも名乗りを上げるグループがいないとも限らないのですが、The Economistの説明によると、いずれは選挙委員会(Electoral Commission)によってこの二つが正式なキャンペーングループとして公認され、それぞれが700万ポンド(約1000万ドル)の資金を使って大々的なキャンペーンを繰り広げることになる。ちなみに現在のところでは賛成派の方が知名度の高い人が多い。例えばメージャー、ブレア、ブラウンの元首相、バージン・グループのリチャード・ブランソンらですが、残留反対グループに加わっているとされる人物は「労働党への多額献金者」(a big Labour Party donor)とかインターネットギャンブルの経営で成功した人物などで、むささびの知らない人ばかりだった。
そもそもこの国民投票を約束したキャメロン首相はどう考えているのか?10月7日の党大会で「EUが提供する統合市場に残留はするがユーロ圏には入らない」(つまり現状のまま)という選択の利点を強調していたことからしても、結局は残留賛成に回るのではないかというのがThe Economistの見るところです。では世論はどうかというと、これまでは残留支持がかなりリードしていたのですが、最近になって「接戦」になってきているとのことです。
もしEU脱退派が勝利するとどういうことになるのか?英国に投資している企業(特に自動車メーカー)はヨーロッパに活動拠点を移すことになったりするから、経済的には大変だとThe Economistなどは警告しているし、そうでなくてもEUの加盟国でなくなった英国とEUの関係がどうなるのかはため息が出るほどややこしいわけです。
The Economistによると、もっと厄介なのがスコットランドの動きです。政権政党であるスコットランド民族党(SNP)のニコラ・スタージョン党首が最近(10月11日)、もし英国がEUを脱退するのであれば、スコットランドの英国からの独立を問う国民投票を実施することを明言、今度は独立賛成派が勝利することは間違いないとも言っている。ということは、英国がEUから抜けるということは、英国そのものの解体を意味するということでもある。
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4)「保護する責任」というプロパガンダ
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混沌とするシリアについてインターネットを当たっていたらクレイグ・マレー(Craig Murray)という人のブログに出ていた『シリアと法』(Syria and the Law)というエッセイに出くわしました。この人は10年ほど前まで英国の外交官として駐ウズベキスタンの英国大使などをつとめたことがあるけれど現在は退職しています。それほど長いエッセイではないのですが、むささびが最も興味を惹かれたのが「保護する責任」(Responsibility to Protect)という考え方に対するクレイグ・マレーの姿勢でありました。
「保護する責任」というのは、国際問題に関連する一種の専門用語みたいなもので、マレーのエッセイを読むまではむささびは全く知りませんでした。国連広報センターのサイトに詳しく説明されているのですが、
- ある国において人権蹂躙が行われ、その国の人びとが悲惨な状態に置かれているときに国際社会はこれを黙って見ていていいのか?国際社会には、それらの苦難に喘ぐ人びとを「保護する責任」があるのではないか?
ということです。例えばシリア。とてつもない数のシリア人が国を捨てている。キャメロン首相に言わせると、それはアサド政権が自国民を虐殺(butcher)しているからだ、というわけでシリア空爆を主張したけれど、国内の反対でこれを断念した(むささびジャーナル275)。反対されたので仕方なしに断念はしたけれど、キャメロンの主張の根拠となったのが「保護する責任」であることは明白です。またイラク戦争のときもブレアが英米によるイラク爆撃を正当化する根拠として、サダム・フセインがイラク国内の多数のクルド人を毒ガスで殺害していることを挙げていたのを記憶している。
で、元外交官のクレイグ・マレーは「保護する責任」について何を想っているのか?彼はこの考え方を「ネオコン勢力によるプロパガンダ」であり、統治がまともでない後進国(less developed nations)の内政に、先進国が人権保護の立場から軍事介入するのは正しいことであるという考え方に基づいている、と言っている。マレーによると、それは16世紀のスペインに始まって19世紀(ビクトリア朝)の大英帝国やロシア帝国などが自らの帝国主義政策を正当化するために採用した考え方そのものであるというわけです。
マレーによると、「保護する責任」という発想は内政不干渉(non-interference)を原則とする国際法に反しているし、軍事行動には国連安全保障理事会の承認が必要であるとする原則にも反している。「保護する責任」などという言葉は普通に存在する国際条約でも使われていないし、国連憲章の上に来るような存在でもなく、国際慣習法でもない。つまり法的な概念ではなく、大国が内政干渉をするときに使うプロパガンダ用語のようなものなのだ、とマレーは主張します。
現在、シリアではアサド政府からの要請を受けたロシア軍が、ISILを初めとするテロ組織に対する空爆を行っているとされており、これに対してアメリカなどが、ロシアはISIL以外の反政府組織も攻撃しているではないかと非難しているわけですが、クレイグ・マレーは
- (関係各国の)法的な立場は完全に明確である。すなわちアサド大統領のシリア政府は法的にその存在が認められ、国連にも代表を派遣している存在である。そのシリア政府がロシアによる軍事支援を求めることは法的に許されることである。従ってロシアが(シリア政府からの要請で)ISILに対して軍事行動をとることは合法的である。
The legal position is perfectly clear. Syria has a recognised government,
that of President Assad, represented at the United Nations. That government
is legally entitled to call on Russian military assistance. Russian military
action against ISIL is therefore legal.
と言っている。ではアサド政権とISILの打倒を目指して軍事行動をとるアメリカやフランスの法的な立場はどうなのか?
- (シリアやロシアの法的な立場とは対照的に)アメリカとフランスの行動はシリア政府からも国連安全保障理事会からも承認を得ていない。従って明らかに違法である。
By contrast, US and French military action has neither the sanction of the Syrian government nor the sanction of the United Nations Security Council. It is therefore plainly illegal.
ということになる。マレーはまたシリアへの軍事支援を行うロシアについて
- 最後に言っておくと、上に述べたのと全く同じ趣旨でロシアのウクライナへの介入が違法であることには何らの疑いもない。
Finally, I should add that on precisely the same arguments, Russia’s intervention in Ukraine is, beyond any doubt, illegal.
と主張している。
マレーの意見には130件以上のコメントが寄せられており、中には「独裁者に苦しめられる人びとを、外国が軍事的に保護・救出するのは法律的には認められないとしても道徳的には許されるべきだ」という意見もあります。それに対するマレーの反論は
- 法律と道徳の間には違いがあることは確かである。しかし独裁者を打倒するのはあくまでもその国の人びとの仕事だ。
There is a difference between legal and moral, indeed. But the onus on deposing a dictator lies with the people of a country.
ということです。
▼「保護する責任」論については、学者や外交官・政治家などの間ではさぞやいろいろと議論があるとは思うけれど、大体において保護する側が「先進国」で、される側が「発展途上国」であることはマレーの言うとおりですよね。そしてほとんど不可避的に「上から目線」の発想です。「可哀想な人たちを救ってあげる先進国」というわけです。この「保護する責任」論をすべて否定することはできないかもしれないけれど、「独裁者を打倒するのはあくまでもその国の人びとの仕事だ」というマレーの主張は(少なくとも理論的には)正しいと思いませんか?
▼むささびよりも10才ほど年上の英国人と話をしていたときに、アフリカにおける貧困や政府による人権蹂躙のことが話題になった。彼が大真面目に言ったのは「人びとがこれほど困っているのに黙って見ていろというのか?」ということだった。それに対してむささびは「黙って見ていろ」とは言えなかった。本当は「あなたのような"正義感"が人を殺しているのだよ」と言いたかったのですが・・・。その英国人はトニー・ブレアの大ファンだった。
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シリア:介入しない勇気 |
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5)「声なき声」にノーベル文学賞
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今年のノーベル文学賞にベラルーシのスベトラーナ・アレクシェービッチ(Svetlana Alexievich)というノン・フィクション作家(67才)が選ばれましたよね。この人のことを「ジャーナリスト」と呼ぶ人もいるようですが、文学者でない人がノーベル文学賞に選ばれるのは珍しいとのことです。英国メディアの報道によると、彼女の代表作の一つに
"Voices from Chernobyl" という作品がある。日本では『チェルノブイリの祈り』というタイトルで岩波書店から出ているようです(むささびはまだ読んでいない)。
1986年4月26日、当時はソ連の一部だったウクライナのチェルノブイリで起こった、あの原発事故に関するドキュメンタリーです。といっても事故そのものではなく、あの事故によって被害を受けた人びとについてのドキュメンタリーです。本のサブタイトルが「ある核事故についてのオーラル・ヒストリー」(Oral History of a Nuclear Disaster)となっている。つまり「語り継ぐチェルノブイリ事故」ということですね。
ここをクリックすると、"Voices from Chernobyl"(英文版)の一部を読むことができるのですが、最初から最後まで作者(アレクシェービッチ)がインタビューをしたチェルノブイリ原発事故の被害者(生存者)の言葉が一人称で書かれている。
作者によると、インタビュー取材を始めたのが1986年だから、10年かけて約500人にインタビュー、最終的にはそのうち107人の言葉が収容されているのですが、例えば放射能汚染が理由で村人たちがよそへ移住してしまった村に独りで暮らしている年老いた女性の言葉:
最初はみんな帰ってくるのを待っていたの。誰もずっと帰ってこないなんて言わなかったからね。でも、いま待っているのは死ぬことだけ。死ぬのは難しくない。でも怖い。教会もないし、牧師も来ない。自分が犯した罪を告白する相手がいないのよ。 |
彼女の家の周囲には夜になると狼が出没するのだそうです。彼女は「若い人は死ぬことを選べるけれど年寄りは死ぬしかないってことなのよね」(A young
person can die, an old person has to die...)と言っている。
チェルノブイリ原発の建屋と原子炉が崩壊した直後に消火に駆けつけ、後に死亡する消防士の妻の語り:
何について話せばいいのか分かりません。死についてですか?愛についてですか?ひょっとすると両方とも同じことかもしれないですね。どっちのことについて話します?私たちは新婚だったんです。道を歩くのに手をつないでいたりして・・・ |
この新婚夫婦は原発の付近にあった消防署の宿舎で生活していたのですが、ある夜、彼女は「騒音(ノイズ)」を耳にしたので、窓から原発の方を見た(実際にはこの部分も妻の語りスタイルで書かれている)。
「窓を閉めて寝ていろ。原子炉が火災にあっているようだ。すぐ帰ってくるからな」と夫は言いました。私自身は爆発そのものを見たわけではないのです。ただ炎は見えました。全てが光っているように見えました。空全体が、です。高い炎、それから煙。熱は凄かった。彼はまだ帰っていません。 |
とにかく最初から最後まで、作者のナレーション抜きで、一人称による「独り言」のような証言が続くわけです。どれも非常に悲しいものなのですが、なぜか読むのを止めることができない、不思議な本です。
アレクシェービッチは自身のブログ "A SEARCH FOR ETERNAL MAN"(永遠の人間を探して)の中でノンフィクション作家としての自分の仕事について次のように語っています(原文はロシア語、ブログはその英訳)。
- 私はこれまで自分の世界観、すなわち自分の耳が聴き、眼が見る人生とか生活(life)を伝えるにはどのようなやり方が一番いいのかを模索してきた。いろいろ試してみた結果たどり着いたのは「人間の声そのものを伝える」ということだった。
I've been searching for a genre that would be most adequate to my vision of the world to convey how my ear hears and my eyes see life.I tried this and that and finally I chose a genre where human voices speak for themselves.
彼女の有名な作品として "Zinky Boys"(邦題『アフガン帰還兵の証言』日本経済新聞社)というのがある。ソ連がアフガニスタンに侵攻した戦争(1978年-1989年)で、結局敗退するのですが、その戦争に駆り出された兵士やその家族による証言集です。自分の息子の戦死を知らされた母親の証言:
息子の死を知らされて、私、床に倒れ込んでしまいました。で、知らせに来た大佐に言ってやったんですよ。「あたしの息子が死んで、なんでアンタが生きているのさ。アンタはでかいけど、ウチの息子は小さかったのよ。アンタは男(man)だけど息子は子供(boy)だった。なんでアンタは生きてるのさ」ってね。 |
登場人物の語り言葉だけで伝えるやり方を“polyphonic writings”(多声式記述法:むささびの訳)というのだそうで、アレクシェービッチにノーベル文学賞を与えたスウェーデン・アカデミーは彼女の作品は「現代の苦しみと勇気に対する記念碑」(a monument to suffering and courage in our time)であると言っています。またThe Economistは彼女のことを "Giving voice to the voiceless"(声なき人びとに声を与える)作家であると言っている。 |
▼むささびがアレクシェービッチの発言(の英訳)を読んでいると、論理的には繋がらないけれど、感覚的には共感する部分が非常に多い。ノーベル文学賞の受賞について、スウェーデン・アカデミーの担当者と電話で行ったインタビューが
"I am not a cool chronicler. My heart is always there" というタイトルで出ています。「自分はクールな記録者ではない、心は常にあちらにある」というわけです。いわゆる「客観的」なジャーナリストではないということですよね。チェルノブイリにしてもアフガニスタン戦争にしても書かれている内容は「恐ろしい」としか言いようがないわけですが、アレクシェービッチは「恐ろしいけれど読んで良かった」(read
such horrible books and feels better)と思われるようなものを書きたいと強調しています。恐ろしさにただ打ちのめされるような本ではないということです。
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6)「チェルノブイリの声」が伝えたかったこと
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ノーベル文学賞を受賞したスベトラーナ・アレクシェービッチは、1948年、ウクライナで生まれています。父親はベラルーシ人で母親がウクライナ人だった。父親はソ連の軍人としてウクライナにいたのですが、除隊と同時に家族はベラルーシへ移住、スベトラーナは幼い頃から大学を出て新聞記者になるまでベラルーシで過ごしています。
2005年に"Voices from Chernobyl"の英語版が出版されるにあたって行われたアレクシェービッチとのインタビューが出版社(Dalkey Archive Press)のサイトに出ているのでその一部を抜粋して紹介します。繰り返しますが、このインタビューが行われたのはチェルノブイリ事故から約20年後のことです。さらに言うと、このインタビューが行われる15年前にベラルーシやウクライナもその一部であったソビエト社会主義連邦が崩壊しており、4年前にアメリカで9・11テロが起こっています。どれも世界の歴史を変えることになった出来事です。ここでは本のタイトルを『チェルノブイリの声』としておきます。
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『チェルノブイリの声』(英語版)という本は、読者にどのような影響を与えると思うか? |
チェルノブイリの事故から20年、あの事故についてはすべて分かったとか、過去のことだとか、もうこれ以上のことは知りたくない・・・という意見がある。でもあの事故が被害者(生存者)に与えた精神的な影響については全く理解されていない。例えばチェルノブイリの事故によって、(ベラルーシ人の)古い恐怖が新しいタイプの恐怖に取って代わられたということ。 |
「古い恐怖」と「新しい恐怖」? |
チェルノブイリ事故の前までは、人びとの恐怖心はもっぱら共産主義権力に対するものだったが、事故後は放射能への恐怖の方が強くて共産党のボスたちへの恐怖心の影が薄くなってしまった。また権力者の方も住民を立入り禁止区域から立ち退かせるために、かつてのように強制的な権威を振り回さなくなった。それをやると逆効果になると考えたからだ。そのことが却ってチェルノブイリ事故の深刻さを強調することになってしまった。またこの本を読んだ人びとの反応は私の予想したとおりだった。皆が自分の人生の意味とか人間が生きることの意味を考えるようになった。皆が新しい世界観が必要だと考えるようになった。自分たちを救ってくれるような世界観ということだ。 |
『チェルノブイリの声』を書いた動機は何か? |
チェルノブイリが示したのは、現代文明が持っている「力の狂信」(cult of force)が如何に危険なものかということだ。そのことを示したかった。権力と弾圧に頼り切ることの不完全さが明らかになった。人間らしい人間(humanitarian
man)が技術人間(technological man)の尻を追うということがいかに危険であるかということだ。あの事故で吹き飛んだのは原子炉の屋根だけではない。チェルノブイリは我々の世界観そのものを吹き飛ばしてしまったのだ。ソ連を支えているシステムそのものにダメージを与えたのだ。あの爆発は我々の生活そのものを吹き飛ばしてしまった。事故の後、ベラルーシでは非常に数多くの反政府集会が開かれるようになった。普通の人びとや子供たちを守ろうとする試みだったのだが、政府の権威主義が一般的だったベラルーシではユニークなことだったので、その経験も伝えたかった。 |
あなたが実際の人たち(被害者)から聞いた話と役人が伝える「オフィシャルな話」あるいはメディアが伝える話とは違っていたか? |
全く違っていた。ベラルーシではいつもそうではあったし、ロシアでも部分的にはそうだった。オフィシャルな話は普通の人のそれとは全然違うということだ。全体主義権力者の狙いはいつものとおり自己保身ということだ。チェルノブイリ事故のころの権力者は人びとがパニックに陥ることを恐れると同時に真実(truth)が明らかにされることも恐れたのだ。ほとんどの人びとは何が起こっているのかは分からなかった。権力者たちが普通の人びとを騙していたのだから。それが彼らの自己保身術だったのだ。「全てはコントロールされている」(everything
was under control)、「危険は何もない」(there was no danger)と言い続けていた。だから子供たちはサッカーで遊び、アイスクリームを食べ、砂場で遊んだりしていたのだ。大人たちも海岸で日光浴などしていたのだ。 |
『チェルノブイリの声』の中であなたはこの作品を「未来のために書いた」と言っている。 |
チェルノブイリに通った10年間、いつも感じていたのは自分が「未来を記録している」ということだった。話を聞いた誰もが口にしたのは「こんなこと聞いたことない」「見たことない」「読んだことない」という言葉だった。あの事故によって、それまでになかった「新しい感覚」(new feelings)が生まれたと思う。それには「恐怖心」も含まれる。「愛することへの恐怖心」や「子供を作ることへの恐れ」がそれだ。チェルノブイリの事故以前は「異常な子供が生まれたらどうしよう」という疑問など抱いたこともなかった。それと時間の感覚。「放射性物資の半減期は3000年から1万年」などと言われて分かります? |
全てが「想像」や「理解」の域を超えていた・・・。 |
自分がそれまで暮らした家、村、町に二度と戻れないと思いながら、そこから離れなければならない人の気持ちなど分かります?そんなこと想像もしたことがない。新しいフィーリングなのですよ。放射能に汚染された村の場合は、何から何まで地中に埋めなければならなかったのです。自分の家はもちろんのこと、家財道具のすべて、飼っていた動物まで埋められてしまうのです。人間は物も家も土地も動物も、すべてを裏切った(betrayed)のですよ。あとに残るのは、埋設物によってこんもり盛り上がった地面だけ。とても現実のものとは思えない光景だったのだ。 |
『チェルノブイリの声』はアメリカではどのように評価されると思うか? |
私の想像によると、アメリカは9・11テロ事件で変わってしまったのではないか。世界がいかに頼りないものであるか、我々がいかに相互に依存し合っているかが分かるようになったのではないか。以前に比べれば『チェルノブイリの声』のような本も受け付けるようになっているのではないか。 |
いま何が一番大切だと思うか?
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アメリカ人は9・11という苦しみを体験した。いまの世界で危険なことは、他者の苦しみ体験(experience of other peoples’
sufferings)を軽視してしまうことだ。ロシアもベラルーシも「苦難と苦痛の文明」(civilization of ordeals and
suffering)と言えると思う。欧米ではロシアといえば「傲慢さ」(haughtiness)という語り口が多い。「ロシア人はいつもどこかおかしいよ」(always
something wrong with these Russians)というわけだ。実際には、いまや全世界が危機に直面しているのであり、日常生活の中では「愛」よりも「恐怖」を感じることの方が多くなっている。そのような状況ではロシア人の「苦しみ体験」(experience
of suffering)にもそれなりの価値があると言えるのだ。我々には生き続ける勇気(courage to live on)が必要だと思うし、皆がその勇気を十分に持っていることを祈りたい。 |
チェルノブイリ原発の事故とベラルーシの関係ですが、ベラルーシはウクライナの北に位置する隣国同士であり、チェルノブイリはウクライナ北部のかなりベラルーシに近いところにあるのですね。原発事故によって大量の放射性核種というものが大気中に拡散した。5000万キューリという単位なのですが、むささびにはよく分からない。ただ、拡散した放射性物質の70%がベラルーシ領内に降下、領土の23%が汚染されたとされている(ウクライナ領土の汚染は4.8%、ロシアの場合は0.5%とされている)。
▼上記の「対話」は、もともとロシア語で行われたものを英文に直して出版社のサイトに掲載されたものなのですが、むささびに掲載するについては大幅にはしょってあるだけでなく、質問もアレンジされています。本人の答えの部分が異常に長くてとてもそのままでは掲載できないので、二つに分けている部分もある。本人の発言に近いものを知りたい場合は出版社のサイトに出ているものをお読みになることをおすすめします。
▼実はチェルノブイリについては10月5日付のGuardianに気になる記事が出ています。英国の大学教授らがCurrent Biologyという生物学の専門誌に発表した論文によると、「チェルノブイリ原子力発電所付近では放射能にもかかわらず野生動物が増えている」というのです。教授らのチームが最近、空から観察した「立入り禁止区域」の野生動物(狼、鹿、猪など)の数が事故直後のそれに比べて大幅に増えているのだそうです。この観察した教授らは「あの事故がエコシステム全体にもたらしたダメージが甚大であったというのは難しいのではないか」と言っている。
▼なぜこの記事が(むささびには)気になるのかというと、今回観察された動物の数の比較対象となった事故直後の動物の数に関する資料がベラルーシ政府によって最近まで公表されてこなかったものであったということです。いままで公開されなかったのが、なぜ今になって公開されることになったのか?それが「放射能の影響なんて大したことない」というニュアンスの研究発表の材料に使われているということです。まさかアレクシェービッチがノーベル文学賞を受けたこととは無関係ですよね。彼女のノーベル文学賞受賞が発表されたのが10月8日、その3日後の11日にベラルーシの大統領選があり、ルカシェンコ大統領の再選が決まっている。この人は1994年以来、20年以上も大統領の座にあるのだそうですが、アレクシェービッチのことは快く思っていない。彼女は受賞発表の記者会見で「政府は私なんて存在しないというふりをしている」(They pretend I don’t exist)と語ったとThe Economistは伝えています。
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「福島をチェルノブイリと比べるな」
世界初の原子炉重大事故 |
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7) どうでも英和辞書
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simile:直喩、 明喩
ちょっと目には "smile"(微笑む)に見えてしまうけれど、"simile"(カタカナでシミリ)を英和辞書で引くと「直喩、 明喩」と出ており、むささびには日本語の意味が分からない。「A is as…as B [like B] の形式で比喩を表現する修辞法」なんて言われるとますますアタマが混乱する・・・と困惑していたら、我が家のウィキペディア(Mrs Musasabiのこと)はさすがですね、「それは例えば"キツネみたいにずるい"のように具体的な例を使って、いろいろな事柄を表現するやり方」と教えてくれました。「な~んだ、そのことか」というので考えてみると実にいろいろありますよね。「竹を割ったような性格」とか「借りてきた猫みたい」とかいう、あれですね。「雪のような肌」、「リンゴのようなほっぺた」、「光陰矢のごとし」・・・。
当たり前ですが、英語の世界にもある。"She is as cute as a kitten"(彼女は子猫のように可愛い)とか。ここをクリックするといろいろと例が出ているけれど、比喩の例として使われるものを見ると文化や習慣の違いがあって面白い。
as busy as a bee ハチみたいに忙しい
エネルギーに満ち溢れる人のことを言うので、必ずしも悪い意味ではない。 |
as black as coal 石炭のように黒い
真っ黒ということを言いたいときに使うのだそうです。 |
as blind as a bat こうもりのように盲目
ものが見えない状態のことを言うらしいのですが、なぜ「こうもり」なんですかね。
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This house is as clean as a whistle 笛のように清潔な家
「笛のように清潔」は、人の経歴などにも使われるらしい。政治家として立候補するためには "Your past must be as clean
as a whistle" というわけですね。 |
Your explanation is as clear as mud 泥のように明快な説明
「あんたの説明はさっぱり分からない」という意味。皮肉ですね。 |
She is as thin as a toothpick 爪楊枝のように痩せている
「痩せている」と言うのに爪楊枝を使いますかね。 |
Sleeping like a log 丸太のように眠る
死んだように眠ることですね。丸太は「身動きしないもの」の象徴なのかも? |
As white as a ghost 幽霊のように白い
どこでも幽霊というのは白いもの。真っ赤な幽霊とかグリーン幽霊なんて怖くない。 |
下から二つ目の「丸太のように眠る」は、懐かしいビートルズの "A Hard Day's Night" の歌詞に出てきますよね。
- It's been a hard day's night
And I've been working like a dog
It's been a hard day's night
I should be sleeping like a log
という、あれです。"dog"と"log"が韻を踏んでいるわけよね。 |
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8) むささびの鳴き声
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▼普通は6本もしくは7本の記事を載せる「むささび」ですが、今回は8本になってしまいました。それもこれもスベトラーナ・アレクシェービッチという人のノーベル文学賞のおかげです。むささびはロシアにもチェルノブイリにもそれほど大きな関心があったわけではないけれど、英国メディアの報道が「只者ではない」ということを感じさせたということです。対談だの作品だのを斜め読みしただけでも圧倒されてしまうくらい「珠玉の発言」だらけだったわけ。
▼例えば彼女は、自分の著作のことを人びとの「フィーリングの記録」だと言っている。人間の口から出てくる「言葉」にはアタマから出てくるものと、心やお腹から出てくるものがあると思うけれど、彼女の場合はそのすべてを「私は」とか「オレは」というような一人称で記録している。それが100人以上にもまとまると「歴史」の記録となるということですね。皆が出て行ってしまった立入り禁止区域で暮らしているおばあさんが口にした「若い人は死ぬことを選べる(can die)けれど年寄りは死ぬしかない(has to die)」という言葉は、原発事故とは関係ないけれど、あの事故の被害者が口にした言葉であることは間違いない。アレクシェービッチはそれを書物として記録したということです。と言いながらむささびは彼女の作品そのものは何も読んだことがない。いちばん読んでみようと思っているのは、延々10年にもわたって続いたソ連とアフガニスタンの戦争に参加した人びとの「フィーリングの歴史」です。
▼アレクシェービッチはまたチェルノブイリの事故が、自分も含めたベラルーシ人の「世界観」(world view)を変えたとして、共産主義の権威失墜もその一つであると言っている。福島の原発事故は東日本大震災という自然災害がなければ起こらなかったという意味では、チェルノブイリとは違うかもしれない。しかし事故後のアタフタぶりによって、日本人が「絶対」と信じ込んでいた官僚と大企業の権威が失墜したという意味ではベラルーシにおける共産主義の権威失墜と同じなのではありませんか?
▼それまでの日本で信じられていた原発の「安全神話」というのは「官僚+大企業の無誤謬性神話」のことだったのでは?事故後の「原子力保安院」や東電による記者会見のお粗末さ加減を憶えていますか?ベラルーシでは共産主義制度そのものは崩壊したけれど「権威主義」のようなものが脈々として続いていることは、同じ人物が20年以上も大統領を続けていることからも伺える。日本では(むささびの見るところによると)官僚の力は自民党によって息を吹き返すことができた。
▼それにしてもノーベル賞をめぐるメディアの騒ぎぶりは何なのですかね。自分の国からはノーベル賞受賞者がたくさん出ていることを国の海外PRの材料として使うのは英国も似たようなものではあるけれど、自国内で自分の国の人たちに向けて「また日本人がやったぁ!」と騒ぎまくることはやらない。いつの日かこんなことを止める時が来るのでしょうか?文学賞の「有力候補」とされている作家は本当に気の毒ですよね。その意味では、ラグビーのワールドカップから帰国した選手たちをスタジオに呼んで大騒ぎをする「公共放送」にはバカにされた気分だった。何かというと「日本人ってすご~い!」などと叫びたがる癖は何とかならないのでありましょうか?「すごいよな、な?そうだろ、な?なんで黙ってるんだよ、てめえは」と酔っ払いに絡まれているみたいで非常に気持ち悪い。
▼ノーベル賞にもラグビーにも全く関係ないけれど、先日ラジオでちょっと面白い川柳を聴きました。
▼にくいと思いません?オレオレ詐欺で金をふんだくろうと思って電話したのに「え?何?聞こえない、もうちょっと大きな声で言ってよ。誰?知らねえな、オレオレなんて奴は・・・え?誰だって?」などと言われたら困るでしょうね。まさか大声で「だからさ、オレだよ、息子の晋三。いますぐ200万、振り込んでくれっつうの!分かった!?」なんて叫ぶわけにいかないよね。
▼というわけで、例によってダラダラと失礼しました。お付き合いに感謝します。干し柿、食べません?
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