musasabi journal

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277号 2013/10/6
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

昨年はさっぱりだった柿の木がいまやウハウハ大豊作です。そこで干し柿を作るべく、皮むき器を使ってやっていたら手が滑って指を切ってしまった。妻の美耶子のコメントは「ピーラー(皮むき器)でやって、どうやって指が切れるの!?」というものでした。そんなこと、知るかっつうの!

目次

1)「選挙で勝てば」ガス・電気料金は凍結・・・
2)父は英国を愛していた!
3)サッチャーさんがモスクワ五輪ボイコットに失敗した理由
4)長時間労働の生産性
5)1979年という年
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声


1)「選挙で勝てば」ガス・電気料金は凍結・・・
 

英国では次なる総選挙が2015年5月に行われることが決まっていますが、今年の9月末から10月初めにかけて主要政党の大会が開かれ、それぞれが次なる選挙を意識して政策提言を行っています。良くも悪くもこれまでのところ最も注目されているのが、労働党のエド・ミリバンド党首が提唱したエネルギー料金の凍結案です。9月24日の大会で発表されたもので、次なる選挙で労働党が政権に就けば、最初の20か月間は電気・ガス料金を凍結すると約束した。ミリバンド党首によると、この政策が実施されると典型的な家庭にとって年間120ポンドの値下げということになるのだそうです。

英国の場合、British Gas、EDF、E.ON、npower、Scottish Power、SSEが6大エネルギー供給会社(utilities)で、どれも電気とガスの両方を消費者に提供しています。もし労働党が政権を奪取してミリバンド党首の約束通りの料金凍結を実施したとすると、6大企業全体の損失は45億ポンド(約6000億円)程度と言う人もいるし70億ポンド(約9000億円)という人もいる。

英国ではガス代や電気代が高すぎるという不満がある。The Economistによると、過去3年間で30%も値上がりしたのだそうですね。30%というのは大きい。原料代が上昇すると直ちに料金の値上げがあるくせに、原料の価格が下がっても料金に反映されるまでに余りにも時間がかかり過ぎるという声もある。つまり企業が「儲けすぎている」(profiteering)というわけです。

ただThe Economistの指摘によると、英国の電気料金は他のヨーロッパ諸国と比較してもそれほど高いわけではない。eurostatの資料によると2012年における100キロワット/時の電気料金は英国が17.9ユーロで、EU全体の平均(19.7ユーロ)よりは安いし、デンマーク(29.7)、ドイツ(26.8)、ベルギー(22.2)のように英国よりも高い国も結構ある(フランスは14.5ユーロでかなり安い)。

ミリバンド党首による価格凍結策について、エネルギー企業は(当たり前ですが)カンカンに怒っておりまして、そのような政策を実施すると、失業は増えるし停電は起こるしで、大変な混乱を引き起こすと言っており、British Gasの親会社である多国籍企業のCentricaなどは「英国を引き揚げる」(to leave the country)と脅しみたいなことを言っている。

The Economistによると、英国の発電事情は案外楽でないようですね。エネルギー・気候変動省の数字によると発電エネルギー源の中でも最も大きな比重を占める石炭火力発電所の中で間もなくオフラインになるところがあるのですが、それに代わるものが足りないというわけで、来年(2014年)の冬あたりから約3年間は発電能力がかなりきついものになると予想されている。そのためにも発電業界に対する投資が必要なのですが、それがミリバンド発言によって水を浴びせられたような雰囲気になっている。
▼この凍結案が妥当なものなのかどうかは分からないけれど、単なる人気取りでいい加減な提案をすると却って逆効果になるのだから、労働党にしてみればそれなりの成算はあるのでしょうね。2015年、選挙が迫った時点で労働党が勝ちそうな雰囲気だったら、6大企業の方で「凍結」を見越して値上げをやるかもしれない。そうなると、消費者の不満が大企業の「横暴」を制御できない現政権の方へ向かう可能性もある。

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2)父は英国を愛していた!
 

電気・ガス料金の凍結もさることながら、このところ労働党のミリバンド党首といえばもっぱらDaily Mail紙との大ゲンカがメディアの話題をさらっています。この件はどの程度日本のメディアで伝えられているのでしたっけ?ことの起こりは9月27日付のDaily Mailのサイトに掲載された記事です。ミリバンド党首の父親であるラルフ・ミリバンドについて次のような太字の見出しの記事が掲載された。
  • The man who hated Britain: Red Ed's pledge to bring back socialism is a homage to his Marxist father. So what did Miliband Snr really believe in? The answer should disturb everyone who loves this country
  • 英国を憎んでいた男。アカのエドが社会主義を取り戻す誓いを立てているのはマルクス主義者であった父親に対する敬意と忠誠心のなせるワザなのである。で、父・ミリバンドは実際には何を信じていたのだろうか?それ対する答えを知れば、この国を愛する者ならだれでも驚くに違いない。
ミリバンド党首の父親(1994年に死去)は、第二次大戦中の1940年にナチの迫害から逃れてベルギーから英国へやってきたポーランド系のユダヤ人。マルクス主義者のインテリで、どちらかというと穏健社会民主主義路線の英国労働党には批判的だった人だとされています。英国ではロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で学んだだけでなく教えたこともある。ウィキペディア情報ですが、LSEの学生であったころにはマルクス主義の政治学者、ハロルド・ラスキ(Harold Laski)の下で学んだ、いわば生粋の左翼知識人だった。夫人も社会主義者で、エド・ミリバンドは幼いころから、両親を訪ねてくる英国の左翼インテリたちが繰り広げるディスカッションを聞きながら育ったような環境であったそうです。

で、Daily Mailでありますが、上に紹介した長々とした見出しでも分かるように、ミリバンド党首の父親は共産主義者で、英国が大嫌いな人物であったというわけで、その証拠としてラルフ・ミリバンドが17才のころに書いた日記の中に次のようなくだりがあったことを挙げている。
  • 英国人(イングランド人)はおそらく世界で最もナショナリズムの強い人たちだろう。世の中の現実を分かるためには、いっそ英国がこの戦争(第二次大戦)に敗れればいいとさえ思うくらいだ。
    the English were "perhaps the most nationalist people in the world... you sometimes want them almost to lose [the war] to show them how things are".
というわけで、Daily Mailの記事は英国を愛する人間ならそんな父親の影響を受けて育った人物が率いる労働党なんて支持しませんよね、というニュアンスのメッセージを延々書きまくった。それだけではない。サイト上ではラルフ・ミリバンドのお墓(grave)の写真をでかでかと掲載したうえで、キャプションで "grave socialist" (深遠なる社会主義者)とうたったりしている。

この記事を読んでカンカンに怒ったミリバンド党首がまずやったことは、自分のツイッターで
  • My dad loved Britain, he served in the Royal Navy and I am not prepared to allow his good name to be denigrated in this way.
  • 父は英国を愛していた。海軍で兵役についていたこともある。このような形で彼の名前を汚すような行為は絶対に許さない。
というメッセージを発信。これがメディアというメディアに取り上げられて大騒ぎになっているというわけであります。Daily Mail側はというと、ラルフ・ミリバンドのお墓の写真を使ったのは不謹慎だったかもしれないというので謝罪してこれをサイトから削除したけれど、記事そのものは間違っていないと主張して真っ向から対立して現在に至っている。

Daily Mailはもともと保守派の新聞だから、労働党に難癖をつけるような記事を大々的に掲載するのはさして不思議なことではないけれど、わずか17才の時に書いた日記の中で当時の英国を批判したからと言って、ラルフ・ミリバンドが「英国を憎んでいた」とするのはやり過ぎで、保守派のThe Economistでさえも、この父親がマルクス主義者だったことを非難するのなら、
  • 社会主義者だって愛国者であり得る。ジョージ・オーウェルを見よ。
    Socialists can be patriots: look at George Orwell.
とDaily Mailを批判したりしている。

このケンカがどのような形で収まるのか分からないけれど、Daily Mailがこの記事によってミリバンド党首の人気下落を狙ったのだとしたら逆効果が出てしまっている。つまりエド・ミリバンドは父親をかばって、下劣な大衆紙と戦っているというイメージが広がっているということです。

Daily Mailは英国の全国紙としては、The Sunに次ぐ発行部数、サイトの読者数ではダントツのトップという人気を誇っており、政治家がいちばん敵に回したくない新聞(the most fearsome enemy a politician can make)とも言われているけれど、このケンカ騒ぎに関する限り「アホみたいに見える」(this row has made it look foolish)と、The Economistは言っています。

▼英国のNational Readership Survey (NRS)という機関のサイトを見ると月単位の新聞の読者数が出ています。最も新しい数字は今年3月のものなのですが、紙の新聞の読者数のトップはThe Sunの約1420万人で第2位のDaily Mailは約1117万人となっています。両方とも保守派で、The Sunは大衆紙、Daily Mailは中間紙というカテゴリーに入るけれどセンセイショナリズムという意味では大して変わらない。NRSの統計にはそれぞれのウェブサイトの読者数も出ているのですが、ここではDaily Mailが990万人でThe Sunの460万人をかなり引き離している。

▼いずれにしても、この大騒ぎはいったい何なのでありましょうか?と言いたくなる。非常に斜に構えた見方からすると、ミリバンドが大騒ぎをするのは、人気凋落の党首による選挙のための点数稼ぎと言って言えなくはないけれど、こんな個人的なケンカにBBCを始めとするメディアがこぞって大騒ぎというのは、どこかおかしいんでない?

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3)サッチャーさんがモスクワ五輪ボイコットに失敗した理由
 

1980年にモスクワでオリンピックがあったのですが、アメリカ、日本、韓国、西ドイツなど30か国が、前年に起こったソ連のアフガニスタン侵攻に抗議してこれをボイコットしたことはご記憶ですよね。英国ウォッチャーなら絶対にご記憶のことと思いますが、英国もボイコットに加わるはずだったのですが、実際には西側主要国では最大となる219 人から成る選手団が参加した。

ベルファストのクイーンズ大学のポール・コーソン(Paul Corthorn)教授が
というエッセイの中で語っているところによると、このボイコット失敗は政権発足から1年のマーガレット・サッチャーによる国内的な「政治的敗北」であり、国際的にはソ連との冷戦で「ソフトパワー」を駆使することに失敗した出来事だったのだそうです。「ソフトパワー」というのは米国ハーバード大学のジョセフ・ナイ教授が提唱したもので、武器に頼るのではなく、その国が持っている社会的な価値観、文化的な存在感などによって他国に好意的に迎えられることで影響力を発揮しようとするものです。

モスクワ五輪のボイコットは西ドイツの駐NATO大使が提案したものなのですが、英国のキャリントン外相が大賛成、サッチャー首相も五輪ボイコットというジェスチャーは「ソ連にとって大きな痛手となるだろう」(the gesture that would hurt the Soviet Government most)というわけで、1980年1月17日の閣議で決めてしまった。モスクワ五輪開催(7月19日~8月3日)の半年前のことです。いわば「武器を使わずに」ソ連をやっつけようというもくろみだった。

ただ五輪参加は最終的には英国五輪委員会(British Olympic Association:BOA)が決めることであり、政府の影響力行使には限度がある。キャリントン外相は、BOAの説得について政府はを慎重に事を運ぶ必要があると首相に警告していた。それでもサッチャーさんはBOAが必ず自分の説得に応じると楽観的に考えて、BOA会長のSir Denis Follows宛てに手紙を送り、その中で五輪の開催地を変更することをIOCに提案するよう要請した。これが閣議決定から5日後の1月22日。しかし会長から返ってきた返事は「モスクワは開催地としての必要事項をすべて満たしている」(Moscow had fulfilled all of its technical requirements)というのがIOCの見解であり、BOAがこれを変えることは出来ないというものだった。

で、サッチャーさんは明らかに越権行為と思われるやり方でBOAに対してプレッシャーをかけ始める。まず五輪参加選手への国としての経済援助は一切行わないという声明を出す。それまでのやり方では、五輪参加にあたってBOAが行う資金集めで足りない部分を政府がスポーツ協議会(Sports Council)という政府機関を通じて資金援助を行っていた。これを一切やらないと明言したわけです。それだけではない。サッチャーさんは、モスクワ五輪に参加する選手のうち公務員や軍人に対しては特別有給休暇を与えない(no special paid leave would be granted)と宣言した。

が、サッチャー政府からの強力なプレッシャーにもかかわらずBOAはIOCからの参加要請を正式に受け容れたことを明らかにした。これが3月の末、五輪開催の3か月半前のことだった。

モスクワ五輪のボイコットについては、国内世論的には賛成意見もかなりあったのですが、BOAに対するサッチャー政府の圧力のかけ方に対しては反発が高まっていた。日頃は社会主義国の政府の横暴に非を鳴らしておきながら自分たちも「ソ連方式」の国家権力の使い方をしているというもので、Daily Mail紙はボイコットに賛成であったのに次のような社説まで掲載する。
  • いろいろな政府がある中で、こともあろうにこの政府、即ち共産主義の隷属制度を忌み嫌っているはずのこの政府のやろうとしていることはとても許されるものではない。全体主義的な鞭打ちによって英国のアスリートたちを保守党の言いなりにさせようとしているのだ。
    it was 'intolerable that this Government, of all Governments - a Government that abhors Communist serfdom - should now seek to make British athletes jump to the Tories' bidding by what is no more or less than a crack of the totalitarian whip'.
そうこうしているうちに英国内の左派勢力が五輪ボイコットを訴えるようになってしまった。彼らの場合はサッチャーとは全く異なりソ連国内における政治犯に対する人権抑圧政策に反対するものだった。そしてボイコットの本来の理由であったはずのソ連によるアフガニスタン侵攻というアングルが完全にぼけてしまった。

コーソン教授は、サッチャーがボイコットに失敗した理由について、国民世論を味方につけるだけの説明が不足していたことを挙げているのですが、当時はThe Timesが「政府はまともな説明をしていない」(the government did not make the best of their brief)と主張し、The Sunday Telegraphも「コミュニケーションの失敗」(failure of communication)という社説を掲載しています。
  • 罪を犯してもいないのに罰が与えられ、アスリートたちが個人的な犠牲を強いられるのはアンフェア(不公平)だというボイコット反対論との戦いはサッチャー政府にはきつすぎたのだ。
    The government faced an uphill struggle against the objection that the proposed boycott was a punishment remote from the crime and that it was unfair to expect athletes to make major personal sacrifices.
と教授は言っている。

ある国が別の国のやることを承認しないということを戦争によらずに明確に意思表示するための行為としてのボイコットはそれなりに意味があるけれど、そのためには関係機関との良好な関係としっかりしたメディア戦略が必要である、と教授は言っている。モスクワから4年後の1984年に行われたロサンゼルス五輪をソ連がボイコットしたことは、アメリカによるモスクワ五輪ボイコットへの仕返しの意思表示として最も良く知られている。

サッチャーさんについていうと、モスクワ五輪の6年後にエディンバラで開かれた1986年英連邦スポーツ大会(1986 Commonwealth Games)への参加を多くのアフリカ、カリブ海、アジア諸国がボイコットしています。人種隔離政策を続ける南アに対する経済制裁にサッチャーが反対していることが理由だった。

▼実際のモスクワ五輪では英国選手は男子1500メートルのセバスチャン・コー(Sebastian Coe)ら5人が金メダル、銀メダルが8個、銅メダルが9個という成績だった。ただ表彰式では英国国旗ではなく五輪旗が掲揚され、金メダリストの表彰でも英国の国家ではなく五輪賛歌(Olympic anthem)が演奏された。セバスチャン・コーはモスクワ五輪の42年後に開かれた2012年のロンドン五輪の招致委員長を務めたのですよね。

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4)長時間労働の生産性

 

The EconomistのサイトにあるFree Exchangeというブログに労働時間に関する記事が出ています。基本的なメッセージは長時間働けばいいってものではないということなのですが、「富める国の集まり」(a club of rich countries)であるOECDのデータによると、2000年と2012年を比較した場合、ほとんどの国で労働時間が短くなっているのですが、より生産性が高くて給与も高い(more productive and better-paid)国の方が労働者の労働時間が短くなっています。ヨーロッパにおけるギリシャとドイツを比較するとよく分かります。ギリシャの労働者の平均労働時間(1年間)が2000時間を超えるのに対してドイツの場合は1400時間、なのに生産性(productivity)はドイツの方が70%も高いのだそうです。


The Economistのブロガーが提起している問題は、人間というものは、お金を稼ぐとそれだけ働く気も無くなるものなのか?ということなのですが、これには答えが二つあり得る。給料が高いともっと働いてさらに稼ぎたくなるというのが一つ。もう一つは収入が増えると自分の楽しみに時間を使いたくなるのが普通だから、労働時間を短くしたくなるということ。

ドイツとギリシャの例のみならず、労働時間が短い人は長い人よりも生産性が高いという考え方は決して新しいものではない。アダム・スミスの『国富論』によると、
  • コンスタントに仕事ができるようにゆっくりと働く人間は、最も長い期間にわたって健康を維持する人間でもあり、結局のところ最大量の仕事をこなす人間でもある。
    The man who works so moderately as to be able to work constantly, not only preserves his health the longest, but in the course of the year, executes the greatest quantity of works.
なのだそうです。つまりあまり長時間働くと、それで病気になって仕事そのものができなくなったりするのだから、ほどほどに(moderately)した方が生産性が高いと言っているわけです。

ただちょっと古いけれど、アメリカのNational Bureau of Economic Researchという機関のペーパーによると、1979年~2002年の約20年間で、高収入の労働者の長時間労働の頻度が14.4%増えているのに対して低収入の人々の場合は6.7%減っている。アメリカでは20世紀前半には労働時間が減っていたけれど、1970年代からこれが逆転、週50時間労働の人々が増え始め、1980年には14.7%、2001年には18.5%にまで増加している。特に高学歴・高所得者の場合にこの傾向が顕著なのだそうです。

The Economistのブロガーは、「労働時間を短くした方が生産性が上がるかもしれない」(Working less may make us more productive)と言っている。「かもしれない」というのはおっかなびっくりという雰囲気ですが、どちらかいうと長時間労働には反対のようで昔の賢人によるコメントとして、哲学者のバートランド・ラッセル(Bertland Russell)がIn Praise of Idleness(怠惰を称える)というエッセイの中で語っている
  • (短時間労働の世界では)神経のイライラ、疲労感、胃弱などではなく幸福と人生の喜びが保障される。
    there will be happiness and joy of life, instead of frayed nerves, weariness, and dyspepsia.
という言葉とジョン・メイナード・ケインズ(John Maynard Keynes)が1930年に書いたEconomic Possibilities for our Grandchildren(孫たちのための経済)というエッセイの中言っている
  • 一日3時間、週15時間労働にすれば世の中の問題は当分の間、先延ばしすることができるだろう。何故なら一日3時間もあれば、人間の欲望を満たすには十分の労働だからだ。
    Three-hour shifts or a fifteen-hour week may put off the problem for a great while. For three hours a day is quite enough to satisfy the old Adam in most of us!
という言葉を紹介しています。

▼非常にお恥ずかしいのでありますが、むささびには「生産性」(productivity)という言葉の意味がいまいちピンと来ていないというわけで、ウィキペディアの知恵を借りると次のように書いてある。
  • 「生産性」はより少ない労力と投入物(インプット)でより多くの価値(アウトプット)を産みたいという人間の考えから生まれてきた概念である。
▼「投入物」などという言葉を使うからよく分からなくなるけれど、要するにAという人が、2時間働いてジャガイモを100個掘り出すのに、Bは50個しか掘れないという場合、Aの方がBよりも生産性が2倍高い・・・ということですよね。ね?で、その生産性を高めるために画期的な農機具を開発、なるべく手ごろな値段で売ろうとする。その農機具開発もコンピュータでやるのと、図面を手で描くのでは生産性が異なるし、これを売るのにもいろいろとやり方があって・・・ということですよね。ね!?

▼テレビを見ていたら日本の「ブラック企業」における悲しい労働者自殺のハナシをやっていました。私が知っている、あるインテリが「日本では兵隊は素晴らしいのに指揮官がダメなのだ」と嘆いていたことがあります。その人は素晴らしい兵隊さんの例として宅急便の配達員のことを挙げていた。確かに日本の宅急便のサービスはすごいけれど、そのためにひょっとすると、とてつもない労働条件の下で働いたりしているのではないか、と考えたくもなる。それで自殺ではあまりにも悲しすぎる。東洋経済のサイトに「ブラック企業のトンデモな実態」というインタビュー記事が出ています。

▼「日本では兵隊は素晴らしいのに指揮官がダメなのだ」と教えてくれたインテリ氏ですが、ご本人も立場的には「指揮官」そのものだった。なのに自分もダメな指揮官の一人であると思っていたのか、もし思っていたとして何故それほど「ダメ」だったのか・・・などについては全く語らずで、自分以外の指揮官批判に終始していた。指揮官になりそこなったむささびとしては余り納得が行かなかったというわけよさ。

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5)1979年という年
 

London Review of Books (LRB)という書評誌のサイト(9月26日付)にケンブリッジ大学の政治学者、デイビッド・ランシマン(David Runciman)教授が書いた"Counter-Counter-Revolution" というタイトルのエッセイが載っています。「反・反革命」という意味です。反革命に対する「反」ということは、結局「革命」という意味なのでしょうか?その辺のところはよく分からないのですが、このエッセイは、クリスチャン・カーライル(Christian Caryl)というジャーナリストが書いた "Strange Rebels"(見知らぬ反逆者たち)というタイトルの本の書評です。私、この本は読んでいないのですが、ランシマン教授のエッセイが面白いと思うので紹介することにしました。

カーライルのこの本には副題がついています。
  • 1979年と21世紀の誕生
    1979 and the Birth of the 21st Century
というものです。著者によると20世紀の100年間の中でも1979年という年こそが21世紀に繋がる、人類にとって最も重要な年であるということです。なぜ1979年がそれほど大事な年なのか?4人の人物と一つの国がそれに関係しています。人物は鄧小平、マーガレット・サッチャー、ローマ法王パウロ二世、アヤトラ・ホメイニであり、国はアフガニスタンです。

1979年、鄧小平が中国で開放経済政策をスタートさせ、英国では「市場経済」を重視するマーガレット・サッチャーの保守党が政権の座に就いた。同じ年に行われたローマ法王パウロ二世によるポーランド訪問は、それまで東欧を支配してきた共産主義体制によって押さえられてきたカソリック教への信仰心を再び燃え上がらせ、イランではそれまでの親欧米的パーレビ王朝を打倒してホメイニ師を指導者とするイスラム国家が誕生している。さらにこの年は、ソ連によるアフガニスタン侵攻が起こった年でもあるわけですが、これによってイスラム教徒による「聖戦」意識に火がつけられテロ組織、アルカイダの誕生に繋がる。

このように見ると1979年という年は、「鄧小平の中国」と「サッチャーの英国」によって市場原理主義と経済のグローバル化が始められた年である一方で、東欧とアフガニスタンでは宗教色の強い運動によって、後々のソ連崩壊に繋がる要因が形成された年でもあるわけです。そしてイランではソ連とも欧米とも異なるイスラム神権国家が誕生している。
  • 20世紀後半の50年間で1979年という年こそが、21世紀を定義づけるような経済的、政治的、宗教的な現実が鮮明になった年であると言えるのだ。
    More than any other year in the latter half of the twentieth century, 1979 heralded the economic, political, and religious realities that define the twenty-first.
と、この本の著者は言っている。

著者によると、1979年に起こったこれらの出来事が示しているのは、20世紀という世紀が「非宗教的な考え方が進んだ時代」(secular progress)だというのが神話にすぎなかったということである。それまで人類を支配し、束縛してきた勢力である、冷酷な市場主義とか非合理的な宗教が終焉を迎えた時代・・・20世紀を生きていた人類は20世紀をそのような時代であると思っていた。それが覆されたのが1979年に起こったさまざまな出来事なのであるというわけです。

ただ、この本の書評を書いているランシマンによると、これらの出来事を1979年という年にまとめてしまうのには無理がある。例えば鄧小平の主導による改革開放路線のスタートは1979年かもしれないけれど、その路線が決定されたのは1978年のことであり、ローマ法王で言えば、ポーランド訪問よりも彼が法王の座に就いた年(1978年)こそが歴史的な年であるとも言える。さらにサッチャーについていうと、彼女が首相になった年(1979年)よりもその前の年(1978年)の方が重要であると言います。1978年は当時の労働党政権(キャラハン首相)と労働組合の関係が崩壊した年であり、それこそがサッチャーを首相の座に押し上げる出来事であったというわけです。
  • サッチャーの勝利は英国政治における大変化の結果なのであり原因ではない。未来へのドアは彼女が蹴り開ける前から開いていたということだ。
    Her victory was a consequence not a cause of the sea-change in British politics: the door to the future stood open long before she claimed to have kicked it in.
ランシマンによると、サッチャーの英国に起こったのと同じこと(市場原理に基づく経済政策の遂行)がアメリカでも起こっている。サッチャー政権誕生の2年後(1981年)にレーガン政権が誕生しており、以後のアメリカの変化のことを「レーガン革命」と呼ぶ人が多い。しかし実際にはレーガン政権誕生の3年前(1978年)にカーター政権が成立させた反労組、産業界寄りのさまざまな法案によって「レーガン革命」がすでに始められていたというわけです。

英国もアメリカも民主主義の国であり、国の指導者は国民の意思に沿った政策を遂行するしかないわけですが、英国でもアメリカでも1978年という年に世論の労働組合離れという現象が起こっていた。サッチャーもレーガンも世論の変化に沿った政治を行っただけのことだ、とランシマンは主張している。1978年に「賽は投げられていた」(the die was cast)のであり、
  • サッチャーやレーガンがいなかったとしても、別の人間が出てきて同じことをやっていただろう。
    If it hadn’t been Thatcher and Reagan, it would have been two other people.
というわけです。

サッチャーやレーガンの「革命」は、彼らが世論のムードに従ったから起こったことであり、主役は「世論」だった。しかしそれは選挙が政治を左右する民主主義体制だから言えることです。鄧小平が1978年の政治闘争で敗れていたら現在の中国はあるのか?パウロ二世が世界を変えたのは、パウロ二世という人物が民主主義とは言えないカソリック教会において権力の座についたからであって、カソリック教徒の世論に従ったわけではない。

ホメイニ師の場合は、イラン国内の反パーレビ運動の高まりに呼応する形でイランに戻り指導者の立場に就いたもので選挙によってリーダーになったわけではない。1979年1月16日にパーレビ国王がイランを離れ、2週間後にホメイニ師がイランに戻って革命を成し遂げた。1979年という年はイスラム暦で1400年にあたることからホメイニ師は救世主扱いされたわけで、この場合は1979年が意味を持つ年となった。

ランシマンによると、クリスチャン・カーライルのStrange Rebelsという本は「面白いけれど不満が残る」(fascinating and frustrating)のだそうです。どのようなテーマであれ、歴史を振り返るときに、どれか一つの年だけ取り出して「これがいちばん重要な年だった」と言えるようなことは「ほとんどない」(History rarely can)のだそうです。

▼これら4人の指導者とアフガニスタンに関連した事柄を1979年という年だけに関連づけてしまうのは、ものごとの結果だけを見て原因を見ない態度である、というのはランシマンの言うとおりかもしれないけれど、それを言い始めると、どこまで遡ればいいのかキリがなくなるような気がしませんか?実はランシマン自身が挙げる「20世紀で最も重要な年」の一つに1917年があります。この年はロシア革命が起こった年であると同時に1914年から続いていた第一次世界大戦にアメリカが参戦することになった年でもある。ランシマンによると、米ソ超大国の対立(冷戦)の種が撒かれた年であるとのことであります。

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6)どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 

ambivalence:両価性

ambivalenceの訳として私の英和辞書に出ていたのですが、「両価性」なんて何だか分からない日本語ですよね。「同一対象に対して矛盾する感情や評価を同時に抱いている精神状態」のことだそうです。アメリカの劇作家、デイビッド・マメットが極めて分かりやすい例を挙げています。
  • Definition of ambivalence is watching your mother-in-law drive over a cliff in your new Cadillac.
ambivalenceとは、貴方の義理の母が貴方の新車のキャデラックに乗って崖の上をドライブしているのを見ているときに感じる心境のことだというわけですね。一方では義母なんか崖から転落して欲しいと思いながら、もう一方では新車にそのようなことが起こって欲しくないと思っている・・・そんな気持ちです。分かりやすいけど怖ろしい。
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7)むささびの鳴き声
▼5番目に掲載した「1979年という年」にもう少しこだわってみたいと思います。ランシマンによると、1970年代の終わりころの欧米の雰囲気は、政治の面でも経済の面でも誰もが「行きづまり」状態にうんざりしており、「どうなってもいいから何か違うことをやってくれ」という感じだった。彼によると当時の雰囲気は、
  • 革命というよりも「集団ウンザリ症」と言った方が良かった。
    It wasn’t a revolution: more a collective shrug.
  • という状況です。
▼その「集団ウンザリ症」が生んだものが、「強い英国」「強いアメリカ」の復活を叫ぶサッチャーとレーガンの政権だった。彼らを支持した英国人、アメリカ人の心理といまの日本人の心理は同じものなのか違うのか?我が家の近所に安倍さんのポスターが貼ってあって、「日本を取り戻す」と叫んでいる。サッチャーが「取り戻そう!」と訴えたのが、100年も前の19世紀ビクトリア時代の英国(刻苦勉励・質実剛健の英国)だった。レーガンが取り戻そうとしたのは、第二次大戦の勝者、世界の尊敬を集める超大国・アメリカだった。

▼ビクトリア時代の英国や戦争直後のパワフル・アメリカを取り戻すなんて、実際には不可能であったけれど、英米人はなだれを打って「強いリーダー」を支持した。で、安倍さんが「取り戻そう!」と訴えているのはどのような日本なのか?むささびの見るところによると、1970年代の後半から80年代にかけて「経済大国」にのし上がった日本、欧米が「集団ウンザリ症」に悩んでいたときにも「他人(ひと)も羨む」経済成長を遂げていた、あの日本です。大企業と輸出企業が潤えば、やがて日本全体のパイが大きくなり、日本人みんなが豊かでハッピーになる・・・あの日本です。そしてサッチャーもレーガンも安倍さんも圧倒的多数でリーダーに選ばれた。

▼で、最初の質問。サッチャー、レーガンを支持した英米人の心理といまの日本人の心理は同じものなのか違うのか?いろいろ考えたけれど、私の結論は「違う」となりました。英米人も日本人も現状にうんざりという点では似ているけれど、英米人はそれまでになかったものに賭けた。女性首相と元映画俳優。日本人は反対に昔ながらのものに回帰する方を選んだ。元首相の孫で二世議員が「官僚をうまく手なずけながら」ものごとを進める政治・・・30年前にはうまく行っていた、あのやり方です。

▼やっと秋ですね。今回もお付き合いをいただき感謝いたします。
 
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