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437号 2019/11/24
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BREXIT 美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
季節の移り変わりって、あるものなのですねぇ!本当に寒くなりました。あと3か月の辛抱。この寒さの中でも、プランターに植えた埼玉県西部名物ののらぼう菜はきっちり育っています。ただ山奥へ行くと、食べ物に飢えた(のかもしれない)イノシシがしっかり地面を掘り起こしまくっております。ミミズを求めての戦いらしい。彼らも必死です。

目次

1)MJスライドショー:星を見に行く
2)寝室税と人権
3)メルケルの30年
4)アンドリュー王子と英国の「団結」
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声


1)MJスライドショー:星を見に行く


最近、星が見えなくなった・・・というのは白々しい。「星を見なくなった」とでも言うべきですよね。子供のころは夜になると北斗七星とかオリオン座を見ていたように思う。なぜ見なくなったのか?おそらく他に見るものが多くなったからなのでしょうね。それでもたまに見上げた夜空に星がたくさん光っていてくれるとうれしいよね。というわけで、夜空の星を見上げるスライドショーということにしました。

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2)寝室税と人権



11月13日付のGuardianに
という見出しの記事が出ていました。「寝室税(bedroom tax)をめぐる最高裁の裁判で英国政府が敗訴」ということです。寝室税についてはかなり前(むささび264号)に紹介したことがありますが、政府(労働・年金省:Department for Work and Pensions)が低所得者向けに支給する住宅手当のようなものだと思えばいい(「手当て」が何故「税金」などと呼ばれるのか、は後から説明)。


英国の場合、低所得層の中には地方自治体が運営する「社会住宅」(social housing)で暮らす人たちもいる。例えばマンチェスターの場合、寝室3つの社会住宅の1週間の家賃は大体140ポンド(約2万円)とされており、必要に応じて1週間で50~100ポンドの「住宅手当」が労働・年金省から払われる。つまり実際に払う家賃はかなり安いものになる。ところが、3つの寝室のうちの一つが(例えば)物置代わりとして使われて実際には寝室としては使われていない場合もないとは言えない。その場合は住宅手当が14%カットされ、二つ以上の部屋が空いている場合はカット額が25%にまで跳ね上がる。つまりそれまで120ポンドの手当をもらっていたのが106ポンドにまで減らされるということになる。政府からの手当が差し引かれるということは、その分だけ政府に取り上げられることになるのだから「税金」と呼んでいるわけです。


で、Guardianの記事ですが、ある夫婦がリバプール市が提供する社会住宅(2寝室)で暮らしていた。奥さんが重度の障害者で、寝室のうちの一つが彼女のための医療器具などの置き場所として使われていることが判明、労働・年金省が14%の住宅手当減額を求めた。その結果地方裁判所では当局の言い分が認められ夫婦が受けていた住宅手当が減額となった。そのことを不服とした夫が最高裁判所に上訴、最高裁のヘイル裁判長(Lady Hale)が夫側の言い分を認める判決を下したというわけ。つまり労働・年金省による手当減額は認められないことになった。

裁判長は判決の根拠として「人権法(Human Rights Act)における住宅権の侵害にあたる」としている。確かに二つある寝室のうちの一つが寝室として使われてはいなかったことは事実としても、それは重度身障者である妻が必要とする医療器具の置き場として使われる必要があったからであり、他に置き場所がなかったのだからその「寝室」を使うのは当たり前というのが裁判所の判断です。

Guardianによると、現在英国では似たような裁判沙汰のケースが150件以上もあり、今回の判決によって、同じような境遇にある夫婦に対する住宅手当の減額(寝室税)も見直されることになる。また今回の判決が政府の要求する「寝室税」が人権法に違反するとしたことは、寝室税に関する規則よりも「人権」が優先するという前例を作ることになる。


ヘイル裁判長

ヘイル裁判長は
  • 人権法は英国議会が定めた法律であり、それより下位に位置する(例えば寝室税に関する規則のような)規則を上回る力を有するものである。The Human Rights Act is an act of the United Kingdom parliament and takes precedence over subordinate legislation such as the regulation in question…
と述べている。

寝室税という制度ができたのは、2013年、保守・自民連立政権のころで、いわゆる「福祉改革」(welfare reform)の一環としてできた。税金の浪費を止めようといううたい文句で行われた政策の一つだった。英国の公営住宅の世界では、家族が少ないのにやたらに寝室が多いケースがあるかと思うと、狭い家に多くの家族がすし詰め状態で暮らすというケースもある。余分な部屋がある公営住宅をもっと恵まれない家族に譲ってほしいというのが当時の政府の言い分であり、「寝室税」制度によって230億ポンド税金が節約されるとも言っている。

▼寝室税は「福祉改革」というよりも「福祉切り捨て」政策と酷評する向きが多い。最近の例として挙げられるのが、寝室3つの社会住宅で二人で暮らす母と11才になる息子のケース。離婚した夫がたびたび戻って来てDV(家庭内暴力)を繰り返すので、警察と相談のうえで寝室の一つをDV回避のための"panic room"として使うようになった。その結果、それまで支給されていた3寝室住宅向けの手当てが減らされてしまったのですが、欧州人権裁判所がこれを違法と断定した。

▼日本の裁判官が聞いたら怒るかもしれないけれど、この記事を読みながら日本人であるむささびはため息が出てしまった。日本の裁判沙汰では、このような常識とか普通感覚を感じるような判決が余りにも少ないと思うから。あるサイトによると、日本の裁判は裁判官による「上から目線」の世界である、と。つまり庶民感覚とか常識論のようなものは最初から切って捨てられる世界であるというわけです。しかもそれに対する抗議デモのようなものも極めてまれで、韓国などのデモがあると、あたかもそれが社会として未熟であるかのような報道をするケースが多い。実際にはあちらの方が市民感覚が鋭いだけ(かもしれない)なのに・・・。

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3)メルケルの30年




今年(2019年)は、あのベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日から数えてちょうど30年目にあたる。日本のメディアでもそのことをテーマにした企画が様々に行われているようですね。11月7日付のドイツの週刊誌、DER SPIEGEL英文版のサイトが掲載したのは、東ドイツ出身者であるアンゲラ・メルケル首相との単独インタビューです。むささびの理解と独断の範囲内でなるべく短くはしょって紹介するつもりです(が、相当に長い記事なので、どこまでそれが可能か?自信はない)。ここをクリックすると原文(英文)を読むことが出来ます。


アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)の略歴を簡単に紹介すると
  • 1954年ハンブルク(西ドイツ)生まれ。父親(牧師)の転勤により、アンゲラ2才の時に一家は東ドイツ・ブランデンブルク州のテンプリン(Templin)へ移住。1978~90年、東独科学アカデミー付属物理化学中央研究所に勤務、その間にライプチッヒ大学理学博士号取得(1986年)。ベルリンの壁崩壊時には、旧東独デメジエール政権の副報道官を務める。その後、連邦政府の大臣などを経て2000年にキリスト教民主同盟(CDU)党首を務めた後、2005年11月に連邦首相に。2009年、2013年に再任されて現在に至っている。
ということになる。つまり2才から35年間を東ドイツ国民として過ごしたということです。
 
SPIEGEL: もしベルリンの壁が崩壊せず、東ドイツがいまでも継続していたとすると、あなたは今ごろ何をしていましたか?

アメリカ旅行が夢だった・・・
Merkel: 少なくとも自分の夢を叶えることはできていたでしょうね。東ドイツでは女性は60才で退職と決まっていました。つまり今から5年前、60才になった時点でアメリカへ旅行していたでしょうね。あの頃の東ドイツでは年金生活者は外国へ旅行することが許されたのです。要するに「社会主義労働者として、もう必要がない身であるから外国へ行くことも許そう」ということだった。

Q:アメリカがあなたにとって夢の旅行先であったということですか?

A:もちろん西ドイツを見物するために少しは時間を費やすことはしたでしょう。でも人生最初の長期旅行先はアメリカと決めていた。大きい国だし、多様性にも富んでいて、文化的にも興味があった。ロッキー山脈を見て、ドライブして、ブルース・スプリングスティーンのロック音楽を聴いて・・・それが私の夢だった。
Q:あなたは以前、ベルリンの壁崩壊に関連して、東ドイツでの生活のことや壁崩壊前後の混乱期のことについては「残念ながらよく思い出せない」と言ったことがある。そのことは、かつての東ドイツ市民の自分たちの歴史への関りについて何を物語っていると思うか?

東独時代は思い出せない!?
A:思い出そうと思えば、いくらかは思い出せるでしょう。でも現実問題、あの頃の東ドイツ市民はベルリンの壁崩壊後の新しい生活に慣れることに必死だったのですよ。考え方も変えなければならなかったし、自分たちが身に着けた技術の中には統一後のドイツでは重要とされないものもあった。昔ながらの習慣には新しい生活の中でかき消されてしまったものもある。30年後の今、多くの人びとがあの頃のことを思い出しています。記憶が蘇ってきたということでしょうね。

Q:でも思い出し方も人によって違うのでしょうね。東ドイツに郷愁を覚えている人もいるようです。
A:東ドイツ時代への記憶は、あの国のどこで暮らしていたかによって異なるでしょう。でも東ドイツへの記憶ということで、西ドイツの人たちが理解に苦しむかもしれないことがある。それは独裁体制の国においてさえも人生に成功を収めること(to lead a successful life)は可能だったということです。私たちだって誕生日のお祝いはしたし、クリスマスを共に楽しんだりする家族や友人はいた。もちろん悲しいことを共有することも。国家にうんざりすることはあったけれど、何でもかんでも国家に縛られていたわけではない。そのあたりのことに西ドイツの人が目を向けていないことは多い。
Q:その結果として、(東ドイツでは)壁の崩壊をお祝いしようという熱意が欠けているようにも見えるわけですね。そもそも「ドイツのための選択肢」(Alternative for Germany:AfD)などという外国人排斥主義のファシスト政党が最近のドイツ東部における3つの選挙で最強の政治集団として伸びてきたことなど、とても祝福できるような事柄ではない。

壁崩壊が意味したもの
A:私にとってベルリンの壁が崩壊した1989年11月9日は、ドイツの歴史の中でも幸せな瞬間であったことに変わりはない。1949~1989年の40年間、とても多くの東ドイツの人間が自由を夢見て過ごしてきたのです。それがあの瞬間、大っぴらに語れるようになったのですよ。自分たちの声を上げることが出来たのです。もちろん今でもみんなが自由に自らの声を上げることはできます。


東ドイツ人の生活は平和革命によって自由になったのですが、ある年代の人間にとってそれは必ずしも楽なものではなかった。物事がうまくいった地域もあれば子供たちが出て行って空っぽになった村もありました。それでも30年後の今はっきり言いう必要があるのは、自分の町の交通事情が悪かったり、医療施設に恵まれていなかったりしても、だからと言って他人を憎んだり暴力を使ったりすることが許されるというものではない。そのような行動には寛容さは無縁だということだ。

Q:かつて東ドイツの国民だった人の中には、1989年以前の東ドイツの政治状況と現代のそれが似ているという者がいる。何故そのように考えるのか?

A:分からない。一つだけはっきりしていることは、西ドイツ出身者が東へ行って、「自分たちの現状はあの頃の東ドイツよりも悪い」などと言いふらして歩くということが誤っているということだ。そのような考え方は拒否されなければならない。

東ドイツ人の「失望」
Q:人権運動家だったような人間にそのように発言する人はいます。またかつては東ドイツの国民だった人物で徴兵忌避の罪で刑務所暮らしをした人物は、自分の娘が現在のドイツを逃れてアメリカへ渡ったことを喜んでいる。そういう発想を聞いて怒りを感じたりしますか?

A:私自身はそのような考え方はしないでしょうね。

Q:多くの東ドイツ人があなたに失望している。それがAfDのような極右勢力への支持という形をとって現われている。あなた自身もこのような東ドイツ人に失望を感じますか?

A: 感じません。私は自分がドイツで暮らすすべての人びとのために働くことが自分の仕事だと思っています。

Q:しかしあなたの任期中にAfDは勢力を伸ばしたのですよ、特に東ドイツ地区において。

もっと語り合おう
A:ドイツは自由な社会であり、表現の自由もあるし、自由な投票権もあります。政治家としてのキャリアの最初の部分で、私はCDU(キリスト教民主同盟)において少数派でした。若いし、女だし、プロテスタントだし、しかも東ドイツ人なのですからね。でも私はドイツ連邦共和国の首相として14年間生きてきたのであり、すべてのドイツ人に対して責任を負っている。私が東ドイツ人のことを優先的に考えるべきだなどと考えるのは間違っているのです。そのように思うのであれば、あなたは私に失望するでしょうね。私が望むのはドイツ人同士が「実のある会話」(more fruitful intra-German dialogue)を行うことです。

Q:どういう意味ですか?

A:東ドイツで暮らしたのと西ドイツで人生を過ごしたのでは生活体験が違うのです。それが現実というものです。そのことを我々はもっと語り合うことで、相互理解のための努力を進めるべきなのです。

Q:壁が崩壊したときあなたは35才だった。あなたは東西ドイツの統一が進行するドイツのことを良く知っている。その中で「自分なら違うやり方をしただろう」という部分はありますか?

A:あのころは、物事が余りにも急速に進む中で過ちもあったのだろうと思う。

Q:例えば?

コール首相の無理解
A:キリスト教民主同盟の党員で、1991~93年に運輸大臣を務めた人物がいる。彼は東ドイツ人だったけれど、同じ時期に法務大臣を務めたクラウス・キンケル(自由民主党員で西ドイツ人)とは常に怒鳴り合っていた。特に土地所有に関する見解の対立は激しかった。キンケルが悪いなどと言っているつもりはないが、西ドイツの政治家たちはもう少し「東」について関心を示して欲しい(東ドイツ側の言い分聞いて欲しい)とは思っていた。


私は最後の東ドイツ政府の副報道官だったけれど、東ドイツのデメジエール首相が自分たち(東ドイツ)の同盟国へ最後の訪問をしたいと希望したことがある。しかし当時の西ドイツのコール首相にはそれが理解できなかった。処理しなければならない国内問題が山積みなのだから「最後の訪問」などしている場合ではないという意味の発言をした。しかしそれは私たち(東ドイツ人)には非常に大切なことだったのだ。

Q:あなたは、ベルリンの壁崩壊に関連して、東ドイツが果たした役割が十分に評価されていないと思いますか?

A:ドイツ統一を成し遂げたしたのは東西それぞれのドイツです。その中でコールの政治的手腕や彼が西側同盟国との間で形成していた関係などが極めて大切な役割を果たしたことは間違いない。が、あの平和的革命を成し遂げ、壁を崩壊させたことに果たした東ドイツ国民の功績を否定することはできない。私たちはそれを「すべてのドイツ人」とシェアすることにやぶさかではないけれど、あの事業は東ドイツ人が途方もなく大きな勇気をもって実行したことなのだ。あの頃西ドイツでは、東ドイツほどの熱意と勇気をもってこれを遂行しようとする気はなかったはずだ。そのことはもう少し認識されてもいいと思う。

言論の自由とは
Q:現在、ドイツでは言論の自由と制限について大いに議論されている。そのことは、東ドイツの人びとが自由な社会で暮らすことの難しさを十分に分かっていなかったということを示していると思うか?

A:チェコの劇作家であり大統領でもあったヴァーツラフ・ハヴェル(1936~2011年)が、親が子どもに自由に生きることを教えるべきだと書いているけれど、東ドイツではそれは殆ど不可能だった。あの当時も今も、自由に生きるためにはやらなければならないことが多すぎる。言論の自由についても同じだ。人間は常に意見が同じでなければならないなどと考えているのではない。言論の自由を保障することは意見の不一致を違法扱いするということではない。Freedom of speech doesn't mean outlawing disagreement.
Q:つまりあなたは今のドイツでは言論の自由が危機にさらされているとは考えていない、と?

「矛盾する自由」
A:そうです。極右政党と言われるAfDの創設者であるBernd Luckeは、ハンブルグ大学において講義することを許されなければならない。そのために国家の介入が必要ならば介入も厭うべきではない。が、議論を聞いていると、そのような方向に進んでいるとは思えない。いわゆる「主流言論」なるものが作られ、それが言論の自由を制限することになっている。それは誤っている。言論には反論がつきものだ。「言論の自由」の中には「矛盾する自由」(freedom to be contradicted)も含まれているのだ。誰でも自分の意見を自由に表明するべきであると思うけれど、その意見に疑問を表する意見もまた尊重されなければならない。それには混乱もつきまとうし、自分自身それを体験もした。でもそれもすべて民主主義の一部なのですよ。統一前の西ドイツにだって60年代の終わり頃には様々な議論や激論があったと聞いていますよ。

Left Partyとの対話
Q:壁崩壊から30年後の今、あなたが率いるキリスト教民主党(CDU)は東部ツーリンギア州の左翼党(Left Party)と政治対話をするべきかどうか議論しているけれど、それが難しいと言われている。この党は、かつての東ドイツを支配したドイツ社会統一党(Socialist Unity Party of Germany)の後継政党と目されている。なぜこの党との対話が難しいのか?


A:左翼党との対話は確かに難しい。彼らの地元であるツーリンギア州の州知事は西ドイツ出身のキリスト教徒で独立心も強い人間かもしれないけれど、彼が左翼党の政治家であることは確かであるし、あの党は東ドイツで自分たちが担った役割について正直に語っていない。さらに彼らは政治思想の点でもCDUとはかけ離れたものを持っている。それではCDUとしても左翼党との協力など考えられないということだ。しかし私はCDUの党首として、ツーリンギアCDUのリーダーが左翼党との対話を望むこと自体には反対しない。しかしそれは連立政権などという話では全くない。

Q:あなたの場合はCDUの他のメンバーに比べると左翼党に対して寛容です。彼らにとっては左翼党との対話などとんでもない話のはずです。

A:左翼党の現在の党首は、党内多数派ではない。彼は今、多数派を保つことで頭がいっぱいのはずだ。その中で彼がCDUとの提携求めてくるのならこれを否定してはならない。彼は州知事でもあるのだから。が、それでもそれは連立云々というような話ではない。

Q:あなたの閣僚の中には、あなた以外では東ドイツ出身者は一人しかいない。ドイツの有力企業の経営者はすべて西ドイツの人間です。この種のアンバランスは現代のドイツにはどこにでもある。なぜだと思います?

ドイツ社会のアンバランス
A:東ドイツ人が運営している大学もない、と聞いたことがある。これは単に「不思議だ」(strange)と言って済まされることではない。「真の至らなさ」(genuine deficit)ともいえるのだから。いまのドイツにはやらなければいけないことがたくさんある。今から30年前、ドイツ人の多くがすでに年を取りすぎていたともいえる。私自身35才だったけれど、企業で出世階段をのぼってトップに到着するのはタイヘンなことだったはずだ。1989-90年に子供だった人間なら、何とかトップにまでのぼることができたかもしれない。出世するためには、先見の明もなければいけないし、時には大声で怒鳴る必要もある。自分と同じ東ドイツ人には、やってみなさいと言っておきたい。が、事態は必ずしも望ましくはない。This is not a good situation.

ウィキペディアなどによると、2年前の2017年9月24日に行われたドイツ議会の総選挙では、メルケルのCDUとキリスト教社会同盟(CSU)が246議席を獲得して第1会派を維持したけれど、改選前より議席を減らすと同時に極右政党(AfD)の台頭を許してしまった。それが理由でメルケル政権の「レームダック化」が報じられた。そして今から約1年前のCDUの会合で、メルケルは2021年の首相としての任期限りで政界を引退する意向を明らかにしています。それと同時にメルケルは、このところ公開の場で身体の震えが止まらなくなる症状に悩まされている。2019年6月18日、ウクライナのゼレンスキー大統領を迎える屋外の式典で発作が起きたし、7月にフィンランド首相をベルリンに迎える式典で発作が起きたのだそうです。

▼Der Spiegelとの会話の中で一番胸に響くのは、壁崩壊当時の東ドイツ人たちの屈折感のようなものですね。西ドイツ人たちも取り立てて偉ぶっていたわけではないのでしょうが、「東」の人たちの敗北感めいたものは共有のしようがない。でもあれから30年、東側では「反移民」を掲げる極右政党が勢いを得ている。そうなると、第二次大戦から約半世紀の間、東ドイツの思想的主流派であったはずの「社会主義」とは何であったのか?と考え込んでしまう。「東」ではびこる排他的極右思想のルーツはどこにあるのか?

▼メルケルは1954年7月17日生まれの65才、2005年から現在までの14年間、ドイツ連邦共和国首相を務めている。ドイツの歴史上初めてとなる女性首相。あのマーガレット・サッチャーでさえも(と言うほどの存在ではないか?)首相在任期間は11年だった。比較するのはアンゲラに失礼かもしれないけれど、「東の島国」のあのお花見総理大臣も生まれは1954年9月21日の65才なのであります。

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4)アンドリュー王子と英国の「団結
 

性的人身取引で起訴され勾留され拘置所内で急死したアメリカの大富豪、ジェフリー・エプスティーンと親交のあった英国のアンドリュー王子(エリザベス女王の第三子・次男)が、BBCの報道番組 "Newsnight"(11月16日) とのインタビューという形で心境を語りました。王子によって性行為を強制されたと訴えたアメリカ人女性は、現在35才、性行為を強制されたのは彼女が17才のとき、つまり18年前の話であるわけですね。エプスティーンが獄中死したのは、今年8月のことだそうです。

ここをクリックすると、BBCのインタビューを見ることができるようなのですが、アンドリュー王子は生前のエプスティーン宅(ニューヨーク)に滞在したことは「間違いだった」(wrong thing to do)と語る一方で、王子との性行為を強制されたと主張しているアメリカ人女性については「会った記憶がない」(I have no recollection of ever meeting this lady)と否定している・・・と。この件については日本のメディアでもそれなりに報道されていますよね。11月21日付のThe Economistがこの件を論評して
  • Prince Andrew’s disastrous interview will not damage the queen アンドリュー王子の悲惨なインタビューによって女王が傷つくことはないだろう
と言っています。なぜ傷つかないのか?
  • Unlike her son, she knows to keep her mouth shut 息子と違って彼女は口を閉ざすことを心得ているから
というわけであります。The Economistによると、インタビューにおける王子の態度は不健全でずる賢く(pasty and shifty)、答え方も説得力がなくて傲慢(implausible and arrogant)であった、と。


BBCのインタビューを受けるアンドリュー王子(バッキンガム宮殿)

エプスティーン宅に宿泊した件については、そこが「便利」(convenient)な場所にあったからであり、4日も泊まったうえに夕食会にまで参加したことについては、王室のメンバーとしての堅苦しい生活から息抜きがしたかったからと言っている。自分の性格について「名誉ばかりを重んじすぎる傾向がある」(tendency to be too honourable)と、何やら控えめともとれる言い方をしている(とThe Economistは批判している)。

The Economistによると、インタビュー全般を通じて言えるのは、驚くほどの「上から目線」(de haut en bas)ぶりである、と。つまり自分の言うことは何でも信用されると思い込んでいる無神経な態度なのだそうで、例えば王子が性行為を持ったと名指しされている当日について、その日には自分の娘を、イングランドのサリーにあるPizza Expressへ連れて行ったことをアリバイとして語っている。そして「そのようなことは自分にしては珍しい」(very unusual thing for me to do)とも。


BBCのインタビューが放映されてから、王子とのかかわりを持つ慈善団体やそのスポンサー企業が付き合いを遠慮する姿勢を明らかにし始め、11月20日は王子本人が王室の人間としての義務遂行からしばらく(for the foreseeable future)身を引くことを発表するにいたっているのですね。

アンドリュー王子は女王のお気に入りで、BBCとのインタビュー(バッキンガム宮殿で行われている)も許可したらしい。この件が英国王室にどの程度の被害を与えたのか?The Economistによると、こんなことがあっても王室に対する英国人の支持は「おそらく」(probably)下がることがないだろう。過去25年間の王室に対する支持率は65~80%という高さなのですが、その大きな理由は女王の人気にある。王室のメンバーの中では人気ナンバーワン(72%)であり、英国で最も称賛されるべき女性(the most admired woman in the country)ともなっている。

アンドリュー王子はBBCとのインタビューで
真実を述べたと思うか?


YouGovの調査1600人対象

The Economistによると、その女王が有する最大の能力は「口を閉ざしている」(to keep her mouth shut)ということであり、こればっかりはチャールズ、アンドリュー両皇太子にはできないことなのだそうです。余計なことを喋らないという姿勢によってエリザベス女王は「人間」というより「象徴」としての存在が許されてきた。それによって英国という国の姿が保たれ、国としての団結やプライドが保たれている。が、
  • ここ数日の行状によってアンドリュー王子もまた国民的な「団結」を促進したけれど、それは女王が望むような「団結」ではなかった。Prince Andrew has certainly united the nation in the past few days, but not in the way that his mother would have wished.
というのがThe Economistの結論です。英国人の間における王室不要論に火をつけてしまったかもしれない、ということです。

▼アンドリュー王子の件とは無関係ですが、英国は王室を維持して君主制を続けるべきなのか、これを廃止して共和制にするべきなのか?昔からある議論ですが、国民感情としては圧倒的に王室維持を望んでいる。おそらく日本だとこれがもっと高くなるのでしょうね。

▼このBBCとのインタビューですが、1年ほど前からうわさが流れており、BBCからのインタビューの申し込みはあったのだそうです。アンドリュー王子が主宰しているNPOのような組織内でもこれを受けるべきかどうか、さんざもめた挙句に受けることに決めたのだそうですが、それについてはこのNPOで王子の秘書官を務めていた女性の強い進言があったからなのだとか。ついでに言っておくと、BBCの一つの看板番組ともいえるPanoramaでは、12月2日にアンドリュー王子と性関係を持ったと主張している女性(アメリカ人)とのインタビューを放映することになっている、とGuardianが伝えております。

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5) どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら 


having cheek:厚かましくも~する

"cheek"はもちろん「頬」ですが、「厚かましい」(impudence)とか「生意気」(boldness)、「ぶしつけ」(lack of respect)のような意味で使われることもあるのですね。選挙運動の一環として、イングランド中北部の町、ドンカスターを訪問したボリス・ジョンソン首相が群衆と握手作戦を展開していたときに群衆の一人(女性)が投げかけた言葉が "you’ve got the cheek to come here"という言葉だった。ここをクリックすると、ボリスに話しかける女性の声が聞こえるのですが、およそ次のようなことを言っている。
  • 財政引締め策のおかげで国民の中には死んだ人間もいる。なのにアンタはぬけぬけとやって来て言うのよね「引き締めは終わった」って。物事は良くなった、英国はEUを離脱する、何もかも良くなるってね。そんなのおとぎ話よ。 People have died because of austerity. And you’ve got the cheek to come  here and tell us austerity is over and it’s all good now and we’re going to leave the EU and everything’s going to be great. It’s just a fairytale'.
これに対してボリスも何か答えているのですが、よく聞き取れない。この人はもともとがはっきり聞こえないようなしゃべり方をするのよね。でも、一応答えようとはした。言いたくはないけれど、当方の「あの人」(首相)はどうです?参院選の運動で演説をしていたら群衆の一人からヤジが聞こえた、途端に警官がその人物を排除、しかも国会では野党議員に対して自分でヤジを飛ばしたりしている・・・ふざけるのもいい加減にして欲しい。

"cheek"といえば、新約聖書の『マタイによる福音書』に「人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ」(If anyone slaps you on the right cheek, turn to them the other cheek also)というのがありますよね。"an eye for an eye"(目には目を)、"a tooth for a tooth"(歯には歯を)という復讐的発想を捨てよというキリスト教的平和主義の言葉であるとされている。「あの人」にこの言葉を理解しろと言っても知能指数の関係で無理。むささびが自問しているのは、自分の問題として「あの人」に平和主義的姿勢で臨むべきなのか、ということなわけ。
 
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6)むささびの鳴き声 
▼今回は殆ど触れなかったけれど、英国ではいまや12月12日に向けて選挙運動真っ盛りです。BBCの看板番組の一つにQuestion Timeというのがある。政治家やジャーナリストが壇上で議論するパネルディスカッションのような番組なのですが、議論が聴衆を前にして行われ、パネリストが聴衆からの質問に直接答えるかたちをとっている。むささびの知る限り、日本にはこの種の番組はない。

▼先週の金曜日(11月22日)のQuestion Timeで労働党のコービン党首が行った発言が注目を浴びたようです。BREXITについての労働党の姿勢を問われた際に次のように答えている。
  • Our country has to come together - we can't go on forever being divided by how people voted in 2016. 英国は団結しなければならない。いつまでも2016年の国民投票の結果に縛られて分裂しているわけにはいかないのですよ。
▼前回のむささびでも触れたとおり、BREXITに対する労働党の姿勢は、政権をとったらまずEUと交渉して労働党政権としての合意案を取り付ける。それから国民投票を実施する。その際の選択肢は労働党の合意案を基にEUを離脱するのか、結局EUに残留するのかというものになる。このQuestion Timeでは「離脱か残留かと問われれば中立だ」と答えて会場の失笑を買っていた。コービンが言いたかったのは「対立・分裂はもう止めよう」というものだったのですがそれが聴衆には通じなかった。BREXITの問題は、英国がヨーロッパとどのように付き合って行くのかという極めて基本的な問題であるにも拘わらず「その話は喧嘩のもとになるから止めよう」ではどうしようもない。

▼BBCのこの討論番組(木曜日午後10時半~11時半)は、視聴者と政治家をテレビカメラの前で直接結びつける試みとして40年も続いている。多少のヤジは飛ぶし、必ずしも「冷静な」討論をするわけではないけれど、見ていて面白いことは間違いない。Question TimeはBBCのラジオ4でもやっている。日本ではNHKがごく稀にやったことはあるけれど、司会者が妙に出しゃばってスタジオの視聴者に自由を与えていなかった記憶がある。

▼おそらくテレビ・メディアの関係者も考えているとは思うけれど、最近のネット世論を見ていると、気狂いじみた嫌韓人間などが幅を利かせている。こんな人間に番組を乗っ取られる可能性がある、と心配しているのかもね。そんな人たちもテレビでやらせてあげたらいいんでない?しっかり露出すれば、みんなが嫌がって、結局その種の世論も下火になるのでは?妙に孤立感を持たせると、中には英雄扱いする人間も出てくる。

▼日本でそれをやらないのは、メディアの関係者が視聴者や読者のことを信用していないってことかもね。視聴者や読者を信用しないということは、自分たちも含めた日本人全体を信用できないでいるということですよね。正にお役人の感覚です。「普通の人間なんて、ほっとくと何をやらかすか分からない」というので、何から何まで隠してしまう。しばらくすれば忘れてしまう。

▼次号の発行は、もう12月!<フロちゃんと夕焼け小焼け北の風>、これ師匠のマネしたむささびの一句です。「フロちゃん」はうちのワンちゃんです。お元気で!

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