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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

ことしは西暦で言うと2014年ですが、平成で言うと26年。昭和から平成に変わってからすでに26年も経つのですね! 平成26年・西暦2014年最初のむささびジャーナルです。いつまで続くか分かりませんが、本年もよろしくお願いします。

目次

1)新年の誓いが本物になるのは3月6日!?
2)バイリンガル育ちの子供たちは・・・
3)中国の20代と政治
4)日本と英国:違いすぎる島国
5)いま第一次世界大戦を考える意味
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
*****
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1)新年の誓いが本物になるのは3月6日!?
誰にでも習慣とか癖というのはありますよね。英語で言うと "habit"。知らなかったのですが、英国には物事が習慣化(habit formation)するのに要する期間は「少なくとも21日」という定説があったのですね。この「定説」が正しいとすると、例えば新年の誓い(new year resolution)として、毎朝必ずラジオ体操をすることを誓った場合、これが習慣となるためには少なくても21日間続ける必要があるということになる。

ロンドンのユニバシティ・カレッジ(UCL)の心理学者たちが現在、人間の習慣について研究しているのですが、彼らによると、「少なくとも21日」説を言い始めたのは英国のマックスウェル・モルツ(Maxwell Maltz)という整形外科医兼心理学者なのだそうです。1960年に出版されたPsycho-cyberneticsという本の中で主張しているもので、例えば整形手術後の自分の顔に慣れるまでに要するのが約3週間、義手・義足の装着感も同じ。それだけではない、新しく住むことになった自分の家(house)を自宅(home)と感じるようになるのもそのような期間であると言っている。ただ、モルツが言っているのは「慣れる」(being used to...)ということであって、習慣(habit)とは別のハナシなのではないか、とUCLの研究者たちは言っている。

では、人間の行動が習慣化するにはどのくらいの期間が必要なのか?それは行動の内容によっても違うし、人によっても違うのであって一般的かつ客観的な期間など存在しないと考えるのが普通ですよね。そのあたりのことは承知の上でUCLの研究者たちが行ったのは、96人の参加者を巻き込んだ実験なのですが、目的は人間にとって有益と思われる行動が習慣化するまでの期間についてのおよその目安をつけることで、望ましい生活の持続性(sustainability)を高めることに役立てようということであります。

人間の「習慣」は、心理学的に言うと「文脈依存反復」(context-dependent repetition)という過程を経て形成されるのだそうです。「文脈依存反復」と言われても何のことだか分からないけれど、例を挙げると、仕事を終えて帰宅すると必ずスナック菓子を食べるという行為をするとします。「帰宅する」というのが「文脈」で、これに伴って(依存して)スナック菓子を食べることが繰り返されていくうちに「帰宅」と「スナック」という二つの行為の間に心理的な繋がりが出来て、自宅のドアを開けるといちいち考えなくてもスナック菓子に手が行くようになる・・・習慣化というわけです。

UCLの研究陣が行ったのは、予め調査期間を84日と決めておき、96人の参加者に対して、それぞれの健康にいいと思われる行為を考えてもらい、それを毎日決まった時間に実施、習慣化したと本人が感じるようになるまでに何日かかったかを調べるという調査だった。当たり前ですが、習慣化したいと思う行動も参加者によっていろいろです。「朝食の後に必ず水を一杯飲む」「昼食時に果物を食する」「夕食後に15分間のランニングをする」etc。84日経っても「習慣化」しなかった場合は、いちおう習慣化はなしということにするというわけです。

調査の結果、同じことをやっても18日で習慣化した人もいるし、84日以内では習慣化しなかった人もいるという具合に人によって違いがあること、単純な行為の方が習慣化しやすい(「水を飲む」方が「50回腕立て伏せをする」よりも習慣化しやすい)ことなどが明らかになったのですが、習慣化に要する期間の平均日数は66日であったそうです。
  • 一定の状態で、健康的と思われることをやり続ければ、いずれは習慣になる。
    As long as you continue doing your new healthy behaviour consistently in a given situation, a habit will form.

ただ21日ということはまずない。もう少し長く続ける必要があるということ。平均66日ということは、今年の元旦に「毎朝、体操すること」を新年の誓いとした場合、それが本物(習慣)になるのは3月6日ごろということであります。

▼それにしても「苦痛だけど健康にいい」と言われることを習慣化するまでやり続けるなんてことできるのですかね。毎朝ラジオ体操という健康生活に多少の憧れは持つけれど、面倒だという気持ちの方が強くて・・・。基本的に好きでないと続きませんよね。

▼ただこの研究がバカにならないと思うのは、健康的な生活を送りたいと思っているけれど、何をどの程度やるとそれが習慣になるのか?すなわち苦痛さえ伴う無理な努力をしなくても出来るようになるのかというおよその目安があると、その種の相談を受ける医者としても「まあがんばってください」以上のことを患者に伝えられるのだから。

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2)バイリンガル育ちの子供たちは・・・
 

The Economist誌のサイトには言語をテーマにするブログがあるのですが、いわゆるバイリンガル(二か国語を使う)環境で子供を育てるとどうなるのかということをテーマしているエッセイがあります。書いた人は英国人、奥さんはデンマーク人で、生れたばかり(ほぼ2才)の子供が一人いて、住んでいるのはドイツ。夫婦で働いているので子供は保育園に預ける。つまり彼らの子供は家では英語とデンマーク語、保育園ではドイツ語に接しながら生きているわけです。

ちょっと言語の発達が遅いらしいのですが、それはこの子の言語環境のせいであり、知的に遅れているわけではない、と筆者は考えている。子供にとっては少しばかりややこしいかもしれないのは、この三つの言語には似たような言葉がけっこうあるということ。例えば「パン」は(英語、ドイツ語、デンマーク語の順で言うと)bread、Brot、brodであり、「リンゴ」はApple、Apfel、able、「家」はHouse、Haus、husというぐあいです。

かつて欧米ではバイリンガルやマルチリンガル(多国語)は、第一言語の発達に悪影響があるという理由で歓迎されなかった。バイリンガルの子供はモノリンガルに比べると、両方の言語で語彙が少ないという調査もあったのだそうですが、最近ではそんなことはないという調査結果もある。要するに子供をバイリンガルの環境で育てると言語能力が落ちるという証拠はないのだそうです。

最近ではむしろバイリンガル育ちの方が複雑な仕事をこなす上で、物事に優先順位をつける(prioritising)、計画を立てる、気持ちを切り替える(switching mental gears)などの性質があるとする調査結果もあったりする。さらにいうと、アメリカ神経学会のサイトに掲載された記事によるとバイリンガルの方がアルツハイマーの発症が遅いという調査結果も出ているのだそうです。約200人のアルツハイマー患者を調べたものなのですが、調査対象の102人がバイリンガル、109人がモノリンガルだった。調査によるとアルツハイマーと診断された年齢についてはバイリンガルが4.3才遅かったし、アルツハイマーの兆しが出た年齢は5.1才遅かったのだそうです。

と、こうまで言われると「ウチの子もバイリンガルにしなければ」というので、その種の学校にあげたりする人がいるかもしれないけれど、上に述べたようなバイリンガル・マルチリンガルの強みを発揮するのは生まれたときからそのような環境で育つことが条件なのだそうです。つまり両親が別々の言語を母語としているということです。

さらに大切なことは、それぞれの親が子供に対して自分の母語で話しかけることを徹底すること。こういうのを "one parent, one language theory" というのですね。これは案外難しいのでは?父親がアメリカ人で英語のみのモノリンガル、母親が日本人で日英バイリンガル、暮らしているのはアメリカ・・・この場合、母親がよほどがんばって子供に日本語で話しかけ続けない限り、子供の日本語能力は衰退するのが普通なのだそうです。もちろん反対も成り立ちます。父親がバイリンガルで母親が日本語のみ、暮らしているのは日本となると、子供をバイリンガルにするためには父親がかなりの努力をする必要がある。

ここまで言っておいて "one parent, one language theory" には反対意見もあるなどと言うと、ますますややこしくなるので止めておきます。が、いずれにしても子供が外国語を習得するのが子供にとってもその社会にとっても利益になることは間違いないというのがThe Economist誌のエッセイの言いたい部分なのですが、その場合でも
  • 子供が第二言語を使い始めるのは早ければ早いほどいい。
    The earlier children begin the second language, the better they will learn it.
というのは事実だそうで、ノルウェーは小学校一年生から英語を習うし、デンマークも同じようにすることになっているのだそうです。ノルウェー語もデンマーク語も、言語としては少数派に属するわけで、子供の将来のことを考えると外国語能力は欠かせないと考えられているのだろう、とThe Economistは言っています。

▼ノルウェーやデンマークが英語教育を小学校一年からにするのですね。私の知る限りフィンランドは小学校三年からだったと記憶しています。ここをクリックすると、私自身のフィンランドの英語教育見学記が出ています。

▼日本でも小学校から学校で英語を教えることになりましたよね。いまは5~6年生ですが、将来は3年生から正式な「教科」として教えることになるのだとか。このやり方を導入したときの反対論として「子供たちにはまずは日本語をきっちり教えろ」と主張する人がいましたが、私自身は「小学校で英語」論には反対であったのですが、それは日本語がダメになるからとかいう理由ではなく、これを推進する人たちの「国際社会に置いてきぼりにされる」という被害妄想が気持ち悪いと思ったことが理由です。そのあたりのことはここに書きました。

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3)中国の20代と政治
 

Dissentというアメリカの雑誌(季刊)に中国の若者の政治意識についてのエッセイが載っています。昨年(2013年)の春号で、書いたのはアレック・アッシュ(Alec Ash)という在北京のアメリカのジャーナリスト。彼が見た中国の20代の若者と政治というテーマで報告しているのですが、非常に長い記事なので、エッセンスのみ紹介します。

中国の若者は全般的に政治には無関心のように見えるのですが、それには次の4つの理由がある、とアレック・アッシュは考えている。

1)政治は退屈:Politics is boring
どの国でも普通の人が政治に関心を抱くのはメディアを通じてのことなのですが、筆者によると、中国における政治報道は結果(results)について伝えるが経過(process)は伝えない。政治指導者はほとんど誰が誰なのか見分けがつかない。義務教育の教科として「思想と政治」というのがあり、子供たちは学校で毛沢東について学び、江沢民の経済理論なるものについても学んでいるけれど、教科書はどれも退屈極まりないものであり、それが彼らを政治から遠ざける(put them off politics)のだと言います。

2)政治は危険:Politics is dangerous
中国のような一党独裁の国においては、人々は他人から後ろ指を指されることなく日々を過ごすために「言っていいこと・やっていいこと」(what you can say and do)を本能的に見分けるバロメータのようなものを体内に備えている。現代の中国には思想が強制されることはないし、文化大革命のときのように若者が親たちを糾弾するという場面もないのですが、彼らの親たちはそのような時代を生きてきている。そして子供たちに「政治には関わらない方がいい」(politics is best left alone)と教え込もうとする。

3)政治は優先事項ではない:Politics isn’t a priority
つまり政治は特権階級のもの。そんなことより、いい学校に入って、いい職場に就職して、いい嫁さん(旦那さん)を見つけて・・・どれをとっても競争が激しい。アパートも買いたいしクルマだって手に入れたい、親の面倒も見なければならない。そのためには稼がなきゃ、政治なんてやってられない。さらに気楽なセックス、遊びとしての麻薬、さらにはネットゲームのWorld of Warcraftもある。若者たちの間ではこの三つ以外のことはほとんどどうでもいいと考えられている。

4)政治には希望が持てない:Politics is hopeless
物事を変えるなんてことできっこない。できっこないことを何故やるんだ?変革を求めて署名活動をやったり、ビラを撒いたり、組織づくりをやったり・・・そんなことやってトラブルに巻き込まれても事態は何も変わりっこない。自己犠牲は美しいかもしれないけれどアホらしくもある(sacrifice is admirable but foolhardy)。どうなっても構わないというのではないし、何もやる気がないというわけでもない。ただ現実的であろうとしているだけ。

アレック・アッシュによると、中国では若い世代のことを「ポスト80年代」とか「ポスト90年代」という形容詞で呼ぶことがあるのだそうです。つまり開放経済が始まり、目覚ましい経済発展が続いている時代しか知らない世代ということです。世界中のどの国にもいる「いまどきの若い奴ら」です。この記事を書いたアメリカ人の筆者によると、北京では政治の話をするのは外国人であって中国人ではないのだそうですが、彼の知り合いの中国人女性(30代)にこのことを言ったところ、次のような言葉が返ってきたのだそうです。
  • 民主主義の国に生まれた人々なら、もっと政治のハナシをするでしょうね。なぜならそのような権利をもって生まれているのだから。我々はそうではありません。だからそのことについては考えないのです。ほとんどの若者にとって、政治は全く自分たちとは関係がない。彼らが興味を持つのは自分の利益に関係することだけ。それ以上のことについては、どうでもいいのですよ。
    People born in a democratic country talk about this more because they are born with that right. We aren’t, so we don’t think about it. For most young Chinese politics doesn’t have anything to do with them. It’s what affects them that interests them. [Beyond] that level they don’t care.
もちろん過激な若者もいて、政府が「日本の厚かましさ」(Japanese presumption)や中国に対する偏見に満ちた西側メディアに対して弱腰であることを見ると怒りをぶつけたりするのですが、20代の若者の大半は「法の支配」を望む穏健派であり、民主主義については「考え方」(concept)としては認めるのですが、統治システムとしてこれを推進する気にはならない。例えば複数政党制は非現実的と考えるのが普通です。何故なら有権者の大半が教育不足であり、複数政党による選挙などやろうものなら金銭による票の買収が相次いでしまうから。革命は何が起こるか分からないから歓迎しない。筆者によると、こうした心理の底を流れるのは「混乱することへの恐怖心」(beneath it all runs the fear of chaos)であるとのことであります。

▼これはアメリカ人の眼と感覚を通して見た中国の若者論だから、そのまま受け取ることは現実的でないかもしれない。が、おそらく私が見ても同じように感じるのではないかと推測します。革命と混乱から生まれたのが中華人民共和国であるはずなのに、いまの20代は「混乱(chaos)」を嫌がっている?混乱の中からこそ進歩が生まれる・・・なんて言っても「はぁ?」と言われるだけかもしれないですね。

▼日本の20代が1960年代の「政治の季節」を通過して、自分のクルマ、自分の家、外国旅行が容易に手に入るようになったのが70年代からですよね。1974年に20才であった人(例えば安倍さん)が、この記事でいう、現在の中国の20代と同じような意識を持っていたかどうかは知る由もないけれど、国全体が非政治的になっていたことは事実だと記憶しています。

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4)日本と英国:違いすぎる島国

 

日本と英国の友好関係を深めようという目的のパーティーが催されて賓客のスピーチがあると、ほぼ必ず言われるのが「両国とも島国であり、王室・皇室を有していて・・・」という共通点のことですよね。ジェアド・ダイアモンド(Jared Diamond)という米カリフォルニア大学教授の地理学者が、BBCのラジオ番組でHow geography creates historyというテーマで話をしたのを聴きました。「地理が歴史を作る」ということですが、国の歴史は地理的条件によって形成されるということです。時間にして15分の短いものだったのですが、このテーマの例として語られたのが英国と日本の比較で、教授が語ったのは
  • 現代の工業化社会を二つ比べると、英国と日本ほど異なるペアはない。
    It would be hard to find two modern industrial societies more dissimilar to each other than are Japan and Britain.
ということだった。

「大陸が隣接する島国」という見てくれだけは似ているけれど、生い立ちやそれに伴う生活習慣、考え方などの点で日本と英国ほど違う国はなく、その背景となっている要素の一つが両国と「大陸」との距離であると言っている。英国からヨーロッパ大陸のフランスの海岸までの海上距離は22マイル(約35キロ)であるのに対して、日本からアジア大陸の最も近いところ、すなわち韓国沿岸までの距離は110マイル(176キロ)、ロシアまでは190マイル(304キロ)、中国までは480マイル(768キロ)とかなり遠い。

教授によるとこのことが両国の大陸との関係の性格づける。英国とヨーロッパ大陸の関係は「関わり」(involvement/engagement)という言葉で表現されるけれど、日本とアジア大陸の関係は「孤立」(isolation)です。確かに英国の過去を見ると、外国人によって侵略された主なケースだけでも20世紀になる前だけでも5回ある。
  • 紀元後43年のローマ人の征服(conquest)
  • 5世紀から6世紀にかけてのアングロ・サクソン人の定着(settlement)
  • 8世紀から11世紀にかけてのバイキングによる侵略(invasions)
  • 1066年のノルマン人(William the Conqueror)による征服(conquest)
  • 1688年のオランダ人による侵略(invasion:別名「名誉革命」)
日本はどうか?教授によると13世紀の蒙古軍の襲来だけです。鎌倉時代の「元寇」といわれた出来事で、1274年の文永の役と1281年の弘安の役です。いずれも「神風」が吹いて日本を侵略することはならなかった。その後、これに匹敵するような「襲来」めいたものといえば第二次世界大戦のアメリカ軍ということになるけれど、ヨーロッパの勢力が英国に対して行った"conquest" "settlement" "invasion"とは異なり日本を自分の領土とするという試みではなかった(と思います)。

言うまでもなく、英国の場合は16世紀のころから海外で植民地を獲得する大英帝国として世界中と関わっていたのに対して、日本は大英帝国が最も華やかなりしころ(17~19世紀)に鎖国政策をとって文字どおり孤立していた。この二つの島国が20世紀に入る早々(1902年)に日英同盟を締結する関係になる。この関係はほぼ20年間続き、1923年に失効します。日英同盟の破棄を望んだのは、日本でも英国でもない。その頃すでに英国にとって代わって世界の超大国となっていたアメリカだった。ここでは詳しくは述べないけれど、元ウェールズ大学のデイビッド・スティーズ教授は『相互の便宜による帝国主義国の結婚』というエッセイの中で、第一次世界大戦後の日英同盟について
  • アメリカ人は、日本が日英同盟を防護壁として、これを盾に中国、シベリア、東南アジアで首尾よく策動し得ていると見て、同盟を痛烈に批判していた。
と書いています。そして悲しいかな日本かアメリカかと迫られた英国は、到底アメリカに楯突くわけには行かなかった。

▼21世紀のいまと1923年当時の情勢と比べるならば、新しい超大国という意味であの当時のアメリカはいまの中国、落ち目の超大国と言う意味で、あのころの英国がいまのアメリカです。そして日本はあの頃は英国、いまはアメリカと同盟関係にある。いま中国がアメリカに対して「日本をとるのか、我々をとるのか」と迫ったらアメリカの選択は決まっている。日米同盟だって未来永劫に続くものではないにもかかわらず、尖閣が問題になったときにメディアがいっせいに報道したのが「尖閣も安保の範囲内」というアメリカ政府の見解だった。でも安保そのものがなくなったら?ということを語ったメディアはあまりなかった。

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5)いま第一次世界大戦を考える意味

日本ではどの程度話題になるのか分からないけれど、今年(2014年)英国でかなり大きな話題となるのが第一次世界大戦です。今年はあの戦争が始まってから100年目なのです。年末(12月21日)のThe Economistが第一次世界大戦について "Look back with angst"(苦汁の気持ちで振り返ろう)というタイトルの社説を掲載しています。イントロは次のように書かれています。
  • あれから100年、現代は第一次世界大戦の勃発に至ったあの時代と不気味な相似性を有している。
    A century on, there are uncomfortable parallels with the era that led to the outbreak of the first world war.
この社説を紹介する前に第一次世界大戦について教科書的におさらいをしておきます。この戦争は基本的にヨーロッパを舞台にした勢力争いであったのですが主役はドイツです。第一次世界大戦が始まる前(19世紀の終わりごろ)のヨーロッパにおける覇権国といえば英国、フランス、ロシアの三大帝国だったのですが、そこに新興国であるドイツが工業化を推進、覇権国家の仲間入りをして植民地の獲得に乗り出した。これを警戒する英仏露はお互い同士で軍事同盟を組んで自分たちの覇権を維持しようとした。

一方のドイツは19世紀の終わりごろにオーストリア、イタリアとの間で「三国同盟」を結んで対抗しようとした。そして1914年6月28日、サラエボ(当時はオーストリア領)でオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子夫妻が銃撃でセルビア人学生によって暗殺されるという事件が起こる。これをセルビア政府の陰謀だとするオーストリアがセルビアに対して宣戦布告を行う。そのセルビアを支援しようとロシアが兵力の総動員をはかると、今度はドイツがロシア、フランスに宣戦布告、さらには中立国であったベルギーに侵入するに及んで、英国がドイツに宣戦布告ということで一気にヨーロッパ中を巻き込んだ戦争に発展。日本(大日本帝国)は日英同盟の関係もあって英仏露の側について参戦、アメリカも同じだった。最初のころは年内にも終戦を迎えるだろうと思われていたのですが、これが4年間も続き、戦死者は戦闘員と非戦闘員併せて約2000万人、英国人も91万人が死亡するという、とんでもない世界戦争になってしまった。

この戦争が始まる前のヨーロッパは電話通信、蒸気船、鉄道などが目覚ましく発展、平和と繁栄が永遠に続くという楽観的な気分に満ち溢れていた。The Economistによると当時のベストセラーに "The Great Illusion"(1909年)という本があるのですが、筆者のノーマン・アンジェル(Norman Angell)は「欧州経済は大いに統合が進んでおり、戦争のような無駄なことは起こらない」(Europe’s economies were so integrated that war was futile)と主張した。それでもこの本が出てからわずか5年後に世界中を巻き込む大戦争が起こってしまったということです。

The Economistの社説は当時のヨーロッパと現代のアジアを比較して非常に似ている部分があるのが気になる(the parallels remain troubling)と指摘します。いまのアメリカはあの頃の英国です。衰退するスーパーパワー(superpower on the wane)で、もはや世界の安全を保障する力がない国です。あの頃のドイツはいまの中国です。即ち
  • 新しい経済パワーで、ナショナリスティックな怒りで毛を逆立てながら急速に軍備増強を進めている国。
    a new economic power bristling with nationalist indignation and building up its armed forces rapidly.
そして・・・
  • いまの日本はあの頃のフランスである。(欧米の)同盟国ではあるが覇権は小さくなり、地域でのパワーも衰退している国ということだ。
    Modern Japan is France, an ally of the retreating hegemon and a declining regional power.
もちろんあの頃のヨーロッパといまのアジアがそっくり同じというわけではない。いまの中国にはあの頃のドイツ皇帝のような領土的野心というのはないし、衰退しているとはいえ現代アメリカの軍事予算はあの頃の大英帝国のそれよりはるかに大きい。ただ、そっくり同じということはないにしても、状況的には似ており、国際社会は充分に注意を払うべきだとThe Economistは主張します。

最も気になる類似点をひとことで言うと "complacency" という言葉があてはまる、とThe Economistは指摘します。「慢心」とか「油断」という日本語がこれにあたる。例えば企業。あの頃も現代も、それぞれの利益追求に心を奪われていて、経済の水面下で不気味な毒ヘビが鎌首を持ち上げつつあることに気が付いていない。さらにナショナリズムをもて遊ぶかのように振る舞う政治家も100年前と同じ。経済改革が進まない状況を反日気運を盛り上げることで覆い隠そうとしている中国の指導部、安倍晋三氏はこれと同じような理由で日本のナショナリズムを煽り立てている。

危機的なのは日中関係だけではない。2014年春にはインドで総選挙があるのですが、最も優勢が伝えられるのが、野党のインド人民党だそうで、この党が連邦首相の候補者として担ぎ上げるのがナレンドラ・モディ(Narendra Modi)という人。彼はグジャラートという州の首相なのですが、ヒンズー系のナショナリストで、かつて自分の州でイスラム教徒が大量虐殺されたという非難を受け容れようとしていない人物としても知られているのだそうです。このような人物がインドの首相になり、隣国のイスラム教国・パキスタンとの間で核戦争の火種を抱えることになる可能性は大きい、とThe Economistは警戒します。

では第一次世界大戦の二の舞をさけるためには何をする必要があるのか?The Economistの社説は二つのことを挙げています。一つにはアメリカと中国の協力です。例えば核保有国である北朝鮮の内部崩壊の際に彼らの核兵器が暴発することのないようにするための協力があります。さらに海洋における危険な脅しのゲーム(dangerous game of “chicken”)を続ける中国の行動からすると、いずれはどこかで衝突が起こることが眼に見えているのにそのような事態に対処するような制度が出来ていない。アジアの海域における海事規範(code of maritime conduct)のようなものを作る必要がある。

ではもう一つの危機回避策はなにか?The Economistによると、それはアメリカによるもっと積極的な外交政策なのだそうです。バラク・オバマがあまりにも何もやらなさすぎるというのです。特に中国、インドらの新興国をグローバル体制に組み入れる政策が少なすぎるというわけです。
  • アメリカの軍事力と経済力、さらには文化的な影響力も含めた「ソフトパワー」を考えると、気候変動やテロリズムのような国境を超える危機に対処するためにはアメリカの存在は欠かすことができない。アメリカが世界の秩序維持のためのリーダーとして振る舞うことがない限り、それぞれの地域で力を持つ国が、近隣諸国を脅すことで自分たちの力を試そうとすることになるのである。
    Thanks to its military, economic and soft power, America is still indispensable, particularly in dealing with threats like climate change and terror, which cross borders. But unless America behaves as a leader and the guarantor of the world order, it will be inviting regional powers to test their strength by bullying neighbouring countries.
いまの世界にある危機がそのまま第一次世界大戦のような狂気に進む可能性は低い。人間は自己利益によってのみ動くものだというのであれば、誰も得にもならない戦争などする人間はいない。「狂気」も経済的合理性には勝てないと考えるのが普通であるけれど、1914年には狂気が勝ってしまったのである・・・というわけで、The Economistの社説は
  • それでも狂気が勝利するときには地獄が待っている。常に理性が勝つと考えるのは「慢心」というものであり、許されるものではない。それこそが100年前の教訓というものであろう。
    But when it triumphs, it leads to carnage, so to assume that reason will prevail is to be culpably complacent. That is the lesson of a century ago.
と言っています。

▼この社説のキーワードは "complacency" という単語です。Cambridge Dictionaryというのを引いてみたら、次のような長ったらしい説明が出ていました。
  • a feeling of calm satisfaction with your own abilities or situation that prevents you from trying harder
▼自分の能力や自分の置かれた状況について「大丈夫だよ、間違いなんかないよ」と心ひそかに慢心する状態のことを言います。「心ひそかに」(calm)というのがミソですね。おおっぴらに大丈夫宣言をするというのではない。

▼安倍さんは靖国参拝という行為によって「中国や韓国の人々の心を傷つけようと思ったことは絶対にない」という趣旨のことを言ったと記憶しています。安倍さん(とその取り巻きの方々)のアタマには、自分が靖国参拝をやれば中国も韓国も少しは怒るかもしれないけれど、彼ら自身の損になるような激しいことはやらないだろうという「読み」があったのかもしれないですよね。まさか自分の行為がサラエボの学生がやったのと同じ効果をもたらすかもしれないなどと夢にも思っていない。だとすると、それは"complacency"の見本のような行為ですね。

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6)どうでも英和辞書
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ring finger:薬指

指輪をはめるのが普通は薬指だから"ring finger"・・・なるほど。で、日本語でなぜ「薬指」というのか?ウィキペディアによると
  • 昔、薬を水に溶かす際や塗る際にこの指を使ったことに由来していると言われる説、薬師如来が右の第四指を曲げている事に由来するという説がある。
となっています。この際だから指の名前を英語で憶えておくことにしましょう。

親指 Thumb
人差し指 Index finger
中指 Middle finger
薬指 Ring finger
小指 Pinky

というわけですが、人差し指のことはPointer fingerとも言うそうです。それと小指もBaby fingerとも言うのだとか。日本語と発想は同じですな。

それはともかく(どうでもいいことですが)英国のキャメロン首相は結婚指輪をしていないのですね。BBCのサイトによると、ブラウン、ブレア、メージャーら最近の首相は誰もしていない。サッチャーさんはしていた。男の首相で指輪をしていたのは、最近では労働党のハロルド・ウィルソン。「最近」と言っても1974~1976年だからほぼ30年前になる。それにしてもなぜ彼らは指輪をしないのかについてはBBCもはっきり言ってはいない。要するに「何となく」ということらしいけれど、キャメロンに関しては指輪も腕時計もしておらず、そのことをあたかも自慢するかのように雑誌のインタビューで言っているというわけで、キャメロンなりの「貴族趣味」(aristocratic insouciance)なのではないかと言う人もいる。飾り気のあるものを身に着けるなんて下層階級のやること・・・ということらしい。

オバマ大統領は指輪をしているけれど、バイデン副大統領はしていないらしいですね。安倍さんはどうなのか?と思って、いろいろと写真を見たのですが結婚指輪はしていないように見えるのですが・・・。
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7)むささびの鳴き声
▼なんだか妙だと感じていたのはむささびだけではなかった・・・「集団強姦+強盗」というものすごい罪名で逮捕された20才になる青年が横浜地検川崎支部から逃走したという、あの事件の報道です。カナロコというニュースサイトで映画監督の森達也さんとジャーナリストの江川紹子さんが疑問を呈しています。森さんの「容疑者が移送される様子を生中継するほどのニュースか」という疑問は私も持ちました。江川さんも「逮捕したら逮捕したと報道すればいいだけの話。容疑者はさらし者状態です」と言っている。

▼1月9日、夜7時のNHKニュースのトップは、この犯人が逮捕されたというものだった。同じ日に三重県四日市の三菱マテリアル四日市工場で爆発があり、5人が死亡するという事故が起こっていました。私、てっきりこれがトップニュースだろうと思っていたら、横浜の脱走容疑者逮捕がトップだったのには驚いたわけです。森達也さんによると、この脱走劇の報道は、視聴率や発行部数を上げたいメディアが、不安と恐怖を煽るために行ったものというわけで、
  • その結果、危機意識が高揚し、悪い奴らはどんどん捕まえろという空気が醸成されていく。

    と言っている。
▼つまりそれほど大した事件でもないのに、視聴率上げたさに大げさに報道したと言っている(と思う)。文字の表現力というのはすごいもので、NHKのニュース画面に「集団強姦・強盗容疑者」と書かれると、何やらとてつもなく凶悪な人物が危険な凶器を身に着けて脱走したかのような印象を与える。しかしそもそも、この若者ともう一人が「集団強姦・強盗」で逮捕されたこと自体ニュースになったのでしょうか?少なくとも私に関する限り見ていない。私の妻の美耶子も見ていない。全く見ていないのです。つまりそれほどの大ニュースではなかったということですよね。なのにその容疑者が脱走するとあの通りの大騒ぎになる。

▼森さんの見るところによると、いまの日本は「集団化が進んでいる」。つまり「かき立てられた危機意識を触媒にした集団化」です。NHKのニュース番組によって恐怖感を煽り立てられた視聴者が、そのNHKに街頭インタビューされて「怖いですね、早く捕まって欲しいですねぇ」と答える。そしてNHKのレポーターが「市内は恐怖に包まれています。以上、現場からお伝えしました・・・」とマジメな顔で伝える。それをみた視聴者が「あんな犯人、やっちまえ」となる。「でもあの人だって、何か言いたいのかも?」などと言える雰囲気がますます薄くなっている。森達也さんは
  • 匿名性の高いインターネットを媒介にして、集団化はこれからも肥大化していく。

    と言っている。
▼こうして言論や思想の自由が潰されていく、とむささびは思います。脱走劇とは関係ないけれど、日本人の対中国、対韓国感情の悪化の原因の大半はメディア報道にあると(むささびは)思っています。特にNHKを見ていると、それを感じます。韓国や中国における反日感情は反日教育のおかげですが、日本人の反中・嫌韓感情はメディアが醸成したものだと思います。

▼森達也さんは、社会の集団化の中では「少数者の意見が踏みにじられる」と言います。現在の日本で「少数かもしれないけれど正しい可能性が非常に高い」(とむささびが思っている)考え方を思いつくままにリストアップしてみます。
  • 尖閣も竹島も、実は日本の領土などではないかもしれない。中国や韓国の言い分もきっちり知り、彼らの言うことが尤もだと思えばギブアップするべきだ。
  • オリンピックの開催によって日本にとってためになるようなことは何もない。
  • 原発がもたらす経済的繁栄は危険が分かっているのに知らないふりをするのと同じで、きわめて不健全。
  • 日本人が中学から大学まで8年間も英語をやっているのにうまくならないのは、うまくなる必要がないからであって、英語教育が間違っていたからではない。
  • それでも日本人の英語は30年前に比べれば明らかに進歩している。
▼ところで安倍さんの靖国参拝に関連して、中国が世界中でメディアを使って対日批判の広報活動をやっているというわけで、日本の外務省が出先の日本大使館に「中国の批判には反論せよ」という指令を出したのだそうですね。ひょっとすると英国のTelegraphの紙上での中国と日本の駐英大使による投稿合戦はその先駆けだったのかもしれないですね。中国大使の投稿は1月1日付のサイトに載っており、日本の大使よる「反論」は4日後の1月5日に掲載されています。

▼ダラダラと失礼しました。埼玉県は快晴が続いています。むささびジャーナルは12年目に入ります。2014年が皆さまにとってよい年であることを祈ります。
 
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バックナンバーから
2003
ラーメン+ライスの主張
「選挙に勝てる党」のジレンマ
オークの細道
ええことしたいんですわ

人生は宝くじみたいなもの

2004

イラクの人質事件と「自己責任」
英語教育、アサクサゴー世代の言い分
国際社会の定義が気になる
フィリップ・メイリンズのこと

クリントンを殴ったのは誰か?

新聞の存在価値
幸せの値段
新聞のタブロイド化

2005

やらなかったことの責任
中国の反日デモとThe Economistの社説
英国人の外国感覚
拍手を贈りたい宮崎学さんのエッセイ

2006
The Economistのホリエモン騒動観
捕鯨は放っておいてもなくなる?
『昭和天皇が不快感』報道の英国特派員の見方

2007
中学生が納得する授業
長崎原爆と久間発言
井戸端会議の全国中継
小田実さんと英国

2008
よせばいいのに・・・「成人の日」の社説
犯罪者の肩書き
British EnglishとAmerican English

新聞特例法の異常さ
「悪質」の順序
小田実さんと受験英語
2009
「日本型経営」のまやかし
「異端」の意味

2010
英国人も政治にしらけている?
英国人と家
BBCが伝える日本サッカー

地方大学出で高級官僚は無理?

東京裁判の「向こう側」にあったもの


2011
「日本の良さ」を押し付けないで
原発事故は「第二の敗戦」

精神鑑定は日本人で・・・

Small is Beautifulを再読する
内閣不信任案:菅さんがやるべきだったこと
東日本大震災:Times特派員のレポート

世界ランクは5位、自己評価は最下位の日本
Kazuo Ishiguroの「長崎」


2012

民間事故調の報告書:安全神話のルーツ
パール・バックが伝えた「津波と日本人」
被災者よりも「菅おろし」を大事にした?メディア
ブラック・スワン:謙虚さの勧め

2013

天皇に手紙? 結構じゃありませんか
いまさら「勝利至上主義」批判なんて・・・