musasabi journal

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292号 2014/5/4
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美耶子の言い分 美耶子のK9研究 むささびの鳴き声 どうでも英和辞書

何やら初夏のような天気です。こうなると「暑いのはイヤだ。冬が恋しい」などと考えたりするのだから、むささびも勝手なものです。あの大雪に音を上げて「熱中症があっても夏の方がいい!」などと言っていたのですからね。上の写真はアフガニスタンの少女です。

目次
1)北アイルランド、再燃?
2)憲法24条を書いた人
3)中国系マレーシア人のMade in Japan観
4)ロシアは鎖国状態?
5)「先進国」の自信喪失
6)どうでも英和辞書
7)むささびの鳴き声
*****
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1)北アイルランド、再燃?

日本のメディアではどの程度報じられているのか、よく分からないけれど、英国で再び北アイルランドが妙なことになりつつあります。かつてテロ組織と言われたIRAの政治組織であるシン・フェインという政党のジェリー・アダムズ党首が、こともあろうに殺人事件にかかわったとして逮捕されるという事態になっているのです。

殺人事件が起こったのは40年以上も前の1972年12月のこと。殺されたのはジーン・マコビル(Jean McConville)という、10人の子持ちの母親だったのですが、その頃はテロ事件が相次いでいた北アイルランドで傷ついた駐留英軍の兵士を助けたというので、IRAによって密告者として疑われて拷問・殺害されるという事件が起こった。

ジェリー・アダムズ氏が直接拷問に関わったかどうかはともかく、彼が当時のIRAのベルファスト(北アイルランドの首都)におけるコマンダー(指揮官)という立場にあったとされている。但しアダムズ氏自身はIRAのメンバーであったこと自体を否定しているのですが・・・。

現在の英国ではスコットランド、ウェールズ、北アイルランドに対してはかなりの自治権を有した「政府」が存在しているのですが、英国帰属を主張する民主統一党(38議席)と強硬なアイルランド・ナショナリズムを主張するシン・フェイン(29議席)の連立政権が統治している。アダムズ氏はそのシン・フェインの党首であるわけです。

アダムズ氏は現在、警察で取り調べを受けているのですが、殺人事件への関与はもちろんのこと、自分がIRAのメンバーであったこと自体を否定しています。警察は英国時間の5月4日午後8時(日本時間の5日午前5時)までに殺人で起訴するか、釈放するかの選択をしなければならない。一方、ベルファストではアダムズ氏釈放を求める集会などが開かれ、騒然としてきているとBBCが伝えています。

▼BBCのサイトによると、ジェリー・アダムズ氏はかつては西ベルファスト選出の英国の下院議員(MP)であったのですが、現在はアイルランド共和国のCounty Louthという郡選出の議員であると伝えています。このあたりも北アイルランド和平なるものが如何に苦肉の策というか複雑な問題であるかを示唆しています。

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2)憲法24条を書いた人

昨日は憲法記念日。ジャーナリストの大熊由紀子さんによると、日本国憲法の大きな特徴は、「103項の3分の1を占めている人権の項目にある」ことだそうです。この憲法が出来る前の日本には「人権」という言葉そのものがなかった・・・。大熊さんが主宰するホームページに、この憲法の草案作りに参加したベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)という女性のことが詳しく書かれています。恥ずかしながら大熊さんに教えてもらうまでは私、ゴードンという人の存在すら知りませんでした。

ベアテは1923年、ウィーンの生まれ。ウィキペディア情報によると父親が有名なピアニストだったのですが、1929年に東京音楽学校ピアノ科教授として来日、ベアテは5才から15才まで日本で育ったとのことです。戦争中は日本を離れてアメリカで暮らし、1946年、マッカーサー元帥の率いる連合国最高司令部(GHQ)のスタッフとして再び来日するのですが、そのときに新憲法の草案作成のチームに参加した。22才の彼女は法律には全く縁がなかったのですが、日本で育っただけに、女性の地位も含めて日本社会のことはよく知っており、憲法の中でも女性の権利に関する項目の草案を作ることになった。ベアテ・シロタ・ゴードンは2012年12月30日、89才で死去するのですが、日本の憲法草案作りについて
  • 日本政府の男性たちは、草案の男女平等のところにくると、強く反発しました。『日本には向かない。日本には、女が男は同じ権利をもつ土壌がない』というのです。
などと回想していたのだそうです。彼女が担当した「女性の権利」は第24条で謳われています。念のために条文を確認しておくと次のようになっています。

第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
Marriage shall be based only on the mutual consent of both sexes and it shall be maintained through mutual co-operation with the equal rights of husband and wife as a basis. With regard to choice of spouse, property rights, inheritance, choice of domicile, divorce and other matters pertaining to marriage and the family, laws shall be enacted from the standpoint of individual dignity and the essential equality of the sexes.

彼女の死後、2013年1月12日付のThe Economistが追悼記事を掲載している。それによると、日本側の担当官はこの条文を忌み嫌っていたのですが、「シロタさんはこれで決まりだと確信している」(Miss Sirota’s heart is set on this)と伝えると、不承不承受け入れたのだそうです。日本人の担当官の間ではベアテは人間的に大いに好かれていたことがその理由であったらしい。

The Economistが追悼記事には次のような個所もありました。
  • ベアテは、戦後の日本国憲法の中で第24条が最も重要であるとは考えていなかった。その栄誉は第9条にこそある、と彼女は述べている。第9条によって日本は戦争を否定し、平和を受け入れたのだから。彼女の第24条は二番目に重要な項目とのことであった。
    She did not think Article 24 was the most important clause in Japan’s post-war constitution. That honour, she said, belonged to Article 9, under which Japan renounced war and embraced peace. And hers was second.

▼ベアテは自分が日本国憲法の作成にかかわったことは30年以上公にしなかったのですが、そのあたりの事情については、大熊さんのサイトに掲載されている、ベアテの娘さん(ニコル)のスピーチの中で明らかにされています。要するに弁護士の資格もない、ただの女性であった自分が草案作成に関わったということを言ってしまうと憲法そのものにキズが付くと考えたということであったようです。

▼ちょっと興味深いのは、アメリカ議会でイラクとアフガニスタンにおける憲法の作成について意見を求められたベアテが、女性の権利が憲法で保障されるということがどのような意味を持ち、どのように人々の生活を変える力になりうるかについて、日本の女性に意見を聞くべきだ、と証言したということです。

▼現在の憲法を「アメリカに押し付けられたものだから」という理由だけで、「破棄すべし」という意見を述べる石原慎太郎のような人物が東京都知事になったことがあるということ自体が実に情けない。女性の権利保護という考え方について「日本には向かない。日本には、女が男は同じ権利をもつ土壌がない」とベアテに述べた日本人がいるのだそうですが、それは誰だったのでしょうか?慎太郎さんの親戚かも?!その意見に従うならば、女性の社会進出などもってのほかで、それが故に人口減で国そのものがなくなるのも黙って見るしかないということですね。

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3)中国系マレーシア人のMade in Japan観
英国の文芸誌・Grantaのサイト(4月16日付)に中国系マレーシア人作家のTash Aw(歐大旭)という人のエッセイが載っています。タイトルは というのですが、日本語にすると「一針入魂」。この言葉はTash Awが愛用している日本製のリュックサックに縫い込まれているものです。このエッセイは、英国で知られている作家がMade in Japanというテーマでエッセイを書くというシリーズの第一弾です。

エッセイは彼の日本についての子供のころの想い出話から始まります。と言っても、日本と接触したというわけではなく、中国系マレーシア人である両親を通じて知った日本体験です。彼の両親は戦争中、マレーシアで過ごしたのですが、当時、中国系のマレーシア人は占領日本軍から特にひどい目にあわされていたので、戦争が終わってからもマレーシアの中国人社会では、日本品不買運動まで起こっていたのだそうです。日本製品のボイコットは戦争中の反日感情に根差していたものなのですが、
  • (そのころの中国人社会では)誰もが日本品ボイコットの理由をはっきり口にすることを嫌がった。彼らが日本製品を買わない理由として挙げたのは、質が良くない、大量生産品で安っぽい、日本人はドイツの真似をしているだけで、自分の想像力など何もないのだ。
    But this was a difficult subject which no one wanted to articulate, and so the reasons they offered for their prejudice against Japanese goods had to do with quality, or rather, the lack of it. They’re mass produced. They’re cheap. They just take German things and copy them. They have no imagination.
とのことであります。

▼この部分は分かりにくいけれど、非常に興味深いところです。マレーシアの中国人たちは戦争中の酷い体験のお陰で日本嫌いになり、それが日本製品不買運動の理由であったのに、それを認めたくなかった?自分たちが日本製品を買わないのは安物を買うのがイヤだからであり、戦争の想い出とは無関係・・・というふりをしていたと言っているようにとれます。

▼さらに興味深いのは、マレーシアの中国人たちは日本製品をバカにするために「ドイツの猿まね」とは言ったのに、何故か「英国のマネ」とは言わなかった。英国の植民地であった彼らにとっても英国よりもドイツの製品の方が質が優れているという定評があったということ?

Tash Awの正確な年齢はどこにも出ていないのですが、Grantaによると、生れは台湾で、両親がマレーシア人で育ちもマレーシア、18才の時に英国へ移住して以来ロンドンに住んでいる。上に述べた反日感情や反日本製品観は彼の両親の世代のハナシのようで、彼は自分のことを「戦争のことなど知識としてさえほとんど知らない世代」であると言っています。その世代のマレーシア人にとって「日本は進歩の象徴であり、破壊の象徴ではなかった」(Japan represented progress, not destruction)。

Tash Awが育ったマレーシアは、英国による植民地主義から卒業して自分自身の姿を追求しようとしている国であったわけですが、その頃のマレーシア政府のキャンペーンが「英国製品は最後に買おう」(Buy British Last)であったのですが、それにとって代わったのが1980年代になってマハティール政権が始めたLook East政策だった。
  • マレーシア人にとってはまだ開花期であったアジア人としての意識は、育ての親のようなものを必要としていたのであるが、80年代初期の日本は明らかに育て親の候補者であったのだ。経済的に力があったというのみならず、豊かな歴史と伝統の感覚をも有する国であったのだから。
    Our nascent Asian identity needed a foster parent, and in the early 1980s, Japan was the obvious candidate - a country that was not just economically powerful, but that possessed, too, a rich sense of its history and traditions.
日本製の電気がまが出回り始めたころのマレーシア人が日本製品について口した言葉は
  • Yes, I know, but they are so practical.
というものだった。「分かってるんだけど、どれも使い勝手がいいから・・・」というわけですが、意味するところは日本品を使うなんて情けないという風潮に対する言い訳のようなものだった。クルマ、ステレオ、ウォークマン、テレビ・・・どれもこれも日本製になりつつあったというわけです。

製品が受け入れられると「文化」がこれに続く。製品のみならず日本の文化に関心を持つことが「許された」(acceptable)だけではなく、「望ましい」(desirable)こととされるようになった。彼の母親は日本語を習い始め、生け花までやるようになった。たった10年足らずの間に日本製品のみならず日本そのものに対するマレーシア人のイメージが全く変わってしまった。

と、これは20年位前における日本製品のハナシです。Tash Awによると、東南アジアにおける日本品へのイメージはというと、最高の品質を誇るものなのですが、それは最新の技術に裏付けされている製品というだけでなく、古くからの手法を受け継いでいまだに手作りされているモノという意味もある。ただいずれにせよ値段が高い。クアラルンプールの店で日本製のジーンズが300ドルで売っていた。店の人に確かめたところ肩をすくめて「最近じゃ皆おカネもっていますから」(People got money these days)と言われてしまった。300ドルなんて普通の食堂で働く労働者にしてみれば一か月分の給料よりも高い。
  • しかし最近のアジアのブルジョア消費者たちにとって日本品は洗練と品の良さの象徴となっている。わずか30年前の日本品のイメージとは正反対なのだ。
    But for those cash-rich consumers who make up the growing Asian bourgeoisie, Japanese goods symbolize refinement and good taste, the very opposite of what they stood for a mere thirty years ago.
Look East政策の初期のころには、マレーシア人(特に中国系マレーシア人)にとって日本語をしゃべったり、空手を習ったりというのはアホらしいこととされていた。なのに今では日本文化についての認知度は格段に高い。これは日本史を学んで獲得したものではない。すべて日常生活における日本品とのかかわりの中から生まれたものです。つまり・・・
  • 私たちは歴史が教えるものといより、自分が眼で見たり使ったリするものを良しとしているのである。
    We appreciate what we can see and use, not what history tells us to.
ということだそうであります。

▼私(むささび)自身、文学の世界のことなど全く不明なのですが、Tash Awという人は2005年に最初の小説(The Harmony Silk Factory)でWhitbread Awardという文学賞を獲得している。Five Star Billionaireという最新作はあちらこちらの新聞の書評欄で紹介されています。
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4)ロシアは鎖国状態?
 

このむささびジャーナルが出るころウクライナがどういうことになっているのか見当もつかないけれど、4月22日付のドイツの週刊誌、Spiegelのサイト(英文版)がロシア国内の雰囲気を伝える記事を掲載しています。同誌の特派員が伝えているのですが、
  • ウクライナ危機に関連するプロパガンダ戦争によって、ロシア・ナショナリズムが復活しており、野党の政治家もインテリ階級と目される人々も、急にプーチン大統領を賛美し始めている。
    The propaganda war in the Ukraine crisis has spawned a renewal Russian nationalism, with members of the opposition and the intellectual class suddenly praising President Putin.
と言っている。

ナショナリズムの高まりで世の中がおかしくなっている例として、オルロフと呼ばれる小さな村でドイツ語の教師をしているAlexander Byvshevという人物の身に起こったことが挙げられている。彼はロシア版のFacebookのようなソシアルメディア上に次のような短文を掲載した。
  • 私は幼いころからウソをついてはいけないと教わってきた。ロシアがクリミアをウクライナから盗んだとしたら、それは泥棒というものだという事実をはっきり述べなければならないだろう。
    From a very early age, I have been accustomed to not telling lies. If Russia stole Crimea from Ukraine, then one has to speak openly about the fact that it was theft.
「クリミアのロシア編入は泥棒行為だ」とはっきり言ってしまったわけですが、これが地元の大衆紙に取り上げられて次のような記事になって紹介された。
  • 我が国の外の敵たちが歯をむき出しにして死の跳躍を行おうしている、この困難な時期にロシアの中にあって国を滅ぼそうとしている人間がいる。例えばA. Byvshevだ。
    In these troubled times, when enemies outside the country are showing their teeth and preparing to take the leap of death, you can find people who would like to undermine Russia from within. People like A. Byvshev.
「国賊」「非国民」扱いというわけです。この記事のおかげで、このドイツ語教師は親戚から口をきいてもらえず、仕事先からも無視されただけでなく、地方検事は彼を「憎悪を奨励した罪」の罪で逮捕するとまで言い始めている。本当にこの罪で有罪になると2年の懲役刑なのだそうです。

Spiegel特派員の見るところによると、最近のロシアでは政府のプロパガンダが全く無批判に受け容れられてしまっている。「アメリカの支援を得ている」キエフのウクライナ政権が、「祖国」を危機から救おうと献身的に戦っている東部ウクライナの人々を弾圧している。これら東部の英雄たちはロシアのサポートを必要としており、彼らを救うために駆けつけているのがプーチン大統領であるということになっている。ロシア人にとって、プーチンは長年にわたる屈辱の後、西側に対してついに仕返し(paying back)の行動に出た大ヒーローとなっているわけです。

では批判勢力は全くいないのか?というと必ずしもそうではない。クレムリンのやっていることに批判的な新聞もいくつかはある。ただそれらはいずれも発行部数が限られていて、一般的な影響力も大きくない。

そんな新聞の一つがビジネス紙のVedomosti。創刊1866年というから相当な歴史を有しており、政党や権力(オリガーキー)からの圧力なしに自前のコラムニストや記者を抱えている。いまやこの新聞がロシア国内の反政府知識人たちの砦のような存在になっているのですが、37才という若さで論説委員を務めているNikolai Eppleという記者によると、Vedomostiは中道を行っているつもりなのに「今のロシアの指導部が狂ってしまった」(Russian leaders have gone mad)ので、どうしても反政府的になってしまうのだそうです。

ただこの人が非常に気になることを言っている。かつてのソ連時代は、ロシア人たちは政府の言うことなど所詮はプロパガンダというわけで、真面目にとることもなく陰で笑っていた。なのに・・・
  • こんにちでは多くのロシア人が、(政府の息がかかっている)ウクライナ・レポートをマジメに信じてしまっている。これは危険なことだ。
    But now many believe the reports coming out of Ukraine -- and that is dangerous.
というわけであります。ソ連時代には今以上に言論統制が敷かれていたけれど、みんな政府の言うことなど信じていなかった。かつてよりは言論統制も少なくなった現在、今度は政府の言うことをマジメに信ずるようになっている・・・という皮肉です。

この論説委員は最近のプーチンについて、国際社会との対話ではなく、自分の影響力が及んでいるエリアを外敵から守ることにのみ力を入れており、一種の鎖国状態(cordon sanitaire)を生み出そうとしていると言っている。
  • 我が国のヒステリア状態にブレーキをかけるような能力のある人物が現れてくれないものかといつも考えている。
    I wonder each day of there is anyone who is capable of putting the brakes on the hysteria in our country?
というのが若い論説委員のコメントであったそうです。

▼ソ連時代は政府の言うことなど所詮はプロパガンダというわけで、全く信用していなかった・・・とコメントする論説委員は37才。ソ連が崩壊したのはいまからざっと25年前だから彼は12才あたりです。彼のいわゆる「ソ連政府のプロパガンダ」華やかなりしころ、彼は生まれてもいなかったかもしれない。なのにこのような発言をするのは、彼の両親や上司などからの又聞き的なコメントなのでしょうか?

▼いずれにしても37才のジャーナリストが、現在の状態を非常に住みにくいと感じている。結局、ウクライナ問題というのは、1917年のロシア革命から1991年まで74年間も続いた社会システム崩壊の後始末の一環ということなのでししょうか?

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5)「先進国」の自信喪失

 

英国の世論調査機関のIPSOS-MORIが世界20カ国を対象に、「若者の将来」というテーマで行った調査結果によると、42%が悲観的、34%楽観的という平均値が出ているのですが、欧米の人々が悲観的であるのに対して、中国・インド・ブラジル・トルコ・ロシアのような新興国の人々は楽観的であることが分かります。調査結果の全体像はここをクリックすると出ていますが、ここでは8カ国に絞って紹介してみます。

調査は三つあります。
  • 1)現在の親世代が考える子供たちの将来
    2)現在の若年層が考える自分たちの将来
    3)子供たちの将来のために親世代は我慢すべきだと考える人の割合

まず現代の親世代が考える子供たちの将来ですが、中国人の親世代の8割が「いまより良くなる」と考えていて群を抜いているのですが、インド、ロシア、ブラジルなどが悲観論より楽観論が上回っている。反対に極端に悲観的なのがフランスですが、おしなべて西欧(英国・ドイツなど)は悲観論が多い。アメリカ人もかなり悲観的です。日本や韓国における楽観論は同じですが、悲観論になるとなぜか韓国の方が高い数字が出ています。


では若い世代自身はどう思っているのか?30才以下の人々の意見を聞いているのですが、ここでも中国人の楽観論が群を抜いている。楽観的という人が半数を超えているのは中国だけで、あとはすべて5割を割っている。ここでも英国をはじめとする西ヨーロッパの国々の若い世代の悲観論が目立つのですが、ちょっと意外なのは韓国の若い世代がかなり悲観的なのですね。韓国の場合、親も含めたすべての世代は若者の将来について4割が楽観的なのに、若い世代自身ではそのような感覚を持つ人は3割を切っている。日本の30才以下は世界平均より楽観的で、韓国、西欧諸国、アメリカに比べるとかなり楽観的です。これもちょっと意外な気がしませんか?


3つ目の「年寄りは若い者のために犠牲になるべきか」という質問については、韓・中・日が平均よりも「なるべし」という意見が多く、ロシアも含む欧米はすべて平均以下となっています。欧米とアジアの感覚の違いなのかもしれないのですが、このグラフには入っていないけれど、この部分に関してはトルコ人の7割が、親は子供の将来のために犠牲になるべしと考えておりこれがダントツです。一方、ドイツ人が極端に拒否反応を示しているけれど、これは何なのか?IPSOS-MORIによると、これは必ずしもドイツの年寄りが利己主義というのではなく、親は親、子は子という意識が強く、親が子供世代の重荷になりたくないという意識の表れだとしています。

▼IPSOS-MORIのこの調査の関連記事が4月14日付のGuardianのサイトに出ており、24才になる中国人の大学院生のコメントが紹介されています。それによると、中国の若い世代は実際に物事が良くなっていくと信じていると言っている反面、自分の世代の問題点として「衝動的」(impetuous)であることが挙げられています。我慢とか集中心に欠ける。いわゆる一人っ子政策(one-child policy)のおかげで兄弟姉妹を持っている若者が非常に少なく、みんなそれなりに欲求が満たされてしまっているけれど、親世代のように戦って物事を成し遂げるという気持ちが薄いのだそうです。
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6)どうでも英和辞書
 A-Zの総合索引はこちら 
somewhat:ある程度

英国の社会意識研究所が毎年行っている英国人の社会意識調査の2013年版(2013 British Social Attitudes)の中に「英国人であることの誇り」(Proud to be British)という項目があります。「英国人であることにどの程度誇りを感じますか?」(How proud are you of being British?)という問いかけに対する英国人約1000人の答えは次のとおりです。

2003 2013
very proud 43% 35%
somewhat proud 39 47
not very proud 10 8
not proud at all 2 2

2番目の「ある程度は」というのがいちばん多いのですね。10年前はこれが2番目で、いちばん多かったのがVery Proudだった。somewhatという言葉は日本の世論調査でもよく使われますよね。「あなたは安倍内閣を支持しますか?」と聞かれて「ある程度支持する」と答える、あれです。not veryはかなり否定に近い。全面的に支持というわけでもないけれど「悪くないんじゃない?」という微妙な表現をしたい場合にsomewhatという言葉を知っていると便利というわけ。というわけで、この調査ではsomewhatも含めて82%が英国人であることに誇りを覚えているということになる。

似たような見てくれの単語にsomehowというのがありますよね。こちらは「何故か」という意味です。例えば
  • I know what we're doing is legal but somehow it doesn't feel right.
    私たちのやっていることが合法的だということは分かっているんだけど、どういうわけか正しいとは思えないんだよね
という言い方。なんだかうまく言えないけれど・・・という曖昧さを伝えたいときに便利な言葉だと思いません?
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7)むささびの鳴き声
▼5月1日付の朝日新聞の社説の見出しが「護憲後援拒否 霞を払い議論をひらけ」となっていましたが、読みました?「護憲後援拒否」って何のことかと思ったら、憲法を守ろう(護憲)という集会を行おうとした団体が、地元の自治体に「後援」を申請したら断られたというケースが増えているというハナシでありました。何かのイベントがあると、宣伝のためのポスターや電車の中づり広告などが作られるのですが、大体どのイベントでもポスターの隅の方に「後援」として政府機関やよく知られた企業の名前などが列挙されています。

▼例えば5月10日から16日まで、西武球場で開かれる『国際バラとガーデニングショウ』というイベントの場合、外務省、農林水産省、国土交通省のような日本の政府機関から英国、フランス、オランダ、モナコのような外国の大使館の名前などが小さな文字で並んでいます。いずれもイベント主催組織の担当者がそれぞれの機関に「後援名義」を申請、承諾を得て名前を印刷しているわけです。このイベントの場合、「後援」だけでなく「協賛」「共催」「協力」などの形で参加する企業や機関の名前が列挙されています。

▼はるか昔のことですが、駐日英国大使館で仕事をしていたときにたびたび「後援申請」なるものを受け付ける立場になったけれど、実は「後援」というのが何を意味するのかよく分からなかった。催し物に対する「名目上の支持」ということなのですよね。金銭が絡むわけではないし、イベントの運営に責任をもつわけでもない。「よろしいんじゃありません?」という意思表示のようなものであったのですが、関係者にしてみればイベントの箔付けのためには非常に大切なものであったようです。

▼単なる箔付けが目的とはいえ、その機関の名前が印刷されるのだから自分勝手にオーケーというわけにもいかない。私の場合は、英国大使館内部の了解を取り付ける作業に関わったわけですが、そのためにはメモのようなものを作らなければならないし、そのイベントに大使館が「後援者」として絡むことが適切かどうかの判断をして説明しなければならない。これが面倒で本当にイヤでありました。「後援」は英語で何と言えばいいのか?「名前だけの支持」だから "nominal support" という言葉を使った記憶があるのですが、途中からローマ字でkoenとやるようになってしまった。

▼で、朝日新聞の社説ですが、護憲のための集会を県や市町村のような自治体が「後援」することを渋るようになっているのだそうですね。その理由は「政治的中立性を損なう可能性がある」ということらしいのですが、不思議なのは神戸市のように過去2回は「後援」してきたのに何故か今年はアウト。朝日新聞によると、いまの憲法は99条において「公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」となっているのだから、護憲集会を「後援」するのは当然であり、それを拒否するのはお役人の事なかれ主義であるという意味のことを言って批判しています。

▼むささびは、憲法を変えることには反対です。が、関連行事を主催する方々の間では常識になっているように見える、国の機関や地方自治体の名前を後援組織としてズラリと並べたてることで行事に箔をつけようという発想もいい加減にしたらどうかと思う。尤も主催者がこのような子供じみたことをするのは、後援者のリストに「XX大使館」「YY省」「ZZ県庁」のようなものが入っているのを見て安心する人たちがいるからなのですよね。あながち主催者だけを責めるわけにはいかないかもね。ところでその護憲集会とか改憲集会の後援者に新聞社の名前が入ることってあるのでしょうか?

「憲法9条にノーベル平和賞を」実行委員会なるものがあるのですね。「日本は日米安保で守られているからノーベル平和賞などと呑気なことを言っていられるのだ」と、偉そうな顔をしておっしゃる「専門家」がたくさんいると思います。そんな人たちの言うことなど気にしとったらあきまへん。あきまへんでぇ!というわけで、長々と失礼しました。
 
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ラーメン+ライスの主張
「選挙に勝てる党」のジレンマ
オークの細道
ええことしたいんですわ

人生は宝くじみたいなもの

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イラクの人質事件と「自己責任」

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中国の反日デモとThe Economistの社説
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2006
The Economistのホリエモン騒動観
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『昭和天皇が不快感』報道の英国特派員の見方

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中学生が納得する授業
長崎原爆と久間発言
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よせばいいのに・・・「成人の日」の社説
犯罪者の肩書き

British EnglishとAmerican English

新聞特例法の異常さ
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東京裁判の「向こう側」にあったもの


2011
悲観主義時代の「怖がらせ合戦」
「日本の良さ」を押し付けないで
原発事故は「第二の敗戦」

精神鑑定は日本人で・・・

Small is Beautifulを再読する
内閣不信任案:菅さんがやるべきだったこと
東日本大震災:Times特派員のレポート

世界ランクは5位、自己評価は最下位の日本
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2012

民間事故調の報告書:安全神話のルーツ

パール・バックが伝えた「津波と日本人」
被災者よりも「菅おろし」を大事にした?メディア
ブラック・スワン:謙虚さの勧め

2013

天皇に手紙? 結構じゃありませんか

いまさら「勝利至上主義」批判なんて・・・
  
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