1)「寝室税」が低所得者を直撃する
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上の写真、右側の女性が掲げているプラカードの言葉に注目してください。CAN'T PAY WON'T MOVE!となっています。「払えない 引っ越さない」ということです。
どこの国でも同じですが、財政赤字削減策のための社会福祉縮小は極めて評判が悪いのでなかなか実施することができないですよね。最近の英国で評判が悪いのは4月から施行されているbedroom
taxと呼ばれるものです。和訳すると「寝室税」ということになり、自宅に寝室があるとそれに税金がかかるのか思いますよね。違うのですね、これが。bedroom
taxというのはニックネームみたいなもので、実際には低所得者向けの住宅手当の削減のことです。
対象になるのは、地方自治体が運営する公営賃貸住宅(council housing)および住宅協会(housing association)が運営する公団賃貸住宅で暮らす人々で、民間の賃貸住宅の住人などは対象ではない。また年齢層も労働年齢(18才~60才)の家庭が対象で高齢者は対象になっていない。政府の推定では「寝室税」の影響を受けるのは66万世帯(社会住宅の利用者の3分の1)となっています。これらの公営・公団住宅のことを英国では「社会住宅」(social
housing)と呼んでいます。
社会住宅の家賃は場所によってまちまちですが、マンチェスター市内の場合、1週間の家賃はざっと次のようになっています。
- 1 bedroom: £100 (約1万3000円)
2 bedrooms: £120
3 bedrooms: £140
4 bedrooms: £190
英国の場合、低所得者のための住宅手当という制度があり、必要に応じて1週間で50~100ポンドが支給されるのだそうです。で、悪評サクサクの「寝室税」です。例えば寝室が3つある住宅で暮らしている家族がいて、そのうちの一つが実際には使われていない場合、住宅手当が14%カットされ、二つ以上の部屋が空いている場合はカット額が25%にまで跳ね上がる。政府によると公営住宅に暮らしている家族の場合、減らされる手当の平均額はおよそ14ポンドとされている。それまで120ポンドの手当をもらっていたのが106ポンドにまで減らされるのだから確かに痛い。
現在の英国の社会住宅の世界では、家族が少ないのに沢山の寝室を持っている人がいるかと思うと、もう一方では深刻な住宅難で狭い家に多くの家族が暮らすというケースが多いのだから、余分な部屋がある住宅をもっと恵まれない家族に譲ってほしいというのが政府の言い分なのですが、「寝室税」制度によって230億ポンドの手当が節約されるとも言っている。
新しい「寝室税」制度によると、公営住宅で許される寝室の数は成人一人(もしくはカップル一組)あたり一つ。同じ性の16歳以下の子供が複数いる場合は同じ部屋をシェアすること。10歳以下の場合は性別に関係なくシェアする。つまり夫婦に17歳の子供が二人(男女)同居している場合は、3つの寝室を持っていても削減の対象にはならないということになるけれど、それ以外の部屋は余分と見なされ手当削減の対象になる。削減されるのが嫌なら余分な寝室のない公営住宅へ引っ越すしかないということです。そこで冒頭の写真にある"CAN'T PAY WON'T MOVE!"となる。
労働党などは、この制度によって貧困家庭は年間で700ポンド以上の「収入」を失うことになると攻撃しているのですが、そもそも「空き部屋」の定義そのものに問題があるという声もある。夫婦の二人だけで暮らす場合、一つ以上の寝室はspare(余分)と見なされるけれど、夫婦の一方が何らかの病にかかっていて同じベッドで寝るわけにはいかない場合もあるではないかというわけです。
▼世の中のさまざまな分野での変革を求める国際的な活動をしているChange.orgの英国支部のサイトに、英国のイアン・ダンカン=スミス(Iain
Duncan Smith)労働・年金担当大臣に対して一週間53ポンド(一日7.57ポンド)で暮らすことを要求する署名活動が行われています。BBCのラジオ番組で「寝室税」削減のおかげで、一週間の収入が53ポンドにまで減ってしまった人物のハナシをしたあとで、記者がダンカン=スミス大臣に「あなた自身は一週間53ポンドで暮らせると思うか?」と尋ねたところ、大臣の答えは"If
I had to, I would."(必要なら暮らしますよ)というものだった。
▼このニュースを聴いた人が「だったらやってもらおうじゃありませんか」というので署名活動を始めたというわけ。ちなみに大臣の収入は税引き後で一週間1,581.02ポンド(一日225ポンド)だから一週間53ポンドということは収入が97%減るということになる。4月6日現在で440,865人が署名しているそうです。政府主宰のサイトを利用したネット署名(online petition)の場合だと、10万人集まると議会における審議の課題となる可能性があるけれど、この場合は50万集まっても特に何もないかもしれない。ただメディアPRのための材料にはなるかもしれない。
▼英国内でのポンドの購買力からすると、1ポンドおよそ100円と考えると分かりやすい。この要求を日本に置き換えると、一週間5300円(一日約800円)で暮らすということです。 |
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2)高齢化社会と個人主義
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BBCのラジオ局Radio4の番組には面白いディスカッション番組が多いのですが、中でもANALYSIS(分析)というシリーズは、世の中で起こっていることを様々な角度から掘り下げて検討するもので大いに「聴き甲斐」があります。BBCのサイトを通じて番組を聴くことができるのですが、有難いことに番組によってはシナリオのようなものを見ることもできるので、聴いて分からない部分を文字で読むこともできる。3月11日に放送されたのはTHREE SCORE YEARS AND TWENTY(60才からの20年)というタイトルの30分もので人間社会の高齢化について検討しています。
この番組のテキストはここをクリックすると読むことが出来るのですが、むささびジャーナルとしては、その中のたった一か所だけ紹介します。それは英国の上院議員であるサリー・グリーンクロス(Baroness Sally Greengross)という女性のコメントです。彼女は「自立した生活に対する愛着の念が英国の高齢者の社会的な疎外を招く可能性がある」(love of independent living could leave many older people alienated from society around them)として、次のように語っています。
- 残念ながら私たちの文化は孤立を培養するという性格をもってしまっている。それは老後の生活を破滅的なものにしてしまうのです。
Our culture is one that fosters isolation, unfortunately, and that’s very destructive in late life.
(高齢者が孤立する)背景の一つに英国人が昔から持っている「我が家こそわが城」というこだわりのようなものがあると思います。私たちは引っ越すということをしないのです。もちろん自分の知り合いがいる隣近所で暮らすのは結構なことにはちがいない。しかし住むには適さない家に居続けるというのは必ずしもいいことではありませんよ。年をとると自分の知り合いだって亡くなったり、よそへ引っ越したりするではありませんか。そのような中で孤立しながら暮らすのは望ましいことではないですよ。
I think one of the reasons for that is the English habit of making our home our castle and we never move; and it’s good to be in a neighbourhood where you know people, but it isn’t always good to stay in a rather unsuitable home where you are isolated as you grow older because the people you knew perhaps die or move out.
それともう一つ、英国人は自分の子供たちが自分たちから独立して暮らすことを望むという哲学のようなものを持っている。自分の子供に対する重荷にはなりたくないという気持ちです。私たちほどにはそれを強く思わない世の中もあるのですが、私たちは子供が親から自由であることを望むのです。
And we also have a philosophy of wanting our children to be independent of us; we don’t want to be a burden on our children. And in some societies people don’t consider that quite as strongly as we do. So we want children to be able to be free of ageing parents.
いまから160年前の1850年のイングランドでは人口の半分が46才になる前に死んでいた。いまでは人口の半分が85才まで生きているし、これから100才まで生きる人の数は800万人にまで達するものとされている。ヨーロッパ全体でいうと100才まで生きる人の数は1憶2700万に達するのだそうです。つまり人間、なかなか死ななくなったということです。そのような状況を生きるうえで、英国人が最も誇りにしてきている個人主義の伝統が邪魔になっている・・・とグリーンクロスは言っている。BBCの番組では、グリーンクロスのこのコメントを受けて、必ずしも個人主義を標榜はしていない国から英国へやってきて移民として暮らしている人々(ラテン系やアジア・アフリカ系)の考え方を探っていきます。
サリー・グリーンクロスは特に高齢者福祉のための活動家として知られ、昔はAge Concernというその道の代表的なNPOの理事長もしていた人です。彼女は1935生まれ、現在は上院の超党派による認知症対策会議の議長、国際長寿センター英国支部(International Longevity Centre:UK)の代表なども務める人です。
▼むささびがこの部分のみを紹介する気になったのは、英国人がこれまで文句なしにいいものとして守ってきた「個人主義」とか「自立」が、これから高齢化が進行していく社会の規範として機能し続けていくのだろうかという疑念を語っているからであり、そこに新しい英国を見出すような気がするからです。グリーンクロスの略歴を見ると、個人主義が尊重される英国社会の主流の階級の育ちであることが明らかに分かります。
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3)サンデル教授の「経済効率万能主義」批判
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英国にThe Prospectという雑誌があります。日本でいうと『中央公論』のような内容の月刊誌なのですが、そのサイト上に"If I
ruled the world"(もし私が世界を支配する立場にあるとすれば・・・)という企画が掲載されています。小説家、ジャーナリスト、政治家のようなどちらかというとオピニオン・リーダーの部類に入る有名人に「世界のあるべき姿」を語らせようという企画です。昨年(2012年)9月号のこの企画に、日本でも知られている(と思う)ハーバード大学のマイケル・サンデル(Michael Sandel)教授が登場したのですが、
- もし私が世界を支配したら経済学の教科書を書き直すであろう。
If I ruled the world, I would rewrite the economics textbooks.
と言っています。何でもかんでも「経済」で割り切ろうとする最近の政治・社会の傾向を批判する内容になっています。ウィキペディアによるとサンデル教授は「コミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的論者であり、その論述の特徴は共通善を強調する点にある」のだそうですね。「共同体主義」とか「共通善」というのが何のことであるのか、簡単に分かったり語ったりできるような事柄ではないのでしょうが
- 「善」と「金」の違いを回復させる時代が来ている。
It is time to restore the distinction between good and gold
というイントロが教授のメッセージを表現しているようです。人間や人間が作っている社会というものを語るときに「お金」(gold)ではなく、「善悪の意識」(good)を基本にするような考え方を「回復」(to restore)させたいと言っている。経済よりも道徳が大事だというわけですが、「回復」というからには、昔はそうであったという意味でもありますよね。
教授が例に挙げて語るのは人間の臓器売買です。腎臓を売りたいという人と買いたいという人がいて、値段で折り合いがつき売買が成立する。買った側はそれで命が長らえるし、売った方は自分の臓器を失うという犠牲に対する代償としての金銭を受け取ることでそれなりに利益を得る。世の中のことを経済的な合理性のみで割り切ろうとするならばこれで万々歳ということになる。しかしサンデル教授によると、お金を払う意思と能力のある者が欲しいものを手に入れるという意味での「経済上の効率性」さえ満たされればオーケーという経済学の教科書の発想は、「共通善」(common
good)を大事にしようという考え方からすると間違っているということになる。
腎臓の売買の例を考えるならば、買った方は必要だから自発的にお金を払ったのかもしれないけれど、売った方の事情は必ずしも「自発的」ではない。むしろお金を得るためには腎臓でも売るしか方法がないという「絶望的な状態」(desperate
condition)であったとすると、実は腎臓を売るという行為は状況によって「強制された」(coerced)選択であったということになる。
さらに人間の臓器を金銭による売買の対象とすること自体道徳的に許されるべきではないという考え方もある。あるいはセックスの売買。世界には性を売るという行為が合法として認められている国だってあるし、いまは許されていなくてもかつては殆どの国で合法だった。買う方が性的な欲求を満たし、売る方が金銭的な「必要性」を満たす・・・経済学的には十分合理性があるかもしれないが、道徳的には許せないという人もいる。
サンデル教授は
- 自分が世界を支配するようになったら、臓器売買や売春行為を禁止するつもりだと言っているのではない。私の目標はもっと大きなところにある。私がやりたいのは、いまの人々の心や我々の道徳的・政治的なイマジネーションの世界で大きな影響力を行使している「経済的な理由づけ」という考え方を緩めたいということである。
I’m not saying that, if I ruled the world, I would ban these practices. I have a bigger goal in mind: to loosen the hold that economic reasoning exerts on the public mind, and on our moral and political imagination.
と言っている。つまり教授は、現代では経済的な効率性(economic efficiency)という考え方があまりにも大きな顔をして政治や社会活動の世界の人々の心を捉えすぎていると考えているわけです。その背後には経済学という学問があたかも自然科学や数学のように、人間の善悪判断とか価値観からは独立した存在しているかのように考えられているということがある・・・と教授は指摘します。
- すなわち私が経済学の教科書を改訂するやり方は、経済学が自分の力だけで立っており、人間の価値観とは無縁のサイエンス(科学)であるという考え方をやめて、それを本来の生まれ故郷である道徳や政治哲学の世界と再結合させたいということである。
So here is how I would revise the textbooks: I would abandon the claim that economics is a free-standing, value-neutral science, and would reconnect it with its origins in moral and political philosophy.
サンデル教授によると、18世紀・19世紀の古典的経済学者たち(アダム・スミス、カール・マルクス、ジョン・スチュアート・ミルら)は、経済学を道徳や政治哲学の下流に来る学問であると考えていたのだそうです。それが20世紀に入ってあたかも自然科学のような客観性と力を有した学問であると考えられようになってしまった。
経済的な効率性(無駄がないということ)ということがあまりにも重視され過ぎると、社会問題をカネで解決しようとする政策が採用されたりする、と教授は言います。その例として英国の国民保健制度(NHS)が実験的にやろうとしている禁煙や肥満防止を目的とした金銭的な動機付け(incentive)による健康促進策がある。「健康促進賄賂」(health bribes)と呼ばれて批判されているそうです。アメリカには子供たちの学問を促進するために、いい成績をとった者にはほうびとして現金を与えようという計画をしている地域もあるのだそうです。
- 世界を支配する者として、私は必ずしもそれらの行為を全面的に廃止することはないだろう。しかしこのように金銭によって動機づけすることで「善いこと」の質を下げることになるのではないか、あるいはいわゆる「マーケット」には無縁の生きる態度(本当は大事にした方がいいかもしれない態度)を締め出してしまうことになるのではないか・・・という疑問を抱くべきだと主張することになるだろう。
As ruler of the world, I would not necessarily abolish these schemes. But I would insist that we ask, in each case, whether the cash incentive might degrade the goods at stake, or drive out non-market attitudes worth caring about.
かなり持って回った言い方ですが、勉強すれば小遣いをあげるということによって、子供たちが本来的に持っている学ぶことへの愛情のようなものを鈍らせてしまうことになるのではないか・・・というのが教授の疑問です。
サンデル教授はthe Atlanticという雑誌にも同じような趣旨のエッセイを寄稿して、何でもかんでもカネに換算できるという経済万能論に対して、「世の中、善悪の基準というものがある」という哲学を述べているのですが、おそらくアメリカ人であろう、ある読者は
- 富と権力と影響力の獲得自体が唯一の道徳的な価値基準となっている社会において、教授が述べているようなことに誰が興味を示すというのだろう?
In a society in which the singular moral value is the acquisition and concentration of wealth and the power and influence it can buy, who exactly do you think is even interested in this conversation?
サンデル教授は現代社会の問題を出来る限り明確に示したかもしれないが、大衆との対話というものに望みを託そうとする姿勢は、残念ながら愚者の高望みにすぎない。
I think that Professor Sandel has defined the problem as well as it can be, but his hope for a public conversation is, I fear, a fool's quest.
と批判しています。
▼(最後に紹介した)読者が言っているのは、教授が述べるようなきれいごとでは何も片付かないということ(だと思います)。私自身も教授のエッセイを読んでいて同じような不満を感じるのですが、それを「愚者の高望み」と切り捨ててしまうことで、本来もっと批判されなければいけないはずの経済万能主義の方を生かしてしまうという矛盾に突き当たります。
▼サンデル教授のエッセイとは関係ないけれど、日本でホリエモンが逮捕されたときに、日本のメディアは「カネの亡者」とか「市場原理主義の失敗」という点から批判しましたよね。あのときの論調と現代のサンデル教授の市場原理主義批判は根本的に異なるものだと思います。ホリエモン批判は市場原理主義にさえも到達していない老人たちによる「若造批判」だったし、それはホリエモンが仮釈放されたときの記者会見の様子からもうかがえました。
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4)新聞報道に新たな規制機関
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メディア王といわれるルパート・マードックが経営する大衆紙、News of the Worldによる取材対象の電話盗聴事件が明るみに出て、新聞そのものが廃刊に追い込まれたのは、おととし(2011年)の夏だった。その事件をきっかけにメディア(特に新聞)によるさまざまな「悪行」が明るみに出たことからキャメロン首相の要請により2011年11月に判事のレブソン(Lord Justice Leveson)氏を委員長にした独立調査委員会が組織され、さまざまな立場の人を呼んだ公聴会が開催され、昨年(2012年)の11月末に報告書がキャメロン首相あてに提出された。
その報告書ではNews of the Worldのようなことが二度と起こらないために、より厳しいメディア規制機関が必要であるとされていたのですが、具体的にどのような組織にするのかということについては政府の検討にゆだねられた。で、保守党・自民党の与党および野党である労働党も交えて検討した結果、新しいメディアの規制機関を設置することで合意し議会もこれを承認した。これが2013年3月18日のことです。
3月23日付のThe Economistによると、この新しいメディア規制機関は報道規制機関(National Press Regulator:NPR)と呼ばれもので、Pressという言葉が使われていることでもお分かりのように「メディア」と言っても新聞と雑誌が対象で放送は入っていない。この機関にはすべての新聞社や雑誌社が加わるように奨励されているのですが、それに加わらないという選択肢もある。ただ加わらない場合、裁判沙汰になった際に極めて厳しいexemplary damages(懲罰的損害賠償)の対象になる。「懲罰的損害賠償」というシステムによると新聞社が(例えば)電話盗聴のような加害行為を行って裁判にかけられた場合、実際の損害賠償に上乗せして支払うことを命じられるもので、NPRに入っていないとそのような意味で損をすることになる。
NPRの機関としての性格は「ロイヤル・チャーターに基づいて設置される」(would be set up by a royal charter)となっている。法律によって設置され政府機関ではないし、これまでの業界団体による自主規制機関である報道苦情処理委員会(Press Complaints Commission:PCC)とも異なる。「女王陛下の特許状」によって設置されるもので、その意味では英国の大学やBBCと同じ資格を持っている。いわゆるお役所ではないけれど、法律でその存在が保護されており、これを廃止するためには下院・上院の両方で3分の2以上の賛成を得る必要がある。
NPRに対する新聞・雑誌社の反応は当然のことながら芳しいものではない。新聞ではどちらというと保守的なTelegraph、Daily Mailのグループ、それにマードックのNews International傘下のThe SunやThe Timesなどが断固反対、Daily Mirrorもあまり乗り気ではないし、Guardianも否定的。唯一、リベラル派のThe Independentだけが社説で賛成の態度を示しています。雑誌の有名どころとしては保守派のSpectatorや左派的なNew Satesmanそれと辛辣なユーモア時評で知られるPrivate Eyeなどがこれに加入する気がないと断固反対、The Economistも同じ歩調です。
The Economistは、この新しい規制機関に反対する理由として
- 自由な報道によって社会が獲得するものと、大衆紙が時たま無防備の市民を傷つけることによって社会が失うものを比べれば、前者の方が大きいはずだ。
We believe society gains more from a free press than it loses from the tabloids’ occasional abuse of defenceless people.
ということを挙げている。別の言い方をするならば
- 英国の新聞は必ずしも申し分のない記録ばかりを残してきたわけではない。法律違反をしたことはあるし、無実の市民を犠牲にしたこともある。しかし新聞はまた何度も何度も政治家のウソや無能ぶりを暴いてきたこともあるではないか。
Fleet Street does not have an impeccable record. It has broken the law and victimised innocent people. But it has also, time and again, exposed the lies and incompetence of politicians.
となる。
で、「世論」はどうなっているのかというと、新聞や雑誌による報道活動を自主規制ではなく、別の機関を設けて規制するというやり方についてYouGovという組織が調査したところ、新しい制度に賛成が43%、反対が27%で、普通の人々の間では支持する声が多いように見えるのですが、「よく分からない」(not
sure)という答えが30%もある。ただ新聞による誤報があった際の謝罪の仕方について、新しい制度では謝罪文の掲載はもちろんのこと、どのページに掲載するのかについても規制機関の命令に従わなければならないことになっているのですが、それについては「支持する」が81%なのに対して「反対」はわずか6%、「分からない」も13%とぐっと少なくなっています。
▼Telegraphによると、英国では318年前の1695年に、それまで存在した新聞発行の免許制度が廃止されたのですね。300年にわたる「報道の自由」をギブアップすることへの抵抗が非常に強いわけですが、そのTelegraphでさえも、新聞業界の自主規制機関であったPress Complaints Commissionが市民の支持を得ていない(no longer commands public support)ことを認めざるを得ない状況であるということです。
▼今回の状況の発端となったのは大衆紙による電話盗聴スキャンダル事件だったのですが、キャメロン首相が調査委員会を設けたのは、その後、新聞記者と警察や政治家との癒着の例がいろいろと暴露されてからのハナシです。キャメロンはロイヤル・チャーターによるメディア規制には乗り気ではなかったのですが、連立相手の自民党と労働党が大いに乗り気だったことで、押し切られた形になっており、それだけに特に保守党系のメディアからは叩かれている。
▼日本の新聞が電話盗聴のようなことをやったということは聞いたことがないけれど、画一報道による合法的な人生破壊はある。松本サリン事件で犯人でもない人を犯人扱いしたのもその一つ。もう一つ、10年ほど前に高遠菜穂子さんという女性らがイラクで人質になったときに、新聞やテレビがいっせいに「自己責任」という外務省の言い分を鵜呑みにして人質になった人たちを非難した。先日テレビを見ていたら、高遠さんが最近でもイラクで日本人による医療支援にかかわっていると報道していました。メディアによるリンチによくぞ耐えたものです。日本人の鑑(かがみ)ですね。
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5)「電波利用料」って何なの?
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自民党の河野太郎衆議院議員の事務所から送られてくる「マンスリーニュースレター」の3月号に「電波利用料」という見出しの記事がありました。放送局が使っている電波は総務省が管理しており、テレビ局は電波利用料を総務省に払って放送と言う事業を展開しているわけですが、河野議員のニュースレターによると、
- 私(河野議員)の問題提起を受けて柴山昌彦総務副大臣が渋る総務省の官僚を説得し、各テレビ局の支払っている電波利用料の金額が公表されました。
とのことであります。
ここをクリックすると日本中のテレビ局が払っている電波利用料の金額とそれぞれの局の営業収益(いずれも平成23年度)なるものを見ることができるのですが、いくつかピックアップすると次のようになります。
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電波利用料 |
営業収益 |
NHK |
18億6700万円 |
6945億7700万円(372) |
日本テレビ |
4億1900万円 |
2648億2000万円(632) |
TBS |
4億1600万円 |
2085億8100万円(501) |
北海道放送 |
2290万円 |
113億5400万円(495) |
中日放送 |
8060万円 |
292億4200万円(362) |
関西テレビ |
8950万円 |
614億6800万円(686) |
中国放送 |
1800万円 |
98億2600万円(545) |
山口放送 |
1560万円 |
57億2800万円(367) |
鹿児島テレビ |
1030万円 |
57億2800万円(367) |
河野議員は国民の財産である電波を独り占めしている対価としては「安すぎるのではないでしょうか」と言っています。「営業収益」の後ろの( )内の数字は電波利用料に対する倍数です。例えば日本テレビの営業収益は電波利用料の632倍ということです。関西テレビはすごいですね。約9000万円の利用料で686倍の収益を上げているのですから。総務省に約1億円払って614億円の収入を得ているということですよね。差引は613億円。この中から人件費や番組制作費等々、いろいろなお金が出ていくのは分かるけれど、テレビ局が作っている番組があの程度のものなのだから、ずいぶんぼろい商売だと思いませんか?
総務省のサイトに外国の例が出ているのですが、極めて分かりにくい日本語が使われているので、口惜しいけれど私にはよく分からない。ただ自分なりに解釈するならば、英国では「通信事業者」から徴収する電波利用料の総額が310億円、アメリカの場合はその倍の620億円です。日本の場合、日本中のテレビ局が総務省に支払う使用料の総額は55億6710万円です。これが英米で徴収されている「電波利用料の総額」にあたるのだとすると、日本の放送局が相当優遇されている印象を持ちます。なぜこうも違うのでしょうか?おそらく私の理解そのものが間違っているのですよね。どなたか教えてくれません?
▼河野太郎さんのニュースレターによると、各局が払っている電波料金を公表するについては柴山昌彦総務副大臣が、河野さんの問題提起を受けて「渋る総務省の官僚を説得」したのだそうです。なぜ総務省の官僚は渋る必要があったのでしょうか?これを公表すると総務省にとってどのような支障が出てくるのか?「放送業界と官僚の癒着構造だ!」ときゃんきゃん吠える趣味は私にはないけれど、このような疑問には答えて欲しい。
▼河野議員の「ニュースレター」はかなりの数の人に送られており、その中には新聞や放送関係の人もわんさといるはずです。私、気になって、この電波利用料のことを主要新聞が報道しているのかどうかネットをあたってみたのですが、それらしい記事は見当たりませんでした。自分の調べ方が十分でないのかもしれないと思って、あるジャーナリストにも聞いてみたのですが、その種の記事は自分の読む新聞に関しては掲載されていないとのことでした。
▼ということを別のジャーナリストに話したところ、「新聞と放送は同じ系列の会社が経営しているのだから、お互いの不利になるようなことは報道しないはず」とのことだった。「あんた、いい年してそんなことも知らなかったの?」と嘲笑されてしまったわけです。そうなのでしょうか?誰か教えてください。
▼前回のむささびの鳴き声で、日本のメディア業界が直面している困難について語りました。私が聴いたラジオ番組で、あるフリー・ジャーナリストが日本のメディアについて、「放送業界は電波独占を通じて、新聞業界は巨大かつ複雑なる販売体制を通じて新規企業の参入を非常にやりにくくしている」という趣旨のことを言っていた。日本のメディア産業は、自分たちが提供しているニュースの中身ではなく、メディアに伴うインフラの独占を通じて生存しているとのことであります。
▼英国では報道のやり方をめぐって新聞が世の中の攻撃の対象になっています。しかし彼らは自分たちのあり方について開放的に語り合うという作業をしている。日本のメディアの人たちはどうなのか?メディアの世界に言論の自由はあるのか?それが気になります。 |
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6)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら |
speaking out:(抗議の)声を上げる
speaking upとも言うけれど、これは「本当の気持ちを口にする」という程度の意味で、抗議云々というほどの強い意味を伝えたい場合はspeaking
outです。昔、ドイツにマルティン・ニーメラー(Martin Niemoller)という神学者がおり、ナチに抗議する次の詩で知られています。もちろん原語はドイツ語です。
First they came for the communists, and
I didn’t speak out because I wasn’t a communist.
Then they came for the trade unionists,
and I didn’t speak out because I wasn’t a trade unionist.
Then they came for the Jews,
and I didn’t speak out because I wasn’t a Jew.
Then they came for me
and there was no one left to speak out for me.
ナチはまず共産主義者を捉えに来た。
私は声を上げなかった。何故なら私は共産主義者ではなかったから。
次にナチは労働組合関係者を捉えに来た。
私は声を上げなかった。何故なら私は労働組合関係者ではなかったから。
次にナチはユダヤ人を捉えに来た。
私は声を上げなかった。何故なら私はユダヤ人ではなかったから。
次にナチは私を捉えに来た。
そして私のために声を上げる人は誰も残っていなかった・・・。 |
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7)むささびの鳴き声
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▼長嶋さんと松井秀喜に国民栄誉賞が贈られることになったと発表されたのは4月1日。なんと新聞の号外まで出たのだそうで、エイプリルフールのギャグではなかったのですね。長嶋がジャイアンツに入団したのが1958年、16年間現役でプレーをして引退したのが1974年、ほとんど半世紀も前のスターです。男の子がプロ野球の選手にあこがれる「野球少年」になるのはおよそ10才のころですよね。長嶋が巨人に入団した年に10才だった人はいま65才です。私よりは少し年下、いわゆる「団塊の世代」に属する人たちですね。
▼昨年(2012年)の総務省の統計によると「65才以上」の人口は3074万で、日本の総人口(1億2753万人)の24.1%を占めているのだそうです。全人口の4分の1ですね。ということは4分の3の日本人が、入団した当時の長嶋に胸を躍らせたような世代よりも年下であるということです。国鉄スワローズの金田正一の快速球に三振するしかなかった長嶋も、入団2年目の天覧試合において、あろうことか、わが阪神タイガースの村山実からサヨナラホームランを打ちやがった長嶋も知らない。現在の大多数の日本人が「あの長嶋」を実体験としては知らないわけです。ただ「昭和」を懐かしむノスタルジックなテレビ番組を通じてもてはやされる長嶋さんを知っているだけです。
▼4月2日付の読売新聞の社説は、「師弟の国民栄誉賞を祝いたい」という見出しで、
- 長嶋氏の受賞により、日本の球界を支えたONがそろって賞の歴史に名を連ねることになる。
- 背番号「3」に憧れ、野球を始めた子どもたちは多い。
- 「わが巨人軍は永久に不滅です」との言葉を残した74年の引退セレモニーは、今でも語り草だ.
などと書いています。
▼65才以下の日本人で「ON砲」を聞いたことがある人はどのくらいいるのか?ことし50才のお父さんは長嶋入団のときは生まれてもいない。そのお父さんにとって「背番号3=長嶋」なのか?引退した1974年の時点でようやく9才だった現在のお父さんたちが、あの「わが巨人軍は永久に不滅です!」という引退試合を「今でも語り草」だと思っているのですか?
▼今回の栄誉賞について、安倍さんの人気取りだという解説をしてくれる人がいます。その程度のことは言われなくても察しがつきませんか?はっきり言って、長嶋さんが可哀そうだと思う。入団から55年、現役引退から40年も経っているのですよ。いまさら「国民栄誉賞」なんて、カッコ悪いったら、ありゃしない。長嶋さんというノスタルジアを持ち出して大騒ぎをけしかける人たちの想像力の貧しさにも悲しくなりますね。この人たちこそ、いい加減に引っ込んでもらいたい。
▼野球といえば、4月3日、あと一人で完全試合を逃したダルビッシュ。大リーグ史上、完全試合をやった投手は23人いるのだそうですが、Sports Illustratedのサイトによると、27人目の打者で「完全」を逃したのはダルビッシュで11人目なのだそうですね。
▼なかでもすごいと思うのは、1908年7月4日(アメリカ独立記念日)、ニューヨーク・ジャイアンツのフックス・ウィルツ(Hooks Wiltse)投手がフィリーズ戦で演じた「あとひとり」ゲームです。この試合は両軍のピッチャーが素晴らしい出来で、0対0のまま9回裏フィリーズの攻撃ツーアウトで27人目の打者となったのが投手だった。この人も完封しているのだから代えるわけにはいかずそのまま打席へ。カウントは1ボール・2ストライクで次に投げた球はストライクかに思えたけれど球審のコールはボールでカウントは2-2。
▼そしてウィルツが次に投げたボールがなんとデッドボールに。これで「完全」は逃したのですが、ウィルツがすごいのは次打者をアウトにして9回は終わり、10回表に味方が1点入れたその裏のフィリーズの攻撃も無安打におさえ、完全試合は逃したものの10回投げてノーヒットノーランを達成したということです。これはなかなかないですよね。なおSports
Illustratedは、9回裏2死1ボール・2ストライクのカウントから投げた球が実はストライクだったのに球審の誤りでボールを宣告してしまったと言っています。後になって球審自身が「あれは誤審だった」と認めたのだそうです。
▼完全試合をやった日本の投手15人のリストを見ると分かるのですが、いわゆる「エース」と称される人はそれほどいないのですよね。巨人の藤本英雄(1950年)と国鉄の金田正一(1957年)くらいのもので、西鉄の西村貞朗、大洋の島田源太郎、阪急の今井雄太郎・・・どれも「二線級」ではないけれど、エースでもないという存在です。稲尾、秋山、山田、江夏、小山、村山らは入っていない。つまり完全試合というのは、まぐれでしかあり得ない(実力とは関係ない)記録だということですよね。
▼というわけで、またまた野球の季節になりました。最近の発見なのですが、野球はラジオに限りますね。テレビの画面は動きがないのでつまらない。球場へ行くと傍若無人な「応援団」がいる。ラジオはアナウンサーが常に興奮気味に話してくれるので、テレビよりも実物よりも迫力がある。「打ちました!大きい、大きい!!!」と叫んだのに実は単なる外野フライだったというケースなどエキサイティングでありますよ。それと「ここで三振は痛い、せめて外野フライくらいは打って欲しかった・・・」などというアホな解説に笑いながら耳を傾けるのもラジオのいいところです。
▼長々と失礼しました。野球のハナシになると、つい・・・。 |
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