え~!もう3月!!?? そうなんです、驚きますね。飯能市の近くに越生という町があります。梅林で有名なのですが、今年は開花がかなり早いようです。それにしても地震・津波・台風・酷暑などはおよその想像がつくけれど、まさかウィールスに悩まされるなんて・・・。上の写真ですが、アメリカの写真家、スティーブ・マカリーの作品でネパールの子供です。今号のスライドショーにも入っています。
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目次
1)スライドショー:顔写真の楽しさ
2)公衆トイレを何とかしろ
3)ウィルスとメディア:怖れを怖れる
4)ビアフラから50年
5)どうでも英和辞書
6)むささびの鳴き声
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1)スライドショー:顔写真の楽しさ
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前々号(442号)のむささびジャーナルで、アメリカの写真家・スティーブ・マカリー(Steve McCurry)の作品を紹介しました。あのときは「人間と動物の付き合い」をテーマにした物語ばかりを集めましたが、マカリーの作品で際立つのは人間の表情を写したものです。このスライドショーは主に子供の表情を写した作品を集めてみました。圧倒的多数がアフガニスタン、インド、ネパールのようなアジアの子供たちで、笑っている写真は一枚もない。なのに見ていると楽しくなる、不思議な写真集です。
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2)公衆トイレを何とかしろ
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町を歩いていてトイレに行きたくなったらどうします?埼玉県飯能市のような小さな町でも、中心部の場合は駅やコンビニ、スーパーなどへ行けばトイレを使えるから用は足りますよね。飯能でさえそうなのだから、大都市ともなれば全く問題ありませんよね。
しかるに2月15日付のThe Economist誌によると、ロンドンの場合は必ずしも問題なしというわけではないらしい。ロンドン市内でも北端にあるフィンズバリー・パークと呼ばれるエリアで路上生活(rough sleeper)を送っているある女性にとってトイレは最大の悩みの種だそうです。近くに市営の公衆トイレはあるけれど、汚くてとても使う気になれないだけでなく、そこで麻薬を吸ったりする人間もいる。パブのトイレもあるけれど、「男の場所」という感じでどうも・・・というわけで、彼女の好みはCostaというコーヒーショップのトイレ。ただそこの場合は店からもらうコード番号を押さないとトイレには入れず、それをもらうためにはコーヒーを注文する必要がある。仕方がないので、ショップのスタッフと仲良くなって、無料でコード番号をもらって利用したりする。いずれにしても楽ではない。 |
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ホームレスのような極端なケースだけでなく、ロンドンでは誰にでも使えるトイレの数が少なくて苦労することが多いらしく、ロンドン大学の学生二人が市内のトイレ175か所をリストアップしてツイッターで誰にでも使えるようにしたキャンペーンを始めて話題になっている。「ただでおしっこしよう」(“pee
for free”)というキャンペーンなのですが、それを支えているのがLondon Loo Codesというツイッターサイトで、ここをクリックすると一目瞭然、ロンドン中の喫茶店、本屋、鉄道駅、パブなどがリストアップされており、それぞれのトイレに関する情報が掲載されている。特筆すべきなのは、コーヒーショップのトイレを使うのに必要なコード番号が出ていることなのですが、ショップがしょっちゅう番号を変えたりするらしく、どの番号にもこれが使えた日付が入っているのが苦しい。
このキャンペーンがメディアでも取り上げられて、ロンドン以外の都会(シェフィールド、エディンバラ、オックスフォードなど)でも似たような活動が始まっている。コーヒーショップにしてみれば、コーヒーを飲まずにトイレだけ使う客が増えてしまうのは有り難い話ではない。それでも「トイレを使わせない意地悪ショップ」のように思われるのも困るということで、いまのところこれを黙認している。
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1851年、ロンドンに登場した世界初の水洗式公衆トイレ |
地方自治体が運営する「公共トイレ」が最初に登場したのは19世紀初めのことで、パリとベルリンが1820年がに設置しているのですが、1851年に水洗式のトイレ(写真上)を最初に設置したのがロンドンで、場所はハイドパークだった。また市内各所にトイレのネットワークを作ったのもロンドンが最初だそうです。
ただ最近では自治体が運営する公共トイレは減っている。理由はコストだそうで、ロンドンの金融街(City of London)にある4か所のトイレは有料(20~50p)であるにもかかわらず、当局が負担する運営費は年間約100万ポンド(約1億4000万円)もかかるとされている。The
Economistによると、この10年間でロンドン全域にある公共トイレの13%が廃止されているのですが、そもそもロンドンに公共トイレがいくつあるのか「誰にも分からない」(Nobody
knows)とThe Economistは言っている。はっきりしていることは、「パリの400か所にかなわない」ということだ、と。
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ブリストル市のコミュニティ・トイレのマーク |
西イングランドにブリストル(人口53万)という町があるのですが、ここでは2018年に自治体が運営する公共トイレは全廃されて、それに代わって「コミュニティ・トイレ」(community
toilet scheme)なるものが登場している。これはさまざまな企業が自分たち所有のトイレを公共のために開放するというシステムです。市内に全部で84か所あるのですが、The
Economistによると、どのトイレもはっきり分かるような看板もサインも立てていないので、通行人には分からないとのことです。そういわれて、community
toilet schemeをキーワードにして検索してみたら、英国中のあちこちにありました。
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▼The Economistはロンドンの公共トイレの数について「パリの400にはかなわない」なんて言っているけれど、あるサイトによると、東京なんて23区だけで6,127の公衆トイレがあるんだそうです。ホントかなぁ。飯能市の場合は16か所だったのですが、いずれも中心部というより公園のような場所でした。
▼むささびが小さな子供だった頃は「トイレ」なんて言葉はなく、WCというのが普通だった。Water Closetの略語ですが、直訳すると「水洗の小部屋」ということになる。ロンドンに初めて水洗公衆トイレが登場した際の呼び方ですね。
▼10年も前のことですが、英国の小さな町に滞在した際にむささびが経験したトイレの足りなさ加減を思うと日本は天国です。地方自治体が運営しているという意味での「公衆トイレ」はもちろんですが、鉄道駅やコンビニ、スーパーのトイレは素晴らしく綺麗ですよね。むささびの体験によると、英国のスーパーにあるトイレはしょっちゅう故障しているし、鉄道駅のそれは汚いこと夥しい、とても文明国とは思えない。そのくせ料金をとったりするのだから許せない。でもそんな中でLondon Loo Codesなどというゲリラ的キャンペーンを展開する人間がいるというのは、正に文明国の証拠ともいえる、かな? |
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3)ウィルスとメディア:怖れを怖れる
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英国の大学でさまざまな研究を行っている学者たちが意見交換を行っている場としてTHE CONVERSATIONというサイトがあります。ウェールズのカーディフ大学でジャーナリズムを研究するカリン・ウォル=ヨーゲンセン(Karin Wahl-Jorgensen)が2月14日付のTHE
CONVERSATIONに、コロナウィルスについてのメディア報道が「恐怖とパニックを掻き立てている」(Coronavirus: how media coverage of epidemics often stokes fear and panic)とするエッセイを寄稿しています。 |
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ウォル=ヨーゲンセン教授が1月12日から2月13日までの1か月間に世界中で発行された英語の新聞100紙を調べたところ、このコロナウィルスについての記事が9,387本出ていたのですが、そのうち1,066本の記事の中で"fear"とか"afraid"のような「恐怖」もしくはそれに類するような言葉が使われていた。中にはさらに怖ろし気な「殺人ウィルス」(killer
virus)のような言葉を使った例が50件以上あったのだそうです。
大体において大衆紙ほど「死に至る病」(deadly disease)のような恐ろし気な言葉を使うし、読者の身近なところでの「殺人ウィルス」の恐怖を表現するためにブライトンのパブでは手洗いのための消毒液が用意されたことなどが報道されている。アメリカのTIME誌の調査によると、コロナウィルスの発生後一か月目における英語メディアの記事数は2018年のエボラ出血熱に関する記事の23倍もにものぼっている。 |
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ウォル=ヨーゲンセン教授はジャーナリズムにおける感情の役割(role of emotions in journalism)に注目しているのですが、メディア報道というものが国民的な会話や恐怖心を含めた感情を支配する傾向にあると言っている。恐怖(fear)は個人的な体験であることが多いけれど、多くの人間と共有されることで「社会的感情」になってしまうこともあり、他の諸々の感情と同様に恐怖もまたあっという間に広がってしまう性格を持っている。
さらに現代においてはメディア報道が国民的な議論における「議題設定」(agenda setting)の役割を担ってしまっているという部分もある。メディアは人びとの「考え方そのもの」(what
you think)を支配することはないにしても、「何について考えるべきか」(what you think about)という意味で人びとの思考を縛ってしまうという側面はある。メディアが盛んに報道すること=重要な話題という風に考えられがちであるということです。
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上の写真、ウクライナにある人口1万人という小さな町に、コロナウィルスで有名になってしまった中国・武漢からの帰還者を載せたバスが到着した際、これに反対する住民がバスに向かって投石するなどの意思表示を行った場面です。乗客はウクライナ人が45人、外国籍が27人で、6台のバスに分乗して空港からこの町へやって来た。ここで検査のために2週間、病院で過ごすことになっている。これらの人びとのウクライナ入りについて、ゼレンスキー大統領がコメントを発表、「ウィルス感染とは別の危険について述べておきたい。それは私たちが皆人間であり、ウクライナ人であることを忘れてしまうことの危険だ。武漢の人びとも我々も、皆人間であるということだ」と強調しています。 |
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コロナウィルスに関する報道の多くが「恐怖」を切り口にしているけれど、そのことが示すのは、記事そのものが大衆が抱える恐怖心について報道するもので、肝心の話題であるはずのウィルスが実際にどのように拡散しているのかという事実に関する報道が二の次にされてしまうという傾向がある。教授によると、コロナウィルス報道と極端に異なるのがインフルエンザ報道で、毎年世界中で30万~65万ともいわれる死者を出しているにもかかわらず、2020年1月12日以後、世界中の英語の新聞が掲載したインフルエンザの記事はわずか488本、そのうち「恐怖」のような言葉が使われたのは37本だけ。コロナウィルスに関する記事の約1000本とは大違いというわけです。 |
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コロナウィルスに関する記事の中には少数とはいえ冷静さを呼び掛けるものもある。例えばシンガポール首相である、リー・シェンロンの次のコメントは世界中のメディアで報道されている。
- Fear can make us panic, or do things which make matters worse, like circulating rumours online, hoarding face masks or food, or blaming particular groups for the outbreak. 恐怖がパニックを呼び事態を余計に悪くする。噂がインターネットを通じて拡散し、マスクや食料の買い占めを起こさせ、人種差別的な言動まで呼び起こす。
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1933年、アメリカのルーズベルト大統領が就任演説の中で言った「我々が恐れなければならないものはただ一つ、恐れそのものだ」(the only thing we have to fear is fear itself)という言葉は有名です。これは当時アメリカを襲った大恐慌に際して国民的な団結と冷静さを呼びかける中で使われたものですが、ウォル=ヨーゲンセン教授は
- Yet at a time rife with misinformation, fake news and conspiracy theories, it is worthwhile remaining alert to the dangers of this contagious emotion in the face of uncertainty. 誤った情報、フェイクニュース、さらには陰謀論のようなものが世界中を闊歩している現代では、不確定なものに直面して伝染性感情がもたらす危険について、我々は十分に警戒心を保つ必要がある。
と訴えています。
ウォル=ヨーゲンセン教授によるこの記事とは別の話ですが、2月27日付のThe Independentのサイトが「政府の極秘文書」の情報として「このウィルスによって50万の英国人が死亡し、4800万(人口の8割)が感染する可能性がある」(Coronavirus could kill half a million Britons and infect 80% of UK population)と伝えています。
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▼むささびが夕方のテレビニュースを見ていたら、番組終了間際になってキャスターが「ただいま入ってきたニュースをお伝えします」と言って、「厚労省によるとXX県で新型コロナウィルスの感染者が新たに見つかったとのことです」として、人数・年齢などを読み上げていた。その間1分もかからなかったかもしれません。あのニュースを視聴者に伝える意味はどこにあったのでしょうか?「意味」もへちまもない、新しい情報だから伝えるのだ、それがメディアの役割ではないか・・・ということ?つまりその報道に接したXX県の視聴者や読者が心に不安を覚えるようなことがあっても仕方がない、メディアの心配するべきことではないってこと?
▼ここ約2か月間のニュースを見ていると、ほぼ毎日のようにこのニュースがトップに伝えられる。ニュアンスとしては「タイヘンだ・タイヘンだ!」というわけで、それ以外に世の中にタイヘンなことはないかのようであります。おそらく日本中の茶の間が不安な雰囲気に包まれてしまっているのではないか、と大げさでなく思います。だからと言ってこの話題を取り上げないわけにはいかない。となると取り上げ方に一工夫あってもよろしいのでは?と思うわけよさ。
▼BBCに週一回(だと思う)番組でQuestion Timeというのがありますよね。視聴者を前にしたステージ上に5~6人のパネリストが並んで議論を戦わす、会場の視聴者も質問したり、自分の意見を発表し、それにパネリストが答えたり・・・という番組です。日本の場合、普通は一人の専門家による意見が一方的に伝えられるだけだから視聴者に不満・不安が残る。視聴者は異なる考え方に同時に接することで、自分の考えが一方的でなくなるので、自分で自分に余裕を感じる。さらに会場の聴衆とパネリストの間の議論に接することで、自分もディスカッションに参加したような気分になり、自己閉塞のような状況から自分の頭脳を解放する。これはバランス感覚を確保するためにも非常に大切なものなのでは?それこそがメディアが果たすべき(メディアにしか果たせない)役割なのではないかと思うわけです。 |
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4)ビアフラから50年
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むささび(昭和16年生まれ)と同年輩なら「ビアフラの子供たち」と聞いてピンとくる人がいるのでは?飢餓に苦しむアフリカの子供たちのことを伝えるニュースが日本でも大きな話題を呼んだのです。1月21日付のGuardianに出ていたエッセイによると、あれから50年が経過するのですね。エッセイは
というタイトルで、筆者は作家のフレデリック・フォーサイスです。この人は『ジャッカルの日』などの小説で知られているけれど、ビアフラ戦争(1967~70年)のころはBBCの記者をしていたのですね。
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植民地主義が作った国境
第二次世界大戦が終わったのが1945年、それまでアフリカ諸国を支配していた英国やフランスなどのヨーロッパ諸国は大戦によって社会的にも経済的にも疲弊していたのですが、その一方で彼らに支配されていたアフリカ諸国の独立運動が盛んにおこなわれるようになっていた。そんな国の一つが西アフリカのナイジェリアで、終戦15年目の1960年に英国から独立した。ただアフリカの国々はアフリカ人が決めた国境ではなく、英国やフランスのような植民地支配を行っていた欧州諸国が自分たちの都合で引いた国境によって作られたものだった。そしてそのことが、独立後も大きな問題を生むことになり、その一つが、ナイジェリアで起こったビアフラ戦争だった。
当時のナイジェリアはハウサ、イボ、ヨルバという三大民族で構成される多民族国家だったのですが、1967年になって東部で暮らしていたイボ族が「ビアフラ共和国」としての分離独立を宣言する。これを認めないナイジェリア連邦政府との間で、ビアフラ戦争が始まったというわけです。本来はナイジェリアの内戦だったのですが、フランスがビアフラ共和国を、英国とソ連は連邦政府を軍事支援したことで、内戦というより大国の代理戦争となってビアフラ戦争は長期化する。そして最終的にイボ族側の敗北に終わったものの、内戦終結後もナイジェリアは混乱が続き、軍事政権が強圧的に政治を進めた。 |
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反乱軍びいきの特派員?
フォーサイスがBBCの記者として「ビアフラ共和国」の首都、エヌグに到着したのは内戦開始後3日目のことだった。ロンドンを発つ前にBBCの西アフリカ支局長に現地の状態についての詳しい説明を受けており、それによると2~4週間もあればナイジェリア政府軍がビアフラ軍を制圧するはずだった。つまりビアフラにおけるフォーサイス記者の最初の仕事はナイジェリア政府軍の「勝利の行進」を取材・報告することのはずだった。が、そんな行進などどこにもなかったので、その状況をそのままロンドンに伝えたところ、それがそのまま放映されてしまった。それがナイジェリア駐在の英国の高等弁務官の怒りを買い、フォーサイスは「反乱軍びいきの特派員」とされてロンドンに呼び戻されてしまった。
その6か月後(1968年2月)、BBCの外務省に対する従順さ加減に腹を立てて、フォーサイスはBBCを辞め、自費でナイジェリアに戻る。ナイジェリアの内戦は、ソ連と組んでナイジェリア政府軍に武器・弾薬を提供するという英国政府の秘かなる干渉(covert interference)によってナイジェリア政府軍が全国を制覇、ビアフラの反乱軍の敗北という結果に終わる。武力の差でビアフラ側には所詮勝ち目はなく、1970年1月9日、指導者がコートジボワールに亡命するに及んでビアフラは降伏し、そのまま崩壊に向かった。
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100万の子供が死亡
が、事態はそこでは終わらなかった。西アフリカで宣教活動をしていたカソリックの宣教師たちが、戦時下のビアフラの子供たちが文字通り骨と皮だけという状態で苦しんでいることを発見、Daily Express紙のデイビッド・ケアンズというカメラマンが取材して写真をロンドンの本社に送り付けた。これが紙面に掲載され、飢えに苦しむ子供たちの様子が直接読者の目に触れることになった。しかもビアフラの子供たちの苦しい状況を作り出したについては、英国政府もナイジェリア政府軍の支援を通じて大いに関わっていることが報道され、当時のウィルソン政権(労働党)はこれを否定したのですが、国会でも取り上げられたりして英国中が大騒ぎになり、それがアメリカの雑誌にまで取り上げられるようにまで広がってしまった。国際赤十字の推定では100万のビアフラの子供が死亡したとのことだった。
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エリートたちが犯した誤り
あれから50年が経つ。フォーサイスによると、あの悲劇のすべてが英国のエリートたち(Oxbridge-educated British mandarins)によって引き起こされたものだったのですが、それは彼らエリートたちが汚職まみれのナイジェリア政府を支えることに意義を見出していたからではない。最初から最後まで、彼らは英国による事態の把握が誤っていたことを何としても隠したかった(to
cover up)にすぎず、そのための軍事介入だった。それさえしなければビアフラの悲劇は避けられた(it could all have been
avoided)のだということです。ビアフラの悲劇は最近では殆ど話題になることがない。当時でもアメリカによるベトナム戦争の方が話題になることが多かった。
- しかしあの3年間に英国のエリートたちが発揮した、文句なしの卑劣さは(英国人が)決して忘れてはならない恥であるといえる。 Yet the sheer
nastiness of the British establishment during those three years remains
a source of deep shame that we should never forget.
とフォーサイスは強調しています。 |
▼そうか、いろいろとあるアフリカの国々の地理的な形は、英国やフランスのようなヨーロッパの植民地主義国がよってたかって線引きをした結果生まれたものだったんだ。だからそれが故の内戦めいたものが起こったとしてもさして不思議ではなく、ビアフラもそのような戦場の一つであったということ。いまそのアフリカにとって最も大きな存在感を持っているのが中国ということか。 |
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5) どうでも英和辞書
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planking:プランキング
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つい最近のBBCのサイトを見るまで、むささびは"plank"という言葉を知りませんでした。上の2枚のうち上の写真が「プランク」、下の写真がは"push-ups"(腕立て伏せ)ですよね。見た目の違いは、plankingが肘をついた状態で身体を支えているのに対して、push-upsは手のひらをついて身体を支えていることですが、腕立て伏せは身体を上下に動かすことで上半身の筋肉を鍛える運動なのに対して、plankingは肘をついた状態のままじっとしていることで「背骨や骨盤の周囲にあるインナーマッスル(深層筋)」を鍛えることが目的なのだとか。はっきり言って、両方ともむささびが最も苦手とする運動です。
2月24日付のBBCのサイトによると、62才になるアメリカの男性がplanking状態のまま長時間にわたってじっとしている世界記録を作ったのだそうであります。8時間15分15秒!元海兵隊員で、それまでの世界記録はある中国人が作った8時間1分だったというのだから、ずいぶん大きく引き離したものですよね。もちろんギネスブックに掲載されています。ここをクリックすると動画で快挙達成の瞬間を見ることができます。 |
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6)むささびの鳴き声
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▼新型コロナウィルスに関連して、むささびジャーナル442号の「むささびの鳴き声」で、医療ガバナンス研究所・理事長の上昌広という人の「国民の健康や不安に地道に向き合うこと」が肝心だという見方を紹介しました。443号では「ウィルスとアフリカ」という記事のむささびのコメントの中で、同じ上昌広さんの「中国への渡航歴や濃厚接触に関わらず、希望者すべてにウイルス検査を受ける機会を提供すること」という見方を紹介しました。今回もまた同じ人の意見を紹介します。上智大学の水島宏明教授(元日本テレビ・ディレクター)がYahooニュースのサイト(2月26日)に寄稿した『上昌広さんの辛口解説を聞け!』というタイトルのエッセイの中で触れられていたのです。
▼水島教授によると、この問題を取り上げた、いろいろなテレビのニュース番組に出演した「専門家」の中でTBS:NEWS23で自分の意見を展開した上昌広さんが最も説得力に富んでいたとのことであります。上さんが語ったのは、感染者に対するPCRという検査のことで、日本における実施件数が異常に少ないということで、それには「特殊な事情があるのだと思います」というわけで、次のように語っている。
- やっぱり厚生労働省は、内部機関の国立感染症研究所というのと一緒にやるんです。この感染研がやっぱり『自分たちでやりたい』『自前でやりたい』という意識が強いと思うんです。
▼元テレビマンである水島教授は、「政府が緊迫感をもって発表する政策にも疑いをもつことは緊急時のニュースのウラを考えるという意味では大事なことだ」として、メディアを通じて発言する「専門家」に要求されるのは、「空気を読まない。忖度しない。大勢に流されない」という姿勢であり、そのためには「それなりの覚悟も求められる」と言っています。そして上昌広さんについて「そんな覚悟のある専門家が登場した」として、TBSのNEWS23についても「覚悟を感じさせる秀逸な報道だった」と絶賛しています。
▼上に紹介した上さんのコメント(「やっぱり厚生労働省は・・・」)中にある、国立感染症研究所の『自前でやりたい』という意識は大いにあり得るハナシだと思いませんか?「自前でやる」を英語で言うと"trying
to be self-sufficient"ということになると思うのですが、昔から日本人の特性として英国のメディアなどでは指摘されていましたよね。彼らから見ると"self-sufficient"も度が過ぎると"self-centred"(自分中心)に思える場合が頻繁にあったということです。
▼新型コロナウイルスへの対策として、政府が全国の小・中・高校に対して3月2日から春休みまで臨時休業とするよう要請した件についてFacebookを見ていたら、茨城県つくば市のサイトに出ていた『新型コロナウイルスへの学校の対応について』という文章が紹介されていました。要約すると次のようになる。
- 3月5日までは通常登校とするが、出席することに不安がある場合には、登校しなくても欠席扱いにはならない。
- 3月6日~3月24日は臨時休業とするけれど登校しても構わない。その場合は教員が対応して「自主学習」を行う。開校している時間は8時00分から15時00分まで。
- 給食は3月5日まで通常どおり提供し、3月6日以降については希望者にのみ用意する。
▼要するに「一応政府の言うとおりにするけれど、仕事を休めない保護者のようにそれができないという人にも、それなりに対応しますよ」と言っているわけですよね。非常に柔軟でまともな姿勢だと思いません?おそらくこのような決定をするについては、関係者の間にそれなりの迷いもあったはず。「自主学習」に参加した生徒や教師に感染者が出たらどうする等々。そのような疑問に対する最も無難かつ安全な姿勢は、政府の言う通りすること。その結果、おかしなことになっても責任は政府にあると言えるから。でもそのおかげで社会の自主性とか柔軟性は犠牲になる。おそらく中国なら上からの命令で文句なしに全校閉鎖ということになるのでしょうね。
▼で、あなたはマスクを持っていますか?むささびはもちろん持っていません。もうすぐ春ですね。お元気で。 |
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