1)旅客機撃墜現場から:テレビ記者の謝罪
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7月22日付のGuardianに、ウクライナにおけるマレーシア航空機撃墜事件に関連して"my error of judgment"(私の判断ミス)という変わったタイトルの記事が出ています。書いたのはスカイ・ニュースというテレビ局のコリン・ブレイザー(Colin Brazier)記者。何が「判断ミス」だったのかというと、マレーシア航空機撃墜事件の現場からの生中継の際に、付近に散らばっていた犠牲者の遺品と思われるものに手を触れて「ほらこんなものまで・・・」という感じのレポートをやってしまったということ。その場面が放映された途端に彼のツイッターや局のメールボックスに「不謹慎だ」という抗議のメッセージが殺到してしまったというわけです。
ブレイザー記者は王立テレビ協会(Royal Television Society)によって今年のベスト・キャスター賞を受賞したようなベテランのテレビ・ジャーナリストなのだそうです。
あの事故を現場中継するために派遣されたコリン・ブレイザーが墜落現場で目にしたものは、散乱する死体だらけで、中継にあたっては死体だけは写さないようにしようとカメラマンと打ち合わせていたのですが、「遺品を撮影するのはいいのでは?」ということになった。
というわけで遺品の近くに立って中継を始めたブレイザー記者がかがみこんで「ほらこんなものが」という感じの中継をする中に子供用の水筒のようなものがあった。今年6才になる彼の娘がもっているものとそっくり同じものだったのですが、思わずそれを鞄のようなものから取り出して手に持ってしまった。
- こんなことやってはいけないんだ。これは間違いだ・・・。
We shouldn't be doing this … this is a mistake...
という言葉が思わず口をついて出てしまったのですが、時すでに遅しで、自分のとった行動を「禿鷹ジャーナリストの典型的行動」(what I did as a powerful example of journalistic vulturism)と見なそうと決めてかかっている人びとの餌食になってしまったというわけです。
▼最後の「こんなことやってはいけない」という言葉が「思わず口に出た」と(むささびは)書いてあります。この原文は "I thought aloud..." となっています。「声に出して考えた」というのですよね。「独り言」のこと。 |
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2)ガザの悲惨:英国ユダヤ人社会の想い
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7月23日付のGuardianのサイトに、悲惨な状態が続くパレスチナのガザについて、英国内のユダヤ人社会が何を想っているのかを語る記事が出ています。書いたのはキース・カーン=ハリス(Keith
Kahn-Harris)というユダヤ人ジャーナリストで
と言っている。
この人によると、最近行われたイスラエルを支持するための集会への参加者がかつてに比べると非常に少なかったので、英国内のユダヤ人の間では「もっとイスラエルを支持しよう」という声まで上がっている。どうやらユダヤ人社会の間で使われているツイッターとかフェイスブックのような世界でもガザの現状には不安を訴える声が広がっているらしい。
最近のBBCラジオのTodayというニュース番組に出演したユダヤ教の指導者(女性)が、ガザの現状について「完全に打ちのめされている」(completely
heartbroken)とか「イスラエルとパレスチナの双方に同情を禁じ得ない」(empathy for both sides)などと発言したらしいのですが、強くイスラエルを非難するような発言は出なかった。その点でパレスチナを支持する人びとは不満であったろうし、ハマスを非難することもなかったのだから、イスラエルを支持する人も不満であったかもしれないわけですが、カーン=ハリス氏は「この発言のどっちつかず的な部分(ambivalence)こそが今のユダヤ人社会の一般的な感情を反映している」と書いている。
これからのガザですが、双方の対立がますますエスカレートして犠牲者が増えていく可能性が高い。そうなるとユダヤ人社会の間でもイスラエルを非難する声が高まるのではないかというわけで、パレスチナ支持者にとっては「少なすぎる・遅すぎる」(too little too late)であろうし、イスラエル支持派にとっては「多すぎる・早すぎる」(too much too soon)ということになる。
- しかしながら、はっきりしていることは英国内のユダヤ人社会とイスラエルの関係が、普通に言われる以上に複雑であり、英国内のユダヤ人は考えられている以上に多様性に飛んでいるということである。
But what is clear is that the British Jewish community’s relationship to Israel is more complex than it is often portrayed and British Jews are more heterogeneous bunch than they are often portrayed.
とカーン=ハリス氏は言っています。
▼創刊1841年という歴史を誇るユダヤ人社会の新聞、Jewish Chronicleによると、ガザについては英国内でも意見が鋭く対立しています。キャメロン首相がどちらかというとハマスのテロ攻撃を非難しているのに対して、自身がユダヤ人であるエド・ミリバンド労働党党首は、イスラエルによるパレスチナ攻撃について「事態をますます悪くしている」(it will make it worse)として、パレスチナ人の間で死者が多数出ていることについては「説明も正当化も支持することもできない」(I cannot explain, justify or defend)と言っています。
▼1969年から1974年までイスラエルの首相を務めたゴルダ・メイア(Golda Meir)という人がいるのですが、彼女が1969年に言った言葉に
- We can forgive the Arabs for killing our children, but we cannot forgive them for forcing us to kill their children.
- アラブ人が我々の子供たちを殺すことは許せるが、アラブ人が我々を強制して彼らの子供たちを殺させることだけは許せない。
-
- というのがあるのだそうです。
▼書評誌、London Review of Books (LRB) のサイト(7月25日)に出ていたものです。最近のイスラエルによるガザ爆撃で死亡したパレスチナ人は約800人、うち約200人が子供だそうで45年前のメイアさんの言葉がそのまま実践されている。イスラエルの爆撃はハマスからの攻撃によって「強制的に」行わざるを得なかったものである・・・。
▼唐突ですが、こんなとき日本が「憲法第9条」(Article 9)を掲げて停戦を呼びかけたらどういうことになるのでしょうか?無視されるか嘲笑されるか、ですよね。でも何も言わないよりは日本人としては気が済む・・・と思いながらThe Independentのサイトを読んでいたら、7月26日(土曜日)にロンドンで「パレスチナと連帯する会」(Palestinian Solidarity Campaign)主催のデモがあり、4万5000人が参加したと書いてありました。ロンドン以外でもマンチェスター、エディンバラ、バーミンガム、ニューカッスルのような大都市でも同様のデモがあったそうです。 |
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3)香港で試される英国の矜持
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6月29日付の産経新聞のサイトに「岐路に立つ『一国二制度』」という記事が掲載されています。香港に関する記事です。それによると、中国の習近平政権が6月10日に「一国二制度白書」というものを突然発表したのですが、その中には中国が「香港に対し全面的な管轄統治権を持つ」という趣旨のことが書かれているのだそうです。
香港はかつて英国の植民地であったけれど、1984年に中英共同宣言(Sino-British Joint Declaration)というものが発表され、1997年の対中返還後の香港は50年間は「一国二制度」(one country, two systems)で統治されることが約束された。要するに中国という国は社会主義ではあるけれど、香港については従来通りの社会制度(資本主義)で統治されるということです。
産経新聞の記事は、中英共同宣言で約束された「一国二制度」が中国側によって崩されようとしているというニュアンスで書かれているのですが、7月19日付のThe Economistの社説、同じ日付のファイナンシャル・タイムズ(FT)のコメント記事が、香港をめぐる最近の英国と中国の関係について書いています。
The Economistの社説は
- 英国は香港に関して道義上の指針を再発見し中国と対決する時が来ている
Time for Britain to rediscover its moral compass and confront China over Hong Kong
と主張している。この社説によると、7月15日に香港のトップである行政長官の梁振英(Leung Chun-ying)という人が北京を訪問、中国政府の指導部に香港の選挙制度改革についての報告書を提出した。その中では中国政府の意に沿わない香港の活動家や政治家を「取り除く」(weeds
out)ことを香港市民は容認しており、さらに香港市民は今以上の政治的な自由を望んでいない(not want greater political
freedom)という趣旨のことが述べられているのだそうで、The Economistによるとこれが多くの香港市民を怒らせている。
香港では3年後の2017年に行政長官選挙が行われるのですね。梁振英行政長官が提出した選挙制度に関する報告書では、英国から中国に返還された際に決められた香港基本法(憲法)で約束された「普通選挙権」(universal suffrage)の実施も保障の限りではないというニュアンスになっている。それやこれやで香港市民の間では対中国不信感で騒がしくなっているのですが、The Economistの社説は、
- 怒りの声が飛び交う中で、一つだけ声が聞こえてこないところがある。それが英国である。
Amid the uproar, however, one voice has been notably silent: that of Britain.
というわけで、現在のキャメロン政権の中国に対する姿勢を批判している。
香港の民主勢力が怒っているのは、最近の中国が、かつて英国との間で交わしたはずの「一国二制度」の約束を尊重していないということなのですが、彼らの怒りの矛先が英国にも向けられつつある。「一国二制度」の約束が反故にされつつあることに不満を募らせた香港の民主派の政治家がロンドンを訪問、キャメロン首相との面会を求めたのですが、断られてクレッグ副首相との会談に格下げされてしまった。
中国政府によって「一国二制度白書」が発表された直後に中国の李克強首相が英国を訪問、国家元首でないにもかかわらずエリザベス女王との謁見が手配されるなど異例の扱いを受けたことについてThe Economistの社説は、かつてキャメロン首相がダライラマと面会したことがきっかけで英国を冷遇する政策を取り続けていた中国と「仲直り」(rapprochement)するための計らいだったとしています。李克強首相の訪英中に中国から140億ポンド相当のビジネスが約束されたわけですが、
- 今後の中英関係がどのような条件下で行われることになるのか・・・誰の眼にも明らかであろう。確かに商売は行われるだろうが、それは英国が中国の問題にクチバシを挟まないという範囲内でのことである。
Nobody needed to spell out what from now on would be the terms of the relationship: deals would flow, but only for as long as Britain kept its nose out of Chinese affairs.
とThe Economistは言っています。
つまり中国のご機嫌を損ねたらアウトという関係だと言っているのですが、香港が今後も金融ビジネスの中心として繁栄できるのは自由な報道、独立した司法、法の支配などが保障されていればこそのハナシであるというわけで、これらのことをめぐって英国が中国と対立すると英国の企業にとっては高くつくことになるかもしれない。しかしより広い視野に立って英国という国の利害ということを考えると、対立しないことのコストはより高いものになる。
現在の状態は、中英両政府が署名した1984年共同宣言という条約に違反する状態であり、条約違反を犯すような国は信用(credibility)されなくなる。英国が国の規模の割には外交的な影響力を保持できているのは、民主主義を大事にする価値観と国連安全保障理事会のメンバーとして他国との連携を組める能力があるからだが、香港問題に見る限り、英国は民主主義国としての価値観を守る気がないようであるとThe Economistは批判している。
中国の行動を英国だけで抑止することは難しいかもしれないが、アメリカを含めた他の国は中国の脅し外交に警戒心を強めているのだから・・・
- もし英国が香港の自由を守る気があるというのであれば、他の国々もそのようにするであろう。もし英国が中国にへつらうというのであれば、他の国は香港や英国のことなど知ったことかと思うだけだ。
If Britain were willing to stand by Hong Kong’s liberties, they would be prepared to do so too. If Britain kow-tows to China, why should they bother.
とThe Economistは主張しています。
ファイナンシャル・タイムズの記事はコメンテーターのフィリップ・スティーブンス(Philip Stephens)が書いたもので、The Economistの社説と内容は似たようなものなのですが、キャメロン政府の対応は産業界の利益にもならないと言っています。スティーブンスによると「弱さは習氏から英国の産業界のために特別待遇を獲得することにはならず、英国に対する国際的な信用を失うだけ」であり、「アメリカ政府は、キャメロン政権というのは何につけても立場を持っているということがあるのかどうか疑っている」のだそうで、
- あえて中国とケンカをする必要はないが、香港の自由と英国の国際的な信用は密接に繋がっているものだ。
There is no need to pick a fight with Beijing. But Hong Kong’s freedom and Britain’s credibility in the world are inextricably linked.
と言っています。
▼6月に李克強首相が英国を訪問したときは、保守派のTelegraphが「女王と会えないのなら訪英をキャンセルすると脅した」と報道し、Guardianは「首相の訪英は両国にとって経済関係を発展させる機会となるだろう」と言いながらも「だからと言って、英国の原理原則については一切の妥協があってはならない」(that
should not mean any compromise by Britain on its principles)と主張したりして、結構な騒ぎであったのですよね。
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4)「安楽死は権利だ」
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かつてカンタベリー大主教(Archbishop of Canterbury)をつとめたことがあるキャリー卿(Lord Carey)という人が最近(7月11日)のDaily Mailに寄稿した、あるエッセイが英国内で大きな議論を引き起こしています。書き出しは次のようになっています。
- 自分の愛する者が、苦痛に満ちた不治の病の最後の苦しみにあえいでいるのを眼にすれば、誰でも生きるということと死ぬということについての深い哲学的な問いかけをせざるを得なくなるものなのだ。
Anyone who has had to watch a loved one go through the final agonies of a painful terminal illness is bound to ask deep philosophical questions about the nature of life and death.
このエッセイは、いわゆる安楽死(assisted dying)に関連して書かれたもので、安楽死は許されるべきだという観点から書かれています。キャリー卿がカンタベリー大主教の地位にあったのは1991年から2002年までなのですが、カンタベリー大主教は英国国教会のトップという地位でもあります。英国国教会は彼がトップをつとめたいたころも現在も安楽死は認めないという立場にある。このエッセイは、「元カンタベリー大主教」が考え方を変えたことを告白したようなものなのですが、現にエッセイの中には次のような個所がある。
- つまり私は考え方を変えたということなのだ。不必要な苦しみの現実を目の前にして、かつて抱いていた哲学的な確信が崩れてしまったということである。
The fact is that I have changed my mind. The old philosophical certainties have collapsed in the face of the reality of needless suffering.
彼の言う「不必要な苦しみの現実」というのは、「閉じ込め症候群」(locked-in syndrome)という難病に冒された男性が、自ら希望したにもかかわらず「死ぬ権利」を否定され、苦悶の中で死んでいったことを指しています。
閉じ込め症候群というのは、ネット情報によると「脳血栓などのため,意識ははっきりしているものの手足はまったく動かせず,口もきけない状態で,眼球運動によってのみ自分の意思を伝えることのできる状態」のことを言うのだそうで、この症状に罹った男性が今から2年前の2012年8月に58才で亡くなった。彼は父親と共に「死ぬ権利」(legal
right to die)を求めて裁判で争った末に亡くなったのだそうです。
それにしても、今なぜ「元カンタベリー大主教」という立場にある人が、安楽死の合法化を求めるエッセイを投稿する気になったのか?実は現在、貴族院(House
of Lords)で安楽死の合法化法案が提出され、100人を超える貴族院議員が意見の表明を行うという前代未聞の事態が続いており、新聞やテレビがさまざまな立場の人物の意見を掲載して盛り上がっているということです。
英国には1961年自殺法(1961 Suicide Act)という法律があって、自殺を薦めたり、ほう助したりすると最高で14年の禁固刑に処されることになっています。この法律についてはこれまでにも改訂して、必要に応じて自殺ほう助を合法化する議論が行われてきたのですが、そのたびに否決されてきたわけです。
今回、貴族院に提案され審議されている法案は
- 不治の病に冒されている人は、自らの命を終結させるための支援を求め、合法的にこれを提供されることができる。
A person who is terminally ill may request and lawfully be provided with
assistance to end his or her own life.
としています。要するにこれまでの自殺法を根本的に変えようというものなのですが、安楽死が許される条件としては「患者の余命が6か月以下であること」「医師二人の了解があること」などが挙げられています。
Daily Mailに掲載されたキャリー卿のエッセイは非常に長いものなので、全部を紹介するわけにはいかないのですが、何といっても英国におけるキリスト教指導者の一人である元カンタベリー大主教のような人物が、場合によっては殺人にもなりかねない「自殺ほう助」を支持するとは怪しからんという批判が強いのですが、それに対するキャリー卿のメッセージは次の言葉に現れているのではないか、とむささびは思います。
- こんにち我々は厳しいパラドックスに直面している。つまり生命の尊厳についてこれまでに受け入れられてきた(キリスト教の)教えを厳重に順守しようとすると、英国国教会は苦悩や苦痛を聖なるものとして容認することになってしまうのである。これこそキリスト教の教えとは正反対ではないか。
Today we face a terrible paradox. In strictly observing accepted teaching about the sanctity of life, the Church could actually be sanctioning anguish and pain - the very opposite of the Christian message.
キャリー卿のエッセイの中で最も頻繁に他のメディアに引用されているのが「自殺法の改正はキリスト教の教えに反することにはならない」(it would not be anti-Christian to change the law)という部分です。
キャリー卿のエッセイについては、当然ながら賛否両論、いろいろな人がいろいろなことを言っています。ここでは安楽死の合法化を支持する意見の代表的なものとして、物理学者でケンブリッジ大学のスティーヴ・ホーキング(Stephen Hawking)教授の意見を紹介し、合法化反対の意見は次の項で紹介することにします。
BBCのサイト(7月16日付)によると、スティーヴ・ホーキング教授は、かつて自分自身が自殺未遂の経験があり、「よほどの苦しみでない限り絶望から自殺するのは間違っている」(wrong to despair and
commit suicide, unless one is in great pain)としている。が、今回の自殺法改訂については
- 死ぬことを選ぶ個人の自由を剥奪すべきではない。
We should not take away the freedom of the individual to choose to die.
と語っています。教授によると自殺や自殺ほう助を禁止するのは「健常者には可能な自殺の権利を障害者には否定する差別だ」(discrimination against the disabled to deny them the right to kill themselves that able bodied people have)とのことであります。
ホーキング教授ははたちを過ぎたころに「筋萎縮性側索硬化症」と診断され、余命5年と言われたのだそうですね。でもいま72才でぴんぴんしている。「絶望から自殺するのは間違っている」と語るのはそういう経験者の言葉なのだろうと思いますが、「あくまでも個人の選択の問題だ」と強調しています。彼自身が自殺を試みたのは、呼吸管を装着するために気管切開の手術をした際のことで、
- 息を止めることで自殺しようとしたけれど、呼吸しようとする本能的な力が強くてうまくいかなかった。
I briefly tried to commit suicide by not breathing. However, the reflex to breathe was too strong.
と言っています。ホーキング教授とBBCのインタビューは一部ですがここをクリックすると見る(聴く)ことができます。
7月16日に行われた貴族院における討論では126人の議員が9時間43分にわたってそれぞれの持論を展開したのですが、自殺法改訂に賛成が64、反対が59、中立が3人だった。これで改訂案が成立というわけではない。これから貴族院の委員会にかけられ、さらに下院での討論にもかけられなければならない。それやこれやで、下院における議論そのものが来年(2015年)5月の選挙の後になる。ちなみに保守党のキャメロン党首は、この法律の改正には消極的な考え方をしている。ということは、来年の選挙で保守党が勝った場合、選挙後に下院の討論が行われてもこれが通るかどうかは分からないという意味でもある。
▼安楽死(assisted dying)はアメリカではオレゴン州とワシントン州で合法化されており、ヨーロッパではベルギーとオランダで「自発的安楽死」(voluntary euthanasia)が合法化されており、スイスでは1942年から合法なのだそうですね。ウィキペディアには、「日本においては積極的安楽死は法的で明示的に認めておらず、刑法上殺人罪の対象となる」と書いてある。英国に似ているということ?
▼お医者さんの世界は意見が分かれているようです。英国医師会(British Medical Association: BMA)は安楽死の合法化に反対しているのですが、Guardianによると、医学界の指導的な立場にあると目される医者27名が連名で貴族院議員に対して合法化を支持するように訴える手紙を送ったりしている。また2009年に行われた世論調査によると、安楽死の合法化に賛成が65%、反対が22%と、かなりの割合で合法化に賛成という意見が多くなっています。 |
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5)「安楽死の合法化は弱者を殺す」
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「元カンタベリー大主教」は安楽死合法化に賛成なのですが、現在のカンタベリー大主教のジャスティン・ウェルビー(Justin Welby)氏はこれに反対しています。7月12日付のTelegraphのサイトによると、ウェルビー氏はThe Timesへの投稿の中で
- 現在多くの高齢者が虐待され、冷遇されており、障害者も同じような仕打ちを受けている。そのような状況で安楽死が合法化されることで、これらの人びとが自ら命を絶つようなプレッシャーを感じないだろうと考えるのは甘いというものだ。
It would be very naive to think that many of the elderly people who are abused and neglected each year, as well as many severely disabled individuals, would not be put under pressure to end their lives if assisted suicide were permitted by law.
と語っている。安楽死を禁止している現在の法律を変えてしまうと、社会的弱者が「家族や社会に負担をかけたくない」という理由で死を選択するケースが大いに増えるはずだというわけで、「英国をどんな社会にするつもりなのか?」(What sort of society would we be creating?)と、元の大主教を批判しています。
さらに、7月17日付のGuardianのサイトに掲載されたジョン・インジ(John Inge)という人の短いエッセイがむささびの注目を引いてしまいました。安楽死合法化反対論なのですが、この人は英国国教会でもウースター主教(Bishop of Worcester)という立場にある聖職者で、大主教が本社の社長だとすると、主教は地方支社の社長さんという感じの地位になる。
この人が寄稿したエッセイは
というタイトルで、今年の春のイースターの日にガンでこの世を去った自分の妻(51才)との最後の日々を振り返りながら
- キャリー卿(の安楽死合法化賛成論)は間違っている。もし安楽死が合法であったら、我々は貴重な最後の数か月を共に過ごすことはなかったのだから。
Lord Carey is wrong. Had assisted dying been legal, we would have lost those last few precious months together
と言っています。
インジ主教の奥さんがガンで余命は長くて数週間と医者から告げられたのは昨年(2013年)5月のことだった。苦痛緩和のための化学療法(palliative chemotherapy)というものを薦められて受け入れたのですが、副作用などもあって奥さんにとっても大変な苦痛に満ちた数か月だった。ただ、主教によると彼女が亡くなる数か月前になってその化学療法の効果があらわれ、家族と共に貴重な時間を過ごすことができた。余命いくばくもないと告げられた時点、あるいは本人が化学療法の副作用による苦しみにもがいているときに、もし安楽死が合法であったなら・・・
- 妻に対して「すべて終わりにしよう。それがキミのためにベストなのだから」と提案することの魅惑には勝てなかっただろう。
How tempting it would have been for me to have suggested to her that it would be “for the best” for her to end it all there and then.
とインジ主教は言います。
安楽死の合法化に賛成する人びとは、安楽死こそが患者に対する優しさ(compassionate)であり、心配り(caring)であると言うけれど、それを合法化することによってこそ、苦しんでいる本人を周囲の負担にならない道を選ぶような心理にさせてしまうのではないか、とインジ主教は言っている。
賛成派のキャリー卿は自分のエッセイの中で、ある女性の信者が死ぬ間際に告げた
- 大切なのは人生の質であって、どのくらい長く生きたかではない。
It is quality of life that counts, not length of days
という言葉を例に挙げて無理やり延命させることの残酷さを指摘している。この点についてインジ主教は「人生の質なんて誰が、いつ、何を根拠に決めるのか」(who is to decide, when, and on what grounds?)と反論しています。
そしてインジ主教は奥さんが亡くなる直前に書き置いた次の文章を紹介しています。
- 人間は誰もが死ぬ運命にあると考えることは、死ぬための準備をするということではなくて、生きるための準備をするということです。私はいまそれをやっているのです。子供時代よりもより自由に、より充実した状態でやっているのですよ。ガンになったことによって生命がより貴重なものになったということはない。そんなことを言うと、まるで生命が壊れやすいものだから戸棚にしまっておいた方がいいという風に思えてくる。違いますね。ガンは人生をより美味しいものにしたのですよ。
Contemplating mortality is not about being prepared to die, it is about being prepared to live. And that is what I am doing now, more freely and more fully than I have since childhood. The cancer has not made life more precious - that would make it seem like something fragile to lock away in the cupboard. No, it has made it more delicious.
▼インジ主教のエッセイには300件を超えるコメントが寄せられているのですが、ざっと見る限りにおいては筆者に対して批判的なものが多い。典型的なのは次のコメントです。
- 苦しみながらも生き続けたのは彼女(筆者の妻)が自ら選んでそうしたのでしょう。それは結構ですよ。でも、あなたの奥さんの選択をなぜ他人に強制しようとするのですか?私自身が選ぶ生き方、死に方に干渉する権利があなたにあるのですか?
That was her choice. That's fine. Why are you trying to impose your wife's choice on everyone else? What gives you the right to interfere in my life or death preferences?
▼おそらく筆者が主教という宗教指導者の立場にあることが理由で、自分のやり方を他人に押し付けているという風に考えられてしまうのでしょうね。筆者が言いたいのは、場合によっては自殺をほう助しても構わないなどと法律で決めてしまうと、高齢者や障害者が「自分なんかお荷物でしかないのだから殺してもいいですよ」などと考えがちになり、それが社会的な弱者の生命を軽んじることに繋がる、だから強制的に自殺ほう助を禁止するという現行の法律を変えてはいけない・・・ということなのだろうと(むささびは)推測するのですが。
▼ウェルビー大主教もインジ主教も「社会的な弱者を守る」ことを合法化の反対理由として語っており、その範囲においては(むささびには)説得力がある。そこで・・・自分自身についてはどうなのか?この二人は自分が不治の病に冒されて苦しむような立場に陥ったときに、「お願いだから殺してください」などとは言わないし考えもしないのですよね。理念としてはそう思っているのですよね。それは何故なのか?「殺してください」と考えることの何が悪いと言うのか?そのあたりのことを語って欲しいですよね。
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6)どうでも英和辞書
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A-Zの総合索引はこちら
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mother-in-law:義母、しゅうとめ
オックスフォード大学のボドリアン図書館の出版部が1937年に出版した小冊子にHow to be a Good Mother-in-Lawというのがあるのですね。「良きしゅうとめであるために」というわけですが、77年前のものとはいえ、英国人の義母観のようなものが想像できる内容のようであります。例えば・・・
If your opinion is not sought, don’t volunteer it.
意見が求められているわけでもないのに、自分からそれを発表したりするな。
- ★息子夫婦が自分たちの子供を私立学校に通わせるか、公立にするかハナシをしているときに「アタシなら私立にするな」とか、ついやってしまう、あれ。誰もアンタに聞いてねえっつうの。
Do not look at your son steadfastly and then turn to his wife and tell her he is getting thin.
自分の息子の顔をじっと眺めてから、お嫁さんに向かって「彼、最近、痩せたんじゃない?」などと言ってはならない。
- ★もっとひどいのは、お嫁さんの方を見ないで、息子の顔をじっと見て、「ヨシオ、あんた最近・・・」などと口走るケースでしょう。直ちに息子さんは離縁され、ますます痩せるということになる。
If the house is a servantless one and Edith has forgotten to put out salt and pepper, don’t tell Tom to go and get them…
召使を雇っていない家で、(嫁の)Edithが塩と胡椒を出し忘れた場合、(息子の)Tomに取ってきてくれなどと言ってはならない。
- ★「召使のいない家」なんて・・・77年前の英国に住んでいて、しかも上流階級でないと分からないよね。おそらく息子夫婦と3人で食事をしようとしたら、テーブルに塩と胡椒が出ていなかった、という光景ですね。しゅうとめさんがお嫁さんではなく、自分の息子に「ヨシオちゃん、取って来てよ」などと言うと、嫁が傷つくってことでしょうな。尤も嫁は嫁で、「ヨシオくん、ラー油もお願い!」なんて言うかもしれないけど。
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7)むささびの鳴き声
▼安楽死の合法化ですが、これに賛成する元カンタベリー大主教が「生きた日数ではなくて、質が大切」という趣旨のことを死んでいく自分の信者に言われて返す言葉がなかった・・・と言っている。苦しさにのたうちまわって生きるより、死んだ方がましというのは理解できますよね。ただ、この大主教が言うように「深い哲学的な問いかけ」を発して考えたとき「生きた日数」の貴重さも考えるべきなのではないかと思うわけです。「人間、ただ物理的に生きていればいいってものではない」というのは本当でしょうか?「ただ生きている」ことがものごとの全てなのではないのか?
▼安楽死の合法化に賛成する人たちは、死に直面した人間を苦しませることの残酷さを訴え、これに反対する意見は、ひとたび法的な縛りを外すと家族や医者のみならず、弱者本人たちが自分の生命を粗末に扱う方向に進んでしまうことを懸念している。貴族院で審議されている法案は「患者の余命が6か月以下であること」を条件としているけれど、人間の余命なんてそれほど正確に分かるものなのか?ホーキング教授なんて、はたちのときに発症して5年ももたないかもしれないと言われたのに、50年経ってもまだ活躍しているのですからね。
▼単なる偶然ですが、安楽死問題について読売新聞の社説が語っているのに出くわしました。いまから34年前、1980年7月2日号で「『やすらかな死』への希求」というタイトルで、このころにバチカンの枢機卿委員会が安楽死を認める姿勢を示す報告書を発表したことに関連して掲載されたものです。社説の中に次のような記述があります。
- 人が死に直面したとき、そして、その人が苦痛にあえぎ、あるいは人間としての尊厳を失おうとしているとき、しかも本人が(本人が意思表示できない場合は推定によって)死を求めているとき、生と死と、どちらの選択が自然の摂理にかなうであろうか。
▼むささびが非常に興味深いと思うのは、英国における議論の中に、この社説のいう「自然の摂理」という視点がまったく出てきていない点です。賛成派も反対派も「人間の知恵」による延命や絶命の議論が中心なのですよね。妻がガンに罹ったジョン・インジ主教は、選択肢として安楽死か化学療法による延命かということについて語っているけれど、「何もしない」という選択肢については考えたのでしょうか?
▼いずれにしても読売の社説が判断基準としてもってきている「自然の摂理」という発想は英国人にはないのでありましょうか?それから・・・本題とは関係ないのですが、「自然の摂理」というのは英語で何というのかと思ってネットで調べたら、むささびのアタマに浮かんだ
"nature's law" と並んで "nature's blessing" というのがありました。な~るほど、うまいこと言うもんだと感心してしまった!
▼人間の安楽死は議論の対象になっているのですが、イヌやネコのようなペットはどうなのか?長年、関西で動物愛護施設を運営している英国人、エリザベス・オリバーは「安楽死は飼い主がペットに与えられる最後の愛情表現だ」と言っています。不治の病にかかった彼女自身の愛犬を自分の腕の中で抱きながら「楽にさせた」こともあるのだそうです。
▼(少しだけ話題を変えて)これまで65~74才のことは「前期高齢者」と言い、75才以上になると「後期高齢者」と呼んでいたことが批判されたというので、これを「若年高齢者」、「熟年高齢者」という呼び方に改めることが検討されている・・・と厚生労働大臣が明かしたのだそうですね。金曜日(7月25日)の記者会見でのことらしいのですが、この暑いのに、他に話題はなかったのでしょうか?
▼だらだらと失礼しました。もう8月ですね。お元気で!
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