musasabi journal

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430号 2019/8/18
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
この暑さは何なのでしょうか?熱中症にかかるのは「暑さ+湿気」が原因なのだとか。埼玉県の山奥では、ミンミンゼミ、アブラゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシの鳴き声が一度に聞こえ、陽ざしの中を赤とんぼがきらきら光りながら飛び交う季節になっているのですが。

目次

1)HGウェルズの日本(再掲載)
2)日英同盟と韓帝国(再掲載)
3)BREXITニュース疲れ
4)「連合王国」の解体?
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)HGウェルズの日本

今回は、過去のむささびジャーナルに掲載された記事を二つ再度紹介します。両方とも20世紀初頭、明治維新から30年ほど経った頃の日本に関するものなのですが、二つとも100年以上経った現代の日本とも繋がりがあるように思える。一つは20世紀の英国を代表する知識人の一人であるHGウェルズ(H.G Wells:1866~1946)が書いた "A Short History of the World"(世界文化小史)という本に出てくる「日本」のことについて、もう一つは20世紀初めに結ばれた「日英同盟」という協約の中に出てくる「韓国」についての記述部分です。まずはむささびジャーナル229号(2011年12月4日)で取り上げたHGウェルズの著作に出てくる日本についてです。


"A Short History of the World"という本が出版されたのは、今から約100年前、明治維新から54年後の1922年のことです。この本は人類の誕生から20世紀ごろまでの世界史を平易に解説したものなのですが、その中に20世紀初頭のアジアについて
と題する章があります。1868年の明治維新から約30年たったころのアジアはドイツ、英国、ロシアというヨーロッパの帝国が中国各地を手中に収める帝国主義争いのような状態であったのですが、「そこへ新たなパワーがこの大国同士の覇権争い参加することになる。それが日本である」(now a new Power appeared in the struggle of the Great Powers, Japan)というわけです。

ウェルズは欧米によって無理やり開国させられ、大いなる屈辱感(humiliation)を味わっていた日本が、明治維新以後いかに変身したかについて次のように書いています。
  • 開国2年前、1866年の日本は中世の人々(medieval people)で、極端にロマンチックな封建主義を絵に描いたような存在であった。それが33年後の1899年には完全に西洋化していた。それも最も進んだヨーロッパの大国(the most advanced European Powers)のレベルにまで西洋化していたのである。日本はアジアがヨーロッパからは全く遅れをとっているというイメージを完全に払拭した。日本の進歩に比べればヨーロッパにおける進歩でさえもダラダラした(sluggish)ものにうつるくらいであったのだ。


ヨーロッパの帝国主義国によるアジアでの覇権争いへの日本の参加の象徴ともいえるのが、明治維新から26年後に起こった日清戦争(1894~95年)です。基本的に日本と清国が朝鮮の支配権を争った戦争だったのですが、日本はヨーロッパ各国から学んだ軍事技術を駆使することでこの戦争に勝利した。ウェルズによると、この戦争における勝利は、日本における「西洋化」(Westernization)が如何に進んでいたかを如実に物語っている。

日清戦争から間もなくして英国と日本は同盟関係に入る(日英同盟・1902年)。その後日本は、朝鮮および満州の支配権をめぐる日露戦争(1904~05年)でロシアを破る。その結果、日本はサハリン島南部を領土に加えると同時に朝鮮に対する支配権も認められた。日露戦争で使われた日本海軍の戦艦はいずれも英国の造船所で作られたものだった。HGウェルズは、日露戦争でロシアが敗れたことで、ヨーロッパ列強によるアジア侵略は終わりに近づいた(The European invasion of Asia was coming to an end)と書いています。

 
▼ウェルズによると、門戸を開放する前の日本ときたら人類に対する貢献めいたものはほとんど何もなし、「取るだけで与えることはほとんどしなかった」(she has received much, but she has given little)国だった。では門戸開放後の日本は人類に対してどのような貢献をしたのでしょうか?そのあたりについては何も書かれていません。

▼"A Short History of the World" という本が出た1922年、H.G. ウェルズは56才だった。日英同盟締結から20年後のことです。H.G. ウェルズはいわゆるジャパノロジスト(日本びいき)でも何でもありません。つまりここに書かれている記述が、そのころの英国の普通の知識人が持つ日本についてのイメージであったのかもしれない。昨年(2018年)は明治維新150周年で、安倍首相や小池・東京都知事などはそのことをやたらと誇らしげに語っていましたよね。シンゾーなどは、そのころの日本が大東亜共栄圏とか言って、ヨーロッパの帝国主義勢力からアジアを解放しようとしたのだとマジメな顔で言うけれど、日本は単にヨーロッパ列強とアジアの支配権を争った国であったにすぎないのですよね。

▼前号のむささびジャーナルにThe Economistが語る現代の日本人の自己イメージについて紹介する記事(『日本人って何者?』)が載っています。The Economistは、日本人が欧米中心の「先進国クラブ」にいることに不安を感じると言っている。そして「ドイツと違って、日本は戦争に伴う過去と完全に向き合うことをしてこなかった」とも。ひょっとすると、日本人が感じる「先進国クラブ」の居心地の悪さは、ウェルズが著書の中で「絶賛」したころからずっと感じているものなのかもしれない。

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2)日英同盟と韓帝国



明治維新から約30年、HGウェルズのいわゆる「最も進んだヨーロッパの大国のレベルにまで西洋化していた」日本に同盟関係の話をもちかけてきたのが英国です。18世紀から19世紀にかけて7つの海を支配していた英国ですが、日本が明治維新を経験する19世紀後半にはその力にも陰りが見え始めていた。そのころにロシア帝国が支配拡大を目指して南下してきていたのですが、英国は南アフリカにおける独立戦争にかかりきっており、中国やインドにおける自分たちの権益を守るためにロシアと戦いを交えるような余裕がなかった。


なぜ日本と同盟?

そこで目を付けたのが日本です。清国との間で朝鮮の支配権めぐって戦われた日清戦争(1894~95年)に勝利した日の出の勢いだったアジアの若き帝国です。英国としては、その日本と同盟を組むことで、インドや中国における領土拡大を目指して南下するロシアの勢いを止めることができる・・・と考えたわけです。ロシアの南下阻止は、清国や朝鮮における支配確保を目指す日本にとってもやらなければならないことではあった。その日本と英国が、ロシア帝国の南下を阻止するという利害の一致から締結したのが1902年の日英同盟(Anglo-Japanese Alliance)だった。

日英同盟がロンドンで調印されたのは1902年1月30日ですが、約一か月後、1902年2月25日付のThe Timesが日英同盟に関する分析記事を掲載しています。書き出しと結論だけ紹介すると・・・
  • 日英同盟があらゆる階層の日本人にとって歓迎であるのは、それが我々(英国人)にとっても歓迎であるのと同じように当然なことである。 It is natural that the Anglo-Japanese Alliance should be as welcome to all classes of the Japanese people as it is to ourselves.
これが書き出しです。このあと日英同盟を結ぶ日本の意図はあくまでも極東アジアにおいて平和裏にビジネスを行う環境を作り、これを維持することにあるということを延々書いており、結びの言葉は
  • 我々は日本が侵略的な国であるとか、侵略的な意図を持っているなどと考える理由は全くないと信ずるものである。 We do not believe that there is the slightest reason to suppose that she is or intends to be aggressive.
となっています。要するに「日本を信頼しよう」と言っている。


韓帝国は日本のもの?

で、その日英同盟の中身ですが、序文にはこの同盟の趣旨として「日英両国は極東(Extreme East)における現状と平和の維持」を謳ったうえで
  • とりわけ清帝国と韓帝国(Empire of China and the Empire of Korea)の独立と固有の領土が尊重されること並びにこの両国においてすべての外国がビジネスを行うための平等の機会を確保することに重大なる関心を抱いている
と言っている(上の日本語はむささびが作ったもの。ここをクリックすると日英ともに原文で読むことができます)。「日英同盟」と謳ってはいるけれど、いきなり清帝国と韓帝国のことが出てくるのですね。しかも清帝国も韓帝国も独立国であると言いながら、その二国における外国の「商業・工業(commerce and industry)」活動については「平等の機会」を提供するべしなどと言っている。中韓両国にしてみれば、それは自分たちの国内問題なのだから「平等の機会の確保」など余計なお世話ってことになりません?


以上は日英同盟のイントロ、すなわち「総論」です。しかし条文(各論)を見るともう少し露骨になってくる。例えば第1条で
  • 日本も英国も清帝国と韓帝国の独立を認めたのであって、この二つの国を侵略しようなどとは夢にも思ってもいないということだけは、はっきりさせておく・・・
と言いながら、その次に「然れども」(however)ときて次のような文章が続いている。
  • 日英両国にはそれなりの利害というものがある。英国は清帝国内に特別な利益を持っており、日本は中国だけでなく韓帝国内にも政治的かつビジネス上の利害関係がある。
だから何なのさ?と思ったら・・
  • 清帝国と韓帝国で暮らしている日本人と英国人の生命や財産に危害がおよぶような事態になった場合は、それが他国による侵略によって惹き起こされたものであれ、中国人や韓国人が惹き起こしたものであれ、日本と英国はこれを阻止するために必要な措置をとることを了解する。
言い換えると、日本が清帝国や韓帝国で、英国が清帝国で何をしようとそれに対してはお互いに文句は言わない・・・と。


これに続く第2条では、第1条で言われている日本と英国のいずれかが、自国の利益を守ろうとして別の外国と戦争状態に入った場合、もう一方は中立の立場を維持するとともに、他国が敵として戦争に加わることがないように努力すると定めている。つまり日本が韓国や中国を舞台にロシアと戦争状態になった場合、英国は(例えば)フランスがロシアに加担することを阻止するように努力しなければならないということです。日本は世界一の富と海軍力を有する、大英帝国を味方につけて、清国と韓国における「国益」を保護する体制を手に入れたということであり、しかも仮に外国と戦争することになったとしても相手は一国だけになるように英国が最大限の努力をするというシステムを手中にしたということです。

「感謝に満ちた友好の情

200年の鎖国状態から抜け出した日本にとって、明治維新からわずか34年後に、あの超大国・英国と同盟を結んだのですから、当事の日本人(特に指導層)はさぞや晴れがましい思いであったろうと察しがつきます。英国の日本研究家、リチャード・ストーリー(Richard Storry:1913-1982) はA History of Modern Japanという本の中で、日英同盟の締結が日本人に与えた心理状況について
  • この同盟の締結を感情面から見るならば、半世紀前にペリー(提督)とその後継者たちが日本に乗り込んできたときに日本人が失った内に秘めた誇り(inner pride)を取り戻すことになる同盟でもあった。英国に対する日本人の感謝に満ちた友好の情(grateful friendship)は本物かつ広範に行き渡る(sincere and widespread)ものでもあった。 
と書いています。ペリーの黒船によって無理やり開国させられたことに、当時の日本人は大いなる屈辱感を味わっていたということですね。それが日英同盟の締結によって、自分たちが「一人前扱い」されたという満足感に変わった。日本人が英国に対して持ったのは「感謝に満ちた友好の情」であった、と。


日英同盟100周年(2002年)を記念して植えられたオークの木

「韓帝国の独立を維持」の意味

が、この同盟の舞台にされている中国や韓国の人たちの思いはどのようなものであったのか?The Timesの1902年4月9日付の新聞に同紙のソウル特派員からの記事が出ています。見出しはKorea And The Anglo-Japanese Agreement(韓国と日英同盟)となっていて、日英同盟が謳っている「韓帝国の独立を維持」というくだりについて次のように書いてある。
  • この同盟が意味するのは、英国も日本も現在の韓帝国における政権の在り方には満足しておらず、これを変革すると決意している、というのが韓国人の見方なのである。To the Koreans it seems that this alliance implies that neither England nor Japan is satisfied with the present methods of government in Korea, and is determined to see changes made.
つまり最初に挙げた2月25日付の紙面では、「日本は侵略的ではないし、侵略的な意図も全くない」と言っているけれど、4月9日付の同紙によると、韓国人はこの同盟が自国の内政に干渉するもの、つまり侵略的なものであることが分かっていたということになる。少なくともThe Timesのソウル特派員はそのように見ていた。2月の記事はロンドンの本社にいる記者が書いたものであり、現場に近い特派員の観察とは異なるのも仕方がないのかもしれない。いずれにせよ、日英同盟では、日本が韓国内でどのように振る舞おうとも英国はこれを「承認す」となっていたのであり、韓国政府関係者にはその意味することろが分かっていた(と特派員は感じた)。
 

日韓併合を祝う(?)ソウル市民

「併合」には渋々同意

日英同盟締結から8年後の1910年8月29日、日本による韓国併合が行われる。つまり韓国を日本の一部にしてしまったということです。「併合」から約一か月後のソウルについて1910年10月1日付のThe Timesが “Korea, The Annexation and After”(日韓併合とその後の韓国)という、特派員からの記事を掲載しています。ソウルの雰囲気は平和そのものであり、「満足した表情の韓国人がのんびりと仕事をしている」(Contented-looking Koreans idle over their work)姿が見られ、市内にたくさんいるはずの日本人との間では「これといった摩擦のようなものは見られない」(no outward signs of friction)などと伝えています。

日本による韓国併合についての英国政府の態度は「英国がそれまで韓帝国との間で結んでいる貿易上の利害が侵害されない限りにおいて」これを認めるというものだった。もろ手を挙げて賛成ではないけれど、絶対反対というものでもない。その後、日英同盟は1922年に破棄され、日本による韓国併合は1945年の太平洋戦争の終戦と同時に終了している。

▼(いきなり現代の日韓関係の話になるけれど)韓国大法院が元徴用工への損害賠償を新日鉄住金に命じたことについてシンゾーは昨年(2018年)10月末の国会で、「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決している。この判決は、国際法に照らしあり得ない判断だ」と述べたのですよね。むささびは、首相のこのものの言い方に、日英同盟当時の日本人の対韓国意識の臭いをかいでしまう。仮にも民主主義国家とされている国の最高裁判所に当たるような機関が下した判断を「あり得ない」などと決めつける愚かさ加減に腹が立つやら情けないやらという感じであります。

▼同じことが「あいちトリエンナーレ表現の不自由展」の中止についても言えますね。この展覧会で慰安婦を表現した少女像を展示したことは「日本国民の心を踏みにじる行為」と、名古屋市長が発言したわけですよね。このことについて、名古屋市長およびそれと類似のことを口にする人間を批判するのは止めておきます。またそのような勢力が跋扈する時代になったことについてメディアが果たした役割について「情けない!」と嘆くことも。あのような市長がクビにもならずに生き残り、主催者に脅迫状を送り付けたりする人間がわんさと存在している、いまの日本の現実を生み出したについてはむささびも含めた普通の日本人の責任でもあるわけですからね。

▼むささびは「名古屋市長をクビにしろ」と叫ぶデモをやったりすることは(多分)ないけれど、名古屋市長のような人びとが自分にとっては敵であるということを心の中で思い続けることだけはしようと思っています。あえて自嘲気味に韓国の人たちに言っておくと、こんな日本や日本人など相手にしない方がいい。シンゾーらを相手に「売り言葉に買い言葉」(tit for tat)のようなことをするのはエネルギーの浪費です。冷静になって中国・北朝鮮・ロシア・アメリカ・ヨーロッパなどとともに「日本を無視する同盟」でも進めた方が建設的です。シンゾーや名古屋市長が心の中で一番恐怖しているのは「孤立」なのですから。


▼そういえば、シンゾーとボリスの現代版日英同盟というのもあるかもね。ボリスはBREXITの反欧路線で、シンゾーは反韓国路線で、それぞれ孤立をかこつことになる。頼みの綱はトランプということになるけれど、トランプの本音はAmerica first、経済的に衰退し世界中から憐みの情をかけられている国のことなど構ってられないもんね。

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3)BREXITニュース疲れ


"News consumptiion" なんて英語があるのをご存知でした?むささびは知りませんでした。日本語に置き換えると「ニュース消費」となりますよね。読者や視聴者がメディアを通じてニュース報道に接することを言うのだそうです。最近、英国の放送庁(Ofcom)というお役所が発表した2019年度版の "News Consumption in the UK: 2019" という報告書によると、65才以上の英国人がテレビのニュース番組を生で見る時間は一日で33分、それに対して16-24才の若者の場合はたったの2分だそうです。若者の場合は、SNSを含めたインターネットでニュースに接するというケースが圧倒的に多いということです。報告書は2019年版ですが、調査自体は2018年に行われています。


これを伝える7月24日付のThe Guardianによると、「ニュース消費」におけるこのような変化は英国の政治にも大きな影響を及ぼすとしています。これまではBBCの夜10時のニュースというのが、政治家にとって自分たちの考えを国民に伝えるための最も有効かつ重要な手段であったのですが、高齢者以外は必ずしもそうではなくなっているということです。


ちょっと興味深いのは、FacebookやTwitterのようなSNSの普及によって「英国人がニュース報道にこれまで以上に積極的に接する傾向が見られる」(UK adults are consuming news more actively via social media)ということで、単に受け身的にニュースに接するのではなくて、自分なりのコメントを発表したりするケースが大幅に増えたということです。

英国におけるニュース源として最も一般的なのはBBC Oneで58%がこの局を挙げている。民間放送のITVが40%でこれに次いでいるのですが、第3位のニュース源にFacebook(35%)が来ているとは知りませんでした。


Ofcomの報告書は新聞業界について、昨年(2018年)の全国紙の合計販売部数が1040万部であったとしているのですが、これは2010年度の数字(2200万部)の半分に過ぎないものになっている。そんな中でDaily Mailのネット版であるMailOnlineとthe Guardianのネット版が読者を惹きつけることに成功している、と伝えています。

一般的に言って、英国では高齢者層の白人が従来のメディア(テレビと新聞)に拘っているけれど、若い層と非白人たちはSNSの世界で「ニュースを消費」しているのだそうであります。


一方、ロイター通信がオックスフォード大学と共同で運営しているジャーナリズム研究所(Reuter Instutitute)の調査(2019年版)によると、最近の英国人の間で顕著なのが「BREXIT疲れ」(Brexit fatigue)という現象なのだそうです。調査対象になった英国人の35%が、テレビでニュース番組を見たり、新聞を買ってニュースを読むことをしないことがあると答えている。理由はBREXITで、それ関連のニュースは大体において気分を害する(negatively affects their mood)か、どうせ何をやっても変わらないのだという無力感(powerless)を感じるのだそうです。

▼「BREXIT疲れ」という現象は大いに理解できますが、もう一つ興味深いのは、SNSの普及によって、ニュース報道にこれまで以上に積極的に(actively)接する傾向が見られるということです。受け身的に報道に接するのではなく、自分なりの意見を発表したりしながらニュースに接するようになったということですよね。「BREXIT疲れ」もそれが原因となっている部分があることは否定できないよね。SNSなどというものが存在していなかった時代にはなかった現象だと思うのですが、ニュース報道に「積極的に」接するのは悪いことではないのでは?

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4)「連合王国」の解体?

 

何度も繰り返して皆さまとしてもウンザリかもしれませんが、10月31日が英国がEUを離脱する日ということになっています。強硬離脱派のリーダーとして知られるボリス・ジョンソン首相は口では「合意なき離脱を望んでいるわけではない」などと言っているけれど、EUに対して彼らがのめないことが分かっているような条件を突きつけて「これが受け入れられないのではBrexit with no deal(合意なき離脱)もやむを得ない」と言ってこれを敢行するのではないかなど言われています。

そんな中で、 2007年から2010年まで、労働党政権の首相を務めたゴードン・ブラウンが8月10日付のGuardianにエッセイを投稿、「連合王国という英国の体制そのものが有害なるナショナリズムによって解体されようとしている」(The very idea of a united kingdom is being torn apart by toxic nationalism)と警告しています。


ブラウンのいう「有害なるナショナリズム」は、EUによって代表されるヨーロッパに対する英国人の敵愾心という意味ではなくて、英国の中の地域に根差す「ナショナリズム」のことです。ご存じのとおり、英国はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという4つの地域から成っています。それぞれの「地域」のことを "region" と言ったり"area"と言ったりするけれど、「同じ言語や伝統を共有する人間が暮らしているエリア」を表現する言葉である"nation"というのが一番実態に近い。ブラウンが憂慮しているのは、それらのnationにおける排他的なナショナリズムの高まりということです。

例えばスコットランド。今から5年前(2014年)にUKからの独立の是非を問うスコットランド人による国民投票が行われたけれど、その際には55.3% vs 44.7%で独立は否決された。が、3年前の英国のEU離脱をめぐる国民投票では、スコットランドに限って言うと62.0% vs 38.0%で「残留」が勝利している。かなりの大差でスコットランド人の多くがEU離脱には反対しているわけですが、2019年の調査によると、英国が「合意なき離脱」の道を歩むことなった時にはスコットランドのUKからの独立志向が強ま るだろうと考えるスコットランド人は6割を超えており、そうはならないと考える人の15%を大きく上回っている。

 保守党員のアタマの中


スコットランドが独立するということは、これまでの「連合王国」(United Kingdom)という体制そのものが解体されるという意味でもあるわけですが、英国保守党員を対象にして「UK解体」と「EU離脱」という二つの可能性を並べて調査すると「UK解体の危険を冒してでもEU離脱を」という意見が圧倒的に多い。これがBREXIT党支持者になると、78%がEU離脱のためならUK解体も構わないと言っている。


同じことが北アイルランドについても言える。英国がEUを離脱すると、北アイルランドがアイルランド共和国と合併(reunited)、これまでのUKが解体することになるのですが、「それでも離脱を」という保守党員は6割に上っている。これが実現すると、英国領土としての北アイルランドが消えるわけだから、BREXITに伴う国境問題はなくなるわけですが、北アイルランドにおける現在の与党である民主連合党(DUP)は、自分たちがUKの一部であることに党のすべてをかけているのだから、すんなりと問題解決というわけにはいかない。

スコットランドがイングランドと連合したのは1707年、アイルランドが南北に分かれ、UKの一部としての北アイルランドが誕生したのは1921年のことです。ウェールズは1542年にイングランドに組み込まれている。United Kingdomは「連合王国」と呼ばれているけれど、実際にはイングランド中心の国として生きてきたわけで、EU離脱も実際にはイングランド人のナショナリズムの表れともいえるわけです。

今さらですが、「英国」の国名は正式には "United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland" ですよね。日本の外務省のサイトには「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」と書いてある。Great Britainというエリアと北アイルランドが合わされて"United Kingdom of..."となるけれど、Great Britainの中にはScotland, England, Walesの三つのエリアが入っているわけよね。人口比でいうとイングランドが約5600万で圧倒的に大きく、2番目のスコットランド(540万)、3番目のウェールズ(310万)、4番目の北アイルランド(200万)を合わせても5分の1にも満たない。

ブラウン氏によると、「現在の英国政治はナショナリズムによって動いている」(nationalism is now driving British politics)というわけで、このままでは夢遊病のように悲劇に向かって歩み続ける(sleepwalking into oblivion)ことになる。いわゆる「合意なき離脱」のことで、それだけは何としてでも食い止めなければならないわけですが、では具体的に何をどうすればいいのか?そのあたりになると、ブラウン氏は抽象的になってしまう。ちょっと長いけれど、彼のエッセイの最後の部分を抜き出して紹介します。
  • 現代においてそのような悲劇を食い止めるためには、英国が昔から守ってきている美徳(virtues)を再認識する必要がある。すなわち「共感」(empathy)、「国境を超えた団結心」(solidarity across borders)、国家間の互恵主義(reciprocity between nations)、「対立ではなく協力」(co-operation rather than conflict)などを再評価するということだ。これらの理念は「寛容・開放性・外向き」(tolerant, inclusive and outward-looking)という「英国らしさ」によっても支えられるものではあるけれど、「合意なき離脱」がもたらすであろう分裂と混乱を生き延びることはできないだろう。
というわけで、社会としての機能障害を引き起こすナショナリズムを食い止めるための最初のステップは、ボリス・ジョンソンらが進める強硬離脱を食い止めること(to stop no deal in its tracks)だと、ブラウン氏は強調している。

▼ボリス・ジョンソンを筆頭とする熱心な離脱論者は、スコットランドや北アイルランドなんて要らない(ウェールズ?どうでもいい)と言っているようなものですが、そうやってEUからの「独立」を果たした後のイングランドに何が残るというのか?EU以外の世界の国々と平等にやっていけるだけのものを「イングランド」は持っているのか?そのように考えていくと、ブラウン元首相の言う、英国(UK)がこれまでに培ってきた「連合体」としての「他者との共存能力」のようなものを捨て去ろうとするのは、あまりにも愚かですよね。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 
illeism:イリズム

むささびジャーナルでは、記事を書いている本人(春海二郎)が自分のことを「私」とか「ボク」と呼ばずに「むささびは」という言い方をしています。それを称して英語では "illeism" と言うのだそうですね。そういえば日常生活でも自分のことを自分の名前で呼ぶ人っていますよね。特に子供には。確かむささびの妹は幼稚園のころに「ミヨは幼稚園なんか、行きたくない!」と言い張って母親を困らせていたっけ。"illeism" の語源である "ille" はラテン語の「彼」(he)という意味なのだとか。

いつもそうするというわけではない(と思う)けれど、トランプにも "illeism" の傾向があるのかもしれない。例えば彼が2017年5月2日に発信した次のツイッター:
"Perhaps Trump just..."の部分が "illeism" だってことです。このメッセージについては、トランプ嫌いで知られるJKロウリング(ハリー・ポッターの作者)が2017年5月3日に
と投稿しています。

"illeism"はシェイクスピアが『ジュリアス・シーザー』という作品の中で盛んに用いた手法なのだそうですね(むささびは読んだことがないけれど)。この種のやり方の善し悪しはともかく、自分の意見を考えたり、述べたりする際に自分のことを三人称で表現すると物事を客体化して見ることに役に立つという人もいる。反面、日本語のサイトを読むと「幼稚だ」として退ける意見が多いようであります。多分変えないでしょうね、むささびは・・・。
 
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6)むささびの鳴き声 
▼今年も8月15日が過ぎました。むささびはテレビを観るよりもラジオを聴く時間が長いのですが、8月に入ってから「戦争体験を語り継ぐ」というタイプの番組がいろいろと放送されました。大体において、戦争中に生きた人びとが悲惨な体験を語りながら「二度と戦争はやってはならない」というメッセージで締めくくるという番組であったように思います。それを聴きながらむささびが感じた「違和感」のようなものは何であったのでしょうか?「語り部」たちの意図そのものには何の疑いも感じないのに、です。終戦時に4才であった事実上の戦争無体験者であるむささびにとって、体験者の言葉はやはり「他人ごと」であり「過去のこと」であるということかも?で、そのように想うこと自体が「嘆かわしい」ことなのかもしれない。けれど「嘆かわしい」と文句を言っているだけで済ませられるような事柄なのか?と、いろいろ考えるわけです。

▼語り部と自分の間に横たわる共通体験の欠如も「違和感」の理由の一つかもしれない。が、戦争体験者と無体験者の間にも「現代を生きている」という共通体験はある。憲法改正の動きも「現代」なら、徴用工問題で嫌韓ムードが煽られるのも「現代」です。そしてもちろん「戦争体験が忘れられていく」のも・・・。そう思うと、例えばシンゾーがやり抜こうとしている憲法改正について、戦争体験者と無体験者の間のディスカッションのような放送企画はできなかったのか?と考えたりもするわけ。ひょっとすると、「戦争体験を語り継ぐ」というタイプの番組に対してむささびが感じる「違和感」は、戦争体験者と無体験者が共有している「現代」について語らないことへのフラストレーションなのかもしれない。

▼話題を変えて、ジャーナリストの田中良紹さんによると『小泉進次郎の結婚報告には政争の匂いがプンプンする』のだそうです。8月7日の午後のテレビのワイドショーがいっせいに伝えたとされる、あの件です。あの日、進次郎+クリステルのお二人が菅官房長官に結婚の報告をするため官邸を訪れたのですが、「ちょうど総理もおられるから」という官房長官に促されてシンゾーにも報告をし、最後に首相官邸に常駐する政治部の番記者たちによってその場で記者会見が行われた・・・という、あの件です。

▼若い政治家とタレントの結婚話なんて、どうでもいいではないかと(むささびなどは)思うのですが、田中さんによるとあの行動は自民党内の政治闘争(政争)の一環なのであります。あの行動があった3日後(8月10日)の新聞朝刊に『文藝春秋9月号』の広告が掲載されているのですが、主なる記事の一つとして「菅官房長官と小泉進次郎議員の対談」が宣伝されている。対談のタイトルは「令和の日本政治を語ろう」で、田中さんは「これで疑問のかなりが氷解した」と言っている。文藝春秋の記事が出ることにタイミングを合わせて官邸を訪ね、個人的な結婚報告をやり「ついでに」首相にも合わせる・・・つまり、あれは「進次郎議員の戦闘宣言であると同時に、菅官房長官にとってもキングメーカーになるための戦闘宣言」であったということであります。へえ、そうなんですか。

▼同じ話題について、小田嶋隆というコラムニストが『日経ビジネス』のサイトに『結婚発表会に思う「飼い犬」としての資質』というエッセイを寄稿している。かなり長いのですが、要はあの記者会見を取材した首相官邸詰めの記者たちのことを痛烈に批判しているものです。「官邸と小泉新夫妻の合作による、この陳腐極まりないおめでたセレモニー演出に、誰一人ツッコむ記者がいなかった」ことへの批判です。例えば進次郎議員に対して次のような質問をなぜしなかったのか?
  • 結婚発表に官邸を選んだのは本当に偶然なのか?
  • いち国会議員が、自身の結婚というプライベートな事情を発表するのに首相官邸を使うことに抵抗は感じなかったのか?
  • この会見の日時・場所・内容などは、いつ誰が決めたのか?すべてあなた自身が決めたのか?
▼日本人なら誰でも答えを知りたがるこのような質問を発する記者は一人もいなかった、というわけで、小田嶋さんは「官邸に飼われている番記者は、こんなにもあからさまに飼い犬化するものなのだろうか」と怒ったうえで、次のような疑問を発している。
  • それとも、これは、あらかじめ良き飼い犬としての資質を万全に備えた者でないと、番記者のポジションに就くことができないという順序で進行しているお話なのだろうか。
▼「日本人はメディアに舐められ、メディアは政治家に舐められ、政治家は選挙を舐めている・・・」と小田嶋さんは怒っているのですが、むささびは彼のエッセイを読みながら、何十年も前に立花隆というフリーのジャーナリストが、田中角栄首相の金脈・人脈をこと細かく取材してレポートした「田中角栄研究」という記事を文藝春秋に寄稿、これがもとで田中首相は退陣に追い込まれたという「事件」を想い出した。立花さんはその記事のお陰で有名になってしまったのですが、むささびが鮮明に憶えているのは、当時の新聞社の政治記者たちが「あんなこと、誰でも知っていたよ」と言ってケチをつけたところ「知っていたのなら、何故書かなかったのか?」と逆に批判されてしまったということです。

▼ただこれには後日談がある。「誰でも知っていた」発言から約30年後、ある新聞社が主催したパネル・ディスカッションに招かれた立花さんが「ジャーナリズムの復興をめざして」というテーマで話をしたのですが、立花さんのトークについての報道の中で、その新聞社の編集局長という立場にある人が、あの政治記者たちの「あんなこと、誰でも知っていた」発言について「(あの記者たちは)は本当は知らなかったんだと思います」とコメントしていたということです。それを読んでむささびは「なーんだ、そうだったのか」という気持ちになった。そこに気がつかなかったのですよ。むささびは、彼ら政治記者たちが知っていたのに、首相に遠慮して記事にはしなかったのだとばかり思っていた。

▼でも、もし本当に知らなかったのだとしたら、彼ら政治記者たちは素直に「立花さん、アンタの記事はすごい!私らあんなこと知らんかったわ」と言わなかったのだろう?これはむささび自身の憶測ですが、あの政治記者たちは、おそらく一流の教育を受けて、一流のマスコミに入社して、一流の政治家と付き合って・・・という生活を送ってきた。この世に自分たちよりすごい政治記者がいるなんてあり得ないと思って過ごしてきた。そのような人間が現実に直面して思わず口にしてしまったのが「オレだって知っていたさ」という言葉だったのではないか。コラムニストの小田嶋さんのいわゆる「良き飼い犬としての資質を万全に備えた者」だけが集まる場所、それが首相官邸記者クラブというわけです。

▼くそ暑いのに、長々と失礼をば致しました。あと2週間もすれば9月です。お元気で!

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