musasabi journal

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375号 2017/7/9
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
九州北部の豪雨災害で、「流木付近で死体が見つかった」と昨日のニュースが伝えていました。テレビで見ると濁流とともに集落を襲った流木が杉もしくは檜(ひのき)のように見えてならない。つまりまっすぐなのです。埼玉県などでも山の中に垂直に立っているのは、みんな杉か檜です。ナラ、クヌギ、松、桜・・・いずれも曲がって立っており、四方八方に枝を伸ばしている。災害現場の流木を見ると、中には枝打ちされたとしか思えないような樹木もあります。あれは山の中で伐採されたけれど、何らかの理由でその場に置いてあったものが流されたものなのでしょうか?いずれにしても流木の種類が何であるのか、ぜひ知りたいものです。

目次

1)労働党は鉄道の再国有化を訴えるけれど・・・
2)「起こらなかった事件」を語る
3)「不沈オーラ」が消えた?
4)報道の自由度ランキング
5)日本占領とイラク占領
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)労働党は鉄道の再国有化を訴えるけれど・・・

最近の選挙で予想外の大健闘をしたジェレミー・コービン党首率いる労働党ですが、マニフェストで謳った政策の一つに鉄道の再国有化というのがありました。その鉄道をめぐる信じられないような話題を二つ。


掲示板から出発時刻が消える・・・

一つは6月2日付のTelegraphのサイトに出ていたもので、電車の出発時刻の2分前になると駅の時刻表から出発時刻の情報が消えてしまうという話題。ロンドン近郊を走るテムズリンクという鉄道が各駅でこれを行っているのですが、利用客の怒りを買っているのだそうです。

例えばあなたが午後2時半発の電車に乗るべく駅へ来たとします。時計を見たら2時28分。貴方ならどうします?当然、走りますよね。息を切らしながらプラットフォームに来て念のために時刻表を確認しようとしたら、乗ろうと思った電車の出発時刻もプラットフォームの番線もない。呆然とする貴方を嘲笑うかのように電車があちらのフォームから出発していった・・・怒りますよね、当然。Telegraphによると、これはテムズリンクが利用客の「健康と安全」(health and safety)のために導入したシステムなのだそうです。出発間際に駅へやって来た利用客が駅構内を走ることを防止する対策なのでありますね。

テムズリンクの広報担当によると、これまでに駅の構内を走るのは危険だという警告のポスターを何度も張り出してきたけれど、一向にこれが止まず、そのための事故も多発している。だったら時刻表に出発情報を書いていなければ利用客が走る危険をおかすこともないだろう・・・というわけです。が、この記事の不思議なのは、そのような対策を講じたことで事故が減ったのかどうかについての言及が全くないこと。ただ利用客に悪評サクサクで、
  • 実にアホらしい。時刻表から情報が消えるとなると、スマホ情報に頼るっきゃない。利用客がスマホ見ながら階段やエスカレータを上り下りする方が安全だとでも言うのか?
という人もいる。

▼掲示板に出発電車の情報を掲載しなければ、乗客が走らなくなる(かもしれない)・・・こんなことを考え付いたスタッフは、どういうアタマを持っているのか?

不正乗車は禁固3か月!?

鉄道をめぐるもう一つの話題は、書評誌のTimes Literary Supplement (TLS) の約10年前(2008年)のサイトに出ていたエッセイで、電車の「一等車」と「普通車」の差に関するもの。女流エッセイストのマリー・ビアード (Mary Beard)が、英国における過度な罰則に対する怒りの告発として寄稿したもので、
という見出しがついている。

ビアードはケンブリッジ大学の教授でもあるのですが、仕事柄ケンブリッジ=ロンドン間(約45分)を走るFirst Capital Connectというラインの電車を利用することが多かった。ケンブリッジ=ロンドン間というと、日本の感覚でいうと「東京=鎌倉」という感じですかね。ビアードが利用した電車には「一等車」(first class) と「普通車」(standard class) があるのですが、普通車の乗車券しか持っていない人が一等車に乗ると「罰金1000ポンド(ざっと13万円)または3か月の禁固刑」(three months in prison)に処される可能性があるという掲示があるのだそうです。


もちろん「禁固3か月」というのは最も重い刑の場合であり、それが適用されることは稀であることは分かっている・・・と言いながらもビアードは
  • この掲示(そしてそれについて誰も文句を言わないということ)が示しているのは、社会が機能するためには誰でも彼でも厳罰でぶっ叩くのが一番という発想を我々英国人自身が受け容れてしまっているということだ。
    But this notice (and the fact that there is no rebellion over it) shows just how far we have all accepted the idea that banging someone up is the best form of punishment/retribution for society to exact.
と怒っている。正規料金を払わずに一等車に乗ってしまったというだけで乗客を犯罪人扱いする・・・それがグッド・アイデアだとでも思っているのか!というわけ。
▼この記事を読んだあとでネットを調べてみたら、英国の駅や電車内に掲示される「警告」のサンプルがありました。デカデカと "WARNING: Have you paid?" と書いてある。「アンタ、払ったの?」というわけです。確かに不愉快ですよね。JRがこんな掲示板を出したら、抗議殺到で大騒ぎになるのでは?日本では駐車場での違法駐車に対する警告として「3万円を申し受けます」などと書いてある例がありますよね。

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2)「起こらなかった事件」を語る
 

最近のLondon Review of Books (LRB) に "Death at the Banquet"(宴会の死) という変わったエッセイが出ていました。書いたのはロン・リン(Long Ling)という名前の女性なのですが、彼女は中国の政府関係者(government official in Beijing)らしい。書評誌にエッセイを書くような人物とも思えないと思ったら、このエッセイはロン・リンという中国人が中国語で書き、それを英国人が英訳したものであると説明されていました。書き出しからして奇妙なのです。
  • この出来事が起こったのはわずか3か月前のことである。男の名前は憶えていないし、自分の記憶そのものが正しいのかどうかさえ定かではない。もちろん私の記憶を確認してくれるような人はいない。あの出来事を思い出したいなどと思う人間がいるだろうか?みんながあれを忘れてしまいたいと思っており、それは私も同じなのだ・・・。
    Although the events described here occurred only about three months ago, the man’s name escapes me. I’m not at all certain my memory is correct, and of course no one will confirm my recollections. Who wants to remember what happened? Like me, everyone wants to forget.


宴会が欠かせない?

「この出来事」が起こったのは中国西部の辺境の町だった。筆者のロン・リンは北京の中央政府から出向している役人で、いずれは北京へ戻る身だった。彼女は地元では大いに歓迎されていると感じながら生活していたのですが、多くの時間を割かれるのが「宴会」だった。それはそこが田舎町であるということが理由なのではなくて、彼女によると、政府であれ、共産党であれ、幹部の生活では宴会が非常に大きな時間を占めるものなのだそうです。2013年に党が、党の関係者による奢侈をいましめるべく運動を始めたことで、多少は改まったけれど、それまでは一晩で二つも三つもの宴会を掛け持ちする幹部もいた。これにはロン・リンも含めてうんざりしている者が多かったので、奢侈防止運動が始まってホッとしている部分もあった。

その日、ロン・リンが仕事を終えて帰り支度をしていると、ある女性局長が男の同僚を二人連れて部屋へ入ってきた。その二人は、つい最近、昇進してロン・リンの役所で仕事をすることになったので紹介したいとのことだった。二人の男性はざっと40才という感じだった。少しだけ言葉を交わして、その場は終わったのですが、彼女が自転車に乗って自宅へ帰る途中、携帯が鳴った。出てみると、先ほどの女性局長だった。あの二人の男性を誘って、ごく簡単な夕食(simple dinner)をすることになったので、ロン・リンにも参加して欲しいというのだった。「北京から派遣された人に会えるなんて、光栄だと言っている・・・」とのこと。

▼「自転車で帰宅」と言う部分ですが、赴任当初は公用車で送り迎えされていたのが、それが政府の合理化政策のおかげで中止されてしまい、それ以来自転車通勤が続いているのだそうです。自宅までの距離は約5キロです。田舎町で空気がきれいなので、自転車通勤も全く嫌ではない、とロン・リンは言っている。


アルコール度50%で乾杯!?

ロン・リンは「今夜は別の約束があるから」と断って携帯を切り、再び自転車をこぎ始めた。間もなくすると後ろから黒塗りの乗用車(アウディ)が近づいてきて、ロン・リンの自転車の行く手を阻むようにして停車した。降りてきたのは、あの女性局長と二人の新入り職員だった。そして「他の招待客がレストランで待っているから」と半ば強制的に車に乗せられて宴会が行われるレストランへ連れられてきた。

レストランに到着すると、すでに9人の招待客がテーブルについていたけれど、それが全員つい最近、ロン・リンが別の宴会で顔を合わせた人間ばかりだった。彼らによると、みんなあの女性局長に説得されて不承不承やってきたとのことだった。「乾杯」が始まる。まずは例の女性局長が全員を相手に3回乾杯する。ロン・リンによると、一回の乾杯でアルコール度50%の酒が30ml飲み干されるのだそうです。それが終わると出席者同士の「一対一」の乾杯が続く。そうやっているうちにボトル2本分の酒があっという間になくなる。
▼「アルコール度50%」って並みの強さではありませんよね。むささびはアルコールに弱いのでネットを調べたらビールが5~10%、ワインは15~20%ときてウォッカ」、ウィスキー、テキーラなどが50%の範疇に入っていました。"30ml"ってどのくらい?ペットボトルのキャップ3つ分だそうです。

が、宴会の途中でロン・リンは、自分の隣に座った例の女性局長がテーブルを挟んで向こう側に坐っている大柄な男性客の方を心配そうにじっと見つめていることに気が付く。背が高くて肥満気味、日焼けした顔のその男は、急に立ち上がるとそのまま自分の椅子に倒れ込む。ロン・リンも含め全員がその男の席に駆け寄る。男はいびきをかきながら眠り込んでいるように見える。額には汗がびっしょり噴き出ている。「眠ってるんですよね、そうですよね?」と言う声が聞こえる。

「飲むなと言ったのに・・・」

何かとんでもないことが起こってしまった・・・と全員が気が付き始める。一人が病院へ電話、二人が薬局へ走る、他はみんな救急車の到着を待っている。ロン・リンは気を失ったかに見える男の身体を支えているけれど、その重さはすごいものだった。男の顔を叩いても反応を示さないけれど、いびきだけがやたらと大きく響く。ロン・リンも顔を叩きながら名前を呼んだはずなのに、なぜかその男の名前を思い出すことができない。そうしているうちに男の手が冷たくなってくる、顔が白くなり、それから紫色に・・・誰かが「死にかけている」(he’s about to die)とつぶやく。誰も答えない。ただ沈黙している。

救急車が到着、医者たちが歩き回る音で周囲が騒がしくなる。「死にかけてる、家族を呼べ・・・時すでに遅しだ」、「なぜもっと早く処置しなかったんだ?」(Why didn’t you do something earlier?)と医者が問い詰める声が聞こえる。が、ロン・リンは詳しくは思い出せない。「どうすればいいのか、分からなかったんです」と女性局長が答える。彼女は警察の取り調べに対しても「飲むなと言ったんですが・・・」と答えている。彼女がそんなことを言ったのは誰も聴いていなかったけれど、それを口にする者はいなかった。



「宴会で死んだ?ふざけるな!」

問題は彼の死をどうするのかということだったけれど、困るのは彼が宴会の場で死亡したということであり、その宴会の席にいたのが全員、政府の人間だったということ。政府の人間が、宴会をやっていた?しかも公費を使って?となるといろいろと疑惑を招きかねない。あっという間にネットでニュースが広がる。「政府高官が宴会で飲み過ぎて死亡?ふざけるな!」というわけだ。責任はみんなで分担しなければならない。位の高い者はクビになり、それほど高くない者は謹慎処分か・・・。いずれにしても自分たちの将来はこれで終わりだ・・・。問題はあの男の家族が何を言うかだ。金銭補償で済ませることができると言ってくれればいいが・・・。

死んだ男の妻がやって来た。大声で泣いている。妻は夫の死骸にブランドもののコートとスーツを着せることを要求した。夜中の3時に「ブランドもの」など手に入るわけがないが、ファッション・ショップのオーナーの自宅に電話を入れて、高級ブランドの衣装を購入して病院へ届ける。妻は夫の両親が到着するのを待ってほしいと要求する。地方の村から来るので3~4時間はかかるとのこと。
 


夜が明けた。死者の妻によると、家族の生活は夫の給料だけが頼りだった。彼の両親は病気、子供はまだ幼い・・・というわけで、彼女が要求したのは、宴会に居合わせた者が、それぞれ自分の年収分のお金を払うということだった。「できるだけのことはさせてもらう」と答える。妻は補償額で合意に達するまでは死体の焼き場に送るのは拒否する、と。

「宴会なんてなかった」

日が昇る頃にものも言わずに解散した。みんな疲れ切っていたが、何事もなかったかのように職場へ戻って行った。そしてその「事件」は翌日、その町の副市長に報告された。副市長によると、事件の真相は次のようなものだった。
  • 同志の一人が心臓発作で死亡した。彼は働きすぎて心臓を悪くしていたのだ。飲酒とは無関係だった。宴会などなかった。地元の警察も事件については一切の報告を受けなかった。宴会がなかったのだから、誰も責められることはないし、謹慎処分もない。
副市長はまた、死んだ男の生前の勤労ぶりに敬意を表して、彼の妻が巨額の補償金を受け取ることに合意した。それに対して死んだ男の遺族も感謝の意を表した。死亡事件の7日後には、死者の霊が戻ってくるので、家族も豪華な食事を用意、霊が無事天国へと昇って行けるように紙で出来た階段が用意された。これを燃やすのだ。約束の時間になって、死んだ男の親戚が、あのレストランの入り口のところに集合して儀式を執り行なった。あの宴会が行われたレストランのオーナーは、あの事件のおかげで彼が被った被害に対して補償金の支払いを要求したが、これは受け入れられなかった。そしてオーナーは店をたたんでよその町へ移って行った。これで一件落着ということに・・・。

ロン・リンの奇妙なエッセイは次のように結ばれています。
  • あの場に居合わせた我々には、当たり前の日常が過ぎて行き、あの事件もゆっくりと過去のものになりつつある。あの場に居合わせた同僚が、ごく目立たないような形でそのことを知らせる素振りをすることがある。私にとっては、その素振りだけが、あの事件が実際に起こったものであることを自分に伝えるものとなっているのだ。
    For the rest of us, days passed as usual, and the incident slowly faded into the past. Only subtle signs in the expressions of colleagues who had been involved satisfied me that it had actually taken place.

▼このエッセイを書いた(ことになっている)ロン・リンという人物が実際に存在したのか?彼女が書いたとされる中国語のエッセイを翻訳した(とされる)Jonathan Flintという人についても一切の説明がない。だからこの一人称の思い出話をどこまで信用していいのか、よく分からない。けれどでっち上げでこんなものを書いたり掲載したりするだろうか?原文を読むとでっち上げというには余りにも記述が具体的かつ細かすぎるのです。その気がおありの皆さまはぜひ原文をお読みください。

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3)「不沈オーラ」が消えた?

むささびの見落としかもしれないけれど今回の都議選で自民党が惨敗したことは英国メディアでは殆ど話題にならなかった。BBCのサイトでさえも報道しなかったのでは?唯一、むささびの目に留まったのは7月3日付のTelegraphのサイトだった。

記事の中身は殆ど日本のメディアの記事の書き写しという感じで新しいものはない。要するに安倍・自民党は苦戦するという予想ではあったけれど、まさかここまで負けるとは・・・というアングルです。

もう一つ、7月6日付のThe Economistが
  • 日本の首都の有権者は自民党を拒否した
    Voters in the capital reject the ruling Liberal Democratic Party
という記事を載せているのですが、The Economistが「英国の」メディアと言えるのかどうか・・・。編集の仕方といい、読者層といい、「国際メディア」とは言えるでしょう。Telegraphとは異なる読者層(国際的な政治家・ビジネスマン・インテリ層)にとって、安倍・自民党の敗北がどのように映ったのかを知る意味ではThe Economistの記事を紹介しておく意味はあるでしょうね。


そのThe Economist誌によると、ほんの数か月前までは、安倍政権には絶対に沈まないというオーラ(aura of invincibility)のようなものがあったのに、ここへきて新しい獣医学校だの国家主義的幼稚園などのをめぐって便宜をはかったのではないかという噂が流れ、失言癖で知られる防衛大臣(gaffe-prone defence minister)が、都議選の最中にまたまた失言をやらかしたりして、安倍さんの人気に陰りが出ていることは否めない。そのような状態で行われたのが都議選だった。それに歴史的惨敗を喫したわけで、コロンビア大学のジェラルド・カーティイス教授によると、安倍さんのお気に入りプロジェクトである憲法改正も危なくなってきた(doomed)とのことであります。

カーティス教授によると、都議選があろうがなかろうが、憲法改正そのものがかなりの「無理難題」(tall order)だった。これを実現しようと思えば、安倍さんは来年の党首選で3期連続の勝利をおさめ、衆参両院における3分の2の議員の賛成を確保し続け、なおかつ憲法改正の国民投票に勝利しなければならない。3期目の党首になれるのか?連立相手の公明党は改憲勢力として頼りになるのか?公明党は都議選では自民党から寝返って小池知事の党と行動を共にしたわけで、安倍さんの影響力がどの程度あるのか分かったものではない。
  • 安倍さんとしては、これ以上国論を二分するようなことを続けるわけにはいかない。いまの日本で憲法改正ほど国論を二分するものはない。
    Mr Abe cannot afford to divide the country further and nothing divides it more than constitutional reform.
というのが、カーティス教授の意見です。


ただ安倍さんにも強みがあることはある。日本の景気自体はそれほど劇的に改善しているわけではないけれど、失業率の低さ(3.1%)は、政権に対する国民的な反感を助長しないで済んでいる。さらに(東京大学の猪口孝教授によると)自民党の中に安倍さんに挑戦できるような人物がいるのか?という問題もある。小池さんが自民党に復帰というセンはないだろうし、石破茂氏が安倍さんを凌駕するほとの支持を党内外で得られるのか・・・?主なる野党であるはずの民進党に至っては都議選でわずか5議席しか取れなかった。共産党(19議席)のわずか4分の1ではないか・・・と。

安倍さんは都議選の敗北を受けて
  • 自民党に対する厳しい叱咤(しった)と深刻に受け止めなければならない。
    We have to take the result seriously as a severe criticism against our party the LDP.
というコメントを発表しており、憲法改正へのやる気そのものは衰えていないようにも見える。しかし世論調査などを見ると、日本の有権者が憲法改正などよりも「日常生活の問題」(bread-and-butter issues)への取り組みを望んでいることは明らかである、と。そんな状態で、すでに来年の総選挙に目がいっている自民党の政治家たちが、わざわざ世論を敵に回すような憲法改正に熱心に取り組むだろうか?となると・・・
  • 安倍氏は今年の長くて暑い夏は乗り切るかもしれないが、彼の政治家としての将来については、はるかに心もとないものに見える。
    Mr Abe seems likely to survive the long, hot summer, but his political future is looking much less assured.
とThe Economistは解説しています。



▼最初のTelegraphの記事が言及しているのに、The Economistでは全く触れられていなかったポイントに、都議選の結果についての日本の新聞の報道ぶりがあります。Telegraphが特に紹介しているのが7月3日付の読売新聞の第一面に掲載された「政治部長」による署名記事で、「党内外に敵なしの『安倍1強』がおごりを生み、政府・自民党は緩みっぱなしだ」としたうえで、政治部長さんが「おごりたかぶった政権の体質そのものを改めなければ、国民の信頼は回復できないだろう」と書いた部分を引用して
  • The government will never win back public trust...unless it overhauls its arrogant nature.
  • と書いている。
▼読売新聞のこの記事について、ジャーナリストの前澤猛さん(元・読売新聞論説委員)が自身のFacebookで「『安倍一強のおごり』を掻き立ててきたのは当の読売新聞ではないか」と批判しています。確かに安倍さんとの単独インタビューを大々的に伝え、前文科省事務次官が「出会い系バー」へ行ったことをこれまた大きな記事として伝えることで「加計学園問題」で苦慮するシンゾーに援護射撃を送り、その人物が記者会見で安倍批判のメッセージを伝えても無視し・・・というわけで「政権癒着ともいえる紙面づくりをしてきたのは、どこの新聞だったろうか?」と前澤さんはこの署名記事を笑って(嘲笑って?)いる。

▼Telegraphがこの記事を紹介したのは、「日本で一番発行部数が大きい新聞も安倍批判をしている」という、ややありきたりの視点からであったと(むささびは)思うのですが、The Economistの記事が読売の記事に全く言及していないのはちょっと情けない。特に日本の政治ウォッチャーであるコロンビア大学のカーティス教授のコメントまで引用しておきながら、都議選での自民党の大敗の要因を作り上げた読売新聞というメディアの役割について触れないというのは・・・。

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4)報道の自由度ランキング
 

前号のむささびジャーナルで、国連のデイビッド・ケイ特別報告官による「日本における報道の自由」に関する報告書に何だかよく分からないいちゃもんをつけて、むささびの失笑を買ってしまった日本の大学教授のことを紹介しましたよね(日本の「名誉教授」の国民的劣等感?)。実はこの先生方は「国境なき記者団」(Reporters Without Borders:RWB)という国際NGOが発表した「世界報道自由ランキング:World Press Freedom Index」という報告書にも文句をつけています。


RWBの2017年版のランキングによると、日本は調査対象の180カ国・地域の中で72位、「主要7カ国(G7)」では最下位だった。トップ3はノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北欧勢が占めている(4位もデンマーク)。ちなみにG7の国のランキングはドイツ(16位)、カナダ(22位)、フランス(39位)、英国(40位)、米国(43位)、イタリア(52位)ときて日本が72位(前年と同じ)というわけです。実は英国の40位(前年比2ランク下落)については4月26日付のGuardianが「情けない」というニュアンスの報道をしています。

むささびも例の名誉教授たちにならってRWBのランキングというのを読んでみました。日本についてのRWBのコメント(ここをクリック)を読むと、「シンゾー・アベからの脅威」(The threat from Shinzo Abe)という見出しがあって
  • 日本におけるメディアの自由は、2012年にシンゾー・アベが再び首相に就任して以来ずっと低下してきている。
  • Media freedom in Japan has been declining ever since Shinzo Abe became Prime Minister again in 2012.
と書きだしています。そして有名なニュース・キャスターらの解雇・辞任、主なるメディアにおける「自己検閲」(self-censorship)、フリーの記者や外国人記者を記者会見から除外する「記者クラブ制度」(system of “kisha clubs")の存在などのおかげで、記者が権力を監視する「民主主義の番人」(watch dog of democracy)としての役割を果たすことが難しくなっているとしている。また多くのジャーナリスト(外国人も含む)が政府関係者によって嫌がらせを受け、さらにネット上の言論空間においては、右翼グループによるジャーナリストへの脅しが行われている・・・というわけで日本は72位である、と。ちなみに最下位は北朝鮮だそうです。


他の国についてはどのようにコメントしているのか?トップのノルウェー、16位のドイツ、40位の英国、63位の韓国における報道の自由について何を言っているのか・・・見出しだけ紹介すると:
などとなっている。

RWBのサイトが「自由度」についての採点方法(methodology)を説明しているのですが、それによるとRWBが作成した約90項目にのぼる質問が入ったアンケートを、それぞれの国の識者(ジャーナリスト、法律専門家ら)に配布、それに対する回答をRWBの専門家チームがさらに分析するという方法をとる(らしい)。「らしい」というのは、分析方法の中に数式のようなものが出てくるので、むささびにはよく分からないということです。ただアンケートに含まれる質問の例を挙げると;
  • 報道の結果として何らかのトラブルが起こることを怖れて、ジャーナリストが自己検閲するようなことはないか?
    Do journalists practise self-censorship for fear of the following consequences?
  • 報道機関の経営者が絡む「利益相反」が理由でジャーナリストが自己検閲するようなことはないか?
    Are media owners’ conflicts of interest frequently the cause of journalists’ self-censorship?
などが入っている。

で、むささびの前号で紹介した「不当な日本批判を正す学者の会」の声明文によると、RWBのランキングは「ある種の政治的な目的を果たすための偏狭で近視眼的な作為によるもので全く信用できない」と言っています。



RWBのランキングに疑問を持っているのは「正す学者の会」の先生方だけではないようで、京都大学の佐藤卓己教授が、昨年(2016年)のRWBのランキングについて『アスティオン』という雑誌に『日本が低迷する「報道の自由度ランキング」への違和感』というタイトルのエッセイを書いており、それが今年の2月22日付のニューズウィーク日本版に転載されています。2016年版のランキングでも日本は72位であったわけですが、佐藤教授もまた日本の順位には違和感を抱いているらしい。

佐藤教授によると、RWBのランキングにおいて日本が「低迷」しているのは、日本における報道の自由度の「実態」というよりも、日本でジャーナリズム活動に従事する人々の間における「体感自由度」が低いからなのだそうです。「体感自由度」は教授の造語で、実際の自由度というよりメディア報道に接触する中で「何となく感じる」自由さ加減のことです。つまりRWBによる採点(スコア)はアンケートを配られた「識者」が持つ「体感自由度」によって大きく左右される、と。



佐藤教授はまたこの種のランキングは「順位そのものではなく変動の線(ライン)として読むべきである」と言っている。点ではなく線で読め、と。上のグラフは2002年から2017年までの ノルウェーと日本に与えられたランキングの変遷です。ノルウェーが常にトップ付近にいるのに、日本は上下の変化が激しい。が、そんな中でも2009年~2011年は例外的と言えるほどランクが高く、2013年以後は急速に悪くなっている。この例外的に高い評価を与えられた時期は、鳩山・菅・野田内閣という民主党政権期に重なり、2013年以後の悪化時期は安倍政権の時期に重なるわけです。しかし民主党政権が特に報道の自由に資するような政策を実施したわけではないし、安倍政権がメディアの自由を制限するような法律を作ったわけでもない。

だったらなぜこのような結果になるのか?佐藤教授はその時の政権への支持率に関係があると言っている。すなわち民主党政権の時代、鳩山・菅・野田内閣はどれも支持率が急速に低下、低迷しており、新聞もテレビも「自由に」政権批判を全面展開できた。そんな状況下ではジャーナリストの「体感自由」が高まったのは当然である、と。
  • メディアに対して安倍内閣が高圧的に臨んでいるのも、高い内閣支持率を背景にしているからに他ならない。この状況でジャーナリズムの「体感自由」度が低下するのは必然である。
ということになる。

▼RWBのランキングについては、日本ではメディア関係者の間でも疑問視する人がいるのだそうですね。佐藤教授によると、ジャーナリストの江川紹子さんは「ピンとこない」と言い、朝日新聞の「天声人語」も「西欧中心の見方ではないかと思う」と疑念を呈しているのだそうであります。「正す学者の会」の先生方は、ワシントンにあるの「フリーダム・ハウス」とい組織が発表している「世界の自由度ランキング」の方が信用できると言っているのですが、こちらの方は「日本のランクが高いから信用できる」と言っているようで(むささびとしては)とても先生方の意見を信用する気にはならない。

▼そんなことより、何かというと「ランク」を付けたがる国際機関の姿勢にも疑問を感じませんか?OECDの「教育」や「女性の地位」に関するランキングなども気にするのもほどほどにしないと、いつも他人の評価ばかり気にする優等生のようで情けない。そのようなものを気にするのは、もちろん日本だけではない。英国だって「我が国はノーベル賞受賞者の数が世界で2番目に多い」なんてことを宣伝の材料にしたりしている。

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5)日本占領とイラク占領
単なる偶然からアメリカの日本研究家、ジョン・ダワー(John W. Dower)が14年も前に書いたエッセイを読む機会がありました。ジョン・ダワーについては、むささびが知らなかっただけで、日本関する多くの著作が翻訳されて出版されています。1938年生まれで、このエッセイを書いた時点ではマサチューセッツ工科大学(MIT)の歴史の先生だったけれど、1999年に書いた"Embracing Defeat"(邦題『敗北を抱きしめて』)という本でピューリッツァー賞を獲得しています。最近、むささびが読んだエッセイは「ボストン・レビュー」という書評誌の2003年2・3月号に掲載されたもので
というタイトルだった。



2003年3月と言えば、あの9.11テロから1年半、アフガニスタン攻撃に続いて、ジョージ・ブッシュとトニー・ブレアによるイラク爆撃が始まった時でもある。イラクの民主化という謳い文句で爆撃を進めようとする勢力が引き合いに出したのが「アメリカは太平洋戦争後の占領政策を通じて日本の民主化に成功している」という「前例」だった。ダワーのエッセイは、そのイラク爆撃に反対する視点から書かれたもので、爆撃を進めようとする意見に対して
  • イラクの占領を考える上で(アメリカによる)日本の占領は如何なる意味においてもお手本にはならない。
    The occupation of Japan offers no model whatsoever for any projected occupation of Iraq.
と警告している。

ダワーのエッセイは、太平洋戦争後の対日占領政策について彼自身が知るところを詳しく述べながらイラクのフセイン政権を打倒した後に予想される占領政策について語っている。ダワーがまず述べているのが、アメリカによる戦後の日本占領が当時の世界で「文句なしの正当性」(unquestioned legitimacy)を与えられていたということです。戦勝国であるアメリカのみならず、日本周辺のアジア諸国、さらには殆どの日本人自身がこれを支持していた。欧米軍によるフセイン政権の打倒とその後のイラク占領にはアメリカによる日本占領ほどの「文句なしの正当性」が与えられているのか?答えはもちろん「ノー」である、と。2003年当時のイラクを取り巻く環境は、1945年当時の日本を囲む環境とは全く違うということです。


ダワーによると、戦勝国であるアメリカの側には理想主義的改革思想が、負けた日本側には「全てを忘れてやり直そう」という決意があった。太平洋戦争について、勝った側のアメリカには「正しかったから勝ったのだ」という戦勝国意識が満ち満ちていたけれど、負けた日本人の間には「何が間違いだったのか」(what went wrong)、同じ過ちを繰り返さないためにはどうすればいいのかを深刻に自問自答する雰囲気があった。アメリカの理想主義と日本の深刻な反省の結果として生まれたのが「新憲法」であるわけですが、ダワーは
  • アメリカ人が草案を作り、翻訳し・検討・修正という工程ののちに採用した、新しい国家憲章であり、世界でも最も進歩的な憲法の一つとなっている。
    So, the Americans drafted - but the Japanese translated, debated, tinkered with, and adopted - a new national charter that remains one of the most progressive constitutions in the world.
と言っている。


 

ダワーは日本の降伏とアメリカの占領政策を進めるに当たって、大きな影響があった昭和天皇(Emperor Hirohito)の人となりについて語っています。昭和天皇は日本の軍国主義の象徴であり、軍国主義者が進めた戦争政策についても「傍観者」というわけではなかった。が、天皇はヒットラー、ムッソリーニ、サダム・フセインのようなむき出しの独裁者(hands-on dictator)というわけではなく、アメリカという征服者に対して静かに協力するという姿勢をとり、アメリカも天皇の国民統合の象徴としての力を利用した。サダム・フセイン崩壊後のイラクにあの時の日本のような状態を期待できるはずがない、とダワーは言っている。

ダワーがさらに指摘しているのが、敗れた日本には「資源」と呼ばれるものは何もなかったということで、産油国のイラクとは異なる。そもそも日本とはそのような国だったのであり、資源がないからアジアへの侵略戦争に走ったのだともいえる。ということは、戦後の占領政策も資源の取り合いという経済的な側面を持たずに遂行できた。産油国・イラクの場合は、占領を遂行する際に資源の奪い合いという事態を避けて通ることはできない。


以上がジョン・ダワーによる対日占領政策の解説であり、イラク戦争にこれを当てはめるのは全くの誤りであるということになる。ただダワーのエッセイの中で、むささびが最も興味を持ったのは、戦後の占領ではなくて、1930年代から1945年まで、日本が歩んだ破滅的な戦争への道(road to war)についてダワーが語る部分です。ダワーによると、欧米の歴史家たちは、日本がそのような道を歩んでしまった理由として、日本自身の「後進性」(backwardness)を挙げて説明していた。日本には戦争を好むような伝統があり、民主主義国家ではなかった。民主主義国家ならアジアで日本が行ったような侵略戦争などするわけがない・・・というわけです。

「しかし」とダワーは自問します。戦争への道を歩んでいた頃の日本は、本当に社会的にも文化的にも「後進的」だったのだろうか?その頃の日本には近代的なマスコミュニケーションのシステムが存在していた。だからこそ政治家や思想家が好戦的な世論を盛り上げ、反戦的な議論をする人間を裏切り者としてのレッテルを貼って黙らせることができたのだ。そもそも日本が満州や中国全土、さらには東南アジアにまで進出しようとしたのは、それらの地域に存在する市場や資源を求めてのことだった。つまり欧米の近代国家が行ったことを日本も実行したに過ぎない、と。


当時の日本の指導層は、全面戦争に向けて国民を総動員するだけのプロパガンダ技術にも長けていた。それによって
  • 暴力の文化、軍国主義の文化、そして「国家的な危機」にあたっては文句なしに最高権力者に従うという文化・・・これらが洗練されたプロパガンダと支配の構造によって育まれていたということだ。
    Cultures of violence, cultures of militarism, cultures of unquestioning obedience to supreme authority in the face of national crisis - all of this was nurtured by sophisticated organs of propaganda and control.


ジョン・ダワーが「考えるだけでも怖ろしい」(terrifying to contemplate)ということがもう一つある。それは軍国主義・日本の指導者が、あらゆる意味において頭がよく(smart)、自分たちの技術レベルに誇りを持ち、なおかつ日本を脅迫する欧米世界についてもしっかりした知識に基づいた現実的な認識を有していた・・・要するに「最も優れた人びと」(the best and the brightest)と呼ぶにふさわしい人間たちであったということです。感情・感傷とは全く無縁の世界の人間たちだった。新たなる戦争拡大や帝国の拡張は、どれも国益擁護のためには欠かせないと見なされていた。
  • いま振り返ってみても、彼らのいわゆる「現実主義」がどの時点で「狂気」のラインを超えてしまったのかがはっきりしないのだ。はっきりしているのは、それが「狂気」という結果に至ってしまったということである。
    And even in retrospect, it is difficult to say at what point this so-called realism crossed the border into madness. But it was, in the end, madness.
というのがダワーのエッセイの結びです。

▼いちばん最後の部分でジョン・ダワーは、太平洋戦争へ突き進んでいった当時の日本の指導者たちついて、現代のアメリカ人でも「最良かつ最も聡明な人々」(the best and the brightest)と呼ぶに違いないような人間たちであった、と述べている。ご存じの方も多いでしょうが、"the best and the brightest" という表現は、1972年にジャーナリストのデイビッド・ハルバースタムが書いて大ベストセラーになった本のタイトルで、一種の流行語のようなものになったものです。ジョン・ケネディ大統領ら、1960年代にベトナム戦争を推進した当時のアメリカの指導層にいた人たちを描写するときに使われた言葉です。

▼ダワーの研究によれば、あの当時の日本の指導者たちも60年代のケネディ政権を支えた人びとも「最良かつ最も聡明」という意味では似たようなものであった。そのことの何が(ダワーにとって)「考えるだけでも怖ろしい」(terrifying to contemplate)ということになるのか?そのことを認めると、ケネディも東条英機も、「国益追求のためには戦争も仕方ない」と考えていた点では同じだったということを認めざるを得なくなる、そのことが「考えるだけでも怖ろしい」ということ、かな?
 
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6) どうでも英和辞書
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deposit:供託金

"deposit"は銀行や金庫に貴重品やお金を「預ける」という意味もあるけれど、約束事を守るための「保証金」という意味もある。ここでは選挙に立候補する際、一時的に法務局に預ける「供託金」として使っています。一定の得票数を満たすことができれば返却され、規定の得票数に達しなかった場合や、途中で立候補をとりやめた場合などは没収される。当選の意思もないのにおふざけで立候補したり、売名目的の無責任な立候補を防ごうという制度なのだそうです(ここをクリック)。


選挙の種類によって供託金の額は異なり、一番高いのが衆議院と参議院の「比例代表」への立候補で、一候補あたり(なんと)600万円、衆議院の小選挙区、参議院の選挙区の場合は300万円、都議会議員選挙の場合は60万円、町村議会議員の選挙については供託金はゼロだそうであります。先日の都議会選挙の場合、小池さんの「都民ファーストの会」は50人が立候補(当選49人)したのだから、とりあえず供託金だけでも3000万円を一時的にとはいえ預けたことになる。


それはともかくネット情報を見る限り、日本の選挙における供託金は他の国と比べるととんでもない金額なのですね。韓国(150万円)の4倍、英国の殆ど60倍となっている。7月1日付のThe Economistによると、選挙における供託金は1925年に選挙法が出来たときに採用されたものなのですが、英国の制度を真似て作ったのだそうですね。

英国では1918年にできた当座の供託金は150ポンド、これが何と1985年まで変更もされずに続き、現在は500ポンドということになっている。また英国の場合、供託金が没収される得票数を、かつては全有効投票の12.5%だったものを5%にまで引き下げている。つまり日本のように10%以上取らないと没収というのではない。ちなみに6月8日に行われた英国の選挙の場合、全部で22の政党が候補者を立てているけれど、うち当選者なしが14政党あった。

7) むささびの鳴き声
「不沈オーラ」が消えた?安倍さんですが、都議選で有権者に「拒否」(reject)されたのは、本当にThe Economistが言うように「自民党」なのですか?むささびの感覚では、拒否されたのは安倍さんです。だから安倍さんの「自民党に対する厳しい叱咤(しった)と深刻に受け止めなければならない」というコメントは、自分が犯した過ちを「党」になすりつけようとしているだけのこと。都民は自分の区の候補者のことも知らなければ、政策のことなど知らないし興味もなかった。小池さんにも「ファーストの会」にもさしたる関心はなかった。ただ「あいつ」に一泡ふかせたかっただけ。

▼その安倍さんを「おごりの体質を改めよ」と読売新聞の政治部長が叱っている・・・ように見える。でも、むささびには部長さんの「辛口」コメントが「安倍さん、しっかりしてくださいよ、ウチはアンタだけが頼りなんだ」と言っているようにしか見えない。他紙や週刊誌がどう騒いでも首相官邸(とNHK)さえしっかりしていれば、「首相に対してモノが言える新聞」としての読売は安泰・・・のように見える。でもむささびには、あの政治部長さんの言葉が、これから没落の道をたどることが分かっている人間の悲鳴としか聞こえない。安倍さんの「おごり」を生み、支えてきたのが読売新聞だった。

▼安倍さんが都民に拒否されたということは、読売新聞が拒否されたということでもある。「この辺りでオレたちとシンゾーは違う」ということを見せておかなきゃ・・・ってんで「おごり改めよ」の記事掲載となった。言われた安倍さんはぎょっとして「はい、分かりました!」と、防衛大臣をクビにすることにした。もちろんただクビにしたのでは、朝日新聞や毎日新聞の軍門に屈したことになり、読売が許すわけがない、そこで内閣改造を前倒しで・・・となった。けれどそれが安倍さん(つまり読売新聞)への信頼回復に繋がるか?ノー。

▼今から7年前、むささびジャーナルが「新聞はNPOが発行する時代?」と題する記事を載せたことがあります。その中でジャーナリストの河内孝さんが、「化石時代に生きている」日本の新聞の代表格として読売新聞の渡邊恒雄氏の「欧米の新聞の弱みは広告収入に依存しすぎていること」という言葉を紹介している。渡邊さんは、読売を始めとする日本の新聞経営が、戸別配達による新聞自体の販売収入に依っており、しかも完全個別配達網が確立されているおかげで収入が安定している・・・と言っている。河内さんは、インターネットのさらなる進化に伴って、新聞社は「限りなくペーパーレス化せざるを得ない」というわけで、今後の新聞社経営がネットを無視しては考えられないという超常識を分かっていない渡邊恒雄のような人のことを「化石時代に生きている」と言っている。

▼渡邊さんが「日本の新聞は購読料金でもっているのだから大丈夫」と言ったのは2009年。いま新聞を購読すると、殆ど読まない夕刊も入れて一か月4000円かかりますよね。ひと月4000円というお金は(例えば)むささびのような年金生活者、いわゆる「派遣労働者」の家庭、生活保護世帯などにとってかなりの負担であることは間違いない。日本の消費者がそんなお金を払い続けて紙媒体としての新聞を購読し続ける・・・ニュースならインターネットでいくらでも入手できる時代に、そんなことあるわけがない。そのことは読売新聞だって分かっている、分かっているけど自分たちの体質はそれほど急には変えられない。「体質を変えられない」という意味では、シンゾーも同じ。読売の政治部長さんはシンゾーの「おごり」を責めながら、どのようにして「一蓮托生」に陥らなくて済むかを考えている。でもこれと言ったアイデアは浮かばない。唯一の頼みの綱は小池百合子さんとタイアップを組むこと?

▼分かりました、もう止めます。でも最後にもう一つだけ。都議選勝利後にNHK(だったと思う)とのインタビューで小池さんが「東京の繁栄が日本全体の繁栄につながるんです」と真面目な顔で言っているのを聴いて、むささびが想ったのは英国のEU離脱だった。国民投票で離脱票を入れた中には、英国政治のロンドン中心主義に対して反発する人たちが含まれていた。そのことに気が付いた人は少なかった。むささび自身はBREXITには反対ではあるけれど、ロンドン中心主義に反発する気持ちはよく分かる。その意味では、「東京が日本を引っ張る」という感覚をいい加減に捨てないと・・・その手始めが2020年のオリンピックを返上すること。お分かり?

▼今日もくそ暑そうです。我が家にはワンちゃんが二匹いるのですが、そのうちの一匹はこんな日でもカンカン照りの庭にごろんと横になって眠ったりしています。
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むささびへの伝言