1)名護市長選:ダビデとゴライアス
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沖縄・名護市の市長選挙結果について1月20日付のThe Economistのブログが「稲嶺対ゴライアス」(Inamine v Goliath)という見出しの記事で紹介しています。ゴライアスは聖書に出てくる巨人兵士で、羊飼いの少年・ダビデにやっつけられるというあれですね。「弱小な者が強大な者を打ち負かす」ということの喩えとして出てくる。名護の選挙でいうと、勝った稲嶺市長が羊飼いの少年・ダビデであり、負けたゴライアスは東京の中央政府+自民党+アメリカということになる。
稲嶺氏が勝ったからといって米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設が中止になるというわけではないけれど、安倍政権にとっては「政治的に面倒なことになる」(politically problematic)可能性はある、とこのブログは言っています。沖縄県内における反基地活動に力を与えることになるし、本土においても野党を勢いづかせる可能性もあるということです。また今回の選挙で自民党が連立相手である公明党を末松陣営に引き込むことができなかったことも敗因の一つとして挙げており、
- 稲嶺氏と彼の支持者たちが不動の障害物となるのか、単なる最後のハードルにすぎないのか・・・日本の対米同盟関係は間もなく試練に直面する。
Japan's alliance with America will very soon test whether Mr Inamine and his supporters really are an immovable object, or merely the last hurdle.
と言っています。
▼年末に安倍首相と仲井真・沖縄県知事がカメラの前で会談したあと、知事が「驚くべき立派な内容を提示していただいた。心から感謝し、お礼を申し上げる」とカメラの前でコメントしたことをご記憶ですよね。12月25日だった。あの会談といい、知事のコメントといい、すべてが「筋書き通り」という印象だった。官僚の書いた筋書き通りだった・・・などと言うつもりはありません(実際そうであったとしても)。私の言う「筋書き」はもっと単純かつ低次元のハナシです。
▼テレビカメラがたくさんいる前で安倍さんが朗々と政府の提案を読み上げる、仲井真さんが神妙な顔で聞き入る、その後に知事が「素晴らしい、これでいい正月が迎えられる!」とコメントする、テレビニュースを見る人は(むささびも含めて)「これで決まりだな、安倍はすごいや」という感覚に陥る・・・という流れの背後にプロの演出家たちがいるということです。いわゆる「PR屋さん」です。このプロたちは、メディアを使って1億人の心を動かす術を心得ている(と自分では思っている)。事実、これらのテレビ画像を見せられ、音声を聴かされれば誰でもダビデがゴライアスに勝てるなどとは思わなくなる。ただ、この人たちは浮動している1億人の気持ちを操ることはうまいけれど、必死な気持ちでいる1万人には歯が立たない、ということかな?
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2)新聞社と税金
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英国では政府の公文書も30年経つと公開されることになっており、現在これが20年に短縮されようとしているということは以前にも言ったことがあります。公開になった公文書は、日本の国立公文書館にあたるThe National Archivesで保管され誰でも見ることができるようになる。
今年は2014年だから30年前の1984年の公文書が新たに公開されているのですが、結構笑える(?)文書もあります。1984年といえばサッチャー政権の2期目、前年の選挙で勝利したとはいえ、炭鉱ストだの失業率上昇だのと相変わらず難しい情勢ではあった。文書番号PREM19/1198という書類によると、当時のナイジェル・ローソン大蔵大臣が新聞にも付加価値税(VAT)をかけることを考えているということがメディアに知られてしまった。当然、新聞は批判的な記事を載せ始めていた。で、サッチャー首相の報道官(官僚)だったバーナード・インガムが1984年3月2日付で首相にメモを提出して次のように言っている。
- (新聞にVATなどかけると)ロンドンの新聞業界を敵に回すことになります。(新聞社のオーナーである)マードック、ハームワース、マシューズらが怒るということです。この3人だけで主要10紙を発行しているのです。それだけではありません。VATなどかけると今のところはほぼ完全にあなたの味方である地方紙までを敵に回すことになりますよ。
It is not simply that this will set Fleet Street against you - and this will aggrieve Murdoch, Harmsworth and Matthews (who account for 10 on the whole well-disposed newspapers). But it will make critics of the local and regional press who are almost entirely on your side.
で、5日後の3月7日の各紙には「首相と大蔵大臣が新聞には課税せず、その穴埋めとしてたばこ税を値上げすることで合意した」というニュースが掲載された。結局、サッチャーも新聞を敵に回すのは怖かったということ?
▼英国の国税局(HM Revenue & Customs)のサイトによると、いまでも新聞は付加価値税がかからないモノの一つなのですね。新聞以外では、書籍、雑誌、基本的な食品(basic food items)、子供服、障害者用の器具などにもVATはかからない。新聞にVATがかからないということについて、ロイター社の研究機関が2008年にまとめた報告書によると、VATがかからないことによって英国の新聞業界は約5億9400万ポンド(約772億円)相当の税金を払わなくて済んでいる。このことについてMedia Briefingという業界サイトは「事実上の国家援助を与えているようなもの」(The UK state effectively subsidises printed newspapers)と言っています。
▼日本新聞協会という組織のサイトに「消費税の軽減税率を適用するよう求める」という声明文が掲載されています。つまり日本の新聞の場合、消費税ゼロというわけではないのですね。
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3)高齢者介護:アジアはお手本になるのか?
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ニュースとしてはかなり古いけれど、話題としては絶対に古くならない・・・昨年(2013年)10月8日付のBBCのサイトに、英国のジェレミー・ハント(Jeremy Hunt)厚生大臣(Health Secretary)が行った「忘れらられた100万人」(The forgotten million)というタイトルの演説についての記事が出ています。現在の英国では高齢者を中心に約100万の人々が毎日の生活の中で「孤独」(loneliness)を感じているけれど、彼らに対する十分な援助が為されていない、これこそ「国の恥」(national
shame)であると大臣は訴えたうえで
- アジアでは高齢者を敬い、大事にする文化が根付いていることに強い感銘を受けた。
I am struck by the reverence and respect for older people in Asian culture.
と述べたりしている。この人は略歴を見ると、オックスフォード大学を出てから2年間ほど日本で英語を教えて過ごしたことがあるようであります。
ハント演説のテキストはここをクリックすると読むことができますが、大臣はその中で、例えば2012年~13年の1年間でイングランドにあるケアホームで起こったとされる11万2000件の虐待の大半が65才以上の高齢者が犠牲者になっているのは「何かが決定的に間違っている」(something
is badly wrong)、500万人もの英国人が「テレビが主なるお友だち」(television is their main form
of company)と言っていること、80才以上の高齢者の46%が「時として/頻繁に」(some of the time or often)寂しさを感じていること、ケアホームに収容されている高齢者40万人のうち定期的に家族の訪問を受ける人が少なく、多くが「預けられたまま」(just
"parked there")であることなどを挙げて
- 寂しさの問題は、我々が忙しさにかまけて社会として直視することを怠ってきた問題だ。
problem of loneliness that in our busy lives we have utterly failed to confront as a society.
と語っています。
で、ハント大臣は、自らがお手本にしたいと言うアジアでは高齢者を施設で介護する「収容介護」(residential care)は最後の手段として活用されており、第一のオプションではない。さらにアジアでは、子供たちが自分の祖父母が家族によって介護されているのを眼にすることで、自分が歳をとったときも同じような介護を受けるのだという意識が強い。大臣はこれを「世代間の社会契約」(social
contract between generations)と呼んでおり、高齢化社会を迎えている英国もアジアのやり方から学ぶべきだ、としたうえで次のように語っている。
- これを言うのは楽しいことではないが、全ては自分たち一人一人が両親や祖父母の面倒を見るやり方を個人のレベルで変えることから始めなければならない。
And uncomfortable though it is to say it, it will only start with changes in the way we personally treat our own parents and grandparents.
ハント大臣の「アジア礼賛」については反論も掲載されています。労働党の影の厚生大臣であるリズ・ケンドール(Liz Kendall)さんによると、今の英国においては、高齢者を介護する家族(family carers)は600万人以上もおり、しかも無給、5人に一人が1週間50時間以上もケアのために働いている。ハント大臣はこの現実を全く無視して、政府が家族介護者を援助しなければならないのに、それをすべて家族に押し付けていると怒っている。
また「アジア礼賛」については、ロンドン・キングズ・カレッジのアンジー・ティンカー(Anthea Tinker)教授がこれを「幻想」(myth)だと言っている。彼女によると、例えば中国の場合、一人っ子家族の子供たちは都会へ出て行ってしまって高齢者の世話などできるわけがない。間もなく中国にオープンするケア・ホームは5000人収容という驚きべき規模になるとのことです。教授は「幻想ではなく現実を見よ」(We've
got to look at the reality rather than the myth)と批判している。さらにGuardianも韓国の大学で教える英国人の見聞録として"Asia is a terrible model for elderly care"(アジアは老人介護のお手本としては酷過ぎる)という記事を掲載、韓国や日本における老人介護は「とてもお手本とはいえない」と報告しています。
▼ジェレミー・ハント大臣の大先輩にマーガレット・サッチャーという保守党の政治家がいて、いろいろと物議を醸す発言で有名になった。「この世に社会などというものはない」(There
is no such thing as society)もその一つ。福祉問題に関する発言だったのですが、従来の「社会が面倒を見る」という考え方を否定したというのでメディアからかなり叩かれた。それに対してサッチャーは「メディアはいつも自分たちに都合のいい部分だけ報道する」と文句を言った。実はThere
is no such thing...の前に次のように述べている。
- There are individual men and women and there are families and no government can do anything except through people and people look to themselves first…
この世には一人一人の男や女がおり、家族というものもあるのですよ。どんな政府もこれらの(具体的な)人々を通じない限り何もできないのですよ。人間はまず自分たちの面倒を見るべきなのですよ。
▼ハント大臣の「自分たち一人一人が両親や祖父母の面倒を見る・・・」という発言は、おそらく彼にとっては英雄的存在であったはずのサッチャーさんの言葉を意識したものだと(むささびは)推測しています。サッチャーさんの発想のバックには、素朴なキリスト教的刻苦勉励の思想があったと思うのですが、ハント大臣が、あたかも日本や韓国や中国のようなアジア文化の国でこれが実現されているかのように語っているのは確かに不思議です。
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4)「寂しい」と言わない心
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孤独老人との電話によるコミュニケーション・サービスを行っているSilverlineというNPOが55才以上の人に電話で行った意識調査によると、15%が「しばしば孤独を感じる」(often feel lonely)と答えている。英国における55才以上の人口は1730万人、そのうちの15%ということは250万人の「55才以上」が比較的頻繁に寂しい思いをしていることになる、とこのNPOは言っています。
この調査を読んで、「日本の55才以上」であるむささび(72才)が興味を持った数字があります。それは、「しばしば孤独を感じる」と言う人の圧倒的多数(84%)が、自分の孤独感を他人に打ち明けるのは難しい(difficult to admit it to other people)と言っていることです。さらに半分以上(60%)の人が自分の孤独感を家族に打ち明けたことが全くない(never)と答えている。なぜ家族に打ち明けたことがないのか?最も多かった理由は
- 家族に迷惑をかけたくない・重荷になりたくない
they don’t want to trouble their family or be burden
というものだった。
▼「家族に迷惑をかけたくない・重荷になりたくない」というのを、別の言い方をすると「重荷になるような情けない自分を認めたくない」ということになる・・・というのはむささびの推測です。「自分ならそうだろうな」という意味です。 |
意識調査に出てくるのはあくまでも「数字」です。一人一人の生身の英国の老人たちは心の中で何を感じているのか?BBCのサイトに高齢者たちとのインタビューが出ています。そのうちの一人の語りを紹介します。長くなるけれど、この人の感覚をなるべく正確に伝えるために全文を紹介します。この人は南イングランドのケントで暮らす67才の男性です。実際には「語り」なのですが、書きやすいので「である」スタイルで訳してみます。
私はまだ67だ。結構な家もあるし、いろいろモノも持っている。ただこの近所の人たちとは全く話をしない。家族もいない。5~6キロ離れたところに友人はいるけれど全く連絡もない。訪ねて来る人もいないし、電話もかかってこない。こんな状態で8年も暮らしている。
毎日が同じだけれど、それに慣れるように自分を律しなければならないと思っている。運動、庭いじり、家の片づけ、散歩などをやって過ごしている。
人と顔を合わせるのは買い物のときだけ。いちばんいい服装で出かけることにしている。常にスマートであることだ。でもひとたび帰宅すると、この寂しさからは逃げようがないことがわかる。
毎日に心底うんざりして夜の8時半には床に就く。夜はとくにどうしようもない。
ことしは独りで過ごす7回目のクリスマスだ。誕生日はクリスマス・イブ。自分が病気になったらどうなるのか、見当もつかない。
年寄りでなくても寂しいということは分かるはず。でも家族に囲まれて過ごしている人たちには(この寂しさは)分からないだろうな。
I am only 67 and I have a nice home and all the trappings.
But I have neighbours who don't speak and I have no family at all. I have a friend who lives a few miles away but he never gets in touch. No-one visits, no-one rings. It's been like this for eight years.
Every day is the same and I have to discipline myself to cope with it. I exercise, I do some gardening and my housework and go walking.
The only time I see someone is when I shop. I put on my best clothes to go shopping and always look very smart. But once I get home there is no escape from the loneliness.
I go to bed at 8.30pm as I'm so fed up with the day - evenings are just terrible.
This will be the seventh Christmas on my own and my birthday is Christmas Eve. If I got ill I do not know what would happen.
You don't have to be really old to know lonely. People who are surrounded by family have no idea. |
この人が暮らすロチェスターという町は、ロンドンからクルマで南西へ1時間ほど行ったところにあります。人口は2万7000。古い寺院や教会があって歴史を感じさせるところで、かつてディッケンズが暮らしたこともあるのだそうです。むささびは行ったことがないけれど、典型的な中流階級の町なのではないかと想像します。騒がしくもなく静かすぎもせず、全国チェーンのスーパーやコンビニがあり・・・要するに外部から見ると、「快適」を絵に描いたような町です。
▼私(むささび)、彼のトークの中のキーワードは "to discipline" なのではないかと思います。自分を律しながら寂しさとともに生きているということです。ウォーキングやガーデニングをやってはいるけれど、正直に言えば「寂しい」に決まっている。でもそれは言いたくない。言い始めるとよけい寂しくなるだけだから。最初の部分で紹介した、寂しさを誰にも言わない高齢者たちも同じことなのではないかと思います。昔から英国人が「徳」と考えてきた「我慢強さ」(stiff
upper lip)へのこだわりなのかも?
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5)言語とともに消えるもの
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アメリカのNational Geographic(NG)に掲載されていた「消えていく声」(Vanishing Voices)という記事は世界の消滅危惧言語について語っているのですが、とても考えさせられるエッセイです。
現在のロシア連邦を構成する国の一つにトゥヴァ共和国(英語でRepublic of Tuva)というのがあります。面積は(ウィキペディアによると)17万500平方キロだから、日本のざっと半分、人口は約30万人で、使われている言語はロシア語とトゥヴァ語です。記事によるとトゥヴァ語をしゃべる人は約23万5000人とされているけれど、これはロシア全体のことで、現在のトゥヴァ共和国の国内における数ではない。またトゥヴァ語は隣接する中国の新疆ウィグル地区にもしゃべる人がいるそうで、それらも入れるとざっと26万4000人がこの言語を使えるのだそうです。
そのトゥヴァ語の中で英語にもロシア語にも訳すことができない(とトゥヴァ人が考える)言葉の一つにkhoj ozeeriというのがある。これは発音が最も近いものを英語のアルファベットで表現したもので、トゥヴァ語ではхой
эъдиとなるのですが、意味はトゥヴァ流の羊の殺し方と関係がある。この国では人間が指で羊の動脈を切断することで殺すのですが、その方法だと羊は死ぬことへの警戒心ゼロの状態で一滴の血も流さずに平安のうちに死んでいくのだそうです。khoj
ozeeriには、このようにして羊を殺すことに必要な「親切心」「優しさ」「儀礼」という意味も含まれている。トゥヴァでは、(外国でやるように)銃やナイフで動物を殺すと虐待の罪で逮捕される。
National Geographicによると、トゥヴァ語はいまでも26万人が使うのだから未だ絶滅危惧言語とはいえないけれど、隣接するシベリアの村で使われているトファ(Tofa)という言語などは、使える人の数が約30人にまで減っているのだからほとんど滅亡寸前です。実際にはトゥヴァ語がそのような運命になっていても不思議ではなかった。1950年代のトゥヴァではロシア語を使うのがファッションとされた時期があったのですが、ソ連の崩壊によって土着のトゥヴァ語が生き残った。それでも外の世界と接触するためには、ロシア語、中国語、英語をマスターする必要があり、時代の経過とともにトゥヴァ語も消えてしまう危険性はある。
National Geographicに出ていたトゥヴァ語をあと二つ紹介します。一つは "ezenggileer"。これは乗馬のときに足を掛ける「あぶみ」(stirrup)という意味があるのですが、もう一つ馬のギャロップ(足踏み)のリズムにあわせてトゥヴァ独特の「喉歌」(喉を詰めて笛のような音を出す歌唱法:throat
singing)を歌うという意味もある。ここをクリックするとトゥヴァの喉歌を聴くことができます。
もう一つ紹介するべきトゥヴァ語は "songgaar" と "burungaar"のペアです。前者は「後戻り」(go back)という意味で、後者は「前進する」(go forward)という意味なのですが、ややこしいのは前者に「未来」(the future)という意味があり、後者には「過去」(the past)という意味があるということです。National Geographicによると
- トゥヴァ人は過去は自分の前方にあり、未来は自分の背後にあると考えている。
Tuvans believe the past is ahead of them while the future lies behind.
とのことです。
世界の人口はおよそ70億とされているのですが、世界中で使われている言葉の数は約7000言語らしいですね。平均すると一言語につき100万人ということになる。もちろんこんな平均は全く当てはまらない。中国語は13億4000万人、英語は5億3000万人、スペイン語が4億2000万人ときて、日本語だって1億人以上いる。これらの言語を「大言語」(large languages)とすると、85の最大言語が世界の総人口の8割の人々によって使われ、3500ある最少言語(smallest languages)を使っているのは825万人となる。National Geographicによると、いま現在、2週間に1言語の割で少数言語が消えて行っており、21世紀が終わるころには7000のうちの半分が消えてしまうと推測されているのだそうです。
National Geographicのエッセイは
- ある言語がこの世から消えることによって、本当は何が失われるのか?
What is lost when a language goes silent?
と問いかけています。
▼このむささびジャーナルの最初に使っている写真はメキシコの土着民族・セリ族の少女ですが、現在この民族の言葉を使えるのは650~1000人と推定されている。写真の少女は自分たちの言語を制圧してしまったスペイン語への反抗心から、ほとんど誰も使わなくなったセリ語を勉強するために学校を中途退学、教師をめざして独学中だそうです。
▼そのセリの諺に「人間、誰でも内側に花があり、その花の内側に言葉がある」(英語で:everyone has a flower inside, and inside the flower is a word)というのがあるそうです。つまり言葉が人間の核心であり、セリ語育ちとスペイン語育ちは全く異なる人間になると考えられている。
▼ウィキペディアによるとアイヌ語を流暢に話せる人は10人しかいないのだそうですね。また奄美語、国頭語、沖縄語などがユネスコによって「危機に瀕する言語」に指定されている。ある言語がこの世から消えるということは、その言語によって顕されていたもののやり方(狩りの仕方・作物の栽培方法など)が消えるということでもありますよね。言語のグローバル化というわけですが、日本で言うと「標準語」の普及ですね。言うまでもないけれど「標準」というのは大多数が採用しているやり方という意味に過ぎないのであって、「正しい」とか「正しくない」ということとは別のハナシですよね。 |
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6)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら
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blatant:厚かましい・見え透いた
blatant(カタカナで「ブレイタント」)を研究社の英和辞書で見ると「露骨な」「図々しい」などという日本語が並んでいます。Oxfordの辞書によると
- (of bad behaviour) done openly and unashamedly
となっている。「(好ましからざることを)おおっぴらに・恥も外聞もなく行うこと」という意味です。例文を挙げると
- a blatant lie:あからさまなウソ
a blatant publicity campaign:見え見えのPR活動
などがあるけれど、むささびが最近見た例としては、沖縄・名護市の市長選挙を報道するThe Economistの記事中に次のような部分がありました。
- Even by Japanese standards, the transaction on offer from the central government in Tokyo was particularly blatant.
日本の標準からしても、東京の中央政府からの取引のオファーは特に恥も外聞もないものだった。
市長選の応援に駆け付けた自民党の石破茂幹事長が街頭演説で「名護市発展のために新たに500億円の振興基金を作る」と語ったことを指しています。要するに「普天間基地の移設を受け容れるならば500億円差し上げます」と言っている。石破さんのblatantぶりはここをクリックすると動画で見て聴くことができます。が、この人のblatantぶりは文字でここをクリックして文字で読むほうが真実味があります。ちなみに石破さんは、稲嶺さんが市長になったことを受けて、この500億円構想については「ゼロベースで見直す」と発言したのだそうですね(笑)。
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7)むささびの鳴き声
▼毎日新聞(1月20日)に出ていた『風知草:リスクを問え』というコラムは、都知事選について語っているのですが、むささびが共感を覚える部分が二つありました。一つは「原発問題」、もう一つは「選挙活動のあり方」です。まず、争点にはなり得ないという人もいる「原発問題」について、筆者の山田孝男さんの文章をコピペします。
- 「原発ゼロ」は数ある論点の一つではない。明日の東京のありようを決める大論点である。これを根幹と考える人は社会とライフスタイルの変革をめざす。これを枝葉と見る人は現状維持をめざす。
▼「社会とライフスタイルの変革をめざす」という部分は、1月22日の記者会見における細川さんの次の言葉と重なります。
- 腹いっぱいではなく、腹七分目の豊かさでよしとする抑制的なアプローチ、心豊かな幸せを感じ取れる社会を目指す。
▼「原発を使って大量生産・大量消費」というこれまでの生活のあり方を変えようと言っている。名護の市長選挙の「論点」も、本当はここにあったのではないか(とむささびは考えている)。自民党の石破幹事長に「基地を引き受ければ500億円の振興基金をあげます」と言われれば、これまでなら受け入れられた。それはそうでしょう、おかげで道路が整備され、図書館が出来、橋もかかって便利になり・・・市長、よくやった!というわけです。
▼安倍さんも石破さんも、それこそが「政治」だと思ってきたし、現に県知事は3000億円とかいうオファーを喜んで受け入れた。なのに名護ではこれが拒否された。名護の市長と彼を支持した人たちは、「500億円もするキンキラキンの道路も図書館も要らない」と言ってしまった。
▼安倍さんも石破さんも、東京では名護のようなことはあってはならない、桝添支持に全力投球を・・・というわけですが、そこで間違いなく出てくるのが「オリンピックの大成功で日本を取り戻す」というスローガンです。都知事選における「オリンピック」と名護の市長選における「500億円」は、「これを言えば泣く子も黙るだろう」と安倍さんと石破さんが思い込んでいるという点では共通している。
▼それはそうでしょう、オリンピックの「経済効果」を考えてみなさい、東京が潤えば東北も潤う(ことになるはず)、しかも世界に日本の復活をアピールできるんですよ、オリンピックに消極的な都知事なんて、国際公約違反と言われて、中国や韓国に笑われますよ・・・というわけですよね。辞めた猪瀬知事は、オリンピックに反対の人々のことを「引きこもり」と呼んでいた。名護市民は「500億円」を拒否して自分たちの生活スタイルを守ることを選んだ。東京都民はどうするのか?
▼『風知草』コラムでむささびが共感を覚えたもう一つのポイントである「選挙活動のあり方」について、筆者の山田さんは、「老婆心ながら」としたうえで都知事選に立候補した細川さんに
- 浮ついた成功を求めて野合、奇策に走らぬように。濁った勝利より筋の通った敗北を選ぶ気概をもち、選挙論戦の質を大切にしてもらいたい。
と呼びかけています。
▼これもまた安倍さんや石破さんが「政治」だと思い込んでいるものへの挑戦です。「自民党の時代は終わった」と言ったはずの舛添さんは、都知事選で自民党の支持を受けることについて、日本記者クラブにおける記者会見で次のように言っている。
- 選挙なので、いかなる団体、政党でも、一人でも多くの方の支持をいただかないと勝てない。いろんな団体の方とも政策協議をやる。
▼安倍・石破・舛添トリオにとって、「政治」とは「とりあえず数を集めること、何をするかは二の次」ということです。「濁った勝利より筋の通った敗北を選ぶ」という姿勢はそのような政治感覚に対する挑戦です。きっちり筋を通すこと、それが「分かりやすさ」や「納得」に繋がる。「脱原発」は、選挙に勝てばいいというものではないし、負けても終わりではない。
▼ところで1月17日の時事ドットコム(時事通信のサイト)に掲載された田中秀征元経企庁長官との単独インタビューは読んで面白いですよ。都知事選に細川さんが出馬、これを小泉さんが支持するというシナリオの推進役だった人です。聞き手は時事通信の芳賀隆夫編集委員。政治の世界のハナシである割には薄暗い部分を感じさせないインタビューです。ご一読を。 |
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