1)フィンランドの赤ちゃんは段ボール箱で眠る?
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6月4日付のBBCのサイトに
という見出しの記事が出ていました。何のことかと思ったら、フィンランドにおける習慣として赤ちゃんが生まれると母親に子育てキットのような品々が入った段ボール箱が政府から贈られるというのがあるのだそうです。マタニティ・ボックスですね。知りませんでした。
BBCの記事によると、過去75年間続いている伝統であるとのことで、75年前(1938年)のフィンランドがどうなっていたのか、The History of Finlandというネットを調べてみたら、1937年に社会民主党と農民党の連立政権が誕生し、1939年~1940年にはソ連との間で戦争が起こっていました。1939年という年はヨーロッパにおける第二次世界大戦が始まった年であり、フィンランドは中立を宣言するのですが、ソ連軍が攻め込んできて「冬の戦争」に入り、大いに抵抗するも結局領土の10%をソ連に譲らざるを得なかった。段ボールのマタニティ・ボックスが始められたころのフィンランドは極めて苦しい状況にあったけれど、それだけに国民的団結心のようなものも強かったということかもしれないですね。
実は政府からの支給として、マタニティ・ボックスか140ユーロの現金かという選択肢があるのですが、統計によると95%のお母さんが「ボックス」を希望するのだそうです。中身が140ユーロ(約2万円)よりもはるかに価値があるモノであることが主なる理由だそうですが、例えばマットレス、寝袋、スノースーツ、ソックス、おむつ・・・記事に出ているだけでも30品は下らない。とても140ユーロでは揃えるのはムリ。しかもボックス自体がマットレスを敷いてベビーベッドにもなる。これを伝えるBBCの記者(女性)が
- 社会階級の如何を問わず、フィンランドでは多くの赤ちゃんが段ボールの安全な壁に囲まれて最初のおねんねををする。
Many children, from all social backgrounds, have their first naps within the safety of the box's four cardboard walls.
と書いています。
マタニティ・ボックスの制度が始まった当初は、低所得家庭向けのサービスであったのですが、戦後になって全ての母親候補者に与えられるようになった。これをもらうためには妊娠4か月になる前に医者に行くか公立診療所に届けなければならないという法律ができた。それによって妊娠した女性が医者や看護婦の下で保護されることを奨励するための対策でもあったのだそうです。
1930年代のフィンランドは貧しくて乳児死亡率も1000人に65人とかなり高いものであったのですが、BBCの記事はヘルシンキにある国立健康・福祉研究所(National Institute for Health and Welfare)のMika Gissler教授の話として、乳児死亡率が低くなった背景の一つとしてこのボックスの存在もあるというコメントを紹介しています。
▼最後に出てきた乳児死亡率(infant mortality rate)ですが、CIAの情報サイトによると2013年の推定として、最も高いのはアフガニスタンで1000人あたり119.41人。次いでマリ(106.49人)、中央アフリカ共和国(95.04人)などがある。このサイトには世界224カ国のランクが出ているのですが、最も低いのがモナコの1.81人、2番目に低いのが日本で2.17人となっています。フィンランドは3.38人で下から数えて12番目、1930年代のフィンランドは65人であったわけですが、それは現在でいうとウガンダ、ガンビア、ザンビアなどの数字です。英国は4.50人で上から数えて189番目です。
▼このボックスの話を知り合いのフィンランド人に確認したところ、その人は50数年前に自分が生れたときに両親がもらった段ボール箱に入っていた洗面器をいまだに使っていると言っておりました。また箱が極めて丈夫なものなので、子供が大きくなってからも物入れとして使えるので便利だとも。 |
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2)英国の不注意運転取り締まり事情
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この6月4日から英国では不注意運転手(careless drivers)に対してこれまで以上に厳しく罰金が科されることになったのだそうですね。6月6日付のThe Economist誌のブログが伝えています。例えば運転中に携帯電話を使っている、車間距離が狭すぎる、高速道路の真ん中のレーンを我が物顔でのんびり走っている・・・このような場合、これは不注意運転(careless
driving)と見なされてしまうというわけです。
その一方でパブ・チェーンの大手、JD Wetherspoonがロンドンからオックスフォード、バーミンガム方面へ向かう高速道路(M40)のBeaconsfieldというサービスステーションに支店を開くことになっており、これは同社が高速道路で営業するパブの第一号になる。これについては飲酒運転に反対するグループが「ダメ運転をを余計ひどいものにする」(this will make bad driving worse)と文句を言っている。
と、これだけ読むと恰も英国人のドライバーには不注意運転手が多いように響くかもしれないけれど、それはちょっと考えすぎだ(overblown)とThe
Economist誌のブログは述べています。運輸省(Department of Transport)が発表した昨年(2012年)第三四半期の数字によると、交通事故よる死者数は前年同期比で7%のダウン、主要幹線道路における交通事故死は9%減っている。2010年~2011年の高速道路における事故件数も減っている。実は英国における交通事故は時速20マイル(約32キロ)道路で一番増えており、その理由は自転車の利用者が多いということにあるのだそうです。「20マイル道路」というのは住宅街を走るような道路です。
The Economistの記事によると、いまから30年前の1980年、事故死したドライバーの3分の1がアルコール摂取が許容量を超えていたことが原因だったけれど、いまではこれが5分の1にまで減っている。交通事故死の原因として最も多いのはわき見運転(not looking properly)の25%、次いでスピードの出し過ぎの12%となっており、2010年の統計では飲酒運転による死亡事故は統計を取り始めてから最低を記録している。
ではなぜ飲酒運転による事故件数が減ったのか?おそらく最大の理由はそもそも英国人のアルコール摂取量が減ったということなのではないかとされています。英国ビール&パブ協会(British Beer and Pub Association)によると、2004年からの約10年間で一人あたりの飲酒量が16%減っており、飲むとしても自宅でやるというケースが増えているということもある。
さらに言うと、交通量自体が減っているのだそうですね。Inrixという会社(交通量のデータ収集を行っている)によると、2011年~2012年の1年間で交通量が19%も減ったという数字もある。ただ英国自動車クラブ(RAC)の担当者は
- 英国人の態度そのものが根本的に変わったということ。お酒の飲みすぎや飲酒運転が社会的に許容されなくなったということだ。
There’s been a fundamental change in public attitudes. Excessive drinking and driving is no longer socially acceptable.
と言っています。
▼国土交通省のサイトに「人口10万人あたり交通事故死者数の国際比較」というのが出ているのですが、それによると英国は10万人あたり3.8人で世界一少ない国(日本は4.5人で5番目に少ない)であるという数字があります。さらに死者の数を「年齢別」に分類すると、日本は65歳以上の高齢者の死者数は51%(2957人)を占めているけれど、英国では19%(412人)と極端に違います。年齢別の死者数のうち何人くらいが自分で運転していて死亡事故にあってしまったのか、歩行中にはねられたのかという数字が出ていません。
▼交通違反ドットコムというサイトによると、日本では血中アルコール濃度が0.3mg/ml以上だと「酒気帯び運転」ということにされてしまうけれど、英国の場合は0.8mg/ml以上が違反となる・・・と言っても何だか分からないけれど、私が英国でパブのオーナーに聞いたハナシでは、ビールなら1パイント(約0.6リットル)、ワインならグラス1杯までならオーケーとのことでありました。私などお酒に弱いので、ビール1パイントなんて飲めない。ただ日本の規制はあまりにもきつすぎるんでない? |
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3)安倍さんがノーベル平和賞をもらうために・・・
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6月3日付のFinancial Timesのサイトに出ていた「安倍晋三がノーベル平和賞を受けるために・・・」(How Shinzo Abe could win the Nobel Peace Prize)というエッセイについて日本のメディアではどの程度報道されていたのでしたっけ?いわゆるネットメディア(特に右翼系)ではかなりの騒ぎになっていたようなのですが・・・。エッセイはCenter for Naval Analysisという米海軍関係のthink-tankの軍事アナリスト(James Clad)と大西洋協議会(Atlantic Council)という組織の研究員(Robert Manning)の二人の名前で寄稿されたものです。基本的なメッセージは、日本が竹島を韓国に譲り渡すことで尖閣諸島では中国に対して、北方領土問題ではロシアに対して強い立場に立つことができるというわけで
- 安倍首相は(竹島問題については)勇気ある行動をとることが可能であるし、そうすべきでもある。それは彼自身の立場を劇的に強化し、東アジアという地域に変革をもたらすものとなる。
Mr Abe can and should make a bold move to dramatically improve his standing and transform the region.
とのことであります。
もし安倍さんが竹島を韓国に譲るとすると、それはかつてエジプトのサダト大統領がイスラエルを訪問(1977年)、アメリカのニクソン大統領が中国を訪問(1972年)したのと同じようなスケールの画期的な出来事であり、誰にも文句のつけようがない行動であるとされ、ひょっとすると安倍さんはノーベル平和賞の最有力候補者にもなる(a leading contender for the Nobel Peace Prize)可能性だってあると言っています。もちろん韓国人の日本観は変わるし、中国だって日本に対する考え方を再検討することになるだろうとも。
日本が韓国に竹島を譲ったりしたら、中国などはこれまで以上に尖閣要求を激しいものとするだろうという見方があるかもしれないが、
- しかしそのような(韓国に譲るという)大向こうをうならせるようなジェスチャーが東アジアの問題に解決をもたらし、日本は中国やロシアに対してより強い立場に立つことができるようになる・・・ということは容易に推察できるはずだ。
But one can just as easily see such a grand gesture clearing East Asia’s decks, enabling Japan to set out its much stronger case against China and Russia.
と二人は主張しています。
竹島問題で韓国に譲るという姿勢を示すことは、安倍さんの弱みを露呈することになるという見方については、それは弱みではなく「柔軟性」(flexibility)を見せつけるということであり、安倍さんの「勇気ある行動」は中国と同じような領土問題を抱える東南アジアの国々にとっても「柔軟性」のお手本を示すことになるではないかというわけで、
- 壮大なる戦略においては、こまごましたことを退けて本当のゲームに集中することが大切だ。安倍氏は勇気をもって竹島を返還したのちにそのことによる利益を享受するべきなのである。
In grand strategy, there is much to recommend eradicating trivial irritants and concentrating instead on the main game. Mr Abe should be bold, give the islands back - then reap the benefits.
と二人は主張しています。
▼ネットメディアではこの記事については「日本が譲る?アホぬかせ!」というような反応が多いようです。竹島を韓国にあげたらノーベル平和賞がもらえるのかどうかは分かりませんが、このエッセイで使われているgrand
gestureという言葉の意味は考えてみる必要と価値があると思います。安倍さんが竹島を韓国に譲ると宣言することがgrand gestureを示すことになり、それが尖閣や北方領土問題にとっては有利に働くとのことであります。
▼Googleの翻訳によるとgrand gestureは「壮大なジェスチャー」となって、いまいちよく分からない。ほかのネット翻訳などによると「大見得」という日本語が出てくる。何やら「ほら吹き」というイメージです。私(むささび)は「大向こうをうならせるようなジェスチャー」としているけれどそれほど自信があるわけではない。英和辞書を見ると「(意思表示としての)行為」というのと「(うわべだけの)そぶり」という全く異なる意味の日本語が並んでいます。British National Corpusという英語使い方例文集に出ていた次の例文が最もピンとくるものだった。
- Many felt that a grand gesture of statesmanship was required in relation
to Northern Ireland.
▼北アイルランド問題の解決にはリーダーシップを持った政治家としての大きな姿勢を示すことが必要であると多くの人が感じていた・・・という意味ですね。この問題は過去における英国とアイルランドの間のどうしようもない「歴史」が絡んでおり、日韓関係と似ていなくもない。いまさら「あのとき英国人がアイルランド侵略・占領などしていなければ・・・」などと言ってみても始まらない。そんなときに必要なのが政治家による「争いは止めにしよう」というgrand
gesture(大いなる意思表示)であるというわけです。
▼竹島に絡んでgrand gestureを・・・と安倍さんに求めているのはオバマ政府なのですよね。本当のところは多くの日本人もそれを感じている。日本人が本音のところで日本の政治的指導者に求めているのは、中国や韓国を相手に「なめられてたまるか!」というgrand
gesture(強がり)を示す人物ではない。 |
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4)ヘイトスピーチをヘイトする
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前回のむささびジャーナルで、5月22日にロンドンで起こった英兵殺害事件とそれに対するメディアの報道ぶりについてお話しました。実はあの事件があってから、英国では他人に対する憎しみを煽り立てるような言動(ヘイトスピーチ)を法律で取り締まってはどうかという議論が行われてきています。
警察などを司る内務省(Home Office)のテレサ・メイ(Theresa May)大臣がBBCとのインタビューの中で「胸が悪くなるような意見」(disgusting views)を披露しそうな人物が放送番組に出演することを禁止したり、インターネットを通じてヘイトスピーチを流布することを事前検閲して阻止する可能性を考えるべきだと発言したことで議論が沸騰しているわけです。ロンドン市長のボリス・ジョンソン(Boris Johnson)や保守党の重鎮もメイ大臣の発言を支持するかのようなコメントを出したりしています。
そのことに関連してティモシー・ガートン・アッシュ(Timothy Garton Ash)という歴史学者がGuardian(5月30日付)のサイトに
という見出しのエッセイを寄稿しています。「ヘイトスピーチを禁止するな。それに反論しよう。ヘイトスピーチを憎もうではないか」ということです。彼によると、ヘイトスピーチを法律で取り締まろうとするのは「非現実的・反自由主義的・近視眼的・非生産的」(impractical, illiberal, short-sighted and counter-productive)であり、自由を脅かすわりには社会に安全をもたらすこともない、とガートン・アッシュのエッセイは言っている。
メイ大臣は放送局はもちろんのことGoogleやYahooも情報を掲載する際に事前検閲をするべきだと言っているのですが、1980年代のIRAテロが盛んであったころに、サッチャー政権がテロリストの広報活動を助けるようなテレビ報道を禁止しようとしてうまくいかなかったという例を挙げて、インターネットの世の中でYouTubeの事前検閲など「できっこない」(impractical)。あのころIRAの活動家の言葉をそのまま放送することは禁止だというので、BBCなどはその部分だけ吹き替えを使ったりしたのですよね。そのこと自体が話題になって、却ってIRAへの同調者が増えたのではないかとさえ言われている。
ガートン・アッシュによると
- They would like nothing more than to be banned.
つまりテロリストたちが望んでいるのはまさに「禁止される」(to be banned)ということです。そうされることで自分たちは「反イスラムの欧米との戦いにおける殉教者」(martyrs of the Islamophobic west)とされるだけでなく、場合によっては「表現の自由の戦いにおける殉教者」(martyrs for free speech)にだってなれてしまう。
ヘイト・スピーチとの戦いは、これを禁止することではなく、あらゆるメディアが扇動者たちに戦いを挑む(to take them on)ことである。その際にジャーナリストが扇動者たちの言動そのものも含めて調査報道することは大切なことであり、これを内務大臣などに取り締まられたのではたまらないし、「何かしなければ」(something must be done)というお決まりの政治家的反応(knee-jerk reactions)は自由を守ると言いながら実はこれを侵害することに繋がる・・・と筆者は主張しています。
むささびがネットで調べたところによると、英国には公的秩序保護法(Public Order Act 1986)というのがあって、人種・皮膚の色・国籍・出生地などを根拠として憎悪感を煽るような行為は法律違反であることが謳われています。条文の一部だけ紹介してみます。
A person who uses threatening, abusive or insulting words or behaviour, or displays any written material which is threatening, abusive or insulting, is guilty of an offence if:
- (a) he intends thereby to stir up racial hatred, or
- (b) having regard to all the circumstances racial hatred is likely to be stirred up thereby.
Offences under Part 3 carry a maximum sentence of seven years imprisonment or a fine or both.
脅迫的・罵倒的・侮辱的なる言語もしくは行動をとるか、あるいは脅迫的・罵倒的・侮辱的な文書を開示する人物は次のような場合には有罪となる。
- (a) 当該人物がその行為によって人種的な憎悪感を扇動する意図がある場合
(b) あらゆる状況を考慮に入れて、当該人物の行為によって人種的な憎悪が引き起こされる可能性が高いと認められる場合
上記のような場合は、最高7年間の禁固刑もしくは罰金刑、あるいはその両方に処せられるものとする。 |
この法律は2008年に改正され、人種にまつわる侮辱に加えて性的傾向にまつわる侮辱行為も有罪の理由になるとされています。昨年2012年1月20日付のGuardianに、ダービーで暮らすイスラム教徒が同性愛者を侮辱かつ脅迫するような文書を配布したことで有罪判決を受けたという記事が出ていました。「憎悪扇動行為」そのものがなされたのは2010年のことです。
このイスラム教徒たちが近所で配布した反同性愛パンフレットには次のような見出しが大々的に印刷されていたのだそうです。
- God Abhors You(神は貴方たちを忌み嫌っている)
3つの単語の頭文字を繋げるとGAYになるというわけ。
- Death Penalty?(死刑もあり?)
同性愛などという反道徳的な行為を止めさせるには死刑しかないと訴えている。
- Turn or Burn:(同性愛をやめるか焼かれるかのどちらかを選択しろ)
裁判ではTurn or Burnというパンフレットを受け取った人が「自分も焼き殺されるかもしれない」と恐怖を感じたと証言したのだそうです。
ロンドンに戦略的対話研究所(Institute for Strategic Dialogue)というthink-tankがあり、そこでもヘイト・スピーチについて研究をしているのだそうで、関連組織が行っているNOTHING HOLY ABOUT HATRED(憎しみに神聖なものはない)というキャンペーンはヘイト・スピーチの温床ともなっているソシアル・メディアを使ってヘイト・スピーチを撲滅することを目標としているのだそうです。
▼テレサ・メイ内務大臣がヘイトスピーチ取り締まりを口にした際に使った「胸が悪くなるような意見(disgusting views)はどちらかというとイスラム過激主義者のことであったわけですが、英国でヘイトスピーチをやりそうな団体がイスラム関連に限られているわけではない。English Defence League(EDL)は白人優越主義者の集まりとして知られており、しょっちゅう揉め事を起こしている。この組織のサイトを見るとEDL goodsの販売までやっていることが分かります。
▼日本にも韓国人排斥運動をやっている「在日特権を許さない市民の会」なる組織があって、東京・新大久保のコリアンタウンでデモをやって「在日朝鮮人、ぶち殺せー!」などと叫んでいるらしい。NHKの報道によるとこのデモに参加していた女性は「好きな日本が(韓国に)おとしめられているのに、怒らない人がどこにいるんですか」と言い、男性参加者は、韓国人がソウルの日本大使館などに嫌がらせをしていることへの反発であるとして
- あれと同じ心境で、“だったらうちらも”ということ。韓国人街でああいうことをやることで、相手方に嫌な思いをさせる。
と言っている。
▼そうなのですよね。むささびがいつも気持ち悪いと感じるのは、この“だったらうちらも”感覚なのですよね。相手がやるから自分たちも・・・という発想。受け身で、自分たちはいつも苛められていると思い込んでおり、自分たちが誰かを苛めているかもしれないなどとは絶対に考えない。
▼6月4日付の毎日新聞が「ヘイトスピーチ 憎悪の連鎖断ち切ろう」という社説を掲載しているのですが、何だか迫力不足です。例えば次のような記述。
- ヘイトスピーチは、国際化社会を担う子供たちにも悪影響を及ぼす。共生すべき外国人に対する偏見や、排外主義的な感情を助長させかねないからだ。
▼ヘイトスピーチは「国際化社会を担う子供たちにも悪影響を及ぼす」から悪いのではない。相手が外国人であれ、日本人であれ「ヘイト」してはいけないのです。ヘイトはヘイトしなければならないのです。それは中国人や韓国人が自分たちの街で反日デモをやってもやらなくても関係のないハナシです。小学校で英語を教えるとか、「国際的素養を育てるスーパーグローバルハイスクール」なんてことを考える暇があるのなら、“だったらうちらも”人間だけは作らない教育をちゃんとやれ、と言いたい。
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5)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら
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nepotism:縁者[知己]びいき
「縁者[知己]びいき」というのは私の英和辞書に出ていた日本語訳です。仕事を見つけたりするときに個人的なコネによって有利な扱いをしたりすることです。大体が家族のようですが、就職のときの「縁故採用」などもこれにあたります。
最近の世論調査によると、
- I would use my personal contacts to help my children get a job.
自分の子供が職に就くためなら個人的なコネを使うこともあるだろう。
と答えた人が英国人の84%にのぼったのだそうですね。そんなことするのは社会的に許されないと答えた人は7人に一人だった。
BBCの人気テレビ番組にDragon’s Denというのがある。隠れた起業家(entrepreneur)を見つけようという趣旨の番組で、挑戦者が自分のビジネスのアイデアを持ち込み、資金を投資してくれそうな金持ち相手に説明する。いろいろと質問攻めにあうのですが、投資家たちの説得に成功すると優れた起業家として認められるという「社会派娯楽番組」です。まさにアイデアとやる気だけが勝負でnepotismなど入る余地がない・・・はずだった。
結構見られている人気番組(だったと思う)なのですが、優れた起業家としてこの番組で審査員のひとりだったジェームズ・カーン(James Caan)という人が最近、キャメロン政府のアドバイザーに就任した。実はこの人は昔この番組に出演して、起業家精神を大いに褒められたという実績がある。彼はラジオ番組でのインタビューなどでも
- 自分が何をできるかということよりも、誰を知っているのかということによって職を得ることができる社会は望ましくない。
I don’t think it's good to create a society where people get jobs based on who you know rather than what you can do.
などと言っておきながら、自分が経営する人材派遣会社に自分の娘を採用したことを新聞に書かれてしまった。「あんたこそnepotismじゃん」というわけですね。これに対してカーン氏は、娘が入社したことに自分がかかわっていたことは認めながらも「厳重な審査の結果採用されたもので、依怙贔屓(えこひいき)なんかじゃない」と主張しているそうです。
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6)むささびの鳴き声
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▼6月9日付の朝日新聞のサイトに、安倍首相が新聞・テレビ・雑誌などの単独インタビューに次々と登場しているという記事が出ていました。記事によると、東京に本社がある、いわゆる「全国紙」はすべてインタビューしているし、テレビについても「NHKを含む全在京キー局で単独インタビューや生出演に応じている」のだそうで、「都合良くメディアを使っているなと感じる」 というテレビ局の関係者のコメントが紹介されています。こんな首相は安倍さんが初めてだそうです。
▼それにしてもなぜ今までの首相の地位にある人は単独インタビューをやってこなかったのでしょうか?首相を取材するのは、主に「内閣記者会」という記者クラブに加盟している社の記者らしいのですが、朝日の記事は次にように書いています。
- 内閣記者会は加盟社間の申し合わせで、首相の単独インタビューを原則自粛してきた。首相側によるメディアの選別を防ぐとともに、記者会見やぶら下がり取材など日々の首相取材を制限する口実になりかねないとの考えからだ。
▼つまり首相がメディアと単独インタビューをしてこなかったのは、首相がイヤがったからではないのですね。「首相側によるメディアの選別を防ぐ」ということは、首相がなんらかの理由で特定の新聞やテレビ番組とばかりインタビューをするようなことがないようにするということですよね。だったらみんながやらないのが「公平」でいちばんいい。その代り「記者会見」や「ぶら下がり取材(立ち話風形式)」ということにすれば「みんなハッピー」ということです。田原総一朗さんの意見では、
- マスコミが現職首相への単独インタビューをしてこなかったのは、「記者クラブ」の前時代的ルールに過ぎない。
ということになる。
▼要するに「内閣記者会」という世界の人々が「単独行動は止めましょう」という申し合わせをしていたってことですね。その結果として、視聴者や読者は、フォーマルな記者会見か時間のむだとしか思えない「立ち話」を通じてしか首相の声を聞くことができないということが続いていた。メディアの世界の人たちは「でもお互いに公平なんだからいいんでない?」と考える。つまり自分たちの間の公平・不公平が問題であって、その結果として、面白くもなんともない記事や報道を見せられる読者や視聴者がどのように感じているかは二の次なのですね。
▼朝日新聞の記事によると、今年1月初め、安倍さんが内閣記者会に対して単独インタビューを積極的に行う意思があることを伝えた。それに対して内閣記者会は「メディアの選別や会見回数の制限をしないよう求めた上で」それまでの自粛を解除したのだそうです。
▼首相がどのメディアと会おうが、月に何回記者会見を開こうが、それは首相が自分の政治的利害に沿って決めることであって、メディアにとやかく言われる筋合いはない・・・という(むささびの)感覚は間違っていますか?首相が同じ新聞やテレビ番組とばかりインタビューをした場合、その新聞やテレビを見ない人たちには自分のメッセージが伝わらないという可能性がある。さらにインタビューの対象に選ばれないメディアが首相の依怙贔屓を批判する記事を掲載したら安倍さんの政治的利害はどうなるのか?特定の新聞とのみインタビューをすることは安倍さんにとって損なのであり、その程度のことは安倍さんでなくても分かるのではないのですか?
▼で、自粛解禁にともなって朝日新聞はどうしたのか?「内閣記者会の新たな申し合わせに沿って」インタビューの日程を決めたのだそうです。相変わらず内閣記者会という組織は加盟社間の「申し合わせ」などという団体行動を大事にしているのですね。そして安倍さんが「積極的にインタビューに応じますよ」と言った途端に全部の新聞やテレビが首相の希望に沿ってインタビューをやってしまう・・・これも集団心理としか思えない。「よそがやるのならウチも」という、あれ。いい大人のやることとは思えませんね。どこか一社くらい「うちはインタビューなどして、あんたのメッセージ伝達のお手伝いをする気はない」ということを宣言するところが出てきてもいいのに・・・。他と異なることがそれほど怖いのでしょうか?
▼今回もお付き合いをいただきありがとうございました。 |
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