1)W杯:いまさらですが・・・イングランドの敗因
|
|
むささびジャーナルをお送りしている皆さまにとっては(おそらく)どうでもいいことでしょうが、サッカーのワールドカップ(ブラジル)にはイングランドもいたのでございます。対イタリアと対ウルガイがそれぞれ1-2で負け、コスタリカ戦は0-0の引き分けで、虚しくブラジルをあとにしたわけであります。成績は日本と同じなのですが、ワールドカップに寄せる想いの深さと広さはやはりイングランドの方がはるかに上だった。発祥地の地なのだから当たり前なのですが、イングランド敗退についてはスポーツとはあまり関係ないと思われていた雑誌などでも大学教授や評論家のような人がさまざまに語っています。
そんな語りの一つだろうと(むささびが)思うのは、Prospectという、日本でいうと『中央公論』のような雑誌にでていた
というエッセイです。書いたのはデイビッド・クラーク(David Clark)という社会問題評論家のような活動をしている言論人です。
現代のサッカーは1863年にロンドンで設立されたフットボール・アソシエーション (The FA) の設立にその起源を持つのだからイングランドは生みの親のようなものなのに、1930年に始まったワールドカップでは48年前の1966年に優勝して以来一度も優勝したことがない。負けるたびに「監督が悪い、選手に能力がない」というスケープゴート探しがメディアを中心に展開されるけれど、
- イングランド48年間の屈辱はより一般的に言うと我々の社会や経済の欠陥の反映なのだ。
There are more fundamental reasons for England’s 48 years of hurt and they reflect the deficiencies of our society and economy more generally.
とクラーク氏は言っている。
16世紀末にイングランドの私立学校を中心に始まったサッカーは、18世紀に始まった産業革命とともに勃興した都市労働者によって大衆的な娯楽スポーツとなり、大英帝国の海外進出とともに世界中に広がっていったのですが、これを取り入れた外国の中にはイングランドをも凌駕するようなところも出てくるようになった。その一方、第一世界大戦が始まった1914年ごろには英国は経済力の点でアメリカやドイツのあとを追うような存在になった。
クラークによると、英国の経済力とサッカー力が衰え始めたのは単なる偶然ではない(more than simple coincidence)のだそうです。他国が英国の経験から学んで強くなっていったのに、英国は他国から学ぶということを怠ったということ。英国でサッカーの世界を牛耳っていた人びとのアタマのなかには自分たちが考えるサッカーのあるべき姿というものがあった。それは「単純な肉体競技」という考え方で、トレーニングなどという行為をバカにする風潮を反映した「イングランドの上流階級が考える男らしさ」(peculiarly
English upper-class notion of manliness)というものだった。そのころにスコットランドのサッカー界が考えついた、パスをしながらボールをつないでいくやり方をバカにして、ハーフウェイラインを超えた途端に"shoot!!"
と叫びながらひたすらゴールを目指して突進することを美徳としたのも、イングランド風の「男らしい単純さ」だった。
デイビッド・クラークによると、サッカーにおける単純なシュート重視主義は英国流の資本主義のあり方にも表れている。つまりロンドンの金融街で商売する「ジェントルマン」たちによる短期的利潤追求の姿勢です。とにかく儲けを目指して一直線で、外国で何が求められているかをじっくり考えて、それに見合う製品づくりをするということはやらない。
そのような短期的利潤追求の姿勢が顕著に表れているのがイングランドのプレミアリーグである、とクラークは言います。1992年に始まったのですが、英国生まれで英国育ちというプレーヤーの数は開始当初の69%から32%にまで落ち込んでいる。自国の選手をスーパースターに育てるより、最初から強さが分かっている外国育ちを採用した方が手っ取り早い。監督の平均就任期間はたったの1年半。自社で熟練労働者を育てるより出来上がった外国人労働者を雇った方が早いというのと同じですね。
デイビッド・クラークによると、イングランドを強くするためにはドイツの「ブンデスリーガ」(Bundesliga)のやり方に学ぶべきところが大きいのだそうです。例えばサッカークラブの所有のあり方。イングランドではクラブを持つことが一握りの富豪のお遊びであったり投資の対象になったりしているけれど、ドイツではサポーターがオーナーであることを義務付けていることによって長期的な展望をもってチーム作りができる。
さらにブンデスリーガのチームは若手(youth)プレーヤーの育成にイングランドの2倍のおカネをかけている。自国の選手育成に力が入れられているということです。また監督の就任期間もほぼイングランドの2倍なのだとか。現在のプレミア・リーグのクラブは収入の71%を選手に対する報酬に充てている(ブンデスリーガの場合は51%)。イングランドのプロ選手には外国から来た高給取りが多いということです。
クラーク氏は、英国流の「ダメ資本主義」(bad capitalism)だけが「ダメ・サッカー」(bad football)の原因であるというつもりはないけれど、サッカーという英国の国民的な文化が短期的なモノの見方や時代遅れのやり方によって弱体化していることだけは間違いないと言っている。また「より責任のある資本主義を構築することが、長い眼で見たサッカーの欠陥是正に貢献することは間違いない」として、
- それがイヤだというのなら、(イングランドのサッカーにも英国の経済システムにも)何も問題がないかのように振る舞い続けることだ。いずれは次なる経済危機が訪れ、次なるワールドカップにおける敗退を目の前にすることになるだけだ。
The alternative would be to carry on as if nothing is really wrong until the next financial crash and the next World Cup exit.
と意地悪なことを言っている。
▼むささびは、サッカーのことはほぼ何も知らないのですが、たまにテレビでプレミアリーグの試合などを見ると、短いパスをちょこちょこ繋いでいく日本のサッカーに比べてロングパスが非常に多く、見ていて面白いということは言えるのでありますよ。でも、それがイングランド風、近視眼サッカーだったなんて、思いもしなかった。ただそれを近視眼的経済政策にまで当てはめるなんて、これも知らなかった。 |
|
back to top
|
2)名物キャスターが身を引いたNewsnight
|
|
BBCの看板ニュース番組の一つにNewsnightというのがあります。毎晩10時半から11時20分までの50分番組なのですが、最近、この番組の人気キャスター、ジェレミー・パックスマン(Jeremy
Paxman)が降板して話題になりました。25年間もキャスターをつとめ、特に政治家とのインタビューでは、歯に衣着せぬ口調で質問することで人気を得ていた人物です。この際、パックスマンがブレア首相にインタビューをした2003年2月6日のNewsnightを紹介します。インタビューは文字による速記録と録画による映像がそれぞれ見ることができます。その気のある方は録画と速記録を同時に見ると興味深いかもしれません。
イラク戦争が英米による爆撃で始まったのが2003年3月20日。このNewsnightはその約約1か月半前に放送されたものです。ちょっと変わっていたのは、インタビューが行われたのがロンドンのスタジオではなく、北イングランドのGatesheadという町の公会堂のようなところだったこと、会場にはどちらかというとイラク爆撃には批判的な意見を持った市民が招かれ首相に直接質問をぶつける一種の市民集会のようなものであったことです。実はこのインタビューについてはむささびジャーナルの第1号でも紹介しています。おそらくNewsnightという番組の歴史に残るものだと思うので、以前の「むささび」ではカバーされなかったところを中心に紹介します。
インタビューは、パックスマンがイラク爆撃の正当性についていろいろと質問をぶつけブレアもそれに答えて、サダム・フセインという独裁者に大量破壊兵器を持たせておくことが如何に危険なことかを説明して英米によるイラク爆撃を正当化しようと躍起になります。10分ほど過ぎたあたりで会場で聴いていた女性が次のような質問をします。
- 私は核兵器の所持や開発は、誰がやるのであれ完全に反対であり、それは英国やアメリカの核兵器についても同じことだ。英国もアメリカも多くの核兵器を持っている。忘れてならないのは、アメリカは核爆弾を投下したことさえあるということだ。自分たちが持っている核兵器を廃棄する努力は殆どしないで、イラクの核兵器開発を非難するなどということがどうしてできるのか?信じられないほど偽善的ではないか?
I'm totally opposed to anyone having, or developing nuclear weapons. But that goes for British and American nuclear weapons as well. This country has lots of nuclear weapons and the United States has nuclear weapons. The United States has dropped nuclear bombs, don't let us forget that. How can we possibly justify criticising Iraq for developing nuclear weapons when we're doing so little to get rid of our own. Isn't it incredibly hypocritical?
これに対してブレア首相は、英米は核兵器を持っているが国際的な取り決めに参加していること、また英国は隣国に対してこれを使用したことがないことからして、質問者が言うように「偽善的」であるとは思わないと主張します。そしてこの戦争の善し悪しについて英国民が心配していることについては「完全に理解する」(totally understand)と言って、「本当に理解している」(I genuinely do)と述べながら、それでもサダム・フセインは自国民に対して化学兵器を使うようなことを平気でやる独裁者であり「全く普通ではない」(Saddam Hussein is in a different category)と訴える。
と、ここでパックスマンが割って入ります。
- 中東における化学兵器の所有国を言うのならシリアはどうなのか?中東最大の科学兵器所有国ではないか。しかもあなたはシリアの大統領を招いて女王とお茶までさせているではないか。
Prime Minister, if you're looking at countries in the Middle East that have got arsenals of chemical weapons, I mean what about a country like Syria which has the biggest chemical weapons arsenal in that part of the world, and whose president you invite to this country to have tea with the Queen.
これに対してブレア首相は、
- シリアのアサド大統領は、フセインのように化学兵器を使って近隣諸国と戦争を始めたわけではない。
But he has not started a war with his neighbours, using those weapons.
と言いながらも、いずれはシリアのアサド大統領とも対決しなければならないかもしれないという趣旨の発言をする。2014年のシリア攻撃提案の前ぶれのようです。会場からはさらに次のような質問が出ます。質問者は女性です。
- (戦争になれば)多くのイラク人、多くの英国人、多くのアメリカ人が命を落とします。罪のない人間の血が流れるのです。
But so many Iraqis, so many British people, so many Americans are going to die. Innocent blood is going to flow.
これに対するブレアの答えは「戦争や紛争になればそうなります・・・」(If you get into war and conflict it is
true -)だったのですが、質問者が「戦争は避けられるのか?」(Can it be avoided?)と食い下がると、ブレア首相は
- 避けることは出来ますよ、サダム・フセインが国連の言うことに従うのなら・・・
Well it can be avoided if Saddam abides by the United Nations.
と答えたうえで、「自分が英国で出会ったイラク人難民がサダム・フセインが如何にひどい独裁者であるかを語っていた」という趣旨のことを延々と語り始める。すると質問者の女性が
- 私の質問に答えていないじゃありませんか。
No coming back to my question.
とブレアのトークをさえぎるように口をはさむ。するとパックスマンが
- 彼女が聞いたのは、罪のない人びとが死ぬことを貴方がどう思うのかということです。戦争になれば常に罪のない人が死ぬけれど、キリスト教徒として貴方はそのことをどう感じるのか?
She's asked you about deaths of innocent people, I mean as a Christian how do you feel about innocent people dying? As they always die in war.
と援護射撃すると会場が拍手で包まれる。が、ブレアも負けていない。もちろん罪のない人の死は避けなければならない、そのためには可能な限り戦争を避けなければならない・・・と言いながら、自分が進めたコソボとアフガニスタンにおける戦闘のことに言及し
- 結局ああするしか選択肢はなかったのですよ。
But in the end I felt on both occasions we had no option but to do this.
と言い張る。パックスマンが聞いた「キリスト教徒してどう感じるか」という質問には直接答えていない。パックスマンがさらに突っ込む。
- ジョージ・ブッシュも貴方もクリスチャンですが、そのことによって二人がイラクの問題などを「善か悪か」という視点で考えることが容易になるということはあるのか?
Does the fact that George Bush and you are both Christians make it easier for you to view these conflicts in terms of good and evil?
それに対するブレアの答えは
- そんなことはないと思う。クリスチャンであろうとなかろうと、何が善で何が悪なのかを分かろうとすることはできますよ。
I don't think so, no, I think that whether you're a Christian or you're not a Christian you can try perceive what is good and what is, is evil.
というものだった。ご記憶の方も多いと思うけれど、あの頃、ブッシュ大統領が口癖のように語ったのが、イラク、イラン、北朝鮮は「悪の枢軸」(axis of evil)という言葉だった。パックスマンはこのインタビューで、「悪の枢軸」という言い回しは下らない(silly)と言って、ブレアに賛同を求めたのですが、これは結局成功しなかった。
▼長々と紹介したけれど、これはほんの一部です。スタジオに視聴者を招いて市民集会的インタビューというのはそう頻繁にあるものではないのですが、ブレアは集まった市民がいずれも自分の対イラク政策に批判的であるということを承知で出演したのですよね。この録画を見ていると、ブレアなりに懸命になっていることだけは分かります。
▼日本の政治メディアが大好きなのは、「政治家の説明責任」という言葉ですよね。「集団的自衛権」の問題についても安倍さんが国民に対して説明責任を果たしていないという理由でこれに反対する声が聞かれると思うけれど、そのような意見をお持ちの人は、このインタビューのブレアについてどのように思うのか、知ってみたいところです。国民に向かって説明しないよりはする方がいいに決まっているけれど、いくら「説明」されても反対は反対ということはありますよね。
|
|
back to top |
3)スコットランド独立:どっちへ転んでもしこりが残る
|
|
今年の9月18日、スコットランドの英国(UK)からの独立の是非を問う国民投票が行われることは「むささび」でも何度か紹介したし日本のメディアでもそこそこ伝えられていますよね。「国民投票」と言ってもこの場合はスコットランド人だけが参加するという意味です。
- Should Scotland be an independent country?
スコットランドは独立国であるべきか?
という問いに対してYes or Noで答えるのですが、最近の世論調査によると、既に態度を決めていると言う人の間では、「独立すべき」(Yes)が39%なのに対して「すべきでない」(No)は61%と、独立否定の意見が勝っている。
最近のThe Economist誌がスコットランドの独立問題を特集しており、社説コーナーでもトップで掲載しているのですが、その見出しが
というものです。「アタシたち」とはもちろん「英国」のことです。The Economist誌にしてはパニック風の呼びかけですが、それほどことは深刻ということなのでしょうね。世論調査における反対派優位と言っても比率は6:4、圧倒的多数というわけではない。ほとんど国論二分という感じです。独立派が勝利した場合はさぞや大騒ぎになるのでしょうが、独立が否定されたとしても、その後のスコットランド国内、スコットランドとイングランドの間の感情的なしこりをどうするのかということはタイヘンな問題です。
The Economist誌の記事によると、スコットランド人は昔からイングランドを憎むことで自分たちの存在を確かめようというようなところがあった。スコットランドとイングランドが合併したのは307年前(1707年)のことですが、そのさらに400年ほど前の1320年にスコットランドの貴族たちがローマ法王に宛てた手紙の中に次のようなくだりがあるのだそうです。
- 我々が100人でも生きている限りにおいては、いかなる条件下といえどもイングランド人たちの支配下に置かれることはござりませぬ。
as long as but a hundred of us remain alive, never will we on any conditions be brought under English rule.
この種の反イングランド意識は現代にも受け継がれており、1960年代にスコットランドの歴史を見直そうという動きの中で、18世紀~19世紀の英国においてスコットランドのハイランド人たちが如何にイングランド人によって苛め抜かれたかという記述が復活したりするということがあったのだそうです。
しかしUnited Kingdomにおいてスコットランド人たちは彼らが主張するほど冷や飯を食わされていたのかというと、必ずしもそうではない。18世紀から20世紀初頭にかけて英国は七つの海を支配する「大英帝国」(British Empire)として君臨したわけですが、1885年から1939年、世界中に散らばる英国の植民地を管理した総督(governors-general)の3分の1がスコットランド人だったのだそうです。当時のイングランドの人口(約3000万)とスコットランドの人口(約400万)の比率を考えると、3分の1というのは確かに大きな数字ですね。
大英帝国華やかなりしころ、スコットランド人独立など考えたこともなかったはずであるが、事情が変わり始めたのが第二次大戦後になって英国が植民地から引き揚げ始めた時期である、とThe Economistは指摘します。さまざまな機関が縮小されたり、解体されたりしたわけですが軍隊もその一つだった。スコットランドから派遣されたハイランド部隊(Highland infantry regiments)が徐々に縮小され、最近(2006年)になって完全に解体された。それに伴って自分たちが「英国人」(British)であるとするスコットランド人の数も1970年の39%から2013年には23%にまで下落した、とThe Economistは言っている。
スコットランドが「英国」の中で本格的に苦闘し始めたのは、1970年代に始まった英国経済の「脱工業化」(deindustrialisation)に乗り遅れたあたりからです。それまでのスコットランド経済を支えてきた鉄鋼、造船などの重工業が海外(日本も含む)との競争に敗れ、経済的に置いてきぼりを食うようになった。これはスコットランドだけのハナシではなく、北イングランドもウェールズも同じような運命に苦しんでいたのですが、スコットランドでは伝統的に社会主義的な勢力が強く、組合運動も盛んであったことで、スコットランドの指導者たちが「社会民主主義スコットランド」を指向するようになり、「自分たちが望む社会民主主義を目指すためには独立するしかないのだ」(only independence can deliver the social democracy Scots want)という発想に傾いて行ったということです。
英国(United Kingdom)は92年前の1922年に当時の構成員(?)であったアイルランドを失っています。今回の国民投票では独立派が勝つことは避けなければならないが、独立反対派が勝利しても小差での勝利ではUnited Kingdomにとっては1922年以来の大打撃であるというわけで、The Economistは次のように呼びかけています。
- イングランド人たちの思い上がりと無関心に対してスコットランド人の怒りが増す一方で、イングランド人は、スコットランド人たちの泣き言とタダ乗り的態度に対して反感を持つようになってしまい、今回のスコットランドの独立キャンペーンは、極めて険悪なものになってしまった。それを葬り去るためにはスコットランドの英国残留が圧倒的多数で勝利するしかない。
The campaign has been a bad-tempered one, marked by growing Scottish anger at English complacency and indifference while English resentment of Scottish whingeing and freeloading has risen: only a strong vote for the union will bury this issue.
▼独立反対のThe Economistが言うのは、独立派が負けるにしても「完膚なきまでに負ける」のでない限り、しこりが残るというわけで、いまの世論調査のような6-4の勝利では全くダメであるということですよね。そこで言われるのが、連邦制の導入です。すなわちスコットランドと「英国」の関係をアメリカにおけるワシントンDCと各州の関係と同じようなものにするということ。いまでもスコットランドへの権限移譲はかなりの範囲で行われているのですが、これをもっと進めて、外交・防衛・経済政策以外は全てスコットランド政府の支配下に置くというものです。これを提唱しているスコットランド自民党の幹部は、連邦制を"apart
together”(離れているけど一緒)の状態であると表現しています。もっと進めて英国全体を連邦国家にするという提案をしているグループもあります。究極の地方分権ですね。これについては、また別の機会に紹介したいと思います。
|
|
back to top |
4)日本がちょっとだけ「普通」になった?
|
|
安倍首相の集団的自衛権に関する「閣議決定」について、ファイナンシャル・タイムズ(FT)のデイビッド・ピリング(David Pilling)記者が7月2日付のサイトで
という見出しの記事を書いています。
日本では大騒ぎされているけれど、「集団的自衛権」(collective self-defence)は殆どの国に与えられている、同盟国を防衛する権利(right)である、とピリング記者は言います。第二次大戦で日本と同様の立場(連合国の敵)であったドイツだってNATOに加盟(1955年)した時点で欧米の同盟国の防衛を義務付けられたのであり、世界の主要国である日本は例外的な存在(aberration)であったということです。
- 必要とあれば戦争に訴える用意があるという国がまた一つ現れたことを嘆かわしいと思うかもしれない。安倍晋三首相の国家主義的な言動を忌み嫌う向きがあるかもしれない。が、この際認識するべきなのは、今回日本が行ったこと(集団的自衛権に関する閣議決定)ことは「普通の」国にほんの少しだけ近づいたということにすぎないということである。
We may lament the fact that yet another country has declared itself ready, if necessary, to wage war. We may abhor the nationalistic rhetoric of Prime Minister Shinzo Abe. However, we should recognise that all the country has done is inch a fraction closer towards becoming a “normal” nation.
デイビッド・ピリングはかつてはFTの東京支局長であり、日本についての知識や経験もかなりのものがあるジャーナリストなのですが、このエッセイの中でいろいろと自問自答しています。
まず、日本が「集団的自衛権」のような普通の防衛体制を持つということはそれほど嘆かわしいことなのか?ということです。ドイツはアフガニスタンの戦争に軍隊として参加しており、徴兵制も持っている。なのに日本にはそれが許されない。日本はこれまでに何度も謝罪してきているにもかかわらず、真面目に謝っていない、だから日本が他国に比べて「信用できない」(untrustworthy)国であり、「悔いることがない」(unrepentant)国である、従って「集団的自衛権」も許されない・・・中国や韓国はそのような見方をするのだろう。
- しかし、日本は(太平洋戦争中に何をしたかということだけでなく)戦後何をしたかによっても判断されるべきであろう。その平和主義はアメリカの核の傘の下で庇護されたものであったというのは事実であるかもしれない。しかし1945年以後、日本は一切の武力紛争に直接かかわったことがないというのも事実なのである。
Yet Japan should also be judged by its postwar record. True, its pacifism has nestled under the protection of the US nuclear umbrella. But Tokyo has not been directly involved in a single conflict since 1945.
ピリング記者はさらに、安倍さんが憲法を変えるのではなく、その解釈を変えることによって集団的自衛権を確保しようとしたことについて、「狡猾(devious)」な態度なのではないか?という疑問について語っている。ドナルド・キーンは憲法第9条を「日本の栄光」(the glory of Japan)と呼んでいるのだそうですが、確かに憲法第9条は戦後日本の「ナショナル・アイデンティティ」(national identity)の礎石であり、憲法改正の国民投票をすれば間違いなく安倍さんは負けたであろうということでこれを避けて通ってしまった。
ピリング記者はこのような大問題にしては公共討論会のようなものが欠けていたことを指摘しているのですが、メディアの態度について疑問を呈していることがある。それは6月29日、東京の新宿駅で、ある男性が安倍さんの集団的自衛権の行使容認に抗議して焼身自殺を図るという事件があった。しかしそれほど大きく報道されることがなかったということです。なぜ日本のメディアはこれを報道する価値がある(newsworthy)と考えなかったのか?
- 中国のメディアが(ニュース価値に関して)選択的である場合、(日本も含めた欧米のメディアは)これを国家による検閲であると呼んでいるのだ。
When China’s media is similarly selective, we call it state censorship.
つまり新宿の焼身自殺未遂事件に対する日本のメディアの態度は、どこか中国政府の検閲を想わせると言っているわけです。
ピリング記者の自問自答の最後は、集団的自衛権の行使容認という自由を得た安倍さんが、それでどうしようとしているのかということです。日本には、これで日本がアメリカの戦争に巻き込まれる危険性が高まったという声があるけれど、ワシントンでは反対で、これで東シナ海における日中の領土争いにアメリカが巻き込まれることへの懸念があるのだそうです。
安倍さんとしては、中国との領土争いに直面するフィリピンやベトナムのような国を援護することを考えているように見える。そのことはこれらの国々にとっては有難いことかもしれないが、中国の怒りを扇り立ててしまうこともある・・・というわけで、
- 日本がより当たり前の防衛体制を持つ権利を否定するのは難しい。だた(日本がそれを手に入れたということを)我々がお祝いしなければならないという意味でもない。
It is hard to deny Japan’s right to a more normal defence posture. That does not mean we have to celebrate it.
とピリング記者は言っています。
▼ピリングは、戦後の日本の歩みを見れば「集団的自衛権=軍国主義の復活」というのは、中国や韓国がする政治目的のための主張にすぎないことが分かる、日本にだって「国際社会」と一緒になって国際秩序を守るための「自衛行動」に軍事的に参加する資格はあるのではないか・・・と言っているのですよね。このような考え方について日本ではきっちりした議論が行われてこなかったような気がしてならない。
▼今回、安倍さんは憲法改正をするのではなく、憲法の解釈を変えるという行動に出た。そのことについて国民の意思を無視したと批判する声が大きい。しかし安倍さんが正々堂々と「憲法9条を変えよう」と訴えた場合、日本人は本当に反対するのでしょうか?むささびが思うのは、憲法9条は「守る」ものではなくて、日本が自己主張するために「使う」ものなのではないかということです。手始めに、尖閣や竹島について、中国や韓国に対して、日本は領有権を放棄して、国際的な管理下に置くことを公の場で提案してみては? |
|
back to top |
5)集団的自衛権容認:地方紙の主張
|
|
昨年12月に安倍首相が靖国神社を参拝したときに、「むささびの鳴き声」で地方紙がどのような考え方をしているのかを紹介したことがあります(むささびジャーナル283号)。今回の「集団的自衛権閣議決定」についても同じことをやってみました。共同通信のサイトがリンクしている地方紙36紙の7月2日付の社説を調べてみたのですが、結果は次のとおりでありました。29紙の社説を紹介するわけですが、これ以外の7紙は7月2日の社説では「集団的自衛権」の問題を扱っていなかったということです。
で、29紙の社説ですが、安倍さんの「閣議決定」に賛成という新聞は福島民友と石川県の北國新聞の二つだけであとは基本的に批判的な意見を表明しています。27対2で安倍さんの負け。ついでに全国紙では安倍さんのやっていることに反対が朝日と毎日の2紙、賛成が日経、読売、産経の3紙で、地方紙の世界とはちょっと違う様相であります。
▼靖国参拝のときも反対論が圧倒的だった。けれど安倍さんにはそれが伝わったとはとても思えない。不思議だと思いませんか?全国紙を比較すると、3対2で集団的自衛権容認の意見の方が勝っているのですよ。それが地方紙になると、27対2で圧倒的に反対論の方が勝る。むささび自身は、反対の意見を持っているのですが、地方紙の世界の反対論にはどこか本当でないものを感じてしまう。「9条を踏みにじる暴挙」「9条破棄に等しい暴挙」「『9条』の信頼捨てるのか」「平和主義を踏みにじる」などなど、どこか似て見えるのですよ、私の眼には。どこかに「反対論」のマニュアルのようなものがあって、みんなそれに沿って書いているような・・・まさか、そんなことはないですよね。 |
ところで「集団的自衛権」の問題はともかく、世論形成に占める地方紙の影響力はどの程度あるのか?前から気になっていたところ、FACTA ONLINEというサイトにむささびの好奇心に応えてくれる情報が載っていた。2007年7月号とちょっと古いのですが、地方紙と全国紙の発行部数と世帯普及率についての表です。いくつかの例を紹介します。
地方紙と全国紙の発行部数と世帯普及率:FACTA2007年7月号より |
|
朝日新聞 |
毎日新聞 |
読売新聞 |
日経新聞 |
産経新聞 |
地元紙 |
北海道 |
15万部
6.0% |
7.2万部
2.8% |
23万部
9.0% |
5.5万部
2.2% |
1200部
0.0% |
北海道新聞
120万部
46.8% |
石川県 |
1.3万部
3.1% |
2000部
0.6% |
1.9万部
4.4% |
1.8万部
4.4% |
1200部
0.3% |
北國新聞
70.1%
30万部 |
徳島県 |
1.6万部
5.0% |
5000部
1.6% |
1万部
3.3% |
1.3万部
4.1% |
2000部
0.6% |
徳島新聞
26万部
81.9% |
東京都 |
120万部
20.1% |
42万部
7.0% |
145万部
24.3% |
61万部
10.3% |
36万部
6.1% |
東京新聞
26万部
4.3% |
沖縄県 |
1542部
0.3% |
368部
0.1% |
524部
0.1% |
4156部
0.8% |
240部
0.0% |
沖縄タイムス
20万部
41.3%
琉球新報
20万部
38.6% |
数字の羅列のように見える表をなるべく簡単に説明します。それぞれの新聞の上の数字は発行部数、下は世帯普及率、即ちその都道府県の総世帯数のうち何%がその新聞を購読しているかという数字です。
まず北海道。ネット情報によると人口は約550万、総世帯数は約240万です。発行部数が120万部の北海道新聞は「世帯普及率46.8%」となっています。全世帯の半数近く(約110万世帯)が北海道新聞を購読しているという意味ですよね。100世帯の家庭のうちほぼ50世帯が「道新」(北海道新聞の愛称)を読んでいる。これを北海道でも配られている全国紙と比べてみます。一番大きい読売新聞(23万部)の世帯普及率は9.0%、つまり100世帯のうち読売を購読しているのは9世帯ということです。朝日は6世帯、毎日は2.8世帯、日経は2.2世帯ときて一番少ない産経新聞は部数が1200で普及率は0.0%(つまり1世帯以下)ということになる。
単なる数字遊びとして考えてもらっていいのですが、安倍さんの「集団的自衛権」について道新は「日本を誤った方向に導く」というわけで、極めて批判的な社説を掲載しています。北海道ではそのような主張をする新聞を読む人が圧倒的に多いという計算になる。
では、道新と違って安倍さんの行動に好意的な社説を掲載した数少ない地方紙の一つである北國新聞の地元、石川県はどうか?昨年の全世帯数は435,340、北國新聞の世帯普及率は何と70.1%!道新も真っ青ですよね。約43万世帯のうち30万世帯以上が北國新聞を読んでいる。残りの約10万世帯を全国紙が争っているわけです。朝日新聞を購読している家庭は100世帯に3、毎日は0.6世帯なのだから、石川県では「集団的自衛権」に反対という人にお目にかかることは滅多にない!?
次にご注目願いたいのは徳島県です。徳島新聞の世帯普及率は81.9%、地方紙ナンバーワンであります。全世帯の8割以上ということは、感覚的には「全部」と同じでしょうね。安倍さんの「閣議決定」について徳島新聞は7月2日付の社説で「将来に禍根を残す暴挙だ」、同3日には「主権者軽視とは何事か」というわけで、2日連続でかんかんに怒っている。「 戦争の恐ろしさを知っていた本県選出の三木武夫元首相や後藤田正晴元副総理が生きていたら、認めなかったのではないか」と嘆いております。
全国紙ファンの皆さんには申し訳ないけれど、ほとんど「お笑い」としか言いようがないのが沖縄です。沖縄タイムズ一つだけでも20万部出ているのに、5つの全国紙を合計してもたったの6830部、どれも世帯普及率が1%にも届かないのだから、沖縄では朝日も読売もないとの同じということですよね。「集団的自衛権」について、沖縄タイムスは「思慮欠いた政権の暴走」、琉球新報は「国民を危険にさらす暴挙」と、かなり厳しく批判しています。沖縄の人びとがこの2紙以外の新聞は読んでいないということは、「集団的自衛権」もさることながら、基地問題などについては全国紙を読んでいても何も分からないということを数字が示しているということです。
そして最後に東京都です。ここの「地方紙」は東京新聞ということになる。都内における部数は約26万部、この部数は徳島県でダントツの徳島新聞と似たような部数ですが、東京だと世帯普及率は4.3%で、読売や朝日には遠く及ばない。FACTAの表をみれば分かるけれど、東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏と大阪府は全国紙の支配下にある。さらにFACTAの表によると、大阪府には「地元紙」というのがない。そんなところは大阪府だけです。
▼FACTAの情報によると、47都道府県の中で、全国紙が世帯普及率のトップにいるのは東京、埼玉、千葉、神奈川、茨城の首都圏と大阪、滋賀、和歌山、奈良、山口の1都、1府、8県だけで、残りの37道府県ではどこも地元紙が首位であるとのことです。首都圏の場合、東京以外の4県も住民の大半が東京勤めの人で住んでいる県に対する帰属意識が低く、その分だけ地元紙の影が薄いのは分かります。ちょっと違うのは関西ですね。大阪府に地方紙がないという不思議さもさることながら大阪や神戸への通勤圏であろう兵庫、岡山、京都で相変わらず地元紙が強いのですね。特に岡山の山陽新聞なんて普及率はほぼ60%ということは、全国紙5紙を併せてもかなわないということです。 |
|
back to top |
6)どうでも英和辞書
|
A-Zの総合索引はこちら
|
black dog:黒犬
知らなかったのですが、欧米では昔から精神的なうつ状態のことを "black dog" と呼ぶ伝統があるのだそうですね。blackという色が何やら不吉で陰うつというイメージであるのはわかるけれど、dogは「人間にとって最良の友だち」(man's
best friend)と言われており「うつ」とは無縁のように思われる。が、 Oxford English Dictionary(OED)によると、18世紀以前の英国ではイヌはペットではなく番犬とか猟犬として飼われており、イメージとしても「獰猛」(vicious)とか「貪欲」(ravening)というイメージで語られる存在だったのですね。
あのウィンストン・チャーチルは、「きょうは気分がすぐれない」と言うのに "I have got a black dog on my back today"という言い方をするのが常であったのだそうです。「黒犬に取りつかれている」ということですね。それがさらに一般的に広がって、自分が「うつ状態」であることを言うのに "I'm depressed" と言うかわりに "It's my black dog day" と言ったりするようになったとのことです。
ここをクリックすると、black dogに取りつかれてしまった(うつ状態になった)男性が、やがてこのイヌと暮らすことに慣れ、最後にはそのイヌが自分にとってなくてはならない存在になっていくという様子を描いたアニメを見ることができます。1分少々の短いものです。また英国では、チャリティのSANEという組織が、black dogの像を英国中の町に置いて回るという運動を展開しています。
|
back to top |
7)むささびの鳴き声
▼何度も言うようですが、私(むささび)は新聞の購読をしていません。が、それをしていた頃に、朝刊に『首相の動静』というコーナーがあるのを不思議に思っておりました。時の首相が毎日、誰と会って何をしたかということについて分刻みの情報が載っているわけですが、誰がこんなもの読むのか?と思っていたわけです。
▼最近、単なる偶然で「内野光子のブログ」というのを読んでいてハッとしましたね。今年の5月15日午後6時から、安倍首相が集団的自衛権行使容認についての記者会見を行ったのですが、内野さんによると、その翌日(5月16日)の朝刊に出ていた『首相の動静』の欄に「15日の夜、西新橋の『しまだ鮨』で8時6分から時事通信、毎日新聞の特別編集委員、朝日新聞の編集委員、NHKの解説委員らと会食した」という趣旨の情報が掲載されていたのだそうです(もちろん実際の新聞や内野さんのブログには会食したジャーナリストの実名が出ています)。内野さんはこのことについて
- 招く首相も首相だが、応じる方の報道関係者の見識を疑う。
と言っている。
▼何故か読売新聞と産経新聞の記者の名前が出ていない。東京新聞も共同通信もいない。首相と会食をしたからといって、その記者の書く記事には何の影響もないだろうし、記者にしてみれば、それも取材活動の一つなのだから、「見識を疑う」なんて言われるのは心外だ、ということですよね。ね?いずれにしても、『首相の動静』というコーナーの存在理由が分かりました・・・内野光子さんに脱帽!
▼安倍さんの集団的自衛権容認に関するデイビッド・ピリングの記事の中で非常に気になるのは、6月29日に新宿駅付近で、集団的自衛権の行使容認に反対する男性が焼身自殺を図ったという出来事を日本のメディアが「報道する価値なし」(not newsworthy)と考えたようだと言っている点です。ネット情報によると、NHKなどは全く報道しなかったということです。報道しなかった理由についてNHKは「政治案件だから」と言ったのだそうです。政治的な意図を持った自殺だからこそ報道しなければいけないのに・・・。
▼ピリングの記事についてもう一つ。テンプル大学のジェフ・キングトン教授が、「安倍さんが日本をどこへ連れて行こうとしているのかについて、日本人は不安を感じているのだ」とした上で
- 平和主義は日本のナショナル・アイデンティティの「根幹」になっているのだ。
Pacifism has become a “touchstone” of Japan’s national identity.
とコメントしています。
▼“touchstone”という英語を「根幹」と訳すのが正しいのかどうか自信がないのですが、自分たちの国を表現するのに最もふさわしいものとして平和主義がある、と日本人が考えているという意味であろうと(むささびは)解釈しているわけです。以前に紹介した『放射能とナショナリズム』という本の中で、著者の小菅信子さん(山梨学院大学教授)は「唯一の被爆国」が戦後日本の「ナショナル・アイデンティティ」になったと言っています。日本人が「被害者としての日本」を自己主張することで反核・平和を訴えるための拠り所となったのが「唯一の被爆国」であったと思うのですが、憲法第9条の平和主義を訴えようとする日本人の自画像はどのようなものなのでしょうか?
▼地方紙の社説といえば、集団的自衛権とは関係ないのですが、6月29日付の河北新報が「精神科病床転換/根本的な解決にはならない」という社説を載せています。現在、厚生労働省で、精神科病院の病棟・病床をグループホームや老人ホームのような「居住の場」に転換する構想が進められているのだそうです。精神科病院を退院する患者さんのために、病院の敷地内に居住スペースを作ってそこで暮らしてもらおうというアイデアです。とりあえず「退院」をするのですが、その後も病院の敷地内で、病院が運営する施設で暮らしてもらうということです。
▼はっきり言うと、将来ベッドが余剰に陥る可能性が高い精神科病院が、病院ビジネスとしての生き残りをかけて、患者を永遠に囲い込んでしまおうというわけです。河北新報はこれに反対する主張をしているのですが、ここをクリックすると、他にも沖縄タイムズ、信濃毎日新聞、愛媛新聞、東京新聞、中日新聞などの新聞が同じような主張の社説を掲載していることが分かります。あまりにもひどすぎる対人間感覚です。こんな国では、平和主義もへちまもない。
▼2010年のワールドカップが南アで開かれたときイングランドはドイツに完敗したのですが、イングランドの選手たちが帰国したときのメディアの報道ぶりをむささびジャーナル192号に書いてありました。あのときに比べると今年は妙に静かな気がします。負け慣れしてきたってことですかね。
▼ついにクソ暑い夏がやってきたというのに、ダラダラと失礼しました。
|
|
back to top
|
←前の号 次の号→
message to musasabi
journal |