ぐっと涼しく、秋になりましたね。晴天だと空が高いのですが、本日の埼玉県飯能市は朝から雨。ワンちゃんも家の中でじっとしている以外にやることがない。上の写真、木の穴でリラックスするフクロウだそうです。実際に見たらフクロウがいるなんて分からないでしょうね。うまく出来ている、実に。
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目次
1)市場経済が北朝鮮を変える?
2)英国人「中国通」の嘆き
3)日本人の有休消化率:25か国中25位
4)メルケリズムの3ポイント
5)BBC会長:ジャーナリスト攻撃を攻撃
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
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1)市場経済が北朝鮮を変える?
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9月9日付の朝日新聞のサイトに『北朝鮮、どう警戒する』という記事が出ており、3人の北朝鮮ウォッチャーが意見を述べていました。むささびが個人的に注目したのは、アジアプレスというメディアの石丸次郎という人の意見だった。「国内の実情、複眼で見よ」と言っているのですが、あちらの国営メディアが派手派手しく伝える「ミサイル発射、ばんざ~い!」という類の報道だけを見るのではなく、「国内に住む人の声を聞かなければなりません」と言っている。アジアプレスの取材によると、
- 核・ミサイル実験の成功を北朝鮮国内でも連日大宣伝しています。しかし、北朝鮮の人々は拍子抜けするほど無関心です。日々の糧を稼ぐのに精いっぱいで、核やミサイルの開発などはどうでもいいというのです。
だそうです。石丸氏はまた現在の北朝鮮の経済状況について
- この10年で市場経済の拡大により生産性が高まって、飢餓は解消されました。しかし、平壌と地方都市、持てる者と持たざる者の格差が広がり、庶民には生活がよくなったという実感はありません。
むささびが一番気になったのがこの「市場経済の拡大により生産性が高まって、飢餓は解消され」という部分です。英国で話題になっている本に 国立ソウル大学のByung-Yeon
Kimという教授が書いた "Unveiling the North Korean Economy"(Cambridge University Press) という作品があり、著者本人がケンブリッジ大学の関連サイトで自著の紹介をしているのを読んだ。この教授も北朝鮮における市場経済の拡大ぶりについて触れており、石丸氏と目の付け所が似ていると(むささびは)思ったわけ。
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Kim教授によると、現在の金正恩政権が経済開発と核開発を同時進行で行うことを決めたのが2013年、それ以来、全国400か所における民営市場(private
market)の存在を許してきており、現在ではこの民営市場における店舗数が60万店(stalls)にのぼっている。いわば政府公認の民間経済活動というわけです。ただこれ以外に政府のお墨付きを貰っていない「非公式マーケット」(informal
markets)が数限りなく存在しており、これらを併せると北朝鮮における世帯所得の70~90%が民営マーケットからのものとなっている。これらの民営マーケットのおかげで賃金が上昇し、多くの国民の生活水準の向上が見られるのだから、厳密にいうと「違法」なものも存在する民間の経済活動は政府も黙認せざるを得ない。
ただKim教授の推測によると、これらの非公式経済活動(informal economy)に従事する人びとが得る月間収入は、従来の国営の仕事に携わる北朝鮮人が得る収入の80倍にも達する。そのような状態が長続きするのか?いずれは民営のマーケットが北朝鮮の経済構造と人びとの精神構造を変える時が来る。つまり市場の力と国家権力の間の微妙なバランスが崩れ、北朝鮮の人びとが国家よりも自分たちの暮らしを優先させようとする時代が来る。
- そうなった時に北朝鮮指導部は重要な決定を迫られる。市場を「弾圧」することで自らの立場を危ういものにするか、国家による締め付けを緩めて中国式の経済変革の始まりとするか・・・とKim教授は信じている。
Prof Kim believes the North Korean leader will at that point face a crucial decision: risk his own position in an aggressive bid to repress the market or loosen his grasp in what could be the beginning of a Chinese-style transition.
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最初に紹介したアジアプレスの石丸さんは核・ミサイルの開発に邁進する金正恩について
- 核保有国になりさえすれば、米国の脅威が解消され、金一族による支配を永続できると信じているからです。若くて実績がない自身の権威付けにも活用している。核開発自体が目的化していますから、「これ以上続けると、体制が維持できなくなる」と金正恩氏が判断しない限り、やめないでしょう。
と言っているのですが、その一方で100万人を超える朝鮮人民軍の兵士には栄養失調が目立ち、「とても戦える軍隊ではない」と話す住民が多いとも言っている。石丸氏の指摘とByung-Yeon
Kimのメッセージは、両方とも北朝鮮の国内経済の事情によって、現在のようなことを続けることができなくなる可能性があるとしている点で似ている(ように見える)。
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▼石丸さんは、金正恩氏が「これ以上核開発を続けると体制が維持できなくなる」と判断した時点で開発を止めるかもしれない・・・と言っているのですよね。それはどのような状態のことを言うのか?むささびの推測ですが、飢える人民が立ち上がって「いつまで俺たちを腹ペコ状態しておくつもりだ」と北朝鮮指導部に反抗する事態が起こったとき・・・と石丸さんは考えているのでは?それに対してKim教授の方は、「市場経済」で潤っている人びとが経済制裁のおかげでそれが続けられなくなったときに「いつまで核開発を続けて、俺たちのビジネスを麻痺させておくつもりだ」と詰め寄る事態になったとき・・・と考えている。
▼教授によると北朝鮮経済の50%以上が海外との貿易に依っている。その意味では普通の資本主義国家と変わらない。また最近の経済制裁の中に北朝鮮から輸出される繊維製品の輸入禁止というのがありましたよね。South China Morning Postのサイトによると、今年4~6月、中国が北朝鮮から輸入した製品の金額は全部で3億8502万ドルだったのですが、そのうち38%(1億4750万ドル)が衣料品なのだそうですね。これがストップされると飢える人民がますます飢えてしまうことは間違いないけれど、北朝鮮の衣料品メーカーの経営者にしてみれば「制裁さえなければ・・・」となる。こちらの方の不満の方が北朝鮮指導部には怖ろしいのかもしれない。 |
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2)英国人「中国通」の嘆き
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英国の国際問題研究所(Chatham House)のサイト(9月4日)にロンドンのキングス・カレッジのケリー・ブラウン教授が
と題するエッセイを寄稿しています。ケリー教授はキングス・カレッジの中国研究所(Lau China Institute)の所長でもある。大学教授のエッセイを「要約」するのはタイヘンなので、いっそのこと全文をそのまま訳して紹介します。さして長いエッセイではありません。ここをクリックすると全文を読むことができます。
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こんなはずじゃなかった・・・ |
むき出しのマキアベリズム |
中国はもて遊ばれてきた? |
北京を通らないと平壌へは行けない |
日本の上空を通過するミサイル発射から9月3日の水爆実験(と思われるもの)に至るまで、北朝鮮で起こっている事柄を見れば、北朝鮮がどこへ向かおうとしているのかは明らかだ。過去20年間、経済制裁を課し、国際的に孤立させるような様々な努力にもかかわらず、人口わずか2300万という、この貧困国、国民一人あたりのGDPが世界でも最低というこの国が「使用可能な核能力(nuclear weapon capability)」に近いものを作り上げることに成功したことは間違いがない。あらゆる人びとの予想や想像を超えた速度と効率性をもって成し遂げたということである。
こんなはずじゃなかった・・・
こんなはずではなかったのだ。This was not the way things were meant to be. しかし主として責められるべきはこれまでの中国のリーダーシップ(の欠如)であろう。この隣国に対しては、(貿易・経済援助・エネルギー援助など)強大なる影響力を有していながら、断固たる態度を示す機会があるたびごとに中国は尻込みしてきたのだ。その受け身の姿勢が中国にとっては決して好ましくない状況を現実のものにしてしまったとも言える。即ちインド、ロシア、パキスタンに加えていまや北朝鮮までもが核保有国になる・・・即ち中国と国境を接する14か国のうち4か国が核保有国になってしまったということである。一つの国にとってこれほど情けない(unhappy)な地理的状況はない。 |
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北朝鮮をめぐる現在の状況は複雑ではあるけれど、「弾道核能力を有する北朝鮮」という存在が中国にとってためになることは全くない・・・これだけははっきりしている。中国には壮大なる構想がある。即ち北東アジアのみならずグローバルな舞台で支配的な勢力になろうという構想である。周辺地域が不安定化することは、この構想の実現に劇的な影響(dramatic impact)を与えるものとなる。まさに中国が近代化を達成しかけている今、国際的なパワーとしての地位を回復しかけている今、北朝鮮の核武装化は中国と周辺国との関係を直接危機に陥れいるものになる。
むき出しのマキアベリズム
北朝鮮はこれまで外国との付き合いにおいて、常に危険な状態をぎりぎりまで押し進めて強い態度で有利な立場に立とうという政策(brinkmanship)の下で、道徳的なゆすり行為(moral blackmail)やむき出しのマキアベリズム・・・という姿勢をとってきており、中国に対しても同じような態度をとり続けてきた。それは理念なき外交(diplomacy utterly without principle)姿勢であり、金政権が何が何でも(no matter what)権力にしがみつく以外には存在を続けることさえ出来ないという姿勢であった。彼らにとって、核武装こそが外国に自分たちに指一本触れさせないようにするための唯一の保障であったし、その計画は彼らにとっては実に上手くいったのだ(This plan has worked out well for them)。 |
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そのような北朝鮮の金ファミリーを支えてきたのが中国の親分意識(paternalistic mindset)だった。中国のエリートたちはこの20年間、北朝鮮を「小さな弟分」(little brothers)扱いしてきた。政治体制では共通しているものの(相手は)極めて貧しく、無知で、中国に対してトラブルばかり起こしている孤独な厄介者・・・それが北朝鮮であったのだ。その間、中国は北朝鮮に対して圧力を加えようとする試みからは身を引いてきた。北朝鮮を追い詰めることは非生産的(counterproductive)であるとして、「より冷静に対処するべし」(more even-tempered methods needed to be used)という姿勢をとり続けてきた。その結果がこれである。
中国はもて遊ばれてきた?
中国指導部にしてみれば、自分たちが(北朝鮮の)挑発的かつ危うい瀬戸際政策の中でもて遊ばれてきたなどと認めることはプライドが許さないだろう。しかし現在の問題の核心に最も近い立場にいるのが中国の指導部であり、ものごとが制御不能(things
get out of hand)という状態になったとき、最も深刻な影響を受ける国の一つが中国であることは否定のしようがない。 |
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中国指導部はまた北朝鮮が「不誠実にして手前勝手」(wholly unscrupulous)で、永遠の被害者意識に凝り固まった隣人であることも知っている。さらに、これまで何かにつけて中国の世話になってきたのだから、その延長線上で、中国が相手なら何をやっても許される(can
get away with whatever they want)と北朝鮮が感じている・・・ということも中国指導部には分かっている。北朝鮮は長年にわたって中国ののどに刺さったとげのようなものであった。いまやそれがキズとして表面に出て来てしまったということだ。そう簡単には治癒することはできないだろう。
北京を通らないと平壌へは行けない
中国は今や、これまでやりたくなかったような外交と干渉(diplomacy and intervention)に取り組まなければならない。問題はそれを保守的な現在の中国指導部に期待できるのかということだ。現在の中国共産党政治局の張徳江(1970年代後半に平壌で学んだことがある)のような人物は大体において北朝鮮にはソフト路線を採用することに慣れてきた。北朝鮮をプッシュするべきではないという路線である。が、彼らもまた守りの姿勢で今や北朝鮮のことよりも自分たちの利害を先に考える必要が出て来ているのだ。
ただ中国にはまだ北朝鮮に対して断固たる態度をとれるだけの力はある。平壌への道は常に北京を通る必要があることは誰でも知っているし、そのこと自体は今でも変わっていない。現在の中国にはこれまでにない重要な役割が求められている。これは断固とした緊急の対応を必要とする国際問題なのだ。北朝鮮という道徳心なし、感謝の気持ちなし、しかも長続きするとは思えない隣国を断固として自分たちに従わせるということ・・・獰猛にして好戦的な北朝鮮がこれ以上の暴走を繰り返すことによって、中国が得るものは何もない。しかも今回の場合、中国にとって厄介なのは、アメリカもまた予見不可能な国となっているということだ。トランプが怒りのあまりとんでもない反応を示さないという保障はどこにもないのだ。 |
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中国指導部はここ数年、何かと言うと「win-winの結果」ということを口にしたがる。北朝鮮についてこそそれは明らかだ。中国が強く出るということが中国にとっての「勝ち」(win)を意味するし、それは世界にとっても同じことだ。まさにwin-winということになる。中国はいま真に世界の主要パワーであることを見せる必要がある。世界の主要パワーであるということは、自分たちには無関係のことについても偉そうな顔で話をする(talking
big)くせに、自分たちの運命と将来の繁栄にとって決定的とも言える事柄についてはだんまりを決め込むということではないはずだ。 |
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▼むささびジャーナル261号(2013年2月24日)に「英国大使が見た北朝鮮」という見出しの記事が出ています。平壌に駐在していた英国大使による北朝鮮観察記のようなものです。その中で大使が北朝鮮人の中国観について語っている部分があります。大使が語っているのは、中国の北朝鮮への影響力はそれほどではないということです。中国の政府関係者が北朝鮮の政府幹部に対するアクセスは有しているのは事実であり、例えば英国大使の眼から見ても平壌駐在の中国大使が(当時の)金正日総書記に面会する回数はかなりのものがあった。しかしアクセスがあるということと影響力があるということは全く別のことなのだそうです。
▼さらに言うと、北朝鮮における庶民レベルでの反中国人意識は相当なものがあるとのことです。一種の「人種的嫌悪感」のようなもので、変な臭いがするし、礼儀知らずだし、中国人の食べるものはアメリカ人の食べものよりもひどい・・・要するに何から何まで大嫌いということになる。そしてその理由の一つが、北朝鮮に工場を作って朝鮮人を雇う中国人の態度で、北朝鮮の労働者をまるでゴミ屑であるかのような扱いするのだそうです。この種の庶民感覚から想像すると、国際社会の一員として経済制裁なるものに加担している中国に対して北朝鮮指導部がどのような感情を抱いているのか・・・容易に察しがつく。 |
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3)日本人の有休消化率:25か国中25位
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世論調査機関のIpsos MORIが25か国の人びとを対象に行った「休暇」についての意識調査によると、日本人は相も変わらず「仕事の虫」(別名:ワーカホリック)であるようです。調査のポイントは二つで、下記の文章が自分に当てはまると考える人のパーセンテージがどのくらいなのか?ということです。
- 休暇中は仕事に関するメールやメッセージをチェックすることは絶対にしない。
I never check for messages/e-mails back at my work when I go on vacation.
- 自分に与えられた休暇の日数はすべて使い切る。
I use up all of my vacation days that I am given.
二つとも最近流行の言葉でいう「ワーク・ライフ・バランス」に関する意識調査で、仕事とプライベートな時間をどの程度別ものとして割り切っているかということですよね。Ipsos MORIでは同じ質問によるアンケート調査を2009年にも行っているのですが、どちらかというと欧米の社会は仕事とプライバシーをはっきり区別する傾向にある。ヨーロッパの英国とドイツ、アジアの日本と韓国の数字を示すと次のようなグラフになる。
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休暇中は仕事に関するメールやメッセージをチェックすることは絶対にしない |
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自分に与えられた休暇の日数はすべて使い切る |
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「休暇中であるにもかかわらず仕事上のメールをチェックすることは絶対にない」と言う人の割合が、8年前に比べるとどの国でも下がっているのですが、日本人の下がり方は殆ど異常としか思えない。何なのですかね?同じことが有給休暇の消化率にも言える。8年前には6割以上の人が「有休はすべて取る」と言っていた。それがなぜ4割以下にまで落ちたのでしょうか?あえて言えば2009年と2017年の間には、2011年の東日本大震災という大災害があるのですが、それがこのようなアンケートに影響するとは思えないのですが・・・。
いずれにしてもIpsos MORIでは、これらのアンケートへの回答の割合が高ければ高いほど、「ワーク・ライフ・バランス」がいい国であるということになる。日本は「メールチェック」については25か国中の24位、有休消化率については25か国中の25位(つまり最下位)ということになっています。
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▼むささびが特に興味を持ったのは韓国の数字です。「メールチェック」では13位、「有休消化」では20位となっている。この調査に見る限り、明らかに日本人よりは仕事と個人の生活を別ものとして考えているように見える。 |
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4)メルケリズムの3ポイント
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次の日曜日(9月24日)、ドイツ連邦議会(Bundestag)選挙があります。ネット情報によると、ドイツの連邦議会はアメリカでいう下院、日本の衆議院にあたり、定数は630議席、ドイツの国会には「連邦参議院」というのがあるけれど、連邦議会の方が優越しており、実質的には一院制のようなものなのだそうです。現在の議席配分はメルケル率いる「保守中道」のキリスト教民主同盟(CDU)と「保守右派」のキリスト教社会同盟(CSU)が二つ併せて309議席、次いで社会民主党(SPD:193議席)、左翼党(64議席)、同盟90+緑の党(63議席)などが続いている。ただ2013年の連邦議会選挙後にSPDがメルケルのCDU+CSU政権との連立に合意したことで、500議席を超える大連立政権となっている。
The Economistなどによると、来週の選挙はメルケル率いるCDUの勝利が確実だそうです。とにかく負ける材料がない。彼女が首相になった2005年からこれまでの12年間で失業率が11.2%から3.8%にまで下がる一方で賃金は上昇している。さらにこのような生活上のゆとりを反映してか、ドイツ社会そのものが移民や性的マイノリティのような少数者に対して「開かれた社会・ゆとりある社会」(open
and relaxed)になっている。戦後のドイツで12年もの間首相の座にあるのは、終戦直後のコンラッド・アデナウアー(14年)以来のことで、次の選挙で勝ってアデナウアーの記録を抜くことは間違いない。メルケル人気はなぜかくも根強いのか?9月9日付のThe Economistが「メルケリズムを理解する3つのポイント」という記事を掲載しています。
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1) 思想より倫理:Ethical, not ideological
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メルケルは大半のドイツ人がそうであるように、ルーテル派のキリスト教徒です。彼女はキリスト教への信仰について「自分の内なる羅針盤」(an inner
compass)と呼んでいる。例えば「借金は良くないこと」(debt is bad)とか「困っている人を助けるのは善いこと」(helping
the needy, good)という彼女の言葉が示しているのはメルケルの発想が「思想ではなく倫理で考える人」(She thinks ethically,
not ideologically)である、と。つまり国をまとめていく立場にある彼女が頼りにするのは「人間とはこのようなもの・・・」(思想)というよりも「このようにあるべきだ」(倫理)という発想であるということになる。これは彼女が善悪ばかり説きたがる、ガリガリの「道徳家」であるというよりも、東ドイツ時代に経験した共産主義という「思想の世界」の崩壊現象がルーツになっているのだそうです。時代の「常識」が一夜にして「非常識」になってしまった。 |
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2) 計画より現実対応:Reactive, not programmatic
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いわゆる「長期的な展望に立って考える」というよりも、物事が起こった時点で対応するタイプ。その代り「思い込み」もしない人なのだそうです。CDUの同僚は「メルケルは科学者」であると言っている。物事を決めるに際しては資料を大量に読破して「事実」に基づいてのみ決める。自分のスタッフ、官僚、国会議員らとの意見交換はメールを通じて頻繁に行なうことで、時代や世論の変化を見極めようとする。メルケル自身も自分が科学者的であることを意識しているようで、政策決定はあくまでも「冷静かつ合理的」(calmly,
rationally)に行うものであり、有権者に対してもそのような「気質」(temperament)を支持して欲しいと言っている。
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3) 超然として組みせず:Detached, not engaged
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常に選択肢(オプション)を用意して、極端に走らないという姿勢であり、それが時として「曖昧さ」(ambiguity)にも繋がる。The Economistによると、メルケルが書く文章にはやたらと「説明項目」(subclauses)や確認(qualifications)が多いのだそうです。そして自分の言っていることが分かってもらえない場合は、肩をすくめて微笑み(a
shrug and a smile)ながら殆ど聞こえないような小声で「分かってもらえないかなぁ」と呟く・・・国際会議などでもそのようなメルケルを見ることが度々ある。 |
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メルケルの発言を聞いていると、おかしいくらい右にも左にも配慮する管理職的な色彩が濃い。例えば:
- 「繁栄は自助努力によって達成されなければならず、公平に分かち合わなければならない」
→資本主義は必要だが社会主義も欠かせない!?
- 「国家が国民のボスであってはならないが、国民を支えなければならない」
→政府は小さい方がいいが面倒見がいいことも欠かせない・・・どっちなんだ!
- 「移民はドイツ社会に溶け込まなければならない。社会の多様性こそ力なのだ」
→移民は「ドイツ流」に従い、ドイツ人は「移民」から学べってこと?
The Economistによると、「メルケリズム」にはサッチャリズムの保守主義のような政治的な基盤や拠り所がないけれど、そのことが現代ドイツの政治文化に合っているのだそうです。ドイツが求めているのは「管理者」であって「改革者」ではないということです。またつい最近(6月末)、連邦議会が同性婚を合法化する採決を行ったことがある。その際、メルケル自身はこれに反対であったにもかかわらず、採決に当たっては党議拘束をしないことを実行した。結果として彼女個人の意見とは異なり、同性婚の合法化が決まったわけですが、The
Economistなどはこれもまたメルケルの「余裕」の表れであるとしている。 |
▼The Economistの記事に見る限り、首相としてのメルケルに揺るぎはないとしか思えないけれど、ドイツではここ数年、「ドイツの選択肢」(AfD:
Alternative für Deutschland)という極右勢力が勢いを伸ばしていますよね。9月13日付のSpiegel(英文版)はAfDの台頭を「怒りの勝利」(Victory
of Rage)という言葉で表現しています。中道右派+中道左派が連立を組んで、議会定数の630議席のうち502議席を占めてしまって、殆ど「野党なし」という状態であるところから、ベルリンなどでは9月24日の選挙は「きわめて退屈」という意見が多いとのことなのですが、地方都市、特に旧東ドイツ地区ではAfDの台頭が目立ち首都とは事情が違うのだそうです。現在のところAfDの国会議員はいないのですが、13の地方議会に議席を持っており、世論調査でもAfDの支持率は8~11%。直ぐにドイツ議会を変えるとまではいかないにしても、得票率が10%だと議席数は70となる。
▼AfDのルーツは2013年の「ユーロ危機」(ギリシャの経済危機)に際して、債務国を助けようとしたメルケルのやり方に反発する大学教授たちがその後右傾化して外国人排斥のような言辞を弄するようになった。要するに「ドイツ・ファースト」主義ですね。Spiegelによると、AfD支持者に共通しているのは「政治的エリートは自分たちの言うことに耳を傾けない」という欲求不満と無力感なのですが、彼らの不満の対象は政治家だけでなく既存のメディアも含まれている。そのあたりがトランプやBREXIT現象と共通しているのですが、AfDの政治スローガンには、ナチズムとの関連で「ドイツはいつまでも外国に謝罪し続けるべきでない」というのもある。
▼日本のメディアや専門家の中には、ドイツのこのような状況を「右傾化」という嘆かわしいものとする意見がある(ように見える)けれど、「右傾化」という意味では、日本の方がはるかに進んでいる。「いつまで韓国や中国に謝り続けるのか?」という論調の高まりもそうだし、かつての教育勅語を子供たちに暗誦させる学校教育を、首相夫人が「素晴らしい!」と感激の涙を流すんですからね。ただそのような雰囲気を促進した責任は最終的には日本人そのものにある。メディアや政治の右傾化と批判するのはいいけれど、それを許したのは日本人ですからね。 |
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5)BBC会長:ジャーナリスト攻撃を攻撃
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メディアの専門誌、Press Gazetteのサイト(9月14日)に「政治家はジャーナリスト攻撃に立ち向かわなければならない」(Politicians 'must confront' any abuse of journalists says BBC chairman)という記事が出ています。これは最近ケンブリッジで開かれた全英テレビ協会(Royal Television Society)の会合でBBCのデイビッド・クレメンティ(David
Clementi)会長が訴えたものです。同会長によると、最近、BBCの記者(特に女性記者)に対する嫌がらせ(abuse)が「あからさまで攻撃的」(increasingly
explicit and aggressive)になっている。 メディアの専門誌、Press Gazetteのサイト(9月14日)に「政治家はジャーナリスト攻撃に立ち向かわなければならない」(Politicians 'must confront' any abuse of journalists says BBC chairman)という記事が出ています。これは最近ケンブリッジで開かれた全英テレビ協会(Royal Television Society)の会合でBBCのデイビッド・クレメンティ(David Clementi)会長が訴えたものです。同会長によると、最近、BBCの記者(特に女性記者)に対する嫌がらせ(abuse)が「あからさまで攻撃的」(increasingly explicit and aggressive)になっている。
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クレメンティ会長は具体的な記者の名前を挙げたわけではないけれど、政治家が絡んだ記者会見や集会の場で質問をするBBCの記者に対して嫌がらせのヤジを飛ばしたりすることが目立つのだとか。
- 権力の座にある者やそれを目指す者の発言について、それが何を意味するのかについて質問をすることで説明責任を負わせることは我々の仕事のカギになる部分だ。それがぶしつけで、ちょっと変わっていて、歓迎されざるものであったとしても、質問をすることは記者の責任なのだ。
But holding those in power – or seeking power – to account, asking them what soundbites actually mean, is a key part of our job. It is the responsibility of our journalists to ask the question – even if it is direct, awkward or unwelcome.
名前こそ挙げていないけれど、むささびでも紹介したBBCのケンズバーグ政治部長への「攻撃」に触れていることは明らかで、
- そのような攻撃に対して、政治家は立って見ているだけであることは許されない。彼ら自身もこのような攻撃を直視して、それが許されるべきものではないことを明確にするべきだ。
Politicians cannot stand by and watch – they must confront any abuse, and make it clear that it is intolerable.
と述べている。これは労働党の集会を取材したケンズバーグ記者が、会場にいた労働党の支持者から攻撃され、しかもコービン党首がこれを黙認するかのような態度をとったことを指している。クレメンティ会長はまたツイッターやフェイスブック上でのジャーナリスト攻撃が目に余ることも批判しています。
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▼ジャーナリストに対する「攻撃」(abuse)は日本でももちろんある。BBCの会長が問題視したのは労働党の集まりにおける「支持者」によるBBC記者への「攻撃」ですが、日本における最近の例(むささびの眼にとまったもの)は「内閣官房総理大臣官邸報道室長」という人間が東京新聞の「政治部次長」という人宛てに送りつけた文章です。前者はほとんど毎日のようにテレビで見る菅官房長官の記者会見で資料を配ったりする官邸サイドの担当者であり、後者はこの会見に参加する東京新聞の記者たちのリーダーのような存在です。「報道室長」のやったことは、話せば長いだけでなく、アホらしくておならも出ない。詳しくはここをクリックすると出ているけれど、あえてむささびが説明すると次のようになる。
▼例の加計学園の問題で、文科省が「獣医学部設置について認可を保留する」という決定をした際に、文科省の記者クラブにいる報道陣に対して、「保留を決定した」という資料を配布した。ただその資料には「XX日・時までは記事にはしないでほしい」という条件がついていた。「公表」するまで記事にするなという意味。英語で言う "Embargo" で、これはよくあるケース。ところが首相官邸の記者クラブにいた東京新聞の記者が、この「未公表の件」について政府はどう思うのかという趣旨の質問をした(記事を書いたのではない)。これについて「報道室長」が、未公表の情報について質問することは「当室としては断じて許容出来ません。貴社に対して再発防止の徹底を強く要請いたします」と抗議したというわけ。分かります?記事にするのはもちろんのこと、質問するのも自分たち(お役所)が指定した解禁時間以後にしろと言うことです。
▼なぜ「解禁時間」を守ることが必要なのか?「報道室長」によると、「結果が未公表の段階での質問は国民に誤解を招く」ということが理由なのだそうです。記事を掲載したわけではない、質問しただけなのよ。本当にアホらしくておならは出ないけど涙が出る。東京新聞のこの記者(女性)イジメは他にもあるらしいけど長くなるので、別のところに譲ります。 |
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6) どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら |
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pretend:面従腹背(?)
"pretend" というこの単語の意味をCambridge Dictionaryで引くと
- behave as if something is true when you know that it is not:何かが本当でないことを知りながら本当であるかのように振る舞うこと
と書いてある。
例によってノスタルジックなハナシで申し訳ないけれど、終戦直後に "Pretend" という歌が流行ったことがある。歌手はナット・キング・コール。小学生だったむささびは箪笥の上に置かれたラジオから流れて来るその曲を毎日のように聴いていました。もちろん意味など分かりっこないけれど、メロディだけは憶えてしまった。70年経って、歌詞を調べたら
という歌い出しだった。憂鬱なときでもハッピーなふりをしていろ そうすればずっとハッピーでいられる・・・いい言葉だなぁと感じ入ってしまった。たとえ「ふり」でもハッピーは悪くないよねというわけで、哀しい歌ではあるけれど、どこか切実な響きがある。この歌が作られたのは1952年、ベストセラーのチャートに載ったのが翌年だそうです。朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)のさ中のヒット曲だったのですね。 |
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全く関係ないけれど、「面従腹背」(めんじゅうふくはい)という日本語を英訳すると
- pretending to obey but secretly betraying
となるのですね。表面的には従順なふりをして、陰で裏切り行為をする・・・悪い奴だと思います?加計学園問題などで話題になった前文科事務次官の前川喜平さんが「日経ビジネス」とのインタビューの中で、文科省時代の自分を振り返りながら「みんな組織の中で四苦八苦しながら生きている」と言ってから次のように発言している。
- 誰だって多かれ少なかれ、「面従腹背」で生きているわけです。ただ、面従腹背しているほうが、まだマシだと思います。
つまり「面従腹背」どころか、本心から大真面目で組織に身を捧げる、ロボットみたいな人だっている・・・それに比べれば「本当はそうじゃないと思い、苦しみながらも、苦しみを押し殺して仕事をしているような人のほうがいいな」ということであります。まさに "Pretend you're happy when you're blue" ということです。 |
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7) むささびの鳴き声
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▼一昨日(9月15日)に再び北朝鮮がミサイルを発射したとかで、今後の北朝鮮をめぐる情勢がどうなっていくのか、見当もつかないけれど、せめて自分だけは正常さ(sanity)を保っていたいというわけで、紹介させてもらいたいのが9月10日付の東京新聞の社説『週のはじめに考える 桐生悠々と防空演習』という記事です。これを読んで「正常さを保っているメディアがある」と、少しだけほっとする思いがしました。この社説が話題にしている桐生悠々は明治後期から昭和初期にかけて活躍したジャーナリストなのですが、この人が書いたエッセイの一つに「関東防空大演習を嗤う」というのがある。長野県を中心に読まれている信濃毎日新聞1933年8月11日号に掲載されている。
▼その頃の日本では、敵機を東京上空で迎え撃つことを想定した防空演習が盛んに行われていたのですが、桐生悠々は、いくら演習を繰り返しても敵機を一機残らず撃ち落とすことは無理で、攻撃を免れた敵機が爆弾を投下し、木造家屋が多い東京を「一挙に焦土たらしめるだろう」と指摘したのだそうです。このエッセイが「軍部の怒りや在郷軍人会の新聞不買運動を招き」、桐生氏は信濃毎日新聞を追われてしまった。あれから84年、東京新聞は「悠々の見立ての正しさは、その後、東京をはじめとする主要都市が焦土化した太平洋戦争の惨禍を見れば明らかです」と主張すると同時に、北朝鮮のミサイル発射に対応する日本国内の「避難訓練」について
- かつて関東上空での防空演習を嗤(わら)った桐生悠々なら何と評するでしょうか。
と問いかけている。
▼最近のテレビ・ニュースを見ていると、飽きもせずに「ミサイル発射や水爆実験に高笑いする金正恩」のイメージと「国際世論」がシンゾーやトランプの思うような方向に動いておらず、その責任はすべて中国とロシアにある・・・という一方的なプロパガンダを流し続けているとしか思えない。これだけやられれば、日本人の中には「いっそのこと、金正恩を暗殺するか、平壌を叩き潰してしまえばいい」と考える人びとがかなりの数存在しているとしても不思議はない。メチャクチャ人間のあのトランプも、北朝鮮問題となると日本では「正義の味方」に変身する。
▼5番目に掲載した「ジャーナリスト攻撃を攻撃」という記事のコメントのところで、東京新聞の記者による質問が咎められたというハナシを紹介したけれど、あれには追加分がある。この記者は別の記者会見で、北朝鮮のミサイル発射に関連して菅官房長官に次のように質問したのだそうです。
- 米韓合同演習が金正恩朝鮮労働党委員長の弾道ミサイル発射を促しているともいえる。米韓との対話の中で、金委員長側の要求に応えるよう冷静に対応するように働きかけることをやっているか?
▼むささびによると、「よくぞ聞いてくれた」と絶賛したい質問なのですが、菅長官の答えは「北朝鮮の委員長に聞かれたらどうか」というものだったし、これを「迷質問」と呼んでバカにした新聞もあったのだそうです。そして東京新聞にはこの記者を殺害するという脅迫の電話が・・・政府と新聞とアタマのおかしい民間人がタッグを組んでまともなジャーナリストを抹殺しようとしている。トランプとシンゾーの盲目的強硬論だけで北朝鮮問題が解決するのか?というこの記者の質問にはまともに答える必要がある。それこそが日本人が感じている疑問なのに、メディアがそれを代弁していないだけ。北朝鮮に核開発を止めさせるのなら中国やアメリカにも同じことを要求するべきではないのか?菅長官の「北朝鮮の委員長に聞かれたらどうか」というジャーナリストをバカにしたような答えに怒るジャーナリストはいなかったのか?韓国では北朝鮮に「人道支援」を検討しているのですね。韓国人の方が「自分の問題」としてまともにこの状況に取り組もうしていることは疑いがない。
▼メルケリズムによると「思想より倫理」なのですね。これはとても面白いポイントだと思いません?「思想」が"What am I?"の世界であるのに対して、「倫理」は
"How should I be?"の世界なのですよね。メルケルは1954年生まれの63才、プーチンは1952年生まれの64才。自分が育った社会主義という価値観が自分の目の前で崩壊するという体験をしたのがほぼ40才のころ。ティリザ・メイは1956年生まれの60才、戦後英国の曲がり角とされるサッチャリズムが政治世界を支配するようになった1970年代中葉のころ、メイはようやく二十歳になったばかりだった。戦後の英国を支配していた福祉国家という考え方に疑問が呈されるようになった時代です。トランプ(1946年生まれ)が二十歳のころのアメリカは、ベトナム戦争もあって、第二次世界大戦の戦勝国という勢いにほんの少しだけ陰りが出てきていたよね。1954年生まれのシンゾーにはその種の時代体験がない。
▼シンゾーが2才だった1956年の日本は戦後の復興が目覚ましく「もはや『戦後』ではない」と謳った経済白書が出たほどだった。尤もその「戦後復興」は、朝鮮戦争(1950~53年)における米軍のための「補給基地」として使われたために、日本が「命は落とさずカネだけ儲ける」ことで可能になったもの(というのはむささびの理解)。だから大人になっても北朝鮮情勢と民進党の「混乱」に乗じて選挙をやってしまおうなどという小賢しい(cunning)ことしか考えない・・・というのは、もちろんむささびの評価です。
▼虫の音がとても賑やかになりましたね。お元気で!
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