musasabi journal

247号 2012/8/12
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書
オリンピックもようやく終わりですね。英国からのメールによると、やはり開けても暮れてもオリンピックであったそうです。これでNHKの録画番組を見なくてもすみますね。

目次

1)ロンドン五輪は英国人を変えた!?
2)街灯の数が減っている
3)ドライバーが高齢化している
4)政府主宰の幸福度調査はあてになるのか?
5)中国を愛した英国人が中国を去る理由
6)アフガニスタン、イラク:戦争の「コスト」
7)どうでも英和辞書
8)むささびの鳴き声

 
1)ロンドン五輪は英国人を変えた!?
 
 
8月11日付のThe Economistのコラムが「栄誉と希望(Glory and hope)」というエッセイを載せています。イントロは次のようになっています。
  • London’s unexpectedly golden Olympics may not permanently change Britain. So what?
    ロンドン五輪の予期せぬ大成功によって英国自体が永久に変わるということはないかもしれない。だから何なのだ?
これだけでは何のことだかよく分からないけれど、ロンドンのオリンピックは英国が獲得したメダルの数はもとよりオリンピックの運営についても英国人自身がびっくりするような大成功だったわけですが、
  • The life of a country, like a person’s, is made up of moments, and the golden ones can be cherished even if they change nothing.
    国の命というものは、人生と同じで、瞬間の連続で成り立っている。(ロンドン五輪の)金色に輝く瞬間・瞬間は大切なものとして抱きしめて然るべきものである。たとえそれが(英国や英国人そのものの)変化には繋がらないとしても、である。

という結論になっています。

オリンピック前の夏の初め、英国全体で大きな話題になったのが「水」であったそうです。一つは洪水(too much water)、もう一つは渇水(too little water)という「水」をめぐる両極端に襲われたわけです。渇水の際はガーデンの花に水をかけるのも遠慮するようにお達しがあったし、洪水についても政府は普段から備えていないと報道されたりして、お天気を共通の話題にしながら「まったくどうしようもないな」と文句たらたらの生活だった。

そしてオリンピックが近づくころには運営も選手たちの成績も(そしてもちろんお天気も)どうせろくなことはないというムードだった。それがふたを開けてみたら大違い。自転車競技、ヘプタスロン(7種競技)、1万メートル、テニスからなんとテコンドーまで金メダルに次ぐ金メダルだし、五輪全体の運営面でもうまく行っている。

が、The Economistのコラムニストによると「もっと奇妙な現象が続いて起こった(Weirder things followed)」。それは人々が英国人であることの誇りを素直に表現していたことであります。

これまで英国人たちは逆境(suffering or inconvenience)になると団結心のようなものを発揮したものです。たとえばテロ事件、鉄道スト、ダイアナさんの死、洪水、渇水等々がそれにあたる。それがロンドン五輪の期間中は英国人たちがメダルの話をし、ロンドンっ子たちは五輪のボランティアや警備の兵隊に感謝の言葉をかけたりしていた。
  • It wasn’t a coercive togetherness, like that after the death of Princess Diana, but warm, organic and widespread.
    それはダイアナ妃の死後に見られたような押し付けがましい一体感というよりも、暖かくて有機的、大きな広がりを持った一体感だったのだ。

というわけです。

オリンピックはどれもそうですが、ロンドン五輪のために外国人選手がたくさんやってきた。英国人はテレビを通じて「外国」に接したわけですが、彼らはまた五輪のホスト国である英国や英国人(自分たちのこと)にも注目した。
  • Britain looked at itself, and liked what it saw.
    英国は自分自身を見た。そして自分が眼にしたものを好きになったのだ。
The Economistのコラムは、オリンピックが終わればまた元の英国人に戻るのかもしれないと言っています。「元の英国人」とは自分を嘲笑することに楽しみを見出し、外国人には(天気のこと以外は)話したがらない、そういう英国人のことです。だから何なのだ?というわけで、このコラムは
  • Debates about the legacy of the games can seem a little beside the point - rather like arguments about whether this sublunary life has any meaning if there isn’t another one after it.
    オリンピックが遺したものについて議論するのは大して重要なことではないだろう。あたかも死後の命がないのならこの世の人生も意味がないと言い張るのと似ている。
と言ったうえで、最初に紹介したように
  • (ロンドン五輪の)金色に輝く瞬間・瞬間は大切なものとして抱きしめて然るべきものである。たとえそれが(英国や英国人そのものの)変化には繋がらないとしても、である。
と結論しています。

▼ロンドン五輪についての英国メディアの報道ぶりを見ながら、私自身もこのコラムニストと同じようなことを考えていました。英国人が英国を語るとほとんどロクなことを言わない。あれが悪い、これはダメ、英国ほど情けない国はない・・・とこきおろすのですが、実は「これほど自分を卑下して語れるのはすごいだろ?」と言っているような部分もあるにはあった。金メダルの数が多いということもさることながら、そのことをあれほど大々的かつ嬉しげに伝えるのを見ていて「英国人も人の子だよね」と思っていたわけです。たまにはいい目にあいたいもんね・・・。

▼英国の金メダリストの中にMo Farahという選手がいます。この記事の始めに載せた写真の選手です。1万メートルで優勝したのですが、彼はソマリア出身のイスラム教徒です。優勝したときにイスラム風のお祈りをしたのだそうですね(私は見ていなかったけれど)。1983年生まれの29才、ファーストネームのMoはMohamedのニックネーム。8才のときに英国人の父親と暮らすために英国にやってきた。数ある移民の中でもソマリア系英国人は最も恵まれないグループだと言われており、Mo Farahの金メダルは英国におけるソマリア人を見る目を変えるかもしれないとThe Economistは言っています。

▼7月26日付のSlateという雑誌のサイトにHow Badly Would Usain Bolt Destroy the Best Sprinter of 1896?(ウサイン・ボルトは1896年五輪で優勝した短距離選手をどの程度の差で破るのか?)という見出しの記事が出ています。ボルトと1896年五輪の100m走で優勝した選手(米国のトマス・バーク)の速さの比較なのですが、文章で比較しようというのではなく、イラストの動画で見るという企画です。画面を下の方へスクロールダウンするとイラストが出てきます。男子100m走だけでなく、女子100m走、水泳、円盤投げ、走り幅跳びまで出ています。やってみると可笑しいですよ。もちろん記録はいずれもロンドン五輪以前のものを使っているのですが・・・。

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2)街灯の数が減っている
 

7月28日付のThe Economist(英国版)に変わった記事が出ていたので紹介します。英国の町における街灯(street lights)の数が減っているということです。North Yorkshireの場合、7月初めから夜中~朝5時の点灯を60%減らすことを始めたし、他の場所でも似たような傾向にある。Hertfordshireの場合は70%の街灯をオフにしているのですが、それによって電気代が年間35%、金額にして130万ポンド(約1億7000万円)節約されるとのことであります。

で、住民が文句を言っているのかというと必ずしもそうではない。どころか夜は暗い方がいいと歓迎する人たちもいる。野生動物の保護活動をやっている人に言わせると、街灯の存在はフクロウ、コウモリ、蛾のような生き物にとってはよくないし、星の観察を趣味にしている人にとっても夜が暗いのは有難い。Devonというエリアの議会の計算によるとこの地域の二酸化炭素排出量の3分の1は街灯からくるものとされています。

街灯がついていないと犯罪が増えるのでは?という懸念はあるのですが、光で町を照らすことで犯罪が減ることもあるけれど、却って増えることもあるのだそうです。ある犯罪学の統計では街灯の下に置いてあるクルマの方が、車内が見えてしまうので泥棒に狙われやすいし、照明の専門家によると、街灯が点いていないと夜中に街頭に集まって騒ぎまくるケースも少ないらしい。これは分かりますね。街灯なしの真っ暗な街頭では騒ぐ気がしない。

もちろん反対意見もあります。街灯がないと住民が不安がって外出を避けて家の中に閉じこもってしまい、町全体が「要塞社会」(fortress society)のようになってしまう。それに隣近所が明るいと住民も誇りが持てて町を大切にしようという雰囲気が盛り上がるという人もいる。

ロンドンのWestminsterやCoventryのような町では街灯の点滅をリモコン操作で行うことができるシステムを取り入れているし、Richmond(ロンドン)などでは通行人が存在するときだけ点灯するものなども使っている。問題は英国の街灯の多くが50年以上も前に設置された古いものなのであり、省エネ型の最近の電球を導入するにも経費がかかるということです。

Bob Mizonという天文学者は「光公害」(light pollution)に反対する運動を続けているのですが、

  • Britons have lived with excessive illumination for so long that few notice its harmful effects.
    英国人は長い間過度の照明に晒されてきており、それがもたらす害について殆ど気が付いていない
と警告しています。

▼灯りがない真っ暗状態のことをpitch darkと言いますが、正直言って気持ち悪いですよね。周囲に知っている人間がいると分かった状態でのpitch darkはそれほどでもないけれど、山の中とか人里離れた田舎道の真っ暗は不安を増大させる。でもイノシシ、アライグマ、タヌキのような野生動物は明らかに暗闇を好みます。その方が「安心」なのです。我が家のワンちゃんも暗いところ、狭いところに身を潜ませるのが好きな部分があります。

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3)ドライバーが高齢化している

クルマの運転技術の向上を助けるボランティア団体である優秀ドライバー普及協会(Institute of Advanced Motorists:IAM)によると、英国における80才以上のドライバーの数が100万人を突破したのだそうですね。正確に言うと1,012,399人(今年1月末現在)です。警察庁の資料によると日本の場合は130万人だそうです。

ドライバーの年齢層の移り変わりを見ると、時代の流れを感じさせます。1975年の英国における70才以上の人口に占める運転免許証の保持者数は15%だったのですが、2010年ではこれが57%にまで増えている。現在の60代から上の人たちは、英国における自家用車時代の最初の世代だそうです。クルマを持つことがそれほどすごいことではなくなった世代という意味です。日本も同じようなものですよね。

高齢ドライバーが増えると事故も増えると思ったらこれが違う。英国における事故統計では60才以上の運転手が事故を起こす率はどの世代よりも低く、一番危険なのは若くて運転経験が短い年齢層なのだそうです。高齢ドライバーにとって問題なのは健康面です。つまり便利なのでついどこへでも車で行ってしまう習慣になっているということです。1995年の数字によると、70才以上の人が外出する場合行き先まで歩く率は35%、60代の人の場合は28%だった。これがいまではそれぞれ20%、18%へと下落している。つまり歩くことをしなくなっているというわけです。歩かない人の増え方は高齢者の間で最も急激なのだそうです。

高齢ドライバーはこれからも増えていくとされています。英国統計局(Office of National Statistics:ONS)の推定によると、20年後の2033年には75才以上のドライバーは870万人となっているのですが、これは2008年の数字(480万人)に比べると81.1%の増加ということになる。

The Economistによるとクルマ・メーカーもドライバー高齢化には注目していて、天井をもっと高くしたり、ミラーを大きくしたり、年寄りにも使いやすいクルマのデザインを考えたりしている。ただ広告だけは相変わらず若者向けのイメージのものが多い。Jonathan Brownというビジネスコンサルタントは「年寄りは中古よりも新車を買うケースが多いし金もある人が多い」というわけで、そのうち広告も老人に優しいクルマのイメージを押し出すものが出てくるだろうと予想しています。

▼英国で100才以上の免許証保持者は何人いると思います?122人だそうです。内訳は男が87人、女が35人だそうです。日本は5人で最高齢は宮崎県に住む105才の男性であると警察庁は言っています。2005年の数字です。

▼私はほとんど運転をしないのでほぼペーパードライバーに成り下がってしまっています(情けないわ、ほんまのハナシ)。その私が気になって仕方ないのが、わりと頻繁にニュースになるアクセルとブレーキの踏み違いによる事故というやつ。ほとんどが高齢運転者ですよね。つい最近もバックで駐車しようとした60代の男性が間違ってコンビニに飛び込んでしまったというのがあった。私の想像によると、この人はオートマチックのクルマを使っていたと思います。ギアがバックに入っていることを忘れて前へ行くつもりでアクセルを踏んでしまった。思わぬ動きをするクルマにドギマギしてブレーキを踏んだ、つもりがアクセルだった、クルマは後ろへ急発進・・・60過ぎたらオートマチックはダメってことにした方がいいと思います。

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4)政府主宰の幸福度調査はあてになるのか?

英国統計局(Office for National Statistics:ONS)がこのほどNational Well-being Reportという報告書を発表したことが英国メディアで地味に伝えられています。 Well-beingというのは「すこやか」とか「健全」というような意味の言葉で、National Well-beingというのは英国全体の「幸福度」(national happiness)とでも訳せばいいかもしれないですね。デイビッド・キャメロンが首相になったときに、国の状態を表現する尺度としてGDP(国内総生産)と並んでNational Well-beingという尺度もあり得るのではないかというわけで、ONSに対して英国国民がどの程度well-beingを感じているのかの統計をとるように要請したことがあり、このほど発表されたのはその最初の報告書です。

happinessにしてもwell-beingにしても個人的な感覚の領域であり、全体的な数字など出せないのではないかという批判があるわけですが、ONSは16万5000人の英国人を対象に次のような質問によるアンケート調査を実施した。
  1. Overall, how satisfied are you with your life nowadays?(一般的に言って、あなたは最近自分の生活にどの程度満足していますか?)
  2. Overall, to what extent do you feel the things you do in your life are worthwhile?(一般的に言って、あなたは自分の生活におけるいろいろな事柄がどの程度価値のあるものだと感じますか?)
  3. Overall, how happy did you feel yesterday?(一般的に言って、あなたは昨日どの程度幸せだと感じましたか?)
  4. Overall, how anxious did you feel yesterday?(一般的に言って、あなたは昨日どの程度不安・心配を感じましたか?)
それぞれの質問に対して1~10の数字で答えてもらった。例えば最初の質問である生活の満足度の場合、「1」と答えた人は満足度が最低、「10」と答えた人は最高というわけです。

で、結果はどうだったかというと、生活の満足度では76%が7以上、80%の人々が生活の価値(生きていることの価値)を7以上と答えたとのことで、The Economist誌のブログは「最も驚くべき発見」(the most surprising finding)であると言っています。

もう少し仔細に見ると、結婚している人は独身者よりもスコアが高く、持ち家のある人は借家人よりハッピーという「いまさら言われるまでもない」結果に混じって、黒人の不幸感覚が白人やほかの非白人よりもかなり高く、ロンドン人もほかの地域で暮らす人よりも悲観的などという結果が出ています。

ONSの調査結果についてThe Economistのブログは、調査対象者の収入とwell-beingの関連について語っていないとして、10年~20年単位でGDPの変化と人々の幸福度の変化を調査すれば、人々の幸福度に占めるGDPの重要度も分かってくるだろうとしています。国の「豊かさ」の尺度としてGDPの数字を使うことへの疑問が出てきているということはむささびジャーナル244号でも紹介しておきましたが、もしそれが決定的に重要な要素なのだとしたら、国民の幸福度を増大させることが仕事である政治家は、ひたすらGDPの数字を大きくすることにエネルギーを費やせばいいわけです。

が、そうでないかもしれないとなった場合、いまから半世紀も前の1968年にアメリカの大統領候補だったロバート・ケネディが語った言葉をもう一度考える必要があるかもしれない、とThe Economistは言っています。

ケネディはカンザス大学の学生を前に演説、GNPの数字にはタバコの広告費の売り上げ、自宅を強盗から守るための特別なカギの売上高、その強盗を収容するための刑務所の建設費、人間を殺害するナパーム弾や核兵器の開発費等々が含まれるが、教育の質、結婚生活の安定度、公務員への信頼度等々は含まれていないとして
  • it measures everything, in short, except that which makes life worthwhile. And it tells us everything about America except why we are proud that we are Americans."
    つまり、GNPはあらゆるものを数字化するが、人生の価値とは何かということを数字化することはしない。GNPを通じてアメリカのすべてを知ることができる。唯一GNPでは知ることができないのは、なぜ我々がアメリカ人であることを誇りに思うのかということである。
と言っている。

▼国民一人あたりのGDPで日本はシンガポール、香港、台湾に抜かれており、間もなく韓国にも抜かれる・・・というようなニュースに接して、とにかくGDPを大きくしようという発想になるのは危険だ、と同志社大学の浜矩子さんが言っています。シンガポールや台湾はヨーロッパでいうとルクセンブルグ、スイス、オーストリアのようなもので、人口が少ない国であり、このような国では国民一人あたりのGDPの数字が伸びやすいのだそうです。浜さんの話はここをクリックすると出ています。

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5)中国を愛した英国人が中国を去る理由

The Prospectという雑誌の7月18日付のサイトにWhy I’m leaving the country I loved(私はなぜ自分が愛した国を去るのか)という長いエッセイが出ています。ここでいう「自分が愛した国」とは中国のことで、筆者のMark Kittoという英国人ライターは長い間中国に住み続けた人物です。エッセイは次のような書き出しで始まっています。
  • I wanted to be Chinese, once. I don’t mean I wanted to wear a silk jacket and cotton slippers, or a Mao suit and cap and dye my hair black and proclaim that blowing your nose in a handkerchief is disgusting. I wanted China to be the place where I made a career and lived my life. For the past 16 years it has been precisely that. But now I will be leaving.
    中国人になりたい・・・一度はそう思ったことがある。絹のジャケットやコットンのスリッパを身に着けるという意味ではないし、もちろん毛沢東風のスーツや帽子を被り、髪の毛を黒く染めてハンカチで鼻をかむというのはむかつくことだと宣言すると言う意味でもない。私は中国という国が自分にとってキャリアを重ねて人生を過ごすような場所になってほしいと思ったということである。これまでの16年間はまさにそのとおりであった。が、いま私はこの国を出て行こうとしている。
ノーフォーク生まれのKittoは1986年にロンドン大学の学生として初めて中国へやってきたのですが、その後事業家として再び中国へ渡り、これまで16年間、鉄製品関係のビジネスをしながら著述も続けた人です。彼が2009年に書いたChina Cuckooという本はKittoの見た中国を語っているのですが、サブタイトルにAn English man who went to China in search of a fortune and found a life(富を求めて中国にわたり人生を見出した英国人の話)と書かれています。

The Prospectのエッセイは非常に長いもので、要約は不可能なので、彼が中国を出ていく決心をした最も重要な理由について語っている部分だけを紹介します。なぜKittoは中国を出る気になったのか?いろいろな理由はあるけれど、最大の理由は
  • I want to give my children a decent education.
    自分の子供たちにまともな教育を受けさせたいからである。
と書いています。つまり中国における教育はまともではないとKittoは考えている。何がまともでないのか?
  • The domestic Chinese lower education system does not educate. It is a test centre.
    中国の子供教育は教育ではない。それは受験センターなのである。
つまり学校教育の何もかにもが試験に受かるための準備として用意されいる、とKittoは感じている。そのことによって「社会性を養う」とか「好奇心を保ち続ける」という態度を養うという教育の大切な要素が全く犠牲になっているというわけです。彼と家族(中国人の妻と子供二人)は田舎で暮らしているのですが、彼によると中国では子供時代に試験にパスすることが大都市における恵まれた生活へのパスポートになる。
  • They produce winners and losers. Winners go on to college or university to take “business studies.” Losers go back to the farm or the local factory their parents were hoping they could escape.
    中国の教育が生み出しているのは勝者と敗者である。勝者はカレッジから大学へ進み、ビジネス研究のような進路をとる。敗者はというと、農村や地方の工場に戻る。つまり彼らの両親が抜け出して欲しいと念願した場へ戻るということになるのである。
Kittoによると中国の学校では体育の時間や課外活動というものがほとんどない。体育が得意な子供が見出されるとオリンピックで金メダルをとるための特別学校に送られるし、音楽の才能があると思われる子供たちは音楽学校で徹底的に英才教育を受ける。結果として音楽の喜びなどは心から枯渇してしまう。

Kittoはまた学校における児童を対象にしたプロパガンダ教育についても語っている。彼の娘が学校へ初めて受けた授業が「中国人民が党の指導と人民解放軍の協力により、いかにして四川大地震を負かすことができたか」についての映画を見せられることだった。さらに人民軍の英雄が書き残した遺書を読まされるということもあったとのこと。

学校生活における圧力で病気になる子供も多いとのことで、テストでも95点以下は「失敗・落第」(failure)とみなされる。成績の悪い子供たちには罰則が待っている。週末の一日は宿題の処理で過ごす。この宿題というのはテストにいい点をとるための訓練のようなもの。宿題をするために日曜日に学校へ行くことも多い。

休暇ともなると試験にパスするための特別授業を行う学校に通う一方で学校から出る宿題のための一日数時間は勉強をさせられる・・・子供も休む間がないというわけです。地元の親たちもこのやり方には不満を持っているけれど、田舎の彼らにはこれしか教育がない。Kitto自身にとって大都市へ引っ越して授業料の高い国際学校へ子供を通わせることもオプションとしてはあるけれど、大都市は空気汚染がひどいし、自分自身も仕事を見つけなければならない。
  • China does not nurture and educate its youth in a way that will allow them to become the leaders, inventors and innovators of tomorrow, but that is the intention. The Party does not want free thinkers who can solve its problems.
    中国の教育は子供たちを将来の指導者、発明家、改革者を育てるようにはできていない。それは意図的にそうなのである。中国共産党は自由な考え方を持つ人間を好まない。中国社会が抱える問題を解決できるような人間を好まない。

つまりは共産党が自由な発想のようなものを望んでいないということ。中国社会における問題の解決の主導権が党から国民(自由な発想をする国民)に移ってしまうことを嫌がっているからである、とKittoは語ります。

要するにいまの中国における自由の欠如からして自分の子供の教育は任せられないと言っている。Kittoの中国批判は自由や個人主義を尊ぶ英国人のアタマからすると当然なのですが、私(むささび)が個人的に興味を持ったのは彼のエッセイに対する読者からの書き込みにあった次のような文章です。中国人の読者ではないかと思います。

  • 中国人になりたくないのなら、ならなければいい。誰もアンタに中国人になってくれなどと頼んだ憶えはない。西側の人間、特にアングロサクソンの問題は、あまりにも長い間楽な生活をしてきており何が大切かという感覚を失ってしまっているということだ。彼らは救いがたいほどに軽薄なのだ。中国には厳しい歴史というものがあって、より良き社会の建設に向かってゆっくりと進んでいるのだ。その社会はマードックが信奉するような英国的な社会のやすっぽい模倣ではない。それがイヤだと言うのなら仕方ない。
  • Well, don’t be Chinese. Nobody asked you. The trouble with Westerners, especially Anglo-Saxons, is that they have lived too easily too long and thus lack a sense of gravitas. They are incurably frivolous. China has had a hard history and is slowly building a better society. No, it is not going to be a cheap copy of the Murdochian Anglosphere. Tough if you don’t like it.

▼読者による書き込みは、「中国には中国のやり方があるのだから英国人にとやかく言われることはない」と怒っているわけですね。この雑誌を読んで投稿するというのはインテリと呼ばれる人たちに属する人物であることは間違いない。その人物から見て英国という国がMurdochian Anglosphere、即ちルパート・マードック的な考え方に毒された社会のように見えるわけです。この人はマードックの何が悪いと言っているのでしょうか?

▼それはともかく、Kittoのエッセイを読んでいると、自分の子供を中国のような詰め込み教育にさらすことはとてもできないと痛切に感じていることが伝わってはくるのですが、私が知りたいと思うのは、英国へ帰った彼が自分の子供を通わせるであろう学校はどのような学校であり、そこで行われている「教育」にKittoが何を感じるのかということです。彼のいう「個人の自発性を尊ぶ英国の教育」の方が望ましいことは、私もそうだろうと思います。私の想像にすぎないけれど、彼の子供が通うのは、どちらかというと恵まれた家庭の子供たちが通う、授業料も高い私立学校かもしれない。寄宿舎生活を通じて全人教育が施されているような学校、つまり英国の中でも大多数の子供が受ける教育とは違う類のものなのではないかということです。

▼それでも中国流の英才教育よりはまともだとKittoは考えている。それに対して、投書をした「中国人」はKittoが信奉している(かのように見える)自由主義・個人尊重主義をアングロサクソンの怠慢文化は中国には合わないと考えており、「余計なことを言わないでくれ」と怒っている。ちょっと不思議なのは、この中国人はKittoのことをブルジョア文化という言葉を使って批判をしていないということですね。

▼最後にKittoが批判する中国の教育はスケールの違いこそあれ、日本がかつて行っていた(いまでも行っているように見える)受験中心教育、詰め込み教育と底辺では同じですよね。それがゆとり教育にかわり、それがさらに逆戻り・・・というわけで、このあたりの右往左往では日英は共通している。


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6)アフガニスタン、イラク:戦争の「コスト」

 

8月1日付のBBCのサイトによると、先月(2012年7月)のイラクではここ2年間で最悪のテロ活動による犠牲者を出した月となったのだそうです。イラク政府の発表によるとイラク全土で起こった爆発事件による死者は325人に上ったとのことであります。内訳は民間人241人、警察官40人、兵士44人となっていて民間人の犠牲者が圧倒的に多い。最もひどかったのは7月23日で、一日で103人の死者が出たとされています。これらのテロ事件はいずれもシーア派率いる現政府に対抗するスンニ派のイスラム過激派によるものであるとBBCは伝えています。

ここ数年、イラクやアフガニスタンのことがあまりメディアで報道されなくなったと思いませんか?国内的には民主党政権の誕生と混乱、東日本大震災、原発事故などがあり、国際的には「アラブの春」があり、北朝鮮の指導者交代があり、ヨーロッパの経済危機ありというわけで、アフガニスタンやイラクがいまどうなっているのかその気にならないと分からない状態です。

まずアフガニスタンですが、2001年9月11日の同時多発テロの首謀者とされたオサマ・ビン・ラディンがアフガニスタンのタリバン政権によって匿われているというので10月にNATO軍による爆撃が始まったのですよね。そのビン・ラディンは2011年5月にパキスタン国内でアメリカによって殺害されたと発表されている。つまりその意味では2001年にアメリカがアフガニスタンを攻撃した理由はなくなった。

が、現在アフガニスタンにはおよそ10万人のアメリカ兵が駐留している。3年後の2014年末までにはすべての戦闘部隊を引き上げて、治安権限をアフガニスタン側に引き渡す計画であるとされている。


アメリカのブラウン大学にあるワトソン国際問題研究所(Watson Institute for International Studies )の中の研究グループ(Eisenhower Study Group)がアフガニスタン、イラク戦争の結果報告を昨年(2011年)11月に発表しています。Costs of War(戦争の代償)という報告書なのですが、それを読むと21世紀になって起こったこの二つの戦争を通じて払われた犠牲の大きさに息を呑む思いがします。この報告書について数回にわたって取り上げてみます。まずは人的な犠牲の中でも死者と負傷者の数字は次の通りです。いずれも2011年6月現在の数字です。

アフガニスタン、イラク戦争の犠牲者 死者数 負傷者数
米軍兵士: 6,051 99,065
軍人以外の契約兵士: 2,300 51,031
イラク軍兵士: 9,922 29,766
アフガニスタン軍兵士: 8,756 26,268
パキスタン軍兵士: 3,520
その他の同盟軍兵士: 1,192 12,332
アフガニスタン民間人: 11,700 17,544
イラク民間人: 125,000 109,558
パキスタン民間人と叛乱者: 35,600 19,819
アフガニスタン叛乱者; 10,000
サダム・フセインの軍隊兵士: 10,000
ジャーナリスト: 168
人権団体関係者: 266
合計: 224,475 365,383

ここに出ている死者数は直接戦闘の結果生まれた死者の数です。民間人、ジャーナリスト、人権団体関係者の場合は流れ弾に当たったとか、自分の住居が爆撃されたなどというケースですが、戦争には「間接的な死」(indirect deaths)というものがつきまとう。例えば爆撃によって医療施設が破壊され、本来なら受けることができた治療を受けられなかったことによる死、戦争によってもたらされた環境汚染による死などがこれにあたる。これについてははっきりした数字はないのですが、2008年にジュネーブ宣言事務局(The Geneva Declaration Secretariat)が行った調査結果として、直接死1人につき4人の間接死が生まれているという推定があります。これは必ずしも的外れではない(not be unreasonable)と研究グループは言っている。つまり直接死(direct deaths)が224,475人ということは、その4倍(ほぼ100万人)の間接死者が存在するということになる。


人的犠牲者には死者、負傷者以外に戦争がゆえに自分たちが暮らしていた場所を追われてしまった人々もあります。「難民」(displaced people)ですが、外国へ逃れたケースと国内で別の場所へ移動したケースがあります。

難民(The Displaced)の数
アフガニスタン民間人: 3,315,000
イラク民間人: 3,500,000
パキスタン民間人: 1,000,000
 合計: 7,815,000

Costs of Warの報告書を一挙に読みたいという人はここをクリックすると出ています。

▼日本の警察庁の数字によると、今年(2012年)8月初めの段階で、東日本大震災による死者数は15867人、行方不明者2903人となっています。合計するとほぼ2万人ですね。上に挙げたアフガニスタンとイラクにおける戦争による死者数は10年間で約23万。難民数の780万人ですが、愛知県の人口が約740万人です。埼玉県は720万。それより多くの人々が故郷を出ざるを得なかったのがこれらの戦争であるわけです。


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7)どうでも英和辞書
A-Zの総合索引はこちら

black eye:目の周囲にできた黒あざ

black eyeには「黒い目」という意味ももちろんあるけれど、目の部分を殴られるとできる黒いあざという意味もあるのですね。英和辞書によると"giving someone a black eye"は「人の目を殴って黒あざを作る」という意味もあるし、そこから派生して「情けない思いをさせる・恥をかかせる」という意味としても使えるのだそうです。

8月7日付、シドニー(オーストラリア)の新聞Sydney Daily Telegraphは
  • Australian coaches are giving Australians black eyes all over London.
オーストラリアのコーチがロンドン中のオーストラリア人に赤っ恥をかかせている・・・?何のことかを思ったら、ロンドン五輪でオーストラリアの選手が金メダルをとれないのは、オーストラリア人のコーチが外国に雇われて外国選手のコーチをやっているからだ、ということらしい。

女子のトライアスロンで最後の最後にオーストラリア選手が二人に追い抜かれて銅メダルに終わったけれど、その二人の外国人選手を指導したのはオーストラリア人のコーチ、水泳では200mと400mの自由形で銀メダルをとった韓国選手をコーチしたのもオーストラリア人であるとのことです。1500mと400mの自由形で中国の選手をコーチして金メダルをとらせたコーチは「50万ドルももらったという噂である」(rumoured to have picked up more than $500,000)という具合に噂まで記事にして怒り狂っております。

in the near future:近い将来

税と社会保障の一体改革関連法案の取り扱いをめぐって野田首相が自民党の谷垣さん、公明党の山口さんと会談を行なって、(この関連法案の成立後)「近いうちに」国民に信を問う(選挙をする)ということで合意したと語ったのですよね。ただ、その前に民主党は自民党に対して選挙については「近い将来」という提案をしたのに自民党は「解散時期が曖昧だ」と反発していたのだそうですね。「近い将来」は許せないけれど「近いうちに」なら「よろしいんじゃありませんか」と谷垣さんは考えたってことです。

「近いうちに」と「近い将来」を英語に直せと言われればin the near futureしかないと思っていたのが私の未熟なところでありまして、共同通信の英文ニュースは野田さんのいわゆる「近い将来」をin the near future、「近いうちに」はsometime soonと表現していました。なるほどねぇ・・・。で、野田・谷垣会談を私の想像で同時通訳すると・・・:
  • 谷垣:要するに選挙はいつやるんですか?(When will you hold the election anyway?)
  • 野田:だから近い将来ということで・・・(Didn't I tell you that it would be in the near future?)
  • 谷垣:ダメですよ、そんなの。答えてください。いつやるんです?具体的に言ってください、具体的に。(That's no good. Answer me. When will you hold the election? Be specific!)
  • 野田:分かりました。それでは具体的に言いましょう。近いうちにってことにしましょう。これでいいでしょ?(All right. I'll be more specific. I'll do the election sometime soon. What do you think? Am I not very specific?)
  • 谷垣:素晴らしい!それで立派に具体的です。それなら我々も協力できますよ、首相!(Great! That's certainly specific enough. We will now be able to cooperate. Congratulations, Prime Minister!)
ちなみにin the near futureの意味を英英辞書で調べたらat a time which is not far awayと出ていたのには笑ってしまった。「近い将来=遠くない時期」というわけですね。
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8)むささびの鳴き声
▼知らなかったのですが、私が継続的成功を祈っている反原発デモのことを「紫陽花(あじさい)革命」というのだそうですね。アラブの春のエジプトにおける「ジャスミン革命」からヒントを得たという人もいるようです。茶園瞳の政治ウォッチャーズというサイトは、紫陽花という花の色や種類が非常に多くて多様であり、「紫陽花革命」は現代の日本社会の価値観の多様さを反映していると言っています。

▼その一方で紫陽花革命なんて単なる与太話(取るに足らない冗談)と言っている人もいるようです。この人は、デモだの社会運動だのは全く信用していない、どころかむしろ世の中の邪魔になると考えているようであります。

▼この人によると、北朝鮮から拉致被害者と家族が帰還できたのは、「地味な外交交渉」の成果であり、ベトナム戦争を終わらせたのは、キッシンジャー国務長官の外交手腕であって、「べ平連」の運動ではないとのことであります。その理屈からするならば、現在の反原発運動は(原発建設推進派にとってはもちろんのこと)脱原発政策推進の邪魔にこそなれ、役に立つことはないということを「敢えて断言しておこう」としております。要するに外交であれ、エネルギー政策であれ、ど素人が集まって騒ぎ立てても邪魔になるだけだから、黙ってその道のプロにお任せしよう・・・と言っているようなのであります。

▼問題なのは、その道の「プロたち」にお任せした結果が原発事故で立ち往生になってしまったということです。ベトナム戦争を終わらせたのは直接的にはキッシンジャーかもしれないけれど、彼をベトナム側との交渉の席につかせた要因の一つにべ平連も含めた反戦運動があった。これを否定するのはムリな話です。拉致家族が帰還できたのは「地味な外交交渉」のお陰だったのだから、これからも帰還させたいのなら「帰還要求活動などするな」というのはメチャクチャです。

▼野田さんが、首相官邸前におけるデモを組織している人たちの代表と面会することが予定されていたのにこれが延期になったというニュースが流れていました。お膳立てをしたのが菅さんであったのだそうですね。ラジオ報道によると枝野経産大臣はこれに反対しているのだとか・・・。おそらく原発推進の人たちからの反発を心配しているのでしょうね。枝野さんは、官房長官であったころに菅さんが福島の原発事故現場を訪問することに反対したのですよね。その理由が「後から政治的な批判をされる」ということだった。あの折に原発訪問に反対する枝野さんに対して菅さんは「政治的に批判されることと、原発をコントロールできるのとどっちが大事なんだ」と答えたのですよね。

▼案の定、菅さんは出過ぎたことをして混乱を招いたという批判を受けている。しかしあのとき菅さんが「出過ぎたこと」をしなかったら福島のみならず日本全体はどうなっていたのかについては誰も何も語らない。東電と保安院に任せておけばこんなことにはならなかったはず・・・とは誰も言わない。出しゃばった人間だけが袋叩きに遭う。菅さんが反原発デモの代表者と野田さんを会せようとしたのは政治のプロの世界に素人の感覚を反映させようとしたという意味ですよね。これは全く正しい。

▼もうすぐ8月15日ですが、8月1日、NHK衛星放送のプレミアムというのを見ていたら『NHK戦争証言プロジェクト』というのをやっており、第二次大戦を経験した人々の言葉がインタビューとして語られていました。その中に「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」と教えられたという人の証言があった。意味としては敵の捕虜になるくらいなら自殺するべしということです。そのように教えられていたのだそうです。このようなことを美徳として教えた人たちがいたのですよね。そのように教え込まれた日本人が、自分たちの手で捕虜になった外国人兵士に「虜囚の辱め」を与えてしまった。それが日本軍に捕虜にされた英国人兵士の運命だった・・・。

▼で、英国時間の8月15日、イングランドのスタッフォードにある戦没者記念森林公園(National Memorial Arboretum)で、ある記念碑の除幕式が行われます。広島の原爆犠牲者と第二次世界大戦で命を落としたすべての犠牲者を悼むもので、石碑には広島の焼け跡にあった石も埋め込まれているのだそうです。このプロジェクトは、今年の4月に90数才で亡くなったフィリップ・メイリンズという英国人の発案によるものです。彼自身も戦争で日本兵と戦った経験を持っていたのですが、生前は戦争捕虜の問題に関連して日英和解活動に貢献したひとです。

▼最後まで独り暮らしだったメイリンズのアパートを訪ねたとき、壁に世界地図が貼ってあったのですが、赤く塗ってある国々を懐かしそうに指さして「これ、みんな大英帝国の植民地だったのさ」と教えてくれた。2010年に日本政府から旭日双光章という勲章を受けたこともある。旭日双光章を受けたときにお祝いの電話をして「元気ですか?」と言ったら「ぜんぜん元気じゃないよ(I'm not really good at all, Jiro)」というので「どうしたんです?」と尋ねたら「忘れてしまうのさ、いろいろなことを(I forget things)」と寂しそうな声を出しておりました。90才を超えていたのですからね、I forget thingsは当たり前だったのですが、最後まで若かったのですよね。メイリンズについてはむささびジャーナル206号でも紹介してあります。

▼暑いというのに長々と失礼しました。

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